第二章 ブレイク・ハート・グリーン③
「フランケン! どこいったの? フランケーン!」
翼鳥の飛んでいった先は、確かこのあたりのはずだった。
『フランケン』。ジャックの名付けた、山高帽の商品名であり、愛称でもあった。
帆布を屋根代わりにした露店が連なる、マーケット通りを走り回っていた。鍛冶学用の鉱石を敷物に広げるドワーフや、
なんとしてもフランケンを、見つけ出してやらねばならなかった。
『あの帽子が、お前の本心さ』
シュリセの言葉が、思い出された。
あの時は思わず否定しようとしたが、もしかすると、やつの言う通りなのかもしれないと、ジャックは思い始めていた。
なぜなら、ジャックの心もツギハギだらけだったから。
ただし、フランケンのツギハギは丁寧な縫製からなる手塩にかけたデザインに過ぎなかったものの、ジャックの心は、ところどころ糸のほつれた分解寸前の、正真正銘のぼろきれだった。
シュリセに肩を抱かれた、ロズの後ろ姿を思い出す。
心の継ぎ目から、嫉妬が漏れ出てくる。自嘲のあまり、泣きながら笑いたくなった。
本当に、馬鹿げていた。
ずっと前から、分かっていたことだった。
ともすれば、この街の人間全員が知っていてもおかしくないほど、ありふれた情報なのだ。
何年も前から、ロズが、シュリセのガールフレンドだったことなど。
そんな彼女が、どうして自分の気持ちを分かってくれるなどと、考えてしまったのか。
だが、それも仕方のないことだった。
誰だって、自分と同じ立場ならロズに恋をするだろうとも、ジャックは思っている。
物心ついた時から、ジャックに声をかける女子なんていなかった。
そんな中でエルフの少女たちは、虐げてくる敵であるのと同時に、ジャックにとって唯一身近な女子達でもあったのだ。
その歪んだ環境が、倒錯した幻想を生み出した。
美しい少女たちの中でも、特に際立っていた少女が、すすんで自分を虐げないと言うだけで、ジャックが恋に落ちるには十分すぎた。ロズが誰かの女になっても、関係なかった。
だが、幻は所詮、幻。
今日、それを痛いほど理解させられた。
ジャックは幼いころに一度だけ、エルフの女の子と接点を持ったことがある。
もしかしてあれはロズだったのではないかと、何の根拠も無いのに、これまでそう考えていた。
だがそれも、歪な初恋に少しでも正当な理由の欲しかった自分が描いた、身勝手なストーリー。
今日という一日で、ちっぽけな自分に纏わる全てが、明らかにされてしまった気がした。
ジャックには、いよいよ何もなくなってしまった。
ばらばらになりかけている心を繋ぎとめられるものは、何も残っていなかった。
フランケンも、どこにも見当たらない。
ジャックは、胸で呼吸をしながら、地面に膝をついた。
「誰か……」
荒い呼吸に混じり、思わず、小さく言葉が漏れる。
「誰か……助けて……!」
呟くことしかできなかった。
どれだけ自分が悲鳴を上げたところで、誰も助けてくれないという現実を、より強固にするだけだと分かっていた。
もう随分と走り回った。
熱を帯びたジャックの身体とは対照的に、人ごみはどこまでも冷たく、誰もが道中で座り込むジャックを、邪魔っけにしながら通り過ぎていく。
「緑色のお前」
そう声をかけられたとき、ジャックは、露店を出している誰かが営業妨害を訴えに来たのだろうと思った。
「具合が悪いのか? 介抱してやってもいい。その代わりと言っちゃなんだが、楽器屋を知らないか」
おかしなことを聞くやつもいたものだと、ジャックは訝しんだ。
ニューアリアを初めて訪れたという人間だって、楽器の専門取扱店が目当てなら、音楽研究塔の麓にまずアタリをつけるだろうに。
「閑古鳥が鳴いてる上に、給料の払いが良さそうなところが理想的だ。全く、とことん参ったよ。右も左も分からない上に、宿に泊まる金もない。でも楽器屋なら、こんな俺でも住み込みで働かせてくれるんじゃないかって、思うんだ。音楽を愛する者ってのは、助け合うもんだしな。そうさ、それだけは、ここだって地球と、何にも変わりやしないはずさ。なあ」
理解しがたい論理を延々口にし続ける男に、ジャックはいよいよ振り向き、そして、目を見張ることになった。
知らない種族の、男だった。
まず、エルフかと思って、ジャックは身を竦めそうになった。
しかしよく見れば、男の耳はとがっておらず、肌もエルフ達ほどの白さではない。
ジャックは、基礎種族学の知識を総動員してみたが、こんな特徴を持つ二手二足系がニューアリアに登録されているなどという話は、聞いたことが無かった。
男は、金髪と長い耳を捨て、少し日に焼けたエルフ、もしくは、肌の白いオークとも言える、異形。
風貌も独特だった。
服飾に明るいジャックをして、見たこともない仕立ての服を全身に纏っている。黒のロングコートの、光をはじく様な独特の光沢。Tシャツには呪形文字の群れが踊り、馴染のない建築様式の建物が写真のように精密に描かれていて、どうやって縫製したのか、ジャックには見当もつかない。
だが、もっとも注目すべきは、男の頭上だった。そこに唯一、ジャックの見知ったものが鎮座していた。
見紛うことなき、フランケンだった。
ようやく見つかった、という感動もさることながら、それ以上に、噛み癖があり、ジャック以外には懐かないはずの山高帽フランケンが、男の頭の上でおとなしくしているのが、ジャックには信じられなかった。
「音楽は、世界共通って言うだろ?」
男の背負う、棺を思わせる不吉な入れ物と山高帽のシルエットはジャックに、冒険小説に登場する魔法使いを連想させた。
帽子が笑う、不気味に。
とんがりの頂上にあるジッパーが、音を立てながらゆっくり、閉じていく。
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