回顧03-01 宝物庫と訪問者




 ガチャガチャと四本の刀を背負って、社殿の脇に伸びた小径こみちを道なりに進む。「乗りかかった船だしね」などと言ってみたものの、宝物庫という響きには、少なからずの期待を抱かずには居られなかった。けれど──。


「うわぁ……」


 五分と掛からず、宝物庫と思しき建物へと辿り着いた私の口から、落胆の溜め息が溢れる。私の目線の先に現れたのは、端的に表現すれば『小屋』だった。拝殿にも負けず劣らずの、質素で簡素な作りをした貧相な小屋。その入り口の門戸もんこにはかんぬきが通され、掛け金の部分にはやたらと大仰な南京錠がぶら下がっている。


 もはや疑いようもない。やはりこの建物が『宝物庫』なのだ。けれど、何かを守ろうとする意志を感じさせる大仰な南京錠を加味して考えても、『宝物庫』という言葉から連想されるような風格は皆無だった。グラウンドの端っこに建てられた『多少大きめの体育倉庫』──といった感じがせいぜいだ。


 アラタから預かった古ぼけた鍵を、頑固そうな南京錠の鍵穴に突っ込んでみる。錆びのせいか若干の抵抗を感じたものの、特に苦労もなく南京錠が外れる。戸惑いながらも閂を抜いて、門戸を左右へと開いた。


 ぎぎぎぎ、と。


 扉の開放と共に、静止していた空気が流れ出ていく。わずかに鼻を突くカビの匂い。そして当然だけれど、暗闇。


 入り口付近の壁をまさぐるようにして探ると、すぐに小さな突起物の感触を見つけた。良かった、照明くらいは備え付けのようだ。電気が通っている事を願いながらスイッチを入れると、だいだい色の灯火が等間隔に数個灯った。

 さほど高くもない天井から吊り下げられた、ふんだんに埃を被った裸電球。天井の梁と梁の間には、お約束と言わんばかりに蜘蛛の巣が張り巡らされ、ここ最近に人の出入りがあったことを感じさせない。


 正面を見やれば、両脇の土壁に沿ってシンプルな木組みの棚が並んでいる。その棚のあちらこちらに、風呂敷のような布地に包まれた長細い包み物が無造作に散在していた。決して神経質ではない私から見ても、その散らかりようを正したくなってしまう。

 細く長い包みの形状を見る限り、その中身は過去の水主祀りで奉納された刀剣なのではないだろうか──そんな考えと共に、一番近くにあった包みを紐解くと、予想を裏切らずその中身は日本刀だった。一振り一振りのつばに施されたくぐいを象った装飾が、屶鋼家の作品である事を物語っている。


「さすが烏丸ね」


 『宝物庫』と聞いて、金箔を散りばめた華やかな壁紙に彩られた空間や、大泥棒や大海賊も腰を抜かす金銀財宝その他諸々を期待していたわけではもちろんないけれど、『宝物庫』というよりは『物置小屋』という呼称が相応しく思えるこの薄暗い内装には──納められた刀剣以外には特に目ぼしい物の無さそうなこの室内には、「さすが烏丸ね」という私の独り言もとても虚しく、そして適切に響こうというものだった。


 少なくとも、刀ばかりが納められているこの場所には、日頃から刀に見慣れている刀匠の孫娘の興味をそそるような物は皆無だったし、そもそもこのカビの匂いから判断するに、刀の保管場所としても落第点と判断するしかなかった。そういった意味を込めて私は、「さすが烏丸ね」ともう一度嘆息を重ねる。


 とはいえ、目の前の日本刀には何の罪も無く、私の落胆などさぞ知った事ではないだろう。八百万やおよろずの精神に感化された私は、今しがた紐解いた布地を広げ直し、出来る限り丁寧に刀を包んでいく。


