良い夢を3

「先輩! 私のシュートどうでしたか?」

 目の前に迫っているニパの唇から、ムチャの顔に吐息がかかる。

「え……あ……凄かったです」

 あまりの近距離にニパの顔があるので、ニパを異性として意識した事のないムチャも思わず顔を赤くした。

「えへへ、先輩に褒められちゃった」

 ニパはニコッと笑い、ムチャから顔を離して立ち上がると、ムチャの手を取って引き起こした。ムチャはズボンについた草や土をぱっぱと払う。激しく背中と後頭部を地面にぶつけたはずだが、全く痛みを感じないのは夢の中だからであろうか。

「先輩、今日の練習はもう終わりなので、良かったら少しお話しませんか?」

 ニパにそう言われて、ムチャは考えた。

(これもどうせケセラの仕組んだ事だろうし、もしかしたら変な展開になるんじゃないか? いや、でも相手はニパだしなぁ……大丈夫だろ)

「うーん、わかった」

 他に何をすれば良いのかもわからなかったので、ムチャはとりあえず了承する。すると、ニパは嬉しそうに飛び跳ねてはしゃいだ。

「やったぁ! じゃあ、着替えて来ますね。あそこにある倉庫の前で待っていて下さい」

 ニパが指差した先には、校舎の陰になっている所に小さな小屋が建っていた。ムチャが頷くと、ニパは着替える為にパタパタとどこかへ駆けて行く。

「楽しい夢を見せろって言ったのに、やっぱりあいつは見習いだな」

 しかし練習に付き合うと言ってしまった手前、ここで起きてしまうのも忍びなく、なんだかんだで夢の世界もそんなに居心地は悪くはない。ムチャはのんびりと倉庫へと向かった。


 数分後、ムチャが倉庫の前で待っていると、制服に着替えたニパが現れた。

「先輩、お待たせしちゃってすいません」

 ニパは走って来たのか、僅かに息を弾ませながら頭を下げた。

「おう……」

 ブレザーにスカートの制服を着たニパは、いつも動きやすいラフな格好をしているニパに比べ非常に女の子らしく、ムチャはそのギャップに少しだけドキッとしてしまう。

「さぁ、中に入りましょう」

 ニパは周りをキョロキョロと見渡すと、倉庫の扉を開けて、ムチャに中に入るよう促した。

「え? 中で話すの?」

「だって、誰にも邪魔されずに先輩と二人きりでお話したいんですもん。ダメですか?」

 上目遣いでムチャを見つめるニパの瞳は僅かに潤んでいて、その儚さとある種の迫力に押され、ムチャは思わずたじろいだ。

(相手はニパだ、相手はニパだ、相手はニパだ)

 ムチャは心で三回唱えると、コクリと頷き倉庫の中に入った。

 扉を潜り中を見渡すと、そこは運動用の道具を置くための倉庫らしく、さっきニパ達が追いかけ回していた球が沢山入った箱や、運動用の敷物などが所狭しと置かれている。ムチャは奥に進み、適当な敷物の上に腰を下ろした。ムチャに続いてニパも倉庫の中に入り、後ろ手に扉を閉める。そして……


 カチャッ


 ムチャがその音に気付く事は無かった。

 ニパはムチャの隣にちょこんと腰を下ろす。それは普段誰かが隣に座る時よりもだいぶ近く、肩と肩が触れるか触れないかの絶妙な距離であった。ムチャは相手がニパという事もあり、無意識に自分が緊張している事に気付いていなかった。いや、何か負けた気がするので気付きたく無かったのだ。

「お前、ニパだよな?」

 ムチャはそんな当たり前の事を、隣に座るニパに問いかけた。隣に座るニパは、いつもの天真爛漫さを残しながら、絶妙な女の子らしさが追加されている。それは言うなればカスタムニパ、もしくはスーパーニパだ。それにムチャはニパが敬語を使っている事にも違和感を感じていた。ムチャの問いかけに、ニパは首を傾げて答える。

「そうですよ。どうしたんですか? 今日の先輩少し変ですよ」

 ニパは口に手を当てて、ふふふと笑った。その笑みには、まだ青いが確かに色香が混じっている。それはプレグのモノマネをして噴飯もののセクシーポーズをとるニパと違い、絶妙に可愛らしかった。

「べ、別に何でもない。それで、何を話す?」

 ムチャはニパを直視できずに視線を外した。

「先輩、実は私相談があるんです」

 そう言うとニパは沈んだ顔をして、視線を下げた。そんなニパを見て、人の良いムチャは思わず真面目な顔になる。

「相談? 何かあったのか?」

 ニパは頷いた。

「今度大事なフェアリーボールの大会があるんですけど、最近プレイに集中できていなくて……」

 そう言ったニパの顔は真剣だった。

「そうなのか?」

「はい、練習中も、ある事が気になってちっとも集中できないんです」

「さっきシュート決めてたじゃねぇか。ある事って何だ?」

 ムチャが言うと、ニパは急にもじもじし始めて顔を赤くする。

「実は……好きな人がいるんです」

 それはムチャが、ニパの口から出るのは後十年は先だろうと思っていたセリフだった。しかしニパならば恋をしていてもおかしくは無いだろう。

(あのニパが恋か、確かに面白い夢だな)

