第三章 トゥルク・ジョー・ネイキッドの流儀③

「待って……君、もしかして、異界生まれ?」


「異界……? そういやさっきもそんなこと言われたような」


「じゃあ、最近まで、別の世界で暮らしてたの?」


「ああ最近ていうか、ほんのニ、三時間前……」


「すごい! 初めて見た!」


 少年が、目を大きく見開きながら、高城たかじょうの全身を隅々まで眺めまわす。高城はというと、急に、動物園のパンダにされた気がして、居心地が悪かった。


「そんなに珍しいのか?」


「四、五年に一度、エルヴェリンの神様は、異世界から、全く新しい種族を一人、同胞として迎え入れるんだ。今でこそ、この国には百種類以上の異種族が暮らしてるけど……元は竜族の栄えたこの大地に、最初に異種がもたらされたのが五百年近く前。それから色んな種が招かれては繁栄と滅びをこの大地で繰り返してる。竜族最後の王、トゥラグリウスは本当に偉大だったんだ。『異界生まれは、何の知識も持たずにこの世に来るわけでは無く、我々の知らない全ての知識を持って現れる』。異界生まれ保護プログラムの前々々身、異界生まれ共栄・存続法の、序文さ。当時の時代背景を見ると、本当に賢眼としかいいようのない……」


「もしかしなくとも、ガリ勉だったか」

 

 少年は揚々として語るが、高城が理解できたのは、自分がオリンピック並みに珍しいというところまでだ。

 少年の隣に置かれた鞄の口が開いて、中身が見えていた。

 分厚い本が、詰めこまれている。

 本の内容を想像しても、持ち運ぶのを想像しても、肩が凝りそうだった。

 得意分野の話題を、相手の退屈も気にせずつい捲し立ててしまうという勉強好きの習性は、どこの世界でも一緒なのだなと思うと、微笑ましかった。

 

 フランケンも、長く低い音をたてながら、ジッパーを開けたり閉じたりしている。

 おそらく、あくびだった。今こそ少年を庇いに行くところだろうと思ったが、フランケンは退屈に耐えるのに精いっぱいのようだ。

 

 少年は愛おしげに、語る間もフランケンを撫で続けていたが、その手が、ピクリと止まってしまう。

 それをきっかけに、熱弁も閉ざされた。

 気になって、少年の緑色の指先に高城は目を向けた。

 フランケンのツギハギから、糸が数本ほつれているのが見えた。

 高城は、バツが悪くなった。

 街を逃げ回っていた際、どこかに引っ掛けてしまったという心当たりは、数え切れないほどあったのだ。


「……よかったら、この帽子あげるよ」

 

 少年が言った。

 高城を責めているのではなく、何故か寧ろ、感謝している様子だった。


 高城は、これ幸いと安心してしまえなかった。

 少年の声は、口元に浮かぶ満ち足りた笑みとは裏腹に、どこか憂いを帯びているように思えた。

 友達から借りたゲームソフトを壊してしまったのとは別種の事件の香りを、高城は、少年の表情に感じたのだった。


「いいのか? そんなになってまで探すくらい、大事なんだろ?」

 

 少年は、銀色の大きなボタンの着いた白いシャツに、くるぶしまで上げた黒のボトムスを履いている。足付きバスタブのミニチュアを思わせる、妙な形をした黒い貝殻の連なった飾りを腰から下げていた。傾いてはいるものの、十分、綺麗にまとまっているように見える。白と黒、それから少年の持つ緑の肌のコントラストを、高城は決して嫌いにはなれなかった。だがその美しいカラーリングには、ノイズがはしっている。良く見れば、街中を走り回っていた高城よりずっと、少年の服の表面には、埃と、土の跡と、毛羽立ちが確認できた。きっとフランケンを探す最中に、何度も転んだに違いないと高城は思った。


「……いいよ。最後の作品が異界生まれの頭を飾るなんて、光栄なことだ。できれば、毎日使って、流行らせてほしいな」

 

