第二十八怪 ねねきりまる
※
父は元々剣術の心得があったものですから、私に剣を教えることにあまり抵抗はなかったようでした。むしろ、幼い息子が剣に興味を示したことを喜んでいるように思えたのです。
母もそれは同じで、「やっぱり親子なのね」などと微笑んでいたのを覚えています。
誰でも最初は基礎からであるように、父も私には基礎から教え込みました。最初は刀の握り方から。
左手で保持して、右手は添えるように。
そんな基本的なことさえも、まだ五つにもならない私には難しく、何度も何度も右手で振り回してしまい、そのたびに父に指摘されたことを覚えています。
一年ほどはそんな、本当に基礎中の基礎と言うべき様な事柄で終わってしまいました。
友達らが砂場遊びやらごっこ遊びやらに興じている間も、私は父と一緒に、母に見守られながら剣を握り、振り、そしていつかの自分を思い描いていました。
今となってみれば
少し私が成長し、ほんのわずか構えもぎこちなさが取れてきた頃。
私は初めて剣で何かを斬るということを体験しました。
もっとも、それはぼろぼろに長年風雨にさらされて
しかしながら、私にとってそれは最初の斬撃だったのです。
初めて木の枝を振ったあの日以来、それほどに衝撃的な事件だったことを覚えています。
かつ、と。
綺麗に繊維に沿って枯れ木が二つに分かれたあの瞬間、私は泣いていました。
なぜ自分が泣いているのかもわからないままに泣いていました。
今ならばわかります。
私は、自分が生まれてきた意味を確認したのです。
五歳。立志というにはあまりに早く、そんなものを確認できるはずがないだろうと人はおっしゃるでしょう。
ですが、あれほどに……ぼろぼろと泣いたのはあれ以来ありません。
母が死んだときも、父が死んだときも。
私は確かに悲しかったのですが、それでもまだ目的がありました。意味がありました。
ゆえに、私の心は揺れませんでした。
まだ、目の前にはしっかりと道が見えていたのですから。
※
1
「……と、こんなとこだな。妖刀かまいたちという存在については。そんな大した
だから当然空木君はどんどん遠ざかっちゃう。
……ちょっとさみしい。彼氏と離ればなれになっちゃうっていうのは避けられないことなんだろうけど、きっとみんなそうなんだと思う。
「さて笠酒寄クン、私達もコダマの心配をしている場合じゃないぞ」
まっすぐに前を見たままでヴィクトリアさんは突然に言い出した。
なんだろう? わたし達はこのままクルマで統魔に向かうだけの楽な感じじゃないのかな?
う~ん。こういう時って……やっぱり襲われる系? だとしたらおかしいかも。だって、襲われるってことは不意を突かれるって事だ。警戒してる状態で襲われるっていうのはあんまり言わない気がする。
だから、わたしは正直に言う。
「このクルマ、もしかして燃料切れとかですか?」
「…………ちがう」
あ、ちょっとヴィクトリアさんが
「じゃあ、パンク?」
「クルマのトラブルから離れようか、
「お腹が減りました?」
「……そっちでもない。妖刀絡みだ」
うん? どういうことだろう。確かにわたし達は連続妖刀事件の解決のために統魔に向かっているけど、だからって空木君以外に心配する事ってあったかな?
「もしかして、後ろに積んでる変態の事ですか?」
妖刀水鏡を使ってた人。空木君に襲いかかってたし、十分変態だ。キモかったし。
もうちょっとわたしが遅れてたら、空木君がひどいことになっていたかもしれないし、統魔に引き渡す前にお仕置きする、とか? そのために一旦スーツケースから取り出して縛り上げる過程で暴れる可能性を考えて?
