回顧04-01 神事に関わるという事




「さてと、時間は有限って事で……じゃあ糸織。梨沙ちゃんのプロフィールをもう一度だ。もう一度、正しく言い直せ」

「ええっ! イヤですよ。どうして先生はいつも嫌な役回りばっかり私に押し付けるんですか?」

「ったく……役に立たない助手だぜ。まあいい」


 せせら笑いが貼り付いたままの私を放置し、夫婦漫才の続きが始まる。先ほどまでよりかは幾分かシリアスな雰囲気で、夫婦漫才ならぬ、余計なお世話とやらが始まる。


「屶鋼梨沙、十七歳。両親不在、不在というよりも、不明」


 胡座姿で悠然と構えたまま、内灘さんが滔々とうとうと語り始めた。当たり前に、流暢に、一欠片の澱みもなく、ただ一方的に語り始めた。

 『両親不在』というその言葉に、私の心臓がとくん、と苦しげに脈打つ。不規則的な伸縮を繰り返す私の心音が、警鐘のようにこの身体中を暴れ回った。


「両親不明。もちろんこの事実は、表立って知れ渡っているわけじゃあない。しかしだ、こんな閉鎖的なド田舎に住んでるんだ。当然、誰もが気付いている。口に出さないだけで、誰もが勘付いている──要するに、自然とある疑問に辿り着くわけだ。いやが応にも、啓示のように頭に浮かぶわけだ。もちろん、誰も口には出さない、いや、口には出せないが」


 ふはははは──といやらしい笑みで、太く逞しい人差し指を顔の前に立てて、内灘さんが言う。一方的に、ただただ一方通行に、語り続ける。


屶鋼なたみの今後はどうなる? 烏丸からすまの将来はどうなる? そんな生々しい疑惑の果てになぁ、行き着くところに行き着くんだ。そもそも屶鋼梨沙は、本当に屶鋼の跡取りなのか? そもそも屶鋼梨沙は、本当に屶鋼の血筋の人間なのか? ってな」


 彼の人差し指が、真っ直ぐに私を指し示した。まるで名探偵でも気取りながら、それこそ巨悪を追い詰めるかのような勇ましさで。

 最早今更もはやいまさら、私の何を知られていたところで別に驚きはしないけれど、取り立てて悲しくもないけれど──私の心臓はといえば、情けないくらいに狼狽うろたえながら、これでもかと脈を乱し続けるばかりだった。


六根本煩悩ろくこんぽんぼんのうの五、『疑惑』って奴か。疑心を忘れないって事も、俺は大切だと思うけどな。あれもこれも疑ってかかってこそ、真実が見えてくるってもんだろ? けどな、この世の中には証明出来る真実と、証明しようもない真実がある。だからこそ疑心暗鬼の鬼は、自身の心ばかりを蝕むんだろうけどな」


 ──はは、何それ? ってか何これ? 裁判の真似事か何か? それとも新手の宗教勧誘?

 私はそんな悪態を吐き出したかった──吐き出してやりたかったけれど、その断片さえも言葉にならない。赤い服に身を包んだ大男が、勝ち誇るようにして一方的に語り続けるばかり。隣の少女も、起き上がり小法師こぼしみたくその体躯を左右に揺らしながら、何の表情の変化も見せずに黙って聞いているばかり。今この空間のすべてが、まるで悪い夢のようだ。


「梨沙ちゃんの心の中に、おりのように沈む劣等感。しこりのように膨らむ猜疑心。禍根のように残る自己嫌悪。伝統やしきたりに向けられた理由無き拒絶。大方これらのもんは、そういった事情から生まれたんじゃねーのかな?」


 知っている知っている知っている。言われなくても知っているそんな事は。

 私の事は、私が一番よく知っている。

 そして。

 知っているぞ知っているぞ俺は知っているぞ、と。

 言外に何度も繰り返すように一方的に──。


「ぶわはははは、分かりやすくていい。解かりやすい子供は素敵だ。梨沙ちゃん、何も悪いことじゃないさ。まだまだ子供なんだから、むしろそうであってくれなくちゃ困る。俺みたいな男は、余計なお世話を焼くのが趣味なんだ──それが存在理由だと断言しても構わない」


