ナップの回想5
その後、ナップとフロナディアは部屋に戻り、ナップはフロナディアの手に包帯を巻いていた。
包帯を巻くナップの手からは淡い緑色をした楽の感情術が流れ、フロナディアの手を包んでいる。
「うふふ、なんだかくすぐったいですわ」
包帯を巻かれながら、フロナディアはモゾモゾと身をよじる。
「動かないでください。感情術を使いこなせれば治癒に役立てる事もできるのです」
「はぁー、便利なものですねぇ」
包帯を巻きながらナップはフロナディアに聞いた。
「しかし、フロナディア様はなぜそこまでして強さを求めるのですか? 財力も家柄もあり、何不自由する事が無いあなたが、一個人の武力などを求める必要は無いと思われますが……魔王軍がいた頃ならいざ知らず、今は平和な世の中ですよ」
ナップの問いに、フロナディアは少々沈黙した後に答えた。
「そうですね、魔王が倒された今、私が武力を求める必要は無いのかも知れません」
「ではなぜ? この美しい手は剣を振り回して豆だらけにするよりも、ピアノやバイオリンを弾いて美しい旋律を奏でる方が似合っています」
ナップは歯の浮くようなセリフを言うのを躊躇わない男であった。
「うふふ、ナップ様はおべんちゃらがお上手ね」
「いえ、おべんちゃらでは……」
フロナディアは思い出すように目を閉じる。
「もう十年以上前でしょうか……」
そして自らの過去を語り出した。
現在から約十年前、まだ剣聖が魔王を倒すための旅をしていた頃、魔王軍とベリス王国軍の争いは激化の一途を辿っていた。各地の戦場では多くの血が流れ、国のあちこちにピリピリとした空気が満ちていたのだ。
そんな中、王国の中でも最も戦場から遠いムイーサ地方は割と平和であった。
「暇だなぁ」
ムイーサの要塞の門を守る、若い門番が呟いた。
「最前線で死ぬ思いをするよりはましさ」
数メートル隣に立つ門番も呟いた。
「そりゃまぁ、そうだけどさ……」
若い門番はチラリと相方の左腕を見る。その腕は義手であった。
「でも魔物も出ないのにこんな所で立ちっぱなしだと、何やってんだろうなぁって思うんだよ」
「この前出ただろう」
「そういえば出たな、ゴブリンが二、三匹」
そこに一台の馬車が現れる。
「いや、大物が来たぞ」
若い門番が呟くと、馬車が門の前に止まる。そして馬車上から一人の紳士が帽子を取って門番達に挨拶をした。
「どうも、グリームス卿」
それは今よりも毛髪の黒いリボシー・グリームスであった。
「やぁ、変わりはないかね?」
「はい、相変わらずです。今日はお孫さんは……」
隻腕の門番が問うと、小さな人影が馬車上から飛び出した。その小さな人影は、木剣を手にして若い門番に襲いかかる。
「おっと」
若い門番が身を躱すと、人影は門番を追って木剣を振り回す。
若い門番はその辺に落ちていた木の枝を拾い、謎の襲撃者と数回打ち合った。やがて木の枝が折れ、門番の腹に木剣が触れる。
「ぐぁぁぁあ! やーらーれーたー!」
若い門番はわざとらしく声を上げ、膝をつく。
「鍛錬が足りませんわ!」
門番を見下ろしながら木剣を突きつける謎の襲撃者の正体は、まだ幼いフロナディアであった。
幼いフロナディアは用事のあるリボシーにくっ付いて、頻繁にムイーサの要塞を訪れていたのだ。
「いやはや、フロナディア様には敵いませぬな」
「また腕を上げましたな」
そう言って門番達はハハハと笑う。
「私は将軍に用があるのでな、少し相手をしてやってくれ。フロナディア、用が済んだら迎えに来るから、遊んで貰っていなさい」
「はい! お爺様!」
フロナディアは笑みを浮かべて返事を返す。
「お任せ下さい。フロナディア様に剣の稽古をつけていただきます」
門番達がリボシーに敬礼すると、リボシーはフロナディアを門番達に預け、門を潜り要塞の中に入って行った。
「さぁフロナディア様、今日も稽古をつけましょうか」
「えぇ、よろしくてよ」
リボシーが用を済ませている間、フロナディアはいつも門番や手の空いている要塞内の兵士達に預けられ、剣術を教えて貰うのが常だった。
フロナディアには剣術の才があり、練兵で磨かれた兵士達の剣をみるみるうちに吸収し、そのおかげでフロナディアの剣の腕は、そこらの剣術道場に通う少年達に負けない程の腕前になっていたのだ。
「いきますわよ」
「次は私がお相手しましょう」
フロナディアは木剣を構え、隻腕の門番は適当な枝を拾い、構える。
要塞の門前には、しばらく打ち合う音が響き続けた。
小一時間稽古をした後、フロナディアは番兵所で菓子を頬張っていた。
「お二人はどうして前線に出ませんの?」
上品に菓子を食べながらフロナディアは二人の門番に聞いた。
その問いに二人は苦笑いを浮かべる。
「私は以前前線にいたのですが、怪我でこっちに送られましてね」
隻腕の門番はガシャリと義手を外して見せる。
「まぁ、名誉の負傷ですのね」
フロナディアはそれをまじまじと見つめる。そして若い門番にも聞いた。
「あなたは?」
「俺は運が良かったんだよ。軍の人事に知り合いがいて、安全な地方に回して貰ったんですよ」
「なぜですの?」
「そりゃあ……前線は危険ですからね。怪我したく無いんですよ」
「まぁ、あなたは臆病ですのね。前線で活躍すれば報酬も出るでしょうに」
フロナディアの無邪気な批判に二人はまた苦笑いをした。
