回顧03-02 宝物庫と訪問者(下)




「あの、繰絡さん。私は……。私は正直に言って、人付き合いが苦手です。苦手というより、嫌いでさえあります。恥ずかしながら今さっきだって、町長さんの顔も分からなかったくらいです。それでも……それを差し引いても私と貴女は初対面だと思うのですが、どうして繰絡さんは私の事を知っているのですか?」


 気丈に問いかける私──いや、気丈に振る舞って、そう問いかける私。


「えへへ、隣に居る広葉先生から聞きました。何を隠そう先生は、梨沙ちゃんの熱狂的なストーカーですからね」

「え? え?」

「おい糸織っ」


 その先生が口を挟む。一喝とまではいかなかったけれど、恫喝的と言えるくらいにはドスが効いていた。けれど全く気にする様子もなく、口元に人差し指を立て、ナイショの話なんですけどね──と言外に語る繰絡さん。心底楽しそうなその笑顔とは裏腹に、彼女の告白は得体の知れない不気味さを孕んでいる。


「特にですね、梨沙ちゃんのおっぱいについて語る時の広葉先生は、熱かったですよ。雄弁に熱弁されてしまって、私はもう勘弁って感じでした」

「え? は? おっぱい?」


 思わず一歩後ずさりながら、反射的に両腕で胸を隠す私。一筋の悪寒が背筋を走る。心なしか体温が下がったかもしれない。


 ごちんっ。


 私の反応を見た大男が、無言のままに左のゲンコツを見舞った。揚々と語り続ける繰絡さんのスイッチを切るが如く、電光石火で繰り出された一撃。その衝撃で、迷彩柄のハンチング帽が床にずり落ちる。


「ぐあ、暴力反対です」


 繰絡さんは本当に痛そうに頭を擦っている。帽子の後に現れた繰絡さんの頭髪は、眩しい金髪のボブカットだった。何ともまぁ、可愛らしい容姿である。こんな薄暗い場所だというのに、髪の毛のキューティクルが天使の輪を描き、これまた若さを感じさせた。


「糸織は仕事のパートナーにするには口が軽すぎて失格だな」

「先生も恋のパートナーにするには体毛が濃すぎて失格です」

「…………」


 軽口を返しながらも、次の一撃に備えん、と慌ててハンチング帽を被り直す繰絡さん。私は大男のボディスーツの下を覆う、濃すぎる体毛とやらを想像してすぐに後悔した。


 ああ、しかし──。

 何と複雑な心境だろう。夜の宝物庫への突然の来訪者。その来訪者である見ず知らずの二人が、私の身辺をやたら詳しく知っている不気味さ。そのくせ緊張感を許さない夫婦漫才のようなやり取り──こんなもの、複雑な心境以外の何物でもない。

 大男は、呆ける私に目線を戻し、「うおっほんっ」と大袈裟な咳払いをしてから切り出す。


「梨沙ちゃん、俺の助手が混乱させて済まない。花の女子高生が相手って事で、俺もちょっとだけ緊張してたのさ」

「違いますよ梨沙ちゃん。先生は寡黙な男を演じてカッコつけていただけですよ、言うなれば下心丸出しの下衆な男です」


 ごちんっ、と左のゲンコツがもう一発炸裂する。今度はハンチング帽だけではなくそのメガネもずり落ちた。インパクトの瞬間に火花が散った気がするのは目の錯覚だろうか。


「あうー、暴力反対です」

「糸織、ちょっと黙ってろ。梨沙ちゃん、いいか? 糸織の脚色だらけの自己紹介はさておき、俺が梨沙ちゃんと仲良くしたいってのは、本当だ」


 先ほどまでとは打って変わり、流暢に喋り出した大男。明確にして明瞭──そんな表現がぴったりの快活な口調だった。休めの姿勢で斜めに構え、どこか鷹揚さを感じさせる。口元には自然体の笑み。本当に寡黙な男を演じていたとでもいうのか。


 仲良くしたいとはどういう意味だろう。まさかナンパというわけではないと思うけれど、もしも言葉の意味のままであるならば、多分に迷惑な申し出だった。クラスメイトとも仲良く出来ているとは言い難い私にとって、目の前の不審者と仲良くしようだなんて高過ぎるハードルだ。そんなお誘いは、有無を言わさず断っておくべきだろう。


「私は赤いボディスーツを着て女の子に暴力を振るう体毛の濃いおじさんと仲良くするつもりはありません」


 わずかな勇気を振り絞り、読点を含まずに一息に言い放った。そんな私に向けて、繰絡さんが右手の親指を立てたのが視界の隅に映り込む。「グッドですよ」と言わんばかりに満開の笑顔を咲かせる繰絡さんを見て、ほのかに微笑ましい気持ちになった。不審者の片割れに対して抱くには不適切な感情にしても、頼もしさとか心強さに似た感情が生まれたのは、認めざるを得ない事実だった。


