ナップの回想3

「ナップ様、はい、あーん」

「あーん……」

 騒動の翌日、ナップは虚ろな目をして、フロナディアと共にグリームス家の屋敷にある無駄に広い庭で、フロナディアお手製のサンドウィッチを頬張っていた。しかし、のんびりデートをしているわけではない。フロナディアに剣の稽古をつけた後の休憩時間なのだ。

「で、挙式はいつにします? はい、あーん」

 フロナディアは満面の笑みを浮かべて、ナップに八個目ののサンドウィッチを差し出す。

「モグモグモグ……ですから……モグモグモグ……結婚は……モグモグモグ……しませんってば」


 話は昨日に遡る。あれからナップはリボシーにグリームス家の大広間に呼び出された。広間にはリボシーを含むグリームス家の一族が集まっていた。

「いやはや、英雄殿はお手が早いですな」

「あのおてんばフロナディアをあっという間に手篭めにするとは」

「戦場に生きる男は子孫を残すために精力が強くなると言いますものねぇ」

「しかし良かったなぁ、フロナディアに嫁の貰い手ができるとは」

「今まで結婚を申し込んできた貴族のご子息を何度返り討ちにした事か……」

 広間に集まった面々は皆口々に好き勝手な事を言っている。

「あの、皆々様方、何の話をしているのか私にはさっぱり……」

 ナップがそう言うと、リボシーがナップに歩み寄り肩を叩いた。

「はっはっは、ご冗談を! 私は見ましたぞ、ナップ殿が押し倒したフロナディアの胸に顔を埋めてご満悦になられているところを」

「いや、それは……!!」

「我が孫ながらフロナディアは良いものを持っておりますからな!」

「だから……!!」

 ナップは必死に弁解をしようとしたが、グリームス家にナップの弁解を聞いてくれるような常識人はいなかった。

 そこに、乱れた服を着替えたフロナディアが現れる。

「フロナディア様! フロナディア様からもこの方々に誤解だとお伝えください!」

 ナップがフロナディアにすがりつくと、フロナディアはナップの顔を見つめ、頬に手を当てる。そして、

「やだ、ナップ様、フロナディアって呼んでくださいまし」

 と顔を赤らめた。

 それを見た一同は、微笑ましい目で二人を眺める。

「うわぁぁぁぁあ!!」

 ナップは頭を抱えた。まるで蟻地獄にはまった蟻の気分である。

「で、挙式はいつにしようか?」

 リボシーがナップに尋ねた。

「ですから! 私はフロナディア様と結婚などしませんよ!」

 ナップがそう言うと、広間が急にざわつき始める。

 リボシーはスッと目を細め、ナップの肩を掴んだ。

「ははは、英雄殿とはいえ、責任はお取りにならねば……」

 口角は上がっているが、その目は笑ってはいない。ナップの肩が万力で締められたようにミシリと音を立てる。

「せ、責任……責任と言われても……」

 ナップは肩の痛みに顔を引きつらせながら、フロナディアを見た。

「ナップ様、妊娠一時間ですわ」

 フロナディアは愛おしげに腹を撫でている。

「ほれ、孫もこう言っておる」

「そんなわけないでしょう!!」

「ナップ様(のタックル)はとっても激しかったです……私は(頭を打って)気絶しそうでしたわ……」

「フロナディア様!!??」

 ナップはその後も必死の弁解を繰り返したが、肝心のフロナディアが意味深な言葉を発し続けるために、誤解が解ける事は無かった。

 その日は結局軟禁同然に屋敷に泊まることになり、朝方フロナディアに起こされて剣の稽古に付き合う事になったのだ。そして午前中いっぱい汗を流し、今に至る。


「フロナディア様……モグモグ……なぜ誤解を解いてくださらないのですか……モグモグ」

 ナップの口には十二個目のサンドウィッチが押し込まれていた。

「あら? 解いて欲しいんですの?」

「モグモグ……そりゃあそうですよ……モグモグ……私にはやらねばならぬ事があるのですから」

「やらねばならぬ事って何ですの?」

 ナップは十三個目のサンドウィッチを食べながら、自分に課せられた任務をカクカクシカジカとフロナディアに説明した。ムチャがうんと悪い奴に聞こえるように。

「まぁ、そうでしたの。その二人は身分を超えた愛の逃避行をしていて、ナップ様はそのお邪魔をしようとしているのね」

 あながち間違ってはいないが、やはりフロナディアは理解してくれなかった。

「そのような野暮はおやめになれば良いのに」

「そうもいかないのですよ……モグモグモグ」

 ナップの口には十四個目サンドウィッチが収まっていた。

「ナップ様はその巫女様を愛しておられるのですか?」

 フロナディアの唐突な言葉に、ナップは頬張っていたサンドウィッチを盛大に吹き出す。