 少年の口調にはよどみがない。

 にもかかわらず、どこか、だんまりを決め込まれたような気分の悪さが付きまとう。


 フランケンが、間を持たせるように、路傍に転がる石屑をジッパーの中に放りこんで見せた。

 すると、あっという間にフランケンは、柔らかかった布の身体を石のそれに変貌させた。

 大した一芸だったが、そのままぴくりとも動かなくなってしまったフランケン が、このまま元に戻らないのではないかと、高城は気を使わずにいられなかった。


「最後の作品とやら、帽子から彫刻になっちまったぞ」


「ガムが好物なのだけ、気を付けて」

 

 時を止めたフランケンを、高城は逆に、儚く思った。

 その脆さが、少年にまで伝染しているような気がした高城は、つい問いただしていた。


「なんでだ?」


「え?」


「最後の作品ってことは、お前の帽子作りはこいつで止めなのか? 事情に首突っ込むようなことはしないが……」

 

 高城は、この世界に来る前の、オーディション会場を思い出していた。

 あの時の自分の振る舞いと、仲間だった三人組の言葉が、断片的にリフレインしていた。


「……やっぱこの帽子はお前がとっとけ。飯の礼だ。お前がかぶって、流行らせるんだ」

 

 少年が、目を細めた。

 緑色の眼が焦点を絞り、輝きを増した。

 きっと今、少年の眼の中では、高城の言った通りの夢想が、行われているはずだった。

 高城も、目を瞑る。

 束の間、少年と、瞼の裏を共有しているような気持ちになる。


 高城は、中退した中学の階段に立っていた。

 権力を持つ者はすべからく、階段を優雅に降りるもの。

 黒ずんだ襟章を律儀につけた学ランども、はみ出しきれていない腰穿きの半端者達を蔑みながら、穴の開いたリーバイス、黄ばんだTシャツ、頭にフランケンを乗せて、スローモーション。踊り場でターンを決める。有象無象の頭の向こうから、勉強しかしてこなかったマドンナがこちらを見詰めている。目線を合わせるだけで十分。学校を抜け出す算段の共有は、一瞬で済む―――


「無理だよ」


 蝋燭の火を吹き消すのに、大きな息は必要ない。

 一言で少年は、束の間、高城と共に鍋の具にして楽しんだはずの緑色の希望を掻き消した。


高城トゥックジョーは、まだ知らないんだね。異界生まれっていうのは、スターなんだ」


「スター?」

 

高木たかぎ騎士ナイトの、机に乗せた足の裏が頭の中に浮かび、マドンナの顔が鍋底に沈む。


「異界生まれの持ってる、この世界にはない常識そのものが、僕らには貴重なんだ。異世界の文化と技術を、研究、再現して、エルヴェリンは発展してきた。みんなが、君に注目する。女の子たちだって、単一種の君をほっとかない。ハーレムだって作らせてもらえる。本当か知らないけど、昔は、七番目の神様を目指した人なんかもいたんだって。追放されちゃったらしいけど……。とにかく、僕は異界生まれとは、何もかも逆なんだ。何をやったって、誰からも目をかけられない。相手にされない。オーク滅ぶべしって連中から、否定され続ける運命なんだ……去年の、学園街の期末進路アンケートの時は酷かった。第一希望に服飾デザインって書いたのに、誰かが悪戯で、『棍棒職人』って書き直した。先生もそれを本気にするんだよ? ……僕は、ガリ勉なのに」

 

 少年は、鞄を指先で叩いた。

 本以外に、何も入り込む余地のない文字の地層が、くぐもった音を返した。


「まあつまり、僕はそういうやつってこと」


「だから、諦める?」


 少年は、頷く。


「きっと、全部生まれた時から決まってたことなんだよ。僕はエルフみたいに美しくないし、パパもオークらしく、林業の伐採役。裕福じゃない。服飾の夢なんて、金のかからない趣味の延長。選べない選択肢が、人より多い。けど、自分だけが不幸だなんて思うのは、間違いだ。僕はちゃんと知ってるんだ。人間には立場ごとに、それぞれ違った辛さがある。美しい人間にも、金持ちにも、平等に。なら僕も、納得するべきなんだ」

