5.ハロウィン(1)

 十月三十日。

 ハロウィンを明日に控えて小さな村にも──特に子供達の間には──浮き足だった空気が満ち満ちていた。

 娯楽の少ない田舎の小さな村にあって、こうしたお祭り騒ぎは大きな盛り上がりを見せるイベントだ。村のあちこちに魔女や妖精や、カボチャをくり貫いたランタンの飾り付けが並び、子供達は当日の仮装の準備に大騒ぎして、母親や祖母達が近所の子供達に配る菓子をせっせとこしらえる。

 お化けの仮装で家々の扉を叩いては『お菓子くれないとイタズラするぞ!』と叫んで菓子をもらって回るのは小さな子供達の楽しみだが、もう少し年かさの若者達も衣装を凝らしてはしゃぎ回ったり、いい大人達も浮かれ騒ぎに乗じてパブで酒杯を重ねたり、と、誰も彼もが祭りを思う存分楽しむのだ。


「さあ! 衣装合わせをするわよ!」

 放課後の教室の扉を勢い良く開け放ち、堂々と姿を現したのは、まだ十才くらいの少女だった。

 人形のようなブロンドの巻き毛のかわいらしい少女だが、ふんぞり返らんばかりに胸を反らす姿は、実に生意気そうだった。

「……えーと、誰?」

 ハル・コネリーは珍入者の正体に思い当たらず、友人イアン・スチュワートに小声で訊ねた。イアンは性格と頭脳はやや残念だが、黙っていればブロンドに青い目のハンサムな少年だ。東洋系の血筋が色濃いハルも黒髪に黒い目のエキゾチックな魅力のある風貌をしているが、小柄で童顔なせいでかわいらしい雰囲気の方が強く、同じ十三才であってもかなり印象が異なる。

「ルーシー・フォスターよ」

 と、別の所から返事があった。

 隣の席にいるモード・コリンズは、猫っ毛のブルネットと薄紫色の瞳の知的で凛とした少女だ。メタルフレームの眼鏡とピシっと糊の効いたブラウスで身を包み、いかにも生真面目な優等生といった雰囲気を醸し出しているのだが、整った顔立ちがお堅い印象に余計に拍車をかけてしまって、やや取っつきづらく見えてしまう。

「数学のフォスター先生の娘さん。今、五年生ね」

 ハル達に数学を教えているラバン・フォスターは三年前に離婚して以来、男手一つで一人娘を育てているとは聞いていたが、このルーシーが件の娘という事らしい。

「へえ。あんまり似てないね」

 あまり父親には似ていないので、母親似なのだろうか、とハルは数学教師の気のいい熊みたいな風貌を脳裏に浮かべて思った。

「女の子でフォスター先生に似ちまったら可哀想だろ。小熊になっちまうよ」

 ハルと同じような事を思い浮かべたのか、イアンがへへっと笑って言った。

 と、ハル達がそんな事を話している間に、ルーシーの周りにクラスの女の子達が続々と集まっていた。それだけでなく、ルーシーの後から教室に入って来た別の女の子達が何やら大量の荷物を抱えている。

「それで、これは何の騒ぎなの?」

 きゃあきゃあと黄色い声を上げて盛り上がり始めている集団を傍目に、ハルは首を傾げた。

「ハロウィンの仮装用の衣装よ。ルーシーは裁縫の技術も服のデザインのセンスも大人顔負けなの。普段から色々な衣装を自分で作るのを趣味にしてるわ。だから、ルーシーに仮装の衣装を頼んでる子もたくさんいて、ハロウィンはあの子が一年かけて仕上げた衣装の発表会も兼ねてる、って所かな」

 そう言って、モードは小さく笑みを零した。

「ねえねえ! 見て! どうかな?」

 明るい声を上げて、ルーシーから受け取った衣装を抱えたデヒティン・ワトソンがハル達の方へそそくさと近寄ってきた。

 デヒティンは少しふっくらした体つきとおっとりした雰囲気の少女だ。薄茶色の髪は二つに括って肩に垂らし、美人という訳ではないけれど、下がり気味な太目の眉に愛嬌があって、素朴なかわいらしさを感じさせる。

