おはよう

「うーん……」

 巨大トロンに飲み込まれたムチャが目を開けると、トロンが上からムチャの顔を覗き込んでいるのが見えた。

「うわわわ! 食べないで!!」

「食べないよ」

「え?」

 辺りを見渡すと、そこは現実世界のベッドの上であった。ムチャは目を覚ましたのだ。早朝らしく、部屋の中も窓から見える村もまだ薄暗い。

「ムチャ、おはよう」

「お、おはよう、トロン」

 トロンは眠そうな顔をして、ムチャを見ている。そしてトロンの横では、魔法でぐるぐるに縛り上げられたケセラがバツの悪そうな顔をしていた。

「私が寝ているからって女の子を部屋に連れ込むなんて……」

「いや! 違う! 違うぞトロン!」

「酔った勢い? これからはお互い違う部屋取らないとね」

「だから違うってば!」

「冗談だよ」

 ボケのトロンらしくない笑えないジョークであった。そしてトロンはケセラに向けて杖を振り上げる。

「このサキュバスどうしようか? 焼く?」

「ひいっ!」

 杖に魔力を込め始めたトロンの腕にムチャが慌ててしがみつく。

「いやいやいやいや、待てってトロン!」

 そんなムチャをトロンは冷たい目で睨んだ。

「冗談だよ」

 どうやら珍しく本当に機嫌が悪いらしい。

 ムチャとケセラは正座して、それまでの経緯をかくかくしかじかと説明した。


「なるほどね……」

 トロンは相変わらず不機嫌そうではあるが、なんとか理解してくれたようだ。

「ケセラさん、一つだけアドバイスしてあげる」

「なんでしょうか?」

「寝言がうるさい人には気をつけた方がいいよ」

「はへ?」

「私、ムチャがうるさくて起きたの」

 ムチャは理解した。どちらかと言えばお寝坊さんのトロンがこんな早朝に起きた理由を。

「で、俺なんか変な事言ってた?」

「言ってた。『トロンは俺の事が好きなんだぞ』って」

 ムチャは頭を抱えてベッドにぼふんぼふんと頭を打ち付けた。どうやらよりによって一番聞かれたくないセリフを聞かれてしまったようだ。

「で、起きたら部屋の中に魔力が残ってたから、もしかしたらと思ってムチャの夢を覗いたの。そしたら案の定サキュバスがいた」

「ち、ちなみにどの辺から見てたの?」

「私に見られたらまずい夢でも?」

「いいえ……別に」

「で、無理矢理起こしたら危ないかもしれないから、私も魔法で夢に入ってムチャを起こしたの」

 それがあの巨大トロンだったのだ。

「夢から出たらいきなり縛られたからびっくりしましたよ」

「私もびっくりしたよ、ムチャの寝言に」

 ムチャは枕を手に取ると、顔を埋めてぐりぐりと押し付けた。

「なんか、ムチャさんだけでなくトロンさんにまで迷惑をかけてしまい本当に申し訳ないです……」

 ケセラは二人に向かって深々と頭を下げる。

「でもトロンさん、ムチャさんの名誉のために言わせてください。ムチャさんは私が色々仕掛けたにも関わらず、ずっと紳士でした。信じてください!」

 トロンはジトーっとした目でムチャとケセラを見比べていたが、やがてコクリと頷いた。

「別に私たち恋人じゃないからいいんだけどね」

「そ、そうそう! 俺達はお笑いコンビなんだ!」

「『トロンは俺の事が好きなんだぞ』」

 ムチャは自らの顔に何発も張り手を見舞う。

「それも私が言わせたようなものです……すいません……」

「まぁ、さっき夢の中でも言ったように、誰にでも失敗はあるから落ち込むなよ」

「はい、正直ムチャさんのガードの固さに凹んでいましたけど、あの時ちょっと元気が出ました。もし次があったら私の事……」

「ケセラ! ケセラケセラケセラケセラ!!」

 ムチャは慌ててケセラの口を塞ぐ。トロンの目はもはや糸のように細くなっている。

「いいんだよ。ご自由にどうぞ、なんなら朝の散歩に行ってこようかな」

「行くな行くな行くな!」

 目が覚めてからムチャは大忙しだ。

 それから少し三人で話をして、朝日が昇る頃にケセラは宿屋の窓から飛びたった。ケセラは去り際に。

「今度お二人の漫才見せて下さいね! 夢の中でもいいので」

 と言っていた。

 ムチャとトロンは、去って行くケセラを見送りながら大きなあくびをした。

「さて、もう一眠りするか」

 ベッドに向かうムチャの背に、トロンはポツリと言った。

「ナップ先輩から助けてくれてありがとう」

 ムチャはそれを聞いてピタリと動きを止める。

「おい、トロン、いつから見てたんだ?」

 トロンはムチャを無視してベッドに入り、物理障壁と防音障壁を張る。

「おい! おい!」

 スヤスヤと二度寝をするトロンを見ながら、ムチャはしばらく障壁を叩き続けた。




 一方その頃、ケセラは西に向かってバッサバッサと飛んでいた。そして胸の谷間……は無いので懐から小さな手鏡を取り出す。

 ケセラが魔力を込めると、手鏡の向こうに人影が現れた。

「ケセラ?」

 人影は手鏡の向こうからケセラに話しかける。

「はい、プリムラ様、ブレイクシアを倒したという二人の様子見てきましたよ」

「で、どうだった?」

「うーん……確かに凄い精神力と魔力を持っているようでしたが、あの二人が魔王様から力を分け与えられた一人を倒したとは思えませんね」

「ふーん、きっと勇者っていうのはそういうものなのよ」

「でも、偵察に行くのが見習いの私でよかったのですか? もっとエリートなサキュバスの方が……」

「いいのよ、ちょっと興味が湧いただけだから。あなたもお疲れ様」

「いえいえ、任務ですので。そういえば、少年の夢で奇妙な人影を見ましたね」

「それ、戻ったら詳しく聞かせてちょうだい。じゃ、帰り道気をつけてね」

 人影がそう言うと、鏡はただの鏡へと戻った。

「なんか、あの二人に悪いなぁ……」

 ケセラはちょっと申し訳なく思いながら、西に向かってバッサバッサと飛び続けた。

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