 するとその途中で、包みの置いてあった傍らに、走り書きのような黒い染みがある事に気付いた。注視してみれば、他の包みの傍にも一つ一つ同じような黒い染みが確認出来た。

 私は腰を落として、埃を手で払いまじまじと観察する。そうか、これは墨跡ぼくせきだ。毛筆で書かれた行書体は、部分部分が読みづらくはあったものの、おそらくは水主祀りを行った年号や、打ち手の名前が記されているのだろうと判断出来た。


 私は首だけを動かして、大雑把に包みの数を数えてみた。一見無造作に散在する、納められた刀剣類のその数を。

 ざっと数えただけでも、百以上はあると思う。

 それはやはり、百年以上という意味か。




 ああ──。

 屶鋼の血筋が打ち続けた刀。

 屶鋼の血筋が守り続けた伝統。


 刀匠。研ぎ師。白銀師。鞘師。

 しきたり。囃子。剣舞。舞い手。

 無意味な伝統と吐き捨てたくせに。

 ちっぽけなプライドと吐き捨てたくせに。


 酷く憎らしいものが、こんなにも愛おしいのは何故。

 鏡に映った自分のように、空っぽを思い知らされるのは何故。


 逃げられない空虚に、未だ背を向けては目を伏せている。

 全てはついえていく。屶鋼の継ぎ手は、私より先には無い。


 女人禁制の鍛冶場に、私の居るべき場所は無いのだ。

 屶鋼が途絶えたら、烏丸のしきたりはどうなるのだろう。




 仄暗い思考の群れが私の心を絡め取り、陰鬱な気分に浸していく。こんなものは、気が滅入るだけ。気が滅入るだけで、何の益体も無く、何の役にも立たない物思い。

 伝統なんて、しきたりなんて、言葉の綾みたいなもの。この町に生まれた以上、烏丸町に生まれ育った以上──自然の流れにのっとって、歴史の暴力に乗っ取られて、誰もが仕方なしに受け入れたものに過ぎない。


 そんなものに価値はない。そんなものに、価値があってたまるか。


 早急にそう結論づけて、力任せに一切の思慮を振り払う。この場所は、精神衛生上あまり宜しくない。適当なスペースに刀を収めて、早々に立ち去るべきだと立ち上がったその瞬間だった。


「わー! 先生、すごいですよここ。宝の山ですよ」


 私の背後から、甲高い女の声が突然に響く。若さを匂わせる活発な声色は、その好奇心を少しも隠そうとはしていない。驚きと共に入り口を振り返ると、門戸の内側に、二つの人影が並んでいた。警戒心が私の体を強張らせる中、その二人の姿をじっと観察する。


 向かって右側には小柄な女性。女性と言うよりも、少女とか女の子とか言った方が適切なくらいの華奢な体躯だ。身長だって、せいぜい百五十センチといったところだろう。見るからに分厚い丸メガネの奥に、爛々とした大きな瞳を輝かせている。それはいかにも「宝の山を見つけちゃった」といった感じの、天真爛漫な表情だった。

 メガネのテンプルに指を添えてその位置を微調整しながら、大きな瞳をぱちくりと瞬かせる少女。少々オーバーアクションのきらいがあったけれど、それでも幼さの残る顔立ちのせいか、はたまたその小さな体躯のためか、それさえもが微笑ましい印象に映る。


 しかしながらその服装は、可愛らしい外見にはおよそ不釣り合いの──迷彩柄一色だ。


 迷彩柄のハンチング帽を深めに被り、迷彩柄のジャケットに迷彩柄のパンツ。その足元を迷彩柄のワーキングブーツで固め、更には斜め掛けにした迷彩柄のショルダーバッグ。細く華奢な首に巻かれたチョーカーさえも迷彩柄と、何もかもが迷彩柄尽くめの徹底したアーミーコーディネート。裸電球の明るさだけでは識別出来ないけれど、もしかしたらそのメガネのフレームさえも迷彩柄だったりするのかもしれない。