「それは?」

 モードはデヒティンが腕に抱えた衣装を指して訊ねた。

「オランダの民族衣装なの」

 黒の半袖シャツにロングスカート、上に重ねるエプロンと、特徴的なレースの飾り帽子。伝統的なオランダ女性の民族衣装が一揃い、ルーシーのお手製で仕立てられていた。その出来映えは、確かに十才の子供が作ったとは思えない見事な仕上がりだった。

「へえ、かわいい服だね」

「そうね。きっとよく似合うわよ」

 ハルとモードが口々に褒めそやし、デヒティンが照れ臭そうに微笑むその傍らで、イアンがくくっと意地の悪い笑い声を洩らした。

「ああ、確かに似合いそうだな。そいつはさ、デブの方が似合う服だぜ。ポチャ子チャビーにゃぴったりだ」

「ああ~っ! また『ポチャ子』って言ったぁ! もう、イアンのバカっ!」

 と、デヒティンが丸い頬をふくらませたが、かわいらしくむくれる姿にも、イアンが悪びれる様子はなかった。

 家も隣同士で生まれた頃から一緒に過ごしているイアンとデヒティンの間には、遠慮のない気心の知れた関係が出来上がっており、喧嘩にもならない程度の言い合いは日常茶飯事だ。

「まったく! イアンは相変わらず口と頭と態度が悪いわね」

「厳しいなあ……、うん?」

 憤然とするモードの様子に苦笑を洩らしたハルは、自分に向けられる視線を感じた。

「ハル・コネリーね?」

 いつの間にか、正面に立ってハルを見上げるルーシーの姿があった。

「うん、ええと……」

「いいわね! あなたにはとっておきを用意したから」

「え? 何の事?」

 きょとんとするハルに、ルーシーがにやりと笑って見せた。その笑顔に不穏な気配を感じたハルが身じろぎしかけた瞬間には、別の女の子達に両脇からがっちりと捕まえられていた。

「え? えっ? ヘレン、ジョージィ、どういう事?」

「えへへー。ゴメンね、ハル」

「大丈夫、きっと、すっごく似合うから」

 ハルの両側を押さえたクラスメイト達が、あやしげなくすくす笑いを浮かべつつ、逃げられないようにしっかりと腕を絡め取る。

「ハルってかわいいから、絶対、いけるよね」

「そうそう。うーん、楽しみだわ」

「ちょっと! ちょっと、待ってよ! ねえってば!」

 猛烈に嫌な予感に背筋が冷たくなるのを感じたハルが逃げ出そうともがくが、更に何人もの援軍が捕縛に参加して、もはや、身動きもままならない。

「よーっし! それじゃあ、運んじゃって!」

「オッケー!」

 ルーシーの号令に黄色い喚声が上がり、担ぎ上げられたハルが教室の外へ運び出されていく。

「うわああああっ! 助けてええええっ!」

 呆気に取られるモード達を尻目に、ハルの悲鳴が虚しく響き渡った。


 しばらくの後。

「さあ、できたわよ!」

 得意満面のルーシーを先頭に、女子の一団がきゃあきゃあ騒ぎながら教室に戻ってきた。

「……へ?」

「わあ!」

「……っ!」

 女の子達に囲まれるようにして姿を現したハルを目にした瞬間、その場の皆が途惑ったり歓声を上げたり唖然としたりした。

 そこにいたのは愛らしい少女だった。

 ふんだんにフリルをあしらった黒のジャンパースカートと丸襟ジャケットで身を包み、ショートカットの黒髪にはレースのヘッドドレスをあしらう、いわゆる、ゴシックロリータだ。

 元々、どちらかと言えば華奢で小柄な体つきをしており、かわいらしい童顔にうっすらとメイクまで施され、また、ルーシーの見立てが絶妙で、ゴスロリドレスが異常なまでに良く似合うとあって、どこからどう見ても愛くるしい美少女以外の何者でもなかった。