多分、違うと思う。
「いや、その変態はどうでもいい。すでに
別の妖刀……。っていうことは、わたし達もどこかで降りて妖刀探しをしないといけないのかな? でも、それなら空木君と一緒にそれぞれ解決していったほうが安心できるんじゃないかと思っちゃう。
ヴィクトリアさんと空木君、そしてわたしがいるなら大抵の事は出来ちゃうと思うし。
「……そろそろ来るだろうな。笠酒寄クン、人狼化しておけ。ちょっとばかり乱暴な運転になるし、危ないからな」
「え? どういう……」
ことですか、って聞けなかった。
だって、いきなりヴィクトリアさんがハンドルを切ったから。
クルマがぐるうん、と大きくカーブする。
慌ててわたしは手足を人狼化。完全に変身しちゃうと体格が変わっちゃうからやらない。これ以上下着破れちゃうのはいやだ。今も結構ギリギリ。
シートベルトがぎしぎしと悲鳴みたいに音を立てる。
「ヴィクトリアさん⁉」
「おいでなすった! 舌を噛まないように気をつけろ!」
鋭いヴィクトリアさんの声の後に、がすん! と何かがクルマに刺さった。
なになに⁉ 一体なに⁉ 宇宙人の襲撃⁉
「意外と早かったがこっちから出向かなくても良いのは助かるな。笠酒寄クン、警戒度を最大にしろ。来るぞ」
「何がですかぁ⁉」
プチパニック。だってだって、いきなりアクション始まるとか予想できない。もうちょっと前予告はしっかりして。許容量限界っぽい!
ハンドルを切りながらヴィクトリアさんはアクセルを踏み込む。
そのせいで振り回され方は加速。
人狼化してなかったら飛び出してたかもしれないぐらい。
まるで竜巻に巻き込まれてしまったみたいに車内の物品が荒れ狂う。ほとんどは固定してあったからいいけど、後部座席のスーツケースだけは置いてあるだけだったから暴れ回った。
ばごん。
「いったぁ~!」
横からぶつかってきた。元々重いから威力は十分。そしてわたしはか弱い女の子なんだからこういうのには慣れてない。
がすん!
またなんか刺さった!
今度は助手席、つまりはわたしが座ってる場所からとても近い。っていうかこれ、もしかしてドアに刺さってない? 刺さってるよね? ちょっと尖ったの見えてるし!
「笠酒寄クン、窓を開けてくれ。飛び込んで来るから捕獲」
「は、はいっ!」
おっそろしいドリフト走行は終わって、わたしに働く遠心力はなくなっているけど心臓はまだどきどきしてる。
だけど、わたしはヴィクトリアさんの命令に従って助手席の窓を開けながら身構える。
ちょうど半分ぐらい開いた瞬間、すごいスピードでソレは侵入してきた。
「!」
あらかじめ警戒MAXだったからなんとかわたしは反応して、掴む。
人狼の力じゃなかったらそのまま引っ張られてヴィクトリアさんに突き刺さっていたと思う。
わたしが捕まえたそれは、短めの日本刀、ううん、脇差しだった。
捕まえるのと同時に大人しくなったけど、これ、一体なんなの⁉
「妖刀
「それってもう刀じゃなくないですか?」
「刀の形してたら刀なんだよ。言った者勝ちが世の常だ」
うわー、いい加減。
2
一応、掴んだ場所は柄だったから怪我はしてないけど、刃物持ってるのは怖いから早く手放したいんだけど、妖刀と聞いちゃった以上それはしばらくできそうにないや。
ちら、と一瞬だけ祢々切り丸を見たヴィクトリアさんはクルマの進行方向を戻した。
あれ? もうちょっと褒めてくれてもいいような……だって、これって間違いなく妖刀だよね? 祢々切り丸なんだよね? 捕まえたよね、わたし。
「妖刀祢々切り丸。本来の名前とされているのは
こっちを見もしないでヴィクトリアさんは解説モード。
でも、なんだかその横顔はまだ警戒態勢に見える。
「反応する対象だが、様々だ。鬼、妖怪、幽霊、とにかく怪異の類いには反応する。強力な能力を有していたり、危険性が高いとすさまじい執念で追いかけ回すからな。封じ込めておくのにも苦労したらしい。ごく平凡な人間にそれと知らせずに保管させておくという手段を取っていたみたいなんだが……水鏡の所有者はどうやって知ったのかこれを殺している」
え?
ああ、そうか。ヴィクトリアさんは吸奪でそれを知ったんだ。
この危ない刀が飛び回っていることを知って、カバー出来るのはわたし一人までだと思ったんだろう。言っちゃあ悪いけど、身体能力ならわたしのほうが勝ってるし。
あれ? でもおかしくない?
