回顧05-01 疾走と失踪




 水主神社の拝殿の脇で、忠犬さながらに私を待つアラタの姿を見つけ、足元から湧き上がってくる安堵感を自覚出来た。けれど私は、そういった一切の感情をアラタに悟られまいと、口元をぎゅっと結び直してからアラタに問いかける。


「アラタ、こっちに誰か来なかった? 赤い大男とか、アーミーな女の子とか」

「あん? 誰も来てねーけど──てかリサ。遅くね? すっかり身体が冷えちまった」


 誰も来てない、というアラタの言葉に私は、そりゃそうよね、と妙な納得すら覚えてしまう。見落とすにしても特徴的すぎる外見の二人だ、それは考えづらい。


「ごめん、友だちと喋ってて、遅くなっちゃった」

「リサに友だちなんか居ないだろ。嘘はダメだぜ」


 躊躇なく断言するアラタに苛立ちを覚えながらも、私は大筋で宝物庫での出来事を説明する。アラタは疑う様子もなく熱心に私の話を聞きながら、時折「へー」、だとか「ほー」、だとか力強い相槌を入れてくれた。


「なによ。バカにしないの?」

「この場合、俺はリサの何をバカにすれば良いんだ?」

「それはほら、あれよ。狐か狸に化かされたんじゃないの? とか、寝ぼけて幻覚でも見たんじゃないの? とか……」

「無い無い。梨沙に限ってそれは無い」


 私に対する揺るぎない信頼に、胸が熱くなるものを感じないわけでも無かったけれど、「それにここは烏丸だぜ?」とアラタが付け加えた事により、その有難味も半減しようというものだった。


 ──ここは烏丸。何にも無くて、何でもありの町。


「しかしその内灘っておっさん、この刀が偽物だってよく気付いたよな。俺らなんか実際に握っておきながら、全く気付かなかったぜ」


 いつの間にかアラタは包みから刀を取り出し、鵠ならぬ雁の紋様を、めつすがめつ眺めている。


「よく出来てるわよね、それ。もちろん、自分の失態を庇うわけじゃないけれど」

「どれだけ刀剣に明るい人物だとしても、あの暗闇の中で、しかも剣舞の最中に、遠巻きに見ただけでこの違いに気付くとは思えねー。その内灘っておっさんはさ、リサが間違った刀を運んでるって事、はじめから知ってたんじゃねーか?」

「んー、そっか。そう考えるのが自然かもね。まさか千里眼みたいに、何でもお見通しってわけでもないだろうし」

「仙人眼? 何それ、めっちゃ便利そうな響き」


 お馬鹿なアラタが刀を包み直すのを待ってから、私たちは山道を下り始めた。石灯籠がまばらに佇む古ぼけた参道──しかしその帰路を半分も下らない内に、アラタはその足を止めて、バツが悪そうに切り出すのだった。


「なぁ、リサ。明日になったら、俺も一緒にお師匠さんに謝ってやるよ」

「明日というか、それはすでに今朝だけれども。どしたの? お腹でも痛いの?」


 アラタの申し出は素直に嬉しかったけれど、如何せんその表情は、頼もしい彼氏のそれではなかった。それはいかにも「俺、今から言い出しにくい事を言いますよ」みたいな──そんな前振りにも等しいほどの後ろめたさを伴った、何処か煮え切らない表情だった。


「何よ。らしくないわね。言いたい事があるならはっきりと言いなさいよ」


 発破を掛けるように私が促すと、アラタは「よっしゃ!」と自分の頬を張って気合を入れた。その表情から、今さっきまでの翳りの一切を拭い去り、憎らしいほどに清々しい、無計画で無鉄砲ないつも通りのアラタが言う。