「ハル? マジかよ!」

「すっごーい! かわいいっ!」

 腹を抱えて大笑いするイアンと零れ落ちんばかりに頬をゆるめるデヒティンの傍らで、モードはぽかんと口を開けたまま、視線をハルに据えて目をしばたかせ、しばらくそのまま固まっていたが、真っ赤になって恥ずかしそうにうつむきながら、ちらりと上目でこちらを見たハルと目が合った瞬間、頭の中で何かが飛んだ。

「……かわいい」

 ぼそっと呟きを洩らすモードの頬が赤く染まった。

「泣きそう……」

 悲しげなハルの溜め息はざわめきの中に虚しく消えていった。


§


「何か、すっごく疲れたよ……」

 黄色い歓声にもてあそばれる騒ぎからようやく解放されたハルは、元の格好に戻って、校舎の外の芝生に腰を下ろしてがっくりとうなだれた。

「いやぁ、災難だったなぁ」

 隣に座るイアンがバシバシとハルの肩を叩きながら、滑稽な騒ぎを思い出してにやにや笑いを浮かべた。

「でもさ、お前、マジで似合いすぎ。そこらの女より全然レベル高いぜ。すげー、すげー」

「……イアン、君のその陽気に傷口をえぐる所に憎しみを覚えるよ……」

「何だよ、褒めてんだぜ」

「ちっとも嬉しくないよ……」

 呵々と笑うイアンとは対照的に、ハルは深々と溜め息を吐いた。

 教室での出来事を見ていたクラスメイト達が通りがかっては、ハルに生温かい視線を向けたり、くすくす笑いを洩らしたりする。その度に、ハルは顔から火が出るような思いだった。

「ま、明日の本番もあの格好で頑張れよ。モテるぞ、お前」

「ううう……。本当に着なきゃ駄目なのかなぁ……」

「あきらめろ。奴らの目つきを見ただろ。ありゃ、本気だ。まあ、逃げらんねえだろうな」

 無論、ハル本人としては、好き好んで女装するつもりなどさらさらないのだが、首謀者のルーシーと一部のクラスメイトを筆頭に、ハルのドレス姿に感激した女子達による包囲網が既に形成されており、逃げ出す隙などありそうにない。どこへ逃げ隠れしても、見つけ出されて無理矢理にでもドレスアップさせられるのではないか、そう思わされてしまう気迫をひしひしと感じていた。

「イアンは何かやるの?」

「あー、俺は店の手伝いそれどころじゃないから。お祭り騒ぎで昼間っから店に呑んだくれがあふれっからさ」

「そっか。イアンの家、パブだもんね」

 イアンの両親はパブを経営している。ただでさえ娯楽の少ない小さな村で催し事があるともなれば、乗じて酒宴が盛り上がるのは必至だ。店も普段とは比べ物に繁盛になるだろう。

「そうなんだ。人手、足りるの?」

「まあ、いつもの事だし、何とかなるさ。お前の手伝いなら要らねーぞ。ウチの手伝いするから、なんて逃げ口上にはならねーからな」

 胸の内を見透かされて、ハルはぐっと言葉に詰まった。

「それに、だ。どっちにしたって、お前があの格好させられんのは変わんねえと思うぞ。ハル、お前、あのひらひら着て酔っ払いどもの相手したいか?」

「……それは、ものすごく嫌だなぁ……」

 想像するのも恐ろしい惨状が待ち受けていそうで、ハルは頬をひきつらせた。

「ま、明日一日だけの事だし、せいぜいバカ騒ぎのつもりで頑張れ。店の方は、デヒティンもちょっと手伝いに来てくれるっつってたし」

「……あ、うん……」

 ハルは力なく頷いた。

「ところでさ」

 と、ハルは顔を上げて言った。

「イアンはデヒティンと仲いいよね」

「ん? ああ、まあ、ずーっと一緒だしなぁ」

「それってさ、どうなの?」

「どう、って?」

「つまり……、好き、とか?」

「あいつをか? おう、好きだな」

 あまりにもさらりと答えられて、ハルは一瞬きょとんとした。

「あいつとはさ、赤ん坊の頃から一緒だからなぁ。何つーかさ、もう、そういうのはあいつしかいない気がすんだよな。俺が他の女とどうとかってのは、全然イメージ浮かばねんだけど、あいつとは普通にこのまんまずっと一緒で、そのうち付き合って結婚して子供作ってって感じになりそうな気がすんだよなぁ」

