第二十八怪 妖刀 童子切り安綱

 ※

 父が病没し、母もその心労によって後を追うように自殺した後、私は家を継ぐことになりました。

 親戚一同は私に同情的でしたから特にもめることもなく、このときにはありがたいと思ったものです。

 そうして、死後のごたごたも片付き始め、私自身もより一層精進すべしと心新たにした時期にそれは起こりました。

 交通事故。

 言ってしまえばそれだけのことです。

 世の中にはあふれていることなのです。

 私にとっては人ごとではなかったのですが。なぜなら、被害者は私だったのですから。

 事故はひどいものでした。

 かれた私は宙を舞い、アスファルトに叩きつけられた瞬間までは覚えているのですが、次に気がついたときには病院のベッドの上でした。

 体中に管がつながれ、全身を包む痛みと倦怠けんたい感、そしてどこか浮世離れしているような感覚を覚えています。

 まるで水面みなも揺蕩たゆたう蓮の葉になったかのようでした。

 口を開くことも出来ず、私は痛みと熱に耐えながらただただ一つのことを想っていました。

 “いつ、剣を振れるのだろうか?”と。

 一週間ほどすると多少は傷口も塞がり始めてきたのか痛みもマシになり、声を発することぐらいはできるようになりました。

 驚いた看護師の顔は覚えています。それまで私は一言も発しなかったのですから、もしかすると事故のショックで失語症にでもなったのかと思われていたのかも知れません。単に口を開けばうめくか叫ぶかしかなかったので目を瞑って歯を食いしばっていただけなのですが。

 それからはにわかに私の周辺は慌ただしくなりました。

 医師の問診が始まり、数々の検査が始まりました。

 検査自体は全く気になりませんでしたが、気に掛かることはありました。

 ギプスで動かすことが叶わぬほどに固められている右手。感覚が全く無くなってしまっているその腕のことだけが私の気がかりでした。

 きっと、怖かったのだと思います。

 尋ねることが。事実を突きつけられてしまうことが。

 ですが結局、私は耐えることが出来ずに尋ねてしまったのです。「私はいつ頃になったら剣を触れるようになりますか」と。

 医師はしばらく沈黙していました。

 やっと口を開いたかと思えば、告げられた事実は残酷なものだったのです。

 『神経がずたずたになってしまっているため、以前のように振ることはできない』

 きっと、医師としては私の命が助かったことを喜んでいたのでしょう。

 ですが私にとってそれは、死刑宣告にも等しいものでした。

 本来ならば生き延びたことを幸運であると判断すべきなのでしょう。ですが、幼少の時分に己の意味を剣に見いだし、他の何を犠牲にしても剣の道に邁進まいしんしてきた私にとっては、生きながらにして地獄に落ちてしまったかのようでした。

 それからは、あまり覚えていません。

 きっと私は失意のままに病院で過ごし、抜け殻のような心で肉体の傷を癒やし、そして退院したのでしょう。いつの間にか実家に戻っていました。

 体の傷が癒えても、私の心には空隙くうげきが残りました。

 かつてのようには言うことを聞いてくれない右手。

 生活には支障なくとも、剣を握れば一目瞭然でした。

 剣先はぶれ、振ればみしみしと神経がきしみ、少しばかり突けばそれだけで焼かれたような痛みが走ったのです。

 痛みを無視して振ってみようとしても、やはり、以前のようにはいきません。

 もはや、私は自ら剣を持つことを諦めざるを得ませんでした。

 深い、深い絶望の中に沈殿した状態で私は生きた屍のように、ただただ死んでいないだけの生活を送っていたときでした。

 あの老人が私を訪ねてきたのです。

 彼が私の財産を狙っているのはすぐにわかりました。

 しかしながら、提示された条件はなによりも魅力的だったのです。

 “再び剣を握れるようにしてやる”

 ああ、それはきっと蛇の誘惑だったのでしょう。

 それでも私は、老人が差し出した手を取ったのです。木角きかど利連りれんと名乗ったその老人の手を。

 ※

 

  1

 空間転移独特の閃光に目がくらんだ次の瞬間には、すでに僕はおんぼろの公衆トイレではなく、コンクリートの部屋の中にいた。

 やっぱり、これには慣れない。人間として生活してきての実体験から、いや、常識からあまりにも乖離かいりしている現象には、正直慣れたくないのだけど。

 「お疲れ様、ヴィッキー」

 聞き覚えのある渋い声。 

 そっちを見ると、予想通りの人物がいた。

 久道院くどういん八久郎やくろうさん。またの名をミサトさん。

 今日は女装じゃなくて、しっかりとしたスーツ姿なので致命傷は避けられた。顔はしっかり化粧済みだったからダメージは多少、ある。

 「それを言うにはまだ早いだろうが。親玉はまだ残っているんだからな」

 「それもそうね。アタシもちょっと参っちゃってるのかしら」

 つれない室長と、あんまり動じてない八久郎さんだった。

 だけど、疲れているっていうのは本心なんだろう。化粧で隠していてもその目の下に濃いクアがあるのは明白だ。

 八久郎さんのほうも色々と消耗する事態になっていたらしい。

 おそらくは、この妖刀騒ぎの裏方として色々と奔走ほんそうしてくれたのはこの人だろうし。

 なにより、この場にいる統魔関係者が八久郎さんただ一人というのが深刻な人材不足を語っている。

 「久しぶり! ミサトちゃん!」

 「あら~ミサキちゃん! 会えなくってさみしかったわぁ~。 で、どうなの? コダマちゃんとは進んだ?」

 「え~? もう、恥ずかしぃよぉ~」

 女子トークしてんじゃねえよ! 片方は女子じゃねえけど!