「なぁ、リサ。一緒に抜け出さないか? この烏丸をさ」

「……はあ?」




 意気揚々たる態度で戯れ言を吐き出したアラタへと向けて、私はじっとりと冷たい視線を浴びせ続けている。もしかすると、こういうのを『値踏みするような目線』などと言うのかもしれない。アラタの言葉がどれくらい本気で、その言葉にどのくらいの覚悟があるのか、私はこうしてじぃっとじっとりと、ありもしない鑑定眼を光らせているわけだ。


 「一緒に抜け出さないか」なんて、捉え方次第では駆け落ちみたいな台詞である。仮にここが普通の場所だったなら──この烏丸町以外の場所だったならば、一緒に新しい生活を始めよう、みたいな意味合いだと考えても間違いではないだろう。


 けれど残念極まりない事に、そして最初から解かりきっている事に、ここは閉ざされた町、烏丸なのだ。

 だから私は語り手として、この烏丸町がどれくらい閉ざされているのかという事を──どのようにして閉ざされているのかという事を、ここら辺で明らかにしておく必要があるだろう。


 閉鎖的かつ閉塞的な、伝統としきたりに縛られた寂れた田舎町。そんな形容から連想されるのは、交通の便も悪く、当然就職先も限られていて、歯止めの効かない過疎化に思い悩む農村の姿だと思う。

 それらはどれも、あながち間違ってはいない。しかしそういった一切合切のイメージは、この際どこかに置いておいて、私の説明をどうか真っ直ぐに聞いて頂きたい。

 閉ざされたこの烏丸の閉ざされ方を、全て真に受けて頂きたい。




 私たちの青春は、基本的に閉じている。

 徹底的に閉じている、と言っても過言ではないくらいに。

 この場合の『閉じている』と言うのは、決して何かの比喩じゃあない。

 だからといって自嘲的な意味でもなければ、当然、大袈裟に誇張しているわけでもない。


 本当に、本当に、本当に、『閉じている』のだ。

 そう、だから例えば、一般的な高校生に在りがちな──。

 現実的に時間がなくて──とか。

 実際問題お金がなくて──とか。

 そういったありがちな事情ではなくて。


 現実問題として本当に閉じている。

 実際問題物理的に閉じている。

 といった意味合いなのだ。


 噂話としか思えないような真実。

 真実味を感じられない現実。


 ある人は、『烏丸帰り』なんて言ったかしら。

 ある人は、『烏丸返し』なんて言ったかしら。


 青春を過ごす私たちは──私たちのような若者は、この烏丸町から出る事が出来ない。

 成人を迎えるその日までは、この閉ざされた烏丸町から、物理的に出る事が出来ないのだ。

 ただの一歩も。

 そう、ただの一歩たりとも。

 決してこれは、悪い冗談などではなく──。

 お巡りさんに、連れ戻されるから──森のクマさんならぬ、森のお巡りさんに。


 だから私たちは、烏丸町の外に出る事は出来ない。

 ただの一歩も──ってほら、やっぱり冗談にしか聞こえないよね。




「アラタ、本気で言ってるの? そんなの『烏丸返し』に遭うだけじゃない」

「『烏丸返し』なんて、俺は何回も経験してる。今日は万全の対策を練ってきた。俺は今日こそ外の世界を知るんだ」


 アラタの語気が自然と荒くなる。アラタは基本的に言い出したら聞かない。そもそもこの言い分から察するに、アラタは初めからそのつもりだったのだ。私がアラタの愚かな誘いに付き合おうが背を向けようが、単独で行動を起こすだけの事だろう。


「どうしてそんなに外に出たいわけ? あと三年くらい我慢すれば良いじゃない」


 そう、私たちは外に出られない。どういう経緯いきさつか、どういう理屈なのか──未成年は、この烏丸町から出られない。だからあと三年、あとたった三年、我慢すれば良いだけなのだ。そしてその三年という時間は、平均寿命の引き伸ばされた私たち現代人の長い人生において、決して致命的に永い期間というわけでもないはずだ。


