ナップ達の控え室
その頃ナップは、控え室にて闘技場専属の医師による診断を受け、医療魔術師による治療をを受けていた。
ベンチに横になって治療を受けるナップの横で、フロナディアは心配そうにナップの顔を見つめている。
「フロナディア様……」
治癒魔法で顔の腫れが少しだけ引いたナップが口を開く。
「何でしょうか?」
フロナディアは拳の皮が剥けたナップの手を握った。
「負けて、しまいました」
「そうですね」
「申し訳ありません」
「なぜ謝るのですか。私もナップ様と共に戦ったのですよ。これは二人の敗北です」
「……そうですね」
ナップの手を握るフロナディアの手から、優しげな緑色をしたオーラが流れ込む。
「フロナディア様、私は大丈夫ですから無理しないでください」
「いいえ、私がこうしていたいのです」
「……感情術の使い方がすっかり上手くなりましたね」
「えぇ、ナップ様のおかげで」
「あなたがいなければ私はここまで来る事はできませんでした。本当にありがとうございます」
「お礼を言うのはこちらですわ。でも、私達が出会ってから今まで、たった一ヶ月ほどの事でしたが、色々大変でしたね」
「えぇ、本当に。初めてフロナディア様に会った時は、とんだじゃじゃ馬だと思いましたよ」
「確かに、そう思われて仕方がない事をしましたが……ナップ様こそ、私の胸に顔を埋めてスケベな方かと思いましたわ!」
「あ、あれは事故ですよ!」
「でもあれのおかげでナップ様から剣を教えてもらうきっかけになりましたものね」
「あの時はどうなるかと思いましたよ」
「ナップ様が意地悪で無理難題を押し付けて、屋敷から逃げ出そうとした事は忘れませんわよ」
「だ、だからあれは悪いと思って後から正直に話して謝ったじゃないですか!」
「あの時の血豆の跡がまだ残ってますわ。毎日剣を振っていたからほら、こんなに皮が硬くなって」
「頑張った証ですよ。これからも基礎は続けて下さいね」
「そういえば、闘技場に初めて行った時はとても怖かったですわ」
「あの時は大変でしたね。一時は死ぬかと思いましたが、まさかフロナディア様があんなに大暴れするとは」
「もう、それは言わないでください。ナップ様のピンチで無我夢中だったのですから」
「あの時はありがとうございました」
「いえいえ、あれからは私がナップ様に助けられてばかりでしたもの」
「あの荒くれ者達の集う闘技場の中で、あなたは荒野に咲く一輪の薔薇のようでした」
「まぁ、相変わらずお上手なんだから」
「最初はほんの蕾だったのに、一戦毎にあなたは花開いてゆきましたね」
「そんな事ありませんわ……」
「感情術の扱いも最初はただ垂れ流すようだったのに、今では立派に実戦で使えるレベルです」
「ナップ様に比べたら、私などまだまだですわ」
「あなたの背を守りながら、あなたの背が日に日に大きくなるように感じていました」
「ナップ様が背を守ってくれたからですわ」
「私達は不思議と息が合いましたね、これまで会ったどの心神流の武芸者よりも息が合いました」
「それなら、これからもずっと……」
「初めはあなたを背負っていたのに、いつのまにか私はあなたを頼るようになり、あの怨霊使いとの戦いはあなたがいなければ絶対に勝てなかった」
「ケルナの街に帰れば、また戦うことがあるかもしれませんね」
「今日、あなたに背中を押された時に感じました。あなたは私の良きパートナーだと」
「ナップ様、次はどんな相手と戦うのでしょうか。次はどんな稽古をしましょうか。ねぇ、ナップ様……」
「フロナディア様」
フロナディアの言葉を、ナップの言葉が遮る。
「あなたは、強くなりました」
それはナップからフロナディアに対する賛辞の言葉であったが、それは同時にナップとフロナディアの別れが近い事を意味していた。
ナップとフロナディアの契約。それはフロナディアが強くなるまで、ナップがフロナディアに剣を教えるという約束であった。
「そんな……まだ私は弱いです。もっと、もっと私を鍛えて下さい。側にいて下さい」
悲しげな目をしたフロナディアを見て、ナップはいつもの困ったような笑みを浮かべた。
「私があなたに教えられる事はもうありません。本当に、何も」
「そんな事ありませんわ! だって、だって私は……」
「私はまたあの二人を追って旅を続けねばなりません。あなたにはあなたの家族がいて、あなたの人生があります。あなたはその剣と心で、大切な人を守り続けて下さい」
フロナディアはいつのまにか泣いていた。
ナップはそんなフロナディアの頭を優しく撫でる。
「大丈夫です。生きていれば、また必ず会いに行きますから」
フロナディアの嗚咽が控え室に響く。
「本当に、本当にありがとうございました。ナップ様……いえ、師匠」
「私達は師弟じゃありませんよ。離れてもずっと、私達はコンビです」
フロナディアはナップの胸に顔を埋めて泣いた。
ナップはそんなフロナディアの頭をいつまでもいつまでも撫で続けた。
医療魔術師はすっごく気まずかった。
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