 恥ずかしそうに身をよじる笠酒寄と、にやにやしながらそれを眺めている八久郎さんに僕はちょっとばかりのいらだちを覚えた。我慢我慢。

 「八久郎、女子会は後でやってくれ。これが片付いたら私が主催して思う存分二人の進展具合の報告をしてやる」

 「……ごめん、ヴィッキー。ホント、参っちゃってるわね。アタシ」

 「ごめんなさい」

 存外素直に謝る二人だった。

 「で、頼んでいた『仕事』の仕上がり具合はどうなんだ? 一刻も早く向かいたい」

 「それなら大丈夫。片道通行だけど準備はできたわ。……次に開けるのは少なくとも二時間後だけどね」

 ばちん、というウインクは余計だと思ったけど、室長は何かを頼んできたらしい。片道通行というぐらいだから、また転送魔術なんだろうけど。

 「わかった。すぐに向かう。すでに圧し切り長谷部へしぎりはせべ水鏡みかがみ祢々切丸ねねきりまる、かまいたちを無力化されてしまった以上、“童子切りどうじきり”がいつ結界を破ってもおかしくない」

 童子切り。それが、今回の妖刀騒ぎの元凶か。

 どっかで聞いたような、聞かないような……。

 「……そこの赤い魔方陣が童子切りの封印場所に繋がってるわ」

 きっちりとネイルの施された八久郎さんの指が示したのは片隅にある魔方陣だった。

 すぐにでも起動できるようにか、淡く輝いている。

 「行くぞコダマ、笠酒寄クン。この馬鹿らしい騒動にケリをつけに」

 早足で室長は赤い魔方陣に歩を進める。

 ばちん! 僕は自分の頬をはたく。

 これで最後にしよう。この危険極まりない一連の『怪』ですらないただの残酷な事件に決着をつけて、終わらせよう。

 「どうしたの空木君? Mに目覚めた?」

 笠酒寄……水を差すのは止めてくれ。結構真剣なんだから、僕。

 「お前な……あ?」

 いさめようとした僕は変に語尾が上がってしまう。

 だって、いきなり笠酒寄が僕の手を握ったもんだから。

 「行こう、空木君。わたしが絶対に空木君を守るから」

 その瞳の奥にとても強い覚悟が潜んでいるのは鈍い僕でも察することが出来た。

 ……たまには僕も彼氏面してもいいだろう。

 「ばか。だったら僕はお前を死んでも守ってやるよ」

 二人一緒に笑い出してしまったのは、なんだか心が通じ合ってるみたいでこそばゆかったのだけど、決して不快じゃなかった。

 「いちゃついてないで早く来い」

 「いいわぁ~、青春。こういうのアタシ忘れちゃったわねぇ」

 大人二人には賛否両論だったみたいだけど。

 手をつないだままで僕と笠酒寄は魔方陣の中に入る。

 室長から呆れた視線をもらったのだけど、今回ばかりは容易(たやす)く耐えられる。

 だって、笠酒寄のぬくもりを感じているんだから。

 「行ってくる」

 「お願いね、ヴィッキー」

 またしても僕の視界は閃光に包まれた。


 2


 視界が戻る。

 今度は外だ。 

 野外から屋内へ、そして野外へ。あまりに急激に温度変化を繰り返すもんだから風邪でも引きそうだ。

 たぶん……山奥だろう。辺りはただ一つの例外を除いて木ばかりだ。

 例外、そう、たった一つの例外は洞窟だ。

 ぽっかりと、まるで黄泉の国へと繋がっているかのような不気味さを湛えた穴。

 何重にも注連縄しめなわが張り巡らされているのだけど、一本だけが断ち切られている。

 「ふん、予想通りか」

 つまらなそうに室長は呟いた。

 「ってことは、予想通りあの先に元凶がいるっていうことですか?」

 「そういうことだ。……突入するために一応説明しておくか」

 またしてもタバコを取りだし、室長は白衣のポケットから取りだしたライターで火を点ける。

 「妖刀童子切りどうじきり安綱やすつな。日本で最初に生まれた妖刀だ」

 やっぱり物騒な名前だ。童子切りって、子ども殺しってことなのか?

 ふぅ、と。呼気と一緒に煙を吐き出しながら室長は続ける。

 「この刀は酒呑童子の首を切った刀だ。ゆえに『童子切り』。その異能は『鬼を殺す』という一点に集約される。鬼を殺すためならばなんでもするような妖刀だ」

 そうか、どこかで聞いたことがあると思った酒呑童子退治の話か。

 たしか、天下五剣の一振り。国宝級じゃないか。

 これも、本物と信じられているほうは偽物なんだろう。こんな事件を引き起こすような厄介な代物が博物館程度に納められているのはなんとも危険極まりないし。

 「鬼を殺すって……でも、鬼なんていないじゃないですか」

 もしかしたら存在するのかも知れないけど、少なくとも僕は見たことない。

 ということは、思っているよりも凶悪じゃないのか?

 少なくとも僕達にとっては。

 「いるだろうが、ここに」

 「へ?」

 室長の視線はまっすぐに僕を見ている。ついでに指も差されてる。

 え、僕?

 「吸血“鬼”。童子切りからしてみたら鬼と名の付くものならば尽(ことごと)く殺戮の対象になる。もちろん、私もだな」

 かるーい調子で室長はおっしゃる。 

 「う、嘘ですよね? 冗談ですよね? 僕を脅かすつもりなんでしょ?」

 「現時点で嘘を言う必要があるか? これから真剣勝負なのに?」

 ……そうだよ。あぁそうだよ。これから殺される可能性もある戦いだ。

 その上で相手は僕や室長に対する特効能力持ちかよ! なんだソレ! ふざけんな!

 頭をその辺の木にでも打ち付けて現実逃避したかったのだけど、最後の理性がそれを阻止してくれた。今体力を消耗してしまうのは得策じゃない。

 「ぐ、具体的にはどういう能力なんですか? 圧し切り長谷部みたいな凶悪なやつじゃないですよね?」

 「……全ての妖刀の原点にして原型。そして、童子切り以外の妖刀っていうのはある部分を抽出したり、手を加えたり、制御しやすくしたり、制御しにくくしたりしたものだ」

 「つまり?」

 「他の妖刀に出来ることは大抵できる。例外はあるが」

 ……マジかよ。

 っていうことは、今まで退治してきた妖刀全部乗せってことか? とてもじゃないけど、手に負えそうにない。

 さっきまでちょいとばかり息巻いていた僕の心中はすでに葬式ムードが漂い始めた。

 無理もない。一振りでも妖刀には手を焼いていたのに、それが全部ありありのヤツ?

 できっこない!

 ばしん、と肩をはたかれる。

 「そう悲観するなコダマ。いかに童子切りと言っても弱点はある」

 へ?