「でもでも、空木君のほうに向かったらどうするつもりだったんですか?」
「コイツはより強力な存在に向かうような性質を持っているんだ。半吸血鬼みたいなコダマよりも、人狼&吸血鬼の私達を確実に優先する。あいつがいるとお荷物だからな。今頃はかまいたちの捜索中だろう。適材適所だよ」
雑いなぁ、空木君の扱い。ううん、これもヴィクトリアさんの優しさ……かも。
まあ、どんなに怖い性質の妖刀だったとしても、捕まえてしまったらこっちのもん。がっちり掴んじゃってるからもう心配ない。さっきから動く様子もないし。
「で、この妖刀の最も厄介な点なんだが、かなり執念深くてな。一度ターゲットを定めてしまうとソイツを仕留めるか、自分が完全に行動不能にされてしまうまでは追いかけてくる。記録によると海も渡ってくるらしい。害虫だな、まるで」
害虫……虫の妖怪を退治した刀が虫扱いなのは、なんか世の中の奇妙さを感じる。
なんていうんだっけ、こういうの。ミイラ取りがミイラになる?
わたしは握ってる祢々切り丸をじっと見る。
お前もちょっとは反省しなさい。
わたし達に迷惑掛けないでよね。
じとーっとした目線で見てみるけど、反応はない。当然だけど。
「ヴィクトリアさん、祢々切り丸はどうしておきますか? 捕まえたのはいいですけど、なにかの拍子にまた襲ってきても困りますし」
「スーツケースに放り込んでおいてくれ。“第二波”が来る前にな」
「はー……い?」
とってもいやーな単語が聞こえた。聞き間違いだよね? そうだって言って欲しい。
だけどわたしの聴覚は人狼化の影響で強化されてる。この状態での聞き間違いってしたことない。
「あの……ヴィクトリアさん……」
「ちっ、もう来たか。笠酒寄クン、今度はさっきよりも多いぞ。覚悟してくれ」
多い、という意味がわからなくて後ろを見たわたしが見たのは、飛んでくる七本の祢々切り丸だった。
はぁああああああああああああ⁉
「完全人狼化しろ!」
「うわわわわわっ!」
言われるがままに、っていうか反射的にわたしは完全人狼化。
一気に体格が変化したから狭っ苦しくなる。
だけど、動きにくくなった代わりに身体能力は比べものにならないぐらいに上昇。
もちろん動体視力やら筋力やら
全部運転しているヴィクトリアさんを狙ってる!
窓を全開に。
がすん! がすん! ばしばしばしばしばしっ!
二本はドアに刺さって、あとの五本は全部捕まえた。手が大きくなったからこういうのも楽勝。
「やるな笠酒寄クン。オラオラもできそうだな、キミなら」
「おらおら?」
「……なんでもない」
なんだろう? オラオラ系? でも、それって男の人のことだよね? んー、わかんないや。
ばしばしっ!
ドアに刺さっていた祢々切り丸が抜けて再び窓からヴィクトリアさんを狙ってきたのでそれも捕まえる。
素早くわたしはスーツケース(これも結構謎なアイテムだと思う)を開いて捕まえた七本の祢々切り丸を放り込む。
自動で閉まってくれるからいちいち閉める必要は無いからそのまま膝の上に置いておく。
まだ使いそうだし。
「あの、ヴィクトリアさん? 祢々切り丸っていっぱいあるんですか?」
「そんなことはない。祢々切り丸は一振りだけだ。こんなのがいくつもあったら管理する側の身が持たない」
「いっぱい飛んできてるんですけど⁉」
「祢々切り丸の特性というか、異能というか……そういう妖刀なんだ。増殖の異能、端的に表現するならばそうなるかな」
ええー……。増殖って増えるって事だよね? ならいっぱいあるってことじゃない。一振りじゃないし、っていうか、刀とか増えても全然楽しくないんだからもっと別の物が増えて欲しい。かわいいぬいぐるみとか。
「……あとどのくらい来るんですか?」
うぅー……このままずっと終わりの見えない妖刀キャッチゲームはしたくない。わたしも完全人狼化はちょっと疲れるし。それに、長時間変身してたことはないから、この先どのくらい消耗しちゃうのかがわからない。
「わからん。そもそも祢々切り丸の増殖の異能は追っている対象の強力さに比例するんだ。小物妖怪風情ならば一振り程度で済むんだが、これが強力になってくると段々増殖しだす。おそらくは一撃では致命傷にならないからだろうな。いままで計測しての最高値は陰陽寮で飼っていた
「それって、どのくらい強力な妖怪なんですか?」
「私は一ラウンドでKOしてやった」
とゆーことは、ヴィクトリアさんを狙っている今回は数千本ぐらい殺到してくるのではないでしょーか? わたしはそんないやーな予感を覚えているわけです。
「予想でいいんで、何本ぐらいきますか?」
「…………一万?」
軽い調子のその一言でわたしは本気で逃げ出したくなった。
一万? 一万って一万? さっきまでので八本の祢々切り丸を捕まえたから、あと九千九百本以上残ってるって事⁉ 一秒間に一本捕まえても二時間半ぐらいかかる! その間常に集中しているとか無理! 無理無理絶対無理!
