第二十七怪 妖刀かまいたち

 ※

 私が記憶する最古の私というものは、棒きれを拾う子どもの姿をしています。

 庭に生えていた桜の木。そこから折れ飛んできた細い枝。それを見ているのが、私が覚えている最初の“私”です。

 何の変哲も無いその枝をなぜ見ていたのかは定かではありません。 

 しかしながら、心のどこかでかれるものがあったのは確かなことでしょう。なぜならば、私は迷うことなくその枝を拾い上げたのですから。

 おそらく、私は三つか四つなのでしょう。手は小さく、細い枝はなんとも言いがたいぐらいにしっくりとくる太さでした。

 本能的にそのときの私は枝を振りかぶり、そして、振り下ろしたのです。

 あのときの心境を正確に表現することは難しいと思います。

 なにせほとんどすり切れそうになってしまっている記憶の一番底、やっとのことで見ることだけが叶うようなそんな場所に保管されている記憶なのですから。

 しかしながら、私は覚えています。

 桜の枝が空気を割った感触を、手に返ってきた確かな実感を、頭頂から足裏までを走り抜けた電流にも似た感覚を。

 そう、それは確信と言うべきでしょう。

 拾った棒きれを振った、それだけで私は己の生涯における目標を悟ったのです。

 それだけの衝撃でした。

 この世に生まれ落ちてわずか数年。だというのに、私は自分の目指すモノを見つけてしまいました。

 今生こんじょう最大の不幸と表現してもいいですし、生まれながらにしての幸運と言ってもいいでしょう。どちらにしろ、それは他人が決めることなのです。

 私はただ、自分の生き方を見つけただけの話なのですから。

 その日、私は父に最初で最後のわがままを言いました。

 『剣を教えて欲しい』と。

 ※


 1


 「今回の……いや、ここ最近の妖刀騒ぎは人為的なものだ。偶発的に妖刀が活性化したわけじゃなくて、何者かの意思が絡んでいる。それも特上に厄介なのがな」

 妖刀水鏡みかがみをどうにかこうにかやっつけて、その上で吸血をかますという死体蹴りを敢行かんこうした室長はそう切り出した。乱暴にぬぐわれながらも、口元を染める鮮血が妙に生々しいので先にそっちをどうにかしてほしかったのだけど、そうもいかないらしい。

 いやまあ、この物騒極まりない反則アイテム共が計画的に運用されているというのは大事件だから、そっちを優先するのは当然なのだろうけど。

 「……なんとなく予想はしてましたけど、吸奪ドレインしたってことは確かな事実みたいですね」

 室長の能力、吸奪。

 血液を媒体にして、相手の能力、知識、経験、その他諸々有無を言わせずに奪い取ってしまうという超絶に凶悪な能力。

 一応、僕も食らってはいるのだけど、対象を異能に絞り、さらには程度もかなりの手加減に手加減を重ねている状態なので能力が抑えられる程度で済んでしまっている。本気で食らっていたら、今頃僕は廃人コース一直線らしい。

 そんな室長の能力は尋問に非常に適している。

 なにせ記憶やらなにやら根こそぎ直接閲覧できるんだ。これ以上の証拠はない。例え相手に偽装の意思があったとしても、それごと奪われてしまったら結果は同じだ。

 嘘はつけない。

 つまり、現在の室長は水鏡の所有者が持っていた情報をほとんど持っていると言っていい。

 『ほとんど』という言葉がくっついてしまうのは、水鏡の所有者がぎりぎりのラインで生き延びているからだ。

 完全に奪い去ってしまうと、同時に死亡する。

 それは絶対の法則らしく、それゆえに現在の室長はこの強力無比な能力の行使をあまりしない。……過去に何かがあったのは確実なんだろうけど、それを尋ねるのはあまりにデリカシーに欠ける。僕は、未だに室長のその部分には触れることは出来ない。

 「人為的って……なら、もしかしたら他にも暴れ回っている妖刀がいるって言うんですか?」

 事実なら絶望的。

 ただでさえ統魔は現在、木角きかど利連りれんの更迭によってゴタゴタしてる。その上に連日の妖刀騒ぎによって回収班はぼろぼろ。これ以上の負担はなんとしても避けたい時期だというのに、まだまだ厄介事は山盛りとなってしまえば、投げ出してしまう人間がいてもおかしくない。