 「童子切りはな、『使い手が必要な妖刀』なんだ。どんなに童子切りが優れていても、それを十全に引き出せる人間が使わないと意味がない。そして現代日本にそれだけの使い手がどれほどいるんだ? この平和な時代に刀なんぞに興味を示すのは時代劇マニアぐらいだ」

 それはちょっとひねくれた見方過ぎるとは思うのだけど、一理ある。

 これまでの妖刀との戦いでも、使い手の油断につけこんで勝利をもぎ取ってきたパターンは多い。そして、童子切りもそういうタイプの妖刀ということならば、まだ望みはある。

 もう一回……いや、今回は室長にやってほしい。

 「すいませんけど室長。ちょっとビンタしてもらっていいですか?」

 「首が飛ぶぞ?」

 「そこは手加減してくださいよ……」

 「わかった」

 ばっちん!

 マジで首が吹っ飛ぶかと思った。

 どうも室長は手加減が下手らしい。 

 だけど、気合いは入った。

 やることは一つ。童子切り安綱を無力化して、一連の妖刀騒ぎを終わらせて……。 

 「……宿題しないと」

 わりと切実。追い込みかけようとした途端に降って湧いたようにこの厄介事だったから進捗しんちょくが思わしくない。

 「あ、わたしもやってない」

 僕の予想だとお前は多分この騒ぎがなくてもやってないだろ?

 「なら、片付いたら二人はいちゃつきながら勉強会でもしろ。私は戦利品をいい加減に整理したい」

 なんの戦利品なのかは聞きたくない。

 三者三様に決意を固めて、僕達は注連縄が幾重にも巡らされている洞穴に歩き出した。




 洞窟の中は思ったよりも明るかった。

 多分、所々に蝋燭ろうそくが灯されているためだろう。

 湿気を十二分に含んだ嫌な空気の中を僕達は進む。

 「作戦は単純に行こう。私と笠酒寄君が前衛、コダマは後ろから能力で拘束するなり手足を引きちぎってやるなりしろ。トドメは私がやる」

 歩みを止めることなく室長は行動方針を決定する。いや、戦い方か。

 「……その理由を訊いてもいいですか?」

 唯一の男である僕が多少なりとも安全圏にいるというのはちょっと承服しがたい。

 男女平等主義者ではあるのだけど、たまには僕も良いところを見せたいという欲がある。

 「身体能力の差だ。キミは人間としては規格外だが、人外の領域からしてみたら子どもみたいなモノ。しかも相手は鬼に特化した能力持ちの妖刀ときてる。これで接近戦を挑みたがるのはよほどの馬鹿だぞ」

 ……そりゃそうだけどさ。

 だけど、だけど!

 「心配するな。私は誰だ? そう、魔術師にして吸血鬼、そして百怪対策室室長、ヴィクトリア・L・ラングナーだ。この私にかかったら、例え最初の妖刀だろうが未来サイボーグだろうが敵じゃない」

 自分で言うか、そういうことを。

 いつものことだけど、この自信はどこからやってくるんだろう。爪の先ほどでいいから僕にもわけて……くれなくていいや。多分ひどいことになる。

 「了解です。……僕は援護に徹します」

 「そうしてくれ。あと笠酒寄クン」

 「はい?」

 「今回は最初から完全人狼化して……いや、今の内にしておけ。初手で決めたい」

 完全人狼化。つまりは僕が最初に戦ったときの笠酒寄。

 あの動きに反応できるっていうんならやってみろと言いたくなる。僕でも格闘においては完全敗北したのだから。

 「わかりました。んんぅっ!」

 笠酒寄の体格が変化する。 

 僕よりも小さかった身長は完全に追い越し、横幅も広がる。

 トドメに露出している部分を獣毛が完全に覆ってしまって、人狼の完成だ。

 ……いまだにこの姿を見ると腹が痛む。貫手で穴空けられた場所が特に。

 脇差しを持った人狼(女子の服装)という世にも奇妙な存在が僕の隣にいるのだけど気にするだけ損だ。脳の思考力を余計なコトに割きたくない。

 「よし。そろそろ着くな。合図したら一斉にかかるぞ」

 光に満ちている広い空間が見え始めていた。

 待っているのは、童子切り安綱。

 こっちと比べて光量が多いので、薄暗い状態になれてしまっている僕にはよく見えないけど、何かが待っているのは感じられた。

 

 

 

 開けた場所だった。

 入り口からは想像も出来ないぐらいに広い。

 体育館ほど、とはいかなくとも、ちょっとしたホールぐらいの広さはある。

 こっちは蝋燭じゃなくて、今時のLEDライトが多数設置されていた。

 存在していたのはそれだけじゃないけど。

 人間と、刀が一振り。

 人間は和服を着ている。こっちに背を向けた状態で正座し、刀に対面していた。

 そして、刀。

 おそらくは童子切り安綱であろうその刀は奇妙な状態だった。

 柄もつばもついていない。なかごが剥き出しの、刀身だけの状態で浮いていた。

 「お待ちしておりました」

 まだ若い男性の声だった。

 それが僕達に背を向けて座っている人物から発せられたという事実に到着するまでには多少の時間がかかった。

 なにせ、声は広間全体に反響するようにして聞こえたのだから。

 「妖刀の活性化の原因はお前だな? 今すぐ童子切りを手放して投降するなら手足を行動不能にするぐらいで勘弁してやる」

 脅迫しているのか説得しているのかわからない。

 だけど、和服の人物は微動だにしなかった。

 「……初めまして。洲島すじま意継おきつぐと申します。このたびは私のわがままに皆様を巻き込んでしまい、大変申し訳なく思っております」

 だったらこっちを向くぐらいのことはしてもいいんじゃないか? 言動が一致してない。これも妖刀の影響なのだろうか?

 「ああ、大変迷惑だ。だからとっとと捕まってくれ。そして精々後悔してくれ」

 「それは……承服しかねます。やっと私の望みが叶うときが来たのですから」

 望み? ……なんだよ、それ。僕や室長、そして笠酒寄はお前の望みとやらに付き合わされて命がけのバトルだったのか? ふざけんな!