「ヴィクトリアさぁ~ん、無理ですぅ~」
ちょっと涙目。これは嘘泣きとかじゃなくて本気で。
想像しただけでわたしの心は折れた。当然だと思う。多勢に無勢、その上相手は話し合いも通用しないような無機物となったらずたずたになるビジョンしか見えない。
もうこうなったらヴィクトリアさんに頼りまくるしかない。どんなに身体能力が高くても、精神的疲労は普通に溜まるし、なによりわたしはあんまり長時間集中するのは向いていない。
これはもう、百怪対策室室長にして魔術師にして美少女であるヴィクトリア・L・ラングナーの出番でしかない。そう! わたしはそのサポートで!
「まあ、何を考えているのかはわかる。私も一本一本捕まえる気は無いしな」
「え、そうなんですか?」
「そりゃそうだ。ただでさえ事態は急を要するのにこんなのに時間は割いてやれない。とっとと大人しくさせて統魔に連絡しないとな」
「でも、どうやって?」
「そこは私の腕の見せ所だな。脇差しごときに身の程を教えてやる」
にやりと笑ったヴィクトリアさんは、まるで悪役みたいだった。
3
ばしばしばしばしばしっ!
「見えてきた。あと三分踏ん張ってくれ」
「わかりましたっ! もうっ!」
あれから三〇分。
わたしは絶えずやってくる祢々切り丸軍団を捕まえ続けてる。
ヴィクトリアさんの“策”には開けた場所が必要になってくるらしいから、そこに到着するまでの時間稼ぎということだ。
ずっと捕まえてはスーツケースに放り込むということを続けてきたんだけど、そろそろまずいかも。呼吸が浅く、早くなってきてる。疲れてる証拠だ。
左側にちょっとしたグラウンドみたいな場所が見えてきてる。
と思った瞬間にはクルマがジャンプした。
「舌噛むから喋らない方がいい」
先に言って!
一気にクルマは土手を無理矢理降りる。
本来走ることを想定されてないからその走り心地は最悪。ジェットコースターでももうちょっとは優しく運んでくれるってぐらいには。
がったん!
土手を駆け下りたことを証明するみたいにクルマがひときわ大きく揺れた。
……もう、サイアク。
変態は空木君を襲うし、わたしは妖刀軍団に襲われるし。ホント嫌い、妖刀。
だいたい、クリスマスに邪魔したのも妖刀なんでしょ? っていうことは、わたしってかなり不利益を
とにかくわたしは怒ってる。ここしばらくの
グラウンドの中央にクルマは停まる。
ヴィクトリアさんは素早くクルマから降りると、手を棒状に変形させて地面に何かを描き始めた。
「あと二分! どうにか祢々切り丸を抑えていてくれ!」
叫ばれる。
それがきっかけになったんだと思う。
ぷちん、ってわたしの中で何かがきれた。
思いっきり助手席のドアを蹴り飛ばす。
ばごん!