 人間は、思っているよりも脆いモノだ。

 そして、追い詰められてしまった場合には、大抵破滅願望が顔を出す。

 「その通り。とは言っても現状で自立的に活動できているのはまだ少ない。水鏡はこの騒動の最初期から目覚めたみたいだからここまで活発化していたみたいだが、他のはそれほどでもない可能性が高いな」

 「そんなことまでわかるんですか?」

 水鏡の能力は太刀筋のコピーだけじゃなくて、他の妖刀の活動を感知するようなものもあるのだろうか? だとしたら詰め込み過ぎた。

 「そうだな、水鏡の所有者はそれを感じ取っていたらしい。本人的には『衝動』と表現したほうがいい程度の感覚だったみたいだが、ここ最近で明確に何者かの意思を感じ取っていたようだな」

 「何者か……」

 それは一体誰なのだろうか? 妖刀どもを開放し、一体何をやろうとしているのだろうか? こんな物騒極まりない危険アイテムなんぞ永久凍土にでも封印しておいたほうが世のため人のためだと思う。やっても発掘してしまうのが人間の業というやつだろうけど。

 「一応目星は付いている。が、そのためには一旦統魔に出向かないといけないな。独断専行してしまうと、またお叱りを受ける」

 どの口が言ってやがる。

 口が裂けても突っ込まないけど。

 「でも、ヴィクトリアさん。この人どうしますか?」

 人狼状態から人間状態に戻った笠酒寄が干物寸前になっている水鏡の元所有者を指さす。

 ……まあ確かに、このままの状態で放っておくとまずいだろう。人目に付いてしまったら事件だろうし、っていうか、放っておいたら死にかねない。

 「ふん、このまま統魔にご同行願おう。そのまま拘束指定だ。絞れるだけ絞って、あとは退屈に人生を消費してもらう」

 これ以上絞ったら何も残らない気がするのだけど。

 まあ、妖刀に首を突っ込んで、あまつさえその力を自覚的に行使していたみたいだから当然の報いと言えなくもない。

 「クルマを回してくる。ちょっと待ってろ」

 そう言い残して、室長は弾丸のように空を駆けていった。

 普通に向かってください。魔術使うな。


 


 というわけで僕と笠酒寄かささきは現在、室長が運転するクルマに乗って統魔へと向かっている。

 笠酒寄は助手席に、僕は後部座席に。水鏡の元所有者はどうしているのか? 僕の隣に鎮座なさっている禍々しいオーラを放つスーツケースの中だ。

 以前、阿次川あじがわ雑路ぞうろを回収するときに使った、とんでもない収納スペースと、突っ込んだモノを吸い込んでしまうという性質をそなえたなんともホラーな一品だ。正直、隣に置いていて欲しい物体ではない。いや、物体である保証さえもないのが室長の所有物の恐ろしいところなんだけど。

 ともあれ、三人(厳密には四人か?)で僕達は統魔に向かっている。

 すでに日は落ちかけているので、そろそろ暗くなってきてしまうだろう。

 これからノンストップでの強行軍で統魔に向かうつもりらしく、さっき僕と笠酒寄は家に電話している。……いもしない共通の友達の家に泊まるという嘘でだまされてくれたのだと信じたい。そうでないとしたら、後の問い合わせがかなりしつこくなってしまうのは確定的だからだ。無駄に精神的疲労はしたくない。ただでさえ、最近は物騒なバトルばっかりで神経すり減らしているのだから。

 暗澹あんたんたる気持ちでそんなことを考えていると、ゆっくりとクルマが停まる。

 ?

別に信号に引っかかっているというわけじゃない。っていうか、今走っているのは農道みたいにまっすぐな道だ。交差点さえもない。

 「コダマ、キミはここで降りろ」

は?

 「いや、なんですかその嫌がらせ。僕は走って統魔に行けと申されますか」

 「そんなんじゃない。この近くに妖刀がいる。キミはとっととぶちのめしてこい」

 いやいやいやいやいや! 緊急ミッション過ぎませんかね⁉ 

 「ちょ、ちょっと待ってくださいよ室長! なんで妖刀があるだなんて事がわかるんですか? いつの間にか妖刀レーダーでも搭載しちゃいましたか?」

 自分で言ってて意味がわからない。なんだ、妖刀レーダーって。そんなニッチなモノが存在してたまるか。妖刀集めてでっかい龍でも召喚するのか? 馬鹿な。

 「カンがいいな。持ってけ」

 ひゅん、と何かが投げ渡される。

 勢い自体は緩やかだったので、僕は見事にキャッチ、後に観察。

 それは、見た感じは水晶玉だった。ただし、中になぜか金属片が入り込んでいたのだけど。

 「なんですか、これ」

 「妖刀水鏡の破片を封入した水晶玉だ。さっき作った」

 なんかごそごそやってると思ったらそんなことしていたのか。いや、それはいいのだけど、こんなモノを渡してどうしろっていうんだ?