「へ、へぇ……」

 イアンがそういった事を何の照れもなく飄々と話すので、ハルは意外さに途惑いを隠せなかった。

「お、ポチャ子チャビー

 その時、ちょうどデヒティンが数人の女の子達に混ざって通りがかり、ハルがどきりとする一方、イアンは平然と手を振って見せた。

「あ~、また『ポチャ子』って言った~!」

 いつも通り、イアンの軽口にデヒティンがむくれた。

「はは。なあ、俺達さ、付き合う?」

「いいよ。でも、もう『ポチャ子』って言わないでね」

「言わない、言わない」

「うん。それじゃあね」

「おう、じゃあな」

 あっさりとそれだけ言うと、デヒティンは何事もなかったかのように元向かっていた方へ歩み去って行き、呆気に取られてぽかんとしていた他の女の子達が、少し遅れてからはっと我に返って、慌ててデヒティンを追いかけて取り囲んだ。

 ハルもまた、何でもない挨拶を交わすかのように、告白と承諾のやり取りを交わした二人を見て、ただ呆然としていた。

「と、まあ、俺達の場合はこんな感じだからさ、参考にゃならねーだろ」

「えっ?」

「ハル、お前はどうなんだ?」

「どう、って……」

「シーダー・キーンが好きなのか?」

「ええっ!?」

 取り乱したハルは頓狂な声を上げた。

「な……、え……、それは……、何で……」

「何で、って。お前、いっつもシーダーの事ばっか言ってんじゃん」

「そ、そうかな……?」

「そうだよ」

 動揺に思わず声がうわずった。

 言われてみれば、ハルは何かにつけてはシーダー・キーンという少女の事を話題にしていた気がする。

 一つ年下のおてんばな赤毛の女の子は、ハルに強烈な印象を刻みつけていた。

 生意気で、強引で、いつもハルを好き勝手に振り回す。だけど、ハルに自分を好きになって欲しいと言った女の子。

 シーダーの事が気にならないと言えば嘘になる。

「シーダーが好きなんじゃねーの?」

「どうかな……。よく、わかんないよ……」

 しかし、ハル自身、自分の気持ちがどういうものなのか、はっきりとつかめずに持て余している。シーダーが好きか嫌いかと言えば、好感を持っているのは確かだが、それが恋愛感情なのかどうかまではよくわからない。

「ま、いっけどな。俺もそういうのには鈍い方だけどさ、ハルはシーダー・キーンを気にしまくってるようにしか見えないね」

「………………」

 イアンの言葉に考えさせられて、ハルは沈黙した。

「明日はシーダーもこっちに帰って来るんだろ?」

「うん。土曜だし」

 全寮制の学校に通うシーダーは、平日の間は寮で過ごして、週末だけ実家に帰って来る。今年はハロウィンがちょうど土曜と重なったので、これ幸いと意気込んでいる様子だった。

 もっとも、シーダーが何か意気込むと、ハルが災難に巻き込まれるような気がして不安でならない部分もあるのだが。

「ま、シーダーでも誰でもいいけど、お前、彼女作るとか何とかした方がいいかもな」

「え? 何で?」

「さっきの格好を見て、熱い視線を送ってる奴らがいたぜ。ちゃんと、自分はストレートだってアピールしとかないと、狙われるかもよ?」

「えええっ! ちょっと、嫌だよ、そんなの!」

 大慌てするハルの反応を見て、からかったイアンが大きく笑い声を上げた。

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