プレグの過去3

 プレグは跳ね起きると、少女の顔をがっしりと掴みまじまじと見つめる。

「?」

 少女はボーッとしてプレグのされるままになっていた。

 すると、背後からプレグの肩を濡れた手がポンポンと叩いた。

「ひゃん!」

 肩の露出した服を着ていたプレグはその冷たさにビクッと肩を震わせた。

「あの、お姉さん大丈夫?」

 振り向くと、そこには噴水に突っ込んだ少年が立っていた。

「え……あ、何でもないわ」

 そう言いつつも、プレグは少女の顔をもう一度まじまじと見つめた。

「あのー、うちの相方が何か粗相でも?」

「あんた、ちょっと黙ってて」

 プレグは少女の顔を見たままピシャリと言った。少女の顔は、目の垂れ具合、鼻の高さ、口の形、全てがフロルにそっくりである。背格好もよく似ていた。ただ、少女にはフロルにはあった泣きぼくろだけが無かった。

 されるがままになっていた少女はポツリと呟く。

「お酒臭い……」


 少女を解放したプレグは、その後もその少女から目が離せなかった。

 少女は服を着替えた少年と共に、広場の一角を陣取り、客寄せをして漫才を始める。

 しかし、どの客も数分二人を見て、他の芸人達を見に行ってしまった。それでも二人は漫才やコントを続ける。観客がいなくなっても、日が暮れるまで二人はお笑いをやり続けた。プレグはその様子を広場の石段からずっと見ていた。

 祭りが終わり、人気が少なくなると二人はようやく漫才をやめた。そして、投げ銭入れを確認してからがっくりと肩を落とすと、トボトボと安宿が並ぶ通りへと去って行く。


「……バカみたい」


 プレグは数時間前と同じ事を呟くと、僅かに残った酒瓶の酒を飲み干し、行きつけの酒場へと向かった。その日はなぜか酒があまり進まなかった。ちびちびと酒を飲んでいる間も、あのフロルに似た少女の顔が頭から離れ無かったのだ。勘定を済ませたプレグは、いつもなら千鳥足で帰る道を、スタスタと足早に安宿の立ち並ぶ通りへと歩いていた。別に少女の後を追ったわけではない、たまたまプレグの住居がそちらにあったというだけである。


 人気の無い通りに入った時、突然暗がりから人影が飛び出してきた。チルドランの街は比較的治安が良いとはいえ、強盗や暴漢が皆無というわけでは無い。容姿端麗なプレグは何度か痴漢に襲われそうになった事もあり、警戒してさっと身構える。もっとも、ただの痴漢程度ならプレグの魔法で撃退するのは容易であるが。

「プレグ」

 人影はプレグの名を呼んだ。プレグはその声に聞き覚えがあった。

 月明かりに照らされ、声の主の顔が明らかになる。それはプレグの父親のダリアであった。

「お父さん」

 予想外の人物の出現に、プレグはたじろぐ。

「お前がこの辺に住んでいると聞いて、探していたのだよ」

「……何か用?」

 プレグはつっけんどんに言った。数年前、プレグが大道芸人になりたいと言った時に、ダリアがしこたまプレグを怒鳴りつけ、折檻したうえに勘当した事をプレグは未だに根もっていたのだ。