 「妖刀水鏡の性質として、剣士を求めるのは知っているな? 言ってなかったが、剣士の中でも妖刀を所持している人間にはとても強く反応するんだ」

 ああ、なるほど。これは――。

 「キミにもわかりやすく換言するならば、妖刀探知機みたいな性質を持ってるんだ、水鏡は」

 あったよ、そんなニッチな存在。まさか妖刀自身がレーダーと化してしまうとは。

 ちらり、と僕は隣のスーツケースをみやる。

 水鏡の元所有者は、もしかして妖刀と戦ってみたかったのかも知れないな。なんてらしくもない感傷的な思いをもって。

 「はあ、なるほど。妖刀探知機と化した水鏡の破片が反応したから、室長は僕に妖刀をぶっとばしてこいと言われるわけですね」

 「ああ、水鏡の所有者もこの辺りに妖刀が存在していることを感じていたみたいだからな。行きがけの駄賃だ、ついでに回収してこい」

 まるで、「コンビニ寄るついでにアイス買ってこい」みたいなノリで妖刀退治を命令されても困る。こっちは命がけになるんだから。

 どうやらその不満は過不足無く表情に出ていたらしい。

 室長はため息をつきながらバックミラーに視線を移す。

 もちろん、映っているのは不満げな僕だ。

 「一応私が持ってきた妖刀退治に役立つアイテムを渡してやる。あとは、私の座標に飛ぶマジックアイテムも貸してやるから、妖刀退治が済んだらそれで追いつけ」

 室長のアイテムとか関わり合いになりたくない。が、あんまり不満ばっかり言ってても進展はない。最悪、着の身着のままで放り出されてしまうよりも、多少は助けがあるほうがまだマシだ。

 くそう、やるしかないのか。

 「……わかりました。わかりましたよ、もう!」

 最後の抵抗として、勢いよくドアを開けながら僕は車外に出る。

 冷たい外の空気にさらされて、肌が引きつる。

 「……で、僕がぶっ飛ばす妖刀は一体どういう妖刀なんですか?」

 「かまいたち、妖刀かまいたち。それがこの町に潜んでいる妖刀だ」

 

 2


 かまいたち。漢字で書いたなら鎌鼬かまいたちか? 別に前足を鎌に改造されてしまった あわれな改造イタチというわけじゃない。そっちだったら、単なる悪趣味なデマで済んでしまったであろう話。もしくは動物愛護団体が激怒するだけの話。

 妖怪としてよく知られるその存在は、とある妖刀が元になっているという。

 妖刀かまいたち。

 そのまんま妖刀の名前が妖怪になってしまったわけじゃなくて、逆だ。実はこの妖刀は無銘だったらしい。しかしながら、江戸期に流行った妖怪変化とあまりにも合致する部分が多くて――いや、この妖刀によって引き起こされる現象はかまいたちそっくりだったので、銘に妖怪の名前を冠することになってしまった、らしい。

 すでに僕を降ろしてクルマを出した室長はそんな風におざなりな説明だけをしていってくれた。

 めちゃくちゃ雑だし、その上に渡したアイテムの解説なんかも説明書すらない。「見たらわかる」だそうだ。そんな対応マニュアルを採用している企業はおそらくないだろう。商品説明書にそんな文言が載っていたらクレーム待ったなしだし、そもそも購入を検討する人間さえいないだろう。

 今、僕の所持品は妖刀探知機と化した水晶玉と、空間転移魔術が封入されている(らしい)指輪。そしてアタッシェケース。

 このアタッシェケース内に妖刀退治、っていうか妖刀かまいたち退治に役に立つアイテムが入っているらしいのだけど、その説明はなかった。開けてすらいない。ゆえに、僕はまだ渡されたアイテムの全貌さえも把握していないのだ。

