激怒
観客に手を振るムチャとトロンは、背後にただならぬ気配を感じ振り返る。
そこには全身を縛られたまま立ち上がったカリンの姿があった。カリンは俯いており、その表情を伺う事はできない。しかし、その心中が怒りで満たされている事は、全身から溢れ出す赤いオーラで明らかだった。
みし……ぴしっ……
カリンを縛る魔法の縄が不穏な音を立てる。
「君達、逃げるんだ!」
リングに転がされたままのイワナが叫んだ。
「君達は妻の逆鱗に触れた……」
「逆鱗?」
トロンの魔力によって編まれた縄の強度は強い。しかし、幾重にもカリンを縛るそれは、驚くべき事に少しずつ弾け出している。
「妻は……」
「妻は?」
ブチッ……ブチブチブチブチ
縄が一本切れると、残りの縄も連続してちぎれ出す。トロンは危険を察知し、縄を更に重ねようと杖を構え魔力を込めた。しかし、時すでに遅し。
ブツン!
最後の縄がちぎれ、怒れるカリンが解放された。
「いってぇぇぇぇぇぇぇんだよぉぉぉぉぉぉぉお!!!!!!!!!」
カリンの絶叫が闘技場内に響き渡る。その声量は凄まじく、観客席にいる者達まで耳をふさぐ程だ。
「妻は……痔なんだ……」
「「え?」」
絶叫の余韻が響く中、イワナはムチャとトロンにだけ聞こえるようにボソッと言った。
絶叫した時に見えたカリンの顔は、まさしく鬼の形相であった。つり上がったその目からは、僅かに涙が伝っている。イワナは以前カリンのその表情を見た事がある。それは以前、イワナが料理中のカリンといちゃつこうとし、後ろからカリンの尻を強く揉んだ際に、うっかりカリンの痔に触れてしまった時だ。その時イワナは、魔力が枯れるまで怒れるカリンをなだめ続けた。
ビシビシビシビシ
カリンが一歩踏み出すと、足元のリングにヒビが入る。そしてカリンは、その鬼の形相でムチャを睨みつけた。
「ヤバい」
ムチャは思わず呟く。ムチャ、いや、ムチャの隣にいたトロンまで、ブレイクシアとの戦い以来の死の予感を感じた。
「トロ……」
ムチャがトロンに逃げろと合図する前にカリンが跳んだ。そして上空から拳を振り上げ二人へと襲い掛かる。二人は左右に分かれ、横っ飛びで間一髪カリンの一撃を躱した。しかし。
ドゴオォォォォォォォオ!!!
カリンの拳は深々とリングをえぐり、その衝撃だけでムチャとトロンは吹き飛ばされる。
「「あわわわわわわわわわ」」
飛ばされた二人は素早く立ち上がり、身構えた。
「痛い……痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いいたぁぁぁぁぁい!!!!!!!」
痔を強く刺激された激痛で、カリンは狂戦士となってしまったのだ。更に激痛は、カリンが唯一使える怒の感情術の奥義「激怒猛火装」を無意識に発動させてしまったのである。これは全身に怒りの感情を纏い、肉体の限界を超え、眼前の敵を完膚無きまでに叩き潰すという技である。これを発動されてしまっては、ただでさえ実力差があるムチャとトロンには最早勝ち目はない。
「試合の事は忘れろ! とにかく早く、できる限り遠くまで逃げるんだ!」
イワナの目は本気であった。何より怒れるカリンの恐ろしさを知っているのは旦那であるイワナなのだから。普段はゴロニャーンとしており、滅多な事では怒らない妻は、怒りが頂点に達すると虎に変わるのだ。
カリンはリングを破壊しながら、執拗にムチャを追いかけ回す。ムチャは虎の檻に入れられたトゲたぬきのように逃げ惑った。しかし、それでもムチャはリングを下りようとしない。
「リングから下りて遠くへ逃げろ! 殺されるぞ!」
イワナが叫ぶ。リングから離れた所では、控え室へと続く通路の入り口で係員が「こっちへ来い」と大きく手を振っていた。
「冗談じゃねぇ……芸人が舞台から逃げられるか!!」
ムチャは覚悟を決め、背後から追ってくるカリンへと振り返った。
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