外れちゃったけどいいや。今のわたしはそういうことには
完全人狼化。
ぷちんっと音を立ててブラがちぎれた。もういいもん。後で空木君と一緒に買いに行くから。
そして、わたしもキレてる。
「■■■■■■■■ッッッッ‼」
あ、ちょっと獣っぽくなっちゃったけどいいや。もう、飾らない。ううん、飾ってる余裕がない。
数十本の祢々切り丸軍団が飛んできてるのが見えた。
目標は地面に何かを描いているヴィクトリアさん。
今までは捕まえるだけだったけど、そんな生優しいことはもうしてあげない。
さっき捕まえた二本の祢々切り丸を両手に持つ。
ぶっ壊す‼‼‼‼
海を泳ぐ魚の群れみたいになってる祢々切り丸軍団に突っ込んでいく。
一直線にヴィクトリアさんを目指しているから、ぎりぎりで避けて先頭の何本かに祢々切り丸を叩きつける。
祢々切り丸同士がぶつかって、砕ける。人狼の力で思いっきり振ったから当然だと思うけど、まだまだわたしの怒りは収まってない。
飛んでる祢々切り丸から適当に二本掴んで同じように叩きつける。
さっきの再生みたいに祢々切り丸同士が砕けてゴミに変化する。
それでも、わたしの怒りは全然収まらない。むしろ燃え上がり始めたぐらい。
「■■■■■■■■■■■■‼」
次々にわたしは祢々切り丸を取っ替えひっ替えしながら祢々切り丸軍団を削っていく。
鰯の群れが大型の肉食生物に削られていくように、祢々切り丸軍団はだんだんとだんだんと細く、小さくなっていく。
でも、このままのペースだと何本かはヴィクトリアさんに届いちゃう。
そんなことは……させないッ!
ばしばしばしばしっ!
人狼化で巨大になってるわたしの手なら片手で二本掴むのも出来る。
そして、二本あるっていうことは、一本を使ってたときよりも耐久性が上がるってことだ。
「■■■■■■■■‼」
嵐みたいなわたしの連撃を受けて、一気に祢々切り丸軍団は潰れた。
数十本あった祢々切り丸は、全部壊れて地面に落ちてる。
「……はぁっ、はぁっ、はぁっ……」
ちょっと、興奮し過ぎちゃったかも。でも少しだけすっきりした。
「やるじゃないか笠酒寄クン。まるでランボーだったぞ」
「乱暴?」
「違う違う。映画の」
「?」
「……ああ、知らないならいい。それなりには古いし、女子受けは悪いからな」
「そうなんですか」
ヴィクトリアさんは地面に複雑な図形を描き終わっていた。
ただ地面をひっかいて描いたはずの図形は、なぜか淡い光に包まれていて、なんとなく不思議な感じ。
「笠酒寄クン、こっちに来てくれ。そこにいるとまた祢々切り丸が襲ってくるぞ」
「あ、はい」
素直にわたしは従う。
図形って言ったけど、魔方陣っていう感じだ。淡い光を放っているところとか、よくわかんない文字が細かく書き込まれているところとか。
「じゃあとっとと迎撃準備と行こう。
英語よくわかんない。だけど、何もない空中にいきなり出現した光る網が魔術によるものだってことぐらいはわかる。なんだろうあれ。祢々切り丸をどうにか出来るのかな? いっぱいあるのに?
わたしがそんな風に考えて首を傾げていると、また祢々切り丸軍団がやってきた。
今度は百本近いんじゃないかなっていうぐらいの数。もう見えてる距離だからわたしが向かっていっても間に合わない。
「だ、大丈夫なんですか、これ」
「大丈夫大丈夫。祢々切り丸を分身とはいえ捕獲できたのが大きかったな。流石の私も全く材料がわかっていないブツにこの魔術を展開するのは骨が折れるからな」
「どんな魔術なんですか?」
「見てのお楽しみだよ。ほら、もうすぐだ」
呑気に会話してるけど、もうすでに三〇メートルぐらいの場所まで祢々切り丸軍団は飛んできていた。この速度なら一秒でヴィクトリアさんの細い体を貫いてしまう……はずだった。
びた! 魔術で編まれた網を突き破ろうとした先頭の祢々切り丸が停止する。
ちょっと見覚えがあった。
空木君の
でも、今この場に空木君はいない。
なら……。
「これが磁網だ。対象の構成物質に対して強力で、磁力に似た干渉力を持つ力場を網状に展開する。一度捕まったが最後、解除されるか構成そのものでも変化させるしかない」
自分で別の物質に変化するなんてことがそうそうできるはずない、っていうか出来たら怖い。そういうのって核分裂とか核融合っていうんじゃないの?
つまり、解除されない限りは逃げられないってことだ。
これ、人間にも応用できるんだったら犯罪的、だよね? ううん、的はつかない。犯罪だよね? 間違いなく。わたしも教えてもらえないかな?