 強烈な寒風が吹き付けて、震えが走る。 

 現在の扱いに対する怒りを含んでいるのはもちろん、把握している。だけど、このままここで馬鹿みたいに突っ立っていてもしょうが無い。とっとと妖刀を退治して室長に追いつくほうがいくらかは生産的だ。

 ぱあん、と自分の顔を挟み込むように叩く。

 「……ぜっっっっったいに後でしこたま文句言ってやるからな」

 漏れた言葉は、本心だった。



 

 町、というよりもこの辺は村と言った方が良いぐらいには何もない。

 いや、何もないというのは間違いか。田畑が広がっている。あとビニールハウスも点在している。だからどうしたって話なんだけど。

 冬という季節上、作物の植え付けは行われていないのだけど、それがまたもの悲しさを邁進まいしんしてくれる。ただでさえ妖刀退治というトンデモミッションを受けているのに、気分まで落ち込んでしまうだなんて……泣きっ面に蜂だ。蜂ってよりも、財布落としたとこにペンキをぶちまけられてしまったような感じだ。直接的な痛みは伴わないが精神的に疲労する。

 変な方向に思考がぶっ飛びそうになってしまってきてるので、払拭するために僕は掌中の水晶玉に意識を向ける。

 ほんのわずか、引っ張られる感覚を覚える。

 多分、水鏡が妖刀に引き寄せられているんだろう。そうじゃなきゃあ、単に僕の『とっとと帰りたい』という深層意識に肉体が反応しているのだろう。後者である可能性は低い。だって、水晶玉が示す方角にはいかにもと言った感じの山の入り口があるのだから。

 僕に自殺願望とかが無い限りは、山に入ろうという気は無い。つうか、入ったことさえも数えるほどしかないし。更に言うなら当面僕に自殺願望は芽生えないことだろう。別に現実に絶望してるわけじゃないし。

 わざわざ任務放棄するだけならば、とっとと指輪にこめられている空間転移の魔術を発動させてしまえば良いだけのことだ。今のところその腹づもりはないのだけど。

 まあ、無駄にあちこち駆け回って妖刀探しをするよりも、こっちのほうが手っ取り早くて助かる。僕の身の安全的には全然助かってないのだけど、いつか相対する羽目になる厄介事ならば早く終わるに越したことはない。

 じゃあ、行こう。

 妖刀かまいたちのいる場所へ。

 この馬鹿らしい妖刀騒ぎを収束に向かわせるための前準備と行こうじゃないか。



 

 山の入り口と一口に言っても様々だろう。

 一番多いのは、気がついたら入山していたというケースじゃないだろうか。

 なぜか? 普通の山はわざわざご丁寧に『ここからが山ですよ』なんて看板を出していてくれたりはしないからだ。

 山道を通っている間にいつの間にか入って、いつの間にか抜けている。そんなもんだろう。

 だけど、僕の目の前にはこの上なくわかりやすい“入り口”があった。

 入り口というよりも、どっちかと言えば階段だろうけど。

 コンクリート製の綺麗な階段ではなく、土が剥き出しのなんとも野性味あふれるものだけど、登るのに支障はなさそうだ。

 ……水晶玉はずっと上のほうに引っ張られている。

 ため息を一つ吐くと、僕はどこまで続いているのかもわからないような階段を上る。

 一歩一歩確実に、なんてまどろっこしいことはせずに三段飛ばしという暴挙。山の専門家辺りには「山を舐めるな!」と叱責しっせきされてしまいそうだけど、そこはなり損ない吸血鬼。多少の荷物を持っていたとしても気分は一段飛ばしで階段を上っている感覚に近い。

 すごいスピードで階段を上っていく高校生男子。うーん、僕が新しい『怪』になってしまいそうなシチュエーションなのだけど今はつべこべ言うつもりはない。僕としてはとっとと妖刀かまいたちをぶっ飛ばして暖かいスペースに移動したいんだ。冬に山登りするのはタイピストか自殺志願者だけでいい。僕はどっちでもないのだから、早く帰りたい。

 気分としては鬱々うつうつと、それでも足取りは軽快に(三段飛ばしなんてやってるから客観的に見たらどうしてもそうなってしまう)僕は水晶玉の導く方向に向かう。

 休むことなく一〇分ほども上っていると、いい加減に終わりは見えてきた。

 最後は五段飛ばして大きくジャンプしてから着地。僕が想像していたような光景は広がっていなかった。

 というのも、僕の目に映っているのは小さなやしろだけ。ちょっとばかり周辺の木々が払われているのでスペース的には広がっているように感じられるのだけど、周囲全部囲まれてしまっているせいで圧迫感は余計に増してしまっているような気がする。 

 そして、視界のどこにも妖刀も、妖刀の所有者らしき人物の影も見えなかった。

 ……あれ?

