深夜の訪問者

 昼間から始まった宴がようやく終わり、食堂を出たムチャは、千鳥足でふらふらと宿屋へと向かっていた。その後ろから怪しげな人影が尾行しているとも気付かずに……

 ムチャは宿屋に入り、受付の案内通りに階段を上り、二階の一室に入った。二つ並んだベッドの一つにはトロンの姿があり、すでにスースーと寝息を立てている。空いている方のベッドに倒れ込んだムチャは、数秒後には服を着替えもせずにいびきをかきはじめた。

 ムチャが眠りについてしばらく経った頃、ムチャとトロンが寝ている部屋の窓が音も無く開いた。外気に晒されたカーテンが僅かに揺らめく。そして開いた窓から室内に、背中からコウモリのような翼を生やした黒い服装の女が舞い降りる。女はベッドで眠るムチャとトロンを見比べると、ガニ股でベッドに突っ伏しているムチャへと歩み寄った。そして女はムチャの後頭部に手をかざし、目を閉じた。


 ムチャ君……ムチャ君……


 少し離れた所から、誰かの声が聞こえる。その声はムチャの名前を何度も呼んでいた。ムチャは眠気を感じながらも、ゆっくりと目を開ける。枕の代わりにしている手には、何やら固い木の感触があった。どうやらムチャは何かに突っ伏して寝ていたらしい。

「あれ? ここは……?」

 目をこすりながら辺りを見渡すと、そこは広い部屋の中であった。部屋の中には机と椅子がズラリ並べられており、そこには皆似たような服を着た、ムチャと同年代の少年少女達が座っている。彼等はムチャを見てクスクス笑っていた。ふと見ると、ムチャが突っ伏していた机には、一冊の書物が置かれていた。書物の表紙にはこう書かれている。

『基本的魔法術Ⅱ』

「なんだこれ」

 ムチャは書物を手に取ろうと手を伸ばした。すると。

「ムチャ君!」

 教室の前方から誰かが怒鳴った。それは先程からムチャの名前を呼んでいた声だ。ムチャは声のした方を見た。

「のわっ!! プレグ!?」

 教室の前方にある教壇には、いつもと違い地味なローブを着て、メガネをかけたプレグが立っていた。

「ムチャ君、先生を呼び捨てにするとは何事ですか! それに私の授業中に居眠りとは言語道断です」

 プレグはそう言うと、手にした杖をムチャに向ける。すると、杖の先端から小さな氷の粒が飛び、ムチャの額に当たった。

「いてっ!」

 それを見ていた少年少女達は一斉に笑った。

「これは簡単な氷の魔法です。次の授業でテストするから、みんな習得してくるようにね」

 その時、どこからか鐘の音が聞こえてきた。

「それでは、今日の授業はここまで。今日やった所はテストに出るので、復習をしっかりしてくるように。それから、ムチャ君は居眠りの罰として放課後に補習を受けて貰います。後で職員室に来なさい」