 

 高城は、もう我慢ならなかった。

 しけた言葉が、高城の指先の爆薬に火をつけた。

 あの下らない鞄の中身を、ダイナマイトで区画整理してやらないことには、収まりようもなかった。


 手を、少年のバックの中に滑り込ませ、本を一冊掴み出す。指が沈む革表紙、ハンバーガーのような厚さ。

 高城はそれを、鍋の中に叩きつけようと振りかぶった。すんでのところで、少年に手首を抑えられた。


「何するんだ!」


 マグマの泡が、間抜けな音を立てて弾けた。


「違う」


「え?」


「どう考えても、違うだろ。不細工の悩みより、顔の良いやつの悩みの方が、小さいに決まってる。金持ちの不幸なんて、金が無いって不幸に比べりゃ、大したことあるもんか。全人類が平等に生きてりゃ、自分の不幸だけ呪うのは間違ってるかもしれないが、お前が虐められてるのは、自然じゃない、不当なことだ。お前が今口走ったのは、人より多くの物を持ってるやつが、持ってないやつから妬まれないために世の中に作り出した、幻想だ。お前の言ったことは、全部、間違ってる」

 

 少年の手は、冷たかった。

 緑色というのは、爬虫類の皮を連想させるが、少年の指は柔らかく、高城の手首を、その下の脈を、頼りなく締め付けていた。

 ピカピカに磨かれた、女みたいな爪をしていた。

 だが爪の間には土が入り込んでいた。


「本で読んだ知識で格好つけるな。世界で一番不幸だって、顔に書いてあるぞ」


『分別のある人間なら、そんな意見は持たないよ』などということを、少年は口に出したかったのかもしれない。

 口もとは、もの言いたげにひくひく動いていたが、言葉を発することは出来なかった。

 予想外のパンチにガードを崩された格闘家の驚きが、少年の頭を痺れさせているようだった。

 

 高城は、反省していた。

 されども後悔はしていなかった。

 抜身すぎるのが美点でないのは理解しているつもりだったが、それでも、止まらない時には止まらないものなのだ。


 高城は立ち上がると、時間をかけてデニムの埃を払いながら、周囲を見渡した。

 

 話題を切り替えるネタを、広場に求めた。

 見つけた。

 高城は、時計塔の少し離れたところの壁に何枚も張ってあるビラの元に寄った。

 これと同じビラは街の至る所に張られていて、少し気になっていたのである。


「がくえん、がい、みくしあ、ほうしんさい。みつの、つき、とおか」


『ミクシア奉神祭、蜜の月、十日』

 

 高城は、ビラの内容を読めてしまう自分に驚いた。

 書かれている文字は、日本語でもアルファベッドでもない。

 おそらく、高城のいた世界のどこにも存在しない言語で書かれているにも関わらず、もうずっと、その文字に慣れ親しんで来たかのように、高城は書き順まで正確に理解できたのだ。

 

 少年も、こちらに近寄ってきた。


「二週間後だね。毎年やってる、派手なお祭りらしいよ。街中が飾り付けられて、広場に椅子が並べられて……ニューアリア中が、酒を飲んで騒ぐためだけの場所になる。靴磨き屋まで、酒を売り始めるんだって。飲んで踊って、二日も授業を潰すことを、学問の神様がどう思ってるかは知らないけど」


「らしいって、なんだよ」

 

 野暮だった。

 高城が元いた世界の定番、ネタの割れたぼったくり縁日にだって、一人で行くやつなんていやしないのだ。


「飯の礼が、決まったな」


「どうしたの?」


「お前は二週間後、この祭りに参加するんだ」


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