 更に上に行くルートは存在していない。たぶん。もうこれ以上高い地点はちょっと見えないし、それらしき案内もない。

 つまりは行き止まりということだ。

 どうなってんだ? 間違いなく水晶玉はこっちの方角を示していたはずなんだけど……。

 もう一度、水晶玉の感覚を確かめようとした瞬間だった。

 僕の足下、土が剥き出しになっている地面が、すぱりと切り裂かれた。

 ……切り口は小さい。精々四センチメートルぐらいの切り込みが入っているだけだ。その上に、浅い。

 カッターナイフで切りつけたのと大して変わらないぐらいの深さ。

 だけど、異常なのは“切ったモノ”がまったく見えなかったことだろう。

 僕は間違いなく切り裂かれる瞬間を目撃していた。それなのに何かが超スピードで通過したとか、僕のうっかりで見落としたとかはない。なり損ない吸血鬼の動体視力を舐めてもらったら困る。通過する電車の乗客の顔をはっきりと認識できるぐらいの動体視力で気づけない早さなんかで動いたらものすごい風圧が発生してしまう。例えそれが小さな刃だったとしても。

 それに、切り裂かれるスピードは大したことなかった。いや、そっちのほうが問題なのだろうけど。

 これは……まずい。すでに妖刀は仕掛けてきている。

 横っ飛びに回避するのと、僕の頭があった場所を不可視の『何か』が通り過ぎるのは殆ど同時だった。

 微風が吹いたようにしか感じられなかったのだけど、ちょっとばかり追従が遅れた僕のポニテがさっくりやられた。また短くなってしまった。そのうちになくなるんじゃないのか、僕の髪。高校生にもなってスポーツ刈りになってしまいたくはない。

 着地すると、すぐに次が襲ってくる。

 得物が見えないということがここまで厄介だとは!

 僕と相対してきた相手はこんな気分だったのだろうか。くそ! すげえ卑怯に感じるな!

 耳元を掠めながら、確かに『何か』が飛び交っているのがわかる。ひゅんひゅんという風切り音が止んでくれない。

 服が数カ所切り裂かれる。 

 深さは大したことないけど、その数が問題だ。同時に二カ所以上を攻撃できてるっていうのはどうなってるんだ⁉

 このままじゃあジリ貧。一旦体勢を立て直さないと。

 無理矢理、一歩踏みだす。

 ざっくりとズボンが切り裂かれるけど無視。そのまま全速力で目の前にある社の中に突進する。

 ぺらっぺらの戸を突き破って中に突入。幸いにも木片がぶっささる事は無かった。

 板張りの床に転がる。

 辛うじてアタッシェケースを手放してなかったのは褒めていいだろう。一応はこの中に妖刀対策のアイテムが入っているはずなのだから。

 現状確認。

 妖刀側はすでに僕を発見していて、攻撃を仕掛けてきている。対して僕は相手がどこにいるのかさえもまだわかっていない。

 絶望的? そうじゃない。単に一歩出遅れただけの話だ。

 これから巻き返せば良い。

 反撃に転じるため、僕は室長から託されたアタッシェケースを開いた。


 3


 勢いよく開けたアタッシェケースに入っていたのはたったの一種類の物品だった。

 カラーボール。

 コンビニとかに置いてあるアレだ。間違いない。

 え? いやいや、どうしろと?

 もう一回目をこすってから見てみる。

 カラーボール。間違いない。

 ……ちょっと、頭痛がしてきた。

 ご丁寧に三つも入ってはいるのだが、これでどうしろって言うんだ? 