 思わず能力を発動しそうになるけど、それを室長は手で制する。

 「望み? なんだそれは。生憎と私達は願いを叶えてくれるランプの魔神じゃないぞ」

 冷たい室長の言葉だったけど、僕の気持ちをこの上なく代弁してくれていた。

 だけど、洲島と名乗った男はゆっくりと振り返るだけだった。

 まだ、若い。そりゃあ僕よりかは年上だろうけど、いっても三十代。下手したら二十代じゃないのか、っていうぐらいには。

 だけど、その表情には寒気を覚えるような喜色満面の笑みが貼り付いていた。

 「いえ、そんなことはありませんよ。あなたたちは、私の願いのためには必要不可欠なのですから」

 

 3


 未だに、洲島は体をこっちには向けていない。顔だけが見えている。

 だけど、僕は鳥肌が立ちそうになった。 

 なぜなら、洲島は全く動揺していなかったのだから。

 人狼かささきを見ても平然としている。当たり前の事実のように受け止めている。

 数秒、そのままだった。 

 僕も室長も笠酒寄も、そして洲島も動かない。

 「……では、皆様と戦いたいのですが、よろしいですか?」

 宣言、なんだろうけど僕は反応できなかった。それは室長も笠酒寄も同じ事で、洲島のアクションを防ぐことができなかった。

 いや、予想できてなかったと言うほうが適切か。

 だって、洲島が立ち上がったのとほぼ同時にその体を童子切りが刺し貫いたのだから。

 「「「⁉」」」

 洲島の背中から血にぬれた剣先が突き出している。

 致命傷、だろ……。僕だってあんな負傷してしまったらかなりまずい。人間であろう洲島ならなおさらだ。

 ぐぐ、と童子切りはどんどん突き進む。

 肉を裂き、内臓を抉り、骨さえも砕きながら進む。

 とうとう全部通り抜けた童子切りは、空中で留まる。

 洲島の血液を纏って。

 だけど、これで終わりじゃなかった。

 まだまだ、始まりでしかなかった。

 童子切りが纏ってる血液がうごめく。

 生きてるように。のたうつように。

 徐々に徐々に、それは茎に集まり始め、そして柄を形成した。

 人形みたいな動きでこちらに体を向けながら洲島はその柄を握る。

 貫かれた傷は、すでに塞がっていた。ただ、着ている服にだけ血液の染みが広がっている。

 「殺し合いを始めましょう。この童子切りの役目を果たしましょう。そして、私の望みを叶えましょう」

 凄絶に洲島はわらった。

 



 「やれ!」

 室長のその言葉で反射的に我に返る。

 笠酒寄と室長が洲島に突進していく。

 笠酒寄は持っている脇差しで、室長は自分の右手を文字通りの手刀と化して。

 「フゥッ‼」「えぇーい!」

 室長の鋭い呼気と笠酒寄のちょっと間の抜けた叫び。

 だけど、込められている殺気は本物。間違いなくどちらも必殺の一撃だ。

 ぎぃん!

 だけど、そのどちらもが受け止められていた。

 二振りの童子切りによって。

 何が起こったのか? 洲島は単に受け止めただけだ。

 何もない空間から童子切りを引き抜いて。

 最初からあった童子切りで室長の手刀を受け止めて、笠酒寄の脇差しの一撃は新たに出現したもう一振りで受け止めていた。

 他の妖刀の能力を使えるっていうのは聞いてたけど、増えるのは反則だろっ!

 予想外の事態に笠酒寄は一瞬硬直する。だけど室長は構わずに蹴りを放つ。

 流れるような体捌たいさばきで洲島は蹴りを避けながら間合いを取る。

 その瞬間にはすでに笠酒寄も立ち直っていた。

 「うりゃぁあ!」

 僕程度の動体視力じゃその突きを捉えることは出来なかった。そのぐらいの速度の突きだ。

 それなのに洲島には見えているのか、火花を散らしながらもしのがれる。

 体勢を崩した笠酒寄に童子切りが襲いかかるが、それを室長の手刀が阻(はば)む。

 直後に空いた方の童子切りが室長の首を刎ねんと迫る。

 「火炎付与エンチャント・ファイア!」

 ごう、と音を立てて室長の手刀が燃え上がる。

 一瞬だけ洲島はそれに気を取られてしまったようだ。

 笠酒寄も室長も一旦距離を取る。

 ここまで、約五秒。人外過ぎる。 

 室長と笠酒寄のコンビネーションも恐ろしいけど、もっと恐ろしいのはそれをものともしていない洲島の腕前だ。

 間違いなく、童子切りを使いこなしている。とんでもない達人だ。

 「援護はどうしたコダマ」

 「どうやって援護しろっていうんですか。動きについて行けませんよ」

 室長からお叱りの言葉が飛んでくるけど、どうしようもない。

 一か八かの精神で能力を使ってもいいけど、その場合は誰の体がねじれるのかがわからない。

 一瞬の隙が命取りになるのは今の数秒でよくわかった。接近戦をやっている限り僕の出る幕はない。……せめて、一秒でいいから停止してくれたら……。

 「ああ、知ってますよ。そっちの少年は超能力者でしたね。水を差されても興ざめですから、この状態でいきましょうか」

 つまらなそうに洲島が言うと、両方の童子切りがどす黒いオーラを纏う。

 ……圧し切り長谷部の能力! やっぱり使えるのか! 一番厄介なのを。

 しかし、なんで僕の能力をどいつもこいつも知ってるんだよ。ネットにでも書き込んであったか⁉

 「不思議ですか? 私があなたたちの事を知っているのが。無理もありません。童子切りは妖刀の原型ですからね。全ての妖刀は繋がっているのです。他の妖刀もそうですが、ある程度の情報は共有できるのです。水鏡は特にその能力が高かったのですが」

 合点がいった。

 水鏡の所有者がまるで僕達を知っているような口ぶりだったこと。そして、童子切りが僕の能力を知っていること。……多分、笠酒寄も今持っている妖刀と戦った時に完全人狼化したんだろう。ゆえに動揺しなかった。既知きちの情報だったから当然だ。

