良い夢を10

「そうですか、わかりました。楽しませられなくてごめんなさいね……」

 そう言ったケセラの目にはじわりと涙が浮かんでいた。それにムチャは気付いていない。

「大体なんかズルいんだよな。夢の中とはいえニパやプレグにはあれこれやらせておいて、自分は更衣室の時現れなかったじゃねぇか。そもそも……おい、何してるんだ?」

 ケセラは自分の着ている上着のボタンをぷちぷちと外している。そしてポツリと言った。

「……ばいいんでしょう」

「え?」

 半泣きで呟くケセラの声が聞こえずに、ムチャは聞き返した。

「脱げばいいんでしょう! 脱げば!」

 ボタンを外し終えたケセラは、ガバッと上着を脱いで投げ捨てた。そして下に着ていたシャツのボタンにも手をかける。

「うわぁ! 待て待て待て待て! そんな事は言っていない!」

 ムチャは慌ててケセラを止めようとする。しかし、ケセラは身を躱し、シャツのボタンを外し続ける。

「いいえ! 私が付き合わせておきながらあなたを後悔させたら、エリートサキュバス見習いとしての沽券に関わります! 現実世界の人間がダメなら、私だったらいいんですよね?」

 そう言うとケセラはついにシャツまでも放り出す。

「ダメだって!」

 ムチャは慌てて目を覆うが、一瞬だけだけケセラの下着姿が視界に入ってしまった。ケセラはシャツの下に下着を着ており、ムチャは少しだけホッとする。しかしチラリと見えたケセラのボディは、トロン、いや、ニパに近い貧相なものであった。

「何で目を塞いでるんですか! ほら、見てください!」

 ケセラは顔を耳まで赤くしながら、目を覆っているムチャの手をグイグイ引っ張る。ムチャはそれに必死で抵抗する。

「ケセラ! 頼むから服を着てくれよ、俺が悪かった!」

「いいえ着ません! さぁ、見てください! そして私を欲望のままに扱ってください!」

 ヤケになったケセラは完全に暴走していた。

「そうですか……わかりました」

 頑なに手を離さないムチャを見て、ケセラは覚悟を決める。


 フニッ


 ムチャの体に何か柔らかいものが触れた。下着姿のケセラがムチャに抱きついたのだ。

「どうですか!? 私を辱めて楽しいですか!?」

 ケセラは自ら辱められにいっているのに、まるでムチャがケセラを辱めているような発言をする。

「俺が辱めているような言い方をするな!」

 しかし、何だかんだでムチャはドキドキしていた。先程ニパやトロンにも抱きつかれたが、あのニパやトロンはケセラに操られていた言わば人形。しかしケセラは自らの意思でムチャに抱きついているのだ。シチュエーションこそムードのカケラもないが、そのリアリティがムチャのドキドキを引き上げる。しかもケセラのハグはニパやトロンよりも布が二枚も少ない。その感触は先程よりも立体的だ。

「け、ケセラ……本当に悪かったってば」

「私にここまでさせておいて許すと思いますか?」

 すると、背後からムチャの手を何者かが掴んだ。その手の感触には覚えがある。

「ムチャ、手を退けて」

 それは夢トロンの手であった。

「ふっざけんな!」

 トロンの力ではムチャの手を引き剥がすのは厳しいであろう。しかし、そこは暴走していてもラブ軍師である。

「ふぅーっ」

「ぎゃあ!」

 夢トロンがムチャの耳に息を吹きかけると、ムチャの力が抜けて徐々に手が目から離れる。しかしムチャは目をギュッと瞑ってケセラを見ないようにしている。

「さぁ、私だって無理矢理したくないんです。あなたの意思で私を好きにして下さい!」

 そう言ったケセラの声は涙声であった。

「ケセラ、ちょっと聞け」

「……何ですか?」

「俺は芸人をやってるんだ」

「それがどうしました?」

「芸人は芸を見せて、笑顔とお金をもらう。サキュバスは良い夢を見せて精力をもらう。似てると思わないか?」

「……似てます」

「お前は今日俺を楽しませられなかったから、それを挽回しようと体を張ってこんな事してるんだろ?」

「そうですよ。それにあなたが後悔したって言うから」

「それは悪かったよ……でも、お笑いだってそういう事あるんだ。頑張って作ったネタが滑って、それで焦って突拍子の無いネタをして更に滑ってしまったりさ」

「今の私、滑ってますか?」

「……うん」

 ケセラはちょっとショックだった。

「やっぱり焦ってたら客を楽しませられないし、良い夢だって見せれないと俺は思う。だから、泣きそうになってまでそんな事されても俺困るよ。それに、いくらエリートでも失敗なんて誰にでもあるんだからさ」