 と、半分キレかけたところで僕はマジックか何かで書き込みがされていることに気付く。

 〈妖刀かまいたち。異形の刀。刃は透明であり、数百の破片によって構成されている。抜き放つことでこの破片が展開し、かまいたち現象にそっくりの斬撃を可能にする〉

 とてつもなく簡潔に妖刀の解説がしてあった。

 たぶん、室長が書いた文だろう。字は綺麗なくせに図形は壊滅的な室長だ。

 この解説は先にしてくれと言いたい。……知っていても防げたかどうかはわからないけど。

 さて、ここにこうやって解説がしてある以上、室長の助けは必要ないと言うことなのだろう。たぶん、これだけで僕は妖刀かまいたちを退治できると信じているわけだ。は、信頼されているようでなんともくすぐったい。

 とにかく、今はこの強盗を撃退するのにも役立ちそうにないアイテムもどう用いたらいいのかを考えるのが先決だろう。幸いにも、さっきからかまいたちの斬撃は飛んできていない。

 あの解説が本当だというのならば納得できる。

 僕の能力と同じようなものだ。見えない場所を斬りつけることは出来ない。向こうはできなくもないのだろうけど、下手にちょっかいを出して無用な反撃を食らうよりも有効なやり方はいくらでもあるのだから、そんな馬鹿なことはしない。

 そう、まだ僕のほうが圧倒的に不利な状態なんだ。

 がつっ! という聞こえたのはそのときだった。

 なんというか、斧か何かで木に切りつけたみたいな音だ。

 こういう時だけは鋭い僕の嫌な予感が走る。

 がつっ! がつっ! がつっ!

 四回目ぐらいで正体は判明した。何しろ、社が傾きだしたのだから。

 「マジかよっ! 神様うやまえよバカ!」

 かまいたちの使い手はどうやら社をぶっ潰して僕も潰す腹づもりらしい。

 こんな場所で心中するつもりはないし、僕にはまだまだ色々と楽しいことが待っているはずなので心の底からお断りさせてもらうのだけど。

 がつっ! がつっ! がつっ! がつっ!

 容赦なく斬撃は続く。

 土台の木材部分に集中攻撃しているんだろう。そろそろ傾斜がきつくなってきている。

 脱出するしかないな、これは。

 アタッシェケースを閉じて、しっかりと持つ。

 深呼吸。

 心の中でカウントする。

 三、二、一、GO!

 崩壊が始まった社から全力で脱出する。

 なり損ない吸血鬼の身体能力で今度は壁を蹴り抜く。

 元々ガタが来ていたんだろう、簡単に壁に穴は空いたし、僕はそのまま外に放り出される。

 ゴロゴロと地面を転がりながらアタッシェケースだけは手放さない。

 すでにぼろぼろになり始めていた服はすでにボロ布と大差ない見た目になってしまったのだけどこの際仕方が無い。命があるだけ儲けものだ。最早洗濯しても繕(つくろ)っても無駄なので、また新しく服を買わないといけないだろう。ああ、被服代がかさむ。