 となれば、僕の能力は完全に対策済みと見ていいだろう。ついでに笠酒寄のとんでもないスピードにも対応できているときたもんだ。

 こうなってくると、本格的に室長頼みになってくる。

 僕も本気を見たことがない室長が全力を出してくれることを祈る。

 「次は私からいきますよ」

 トイレにでも行くような気軽さで今度は洲島が攻めてくる。標的は、室長。

 「避けてくださいっ!」

 僕は叫ぶ。

 あのオーラを纏っているということはとんでもない切れ味だ。容易く石ですら切り裂いてしまうような斬撃なんて防御無視攻撃みたいなもんなのだから、避けるのが正解。

 言われるまでもないと言わんばかりに室長は襲いかかる二刀をひらりと躱す。

 ついでのように指先から電撃を放つが、それは童子切りによって切り裂かれてしまう。

 ホントになんでも斬りやがる。

 「……やっぱり貴方が一番強そうだ」

 「私に喧嘩を売るとは良い度胸だ。教育してやる」

 余裕ぶってる室長だけど、内情はひやひやもんだろう。

 正真正銘一撃必殺の斬撃が次々に襲いかかってくる上に、下手に攻撃したら切り裂かれてダメージを受ける。

 まるで軽業師のような身のこなしで避け続けている室長だけど、徐々に洲島の斬撃がその動きを捉え始めている。

 白衣の端が斬られる。

 強力な防御魔術が施されているはずの白衣を、まるで紙でも引き裂くように童子切りはなんなく断つ。

 「もっと……もっと楽しませてください。私に生きている意味を確認させてください」

 「ちっ、変質者め」

 毒づく室長もどこか勢いがない。

 右に避ければ更に右から、左に避ければ更に左から斬撃が間断なく襲ってくる。

 攻撃し続ける洲島も洲島だけど、避け続ける室長も室長だ。

 どうにか僕は能力で一瞬でも隙を作ろうとするけど、次々に入れ替わる二人の位置がそれを許してくれない。

 「たぁー!」

 ぎぃん!

 割って入ったのは笠酒寄だった。

 それでも、最高速であろう一撃は童子切りによって受け止められてしまう。

 「邪魔しないでください。私はこの女性と殺し合いたいのです」

 「知らない!」

 どうやらしのぎで受けている状態だとあの切れ味は発揮できないらしい。笠酒寄の持っている脇差しは切断されていない。

 ぐん、と脇差しが押し込まれる。

 人狼全開のパワーならば流石に対処仕切れないみたいだ。

 「こぉん、のぉぉぉぉぉっ‼」

 「力押しなんて無粋な真似はしたくなかったのですが……」

 押されていた洲島の肉体が一気に膨張する。

 「え?」

 「はぁ!」

 今の今まで押し込んでいた笠酒寄の脇差しは一気に跳ね返される。

 その余波で笠酒寄まで吹っ飛ばされたのだから威力は推して知るべし。

 「やれやれ。水を差されてしまいましたが、どうせ貴方もこの状態になる必要があったでしょうから、同じ事でしょうか」

 静かに、どっちかというと仕方ないという調子で洲島は言った。 

 いや、もう洲島じゃない。

 鬼が、いた。

 膨らんだ肉体はすでに三メートル近い。

 赤銅色の肌に、びしびしと浮いた血管がなんともグロテスクだ。

 そして、額から生える二本の角。

 服は破れてしまって、ぼろぼろになってしまったのだけど、それがまた荒々しさを強調していた。

 「……妖刀童子切り安綱。鬼を殺すために所有者を鬼へと変貌させてしまう唯一にして無二の異能。鬼を殺すには鬼となる、か」

 睨み付ける室長の視線は、鋭い。 

 まるで軽蔑しているかのようでもあり、失望したかのようでもある。

 「ええ、私もこの能力はあまり使いたくなかったのですが、仕方がありません。あなたたちを殺すためです」

 丁寧口調の鬼、なんていうのはミスマッチだったけど、そんなことに拘泥(こうでい)している場合じゃない!

 ぶわり、と僕の髪が浮く。

 動きが止まったチャンスを逃すか!

 能力を発動。今回は手加減なしの全力! その両手を――――。

 ひゅん。

 振られた童子切りによって、発動しかけた僕の能力は霧散してしまう。

 な……に?

 「この状態になったら“見えます”。貴方のつまらない能力程度には飽き飽きしているのですよ。私は斬り合いがしたいのです。そこの金髪のお嬢さんと」

 僕の……能力が、見える? 僕でも見えないのに? 妖刀の能力なのか、それとも鬼と化したがゆえの感知能力なのか。

 固まってしまった僕に興味を示さずに洲島は室長のほうに近づく。

 「さあ、今度こそ死ぬまでやりましょう。邪魔は入れさせないようにして」

 「ふん。お前と踊ってやる気は無いな。笠酒寄クン! 祢々切丸を上に投げろ!」 

 ぶっ飛ばされた笠酒寄は壁にめり込んで半分気絶しているような状態だったのだけど、もはや反射的に指示に従う。

 意地でも手放していなかった脇差しを放り投げる。

 宙に舞った『祢々切丸』とやらは放物線の頂点で静止した。

 まるで見えない力が働いているように、その切っ先が洲島に向かう。

 「お前は刀と踊っているのがお似合いだ」

 

 4


 剣先を洲島に向けた祢々切丸は空気を切り裂きながら飛んでいく。

 まっすぐに、容赦なく。

 だけど。

 かつ

 無造作な童子切りの一閃によって真っ二つにされてしまう。

 きっとあれも妖刀の一種なんだろうけど、圧し切り長谷部の能力を発動している童子切りの切れ味の前には無力だった。あっけなく終わってしまった。

 「何ですか、これは。つまらない。貴方のやることにしては……つまらない」

 洲島の声音に冷たいモノが交じりだす。

 「がっかりしました。もう少し斬り合いたかったのですが、もう殺してしまいましょうか」

 「慢心、油断、増長。自分が何でも知っていると思っているヤツほど与(くみ)し易いものはないな。言ったはずだぞ、“踊ってろ”とな」

 剣呑な目つきの室長が言うと同時に、洲島の肩に何かが刺さる。

 「ぬぅっ⁉」

 刺さったのは、祢々切丸だった。

 真っ二つにされてしまったはずの妖刀だった。

 え? え? どう、なんなってんだ?

