プレグの過去 1
チルトランの街にある病院の一室では、トロンとした目をしている、まだ幼さの残る少女がベッドに座っていた。少女は街の広場を楽しげに歩く人々を羨ましげに見つめている。
コンコン
病室のドアがノックされ、少し間があった後に開いた。
「やっほー、フロル」
病室に入って来たのは、先日二十歳を迎えたばかりのプレグであった。
「お姉ちゃん!」
フロルと呼ばれた少女はベッドから飛び降り、プレグに抱きついた。
「こらこら、ちゃんと寝てなきゃダメでしょ」
プレグは抱きついてきたフロルの頭を撫で、ベッドまで連れて行き座らせる。
「大丈夫だよ。最近調子いいんだ」
フロルは屈託無い顔で笑うと、グッと腕まくりをしてみせた。
「ねぇねぇ、今回のショーはどうだった?」
「もちろんバッチリだったわよ。すごい拍手だったんだから」
「さっすがお姉ちゃん!」
プレグは手にした袋から、長方形の包みを取り出した。
「今日はね、フロルにプレゼントがあるの」
「え! 何?」
プレグはフロルに包みを手渡す。
「開けてごらん」
フロルがその包みを丁寧に開き、包みの中の箱の蓋を持ち上げると、中には短い杖が入っていた。それは魔法使い達が使う杖の中でも、初心者向けの杖であった。
「すごい! 魔法の杖だ!」
フロルは杖を手に取り、まるで世界一の宝石を見るような目で見つめた。
「入門用の杖よ。フロルが元気になったら私が魔法を教えてあげる」
「本当に!?」
フロルは杖を握りしめたまま、目をキラキラと輝かせる。
「本当よ。だから早く良くなってね」
「うん! ねぇ、もし私が魔法を使えるようになったら、お姉ちゃんと一緒にショーをやりたい」
「こらこら、そんな事言ったらお父さん達に怒られるわよ」
「いいの! 私もプレグお姉ちゃんみたいに魔法大道芸人になりたいんだ。ダメかな?」
「……もちろんいいわよ。そしたら美人姉妹魔法大道芸人として王国中で人気者になっちゃうかも」
「えへへ、楽しみだなぁ」
プレグの妹であるフロルは、幼い頃から病弱で何度も入退院を繰り返していた。魔法使いの名家に生まれたプレグは、大道芸人になると決めた時に両親に勘当され家を出ていたが、可愛がっていたフロルの事が心配で、王国各地を旅しながらもちょくちょくチルトランの街に戻って来ては、こうしてフロルのお見舞いに来ていたのだ。
「今度はどこの街に行くの?」
「そうね、レンカの町にでも行こうかしら。あそこは花の栽培が盛んだから、今の時期はきっと綺麗な筈だわ」
「いいなぁ。私も早くお姉ちゃんと旅がしたいな」
「その為には嫌いな野菜もちゃんと食べないとね。食べてる?」
「食べてるよー。……ニンジン以外は」
「こら!」
そんなやりとりをして二人は笑った。
そうこうしているうちに、あっという間に面会終了の時間が来る。
「じゃあ、私は帰るわね」
プレグは腰掛けていたベッドから立ち上がる。
「今度はいつ来れる?」
フロルは少し寂しげに聞いた。
「そうね、レンカまで行くなら……来月にはまた来れるわ」
「わかった。……あのねお姉ちゃん」
「なぁに?」
「次お姉ちゃんが帰って来たら、私お姉ちゃんの大道芸見たいな」
プレグは少し考えた。病室でできる大道芸は限られる上に、魔法大道芸となると病室でやるのは危険な為まず不可能だ。しかしフロルを外に連れ出すのには不仲な両親の承諾が必要である。
「そうねぇ……」
その時プレグの脳裏に、一つのアイディアが浮かんだ。カーテンを開け、すぐ近くに見える広場を見る。
「わかったわ。見せてあげる」
プレグがそう言うと、フロルは嬉しそうに笑った。
プレグはフロルと別れを告げ病室を出ると、病院の院長を訪ねた。そして病院から見える広場で、入院している子供達のために、チャリティーのショーを開きたいと申し出た。人の良い院長は快く承諾してくれ、来月に広場の使用許可を町長に取ってくれると約束した。プレグはフロルの喜ぶ顔を想像して心が弾んだ。そしてレンカの町からの行き帰りやショーの合間に、必死で最高の演目を考えた。
フロルに最高のショーを見せてあげよう。きっとフロルは喜ぶ筈。あの子の病気もじきに良くなるわ。そうしたら二人で世界を回ろう。二人で世界一の大道芸人になるんだ。いえ……世界一じゃなくても良い。大道芸人でなくてもいい。あの子が元気になってくれるなら、魔法が使えなくなっても……二度とショーができなくなってもいいわ。
プレグは強くそう思った。
しかし、プレグの想いは無残にも砕け散った。
「嘘……」
「残念ながら、先日容体が急変して亡くなられました……」
ショーをやる予定の前日に、レンカの町から戻ったプレグが病院を訪れると、そこで待っていたのは、フロルが死んだという報せであった。
「嘘よ……嘘でしょう?」
「フロルさんはせめてあなたが戻るまでと頑張っていましたが……」
「嘘……」
プレグは床に崩れ落ちた。
「……彼女は最後までこれを握りしめていました」
院長はプレグに一本の杖を手渡した。それはプレグがフロルにプレゼントした杖であった。
プレグが杖を受け取ったその時、杖がポゥと僅かに光った。
それを見たプレグは、そっと杖に魔力を込める。
すると、杖から微かに声が聞こえてきた。
……お姉……ちゃん……本で勉強して……物に声を込める……魔法を……練習……しています……聞こえますか………ショー……楽しみに……してるね……
それはフロルの声であった。プレグは杖を耳に跡が付くほど押し付けて、その声を何度も再生した。気がつくと、プレグの目からは大量の涙が溢れていた。院長はそんなプレグの様子をしばらく見守り言った。
「もう告知はしてしまいましたが、明日のショーは中止にしましょう」
それを聞いてプレグはゆらりと立ち上がった。
「いいえ……やります」
「いや、しかし……」
プレグのただならぬ様子に院長は思わずたじろいだ。
「ショーは死んでもやるわ……私は」
プレグは涙を流しながら言った。
「芸人だもの」
翌日、プレグは大勢の人々の前で、これまでで最高のショーを披露した。ショーはフィナーレを迎え、プレグに嵐のような拍手が浴びせられる。プレグはいつものように観客達に笑顔を振りまき、手を振った。そして病室の窓から見ている子供達にも笑顔を向ける。
その時、プレグはふとフロルがいた病室の窓を見てしまった。そこには一番ショーを見て欲しかった妹の姿はなかった。プレグは硬直し、目からは自然に涙がこぼれだす。それを見た観客達がざわめき始めた。
ダメ……私は芸人なんだ。最後までショーをやり切らなきゃ……舞台の袖に消えるまで、私は芸人なんだ。
そう思い込もうとしたが、涙は止まらなかった。悲しみが拍手をかき消しプレグを襲い、やがてプレグはステージに膝をついた。
その日、プレグは引退を決意した。
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