現れし魔の者

 二人が振り向くと、そこには先程と同じように見つめ合うミノさんとペノの姿があった。ただ先程と違うのはミノさんの胸に何かが生えていた事だ。

 ミノさんの胸に生えているもの。それは高密度な魔力で形成された、魔力の刃だった。


 ズンッ


 ミノさんは膝をつき、その巨体が地面に倒れる。

「ミノさん!」

 ムチャとトロンはミノさんに駆け寄った。

 魔力の刃がフッと消え、ミノさんの胸から大量の血液が溢れ出す。ペノは状況が把握できずに、ただただ硬直していた。

「ミノさんしっかりしろ!」

「ムチャ、ペノさんどいて」

 トロンの杖が強烈な光を放ち、意識を失っているミノさんに治癒の魔法を浴びせる。しかし魔力の槍により深く傷ついた胸の穴は一向に閉じない。地面がみるみるうちにミノさんの地で赤く染まってゆく。

「ペノさん、医者を。急いで」

「は……はい!」

 ペノはようやくハッとして子供を抱えたまま駆け出した。

「誰だ! 誰がこんな事をしやがった!」

 ムチャは剣を抜き、辺りを見渡す。

 すると、クイーンが破壊した柵の向こう側に立つ、黒いローブを羽織った人影を見つけた。遠目からだが、ムチャにはその者が並々ならぬ邪悪さを纏っているのがわかった。

「てめぇがやったのか?」

 ムチャが問うとローブを羽織った人物は口を開いた。

「いやはや、ペット達と散歩をしていたらまさか人間共と馴れ合う情けない魔物を見つけるとはな」

 ローブの人物との距離は離れていたが、なぜかその声ははっきりと聞こえた。フードを被っているために顔は見えないが、ローブの人物の声は男のものである。

「ミノタウルス如きが私のペットを殺してくれるとは、その罪は命をもってしても償いきれぬぞ」

「てめぇがやったのかって聞いてるんだよ!」

 ムチャが怒号をあげると、ムチャの眼前に凄まじい速さで黒い物が飛んで来た。ムチャはその速度に驚きながらも、咄嗟に剣で防御する。それは先程ミノさんに突き刺さった魔力の槍であった。


 ガギィ!!


 防いだはずのムチャが数メートル後まで弾き飛ばされる。ムチャの全身に骨が砕けるのではないかと思う程の衝撃が走った。

「がはっ!」

 背中を地面に強かに打ち付けたムチャは、肺にある空気を全て吐き出してしまう。

「小僧、誰に口を聞いている?」

 ムチャは痛みを堪えてなんとか立ち上がる。

「生憎てめぇがどこの何様だかご存知ねぇんだよ……」

 男がムチャに向かい手をかざした。

「ならば死ね」

 男が手に魔力を込めると、魔力の槍が凄まじい速さでムチャに向かって飛んでくる。ムチャは今度はそれを受けずにいなした。ムチャの斜め後方に弾かれた槍が家屋に突き刺さり倒壊させる。

 ムチャは男との距離を詰めるため駆け出した。

「ほう、目が良いな」

 男はフードの下でニヤリと笑った。

 そしてムチャに向かってかざした手の方向を僅かにずらす。そして手のひらから槍を射出する。その先にはミノさんを治療する無防備なトロンがいた。

「トロン!」

 ムチャは慌てて横に飛び、その槍を弾いた。

「てめぇ汚ねぇぞ」

 ムチャが一撃目と今の攻撃を防げたのはほぼ偶然であった。ムチャ自身はともかく、次にトロン達を狙われたら防げる保証は無い。男の槍は剣術と動体視力に自信のあるムチャがそう思う程の速さであった。意識のないミノさんと、治癒に専念するトロンを逃す隙は無い。ムチャの頬を冷や汗が伝う。