 思わず僕は祢々切丸が飛んできた上を見上げる。

 絶句。

 真っ二つにされたはずの祢々切丸。それが何十本と空中に浮いていた。

 全ての剣先は洲島を向いて、今にも発射できることを示すようにぎらぎらと刀身が輝いている。

 「ほれ、とっとと迎え撃ってやれ。お前の親戚だろうが。……一番の跳ねっ返りだろうがな」

 室長のその言葉を合図にしたかのように、一斉に祢々切丸軍団は鬼と化した洲島に殺到した。

 「くっ、この出来損ないどもがぁっ!」

 一本一本は大したことが無い。所詮は脇差し。その上に今の洲島は鬼に変貌してしまっているし、そのうえに得物も最上級。

 されど、数の暴力に立ち向かうには時間が必要になってくる。

 次々に襲いかかってくる祢々切丸は一向にその数を減らす気配を見せない。

 よく見てみると、召喚されるみたいに次々に新しい祢々切丸が発生している。

 嵐のように殺到してくる祢々切丸を次々に洲島は払い落としていくけど、それでも追いつかない。例え二振り持っていても、鬼と化していても、一度に対処できるのは二つまで。

 すでに上方に待機している祢々切丸は百本近い数まで膨れ上がっていた。

 絶え間なく、ありとあらゆる角度から祢々切丸が突撃しているので、洲島の姿は見えたり見えなかったりになっており、僕の能力を行使するのは無理だけど、このままならば数にモノを言わせて押し切れるんじゃないだろうか?

 「そう簡単にはいかないな。所詮は時間稼ぎだ」

 いつの間にか室長が側までやってきていた。 

 白衣もボロボロ、裂傷もいくつか。見たことないぐらいのダメージを受けている。

 「時間稼ぎって……ならどうやってヤツを仕留めるんですか?」

 このまま祢々切丸で押し切れないならば、どうしようもない気がする。もう一回笠酒寄を回復させて三人がかりでも、たぶん、無理だろう。

 「大技を使う。だが、準備に時間掛かる上、その間私は無防備になってしまうからヤツを抑え込んでおく必要がある」

 「……祢々切丸だけじゃだめなんですか?」

 「ああ、おそらくはな」

 どうする? 僕と笠酒寄でどうにか気を引く? ダメだ、簡単に僕は膾(なます)にされちまう。そしたら笠酒寄はタイマン。結果は推測するまでもない。

 「……コダマ、覚悟を決めろ」

 「決めてますよ! そんなの!」

 「だったら容赦なくやれ。いいか? 手加減するな」

 訳のわからないことを言いながら室長は髪を掻き上げて首筋をあらわにする。

 ついでに首もかしげる。

 「なにを……」

 「私の血を吸え。キミの本当の能力を使え」

 …………覚悟は決めた。二言は、ない!

 華奢きゃしゃな室長の首筋に僕は牙を突き立てた。

 突き破った皮膚の内側から血液が噴き出す。

 ごくりと飲み下すと、自分の中に『なにか』が流れ込んでくるのがわかる。

 室長の吸奪によって奪われていた僕本来の能力の本体。

 こっちが、本物。今の僕の超能力はおまけみたいなものらしい。

 なり損ない吸血鬼として大半を奪った上で、超能力の行使への順応。それが終わったときに僕は自分の能力を制御しはじめる準備が整った状態になる。そういう風に室長は言っていた。

 きっと、今はその状態じゃない。だけど、現状を打破するにはこれが必要なんだ。

 本当の僕の力が必要なんだ。

 内側から膨張するような感覚。

 戻ってきた力を多少持て余している証拠だ。

 首筋から口を離す。

 生々しい傷跡がすぐに修復していくのだけど、それでもどこかしらの罪悪感は拭えない。

 「全力で抑えろ。私がる」

 血を吸われたせいか、いつにもまして顔色が白くなってしまった室長は準備態勢に入った。

 「ドァスラ、マーガ、リエデ。満ちるものに静寂なし。朽ちるものに祝福あれ……」

 完全に集中モードに入った室長はちょっとやそっとじゃあ帰ってこない。

 あとは僕が役目を果たすだけ。

 僕は、背を向けたままで洲島を見る。

 同時に飛んでいく祢々切丸も、気絶している笠酒寄も、呪文を唱えている室長も見る。

 この広間全体を見る。

 縮尺した模型を色々な角度から同時に眺めているような、そんな感覚、いや、知覚。

 見た、と言ったけどそれは正確じゃない。これは視力とはまったく別のモノだ。

 いうならば、触覚に近い。

 測ったことはないけど、ある程度の範囲内を同時に観測する能力。

 領域的観測、と室長は言っていた。

 僕は三次元的に“る”ことができるらしい。

 それが、この状態の正体。

 そして、今なら視線が通っているとかいないとかは関係ない。だって、視力とは全く別の捉え方をしているのだから。

 洲島の肩、両腕、腰、膝、足首。全て同時に固定する。

 止まった一瞬で祢々切丸が殺到する。

 祢々切丸同士が擦れて火花が散る様子もわかったし、笠酒寄の指先が動いたのもわかった。

 今の僕になら、この場所で起こっているコトは同時に視えている。

 そして、何カ所だろうが同時に能力を行使することも出来る。

 見えないなんてことはない。今、この場所で視えない場所なんて無いんだから。

 絶え間なく襲ってくる祢々切丸を、これまた虫をたたき落とすみたいに迎撃し続けてきた洲島は、僕の能力に固定されてしまったことによって隙をさらす。

 致命的な隙を。

 がす、がす、がすがすがす、がすがすがすがすがすがすがすがすがす!