 ちょうど、僕が脱出したのは社が切りつけられていた方向とは反対だった。

 そして、外に出たというのに追撃がこない。つまりは、この位置はかまいたちの使い手からは見えていない。ならば――――。

 身をかがめて全力疾走。

 おそらく、滞空しているであろうかまいたちの刃をくぐり抜けるようにして、僕は斬撃が飛んできている方向に向かう。

 例え持っているのが妖刀だったとしても、振るっているのが人間であるのならばいくらでもつけいる隙がある。

 見えない刃なんて扱いに難儀しそうな品なら余計にそうだろう。

 少なくとも人間の限界をスキップで乗り越えてくるような相手を捕えるには苦労する。

 ざくざくと何枚かの刃が顔を掠めた。もちろん出血もするのだけど大したことはない。

 一本の刀身を数百の破片に分割するというかまいたちの特製のおかげで、一撃一撃の威力は大したことない。この程度ならばかすり傷みたいなもんだ。

 すぐに見えない刃のゾーンを抜ける。

 そして、僕は社を囲んでいる木々の中に突入していた。

 遮蔽物が多くなってしまえば、それだけ破片を操る難易度は上昇する。

 特性上、妖刀かまいたちは奇襲には向いているだろうけど近距離戦闘には不向きだ。決定力が不足している。

 ラフファイトに持ち込んでしまったら、あとは僕でもどうにかなる。

 ポケットに突っ込んでいた水晶玉を左手に握りしめる。

 つい、と引っ張られる感覚。 

 相手に取っては非常に残酷なことだけど、僕は見えようが見えまいが関係ない。この妖刀探知機がある限り、そっちに向かっていくだけでいいんだから。

 無秩序に生えている木を避けつつ、僕は水晶玉に従って前進する。

 ソイツを見つけるのには一分かからなかった。

 太い木の枝に腰掛けるようにして、双眼鏡で社のほうを覗ってる男。

 反対の手にはつかだけの日本刀を持っていた。

 あれが妖刀かまいたちか。本当に刀身がないんだな。展開しているのだから当然だろうけど。

 男が僕に気付いている様子はない。……とっとと終わらせよう。

 ぐ、と力をこめて僕は跳躍しようとして――――膝裏を切り裂かれる。

 「んなっ⁉」

 どうやら今回のは結構深かったらしく、足から力が抜けてしまった。しばらくは跳べそうにない。

 ゆっくりと、樹上の男は双眼鏡を下ろして肉眼で僕を見た。

 にたり、とその顔がイタチを思わせるような笑みを浮かべる。

 「ちょろいな。もうちょっと歯応えのあるヤツだと思ったんだけど。まあ、俺とかまいたちの能力を舐めてた証拠だな」

 あざけるような口調で男は僕を見下してそう言う。

 気付かれていた。

 たしかに僕はコイツをあなどっていた。妖刀の力におぼれきってる人間だと思い込んでいた。

 だけど、そうじゃなかった。冷静に獲物をおびき出し、罠にはめるぐらいの知性はあったみたいだ。これは完全に僕の油断だ。

 だけど、この程度で僕を封じ込めたと思ったら大間違いだ!

 能力を発動させる。

 ぶわり、と短くなったポニーテールが浮かんで、見えない力でかまいたちを持っている右腕をへし折るようにイメージ。

 能力は発動したはず……だった。

 だけど、男の右腕は微動だにしていない。

 刀身の存在しない刀を持ったままだ。

 なん……で?

 確かに僕の能力は発動している。なのに、なぜ?

 「ははっ、そのツラ! なんで自分の超能力が発動しないのかって顔だ! そうだろ? なあ! ぎゃははははは!」

 げらげらと下品な笑い声を上げて男は上機嫌そうだ。

 ……いや、そんなことよりも。

 なぜ、こいつが僕の能力のことを知っているんだ⁉

 初めて出会ったコイツがなんで僕の事を知ってるんだ⁉

 「へはっ、なんだか腑に落ちないってツラだ。まあ、当然当然。“俺達”のつながりはわかんねえわな。どうでもいいけどっ」

 俺達? 俺達って何だ? 自分とかまいたちの事なのか? いや、よく考えろ。

 水鏡みかがみもそんなことを言ってなかったか? そう、「あなたたちでしたか」ってヤツも言っていた。あのときは気に掛けなかったのだけど、僕達のことを知っているのはおかしいじゃないか。