「梨沙ちゃん、そんなに寂しいこと言うなよ。人との出会いを頑なに拒むもんじゃないぜ。一期一会ってよく言うだろう? 折角の出会いを大切にしようじゃないの」

「……大切にしたいならば二度目の質問です。何者ですか? あなたは」


 睨みつける私の目線に怯む様子も、ましてや悪びれた様子も見せずに大男が答える。


「良いねぇ。気が強くて素敵だ。気の強い子はそそるよ。けれど梨沙ちゃん、その質問にはもう答えただろう? 俺は内灘広葉。あれ? 紅葉だっけか? まぁ、そのどっちかさ」


 快活な喋り方にそぐわず、どうにも言っている事が要領を得ない。度を超えたいい加減さは私を冷やかしているのだろうか。霧や霞のように掴み所のない男だと思う。


おどけないください。とぼけるのもナシでお願いします──答えないなら警察を呼びますよ」


 苛立ちを押し殺しながら私が告げると、何が可笑しかったのか、あるいは気に入ったのか、大男は唐突に上機嫌な哄笑を上げた。「がっはっは!」と、絵に描いたような哄笑を。


「気に入った気に入った。この状況で怖気付かないなんて、益々気に入った。それにね、梨沙ちゃん。警察を呼べば自分の味方をしてくれる──なんて、無条件に信じているその純粋さも気に入ったよ」


 意味が分からない。不愉快なまでに、そして不機嫌になるほどに、話の流れが不透明過ぎて呆れてくる。

 人気の無い神社の一角。真夜中の宝物庫。女子高生に言い寄る赤いボディスーツの大男。こんな状況、警察でなくても助けてくれるに決まってる。


「内灘さん失礼ですけど、頭の中身ちゃんと入ってますか? この状況ならば間違いなく、普通に当たり前に百パーセント、警察は私を助けてくれると思いますけれど」

「先生、梨沙ちゃんの言う通りです。普通に当たり前に二千パーセント、先生が逮捕される状況だと思います。その格好も変質者そのものです。特に股間のこんもりとした膨らみが、気持ち悪くて見苦しいです」


 繰絡さんからの助け舟が入り、大男は五分刈りの頭を掻きむしった。


「何だよお前ら、もしかして仲良しさんなのか? それに俺はおじさんじゃないぞ。せめて内灘さんと呼んでくれよ」

「内灘さん、私の質問に答えてください」


 大男──内灘さんに向かって、怯まずに詰め寄る私。その距離は二メートルくらいだろうか。私の剣幕に繰絡さんが身を竦ませたように見えた。


「まあまあ梨沙ちゃん、そうピリピリすんなって。この真っ赤なボディスーツが怪しかったんなら謝るよ。けれどこれはよ、そこの糸織から貰ったんだぜ。センスが疑わしいのは糸織の方さ」

「先生、その言い方は酷いですよ! 徹夜で一生懸命作ったのに!」


 身を乗り出して涙声で訴える繰絡さん──っていうか、まさかの手縫い? 要するにハンドメイド?

 二人の夫婦漫才にもいい加減ついていけなくなってきた。本当に手作りなのだとしたら、確かにセンスがなくて救えない──じゃなくて、そもそもボディスーツって、一晩徹夜したくらいで出来上がるものなのだろうか。いやいや、手縫いで作るならボディスーツじゃないでしょ……。


 ああ、やっぱり緊張感が持続しない。目の前で繰り返される夫婦漫才にやきもきする私。毒気を抜かれないように気を引き締めてかからないと。


「そういえば内灘さん。夫婦漫才のせいで思わず聞き流しましたけれど、つい先ほど、隣の繰絡さんに対して『仕事のパートナー』と言いましたよね。こんな時間にこんな場所で、一体何の仕事だと言うんですか?」

「おうおう、まるで糸織の父親みたいな台詞を吐くねぇ。『君のような得体の知れない男に、大切な娘は任せられん』──ってやつだな。勇ましく涙ぐましいこった。俺はもちろん、梨沙ちゃんに話があって来たのさ。それが俺の『仕事』で間違いないぜ」


 一向に進展の無い問答が私の眉間を歪ませる。するとその『仕事』とやらのパートナーである繰絡さんが、人懐っこい笑顔を咲かせて話しかけてきた。


「梨沙ちゃん梨沙ちゃん、これはここだけの話ですが、先生はここに来る前、小躍りして喜びながら、『久しぶりに女子高生と話が出来るぜぃ』と仰っていました。『こんなふうに役得の多い仕事ばっかりなら良いんだけどなー』、とも」

