第三章 トゥルク・ジョー・ネイキッドの流儀②

「やっぱり、やっぱりそうなのか! この世界には、ギターが無い?!」


「『ぎたー』?」


「ロックは? R&Bは? ヒップホップは? ライブハウスは!」

 

 少年は、申し訳なさそうに首を振った。

高城たかじょうの言っていることが何一つ分かっていないようであったし、彼はそろそろ高城の言葉を、物狂いの譫言と思い始めているようであった。


「そんなに悪くねえ場所かと思いはじめたら、これだ……畜生! こんなクソッタレな世界、やっぱりとっととおさらばしてやる! ……うぉ!」

 

 勢いよく起き上がろうとした高城の頭を、誰かが押さえつけた。

 視界が闇に包まれる。

 柔らかくて、温かい闇だった。犬のようにじゃれついてくる。


「ねえ、その帽子だけど……」

 

 闇の向こうから、少年が話しかけてくる。

 声の調子から、高城は、少年がただ善人だというだけで自分に鍋を奢ってくれたわけでは無いことを感じ取った。

 高城が、道端で蹲っていた少年を介抱しようとした時と同じように、そこには隠された『本題』があって、少年は、今からそれを切り出そうとしているのだ。

 

 高城は、顔を包みこむツギハギだらけの山高帽を引き剥がす。

 縦横無尽にジッパーが取り付けられ、ファッションにワンポイントで取り入れるには、洗濯用金タライを思わせる大口径の鍔が、余りにも過剰だ。

 撫でてやると、ジッパーがはしゃぐように開く。

 そこから舌がのびてきて指を慰めないのが不思議なほど、帽子は高城に懐いているように見えた。


「こいつか。こいつは、逃げ回ってる最中に、頭の上に降ってきたんだよ。ずっと、離れないんだ」

 

 あの時はまだ、追手の声が後ろから聞こえていた。

 路地裏に身を潜めている最中、この帽子が頭の上に着地した時、高城の心臓は、確かに数秒止まった。

 逃走の為のフットワークを考慮すれば、高城の積載能力的に、背中のギターだけで手一杯だったのだが、この帽子は、荷物としてでは無く相棒として、よく働いてくれた。街を駆け抜ける中、身を隠せそうな路地や、匿ってくれそうな店の前を通りがかると、高城の首を操縦レバーのように傾けて、教えてくれていたのだった。

 高城は、独りぼっちの世界での案内人を求めてさまよっていたが、その実、ナビゲーターはずっと前から頭の上に乗っていたのだということに今、気がついた。

 意思を持つ帽子を、不気味さ故に何度も振り落とそうとしたことを、申し訳なく思った。

 高城は、ふと、先ほどの『クソッタレ』が、帽子の気に障ったのではないかと言う気になり、労う言葉をかけた。


「センス良いよな」


「ほんと?!」

 

 反応したのは、なぜか少年だった。

 帽子はというと無言で、雑巾のように身をよじらせている。それに勝るとも劣らぬ喜色をにじませながら、少年が胸を張る。


「その帽子、僕が作ったんだ!」


「お前が? 嘘つけ……痛っ!」

 

 高城が少年を疑ったのは、「たまたま出会った少年が、たまたま拾った帽子を作った確率」の小ささを考慮にいれたからであり、「この少年にそんなことが出来るはずがない」と軽んじたわけでは無かった。

 だがどうやら、後者と受け取られてしまったらしい。

 少なくとも、山高帽からは。

 少年がどう思ったかは知らない。

 高城に根拠なく忠実だった山高帽は、飛び上がると、全身でスナップを効かせ高城の頬に、とんがりの一撃を食らわせた。

 金具部分が鼻頭に直撃したせいもあり、布製の分際でありながらも強烈な一撃だった。


「ありがとう、フランケン……ああいや、ごめん!」

 

 フランケン。

 どうやら、山高帽の名前らしい。

 少年は、嬉しそうにフランケンに礼を言ったのち、高城に頭を下げた。フランケンも一拍遅れて、その動きに倣う。

 その仕草は、どこか笑いを誘うもので、高城は少年とフランケンの間にある、帽子と人間を超えたつながりを感じ取った。


「なんだ、元もとお前のだったのか。飯の礼は、この帽子で我慢してもらおうと思ってたのに」


「お礼なんて! フランケンを見つけ出せた上に、お昼をとる時間まで残せたのは、君のおかげだよ。ええと……」


「高城だ。高城寧太」


「た、たかじょ、ね……トゥルク・ジョー・ネイキッド?」


「……なんでここにきて、人の名前を外国人みたいに訛るんだよ。発音できないはずないだろ。なぜかお前ら全員、日本語ペラペラなんだから」


「にほんご?」


 この世界の住人の喋っている言語は、日本語であって、日本語では無いのかもしれないと、高城は思考してみる。

 全く同じ言語でありながら、そのルーツを日本の歴史に置いていない、ということではないのかと。

 高城のいた地球、エルヴェリン人から見れば別世界で暮らす人間達のうち日本人というマイノリティしか使っていない言語と、この世界の公用語が、偶然にも同じものとして形成される確率について、高城は思いを馳せる。


 少年は、困惑顔をしていた。

 少年から見て、どうも自分はよほど突飛に映るようだった。ギターだのロックだのと、少年にとっては、意味不明な言葉を羅列する奇人以外のなんでもないのだろうから、無理もない。

 

 高城の頭は、中身のないギターケースと同じだ。

 故に、高城が、自分と少年との間に言語の壁が無いという都合のいい不条理に理由を見つけるより先に、少年が高城の素頓狂の原因に当たりをつけるのは必然であった。


「待って……君、もしかして、異界生まれ?」

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