 プレグは杖を振り、黒板に書かれた文字を消すと、ツカツカと歩いて教室を出て行った。

 プレグが去ると、教室の中はにわかに騒がしくなった。皆近くの者とお喋りをしたり、カバンを持って教室を出て行く者もいる。

 ムチャは一人、椅子に座りポカンとしていた。

「どうなってるんだこれは……」

 すると、一人の少女がムチャの元に歩いてきた。そしてムチャに声をかける。

「こんばんは」

 教室の窓からは日光が差し込んでおり、まだ明らかに昼間であるにもかかわらず、少女はムチャに「こんばんは」と言った。

「まだ昼間……だよな?」

 ムチャが窓の外を見ると、そこには芝生の敷き詰められた庭が広がっており、その上を沢山の少年少女達が歩いていた。

「いいえ、現実の世界では夜ですよ」

「なんだよ現実の世界って」

「ここはあなたの夢の中ですから」

「あぁ、そうなんだ」

 意外にもムチャは少女の言葉を素直に受け入れた。そしてギューッとほっぺたを摘んでつねり始めた。

「ちょっとちょっとちょっとちょっと!! 起きようとしないで下さい!」

 少女は慌ててムチャの腕を掴んだ。

「いや、ほっぺたをつねったら夢から覚めるってよく言うから、本当かなぁって思ってさ」

「そんな事したら勿体無いですよ! 私の作った夢の中では何でも自由にできるのに」

「私の作った夢? もしかして、お前サキュバスか?」

 ムチャの言葉を聞いて、少女はエッヘンと胸を張った。

「そうです!」

「いい夢を見させて、夢を見せた相手の精気を吸い取る魔物だよな?」

「そうです!」

 少女がそう言うと、ムチャは再びほっぺたに手を伸ばした。それを少女が慌てて止める。

「ちょっと待って下さい〜!」

「嫌だよ。精気吸われたくないし」

「は、話だけでも聞いて下さい」

 少女がムチャの腕にしがみつく。すると、ムニッと柔らかい感触がムチャの腕に触れた。その時、ムチャの目がいつもよりキリッとした。

「……まぁ、よかろう」

 あまりにも少女が必死に止めるので、あくまでも少女が必死に止めるので、ムチャは話だけでも聞いてやることにする。


 ムチャの対面に座った少女は語り出した。

「私はエリートサキュバス見習いのケセラと言います。実は……」

 ケセラがそこまで言うと、ムチャが話を遮る。

「ちょっと待て。エリートなの? 見習いなの?」

「エリートサキュバス見習いです」

「エリートサキュバス見習いって何?」

「エリートなサキュバスの見習いです」

 ムチャは腑に落ちなかったが、めんどくさそうなので深く突っ込むのをやめた。

「実は私は修業中の身でありまして、色んな人に夢を見せる練習をしていたのです」

「それで?」

「今日も誰かに夢を見せようと、クフーク村の上空を飛んでいたら、たまたまこれから帰って寝るんだろうなぁって酔っ払いを見つけたので、その人をターゲットにしたわけなんです」

「それが俺って事か?」

 ケセラはこくこくと頷いた。

「そうか、じゃあ、修業頑張れよ」

 ムチャはそう言うとほっぺたを……しかしケセラの必死の抵抗により、目覚める事は叶わなかった。

「私は修業中の身なので、精気はちょっぴりしか吸いませんから、どうか練習に付き合って貰えませんでしょうか?」

「ちょっぴりは吸うのかよ。まぁ、今日はたらふく飲み食いしたからいいけど……」

 ムチャはしぶしぶと了承した。

「でもどうして学校なんだ? 俺学校なんか行った事無いぞ」

 ムチャはそれまでの人生で、学校に通った事は無かった。読み書きはケンセイに教えて貰ったので一通りできたが、学校に行った事の無いムチャが学校の夢を見るというのもおかしな話である。

「そのー……私はまだ修業中の身なので、見せる事のできる夢のバリエーションが少ないのです。取り敢えず男性の望むシチュエーションが作りやすいという事で、私のイメージをあなたの脳に映して学校の情景を見せているのですが、何か他の夢が良いですか?」

 ムチャは腕を組み、しばらく考えた。

「じゃあ、でっかいステージで相方と漫才をして、観客を笑わせる夢とかできるか?」

「うーん……それはちょっと……」

「じゃあ、美味いものを腹一杯……はさっき飲み食いしたからいいか……」

 ムチャが悩んでいると、ケセラが言った。

「でも、男性ならやっぱり夢が見たいのではないですか?」

 ケセラは意地悪そうにむふふと笑う。

「そういう夢ってなんだよ」

 鈍いムチャにはピンとこなかったが、ケセラはムチャの肩をぽんぽんと叩いて言った。

「まぁまぁ、ここは私に任せて下さいよ! 私そういうの得意なんです! きっと喜ばれる夢を見せますから、取り敢えず学校の中をうろうろしてみて下さい」

 そう言ってケセラは椅子から立ち上がる。

「え? 任せろって……」

「それでは、良い夢を!」

「おい、ちょっと!」

 ケセラは窓に足をかけると、背中から翼を生やして上空へと飛んで行ってしまった。


「まぁ、夢の中とはいえ、何でも好き勝手できる機会なんてなかなか無いしな」


 不安はあったが、ムチャはウキウキしながら教室を後にした。

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