サキュバスパンデミック16

 ザワザワ

 ザワザワ


 大勢の人々のざわめきが聞こえ、ムチャはゆっくりと目を開けた。

「……はれ?」

 ムチャが辺りを見渡すと、そこは薄暗いステージの舞台袖で、暗幕の隙間から沢山の観客達が見える。いつのまにかムチャの姿は男の姿へと戻っていた。

「これは……」

 ムチャがボーっとしていると、誰かがムチャの肩を叩いた。

「ムチャさん、私達の出番ですよ! 本番前にボーっとしないでください!」

 それは、芸人らしいコミカルな衣装に身を包んだケセラであった。

「え?」


 突然の事にムチャは戸惑ったが、ケセラは強引にムチャの手を引き、舞台袖からステージへと飛び出す。

「どうもー! ケセラです!」

「ム、ムチャです!」

「二人合わせて」

「「ムチャとケセラです!!」」

 挨拶をした二人に、観客達は花火のような激しい拍手を送った。


「いやー、最近暑くなってきましたねぇムチャさん」

「そうですねケセラさん」

「暑いからといって私が薄着になると、今度はムチャさんの股間が熱くなっちゃいますから困りますよね」

「初っ端から下ネタはやめなさい!」

「うふっ、そしたら今夜は熱帯夜になっちゃったりして」

「だから下ネタはやめなさいって!」

「あなたー、晩御飯はスッポン鍋ですよ」

「やる気満々じゃねぇか!」

「あ! こんな所に活きのいいスッポンが……」

「触るんじゃねぇよ!」

「残念、スッポンかと思ったらゼニガメでした」

「失礼だなお前は! ジャイアントタートルくらいあるよ!」

「それは私が一番よく知っていますよ」

「赤裸々な告白をするんじゃないよ!」

「まぁ、十ヶ月したら私のお腹がジャイアントになっちゃうんですけどね」

「どんだけ元気な赤ちゃんを産む気だよ!」

「二人目はどうします?」

「気が早いんだよお前は!」


 二人の下ネタだらけの漫才に、観客達は手を叩きながら爆笑している。ムチャは漫才を続けながら、何かものすごーく色々とすっ飛んでいるような気がしたが、観客達の笑顔を見ているとそんな事はどうでも良くなってきた。


「いくらストレスが溜まっても妊婦がタバコ吸ったらダメだろ! ニコチンは体に悪いんだぞ!」

「チンが二個もあったら私が大変ですよ」

「お前ニコチンをなんだと思ってるんだよ!?」


 ムチャの中に、色々な記憶が蘇ってくる。

 ムチャとケセラは今王国中で大人気のお笑いコンビで、下ネタの多いそのネタの性質からか、一部の人々からは品が無いと嫌われているが、二人の出場するお笑いライブにはいつも多くの観客達が集まり、単独ライブも開かれる程だ。


「もし結婚したら、家事や子育てを手伝ってくれますか?」

「もちろんですよ! こう見えて私は料理も上手ですからね」

「これで床上手だったら何も言うこと無いんですけどねぇ……」

「うるさいよ! 余計なお世話だ!」


 ムチャとケセラは王国中を旅して、何度も挫折を味わいながら、その度に互いに支え合って、これまで数々の人々を笑顔にしてきた。そしてこれからも、そんな旅を続けるつもりだ。いつか死を迎えるその時まで。


「ムチャさんは甲斐性無さそうですしねぇ。結婚したら奥さんは苦労すると思いますよ」

「うるせぇなぁ! 汚い話ですけど、これでも結構ギャラは貰ってますからね」

「お笑いの事ばっかりでちっとも奥さんの事構ってあげなそうですよね」

「芸人なんだから仕方ないでしょうが!」


 ムチャはとても幸せだった。

 沢山の観客達と、その笑顔、咲き乱れる拍手と、雨のようなおひねり。そして、隣にはかけがえのない相方がいる。


「まぁ何だかんだ言っておりますけれども、そんなあなたを好きになってしまったんですよ」

「急に何を言いだすんだよ、お客さんの前で! ほんと皆さんすいませんね」


 でも、どうしても違和感が拭えない。


「というわけでね、ムチャさん、これからも私と一緒にいてくれますか?」

「当たり前でしょうが! 相方なんだから」

「じゃあ……私と結婚してください」

「はい?」


 不意に、歓声が止まった。

 静寂が二人を包み込み、まるで時が止まってしまったようだ。


「ムチャさん」


 ケセラはムチャに呼びかける。

 するとムチャはケセラをジッと見つめ、言った。


「そんな人生も、ありかもしれないなぁ」


 ケセラの目が潤み、その瞳に涙が浮かぶ。


「でもよ」


 ムチャは言葉を続ける。

 そして叫んだ。


「夢は夢だ、人生じゃねぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇえええええええええ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」


 ムチャの絶叫に空間が震え、ヒビが入る。そして目に映る全てがガラスのように砕け散った。


 そして真っ白な空間が現れる。


 そこにはいつものサキュバススタイルのケセラとムチャ、そしてポカンとして立っているトロンがいた。


「ケセラ、卑怯な事するんじゃねぇ。俺達は友達だろ」

「ムチャさん……」

「気持ちを伝えたいなら「まっすぐ」だ。お前のど直球の下ネタのようにな」


 それを聞いたケセラは、力強く頷き、息を大きく吸う。そして叫んだ。


「ムチャさん! 私はあなたが好き!!!!」

「ごめんなさいっ!!」

「早っ!?」


 そしてあっさりと振られた。


「ちょちょちょ! 待ってくださいよムチャさん! もうちょっと考えてくれても……」

「ダメだ! 俺は今お笑いで忙しいの!」

「夢の中でもお笑いはできるじゃないですかぁ!」

「そうかもしれないけど、ダメなもんはダメなんだ!」

「エッチな事しますから!」

「もう下ネタじゃなくてただの下の話じゃねぇか!」

「どんなプレイでもしますから!」

「別に変態プレイを望んでないから!」

「私じゃダメなんですか!?」

「……何が?」

「相方も……恋人も」


 そこでムチャは口をつぐみ、ピタリと固まる。

 ムチャはこれまでそんな事を考えた事がなかった。

 恋人が必要だと思った事は無いし、相方は確かにトロンでなければならない理由はない。成り行きでコンビを組んだようなものだ。むしろ勢いで無理矢理寺院から連れ出したところもある。だからといってここでコンビを解消して、「はい、サヨナラ」というわけにもいかない。


 ここでムチャは頼れる相方に意見を求めてみる事にする。


「なぁ、トロンはどう思う?」

「え? それは自分で考えて」


 ムチャからのキラーパスを受けた現相方は、いつになくドライであった。

 ムチャは頭を抱え、たっぷりと時間をかけて考える。座り、立ち、また座り、立ち、ウロウロして、止まり、座り、立ち、またウロウロする。そしてムチャは答えを導き出した。

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