ナップの回想2

「こ、これは失礼致しました。フロナディアお嬢様」

 ナップは慌てて突き付けた剣を下ろし、頭を下げる。

「しかしなぜこのような事を……」

 ナップにはフロナディアに襲われる覚えも、恨まれる覚えも一切無い。なぜ背後から木刀で斬りかかられたのか、それは全くもって疑問であった。

「フロナディアでいいですわ。こちらこそご無礼致しました」

 フロナディアは床に落ちた木刀を拾い上げる。

「ただ、ムイーサを救った噂の英雄殿の腕前がどれほどのものか知りたかったもので」

 ナップはブレイクシア城の一件から英雄英雄と呼ばれ続け、いくら訂正しても信じてもらえないので、もはや英雄と呼ばれる事を嫌々ながら受け入れていた。

 しかし、相手がいくら英雄と呼ばれる剣士だからと言っていきなり木刀で襲いかかるとは、この女まともでは無い。

「そうでしたか。しかし、初対面の相手にいきなり斬りかかるとは、レディーのする事ではありませんよ」

 ナップが言うと、噂のレディーはうふふと笑う。

「私、おてんばですの」

 おてんばだからといって木刀で斬りかかるとは度が過ぎていると思うが。

「しかしながら、フロナディア様の剣の腕前には驚きましたよ。レディーの嗜みには過ぎるほどに」

 ナップが素直に感想を言うと、フロナディアは誇らしげな表情になった。

「私、幼い頃からピアノや勉強より武術が好きで、こっそり要塞に出入りして兵士の皆様に剣術を教わっていましたの。ですから剣には少々自信がありますわ。要塞の兵隊さん達に負けないくらいにはね」

「左様でございますか。確かに要塞の兵士達に引けを取らない腕前でありました。ですが、その……その木刀を下ろしてはいただけないでしょうか?」

 フロナディアはいつの間にか、ナップに向けて木刀を構えなおしていたのだ。

「私、おてんばでもありますけど、とーっても負けず嫌いでもありますの。良かったらもう一度お手合わせ願います?」

「え、いや! それは困りますフロナディア様!」

 ジリジリと迫ってくるフロナディアから逃げるように、ナップはソロソロと後退する。

「私は女性と手合わせするのは苦手でありまして……」

 先程は身の危険を感じたために剣を振るったが、襲撃者の正体がわかった今ではそういうわけにもいかない。もしこのおてんばお嬢様に怪我でもさせてしまえば、英雄から一気に犯罪者へ転落してしまうであろう。そうなれば任務をこなすのが非常に難しくなる。

「ナップ様、男女差別はよろしくありませんわ……」

 フロナディアは怪しげな笑みを浮かべながら更にナップとの距離を詰める。ナップの背後には壁が迫っていた。

「お覚悟を!」

 フロナディアは瞬時に腰まで剣を引き、全身のバネを使い鋭い突きを放つ。

 ナップは身を捩り、素早くそれを躱した。

 ナップのすぐ横を通過した木刀の先端が窓ガラスを粉砕する。

「あぁっ!? おやめ下さいフロナディア様!」

 ナップの願いはフロナディアに届かない。

 フロナディアはドレスを翻しながら次々とナップに斬りかかる。

「ナップ様! 剣を抜いて下さいまし!」

「だから! 人の話を聞いて下さい!」

 フロナディアは「良かったらもう一度」などと言ったが、良くなくてもやる気満々である。

 しかし、フロナディアの振るう木刀は一向にナップに当たらない。ナップは先程の戦闘で、フロナディアの剣をある程度見切っていた。ナップはアホではあるが、これでも心神流の剣士の中でも手練れの部類であるのだ。

 フロナディアの剣の振りは、木刀の当たらぬ苛立ちのせいか徐々に大振りになってゆく。それを見たナップは思わず、

「脇が甘い!」

 と怒鳴ってしまった。ムイーサの要塞で兵士達の指南をしていた時の癖が出てしまったのだ。

「あ……」

 ナップは思わず口を紡ぎ、フロナディアはピタリと木刀を振るう手を止める。

「……そうですか、手合わせする相手ですら無いと」

 フロナディアはぎゅっと唇を噛みしめる。そしてキッとナップを睨みつけた。するとフロナディアの体から僅かに、ほんの僅かに赤いオーラが立ち上り始める。オーラは全身から腕に集まり、木刀へと纏わりつく。その木刀をフロナディアは大上段に構えた。

(感情術!?)

 危険を感じたナップは咄嗟に手にした剣を捨て、フロナディアの懐に飛び込み、フロナディアの腰を抱えるようにタックルをした。

「きゃあ!」

 思わぬ反撃を受けたフロナディアは、ナップの素早いタックルによりあっさりと転倒する。転倒する瞬間、ナップはフロナディアが頭を打たぬように手を伸ばして後頭部をかばう。

 二人は抱き合うような形で床に転がった。

「ふぅ……ん?」

 一息ついたナップの顔には、大きく柔らかなクッションが当たっていた。クッションはご丁寧に二つもあり、ナップの顔面をマシュマロのように優しく包み込んでいる。ナップはいつまでもその心地よい感触を楽しんでいたい衝動に襲われた。

「ナ、ナップ様……」

 ナップの上方から声が聞こえ、ナップはそちらに目を向ける。

 そこには顔を赤くしたフロナディアの顔があった。

「ちょっと……大胆過ぎますわ」

 二つのマシュマロはフロナディアのマシュマロだったのだ。

「し、失礼しました!」

 それに気付いたナップは慌てて立ち上がろうとするが、運悪くナップの足はフロナディアの落とした木刀を踏んでしまい、更にフロナディアのマシュマロに顔を埋めてしまう。

「あうん!」

「も、申し訳ない! すぐに……」

 その時、タイミングよく応接室の扉が開いた。

「……」

 そこにはリボシーが立っており、リボシーはくんずほつれつしている二人をジッと見つめる。

「あら、お爺様」

「リ、リボシー殿、これは……」

 しばらく二人を見つめたリボシーはニヤリと笑い、

「ひ孫じゃあああああ!!!!」

 と言うと、素早く扉を閉めて、老人とは思えぬ脚力で走り去って行った。

「あ、あ、あ……誤解です!!!!!」

 屋敷にナップの叫びがこだまする。

 これがナップの試練の日々の始まりであった。

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