回顧04-02 神事に関わるという事(下)




 やっとの事で投げられた質問が、渦巻いていた私の思慮を断ち切った。その内容が予想外過ぎて、あろうことか思い切り面食らってしまう。斜め上を行く質問どころか、質問の意味が全く分からない。『責任』と言った気がするけれど、私の聞き違いだろうか? 責任? 責任って一体何の? 一体、何に対しての責任?


「ふぅ、まったくダメですよ先生。質問が正しくありません。やっぱり先生は遠回りが過ぎます。いえ今回ばかりは、近道が過ぎるのかもしれません」

「なんだよ糸織。話の腰を折るなよ」

「ちっちっちっ、そんなことだから奥さんに逃げられるんですよ」


 内灘さんに心底呆れた様子で、繰絡さんが乱入する。私はこの瞬間、『ちっちっちっ』と実際に口に出して言う人間を、生まれて初めて目撃した。しかしそれはまた別として、繰絡さんの口から飛び出した『奥さん』という単語が私を驚かせる。内灘さんはどうやら既婚者であるようだ。逃げられたとのことなので、元既婚者である可能性も多分にあるけれど。


「おいおい梨沙ちゃん、そんな驚いた目で見るなよ。ったく傷付くぜ。俺には息子だっているぞ。もうすぐ六歳になる。可愛いぞう」


 どうやら私は、自分が思う以上に驚愕の表情を浮かべていたようだ。その表情に対して、内灘さんは不満の色を隠そうともしない。妻帯者に見えない要因として、内灘さんの外見や態度が挙げられる事は言うまでもないけれど、そもそもきちんと自己紹介しない自分が悪いのではないか。


「梨沙ちゃん梨沙ちゃん、先生はですね、いつもいつも回りくどくて、そのくせ長ったらしくてくだらなくてどうしようもないのです。しかも肝心なところは言葉足らずで──『やれやれ世話が焼けるぜ』って感じですよ。そんな先生は、本当はこう質問したいのです。『お前、本当にとんでもない事してくれたな。ちゃんと責任を取る気があんのか? あーん?』って」


 私はやはり対岸の火事でも眺めるように、何処か遠い気持ちでその言葉を聞いていた。おそらく内灘さんの口真似と思われる繰絡さんの口調は、凄みを出すのに完全に失敗していて、可愛らしい女の子が酔い潰れて管を巻いているようにしか聞こえない。


 リアクションに乏しい私に、繰絡さんは想像を絶するまでの馴れ馴れしさで語り続けた。


「あれれ? 似てませんかね。声量不足でしょうか──『本当にどうしてくれんだよ? 誠意を見せろよ誠意をっ! ゴメンで済んだら警察は要らねーぞ! ってかお前の目は節穴なのか? 刀が一振り間違ってるっつーの!!』」

「…………!!」


 私は慌てて手荷物を解く。ガチャガチャガランガランと金属音を撒き散らしながら、慌ただしく四本の刀を宝物庫の床に広げていく。「お前のモノマネ全然似てねーよ」とか、「暴力反対です!」とかいう二人のやり取りには目もくれず、大童おおわらわに爺じの刀たちを鑑別しにかかる。


 当然だけれど刀というものは、一振り一振りが同じ作りではない。名高い刀匠の爺じでさえも、その刃の仕上がりは千差万別様々で、一概に一目で識別出来るものではない。

 けれど、けれど私の目の前の四本の刀の中には、一本だけ明らかに爺じの──少なくとも屶鋼家の作品ではないと断言出来る一振りが紛れ込んでいた。


つばが、違う……これは、くぐいじゃない」

「梨沙ちゃん、ご名答だ。俺もうろ覚えだけれど、確かそれは、かりを象った紋様だったかな? 鵠にしても雁にしても、どっちも水鳥なんだからどうでも良いと個人的には思うけどな」


 内灘さんの発言が、私へのフォローだったようには思えない。しかし自己弁護でもなく、ましてや自己保身でもなく言わせてもらうと、この二つの鍔は確かによく似ていた。間違えても仕方ない、とは言わない。けれど、一目瞭然であるとも決して言えない。明らかに似せられた、明らかに真似て作った意志を感じさせる鍔の紋様。


「……どうでも良いわけがありません。これは贋作ですか? それとも、盗作?」

「あの屶鋼宗一郎が、贋作や盗作の類を自室に飾ると思うのかい?」

「……思いません。少しも思えない」


 わずかな逡巡の末にそう答えた私に、内灘さんは続ける。


「梨沙ちゃん、物は言いようだろ? 特に横文字は便利だわな。『インスパイア』とか『オマージュ』とか、真意をぼかすのにはもってこいの言葉が溢れてる。けどな梨沙ちゃん、考えてもみろよ。あの屶鋼宗一郎の自宅に飾られた中の一振りなんだぜ。だからこれだけは言える。その刀は、『贋作』かもしれないし『盗作』かもしれない──けれど、決して『駄作』ではない。これだけは確かだ」


 失意に沈む私を前に、内灘さんは饒舌に語り続けた。内灘さんのその瞳に、私は一瞬だけ優しさの色を見たような気がしたけれど、ただ単に、弱った私を見下して悦に浸っていただけなのかもしれない。