 プレグは手にした酒瓶を煽り、今夜は記憶をなくすまで飲み明かすことになりそうだと思った。それ程にダリアに会いたく無かったのだ。

「フロルの葬式以来か」

「そうね」

 フロルの名が出た事で、プレグは余計にイライラした。以前フロルの病室で鉢合わせた時、ダリアは

「我が家督を継がねばならぬ者が情けない」

 と病床のフロルに向かって言っていた事を覚えている。

「用件を言って」

 プレグはダリアの顔を睨みつけた。

 すると、ダリアは少し考えてゆっくり口を開いた。

「家に戻って来い」

 予想外の言葉にプレグは唖然とした。

「何ですって!?」

「フロルが死んで家督を継ぐ者がいなくなった。この一年、我々もどうするか悩んだが、話し合いの結果お前が戻って来ることを許そうという事になったのだ」

 それを聞いてプレグは激昂した。手にした酒瓶を地面に叩きつける。ガラスの破片が音を立て地面に飛び散った。

「冗談じゃ無いわよ! フロルが死んだから仕方なく不出来な娘を連れ戻そうって事!? お優しいお父様ね。生憎だけど私はあの家に戻るつもりは無いわよ」

「ではお前はこれからどうするというのだ。芸人稼業も最近はやってないらしいではないか。毎日昼間から酒を飲み歩いて、我が家の恥だ」

「何? 探偵でも雇って私の事調べさせたの? 気色悪い! 私はもうあの家の人間じゃない! あんたが勘当しておいて今更何言ってるのよ!」

「だから、戻って来ても良いと言っているのだ」

「戻るわけないでしょう! どこまでもバカなのね! 言っておくけど、フロルもあの家を継ぐつもりなんて無かったんだから」

 それを聞いてダリアは目を細めた。

「どうせお前が馬鹿なことを吹き込んだのだろう」

「馬鹿な事言ったのはあんたでしょう。口を開けば家督家督家督家督。そんなに家督が大事なら愛人に金払って子供産ませればいいじゃない!」

「それ以上私を侮辱するな」

「なら二度と私に関わらないで。次に私の前に顔だしたら父親といえど容赦しないわよ」

 そう言ったプレグの目は本気であった。

「……どうしても戻らぬと言うのだな?」

「えぇ、死んでもね」

 それを聞いたダリアは手に魔力を込めた。

「何をする気?」

「娘に洗脳魔法を掛けねばならぬとは残念だよ」

 ダリアの手が紫色の光を発する。

 プレグは落胆した。たとえ不仲とはいえど、自分の父親がそこまで下劣な人間だとは思わなかったのだ。

「やれるものならやってみなさいよ」

 プレグも己の手に魔力を込めた。

「ふん!」

 ダリアがプレグの頭部に掴みかかろうと間合いを詰める。魔力で身体能力を強化しているのか、それは中年の男の見た目に反した素早さであった。

 プレグはダリアの手をスレスレで躱し距離をとると、ダリアに向けて雷を放つ。しかし雷はダリアに当たる前に霧散した。

「障壁……じゃなくて、魔弾きの衣!?」

 ダリアが身につけている衣類は、魔法障壁を張らずとも魔法を弱体化させる事ができる衣であった。ダリアは初めからプレグと戦闘になる事を想定していたのだ。

 プレグは咄嗟に履いていたヒールを脱ぎ捨て肉弾戦へとスイッチする。護身のために身に付けた武術で応戦するが、魔力で身体能力を上げているダリアには蹴りも突きも当たらない。

(私も戦闘魔法をもっと身に付けとけば良かった……)

 プレグは大道芸人になるために【魅せる魔法】を研究していたために、火炎や雷を放つ派手な魔法は得意であるが、肉体強化や精神干渉の魔法は得意ではなかったのだ。

「……っ!」

 裸足で戦うプレグの足に、先程自分で割った酒瓶のガラスが突き刺さる。

(なんて凡ミス……!)

 足の止まったプレグに、ダリアの手が伸びる。

(まずい!)

 プレグは咄嗟にダリアの腕を掴んだ。

 しかし、強化された肉体の剛力で、ダリアの腕は徐々にプレグの頭部に迫ってくる。そしてダリアの指がプレグの頭を掴んだ。プレグは自分の意識が凄まじい速さで侵食されるのを感じた。

 プレグは覚悟を決める。

「ち……くしょおおおおおおお!!!!」

 プレグの手が眩い光を放ち、ダリアの腕に全力で雷を流し込む。

 しかし、それはダリアに接触しているプレグも感電する諸刃の剣であった。気絶しそうな痛みと衝撃がプレグを襲う。二人の体が雷によりガタガタと震える。そして焦げ臭い匂いが漂い始めるとプレグは手を離した。ダリアとプレグは互いにヨロヨロと後ずさり、ドサリと地面に倒れる。その時、地面に散らばっていた瓶の破片がプレグの頬をぐさりと傷付けた。それが気付けになり目を覚ましたプレグは、壁を支えにして何とか立ち上がる。

「はぁ……はぁ……クソ親父……」

 そう吐き捨てると、プレグはダリアに背を向けてその場を離れようとした。


 ふと、プレグの額に目に見えぬ手が触れた。

「昏倒せよ」

「え?」

 何者かが唱えると、プレグは思考する暇も与えられず、その場に昏倒した。

 昏倒したプレグの前に、足元からすーっと透明呪文を解いた一人の女性が姿を現した。

「あなた。大丈夫ですか?」

 それはプレグの母であるエリシアであった。エリシアの背後から、次々と透明呪文を解いた魔法使い達が姿を現わす。彼らはダリアの弟子である魔法使い達だ。ダリアは万が一の事を考えて、透明になったエリシアと弟子達を潜ませて居たのだ。

「ふん。まさか自分の娘に遅れをとるとはな。最初から力技でかかるべきだった。この跳ねっ返りめ」

 魔法使いの一人の肩を借りてダリアは立ち上がり、プレグを見下ろした。

「さて……」

 ダリアは先程と同じように、魔力を込めて手に紫の光を宿すと、プレグの頭部に触れようと近付けた。

 すると、

「おい、おっさん」

 唐突に声を掛けられ、ダリアとエリシア、そして弟子達は一斉に振り返った。

 そこには剣を背負った少年と、杖を手にした少女が立っていた。

「……人払いの結界を張るように言ったはずだが? 張ったの誰だ?」

「は、はい」

 魔法使いの一人がおずおずと手を挙げた。

「後で覚えておけ」

 ダリアはその魔法使いをギロリと睨んだ。

「ひいっ!」

 魔法使いは逃げようとしたが、周りの魔法使い達に取り押さえられる。

「どうでもいいけどよぉ。俺達の客に何してくれてるんだ?」

 少年は小指で耳をほじほじすると、耳糞をふっと吹き飛ばした。耳糞は隣にいる少女のローブに引っ付く。それを見た少女は少年の頬をベチンと叩いた。

「客? 何を言っているかわからないが、私はできの悪い娘を躾けていただけだよ。お騒がせして悪かったな」

 そう言うとダリアは懐から高額ゴールドを取り出して少年の足元に投げた。

「騒がせてしまった詫びだ。取っておけ」

 少年はゴールドを拾わずに、ダリアとその周りの魔法使いを見渡した。

「躾けにしてはちょっと物騒な感じじゃないか?」

「しつけー躾は娘に嫌われるよ」

「……8点」

 その場を立ち去らぬ二人を見てダリアは舌打ちをした。

「面倒だ、記憶を消しておけ」


 ダリアが言うと、魔法使い達が一斉に二人に襲いかかった。

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