「はい?」


 素っ頓狂な声が私から漏れ、内灘さんが慌てて制止にかかる。


「だーっ! だから黙ってろって。糸織、チャックチャックお口にチャック。幼稚園の時に習っただろ?」

「私は保育園児でしたので存じ上げません」

「だーっ!! 屁理屈言うんじゃねーよ。保育園でも習っただろーが」

「梨沙ちゃんが制服じゃなかったからって八つ当たりしないでください。常識的に考えたら、真夜中の女子高生が制服を着ているわけがありません」

「…………」


 目の前で取っ組み合いが始まった。力任せに押さえ込もうとする内灘さんと、素早い動きで撹乱する繰絡さん。意外と苦戦する内灘さんに、意外にも善戦する繰絡さん。いや、どっちにしてもどちらにしても、大の大人の取る行動じゃない。見苦しく取っ組み合う二人と、完全に蚊帳の外の私。みっともなく暴れ回る二人と、完全に置いてけぼりの私。


 ──帰ってもいいかなぁ。帰ってもいいよね。そもそも、アラタを待たせてるわけだし。


「あの、私……そろそろ失礼します。外に待ち人が居るので」

「ああ、剣舞を舞った彼氏くんね。まだまだ未熟者の」


 暴れ回る繰絡さんを、やっとの思いで押さえ付けた内灘さんが、独り呟くようにして言った。卑しい笑みを織り混ぜて、まるで私を挑発しているかのように──場の空気に白けてしまった私の、この頭に赤い血を上らせるように。


「聞き捨てなりません」

「本当のことを言ったまでさ。まあ、俺に言わせれば、未熟なのは梨沙ちゃんも同じだけれどな」


 薄明かりの中で交錯する目線。私は無意識のうちに拳を握り込んでいた。

 一体何なんだよ。爺じの事といい、アラタの事といい、果たして私のどこまでを知っているんだ。その卑しい笑みをやめろ──今すぐに。

 湧き上がる怒りが、理不尽な悔しさを連れてくる。不明確な不条理。一方的に見透かされる感覚。失いかけていた緊張感が、再びこの場を包んでいく。


「ひえー、怖い怖い。すぐに怒っちゃう未熟者の梨沙ちゃんに、素敵なおじさん──じゃねぇや、素敵なお兄さんが要らぬお世話を焼きに来たんだぜ? 少しくらいは感謝してほしいもんだね」

「いい加減に──」「梨紗ちゃん、怒ったら負けですよ」


 と、繰絡さんが私の拳を両手でそっと包んだ。そっと──優しく突然に、私の拳を両手で包み込んだ。

 完全にきょかれた私は、目を見開いて驚きの色を隠せない。

 ──いや、そんな馬鹿な。目測で二メートルは離れていたはずなのに、近付いてくる気配に全く気付かなかった。


「さぁさぁ先生。お巫山戯ふざけはおしまいですよ。始めましょう始めましょう。時間とは常に有限です」

「ああ、悪ぃ。悪かったよ。んー、しかし立ったまんまの長話ってのも何だな。糸織、敷物あるか?」


 繰絡さんは特に言葉を発するでもなく短く微笑んで、てくてくと内灘さんの方へと歩み寄る。そして迷彩柄のショルダーバッグから、迷彩柄の敷物を取り出す──のかと思いきやそんなことはなく、着ていたジャケットを手際良く脱いで目の前にふわりと放った。

 床へと着地したジャケットに胡座をかいて座る内灘さん。そしてその横に陣取る半袖姿の繰絡さん。陣取るとは言っても、剥き出しの床に何の抵抗も見せずじかに割座している。目の前の光景に色々な意味で呆気に取られながら、この場に立ち尽くしたままの私。


 意味不明な状況の中で、ただ一つハッキリしたのは、この男が最低な人種だという事だ。女の子を地べたに座らせるその精神は、彼が最低な人種たる最もな証拠だった。


 そしてこれは完全に蛇足だけれど、繰絡さんのジャケットのその下は、期待を裏切らず迷彩柄の半袖シャツだった。徹底的に貫かれたアーミーコーディネートが、ミリタリー趣味の領域を軽く凌駕している事は間違いない。


 しかし──繰絡さんのスタンスというか、立ち位置がよく分からない。従順なのか、反抗的なのか、はたまたただの気紛れなのか。何とも言えない奇妙な感じだ。

 訝しむような私の目線に気付いたのか、小首を傾げて「えへへ」と笑う繰絡さん。その無邪気さに不自然さはなく、さながら何かのマスコットキャラクターのように、可愛らしい仕草を見せている。


 けれど先ほどの動きは──武芸の達人を思わせる足捌きは、警戒する理由としては充分過ぎる。外見からは窺い知れない不気味さに、疑いようもなく私は気圧されていた。彼女にはつい今しがた、頼もしさにも似た心強さを感じたばかりだったけれど、そもそもそんな感情自体が、子供じみた幻想の産物なのだろうか。


「梨沙ちゃん、そう身構えなさんな。余計なお世話の始まり始まりだぜ」


 内灘さんの口元がにやりと歪み、繰絡さんがぱちぱちと疎らな拍手を送った。

 ──ああ、もう、何だよこれ。

 目の前の面妖な二人に、剣呑な目付きを惜しむことなく浴びせる。

 逃げ出したいこの気持ちを隠すように、怯んだ己自身を奮い立たせるように。



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