 そこまで聞いてケセラはムチャから体を離した。

「だから、ケセラにも色々あるだろうけどそんなに無理するなよ。最高の夢とは言えなかったけど、俺は結構楽しかった。だから俺は、俺がそういう事はしなかったけど落ち込むなって伝えたくてケセラを呼び出そうとしたんだ」

「……そうだったんですか」

「ケセラも一生懸命やったのに、あんな事言って本当にごめんな」

「いいえ、私の方こそ失礼な事言ってごめんなさい」

「だから、服着てくれよ」

「……わかりました」


 しばらくの沈黙があり、ケセラが言った。


「目を開けて下さい」

 ムチャは恐る恐る目を開ける。

「ブフッ!」

 そこにはぴっちりとした水着に近い衣装を着て、背中に翼を生やしたサキュバスの姿であるケセラが立っていた。

 ムチャは吹き出して再び目を閉じる。

「服を着ろって言っただろ!!」

「見ても大丈夫ですよ、これはサキュバスの正装ですから」

 それを聞いてムチャは目を開けた。しかし、その姿は先程の下着姿より露出が多く、何とも言い難い淫靡さに溢れていた。夢トロンはいつの間にか消えていた。

「なんか……もうちょっと布を増やしてくれよ。風邪ひくぞ」

 ムチャの目はキョロキョロやり場を求めて彷徨っている。そんなムチャを見て、ケセラは言った。

「ムチャさん、私の事、好きにしていいですよ」

「まだ言うか!?」

 ムチャは警戒して一歩後ずさる。

「そんなに警戒しないで下さいよ!」

「そう言われても……」

 いつの間にか日は暮れて、図書室は薄闇に包まれている。その中には、互いに顔を赤らめた少年と少女がいた。

「ムチャさん、私の練習に付き合ってくれるって言いましたよね」

「言ったけど……」

「本当の練習、付き合ってくれませんか? 私、ムチャさんを楽しませられるかわかりません。でも、もしできたら……いえ、うまくできなくてもきっとサキュバスとして絶対成長できると思うんです」

 ケセラの目には、今まで見せていた高慢なプライドは無く、そこには一人のエリートサキュバス見習いとしての真剣さが宿っていた。

「そう言われても……」

「もうすぐ夜が明けます。せめてそれまでの間だけでも……現実の体には指一本触れません、だから、お願いします」

 正直、ムチャという少年を一番困らせるはこういうのなのだ。理屈を超えた真剣さとか真っ直ぐな思いをぶつけられると、どうしても真正面から受けてしまう。しかし、今回は事が事だ。簡単にYESとは言いづらい。

(でも、夢の中でなら……)

 ムチャ天秤は結構傾いていた。

 ケセラがムチャにじわじわ近寄ってくる。

 現実世界で、普段のムチャならば結構悩んだ末にNOと言えたであろう。しかし、さっきからお預けをくらいっぱなしであったムチャの欲望スイッチには、もう指がかかっていた。

「ケ、セラ……」

 ムチャの指が、ケセラの頬へと伸びた時。


 ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ


 凄まじい振動が図書室を、学校を、夢の世界を揺るがした。

「キャア!」

「何だ何だ!?」

 ムチャとケセラは慌てて窓を開けて外を見る。

「夢の中で地震って起こるのか?」

「そんなはずないんですけど……ムチャさん、あれ!!」

 ケセラが上空を指差した。ムチャがそちらを見ると、信じられない光景がそこにはあった。


 ズズズズズズズズズズズズズズズ


 巨大も巨大、超巨大なトロンの顔が、眠そうな顔をして上空から二人を見つめていたのだ。


 二人は声にならない叫び声を上げた。二人とも窓から飛び出し、どこかに向かって走る。すると、上空からこれまた巨大な手が伸びてきて、あっさりと二人を捕まえた。捕まった二人は巨大な手によって上空へと運ばれてゆく。

「「うわわわわわわわ」」


 上空へと連れて行かれる時、ムチャの目に学校の屋上が見えた。

 そこには一つの人影が立っている。それは女性のようであったが、ムチャにはその人物に見覚えがなかった。その人影は、ムチャの方を見てニコリと笑った。

(誰だあれ?)

 人影が誰であったか思い出すヒマも無く、ムチャとケセラは巨大なトロンの口に放り込まれた。

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