 存在理由。そんな大仰な言葉を交えながら、彼は続ける。

 面倒臭そうに、気怠そうに、それでいて生き生きとした表情で──矛盾を孕んだちぐはぐな雰囲気を持ってして、「さぁ、前置きはここまでだ」と。


「余計なお世話を続けよう──ああ、なんて浮かない顔だ。古傷にでも触れたか?」


 わずかな沈黙が挿入され、内灘さんの口元が吊り上がる。「にんまり」と、筋肉の動きが音となって聞こえるような、そんな露骨で皮肉な笑みだ。山羊に似た姿形をした悪魔が、同じように憎たらしい笑みを浮かべているのを、過去に何かの本で目にしたことがある。紳士的でありながらも、どこか醜い、どこまでも卑しい微笑み。


「違うぜ梨沙ちゃん、それはまだ、古傷にさえなっていないんだ。君の心のわだかまりは、そのどうしようもない暗闇は、まだ古傷にさえっていない。君がきちんと大人にならなくちゃ、傷跡にさえれやしない」


 繰絡さんが静かな嘆息を吐き出し、「確かにもぎ頃ではありませんね」と独りごちた。そして何もなかったかのように、何も言わなかったかのように、またもや無表情で左右に揺れ始める。

 ──そして私は、黙り続ける事にそろそろ限界で。


「……うるさい」

「あん?」

「うるさいって言ったの! 何様のつもりか知らないけどさぁ、赤の他人が人の過去こねくり回して何になるっていうの? っていうか何? そもそも初対面のくせに、私を諭そうってわけ? それってどんな存在理由よ。頭の中、虫でも湧いてるんじゃないの?」

「あれ? 本気で怒っちゃ──」「怒るに決まってるでしょ! この状況で怒らない人間が居たらそいつは馬鹿よ! プライバシーって言葉知ってる? 人権侵害もいいとこだわ!」


 感情のままに捲し立てたつもりだったけれど、それは何処か空々しい怒りだった。気付けば私は、肩で大きく息をしている。極めて正論だけを言ったつもりだった。極めて正論でしかない言葉が、正論以上にはなれない空っぽの怒号が──薄暗い宝物庫の中に白々しく響いた。

 プライバシー? 人権侵害? 自分で言っておいて何だけれど、甚だ可笑しい。私の腹立たしさは、そんなところに向いているわけじゃない。自分の怒号に隠された虚しさが、私の心を激しくえぐり取る。


「それだけか?」

「は?」

「言いたいことは、それだけかと尋ねた」


 そんな私の虚しささえも見透かしたように、彼は胡座姿のままに肩を竦めた。それは明らかに挑発の意味を込めた仕草であり、私は新たな怒りに身を震わせる。

 そんな私を、繰絡さんが眼球の動きだけで一瞥した。メガネのフレームからはみ出しそうな上目遣いの視線は、私の反応を観察しているようにも見える。私から何を感じ取ったのか、その振り子運動をびびびっと急停止させた絡繰さんは、落ち着いた様子でメガネの位置を微調整した。

 「ふはははは──」と、人を食って掛かるような哄笑のあとで、大男が再びその口を開く。


「赤の他人、だから言うんだろう? 初対面、だから言うんだろう? 梨沙ちゃん、君みたいなお子ちゃまはさ、黙って話を聞けばいいんだ。何の先入観も思い入れもなく、黙って他人の話を聞いていればいいんだ」


 一つだけ断っておくと、私は決して喧嘩っ早い人間ではないと思う。いやそれどころか、我慢強い人間であると自負している。爺じやアラタに対してならともかく、少なくとも赤の他人や、他人にも等しいクラスメイトたちに対しては、自分のコミュニケーション能力不足を充分に補うくらいに、我慢強い人間だと断言出来る。つい先ほどの事にしたって、たとえ繰絡さんが止めに入っていなくたって、何とか堪えきっていただろう。


 ──それでも。


 私は右脚で床を踏み切って内灘さんの方へと駆けた。いや、『さん』付けなんて本当に馬鹿らしい。嫌悪すべき目の前の大男へと、一足飛びでその距離を詰め寄る。

 勢いを殺すこともなく彼の左頬を全力で張ると、ばちんっと小気味いいまでの炸裂音が響いた。一切の手加減の無い平手打ち。そもそも力加減とかを考える間もなく、怒りの衝動に身を任せた一撃だ。たちまちにしてその左頬が赤く腫れ上がるのが、裸電球の頼りない照度でも確認出来た。