「あ、愛!? そんな恐れ多い! 私はただ自らの任務を全うしたいだけなのです!」

「なぜですの?」

「なぜと言われても……ムグ」

 ナップはフロナディアに口元を拭われながら、ポリポリと頭を掻いた。

「そもそも、フロナディア様も昨日会ったばかりの私と結婚なんて嫌でしょう?」

「いいえ」

 フロナディアはナップの問いに即答した。あまりの即答ぶりにナップが耳を疑った程だ。

「なぜですか!? フロナディア様ほど家柄もよく……そのお美しい方なら、いくらでも結婚相手はいらっしゃるでしょう? 何も私じゃなくても……」

 フロナディアはふるふると頭を振る。

「私、私より強い方とでなければ結婚したくありませんの」

「はぁ……」

「今まで何人もの殿方にあのような闇討ちを仕掛けましたが、誰一人私を倒した方はいませんでしたわ。それをナップ様はアッサリと……」

 ナップは思った。「このお嬢様は頭のネジが足りない」と。

「しかも押し倒して私の純潔まで……」

「奪っていません!」

「冗談ですわ」

 ナップはもうこのお嬢様についていけなかった。ナップが頭を抱えると、フロナディアは言った。

「ではこうしましょう、私がナップ様と同じくらい強くなるまで剣の先生になって下さいまし」

「何ですって?」

「私、もっともっと強くなりたいんですの。もし私がナップ様と同じくらい強くなれたのなら、ナップ様の誤解を解いて差し上げますわ」

 どうやらこのお嬢様、ナップとの結婚はともかく強くなりたいらしい。遠回しに「私を強くしないと誤解を解かないぞ」とナップを脅迫しているのだ。

 その馬鹿馬鹿しい提案を聞いて、ナップはすっかり呆れ果てた。

「そんなのいつになるかわからないじゃないですか……」

「私、一生懸命やりますわ! どんな辛い修行もこなしてみせます!」

 ナップは心の中でため息を吐く。

(これ以上このお嬢様の道楽には付き合えん……)

 そう思ったナップの心中で、珍しく悪ナップが首をもたげる。

「わかりました。その提案を聞き入れましょう」

「本当ですの!?」

「ただし、条件があります」

 ナップはピッと指を立てた。

「条件?」

「私も剣士として、流派と己の腕に誇りがあります。才能の無いものに己の技を伝授するわけにはいきません」

 虚ろだったナップの目が真剣な目に変わる。

「才能?」

「そうです」

 ナップは立ち上がり、フロナディアの隣に置いてある木刀を手に取った。そして近くに生えていた木に近寄ると、腰を入れて蹴りを放つ。


 ザザァ……


 木が大きく揺れて、木の葉がナップの周囲に舞い散る。そして一枚の葉がナップの目の前を舞った瞬間、ナップの手が素早く動いた。


 ヒュパッ


 鋭い風切り音と共に、厚手の葉が真っ二つに割れた。

「……凄い」

 それを見ていたフロナディアは感嘆の声をあげる。真剣でも難しい事を、ナップは木刀でやってのけたのだ。

「お見事ですわナップ様!」

 フロナディアの歓声を受けながらナップは振り返り、言った。

「もしこれが明日までにできれば、私はフロナディア様に剣を教えましょう。しかし、もしできなければ私は何があろうとあなたに剣を教えない。その時は誤解を解いて私を解放してもらいます」

 ナップの目は真剣だ。しかしその内心ではほくそ笑んでいた。

(できるはずがない)

 なぜならナップはフロナディアに気付かれない程度に感情術を使ったのだから。

 これでフロナディアは諦めて自分を解放してくれるはずだ。ナップはそう思った。

 しかし、フロナディアの返事は予想外のものであった。

「わかりましたわ! 必ずや成し遂げてみせますわ!」

 フロナディアはそう言うと、ナップの手から木刀をもぎ取り、木に蹴りを入れた。そして舞い散る木の葉に向けてブンブンと木刀を振り回す。

 ナップは唖然としていたが、やがてフロナディアに背を向けた。

「では、私は部屋にいますので、できたら声をかけて下さい」

 フロナディアの返事は無かった。真剣な目をして木刀で木の葉を追い回している。

 それを見てナップは罪悪感を覚えたが、

(どうせすぐ諦めるだろう)

 と、大きなあくびをしながら屋敷に入って行った。

 実は昨日の夜、フロナディアと同じ部屋、しかもダブルベッドをあてがわれたナップは、ドキドキして朝方まで寝付く事ができなかったのだ。

 部屋に戻ったナップは、ベッドにゴロンと横になる。枕からはフロナディアの残り香がして、またドキドキが再発したが、やがて眠気が勝り、ナップは深〜い眠りについた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る