「ふむ……。宝ねぇ。確かに俺らにとっては垂涎すいぜんまとだけれども、しかしどうだろう。宝の持ち腐れという素敵な言葉もある」


 向かって左側の大柄の男が、低く野太い声で言った。緩慢さを感じさせるゆったりとした口調が紳士的で、落ち着いた雰囲気を醸し出している。

 頭蓋骨の形の良さをアピールするかのような五分刈りの頭。日本人離れした彫りの深い顔立ち。けれど目元には柔らかさがあり、幽かな愛嬌が感じ取れた。年齢はどうだろう、三十代の後半といったところだろうか。隣の女性とは対照的にかなりの高身長で、その背丈は百八十五センチは下らないだろう。高身長に比例するようなガッチリとした体格が、服の下に蓄えられた鍛え上げられた筋肉を連想させた。


 しかしそんな事よりも特筆すべきは、この男の怪しさだった。紳士的な声色とは裏腹の、この男が全身に満遍なくまとっている怪しさ。


 その怪しさの根源は一目瞭然、大男の服装にこそあった。


 いやいや、迷彩尽くめの少女だって、すでに充分に怪しい出で立ちなのだけれど、とにかくその怪しさの根源である大男の服装を、あえて有り体に形容して表現するならば──。

 ド派手に彩色されたレーシングカーのような赤いボディスーツ。戦隊物のリーダー格であるレッドのような赤いボディスーツ。三分間しか戦えない光の巨人のような赤いボディスーツ。縦横無尽に飛び回る蜘蛛男のような赤いボディスーツ。どの例えを持ってしても、あながちハズれてはいないだろう。「自分こそが主役だぞ」と声高に叫ばんばかりの、自己主張の強すぎる強烈な服装が、彼の怪しさの根源だった。


 そもそも服装と言って良いのか? というくらいに個性的な出で立ちの彼らへと向けて、私は問いかけた。当たり前の疑問が、当然の疑問が、随分と遅まきながら私の口をいた。


「何者ですか? あなたたちは……仮装大会──なわけないか。泥棒? それとも変質者?」


 不本意ながらの震え声に、私の動揺が多分に滲み出ていた。彼らに問いかけながらも、同時に推測を巡らせる私。

 こんな真夜中の、人気の無い神社の一角──いや、まがりなりにも宝物庫に、突然に現れた不審人物が二人。男性二人ではなく片方が女性。逢い引きするカップルならば、わざわざ声を掛けてきたりはしないだろう。普通に考えれば、盗人という線が一番強いか。『盗人』──その言葉がどうにもしっくりと来ない。


 もう一度考える。大雑把に可能性を切り捨てていく。物取りとか泥棒とか、変態とか変質者とか、そういった存在ではなくて例えば、『怪盗』というのはどうだろう? それならば、彼らの奇怪な服装にも納得がいくというもの。真夜中の宝物庫に忍び込んだ怪盗──そもそもそんな発想が出てくる自分が滑稽に思える。ミステリー小説は確かに好きだけれど、この平成の世に『怪盗』だなんて、さすがに馬鹿げている。


 あれこれ考え巡らす私に向けて、大男が口を開いた。太く逞しい人差し指と親指をVの字にして、さもニヒルな感じでその顎を支えながら。


「ふっ……魅力的な大人とは、常に多くを語らないものさ」

「こらこら先生ダメですよ。礼儀を欠いては大人とは言えません。初対面の相手にはまずは自分から名乗らないと」


 流し目で私を見る大男に、小柄な少女からのダメ出しが入った。『先生』というのはどうやら、この大男のことを指しているらしい。芝居がかった役者のような低いトーンと、アニメの中の女の子のように耳にこびり付く甲高い声。二人の身長差も然ることながら、その中身もデコボコのコンビなのかもしれない。