 秒も掛からずにハリネズミ状態になってしまう。

 刺さっているのは針じゃなくて脇差しだからちょっと奇妙かも知れないけど、見た目は丸まったハリネズミそっくりだ。

 筋肉に、関節に、神経に、中枢に、末端に、急所に、全身ありとあらゆる箇所を貫かれても洲島はまだ動いている。

 だから、僕は刺さりまくっている祢々切丸の上から更に押さえつける。

 ズブズブと全ての祢々切丸が洲島の肉体に沈み始める。

 止まらない。僕が止めないから。止める気が無いから。

 筋繊維を断ち、神経を削ぎ、軟骨を割り、血管を引きちぎっていく。

 「く、がっ! こ、この程度でっ!」

 ここまでやっても洲島は止まらない。

 鬼のタフさってヤツなのか、それとも童子切りの異能なのかは知らない。知る必要も無い。

 捻る。

 ぼぎん、といい音がして洲島の胴体が一八〇度回る。

 人間なら背骨どころか脊髄せきずいまでやられるけど、すぐに復元が始まるのは見事と言うほかない。僕ならば、とっくに負けを認めてしまっていただろう。

 「貴様……貴様ぁ! 何をしたぁ⁉」

 血を吐かんばかりの勢いで洲島は絶叫するけど、僕はそれに構ってられるほどコンディションが良いわけじゃない。

 さっきから頭痛が止まらない。

 吐き気もするし、頭も重い。上手く思考がまとまってくれないし、五感がどこか鈍い。

 まともに働いているのは脳みそと『視る』能力ぐらいなもんだ。

 「……超能力ぅ⁉ そんものは切り裂いてくれるぅ‼」

 ぼう、と童子切りが纏う黒いオーラが増える。

 させるかよ。

 ぼぎんぼぎん。

 今の状態ならば、全身を貫かれて満足に動けない状態の相手ならば、そして、僕が全力全開の開放状態ならば圧し切り長谷部の能力は恐るるに足りない。

 手首だけで斬れるならば、両手をボキボキにしてやるだけの話。

 「ガァァァァァァァァァァァァァァァァッッッ‼」

 叫ぶな。うるさい。頭が更に痛むじゃないか。

 ……首を折る、か。

 「……にともせ真理の火を。ただ一つに収束せよ。なんじに命ずる。……コダマ、よくやった。後は抑えつけているだけでいい」

 室長の準備は終わったらしい。その右手には白い光球が乗っている。

 僕ももう限界が近い。

 室長は駆け出す。洲島に向かって。

 僕は洲島の全身を抑えこむ。どっちにしたって保たないならば全力でやるだけだ。

 「おのれぇっ! おのれおのれおのれぇぇぇぇぇぇぇぇえ‼ させるかぁぁっ‼」

 ずぼり、と洲島から三本目の腕が生える。

 もちろんその手には童子切りを持っている。

 ダメ……だ。視えてはいるけど、能力を行使するだけの余裕がない。

 だから……任せるよ、笠酒寄。

 「てええええええぇいやぁ!」

 斬。

 完全人狼化が解けてしまったけど、手足は人狼のままの笠酒寄はついさっき目を覚ましていた。

 そして、まだ増え続けていた祢々切丸の一本を掴んで見事に洲島の三本目の腕をたたっ切ってくれた。

 やっぱり、頼りになるな、お前。

 「■■■■■■■っ」

 怨嗟の声であろう洲島の叫びは、もはや意味の無い音でしかなかった。

 そして、室長は間合いに入っている。

 「汝に存在を許さずエンチャント・エンド

 顔面に叩きつけられた光球は、ひどくあっけなく吸い込まれていった。

 

 5

 

しゅるり、と音を立てることもなく光球は吸い込まれる。

 華麗なムーンサルトを決めて室長は着地。

 だけど、洲島は健在だ。

 失敗、なのか?

 まずい……僕も……限界だ。

 ブラックアウト。視界が暗転する。

 視る能力はまだ働いているから何が起こっているのかはわかるけど、念動力のほうはすでに発動しなくなってる。

 枷がなくなった洲島は嫌な笑みを浮かべた。

 化け物と化した顔で、醜悪な笑みを。

 「ふ、ふふ、ふふふふぅ、はははははははっっ! 少しばかりヒヤヒヤしましたが、残念っ! かははははははははっ」

 勝ち誇ってやがる。くそ。

 全身に力が入らない。

 僕が両手両膝をついているのが視える。

 動けよ! 動いてくれよ! 今動かないでどうするんだよ!

 必死に自分の体に力を入れようとしても、全く言うことを聞いてくれない。

 ずぶん。

 鬼から四本目の腕が生えた音だ。当然のように童子切りを持っている。

 「さてさてさて、どう殺して欲しいですか? 一番屈辱的に殺してあげますよ」

 三本目の腕も再生し始めている。

 絶望的な状況。……だっていうのに、室長は鬼に対して背を向けた。

 そして、当然のようにポケットからタバコケースを取り出す。

 奇跡的に残っていた最後の一本を咥えると、優雅な仕草でライターを取りだし、火を点けた。

 ひどくまずそうに煙を吐く。

 「……私の専門は付与系列の魔術でな」

 唐突に、なんだろう?

 「この系統っていうのは、わりかし応用が利く分、色々と規制が多いんだ。特に統魔が出来てからは危険な術式は軒並み禁止になって、今や大半が冷(ひ)や飯(めし)食らいだ」

 なんの話なのかわからない。時間稼ぎ、なのか?

 「だからなんですか? 身の上語りをしても見逃してあげませんよ」

 「いや、最期に死因ぐらいは教えておいてやろうと思ってな」

 一回吸っただけでタバコをポイ捨てすると、室長はやけにけだるげな表情で振り返った。

 その視線は、目の前の鬼を見ているようで、見ていない。

 「お前に叩き込んでやったのはそういうたぐいの危険な魔術、いや、統魔が禁止しているから“魔法”だな。とにかく、問答無用で存在を否定し、魂ごと崩壊させる。例え鬼だろうが悪魔だろうがくたばるのに十分だ」

 「そんな与太話よたばなしを信じるとでも?」

 「思っちゃいない。だが、お前は死ぬ。決定事項だ。精々後数十秒の余生を楽しめ」

 「ふはっ! ならその間で貴方を殺しましょう!」

 洲島が三本の童子切りを振り上げて……その腕がぼろりと崩れた。

 「は?」

 「始まったな」

 まるで風に吹かれて散る土埃つちぼこりのように、崩れた洲島の破片は散っていく。

 「馬鹿なっ!」

 「当然の帰結だ。『終焉付与エンチャント・エンド』。私が使える魔法の中でもぶっちぎりでヤバいのを食らって無事でいられるわけないだろうが。とっととくたばれ」

 腕に続いて足が崩れる。

 波にさらわれて消えていく砂の城のように、鬼が末端からボロボロと崩壊していく。

 両脚ともが意味を成さなくなってしまった鬼は、地に落ちる。

 その巨体が地面に叩きつけられた衝撃で、全身にひびが入る。

 「こ、こんなっ、馬鹿な! 馬鹿なァ‼」

 多分、崩壊する自分の肉体を補うように、新たな手足を生やそうとしているのだろう。だけど、その体が蠢く度に崩壊は早まっていく。

 末端から始まった崩壊は、すでに中枢部分にまで達している。

 もう、洲島の体でひびが入っていない部分はないだろう。まるで縦横無尽に張り巡らされている血管のように、その表面には亀裂が入っている。

 「ありえない……ありえ、ナい……私は……ワタしはぁ……」

 とうとう口まで崩壊が始まったので、その言葉は明瞭じゃなくなっている。

 まるで、壊れかけの機械が無理矢理音声を絞り出してるみたいだ。

 妖刀の力によるものか、そんな状態でも未だに洲島の意識はある。微かにだけど、風化寸前の奇妙なオブジェのような姿なのに動きを止めはしない。

 徐々に、徐々に、室長のほうに這いずっていた。

 「……ァ……ェ……ァ……」

 もう何を言ってるのかもわからない。

 恨み言なのか、それとも自分を倒してくれた事への感謝なのか、それとも勝者への賞賛の言葉なのかさえも。

 そんな物体に限りなく近づいてしまった洲島を見下ろして、室長は残酷に言った。

 「いつまでも見苦しい。私の前から消えろ」

 振り下ろされた室長の足は、砂糖菓子でも踏み潰すかのようにごく簡単に洲島を踏み潰した。

 さくり。それが、洲島が最期に立てた音だった。

 遺言でもなく、音。それが鬼と化してしまった男の最期だった。

 