もうすでに祢々切り丸軍団は磁網に捕まってしまったみたい。ヴィクトリアさんに向かって飛んでこようとはしてるんだろうけど、全然動けてない。
何かに似てると思ったら、ゴキブリ用の粘着罠に引っかかったゴキブリだ。
見ただけでわかる悪あがきっぷりといい、そっくり。
「ちなみに、磁網の恐ろしさはこれからだ」
動けなくなっちゃった祢々切り丸軍団を隣で見ていたヴィクトリアさんは得意げに言った。
「……まだ恐ろしくなるんですか、これ」
「当然。私に喧嘩売ったことを後悔させてやる。例え無機物相手だろうが、売られた喧嘩は
全力で買っておつりをくれてやるタイプだからな、私は」
うわー……良い笑顔。悪役っぽい。
普段はクールな表情とか、いたずらっぽい感じの顔が多いヴィクトリアさんだけど、こういう時の意地の悪そうな顔は年季が入ってる。なんていうのかな? 表情筋の使いかたがこなれてる? そういう感じ。
ん? なんだろ、この音。
頭の上に生えてる狼耳が変な音を捕えた。
風切り音に似てるけど、ちょっと違う。
風を切って進むって言うよりも、すっごい勢いで引っ張り回されてるみたいな? わたしもあんまりそういう音を聞いたことがあるわけじゃないし、音の専門家って言うわけじゃないから断言は出来ないけど。
「ほぉれ、やってきたやってきた。ぞろぞろ小物が大漁だ」
いつの間にかヴィクトリアさんは細い葉巻を取りだして咥えていた。
ふわっと、今日はジャスミンみたいな香り。
その視線を追っていくと……でっかい塊が飛んできていた。
なにあれ⁉
よく見てみる。
……うわぁ、祢々切り丸だ。
数えるのも嫌になるぐらいの数の祢々切り丸がくっついて、一つの塊になって飛んできてる。
「あれ、なんですか?」
正直ドン引きだけど聞くしかない。聞いとかないと後悔しそうだし。
「残りの祢々切り丸だな」
聞きたいのはそういうことじゃない!
「えっと、そういうことじゃなくて……」
「磁網の恐ろしい点はね、同じ構成物質には距離を無視して引力が働くという点にある。たとえトイレの個室でこそこそしていても問答無用で引きずり出す。そして捕獲してくれるというわけだ。分身能力やら複製能力を持っている相手にはこの上なく有効だ」
細い煙を口から吐きながらヴィクトリアさんは得意げだ。
まあ、そんな事よりも一つ問題があると思う。
「ちゃんと止まってくれますか、アレ」
「止まる止まる。あの中に本物の祢々切り丸もあるだろうからとりあえず破壊しておこう。尻を追いかけ回されるのは勘弁して欲しいからな」
どんどん近づいてくる祢々切り丸玉を見ても全く動じないヴィクトリアさんはすごいな、とわたしは思った。
4
今、わたしの目の前には脇差しがみっしみしに集まって出来た巨大な玉がある。
壮観っていうよりも、ちょっと巨大さに圧倒されそう。なんでいっぱい集まったモノってちょっとキモいんだろう。こういう感覚にも名前って付いてるのかな? 後でヴィクトリアさんにも聞いてみよ。
「これ、どうするんですか? “本物”が有るっていってましたけど……わたし、わかりません」
「私もわからん。そもそも祢々切り丸の増殖の異能は自分と同じ存在を創り出しているわけだから寸分違わず同じのはずだしな」
ええー……じゃあどうやってこれから本物を選別するの?
違いが無いなら選別のしようもない。ヴィクトリアさん曰く一〇〇〇〇本ぐらいはあるらしいし、一個一個見ていくだけでも大変なのに。
どうやって本物を見つけたらいいの?
「ふふん、いちいち面倒くさく選別する、なぁんて地味でちまちましたことは常識人のやることだ。生憎と私は非常識筆頭。手間は省かせてもらう」
あ、自覚あったんだ。常識ないっていう。
わりと失礼なことをわたしは考えたんだけど、幸いにもヴィクトリアさんは気付かなかったみたいで、ぎっちり詰まった祢々切り丸のほうに手の平を向けた。
「
ぐわん、って空間が歪んだみたいに見えた。
それはヴィクトリアさんの方じゃなくて、祢々切り丸のほう。
みっちり詰まって球状になってる祢々切り丸が存在してる空間そのものが歪んだみたいに、わたしには見えた。
一秒、二秒、三秒……何も起こらない。
「何したんですか?」
何かしたのは確かなんだろけど、わかんないから訊いてみる。
「こっちから圧縮してやった」
答えは返ってきたけど、余計にわかんなくなった。
みぎん。
金属、繊維、木材、その他諸々がひしゃげる音。
慌てて祢々切り丸集合体を見たら、ちょっと縮んでた。
はい?