「内灘さん、それは私への慰めですか?」

「ふはは、それはどうかな。駄作でないにしても、今回の場面に相応しくないのは事実さ。しかも、水主祀はもう終わっちまったんだ。梨沙ちゃんがやらかしちまった事に、変わりはない」

「先生、これぞまさに後の祭りですね」

「そう、糸織の言うとおり、これこそ後の祭りだ」


 ──本気でうざい。

 そんな軽口を口に出さずに唱えながら、ここにきて私の中でどうにか一本の線が繋がろうとしていた。相も変わらずかすみがかって、腑に落ちない点は多々あるけれども。


「内灘さん、取りますよ。責任。私がきちんと、責任を取ります。要するにそう仕向けるのが、内灘さんの仕事なんでしょう? ですからその──追加の助言とやらを、頂けますか?」


 『責任』だなんて、私のどの口が言うのだろうか──虫が良すぎて、都合の良すぎる頼み事を、決して従順とは言えない口調で内灘さんへと投げる私。

 それでも私は、守れるものなら守りたいのだ。おそらく無意味な伝統も、ちっぽけな爺じのプライドも──『私には関係が無い』なんてうそぶきながら、安全圏へと退避しながら。


「まーともかくさ梨沙ちゃん、今日のところはもう帰りな。大好きな爺さんが心配してるぜ? ってゆうか今頃、孫の仕出かした粗相に気が付いて、顔を真っ赤にして怒ってるかもしれないけどな」

 そう言いながら内灘さんは、雁の紋様の鍔をした刀だけを包み直し、私へと差し出した。


「言うまでもないが、その刀だけはこの蔵に収めるわけにはいかない。責任だなんて言うと大袈裟だが、梨沙ちゃんのやるべき事は明確だ。梨沙ちゃんは、自分の不手際を正直に爺さんに話しな。後の事は、周りの大人たちが何とかしてくれるさ。皆、梨沙ちゃんより何倍も長生きなんだ──ちっぽけな梨沙ちゃんの何倍も知恵がある」


 内灘さんが隠そうともしない棘を噛み締めながら、私はその刀をおもむろに受け取り、軽く頭を下げた。


「要するに私に出来る事は、今は家に帰る事だけ、というわけですね」

「まー、そういうこった。あまり気を落とさずにお家に帰るこった。こんな形だけが残ったグダグダなまつりじゃあ、そりゃこんな事故も起こるさ」


 私は怒り狂った爺じの顔を思い浮かべながら、「気にせずに居られたら楽なんですけどね」と引き攣った顔で答える。内灘さんに包み直された刀を背負うと、肩口にずっしりとした重みを感じた。当然だけれど、物理的には軽くなったはずなのに。


 内灘さんと繰絡さんに先に表へと出てもらい、宝物庫の照明を落とした。いつの間にか、カビの匂いに鼻が慣れてしまっている事を自覚する。不思議な名残惜しさを感じながら、ぎぎぎぎっと門戸を閉め、閂の掛け金に大仰な南京錠をぶら下げた。


 この時点で、この二人が『盗人』だという線は完全に消えたと思っても良いのだろうか。『そう仕向けるのが内灘さんの仕事』──さっきはあんなふうに言ったものの、結局のところ、この二人の目的は謎のままだ。余計なお世話を焼くのが、本当に内灘さんの存在理由だったとしても、全て真に受けるには余りあるだけの疑問符が私に残る。


 釈然としない気持ち悪さと共に、二人と別れの挨拶を交わす。それはやはりどこか社交辞令的で、屶鋼梨沙という人間の卑小さと卑屈さを感じさせる場面となった。

 そして私が、帰路への第一歩を踏み出したその瞬間、最後まで不審者そのものの内灘さんが、「やれやれ、歳を取ると独り言が増えるぜ」と、わざとらしく宣言してから言う。


神事かみごとに関わるなら、きちんとした方がいい。生半可に神事ごっこをするくらいなら、そもそも何もやらない方がいい。関わりたくないのならば、最初から関わらない方がいいし、知りたくないのならば、最後まで何も知らない方がいい。これは屶鋼の人間だけじゃなくて、この烏丸町に生きる全員に言える事なんだがね」


 後方から聞こえてくる病的な長さの独り言に、私は眉をひそめた。けれど、意図して振り返らない。


「この烏丸町は、天外魔境てんがいまきょうならぬ天蓋魔境てんがいまきょうってところですね」


 繰絡さんが、意味深長な呟きを付け足した。

 つまり二人は、「その天蓋魔境とやらで、神事に関わってしまった責任を最後まで果たすしかないんだよ」と私に説きたいのだろうか。


 これ以上頭の中に疑問符を抱えておくには、私のキャパシティは如何せん小さすぎた。数多あまたのはぐらかしや、延々と続く紆余曲折──その他諸々を覚悟し、納得がいくまで問い質そうと勢い良く後ろを振り返る。


 しかし私の後方には、『宝物庫』とは名ばかりの貧相な小屋が構えるばかりで、赤いボディスーツを着た大男の姿も、迷彩柄に身を染めた小柄な少女の姿も、どちらも確認する事は出来なかった。





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