第一章 召喚(オーディション)

第一章 召喚(オーディション)①

 黒のコートを羽織り、ギターのハードケースを担いだ男が、行く手を阻む三人の男に声を張り上げた。


「いい加減にしろ! 昨日まで友達だったろうが! なのにどうして、俺の一獲千金の足を引っ張ろうとするんだよ!」

 

 その怒声に対し、廊下にいた他の通行人達は、迷惑そうな顔を隠そうともしない。

 黒コート達に集中する視線。

 そこには、街中で騒ぎ立てるチンピラに対して向けられる嫌悪とは別種の厳しさが宿っていたが、それにはわけがあった。

 今日と言う日、この廊下を行きかう人間達にとって自分の集中を乱すものは、親の仇と同じほどの憎しみの対象であると言えた。

 

 都心にある、芸能プロダクションビルのワンフロアだ。

 

 ここで今日、数年に一度レベルの、大型オーディションの最終選考が行われていた。

 控室の空気に耐えきれず廊下に出て来ていた参加者達の一部は、忌々しげに黒コート達四人を見詰める。ギターケースの中身を値踏みの対象にしてやることで、辛うじて冷静な視野を保つ。

 

 黒コートを囲む三人の内の一人、革ジャンを着た男が、口を開いた。


「確かに、俺達はもう解散した……いまさらお前の人生に、口出しする権利は無いのかもしれない」

 

 どうやらオーディションに参加しに来た黒コートと、それを思いとどまらせようとする三人、という構図らしい。


「お前とは、長いこと一緒にバンドやってきたから、分かるんだよ。俺達みたいなバンドマンは、みんないい年こいた貧乏人だ。アーティストってこういうもんだろって態度で、斜に構えてなんとかやり過ごしてる。愛が大事だの自由が大事だの言ってる一方で、何やってもレコード会社から声が掛からないから、心の余裕もなくしてる。みっともねえくせに、格好つけるやり方しか知らない屑の集まりだ」


 革ジャン男の言葉は、全てのアーティスト志望に突き刺さるものだった。

 廊下にいた他のオーディション参加者達の内、何人かがますます顔をしかめた。だが、その後に続いた男達のやり取りは、外野達の渋く細められた両目を今度は見開かせることになる。

『無謀なことは辞めろ、叶わない夢はあきらめろ』

 てっきり、革ジャン男からは、そんな言葉が続くかと思われたが、


「だが、お前だけは違う!」


 説得は、周囲の予想を無視した方向に進んでいった。

 黒コートの答えも、堂々としたものだった。


「分かってんじゃねえか。スターの素質を活かして何が悪い!」


 革ジャン男は、オーディションに参加するらしい黒コートを特別だと言い放ち、言われた側も、当然のように受け止めていた。

 

 それを聞いた他のオーディション参加者達は、クエスチョンマークを浮かべつつ、なんとか合理的な解釈をつかもうともがいた。『男たちの言い争いは、全て演技であり、これはライバルたる自分たちを牽制するための茶番か何かなのではないか―――』云々。

 だが、黒コートを囲むうちの一人、スキンヘッドの一言が、彼らの解釈を粉々にした。


「芸能界なんてダサいよ! お前も散々コケにしてたろ?!」


 突然の芸能界否定に、他のオーディション参加者達は、知らないもの同士、敵同士であるにもかかわらず、思わず目を見合わせた。

 

 男達の思惑が、分からなかった。


 どこに関係者がいるかもわからない場所で、業界を批判するような内容を、茶番の台本に組み込むだろうか。


『トップ・アイドルとユニットデビュー! スターダムの頂上への直行便! 明日の芸能界を牛耳るのは君だ!』

 廊下には、誘導灯のように、今回のオーディションの張り紙が並んでいた。

 壁に張り付けられた「トップ・アイドル」の顔面を殴りつけながら、ヒステリックに、スキンヘッドは喚き散らす。


「財テクで社会保障を不正に受け取ってるやつらがごまんといる。大御所気どりは、生放送で女の胸を揉んでも、碌に謝りもしない。どれもこれも、まともな良心のある人間なら一生恥じるべきことだけど、奴ら、本音では、悪いだなんて全く思っちゃいない。他人の批判なんか、屁とも思っちゃいないんだ。事務所の権力とファンを使って、自分が人より優れてるって思い込みを着込んでるから」


「ロックスターも大概だろ」


「心にもないことをいうなぁっ!」

 

 そう言って、スキンヘッドがポスターに打ちつけた拳の音は、トイレの奥にまで響いたらしい。トイレの中で、何人かが悲鳴を上げた。「入ってます!」


「お前は歌も楽器も、何でも上手いし、もしかしたら成功するかもしれない。でもその時は、庶民派ぶった特権階級意識むんむんの化け物に、頭の中を改造されるんだぞ! それでいいのか? お前の才能は、音楽だけで名を上げることに使うべきだよ」


 黒コートが、喚くスキンヘッドの口を、他の二人と違い、いち早く抑えようとした。『もしかすると、このメンツの中で一番の常識人は黒コートだったのかもしれない』と、騒ぎに聞き耳を立てていた他の参加者達は思った。


 これまで一言も発しなかった、三人の最後の一人、ソフトモヒカンが、黒コートに向かって、諭すように言った。


「俺達はもう、お前の側にいられない」


 声には、深い悲しみが滲んでいた。


「それぞれ、倒れた親の面倒見たり、実家の工場が作った借金返済したり、いつの間にか出来てた、四歳になる娘を養わなきゃならないからな」


 ソフトモヒカンは、ご意見番的存在らしい。場に、落ちつきが戻る。


「お前には、世話になった。こんな状態のお前を放っていく、不甲斐ない俺達を許してほしい。」

 

 黙したまま三人に背を向け、黒コートは、控室に向かって歩き始めた。


「お前の幸せは、金と名声では手に入らないよ。……化け物にはなれないさ……お前の音楽を大事にしてくれ」

 

 控室のドアに、黒コートが手をかける。

 開けて、入って、閉じる。


 廊下には静寂と、沈痛な顔をした三人。そして、今さら控室に戻り黒コートの姿をもう一度見る気にどうしてもなれず立ち往生する、オーディション参加者たちだけが残された。

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