みぎん、みぎん、みぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎ。
すっごい音を立てながら祢々切り丸玉が中心に向かって圧縮される。
見えない手で握りつぶされるみたいに。
はふ、ってヴィクトリアさんが珍しく気の抜けた吐息を漏らしたのがわかったけど、わたしはSF映画みたいな光景に目を奪われてた。
どんどん祢々切り丸玉は縮んでいく。
縮小、っていうのかなこういうの。よく熱したフライパンの上に垂らした水滴みたいに、ちょっとずつちょっとずつ縮んでいく。
「あ、あの……ヴィクトリア、さん?」
「ん? ああ、重力的な特異点を作ってやったんだよ。あの不細工な球体の中心にな。球状っていうのは便利だな。圧縮するときに力の分散が少ないし、均等になるよう気を遣わなくていい」
理系科目は苦手なわたしだけど、ブラックホール的ななにかなんだろうと理解しておくことにした。多分詳しく聞いたら頭痛がしてくる。
みぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎっ!
だんだんとひしゃげ音は悲鳴にみたいになってきた。
まあそうだよね。無理矢理引き寄せられてるみたいな感じなんでしょ? 口があったら悲鳴を上げてるのかもだけど、流石の妖刀でもそれはないみたい。上がっても困るんだけど。
「さ、て。そろそろ連絡しておくか」
「連絡って、何処にですか?」
「
言ったときにはすでに電話を掛けてる。ヴィクトリアさんは本当に迷いがない。
「あー私だ、ヴィクトリアだ。妖刀水鏡、そして祢々切丸は無力化した。正確には片方はまだなんだが、時間の問題だな。あとついでにかまいたちも行きがけの駄賃にコダマが相手してるだろ」
一旦、ヴィクトリアさんはそこで言葉を切った。
電話の向こうのミサトちゃん(八久郎さん)はどんな顔をしてるんだろ? こんなスピード解決は予想してなかったに違いない。
「……そうだ。予定通りだな。で、水鏡の所有者に私の吸奪(ドレイン)を食らわせてやってわかったことがある。今回の元凶だ」
元凶。クリスマスから続いてきた妖刀によって発生していた事件。それの……元凶。
どんな凶悪な人物なんだろうと、わたしは手が震えるのを抑えるので精一杯だった。
「『童子切り』だ。ヤツが動いている。私と笠酒寄クン、そしてコダマでこれから統魔に行く。転送陣の使用許可を取っておいてくれ。……私達以外に動かせる駒があるのか? 現状の回収班なんぞ
ちょっと、これは、雲行きが怪しい。
もしかして、わたしと空木君はこれから親玉のところに行く感じ? 待って待って! ソレ待って!
こんなぼろぼろの服で行くの? ううん、そうじゃなくて!
ただでさえ連戦状態なのにわたし達が行かないとダメ⁉ 統魔の人達……はダメっぽいんだ。さっきのヴィクトリアさんの口調から頼りないのは伝わってきた。
うぅん。これは難問。
疲れてるわたし達が相手をするのか、それとも頼りない統魔の専門家に任せるのか。
普通は専門家に任せるって選択肢になるんだろうけど、
うぅ……でもわたしと空木君はよくない? ヴィクトリアさんだけでも十分だと思うんだけど。
吸血鬼にして魔術師、ヴィクトリア・L・ラングナーならどうにかしてくれそうなんだけど……。
ちら、とわたしはミサトちゃんと話してるヴィクトリアさんの顔をのぞき込む。
『わたし達も行かないとダメですか?』って
上目遣いなのが秘訣。
「ああ、笠酒寄クンも問題ないな。元気そうだし」
ダメだったぁー! そういえばヴィクトリアさんは女の子だよ! 効くわけないじゃん! 上目遣い!
地団駄踏みそうになるけど、最後の理性で踏みとどまる。
こんな場所で駄々こねてもしょうが無いし、わたし達が行かないと、この妖刀騒ぎを終わらせられる人はいないんだ。……そう思うことにした。もう!
みぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぃん!
一際大きい音。
「終わったみたいだな。じゃあ転送ポイントの場所をメールしておいてくれ。そこから飛ぶ」
全然興味ない様子でヴィクトリアさんは通話を切っちゃった。
見ている先にあるのは、空中に浮いてる一本の脇差し。
減ったなぁ、祢々切丸。あんなにあったのに。
無造作に近づいて、ヴィクトリアさんは祢々切丸を手に取る。
「持って大丈夫なんですか、それ?」
不安。だって、全自動追跡型妖刀なんでしょ?
「問題ない。所有者がいるときには単なる脇差しだからな」
えぇー……それって本末転倒なんじゃないの?
作った人の精神状態を疑っちゃう。もしかして人間嫌いだったのかな。
「笠酒寄クン、持っててくれ。私はもう少々運転しないといけないしな」
ぽん、とお土産でも渡すみたいに妖刀がわたしの手に渡る。
持ってる分には大丈夫って言われても、ちょっと嫌。だってさっきまで襲ってきてたんだもん。
「ほらほら、とっととクルマに戻ろう。私は寒いのが嫌いなんだ」
かるーい調子で言いながらヴィクトリアさんはわたしがドアぶっ壊しちゃったクルマに向かう。……って、あれ?
ドアが……直ってる?
「自動修復もちゃんと働いているな。よしよし」
そういえば、このクルマもヴィクトリアさんの所有物だった。当然、普通の品のはずがないか。
ちょっと気味が悪いと思いながらも、わたしはクルマに乗り込む。
「んじゃ出発。目指すは……公衆トイレか。もうちょっとマシな転送ポイントを用意してほしいものだな」
「ホテルとか?」
「ジャグジーも付いてたら完璧だな」
どうでもいい話を展開しながら、わたしとヴィクトリアさんを乗せたクルマは発進した。
静かにクルマが停止する。
良くあるような公園。だけど、ちょっと普通じゃないのは人が全くいないってこと。
多分、なにかの魔術が使ってあるんだと思う。それかこの辺の住民は皆とっても寒がりか。
ヴィクトリアさんがクルマから降りたから、わたしも降りる。
持ってた祢々切丸を中に置いてくるのを忘れちゃったけど、ドアを開けようとした瞬間、ごう、という音がした。
反射的にそっちを向くと、空木君がいた。
なんか、最後に見たときよりも大分ぼろぼろになってたし、片手には日本刀(たぶん妖刀かまいたち)、片手では男の人の襟首を掴んでいたけど。
「ちょうどだな、コダマ」
とても平坦にヴィクトリアさんは迎えた。
もしかして、ちょっと疲れてるのかな? カーチェイスしてたし、大技っぽい魔術も使ってたし。
「わたしも……もうちょっとだけ休ませて」
これは本音。
ずっと祢々切丸持ってたし、そもそも迎撃のためにわたしは完全人狼化までしちゃったし。
空木君はどう思ったのか知らないけど、ふと気付いたみたいに襟首を掴んでいる男の人に目線を移した。
「あ、この……かまいたちの所有者どうしますか?」
「あー……例のスーツケースにでも放り込んどけ。妖刀を手放してしまったヤツなんてカスだカス」
ちょっとヴィクトリアさんも不機嫌そう。
空木君もきっと怖い思いをしたんだろうけど、わたし達もかなりバトル展開だったから無理もないと思う。
もうちょっとまったり気味で良いんじゃない?
空木君が謎スーツケースに男の人を突っ込むと、吸い込むみたいに収まった。
これ、ちょっと欲しいかも。衣装ケースとかに。
整理整頓が苦手なわたしとしては。
一歩、ヴィクトリアさんが前に出た。
目線の先にあるのはばっちい公衆トイレ。
多分、統魔に移動するためのポイントなんだろけど、入りたくない。わたしは。
でも、そんなことはお構いなしにヴィクトリアさんは口を開く。
「心の準備はいいな? この先にいるのは今回の妖刀騒ぎの元凶だ。始まりの妖刀、ありとあらゆる妖刀の原型。空前にして絶後、そういう……馬鹿だ」
咥えていた細い葉巻を捨てながら、ヴィクトリアさんは吐き捨てるように言った。
全然準備は良くなかったけど。
「鬼退治ならぬ、妖刀退治といこうか」
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