「そうか、それは失礼した。……うむ。ではまずは君から頼む」

「もう、先生は本当に子供ですね。一番の年長者なんですから、自己紹介くらい自分から始めてくださいよ。ほら、いの一番いの一番」


 少女に促されても大男は黙ったままだ。そして私はと言えば、おそらく険しい表情を浮かべてそのやり取りを眺めている。


「もう、仕方ないなー先生は。では私からですね」


 舌足らずな彼女が私の方へと向き直し、先生と呼ばれた大男が短く頷いた。


「私の名前は繰絡糸織くりからいおり。あだ名はよっしー。えへへ、名前の中に糸が四つ。四本の糸でよっしーです。うふふ、稀有けうな名前でしょう? ええ、その通りです正解です。もちろん芸名です」


 自己完結の自己紹介に満足したのか、繰絡と名乗った少女は「えへへ」ともう一度はにかんだ。その満足気な表情に、「自己紹介なのに芸名なの?」という突っ込みを入れ損ねてしまう。芸名ということは有名人なのだろうか。何はともあれ、一気に緊張感がなくなってしまった。いや、油断は禁物だ。これも何かの作戦なのかもしれない。


「そして年齢は二十七歳です。そろそろもぎ頃です。えへへ、私はもぎ頃ですよ」


 そう言って後ろ手を組んでから、隣の大男へと横目をやる少女──もとい繰絡さん。横目というか、色目なのかもしれない。「さぁ次は先生の番ですよ」という意味なら横目だろうし、「先生、私はもぎ頃ですよ」という意味ならば色目なのだけれど、そこら辺の微妙な按配あんばいが私には判断しかねた。


 しかし二十七歳という年齢には素直に驚かされる。私の主観では、せいぜい同じ歳くらいにしか見えない繰絡さん。同じ歳どころか、中学生と言われても疑いなく信じてしまえるくらい、顔も仕草もその声色も幼い。


 少女と表現しても全く違和感のない、自称二十七歳の繰絡さんは、一向に自己紹介を始めようとしない隣の大男を、後ろ手を組んだままに右肘でつんつんと突付いている。


「んー、もしかして先生、人見知りだったりしますか? でしたら私が勝手に、有ること無いこと織り交ぜて代わりに話しますけど」

「……糸織、それは勘弁してくれ。お前のげんはいつも災いを招く」


 そう応える大男に私は、「よっしーって呼ばないの? あだ名じゃなかったの?」という突っ込みを入れたかったけれど、喉元の所でどうにか飲み込んだ。


「ええっと…………お嬢ちゃん、俺は内灘広葉うちなだこうようという者だ。広葉ってのは『広い葉』と書くんだが、実のところは『紅い葉』でもいい。どっちでもいい。それは任せる」


 内灘と名乗った大男は、素っ気なく言ったきりで再び黙り込んだ。もしかして「どっちでもよくはないでしょう」と突っ込んで欲しかったのだろうか。やっぱりどうにも緊張感がない。

 けれど、自己紹介の流れに気圧されるようにして私が──空気に流され過ぎる善良そのものの私が自己紹介を始めようとしたその時だった。


「私は──」「屶鋼梨沙ちゃん、十七歳。押切呼子おしきりよぶこ高校の二年生ですね。身長は百六十二センチ弱、まだまだ伸びているその途中。おっぱいも大きめ、というかスタイル抜群。幼児体型待ったなしの私としては本当に羨ましい限りですよ」


 私の言葉を遮るようにして、早口で捲し立てるように語った繰絡さんの言葉に、失いかけた緊張感が一気に戻ってくる。相も変わらず舌足らずな口調ではあったけれど、初対面の相手に自分のプロフィールを語られたら、その相手が小柄な女性とて最大級の警戒心を持つのが普通だろう。


「それからそれから、刀匠として全国的に名高い、屶鋼宗一郎さんのお孫さんですね。宗一郎さんは本当に立派な方です。烏丸町の誇りと言っても過言ではないと思います。ただ私が思うに、『屶』という漢字がちょっと残念ですね。もしも『屶』ではなく『鉈』だったら、まさに刀匠にピッタリの名前になっ──」「ちょ、ちょっと待ってください」


 揚々と話し続ける繰絡さんを、今度は私が遮る番だった。

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