「おっしゃる通りです。しかし、この地にいても大切な仕事があるのですよ」
「未来の女将軍様の遊び相手とかね」
そう言って二人は朗らかに笑った。その笑いに揶揄いの意味が込められていることを察し、フロナディアは頬を膨らませる。
「私が将軍になったらあなた方は退役までトイレ掃除ですわ」
「ハハハ! そりゃあ良い!」
番兵所に笑い声が満ちた時、一人の兵が番兵所に駆け込んできた。
「伝令! 魔王軍襲来! ガーゴイルの群れだ!」
それを聞いて、二人の門番の笑いはピタリと止まった。
門番二人は番兵所の外に出て空を見上げた。そこには変哲の無い青空が広がっている。しかし、どこからかバサバサという大きな羽音と、兵士達の騒ぎ声が聞こえてくる。
「北の方だ、ここからは見えん。かなりの大群だ」
駆け込んできた兵士が言う。
「戦闘の用意をしろ! ……その娘は」
兵士が菓子を手にしたフロナディアに気付いた。
「あぁ、グリームス卿のお孫様だ」
「なんとタイミングの悪い……お前達はその娘をお守りしろ」
「承知した!」
隻腕の門番が返事を返すと、兵士は要塞の中へと駆けて行った。
「フロナディア様、緊急事態です! こちらへ!」
フロナディアは訳の分からぬま番兵所の外に連れ出された。要塞の向こう側からは、戦闘の音と、鳥のような甲高い奇声、そして兵士達の怒号が聞こえた。ガーゴイル達の襲撃が始まったようだ。
フロナディアは二人の門番と共に要塞の内部に入り、慌しく兵士達が往来する中をすり抜けるように駆けた。
その中で、フロナディアは初めて人と魔物の戦闘を目の当たりにした。
兵士の槍がガーゴイルを貫き、ガーゴイルの爪が兵士を鎧ごと引き裂く。
所々で見られるその凄惨な光景にフロナディアは震えた。
「フロナディア様、見てはいけません」
そう言われたが、フロナディアはその光景から目を離すことができなかった。
しばらく駆けた後、先を行く隻腕の門番が立ち止まった。そして小綺麗な鎧を身に付けた一人の兵士に声をかける。
「グリームス卿は地下路か!?」
兵士は答えた。
「あぁ、そのはずだ!」
「わかった! フロナディア様、グリームス卿はご無事なようです。すぐにお連れしますからご安心を」
隻腕の門番がぎこちない笑みをフロナディアに向けた瞬間、天井の一部が崩れ落ち、三人の行く手に一体のガーゴイルが現れた。フロナディアは驚き、手に持っていた木剣を取り落す。
「くそっ!」
隻腕の門番は素早く剣を抜き、ガーゴイルに斬りかかる。しかしその剣は鋭い爪により弾き飛ばされた。
「うおらぁ!!」
武器を失った隻腕の門番は、素手のままガーゴイルの懐に飛び込み、右腕で胴を抱えるようにガーゴイルを押し倒す。そしてもつれながら床を転がった。
「フロナディア様を頼む!」
隻腕の門番の言葉に若い門番は一瞬戸惑ったが、力強く頷くとフロナディアを脇に抱えて駆け出した。
「待って! あの方が!」
フロナディアが叫んだが、若い門番は振り返らずに地下路までの道を駆け続けた。
若い門番はやがて地下路への扉へとたどり着き、放り込むようにフロナディアを扉の中へと押し込む。
「フロナディア様、ここを真っ直ぐお進み下さい。グリームス卿がおられるはずです」
そう言って若い門番は有無を言わせず地下路への扉を閉じる。
「待って! あなたも一緒に……」
フロナディアは閉ざされた扉を開けようとしたが、その扉は反対側から強く押され開かない。
扉を抑える若い門番の背後には、数匹のガーゴイルが迫っていた。若い門番は扉に素早く閂を掛け、剣を抜く。そして雄叫びを上げてガーゴイルに斬りかかった。
フロナディアは扉の前にヘタリ込む、すると背後からリボシーの声が聞こえた。
「フロナディア! 無事だったか!」
リボシーは数人の護衛の兵と共に、フロナディアを待っていたのだ。
リボシーはフロナディアに駆け寄ると、ガタガタと震えるフロナディアを抱きしめた。
そこから先はよく覚えていない。
気がつくと、フロナディアは地下路の隠し部屋の中で気絶していたらしい。
戦闘が終わり、ガーゴイル達の居なくなった要塞の中をフロナディアはリボシーと共に歩いた。
地下路への扉の前では、若い門番が扉を背負うように倒れていた。
更に歩き、ガーゴイルの死骸にのしかかるように事切れている隻腕の門番の姿を見つける。
ガーゴイルの死骸の口には、フロナディアが落とした木剣が深々と突き刺さっていた。
フロナディアは、命を賭して自分を守ってくれた二人の英雄に、何度も祈りを捧げた。そして今も、年に数度二人の墓に花を手向けている。
「あの時思いましたの。もっと強くなりたいと。せめて自分の身くらいは守れるように。あの二人のように、いざという時弱い者を守れるようにと」
ナップは包帯を巻く手を止め、フロナディアの話に聴き入っていた。そして言った。
「明日から……厳しく稽古しましょう」
「はい、ナップ様」
フロナディアは微笑んだ。
「それから、部屋を別にしていただければ助かるのですが」
「あら? どうしてですの?」
フロナディアの頭上にハテナマークが浮かぶ。
「寝不足になるので……」
窓から差し込む月光に照らされたフロナディアの姿は、月に負けないくらい眩しかった。
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