 ムチャは呑気にそう思った。

「へぇー、相手はどんな奴なんだ?」

 ムチャは興味本位で尋ねた。ニパのもじもじが更に加速する。

「えっと……明るくて、面白くて、元気で、ちょっと変わっているけど優しくて、とっても強い人です」

 それを聞いてムチャがイメージしたのは……

(まさかケンセイか? そんなのおもしろすぎるだろ。でも夢の中とはいえ、ケンセイとニパが知り合いってちょっと無理があるよな。もしかして教師役でケンセイがこの世界にいて、その教師をニパが好きって事なのか)

 こんな御都合主義の塊である夢の中にいながらムチャは鈍かった。旅の途中でトロンが「ちょっとお花摘んでくる」と言うと「それより果物探しに行こうぜ」と言ってついて行こうとする程の鈍ちんなのだ。

「そいつはやめといた方がいいと思うぞ」

 ムチャにそう言われてニパはショックを受けた。

「えっ? どうしてですか?」

「だって歳が離れ過ぎだろ」

「そうですか? 二つか三つくらいしか変わらないと思うんですけど」

(ケンセイとニパが二つ違い? んなわけあるかよ、三倍差はあるぞ。というとこはケンセイじゃ無い。となると……)

 ムチャがふとニパを見ると、ニパは目を潤ませながらムチャを見つめていた。いつものニパならばにらめっこでも始めるのかと思うが、このニパはそうはいかない。ニパの視線は熱を帯びており、そのニパらしからぬ色っぽい熱視線は、何も言わずともその心を伝え、見つめられたムチャの頬を赤く焼いた。

(ケセラの奴、やりやがったな!)

 ムチャは後ずさろうとしたが、すぐ後ろは壁であった。ニパはゆっくりと、壁際に追い詰められたムチャに這い寄る。

「ムチャさん、年下の女の子は嫌いですか?」

(くそっ! ここで名前を呼ばせるのは卑怯だぞ!)

 ニパはどんどんムチャに近づいてくる。夢の中とはいえニパを蹴飛ばすわけにもいかず、ただドキドキと鼓動を高鳴らせていた。ニパの唇がムチャの唇に迫る。

「ニ……ニパ」

 すると、徐々にニパの息が荒くなり、尻尾が生え、目が血走り、爪が伸び始めた。

「何で今変身するんだよ!?」

 ムチャはハッとして跳び起きる。それは貞操の危機を感じ、本能的に起こしたアクションであった。ニパは跳ね飛ばされて仰向けに倒れた。一瞬下着が見えた気がしたが、今はそれどころでは無い。半獣化したニパに襲われては、剣を持たないムチャなど簡単に組み敷かれてしまうだろう。

 ムチャはニパの横を駆け抜け、扉に手をかける。


 ガチャ


 しかし、扉にはいつのまにか鍵がかけられていた。

「まじかよ!」

 ムチャは慌てて鍵を外したが、その一瞬が命取りであった。ニパは驚異的な身体能力で跳ね起きると、ムチャの肩を掴み振り向かせる。そしてムチャに飛びつき全身で抱きしめた。

「ムチャさ〜ん」

 ニパは抱きついたままムチャにすりすりと頬ずりをした。ニパの柔らかい頬っぺたがムチャの頬にムニムニと当たる。ムチャは振りほどこうとするが、ニパの腕と足でしっかりとホールドされて離れない。

「喜術……」

 ムチャが深呼吸をし、気を貯めると、ムチャの指先が黄色く光った。

「指撃!!」

 ムチャはガラ空きになっているニパのわき腹に指を当てると、喜のオーラを流しながらワキワキとくすぐった。

「にゃははははは!!!」

 ただでさえくすぐりに弱いニパは、たまらずムチャから離れ仰向けに倒れる。ムチャもまさか夢の中でオリジナルの感情術を使うとは思ってもいなかった。ムチャはニパが笑い転げている隙に扉を開け、逃げ出した。しかし素早く復活したニパが、後ろから追いかけてくる。ムチャは校内に逃げ込み、廊下を全力疾走した。そしてできるだけコーナーの多いルートを通って逃げた。ニパは直線では早いが、そのスピード故に曲がり角が苦手だろうと考えたのだ。しかし、いくつかの角を曲がり、後ろを振り向いたムチャは驚愕した。なんとニパはコーナーの直前でジャンプすると、壁に飛びつき壁を走ったのだ。その光景はある意味ホラーであった。

(これは……捕まる!)

 ムチャがそう確信しながら次の角を曲がった瞬間、空いていた扉から手が伸び、素早くムチャを扉の中に引き入れた。


 バタン


 素早く扉が閉じられると、その直後、扉の前をニパが駆け抜けて行く音が聞こえた。

「あ、ありがとう。誰か知らないけど……」

 ムチャは肩で息をしながら、ムチャの窮地を救った人物を見た。そこに立っていたのは……


「ムチャ君、職員室に来なさいって言ったでしょう」


 先程教卓に立っていたプレグであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る