第二章 ブレイク・ハート・グリーン②

「ロズだ……」

 

 誰かが甘い声で、呟いた。

 その呟きが、ロズと言う名の少女の、ニューアリアでの立ち位置を的確に表していた。


 美しさにおいて、右に出るものがいないエルフ達。

 固まって歩けば、遠目に見られるだけで『エルフがいる』と異性たちに噂されるものだが、そのエルフの集団の中にロズがいるときは、話が別なのであった。

 他種族たちの間で交わされる言葉は、『エルフがいる』から、『ロズがいる』に変わる。

 

 とにかく、一際美しい少女なのだ。

 

 エルフ達は、髪にあまり気取った手の加え方をしないものだが、ロズは違う。

 元はストレートだった長髪を、専剤でゆるく巻いてウェーブをかけている。

 日光を含んだ風のようにしなやかかつ自然的であり、同時に金細工を思わせる豪勢さだ。輝く螺旋を描きながら、くびれた腰を、後ろからベールで隠すように降りている。

 つんと尖った耳は、同族の誰より長く、飛び抜けた凛々しさを感じさせる。その長さを存分に生かして、右耳には重量感のあるピアスが七つも取り付けられていた。これも、彼女の髪同様、従来のエルフの美的価値観にはそぐわないものだ。先祖から受け継いだ耳に穴をあけるなど、親世代からは感心されるはずもないことだったが、ロズは実証でもって覆した。ピアスを空けてから何年たっても、ロズの耳は垂れ下がることはなく、今では、先祖から受け継いだ力強さを彼女ほど体現しているものはいないと同族内でも一目置かれる存在になっていた。

 傾くことと、先祖を尊重することを同時にやってのけるロズの姿勢は、エルフ達からだけにとどまらず、他の種族の生徒達からも好意的に受け止められていた。

 

 そのロズが、ジャックを、庇った。

 

 ロズは、同胞たちの方を、牽制するようにちらりと見やった後、ジャックの元に歩み寄ってきた。

 山高帽が彼女の耳飾りに飛びつかないよう祈ることも忘れて、ジャックはその光景に見入った。


 信じられなかった。


『耳が長いのに、それでもジャックのことを慮ってくれる、唯一の相手』


 エルフという特権階級の中にあって、これまで積極的に苛めに加わることをしなかったロズに、ジャックはいつからか、そんな淡い幻想を抱いていたのだ。

 

 今、幻想が、現実になろうとしていた。

 

 ロズが、ジャックの前に、山高帽を差し出した。


 山高帽は、ロズを測りかねるように、その手に噛みつくこともなく、じっとしている。

 太陽が自分の後ろの空にあるなどと、今のジャックがどうして信じられようか。

 ロズの背からは、確かに後光が差し込んでいたのだった。


「ありが……」

 

 何年かぶりに、他人に心を開けた気がした。

 凍えた家無しが、十年来の親切に触れた時にきっと、こんな気分になるに違いなかった。

 

 ジャックの指先が、山高帽に触れた。

 その時だった。

 

 ロズが山高帽を、天高くに放り投げた。

 狙い澄ましたかのように空を通りすがった大型の翼鳥が、山高帽をくちばしで捕えた。

 

 唖然とするジャックをよそに、シュリセが興奮した様子で叫んだ。


「巣を作るつもりだ!」

 

 翼鳥は商街の方へと、飛び去っていった。

 ロズがジャックに背を向ける、それと同時に、エルフの間から喝采が上がった。

 エルフ達の輪にロズが加わると、皆こぞって彼女の肩を叩き賞賛の言葉を浴びせていた。

 確かに、ジャックがダストボックスに顔を突っ込むのよりも、よほど気の利いた幕切れであることは疑いようもなかった。


「悪かったよ、ロズ。君が来るまで、お楽しみは残しておくべきだったのに」

 

 シュリセがロズの肩を抱いた。ロズはシュリセの肩に頭を預け、甘えた仕草を見せる。

 ジャックは歯を食いしばり、目を閉じ、俯き、エルフ達の笑い声が遠ざかるのを待った。

 

 服から埃を払い、ようやく街に向かって駆けだすことができたのは、グラウンド中の生徒の関心が、一連の騒ぎから自分たちの昼食にシフトした後だった。

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