「……ふむ。もういいのか?」

「え?」


 意味不明の問いかけに気圧されるようにして、私は思わず一歩後退あとずさる。今さらのように、右の手のひらがじんわりとした痺れを帯びていく。


「たった一発でいいのか? と聞いたんだ。まぁそれで俺の話を聞く準備が整ったなら、それでいい。俺だって痛いのは嫌だからな。ただの一撃でいいなら、それは安いもんさ」


 何の凄みもなく、静かに涼しげにそう呟く大男。何とも言いがたいその迫力に──静けさゆえに滲み出るその迫力に、私は床にへたりこむ。まるで何かに敗北したかのように、まるで何かに屈伏したかのように。


「えへへ、美しい友情が芽生えましたね」


 久方ぶりに口を開いた繰絡さんは、酷く検討違いな感想を述べる。今のやり取りの一体何処に、友情という要素を感じたのだろうか。私が彼に抱いた感情に名前があるしたら、それは『畏怖』と呼ぶべき感情ではないか。


「俺からは、そうだな。助言が一つと、質問が一つ。そしてその答えによっちゃ、追加で助言がもう一つだな」


 無言のままの私に、無言でいるしかない私に、滔々と彼が語り始めた。正しくは「再開した」と表現するべきかもしれない。暴力的とも言える、一方的で一辺倒な語りかけを、彼が再開したのだ。床にへたり込んだままの、無力で無気力な私へと向けて。


「……分かりました。内灘さん──でしたっけ? どうぞ好きなだけ、話してください。聞きますよ、聞けばいいんでしょう」


 半ば投げやりに私は答えた。開き直ってみたところで、力無い私の声には何の威圧感も無いだろう。私は負けたのだ。目の前の大男に、全力の平手打ちを食らわしておきながら、為す術もなく呑まれたのだ。窮鼠猫を噛まず、蛇に睨まれた蛙は、丸呑みにされて胃袋で消化されるだけ。

 人差し指で鼻の下をこすり、「ふへへ」と満足気に微笑む内灘──さん。その内灘さんを見て、繰絡さんも同じように「えへへ」と鼻の下をこすった。


「さて梨沙ちゃん、本題を進めよう。君は早く決めた方がいい──道に乗るのか、それとも乗らないのか。出来るだけ早く決めてしまった方がいい。『結論を急ぐな』なんていう言葉は、第三者の戯れ言だ。傍観者のまやかしに過ぎない。結論なんてものは、なるべく急いだ方がいいのさ。急いだ分だけ、問題に向き合う時間が増えるんだからな」


 大した仕切り直しをすることもなく、内灘さんは諭すようにそう話した。その内容は、話の流れからすると一つ目の助言とやらにあたると思われたけれど、その中身が唐突に飛躍していて、私は突飛な印象を拭えずにいた。


「時間は有限ですからね」


 呆気に取られる私へと向けて、繰絡さんがそう補足した。私は、授業中に先生に質問でもするかのように、片手を挙げてから発言する。


「あの、話の流れが見えないんですけど」

「要するに、屶鋼の家を想うのか想わないのかってことだ。究極的な話をすれば、血の繋がりなんて関係がない。そんなものはどうでもいい。君が本当は佐藤さんだろうが高橋さんだろうが鈴木さんだろうが、はたまた本物の屶鋼さんだろうが、そんな真実は価値を持たない」

「……はぁ」

「屶鋼の今後をどうするのか、梨沙ちゃんには決める権利と義務がある。君はあの家で育ったんだろう? ならばそれは当然だね。『恩返し』なんて生易しいものじゃあない──『責任』という言葉に換言して語るべきだろう」


 私の質問など最初から無かったかのように、内灘さんは流暢に言葉を並べていく。「要するに」などという前置きから始まっていても、私の質問などまるで意に介さない。その流れの自然さたるや、脈々と流れ続ける河のようだったし、その流れの傲慢さたるや、轟々と流れ落ちる滝のようだった。

