第二章 ブレイク・ハート・グリーン
第二章 ブレイク・ハート・グリーン①
エルヴェリンの宝石たちは、服を着て、街を練り歩く。
遥か昔の時代より陽光と例えられてきた、金の髪。
柔らかな石英を思わせる、白い肌。
彼らを遠目に見ることしかできない人生に、打ちひしがれるものも少なくない。
リザードマンに尻尾があり、ゴブリンに角がある様に。
エルフは尖った耳と、空気に溢れ溶けだしていくかのような美しさを、その容姿に宿している。
ニューアリアは研究と教育の街だ。
あらゆる分野の学者がそれぞれ所有する研究塔が至る所に立ち並ぶ。
学徒たる、あらゆる種族の少年少女たちが、エルヴェリン・ランドの定める基礎教育と、彼ら自身が選んだ専門科目を学ぶため、学者たちの研究塔に日々、講義を受けにやってくる。
学者たちは、生徒達に教えと、習熟に応じた単位を与えることで、ニューアリアから研究の資金、資源の援助を受けることができるため、大事な研究時間を生徒の為にいくらか消費してやるのだった。
ニューアリアの街には、芝生の共同グラウンドが設置されている区画がある。
生徒達がこの街で学べるのは、法律や薬学研究のみにあらず、種族ごとに身体的特徴を把握するための体育や体術なども義務教育内に含まれるため、どうしても必要なのだった。
グラウンドでは大抵、何らかの授業が二、三、並行して行われているため、それに参加する教授と生徒以外は立ち入ることが出来ないのだが、今の時間は条例で定められた『昼休み』。
開放され、研究塔の教室に閉じ込められるようにして午前中を過ごした生徒達が、そこかしこで昼食を取りながら談笑していた。
同じ種族でつるんでいる者たちが、大半であった。
その中でもエルフ達のグループは、その華やかさから一際目を引く存在であったが、たった今、彼らが注目を集めているのは、彼らの美しさとはそれほど関係の無い理由からだった。
「みんな聞け! 僕達の再三の注意も聞かず、野蛮人がまた、馬鹿な発明に手を染めたぞ!」
エルフ達のグループは、十人ほど。その中でもとりわけ美しい、髪と同じ色の金目をした少年が、出鱈目な数のジッパーがはしる大きな帽子を、指でつまんで掲げながら周囲に呼びかけていた。
「山高帽? 僕達の祖母が青春を謳歌してた時代の流行だ。祖母の部屋のクローゼットで、ひしゃげてるのを、みんなも一度くらい見たことがあるだろう」
エルフの美しさは、同胞の間では、目の色で決めることになっていた。
エルフという種族は目の色だけ、赤、緑、銀と多様なのだった。
その中でも、古来より祖先が残してくれた、皆が等しく持つ金の髪により近い色の瞳を持つ者が、より誇り高い性質を持つと信じられていた。
よって金目のエルフの少年は、物心ついた時から仲間の間ではリーダーだった。
「でもおかしいな、ここまでツギハギじゃなかった気がする」
取り巻き達の爆笑が沸き起こる。
それを気持ちよく受け止めながら、金目のエルフの少年は、山高帽を天高く掲げ直した。出来るなら、グラウンドの端、研究塔の壁が城壁のように連なるあたりにまで見えるよう、嘲笑の種を晒し上げてやりたいと考えているようだった。
「それは、そういうデザインで……」
エルフ達に囲まれたジャック・バステッドは、震えながらもなんとか言い放った。
突き飛ばされ、転がされた芝生の上で、尻餅の痛みからようやく立ち直ったところだった。
よろめきながら立ちあがる。
その後やることと言えば、山高帽を取り返すべく、憎き金目のエルフ……シュリセに向かって飛びかかるだけと決まっていた。
だが、気弱なジャックの勇気は、二本の足を支えることで精一杯だった。
ジャックは、自分を囲むエルフ達が恐くて仕方なかった。
女子も数人混じっていたが、性別なんて関係なかった。耳の長い人間は皆等しく、ジャックの天敵だった。
ただ一人を除いては。
その誰かを、いないと分かっていながら探している自分を情けなく思っている内に、エルフ達の一人が再びジャックの肩を押し、地面に倒れ込ませた。
「デザインだって? じゃあ本当かどうか、確かめなくっちゃな……ベグ!」
シュリセが、取り巻きの中でも特にがたいの良い少年に帽子を投げて渡した。
ベグは、合点、とばかりに頷くと、嗜虐的な笑みを浮かべながら、山高帽を両手で左右に強く引っ張り始めた。
「やめろ! やめてくれ!」
「感謝しろよ。服飾科のダリス先生に見せに行くつもりだったんだろうが……お前は、権威に呆れられるという恥をかかずに済んだんだ」
身体を起こしたジャックの目の前に、数人のエルフ達が立ち塞がった。
「こいつがデザイナーになれると、少しでも思ってるやつは? まさか、いるわけないよな!」
ジャックは、自分の身体を服の上から抱きしめた。ともすれば女のような仕草で、囲まれながら自分を庇うしかできないのが、惨めでたまらなかった。
ジャックは、痩せぎすの十六歳だった。
大きな目と小さな鼻だけでは、頼りなげとはいえ、目をつけられ、からかわれる原因までにはならないはずだった。僅かに手入れの行き届いていないクセ毛の黒髪も、この年代特有の詰めの甘さの内であり、虐められるほど不潔な身なりとは言い難い。
問題なのは。
「お前も分かってるんだろう。その肌のみすぼらしさを」
ジャックの肌は、頭の先から爪先まで、粒緑果(ライム)のような緑色をしていた。
それが、ジャックの種族の特徴だった。
エルフ達にとってジャックの肌は、いつまでたっても見慣れない見世物なのだった。
ジャックは、雷に怯える小さな子供になって縮こまってしまう。
特に、女子エルフ達からの視線が、ジャックには耐えられなかった。
彼女たちがジャックに向ける、倉庫で罠にかかったネズミを見る時のような表情と、シュリセを見ている時の、異性の気を惹きたがる無垢な少女の瞳の差が、ジャックの心の中にもある、思春期の少年が等しく持つであろう自尊心をぼろぼろにするのだった。
金目の少年がジャックの元に近づき、蹲るジャックを見下ろしながら言った。
「あの帽子が、お前の本心さ。肌に目を向けられたくないから、それより汚いものを身に着けていたいんだ」
ジャックは、ベグの手で今まさに引き裂かれんとしている、ツギハギの山高帽を見やった。
勝手なことを言うな!
