回顧19-01 人間が先か、神様が先か
「どう……して?」
沈痛な声色で、ミコトくんが問いかける。
ミコトくんの両眼は、ツクヨミ様の瞳と瓜二つの色に染まっていた。何を想っているのか──何を映しているのかさえも判別出来ない、深い深い紫檀の色をした双眸。
そこから流れ続ける涙が、純白の輪袈裟の所々に黒い染みを落としていた。その涙は、海原を覆う重油の色だ。すべてを死に至らしめる──絶望の黒だ。
「なん……で?」
言葉を失くした私たちへ向けて、ミコトくんの背から伸びた漆黒の翼が大きく
無慈悲な神風の中で、ミコトくんのお母さんの亡骸が──もはや肉の細片でしかないその亡骸が、ぱきぱきと乾いた音を立てて凍りついていった。間を置かずして、氷の華となったミコトくんのお母さんはぱらぱらと砕け散る。ぱきぱきとばきばきと、小気味良いまでの音を立てながら、今度こそ本当に──木っ端微塵に散って無に還る。
「うふふ、氷葬とはこれまた美しいね。凄惨な過去を清算するにあたって、こんなに相応しいやり方はないと思うよ」
憐れむような声色でツクヨミ様が言った。私の視界の片隅で、内灘さんの表情が苦悶に歪む。
「その冷気に瞳の色──
そう言いながらツクヨミ様は、構えた鉄扇から仕込み刀を抜いた。神経を逆撫でる緩慢な笑みは、いつの間にか消えている。
貪るというツクヨミ様の言葉は、妙な得心さえも感じさせた。想いを感じ取るどころか、想いに喰らいつく──そうだとするならば、今の私が不思議と冷静で居る事にも、説明が付くのかもしれない。この現状を前にして、発狂せずに済んでいる私たちは、ある意味ではミコトくんに救われているとも言えるのかもしれない。
けれど想いなんてものは、次々に湧き上がるものなのだ。次から次へと懲りもせずに、意図する事なく際限なく湧き上がるものなのだ。呪われた躰に、夜毎訪れる絶望のように。
「ミコトくん、待って。話をしよう? 君のお父さんだって、こんな結果を望んだわけじゃないんだよ」
小娘でしかない私の口から、何の説得力もない言葉が放たれる。それでも私は、ありったけの想いを込めて言うのだ。
「ツクヨミ様も、その刀を収めてください。きっと話せば分かります。ミコトくんは、きちんと話せば分かってくれるはずです」
睨みを利かせる私に向けて、ツクヨミ様はやれやれとかぶりを振ってから答えた。
「君の主観など関係無いよ。今こうして、望まれない神が生まれてしまった。僕はこの烏丸町の産土神として、この状況に剣を振るわなくてはいけない──これはすでに、看過出来ない緊急事態だと思うよ」
その言葉には、明確な強い意志が込められていた。私の不手際など関係無く、ツクヨミ様は自身の存在理由を果たそうとしている。途切れようとしている安寧や安穏を、剣を振るう事で繋ぎ止めようとしている。
「でもっ!」
ツクヨミ様の短刀が、言葉の先を制するようにこちらへと向けられ、ほぼ同時にアラタが間に割って入った。
「ツクヨミ様、俺からも頼むよ。相手はまだ五歳の子供だぜ。神様もへったくれもないぜ」
見やればアラタは、酷く苦しそうな顔をしていた。アラタの想いも、相当に食べられてしまったのだろうか。
「……君たちも──僕を殺すの? 呪うの? 僕が何をしたの?」
「くそっ、ミコト、お前しっかりしろよ! そんなんじゃ『高い高い』も出来ね──」
アラタの言い終わりを待たずして、巨大な氷槍が私たちへと襲い来る。飛び退いて避けようとしたけれど、私たちの足元が凍り付いて動きを奪われる方がわずかに早かった。
諦めて目を瞑る私に、アラタが覆い被さるようにして体重を預けた。一瞬の迷いもないその行動に、思わず目頭が熱くなる。こうして二人仲良く串刺しならば、こんな結末も悪くないのかもしれない。どこか他人事のようにそう思いながら、ずぶりという生々しい音を両耳が捉える。
しかし、一向に訪れる事の無い痛みと衝撃に、私は恐る恐る目を開いた。
見やれば複数体の泥人形が連なり、氷槍の先端に串刺しになっていた。百舌の
慌てて内灘さんを見ると、力無く親指を立ててこちらを見ていた。ニヒルになりきれていない疲弊した顔が、現状の厳しさを物語っている。全身の裂傷に横たわったままの繰絡さんの周囲も、何体もの泥人形で厳重に保護されていた。