「ゴミ掃除とは得てして汚いものであろう」

 ムチャの目には男の口角が上がるのが見えた。それを見たムチャは、今以上に怒りが沸々と湧き上がる。

「てめぇをゴミクズにしてやるよ!」

 ムチャの全身から赤いオーラが湧き上がった。

「怒の術……噴脚ふんきゃく!」

 爆発音と共に地面がヒビ割れ、土煙が舞い、ムチャが男に向かい跳躍する。感情術を使い飛び出したムチャは、瞬時に男との距離を詰めた。

「怒剣! 激流!」

 ムチャは怒の術による勢いに乗せ、男に向かって渾身の突きを放った。風圧で男のフードが捲れ、素顔が露わになる。


 ガクン


 男の胴を貫くかと思われたムチャの剣がぴたりと止まった。

 男はムチャの剣の刀身を素手で掴んで止めていた。

「小僧、感情術を使うか。忌まわしいな」

 フードが脱げた男の顔には、ムチャの見たことの無い刺青が入っており、その顔はまだ青年と呼べるくらいの若者のものであった。そしてその額には一本の角が生えている。

「がぁぁぁぁあ!」

 術の副作用で怒りに我を忘れたムチャは、剣を手放し男に殴りかかる。

「ははは、術に振り回されているな。まるで獣だ」

 男は剣を放り、ムチャの拳を全て軽々と躱す。そして大振りなパンチに合わせてムチャの腹に蹴りを放った。カウンターを食らったムチャは吹っ飛ばされ地面に倒れる。

「どうした? 魔王を倒した感情術とはその程度のものなのか? 期待していた程では無いな」

 男はムチャに対して再び手をかざした。そして魔力を込める。

「哀れな小僧よ、感情術を見せてくれた礼だ。褒美をくれてやろう」

 その時、ムチャの手に男が手放した剣が触れた。痛みに悶えながらムチャは剣を握る。

「怒・喜……合技……」

 ムチャの体から立ち上るオーラが赤からオレンジ色に変わった。

「死ね」

 男の手から槍が射出される。

「叛逆刃!」

 瞬時に膝立ちになったムチャの振り上げた剣が、放たれた槍を捉える。そしてその槍をそのまま男に跳ね返した。しかし完全には槍の威力を殺しきれずに、ムチャは再び吹っ飛んだ。

 跳ね返された槍は男の頬を掠め遥か彼方に飛び去る。男の頬に細い線が走り、一筋の血が流れた。

 男の顔には驚きの表情が浮かんだ。

「どうした。ビビったのか?」

 ムチャは剣を支えにして立ち上る。しかし、思った以上にダメージは大きく、膝がガクガクと笑った。いつの間にか体から湧き上がるオーラは消えていた。

 男は自らの頬を伝う血を指でなぞった。そして指を眼前に運び眺める。

「ククク……ははははははは!!」

 男は突然笑い出した。

 ムチャは膝の笑いを堪えてなんとか剣を構える。

「面白い。面白いぞ小僧」

 そう言うと男の体が宙に舞い上がった。

「剣聖とやら以外の人間はゴミだと思っていたが、どうやらそうでも無いようだな」

 男は上空から視界に入る人間達を見渡した。

「人間共よ。先代魔王が倒れてから数年、貴様らの束の間の平穏は終わりだ。我々は屈辱に耐えながらこの時を待っていた。間も無く新たな魔王が目覚める。そうなれば二度と貴様らに平穏が訪れる事はない。ただ震え、滅びが訪れるのを待つがよい」

 その声は村全体に響き渡り、村人達はそれを聞いてざわめいた。

 そして男はムチャを見た。

「小僧、名を何という?」

 ムチャは上空の男を睨みつけた。

「……ムチャだ」

「まさかとは思うが、貴様が次の勇者になるつもりではあるまいな?」

「違う、俺は……お笑い芸人だ」

 男は訝しげな顔をした。

「何だと?」

「俺はお笑い芸人! そしてトロンと俺はお笑いコンビだ!」

 ムチャは叫んだ。

「どうやら聞き違えでは無いようだな。まぁ良い。貴様の健闘を讃え、この場は見逃してやろう。我は新たなる魔王より、ムイーサの地の制圧を任命された【傲慢】のブレイクシアだ」

「傲慢のブレイクシア……?」

「貴様にその気があるのなら我が城まで来るが良い。手厚く歓迎してやろう」

 ブレイクシアはそう言うと、ムチャが引き止める間も無く、ローブを翻し遥か彼方に去って行った。


「新たな魔王が……」


 ムチャはその場にドサリと倒れ込んだ。

「ムチャ!」

 薄れゆく意識の中で、珍しくトロンが叫ぶ声が聞こえたような気がした。

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