そう叫びたかった。
だが、何も言えなかった。
いつもこうだった。
この高慢でいけ好かないエルフに何か言われるたび、ジャックの頭の中は、言い返してやりたいことで溢れかえるが、その言葉たちが、口から出て行くことはない。
口から出て行く代わりに、少しでも気を抜けば目から熱いものとなって出て行こうとするのだから、性質が悪い。
ニューアリアの法では、いかなる児童も、十を超えた日からいずれかの学園街で教育を受けることが義務付けられている。
学園街からの卒業は、志す学問をどれほど習熟させたいかによって大きく差が開くが、最短でも十八歳くらいまでは、この街のお世話になる生徒がほとんどだ。
数年前、ジャックが学徒となり、研究塔に通い始めてからエルフ達に目をつけられるまで、そう時間はかからなかった。
ニューアリア広しと言えども、肌の色が他とは違う種族なんて、いない。
目立つせいで、どんなに遠く離れたところをコソコソ歩いていようが、エルフ達の気の向くままに、目をつけられ続けてきた。
与えられ続けた劣等感が何層もの黴になって、ジャックの心に張り付いているのだ。逆らう気力なんて、いまさら湧きようもなかった。
ジャックに出来ることは、目をきつく閉じてやり過ごすことだけだった。
閉じた瞼の向こうで、誰かが叫び声を上げた。
「痛っ!」
ベグの声だった。金目の少年が、慌てて声をかける。
「どうした?」
「こいつ、噛みやがった!」
ベグは、山高帽をその手から落としていた。
エルフの一団が一斉に、帽子に視線を向ける。
彼らの注視する中、何と帽子が、痙攣するように跳ねた。
エルフ達が飛び退くと、帽子がくるりと振り向く。ツギハギの身体の天辺から鍔の端まで縦横無尽に奔るジッパーが歪み、笑みを作った。
ジッパーの一つに、羽飾りの着いた革製腕輪が咥えこまれている。
ベグの右腕、肘から手首までにかけて何重にも巻かれていたうちの一本が、消えていた。
山高帽は全身のジッパーを、音を立てながら開閉した。
しつけのなってない犬が、首を振りながら餌を咀嚼するように。
そして動きを止めた後、山高帽は姿を一変させる。
ツギハギの布地が見えなくなるほどの白い羽毛が、山高帽の表面を一気に覆った。
全身を伸縮させながら、その場でジャンプを繰り返す。自分が飛べることを、欠片も疑っていない様子で。
「……食べると、少しの間それと同じ材質になるんだ」
ジャックは、笑うのをすんでのところで耐えながら言った。
ジャックは、エルフ達にこれまで幾度となく酷い目に合わされてきたが、彼らの美しい顔から余裕が消えるのを見たのは、初めてのことだった。
しかも、彼らをそんな風にしたのは、他ならぬ自分の作品なのである。愉快でないわけがなかった。
いち早く、そんなジャックの内心を見て取ったのは、シュリセだった。
「なるほど。オークにしちゃ冴えてる」
結果として、下に見ている相手から一杯食わされることになったエルフの少年は、余裕の態度こそ崩してはいなかったものの、その金目に静かな怒りを湛えていた。
ジャックの意気を萎えさせるには、その迫力だけで十分すぎたが、シュリセの屈辱が、それだけで晴れるわけもなかったようだ。
「分別の手間が省けるから、なっ!」
ジッパーに手を突っ込まないよう、飛び跳ねる山高帽の鍔を、シュリセの指が器用に掴み取った。
そしてそのまま、グラウンドの、ある方角に向かって放り投げる。
「ああっ!」
ジャックが、悲鳴を上げた。
鍔を回転させながら風を切り、山高帽の飛んで行った先は、生ごみたっぷりのダストボックスだ。
ジャックには、数分後までの未来が容易に予測できた。
ジャックは慌てふためきながら、汚いダストボックスに顔を突っ込んで、山高帽を救出しようとするだろう。
それをベグあたりが後ろから蹴り飛ばして、この一連の催しは、幕だ。
エルフ達はもとより、陰湿な現場をこれまで見て見ぬふりしてきたグラウンドの他の生徒達にまで、同じ予想が共有されているはずだった。
「あ……」
誰ともなく、ため息をこぼした。
予想は、大きく裏切られていた。
山高帽は、生ごみをジッパーの中にたっぷり溜め込む羽目にはならなかった。ダストボックスに飛び込む寸前、その鍔を摘まんで受け止めた者がいたのだ。
ゴミの腐臭を嗅ぎながら、昼食を済まそうとする人間などいない。
だからこそ、舞台は彼女の独壇場だった。
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