「梨沙ちゃん、新太くん──悪いが隠し玉は使いきっちまったわ。まぁ、愛息子相手にこの隠し玉はどの道使えないんだがな……」
結局は一時凌ぎでしかない──内灘さんの言外にそんな言葉がちらついた。泥人形の障壁の隙間から、繰絡さんが「えへへ」と微笑む姿が見える。その瞳は、大粒の涙に滲んでいた。
「……こうやって、みんなで僕を苛めるの?」
繰絡さんに呼応したのか、ミコトくんの瞳からも大粒の涙が流れ続けた。濡れた烏の羽色のような──烏丸町を呑み込もうとする漆黒の雫が、どぼどぼと地面に溜まっては広がっていく。
その涙は、神様の虚無に違いなかった。神様となったミコトくんにも抱え切れない、果ての無い深淵。その黒い水溜まりは、少しずつ私たちの方へと拡がっていく。ソレに触れた時、私たちがどうなってしまうのかは、想像する価値も無いほどに分かりきっていた。
「糸織、梨沙ちゃん、新太くん……本当に済まない。打つ手無しだ。ゲームオーバーだ」
「おっさん、勘弁しろよ。この場に及んでゲームとか言うなよ」
「そうですよ先生。僭越ながら私は、ここまで頑張ってきた先生を褒めて差し上げたいくらいです」
「ふはは、そいつは光栄だぜ──しかし糸織、あんまり喋ると傷口がひらくぞ」
「えへへ、たしかに出血多量で旅立つよりかは、ミコトさんに葬られたいですね」
「ちくしょー、何か閃かねーかな。大体こういうのってさ、危機一髪で何とかなるもんじゃん」
「新太くん、その考え方こそゲームオーバーだろうよ。前から言おうと思っていたんだが、君は時々ゲーム脳や漫画脳が過ぎる」
「はは、違いねーや。おっさんの言う通りだ」
「向こうに着いたら、皆さんでゲームでもしますか? あちらの世界の主流ハードは、一体何なのでしょうね。差し詰め、初代プレイステーションあたりでしょうか」
この期に及んでも冗談を飛ばし合う面々に、私は奇妙な愛しさを覚える。誰一人として、内灘さんを責めようとはしなかった。誰一人として、ミコトくんを責めようともしなかった。
私も同じだ。今なら不思議と笑って死ねる気さえする。
──けれど。
けれど、それじゃあ駄目なんだ。
私たちが笑って死んでしまっては、誰がミコトくんを救うんだ。
「……ツクヨミ様、お願いします。どうかミコトくんを救ってください。私たちは、もう何も望みません」
私は出来る限りの殊勝な面持ちを作って、ツクヨミ様へと切り出した。この期に及んでも算段を巡らす自分が滑稽で、途中から笑いが込み上げてくる。
「笑いながら僕に願うだなんて、めずらしい娘も居たものだね」
私の願いなど、掃いて捨ててきた願いの中のたった一つでしかないと──そう言いたげな冷淡な口調で、ツクヨミ様は答える。
「僕には、彼を救う理由がないよ」
「ええ、そうでしょうね……高尚な神様にとって、私たちの願いなど検討する価値も無いのでしょうね」
言いながら、更に大きな笑いが込み上げてきた。そして同時に、どうしようもない嗚咽も。
人は、どうしようも無い時には笑うしかないという。本当にその通りだった。泣き笑いの私は、その通りだと認めざるを得ない。
私がどれだけ知恵を絞っても、目の前の神様を説得する言葉が思い浮かばない。ツクヨミ様には、最初から取り付く島も無いのだ──だから私は、笑うしかなかった。
私たちは、このまま虚無に呑まれるのだろう。
ミコトくんは、その後でツクヨミ様に穿たれるのだろう。
もしかすると、穿たれるのはツクヨミ様の方かもしれない。
烏丸町は、果たしてどうなってしまうのだろう。
爺じだけでも、せめて生き延びてはくれないだろうか。
ひどく冷静に、そんなあれこれを思った。
笑いも乾いて、涙も乾いて──もう
そんな私に、ツクヨミ様は言う。
思いがけない言葉を、思いも寄らない言葉を──。
さも当たり前のように、私たちへと言い放つ。
「僕は産土神ツクヨミノミコト──この土地の創造主さ。その僕が、この状況を黙って見過ごすと思うのかい? さっきも言ったよね。これは看過出来ない事態だと。無能な人間たちは、ただ黙って神様に任せれば良いんだよ」
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