 「さて、帰るとする、か…………んぬ」

 ぐらりと室長の体が傾く。

 慌てて僕は駆け寄ろうしたけど、忘れてた。僕のほうも限界。動けやしない。

 「ナイスキャッチ!」

 倒れようとした室長を受け止めたのは笠酒寄だった。

 すでに人狼化は完全に解けている。

 服もぼろぼろ。全身汚れだらけなのだけど、僕達の中では一番元気そうだ。

 とはいっても五十歩百歩なのだろうけど。

 「ナイス……笠酒寄」

 やっとのことで絞り出したのだけど、気の利かない台詞だった。人生経験が足りない。

 室長に肩を貸しながら笠酒寄は僕の元へやってくる。

 「空木君は大丈夫?」

 大丈夫じゃない。体調は最悪だ。頭痛は最高潮に達しているし、吐き気も止まらない。ちょっとばかり鼻血まで出てきている。

 だけど、僕は言ってやった。

 「僕が、この、程度で、どうにか、なる……と……ごっ!」

 だめだった。

 腕から力が消失して地面に突っ伏す。

 洲島が死んで、完全に緊張の糸が切れてしまった。

 これじゃあ、格好が付かない。

 心配そうに僕を見下ろす笠木の姿を見ながら、僕は蛙みたいな姿を晒している僕の姿を観測する羽目になった。なんつう羞恥しゅうちだ。

 「ダメそう?」

 「だめそう」

 今度は強がらない。これ以上はただ恥の上塗りになるだけだ。

 「あー、笠酒寄クン。私も転がしてくれ。立っているのもきつい。今は汚い地面でいいから横になりたい」

 「あ、はーい」

 お前は本当にタフだな。

 ごろりと僕の隣に室長が転がる。

 僕はうつ伏せで、室長は仰向けという違いはあるんだけど、疲労ひろう困憊こんぱいというのは共通している。

 「限界だ。私はあと数時間は動かないぞ。キミの能力をもう一度吸奪するのもそれからだ。今やったら手加減出来るかどうか怪しい」

 「ぶぁい」

 突っ伏しているのでなんとも間抜けな返事になってしまったけど、別にいい。

 ミイラになるまで吸われてしまうのは勘弁だ。まかり間違って廃人にされてしまっても困る。僕はまだまだ死ねない。やりたいことは沢山あるし、やりのこしていることも沢山ある。

 それに、今の室長の晴れやかな顔を見ていたら、ちょっとぐらいの体調不良は流せるぐらいの余裕は出てきた。

 「二人だけずるい! わたしも!」

 なぜか室長とは逆側に笠酒寄も寝転がってきやがった。

 「ねぇねぇ空木君。わたし、かっこよかった?」

 やめてくれ。つつくな。吐きそう。

 前言撤回しようかな。やっぱり後で文句言ってやろう。こんな大事に巻き込んだ文句を。

 そして、台無しになってしまったクリスマスからの行事をやり直そう。 

 そんなことは不可能なんだけど、なぜか今の僕はなんでも出来そうな気がしていた。


 




 一月九日。

 童子切り安綱とのバトルからすでに一週間近く経ってしまった。

 結局、あの後駆けつけた八久郎さん率いる統魔の回収班によって僕達は保護という名前の回収を行われた。

 僕の体調は最悪で、運ばれている途中に何度も戻したのだけど、気にするだけの余裕がなかった。

 そこからは三日ほど統魔での治療と事情聴取の日々だった。

 八久郎さんが根回しをしてくれたおかげで扱いは非常に丁寧なモノだったのだけど、何度も何度も同じ質問をされるのは閉口してしまった。

 途中からやってきたヘムロッドさんがいなかったら今も続いていたのかも知れない。

 家に戻ったときには、何処まで叱責されるのか戦々恐々としていたのだけど、全く平常通りの対応だった。なんなら僕のほうが肩すかしを食らってしまったぐらいだ。

 どうやらこっちは室長が対応してくれていたらしい。

 『気にならなくなる魔術』とやらを使ったらしいのだけど、詳細は教えてくれなかった。少なくとも危険性はないらしい。

 そういうわけで、僕は〆切りも迫った宿題の処理に追われる羽目になった。

 途中から笠酒寄も一緒になって、それぞれの得意科目を解いてはお互いに写すという邪道な行為に手を染めたのだけど、まさか学校側も自分のとこの生徒が妖刀退治で魔術組織に拘留されるなんていうことは想定していなかったのだから今回ばかりはお目こぼし頂きたい。

 そうやって何とか宿題が片付いたのが昨日。

 そして、今日は新学期一日目だ。

 まだ一月。寒さも厳しい。

 やっとの事で宿題から解放されたと思ったら、今日からは勉強の日々だ。

 なんか、一度しかない高校一年生の冬休みがこれでいいのかと自問してしまいそうになる。

 ……やめよう。悲しくなってくる。

 そんなわびしい気持ちで僕は学校に向かって歩いているわけなんだけど、足を止める。

 電柱の影から見覚えのあるカバンの端が見えている。

 ついでに、同じ弐朔にのり高校の制服の端も。

 どういう風に声を掛けるのか迷ったのだけど、よく考えるまでもなく昨日一緒にくたくたになるまで宿題をやっつけていたのだから気にする必要も無い。

 ささっとそういう回答にたどり着いた僕は、ちょっとだけ早足で『誰かさん』が隠れている電柱に近づいた。

 「よう笠酒寄」

 「おはよう、空木君」

 はにかんだその笑みを、僕はとても綺麗だと思った。

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