第三章 トゥルク・ジョー・ネイキッドの流儀
第三章 トゥルク・ジョー・ネイキッドの流儀①
もし本当にマグマなら、鍋底はただじゃすまないはずだった。
勇気を出して一口いくと、存外悪くない味だった。
鍋の中では、不純物混じりのトマトジュースのごとき具沢山スープが、蛍光塗料のような発色の良さで、光を反射しながら、表面を絶えず揺らめかせている。
鍋は、火にかけられているわけでもないのに、子どものこぶし大の泡を、なべ底から生み出し続けている。
中で誰かが溺れているんじゃないだろうかと、高城は本気で疑った。
十分あり得る。先ほどまで自分を追いかけ回していたゴブリンは、高城の膝までしか身長が無かった。
この鍋の具になれるくらいの小人がいた所で、不自然でもなんでもないのだ。
高城は、石畳に直接座り込んでいる。
特大の背もたれに大きく体重を預けながら。
背にしているのは時計塔の壁だ。
追手を撒いた後、この場所を目指してずっと歩いてきた。
用があったわけでは無い。
そもそも時計塔は、どんなに離れている者でもその用を足せるように、街で一番高く建てられているようだった。
初めての土地を闇雲に散策することに不安を覚えた高城が、拠り所を求めた際、目についたというだけだった。
高城の頭上、もはや上空と呼ぶべき高さ。
巨大な円盤の上で、長針と短針が、高城の元いた世界と同じペースで時間を刻んでいる。
長針が、また一分、時を進める。
高城は、背中を預ける煉瓦に、あの重たそうな針の動きが振動で伝わってこないかと、目を瞑って集中する。
高城は安らいでいた。
そして、自分がゴブリン達から逃亡したのは果たして正しい選択だったのかと、今更考えはじめていた。
あの時は、恐怖にとらわれていた。
自分が、ホラー映画の主人公にでもなったような気がしていた。
だが、歩いているうちに、この街の住人たちが決して、無差別に高城めがけて襲ってくるような邪悪な存在ではないことを知った。
どいつもこいつも、決して話の分からないやつらでは無かった。
例えば、頬まで裂けた口を持った紳士風の男は、道を聞けば答えてくれたし、蛇の下半身を持っていた露天商の女は、金無しの高城に串焼きを恵んでくれたりはしなかった。
時計塔の前には、広場がある。
高城が、この世界で初めて目を覚ました際のあの広場は、市民の憩いの場、といった風情だったが、今高城がいるのはどうやら交通の要所らしい。
人通りが一時的に吹きだまれる大きさを持っていた。
『教育管理役場前、時計塔記念広場』という場所なのだと、つい先ほど教わった。
駅前広場みたいなものだろうか、と思う。
バス・ターミナルの存在が、高城にそれらしく思わせていた。
ただし、この街のバスとは、ガソリンで動く大型車両ではなく、上半身は普通の人間でありながら下半身が馬になっている筋肉質の男達がけん引する馬車―――いや、人力車なのだろうか―――ともかく、それである。
そういえば、露天商の蛇女を見た時も思ったものだが、下半身が二足歩行していない奴らは、腰に僅かな飾り布を巻いているだけで、基本的に上半身だけしか服を身に着けていない。
その点に関し、この世界の住人がどういう風に納得しているのかを高城は訊ねてみたかったし、自分が同じことをやっても怒られないかどうかを確かめて見たくもなったが、恩人に対し、下手をすればセクハラまがいの質問をするのは気が引けて、雑談には無難な問いを選んだ。
高城はスプーンで、馬車を引く馬人間たちを指す。
先程から気になっていたのだが、彼らの仕事ぶりは、どうにも奇妙なものだった。
馬車を一人で牽引するのに、なぜか、四輪自転車とも言うべき乗り物を使用しているのだ。
馬人間たちは、まず四輪自転車に跨り、その四つの重そうなペダルを回す。
そうして発進した四輪自転車の後ろを、連結された馬車がついていく、という図式になっている。
それがまるでコントのようなエネルギーの無駄遣いに、高城には思えた。
「自分の足で走ればいいだろ。拷問か?」
「ケンタウロス達が自分で言いだしたことだよ。馬扱いされるのは我慢ならない、人として仕事をする権利をくれって、少し前、会社にストを起こしたじゃないか」
「それで辛くなったら元も子もないだろ」
「種族の誇りの為に戦うほうが、大事さ」
何を当たり前な。
恩人は言外に、そう言っていた。そんなもんかね。高城は肩をすくませる。
高城の問いに受け答えしてくれているのは、鍋を挟んで座る、一人の少年だった。
高校生ぐらいの年齢……と言い切りたいところだが、自信は無い。
この街の住人達は皆、手足が多かったり少なかったり、腹から下が別の生きものだったりするが、それでも上半身は、高城のような『普通の人間』であることがほとんどだった。なので、外見から年齢を推測することは、これまで難しくもなかったのが、今、目の前に座っている少年だけは、事情が違う。
日本人から見て、白人や黒人の年齢がいまいち掴みづらいあの感覚と似ているが、しかしそこはモンスターの巣窟、少年の肌ときたら、緑色である。
高城が彼のことを「少年」と辛うじて判断できているのは、純真そうな目元以外に、根拠がないのだった。
だが高城にとって、少年の年齢など、どうでもいいことだった。
緑色の肌も、全身ボディペイントしていると思えば、虫の羽が生えてたり、人が殺せそうな八重歯をした奴が目の前に座っているよりもずっと、飯も喉を通るというものである。
肌の色以外は、高城のいた世界の『人類』と何も変わらない。
高城がこの少年と出会ったのは、たまたまだった。
街を歩くだけでも分からないことが多すぎて、ナビゲーターを引き受けてくれる誰かを探していた。往来の中で、何やら蹲っていたこの少年が、最適に思えたのだ。
金もない、売れるものもないとくれば、恩を売るしかなかったのだから。
そして少年に声をかけたのだが、走り通しと空腹が祟り、高城の方が倒れ込んでしまったのである。
そんな高城に、少年は屋台の鍋を馳走してくれた。
日本育ちの高城にとって、小型の鍋ごと貸し出すタイプの屋台と同じくらい、少年の仁徳は物珍しいものだった。
困っている人を放っておけない性質なのか、何にせよ、己の下心が予想以上の大物を釣り上げたのを、高城は感じていた。
「それで、楽器屋はどこにある?」
「楽器屋は、この辺りにはないよ。馬車か、羽車で、芸術協会の方に行かなきゃ。……君、楽器を使えるの?」
高城は、口の中で肉の塊を咀嚼しながら、思わず吹き出しそうになった。
「当たり前のことを!」
隣に横たわらせたギターケースを、指先で叩く。
少年は、おたまで鍋の底を探る手を止め、首を傾げる。
高城にとって少年の反応は、まるで、ボタンの効きの悪い自販機だ。
どれだけギターケースを連打しても、少年が得心いったという顔を浮かべないことについて訝しんでいた高城の、人差し指の動きがピタリと止まる。
ある、最悪の可能性に思い至った。
「……俺って、どこからどうみてもギタリストだろ」
「『ぎたりすと』って何?」
「うわああああああああああっ!」
思わずその場でひっくり返る。
少年が無垢な瞳で放った疑問は、ともすればこの世界で最初に目を覚ました時よりも、遥かに大きな衝撃を高城に与えていた。
「やっぱり、やっぱりそうなのか! この世界には、ギターが無い?!」
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