 ほうけたままで耳を向ける私は、その口振りからやり手の政治家なんかを連想していた。それこそ赤いボディスーツなどではなく、スタイリッシュなスーツ姿だったりしたら、多分に真実味を帯びていただろうと思う。


「梨沙ちゃん、時代錯誤だよな。本当に時代錯誤も甚だしい。女人禁制の鍛冶場のしきたりなんて、時代錯誤どころか時代逆行さ。先人の知恵を鑑みたところで、納得を得られる理屈も無いだろう。屶鋼の爺さんにしたって、頑なに弟子を取りたがらない。弟子どころか、助手の一人さえも迎え入れようとしない。屶鋼宗一郎は、人間国宝どころかただの頑固な爺さんだ。だから俺はね、その点は素直に同情するよ」


 どこかの小娘がつい今朝方に思ったような台詞を、目の前の大男が並べる。爺じにお弟子さんが居れば──そういった『もしもの話』を、今まで何度願ったか分からない。


「だが残念ながら、現実とは目の前にのみ立ち塞がる。爺さんもあの歳だ。何度も言うが時間とは有限で、決断の猶予はそれ故に長くない。この場合、むしろ短いとさえ言えるだろう。だから──」「関係ありません」


 連々と組み立てられる内灘さんの言葉を遮り、私は言う。強く、発言する。


「屶鋼の家のあれこれは、私には関係ありません。そしてもちろん貴方にも、一切関係ありません」


 私は望んでいない。今の私の状況は、私自身が望んだものじゃない。この烏丸の歴史も、屶鋼の伝統も、先人たちの想いもどれもこれも全て、私には一切関係が無い。


 ──全てが、重すぎるのだ。


「そっか。そいつは悪ぃ悪ぃ。じゃあ、次に移ろう」


 内灘さんの反論──というか説得のようなものを覚悟していた私に、内灘さんはあっけらかんと言い放った。ここまで私を挑発しておいて、しかもおそらくは意図的に挑発しておいて、ようやく始まった本題とやらをこうもあっさり引っ込めるとは、さすがに肩透かしではないだろうか。

 すっかり毒気を抜かれそうになりながらも、せめて内灘さんを睨んだ。そんな私の視線が、真正面から内灘さんの視線と交わる。すると内灘さんは、深い目尻のシワを柔和にゅうわに折り畳み、照れ笑いのような表情で微笑みかけた。


「はっはっは。うるさい小言だっただろう? まぁ、子供には耳の痛い話だわな。見たくも聞きたくもない現実の話だ。俺もぶっちゃけると、あんまりこんな話はしたくなかった。だから適当にまとめちまうと──そういっためんどくせー事情は、なるべく早く消化した方が楽だぜ、ってこった」

「先生は相変わらず遠回りが過ぎますね」


 おちょくりのような繰絡さんの合いの手を、「コミュニケーションに飢えてんだよ」と一掃し、「で、次に質問なんだが」と早急に話を進める内灘さん。


 先ほどの小言──内灘さんが言うところの、見たくもない聞きたくもない現実の話に対して、私の意見は最後まで必要とされていないらしい。どうせ求められたところで、セミの抜け殻のように、あるいは貝に篭もったヤドカリのように小言をやり過ごしていただけの私からは、建設的な意見など何一つ出やしないけれど──。


 何故だろう。凄く込み入った話をされたはずなのに、そもそも知られていること自体が不可思議な話だったのに、過ぎてみれば私からは、何の憤りも湧き出てこない。まるで対岸の火事を眺めているように、ただただ客観的に私の事情を復習させられたような気分だった。


 目的の釈然としない挑発。メリットの見当たらない小言。内灘さんの発言の意図が少しも見えず、狐につままれたような気持ち悪さだけが残る。『俺みたいな男は、余計なお世話を焼くのが趣味なんだ』──その言葉を鵜呑みに出来るほど、私は無邪気でも幼稚でもないつもりだけれど、ここは本当に、余計なお世話だと受け止めるべきなのだろうか。

 煮え切らない様子の私を察してか、やや早口に内灘さんが切り出した。


「さて、あまり遠回りが過ぎると、また糸織にちくちく言われちまう。だから端的に尋ねるぜ。『梨沙ちゃんは、責任を取る気があるのか?』──それが俺からの質問さ」




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