ムチャとナップ

 ムチャは服の袖でグシグシと涙を拭い、ナップを見た。ゼイゼイと肩で息をしながらも、堂々と立つナップの姿は、以前のただの二枚目顔の剣士とは違い、一人の「漢」の顔をしていた。

「お前、強いんだな」

 ムチャが呟いた言葉に、ナップは笑みを堪えるようにグッと奥歯を噛み締めた。

「悔しいが、その言葉が嬉しく思える」

 ムチャは辺りを見渡し、自分の剣を探す。

 しかし、ムチャの剣は先程の爆発でリングの外に落ちてしまっていた。

 それを見たナップは剣を手放した。


 カラン


 リングに金属が落ちた音が響く。

「いいのか?」

「ここまできて、素手の君に剣で斬りかかる程無粋では無い」

 ナップは拳を握りしめた。

「拳でケリをつけよう」

「そういうの、好きだぜ」

 ムチャはニヒルに笑い、拳を構える。

 ちなみにナップが言ったセリフは、ムチャの言ってみたいセリフランキング第二位にノミネートされていた。


 リングに一陣の風が吹く。


 次の瞬間、二人は同時に踏み込み、拳を交錯させた。


 ゴシャッ!


 二人の拳は互いの頬にめり込む。

 互いにパンチを食らったが、ナップの方がリーチが長い分、ムチャが受けるダメージの方が大きい。

「ぶっ!」

 ムチャは鼻血を出しながらよろめく。しかし、ムチャは素早く立ち直ると、姿勢を低くしてナップの懐に潜り込んだ。そして腰の入ったボディブローをナップの脇腹に叩き込む。

「ごはっ!」

 ナップの肋骨に痛みが走った。

 だがナップは倒れない。痛みをこらえ、懐にいるムチャをえぐるようにアッパーカットを見舞う。

「がふっ!」

 顎を打たれ、ムチャの意識が一瞬霞んだ。

 続けてナップの右拳がムチャへと振り下ろされた。

 ムチャは自ら頭を前に出し、それを額で受ける。

「つっ!」

 頭蓋骨の硬い部分に右拳を打ち付けてしまい、ナップは拳を痛めた。ムチャはわりと頭が柔らかい方だが、頭蓋骨は硬かったのだ。

 痛みで一歩下がったナップの鳩尾に、ムチャの右ストレートが突き刺さる。

「げはぁ!」

 ナップの口からは大量の息が吐き出されたが、吐瀉物を出すのはなんとか踏みとどまった。

 ムチャが追い打ちに拳を振り上げる。そして頭の下がったナップに右ストレートが放たれた。ナップがそれに合わせて左フックを放つと、カウンター気味にムチャの右頰をナップの拳がとらえる。

 ムチャの口内が切れ、鉄の味が口内に広がる。

「ぷっ!」

 ムチャがリングに唾を吐くと、その色は真っ赤に染まっていた。

「お前は巫女様を愛しているのか?」

 ナップは唐突に聞いた。

「は?」

 急過ぎる質問にムチャはポカンと口を開けた。

「愛しているのかと聞いている」

 ナップの問いに、ムチャの顔が腫れとは別に赤くなる。

「こんな時にバカかお前! 愛してるわけないだろ!」

「ではなぜ攫ったのだ!」

 赤くなったムチャの顔面をナップの拳が叩いた。

「ってぇ! トロンがつまらなそうにしていたからだよ!」

 ムチャもナップへと一撃を返す。

「ぷっ。そんな下らぬ理由で! 巫女様を! 放浪者同然の旅に連れ出したのか!」

 ナップの三連撃がムチャを打つ。ムチャは大きくよろけた。しかしまだしっかりと立っている。

「ふざけんなよ、てめぇらの都合でトロンを閉じ込めやがって!」

 ムチャのワンツーがナップへ炸裂する。ムチャの拳をナップの鼻血が染めた。

「私はただ、巫女様には安全な場所にいて欲しいだけだ!」

 ナップのボディブローがムチャの腹に刺さった。

「ごふっ! お前とは分かり合えないな!」

 ムチャのアッパーがナップの顎を跳ね上げる。

「同感だ!」

 ナップのフックがムチャの頬に刺さる。

「お前、トロンの笑顔見た事あるか?」

「……無い」

「あいつ、笑うと可愛いんだぞ。ちょっとだけな」

 ムチャはナップにしか聞こえぬようにボソリと言った。

「それが見られるのは……羨ましいな。ちょっとだけな」

 二人は互いにニヤリと笑った。


 それからも二人は一進一退の殴り合いを続けた。

 それは実に地味な戦いであったが、二人の拳がぶつかり合う度に観客達は歓声をあげた。

 二人が殴り合いを始めてしばらく経った頃、フロナディアは立ち上がれる程に体力が回復していたが、自らの出番は終わったと悟り、リングを降りて祈るように二人の戦いをただ黙って見守っていた。

「あなたを信じると言ったのですもの」

 一方、ムチャの相方である巫女様はリングサイドでカンカンと杖を打ち鳴らしながら騒いでいる。

「いいよー、ムチャいいよー、右ね! もっと右を打ち込むね! 相手はもうグロッキーよ! そこでワンツーよ! よーし、ムチャいいよー!」

 トロンは意外とスポーツ観戦が好きであった。


 そして、どれほどの時間が過ぎたであろうか。観客達の喉が枯れ始めたころ、殴り合いを続ける二人の顔面は互いにパンパンに腫れ上がっていた。

 二人の膝はまるで一本綱の上にいるかのようにガックガクに震えている。拳も既に開けぬ程にガチガチに固まっていた。

「ほろほろへっはふほふへほう(そろそろ決着をつけよう)」

「ほふはは(そうだな)」

 対峙する二人の拳から、弱々しく赤いオーラが湧き上がる。

 そして二人は最後の力を振り絞り、拳を振り上げた。


「「激昂拳!!」」


 奇しくも二人が放った技は同じ技であった。

 まるでスローモーションのように拳が交差し、互いの顔面に拳が迫る。

 しかし、同じ技ではやはりナップの方がリーチが長い。ゆっくりと流れる時の中で、ナップは勝利を確信した。

(巫女様……私はあなたを必ず……)

 その時ナップの目に、ムチャの背後にあるリングサイドにいるトロンの姿が小さく見えた。


 ムニュウ


 トロンは手で自らの顔を歪め、とんでもない顔をしていた。

「ぶふっ!」

 思わず吹き出したナップの拳が標的から僅かにずれ、ムチャの頬をかすめる。そしてナップの視界にはムチャの拳がワイドに映った。

(巫女様……その顔は反則です……)


 ドグシャア!!!!


 ナップの顔面にムチャの拳がめり込む、そして真っ赤な衝撃がナップの全身を貫き、ナップは後方へと吹っ飛んだ。


 ドサッ


 ナップはリング上に仰向けに倒れた。

 ナップの目に映る空は雲一つ無く、とても綺麗だ。

 今リングに立っているのは、オークのように顔を腫らした少年が一人、それは即ち、彼の、いや、彼等の勝利を示していた。


「勝者!! 最強の芸人コンビ・ムチャとトロン!!」


 司会者の声が闘技場に響く。

 観客達は枯れた喉を震わせ、四人に盛大な歓声を送る。

 ムチャとトロンコールは、闘技場から溢れ出し、アレルの町全体に響き渡った。

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