第一章 召喚(オーディション)④
そこは、ついさっきまでオーディションを受けていた会議室ではなかった。
室内ではなかった。
上には空がある。
石畳の広場だった。
四方を、高さの揃った石造りのアパートメントで囲まれていて、中央には噴水が設置されている。
高城の、買いたてのテレビから得た想像力によれば、こういう広場では古風なベールとチュニックを身に付けた金髪女性たちが井戸端会議をしている、ということになっていたが、そんな深夜放送のモノクロ映画に与えられたイメージを引き起こす間もないほど、視界のそこかしこに衝撃が満ちていた。
「それではまず、あなたの種族名を、こちらの書類に……」
目を閉じている間に聞いていた声が、いつの間にかプロデューサーのそれからかけ離れ、目の前で紙を掲げている、別の生物のものに変わっていたことに、高城は今更気がついた。
高城の対面に、小男が立っていた。
高城お気に入りの、有名ロックバンドのボーカルも中々の小柄だったが、その比ではなかった。
高城は未だ、石畳にそぐわないパイプ椅子に腰かけていたが、恐らく立ち上がれば、小男の顔は高城の太もも程までしかないはずだった。
五歳児の体に、中年男性の顔面。
禿げあがった額にはサイのような角を有していた。
どうみても、モンスターの類である。
「う、うおおおおおおおおおおおお!?」
「私め、職は種族認定及び管理官、種族はゴブリンでございます。急な世界転移、驚かれるのは致し方ありませぬが、この地では、あなたの種族を、まず登録しなくては始まりません。ささ、こちらの書類に、あなたの種族を」
「俺は人間だ! ……一体なんだってんだ! まさか取って食うつもりじゃねえだろうな!」
「『人間』! 『取って食われる』!」
自身をゴブリンと語る男は、高城の言葉にヒステリックな反応を見せた。
「ゴブリンに対し、『取って食われる』とは、あまりに前時代的で差別的なおっしゃりよう! 自身の種族のみを『人間』であるかのような発言も、とても許容できるものではありませんな」
小さな体で激しい怒りを表現していたが、高城にはいまいち、その原因が掴めない。
どう謝って良いのか、見当もつけられない高城を置いてけぼりにし、ゴブリンは主張を続けた。
「『人間』と言うのでしたら、この広場にいるものから城門の衛兵まで、皆当然、人間でございましょうに!」
「人間?」
高城は、広場を見回した。
「こいつらが? ……冗談だろ!」
広場にいるのは、高城とゴブリンの二人だけでは無かった。
高城と、ゴブリンを中心に、それなりの数の見物客と思しき者たちが輪になっていたし、アパートメントの窓から身を乗り出してこちらを見ているものもいた。通りすがりの者達も、一度は足を止めていた。
見物客のうちの一団、腰に短剣を下げた兵士風の男たちは、頬や、露出した腕のところどころに、虹色に輝く鱗を黒子のように宿し、口を開くたびに先の割れた舌をのぞかせている。
広場の端には、もはやちょっとした塀にしか見えないサイズのベンチがあり、身長が高城の倍はあろうかという文学少女ならぬ文学巨女たちが、革表紙の本を回し読みしながらやいのやいのと議論している。
噴水の縁に座り、興味深そうに高城とゴブリンのやり取りを見詰める悪ガキ風の少年たちは、皆、二つあるはずの眼が一つしかない。
大きく開いたドレスの背中から黒アゲハの羽を露出させている女が、神経質そうに鱗粉を叩き落としている(デート前に前髪をチェックする女子の顔で)。
二本足の連中はまだましな方で、中には、人間の上半身に蛇の下半身をしたもの等、シルエットからして人間……高城の知る『人間』から、かけ離れているものも、少なくなかった。
「この世界の名はエルヴェリン。街の名はニューアリアにございます」
ゴブリンは言った。エルヴェリン。それが目の前に広がる、モンスターのサラダボウルの名前のようだった。
「この地は、あらゆる種族に、自由と平等が保証される場所なのです。ああ、どうかそれにふさわしい立ち振る舞いを!」
一歩詰め寄られたことにより、高城の精神は、限界を超えてしまった。
パイプ椅子から勢いよく立ち上がると、足もとのギターケースを抱きかかえ、囲む人垣……モンスター垣の、もっとも薄い部分を突き破る。
「やってられるか! 俺は帰る! 帰るぞ!」
「お、お待ちください……! これ、誰も異界生まれ様に触れてはならぬぞ! 警察隊に任せよ! ……こらそこ! 勝手に異界生まれ様が持ってきた椅子を競売にかけるでない!」
高城の逃亡により、広場は軽い混迷を見せはじめた。
身長が自分の半分もないゴブリンに気圧され逃げ惑う高城だったが、しかしながら、もとはそれほど決して肝の小さい性質でもなかったはずなのだ。
だが今は、高城の中にあるモンスターという存在に対する定義がアラートを鳴り響かせているせいで、絵に描いたような半狂乱を披露する羽目になっていた。「定義」は、地球の住人ならば誰もが持っているはずのものであり、この世界の住人達ならともかく、地球人の中で、今の高城の醜態を、無様と安易に呼べる者はいないはずだった。
『モンスターは人間を、すべからく襲うものである』。
だが、高城は知らなかった。
高城が、モンスターに対して自らが持つ印象を『定義』と呼べたのは、モンスターが彼にとってこれまで架空の存在だったからだ。それが現実のものになった時、『定義』は『偏見』に変わるということを高城がとっさに考えられるわけもなく。
今は、ただただ見当違いの誤解の元、エルヴェリンの街を駆けずり、逃げ回るしかないのだった。
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