第3話

第三章 宗教と人間


──先生にとって宗教とはなんですか


 一神教の神概念に非常な興味があって最近僕は聖書を読んでいます。といってもいきなり読もうとしても大変ですから聖書日課といって一日少しずつ読んで一年かけて全体を読むプランがある。僕はそれで読んでいます。聖書というのは面白い読み物で流石は二十世紀も読み継がれてきた古典です。ドストエフスキーなんかはシベリアに流刑になった四年間新約聖書を繰り返し読んだ。それしか許可が下りず本が読めなかった。しかし聖書を繰り返し読むことでドストエフスキーは神と人間に関する洞察を深めていきました。そうした経験が「大審問官」なんかに活かされている。僕は聖書を読むのが遅かったので非常に損をしたと思っています。


──聖書にはどんなことが書いてあるのですか。


 昨日話したとおり人間には殺し合う本能が有ります。それはどこから来るのかと言えば人間の闘争本能です。この血に飢えた本能を無効化するには人間の努力では限界が有る。そこで宗教が問題となってきます。宗教によって本能を封じ込める。苛烈な本能と戦うには脆弱な神概念では困りますから絶対的な全能の神が要請される。その絶対的な神によって本能という肉の罪を滅してもらうという解決です。然しどうやったら罪が許されるのか。神の子イエス・キリストが人類全ての罪を背負って十字架の上で死ぬ。こうして全ての人間が罪を許されるということです。なかなかダイナミックな解決方法です。


──その論法に興味がある訳ですか。


 もう一つ注目したいのは自分を神に委ねるということです。自分の人生は自分が主人公などと言われますが神を信じるということは主人公の座を神に譲るということです。神に委ねると実際楽ですよ。自分でなんとかしようと足掻き苦しむことが無くなる。全ては神に委ねてただ神が最善を尽くすと信じて祈るだけになります。この祈るというのが大事で人生行き詰まって虚無感に陥る人がいる。仏教でいう病老死苦に苦しんでいる人なんかがそういうことになる。神を信じる人はどんな状況になってもどん詰まりになっても祈ることが出来る。これは大きなアドバンテージです。逆に言うと若い人に無神論者が多いのも彼らには希望があるからです。歳をとると段々諦めることが増えてくる。希望が失われていく。はたと気付くともう老境で死がひたひたと近づいてくる。その時に無神論者でいられる人は強いです。然し大抵の人は強くない。こういうことですから老人は宗教に走る。ですが僕は若い人に是非宗教に関心を持って欲しい。せめて新約聖書とか歎異抄とかの宗教の古典は読んでおいて損はないと勧めたいです。


──先生がキリスト教に惹かれているのはどういう理由ですか。


 キリスト教は徹頭徹尾個人主義です。日曜日に教会に集まって説教を聞いたり賛美歌を歌ったりそれはそれで意味があるのですが核心としては神と個人の関係にある。神の前に進み出て弱いところも強いところも全て委ねる。神との対話は非常に個的なもので存在者は祈りを持って神に応答するの前です。


私は神に祈る時世界から孤立する

罪ある肉の世でばらばらに千切られた精神が神との対峙に於いて全一へと回復する

その時私は神にのみ心眼を向けて一切を遮断する

そして内なる虚空の宇宙に身を委ね深く深く沈潜する

泡のような切れ切れの祈りを一心不乱に捧げ続ける


 これは最近書いたアフォリズムです。今の僕の心境です。


──非常にストイックですね


 まあ僕も老人の一人ですから周りの人がバタバタ死んでいくのでどうしても死はリアルに感じます。memento mori です。僕は懸命に聖書を読んでますがクリスチャンではありません。ひょっとしたら教会に行って洗礼を授かったりするかもしれない。然し今は聖書を読むのに執着しているので教会に行くことは考えてはいません。僕の聖書理解は間違っていると言う人もいると思いますがこれは僕と神の問題なので今のところはこの理解で間に合ってます。それ程大きな間違いはしていないと思うからです。


──このインタビューも最終日となりました。


 もっと沢山言いたいことはあるんですけど頭の中で整理がついてないので言いたいことを牛の涎のようにだらだらと話すことはしたくありません。僕の語ったことはいずれ歳月と共に忘れ去られてしまうでしょう。それでも僕は語りたい。これは表現者としての性であって今これは言っておきたいことを備忘録の様に語りました。これが最後のチャンスだという予感があるのです。このインタビューが世に出回るころには僕はもうこの世にいないかも知れません。いささか説教臭い発言ではありましたかがここ迄お読みいただいて感謝しております。


──ありがとうございました。


 ありがとうございました。

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