「理由なんて要らないだろ? 俺らには二本の足が生えてんだぜ。それにリサだって、この烏丸が好きって訳でもないだろ」


 好きなわけがない。好きどころか嫌いで、嫌いどころか、大嫌いだ。

 けれど、けれどそれ以上に、私は臆病で──。


「リサ、『烏丸返し』はさ、噂される程に危険なものじゃないよ。俺だけじゃなくて、学校の奴らも経験してる。お巡りさんに捕まったところで、目が覚めたら自分の部屋だ。リスクはそんなに大きくない」


 それは知っている──知りはしないまでも、噂には聞いている。

 何故か男子は、町の外に出たくて仕方がないんだ。私なんて、こんなにも烏丸を嫌っていながら、自分の足で『烏丸返し』を確かめた事も無いのに。


「お師匠さんが心配なら、無理にとは言わない。お師匠さんは不死身だけれど、それでもリサが早く顔を見て安心したいって気持ちは分かるから」


 アラタにそう言われて初めて、私は爺じの事を思い出した。我ながらとんでもなく薄情な孫娘だ。取るべき責任とやらもあったはず。自己嫌悪で胸が苦しくなる。


「……アラタ、あんたの言ってる事って、『海外旅行にはパスポートが必要』って決まってるのに、『そんなものは要らない』って駄々捏ねてるのと一緒じゃないの?」


 重たい自己嫌悪から逃げるように咄嗟に繰り出した例え話は、少しも上出来とは言えなかった。けれどアラタはやっぱりアラタで、私の不出来な例え話にも、真正面から向かってくる──向かい合ってくれる。


「違うよリサ。『海外旅行にはパスポートが必要』ってのは事実の一つってだけで、『パスポートが無くても海外には行ける』ってのも事実の一つだ。ただ……捕まる可能性が高いってのは認めるけどな」


 どんな屁理屈よ──と言いかけて思い留まる。意外と筋が通っている。アラタが並べたその屁理屈は、意外にも正鵠を射抜いた正論だった。

 私は思わず「ふふん」と鼻を鳴らす。それは得意気に、何故か満足気に──「私の彼氏がアラタで良かった」だなんて、私は間違っても絶対に口にしたりはしないけれど。


「ふぅん。亡命しようってわけね」

「ゴーウェイ? んー、まぁ、そんなところか」

「……」


 聞き間違えたわけではなく、どうせ亡命という言葉を知らないのだろう。厳密に言うならば、亡命というよりも不法出国にあたる行為。


「分かった、私も行く。でもアラタ。せめてアラタが練ったっていう万全の策とやらを、私に聞かせて」


 正直に吐露すれば、これは私自身への言い訳だ。アラタの練った策になど、最初から全く期待していない。アラタに根負けした私を──アラタに言い包められた私を、少しでも何かに覆い隠したいだけだ。自分のあざとさに、つくづく嫌気が差す。

 勿体ぶるような咳払いを挟んで、アラタが神妙な面持ちを浮かべた。


「リサ、心して聞けよ。しくも今日は十月一日だ。つい今さっき、十月一日を迎えたばかりだ」

「うん。だから、何?」

「俺も全然詳しい訳じゃないけど、確か……」


 確か、なんだというのだろう。少なくとも私やアラタの誕生日ではない。


「神無月って、神様が不在、って意味だろ?」


 うまいことを言ってやったぜ、と言わんばかりに、したり顔を見せつけるアラタだったけれど、台詞の中身はどうにもオカルト染みていて、意味が分からない。まぁ、神無月が十月の事だと知っていただけでも、アラタにしてみれば上出来だと思う事にしよう。

 私は、生粋の日本人のくせに日本語が不得意なアラタに問いかける。


「で、神様が不在だと何か良いことでもあるわけ?」

「神様が不在だから、見逃してくれるかもしれないだろ?」


 怪訝に眉を潜める私に、アラタは得意気に話し続ける。


「いや、見落としてくれるって言った方が、良いのかな」

「珍しく回りくどい。何が? 何を?」

「そんなの決まってんじゃん。神様が、俺たちを」




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