 この妖刀騒ぎ、まだ僕が把握していない事が多すぎる。

 ちん、と音を立てて男が納刀する。

 「かまいたちは納刀すると鞘の中に刀身が戻ってくるんだよ。だから展開しても戻すのは一瞬だ。そして、刀身を展開するのも一瞬」

 抜刀。

 その瞬間、周辺に『何か』が出現した気配がした。

 おそらくは、かまいたちの刀身。見えない数百の破片がこの辺りに漂っているのだろう。 

 なるほど。僕の能力の弱点、それを突かれたわけだ。

 視線が通っていないと僕の能力は対象に働かない。例えそれがガラスのように透明なモノであったとしても。

 さっきの僕の能力が不発に終わった疑問はこれで解決した。

 僕を見失ってから、こいつは一旦かまいたちの刃を戻して、周辺に展開していたんだ。

 だから、あのとき双眼鏡を覗いていたのは演技というワケか。

 そして、今度はもっと念入りに展開していることだろう。さっきとは刃の密度が違う。

 すでに僕は姿をさらしているし、向こうも準備万端。 

 突破口が……ない。超能力も、身体能力も封じられている。

 膝裏の傷はすでに修復が始まっているから時間が立てばどうにかなるけど、相手がそれを待ってくれるようなヒューマニズムあふれる人間には見えない。

 このままじゃ……やられる。

 手詰まりになりそうな僕の指先が触れたのは、室長から預かったアタッシェケースだった。

 「まあ、いいや。お前はここでバラバラに刻んでやるよ」

 す、と男がかまいたちの柄を振り上げた。


 4


 動いてくれる僕の腕はアタッシェケースを開き、中にあったカラーボールを掴んでいた。

 考えなんて気の利いたモノがあったわけじゃない。ただ、これまで僕が相対してきた『怪』への経験やら理屈やら戦闘やらが本能的にその行動を選択させていた。

 「うらぁっ!」

 掴んだらどうするのか? もちろん投げつける。

 投擲とうてき能力という、人類が他の動物に対して一線を画す能力。それを行使しただけだ。

 だけど、普通の人類ならばともかく、なり損ない吸血鬼の僕が投げつけたのならばどうなるか? その辺の高校野球のピッチャーなんぞ目じゃない剛速球が放たれるというのは当然の帰結だ。

 何枚かのかまいたちの破片に接触しつつも、それを弾きつつカラーボールは飛んでいく。

 だけど、質量に勝るとは言っても所詮はプラスチックのボール。そのうちに失速してしまう。

 だけど、落下しない。

 僕が能力で“掴んでいる”。

 イメージは手だ。失速したボールをキャッチするみたいに。

 「はっ、だからどうした! 出来るのは手品か⁉」

 振り下ろされるかまいたちの柄。

 そんなんじゃ、遅い。それよりも僕のほうが早い。

 カラーボールを握りつぶすイメージ。

 視線さえちゃんと邪魔されずに通っているのならば僕の能力は働いてくれる。

 見事にカラーボールは爆散した。

 ……たぶん、中にガスでも注入してあったんだろう。僕はこんな爆発を想定していなかった。っていうか、あの室長が普通のアイテムを僕に渡すはずがないか。これは僕の失態だ。

 オレンジ色の塗料が四方八方にまき散らされてしまったおかげで、かまいたちの所有者も僕も視界が効かない。

 まあ、当然のことながら僕にも塗料は容赦なく降り注いでいるので僕もヤツもオレンジ色に染まっていることだろう。そのぐらいの勢いでの爆発だった。

 やがて重力に従ってオレンジ色の霧は晴れていく。

 「こっの……クソガキが……‼」

 男は見事にオレンジ色に染まっていた。顔だけは真っ赤だったのだけど。

 「俺をコケにしやがって! ぶっ殺してやる‼」

 男はとっさに顔をかばったのであろう右腕を再び振り上げる。もちろん、その手には妖刀を持ったままだ。振り下ろされてしまったら今度こそ僕はズタズタにされてしまう。

 ……振り下ろせるものなら。

 べきん、と木の枝を折るような乾いた音がした。

 一瞬、男はその辺の枝が折れたのかとでも思ったのか、あたりをキョロキョロと見回していたのだけど、別にそんなことはないので怪訝そうな表情になった。

 そして気付く。

 音の発生源は自分の振り上げた腕であるということに。

 右の前腕が綺麗に九十度の角度を体現していた。

 「……え」

 ばぎん。

 今度はもう一個関節を増やしてやる。僕の能力ならこのぐらいのことはわけない。人体なんて簡単に壊せる。恐ろしいことに。

 「いぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっ‼」

 悲鳴が上がる。

 もう、その意識は僕にじゃなくて右腕の痛みのほうに移行してしまっているのだろう。かまいたちの柄を手放してしまった右腕を抱えるようにして男は背中を丸める。ぎりぎりで木の枝から落下しないのは褒めていい身体バランスだと思う。

 「あああああああっ‼ なんでっ! なんでだよっ!」

 少なくとも成人しているであろう大人が泣きじゃくるようにして僕を見てくるというのはなんとも気持ち悪い。見てはいけないものを見てしまった気分だ。

 返事として、僕はいびつに笑って見せた。

 たった今、強烈に自分を傷つけた相手が『笑っている』というのは存外恐怖を喚起する。少なくとも僕は人狼かささきとやり合ったときに滅茶苦茶怖かった。

 だから、今笑ってやるんだ。僕を実際以上に怖い存在だと思わせるために。

 「ひ、ひ、ひぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ⁉」

 どうやら効果は抜群だったらしい。真っ赤だった顔色が真っ青に急転直下した。

 そろそろ膝裏の傷も多少回復してきたので無理矢理に立ち上がる。こっちの戦闘準備は万端だと言わんばかりに。これからお前をひどい目に合わせるぞと言わんばかりに。

 いや、正直かなりぎりぎり。多少回復してきているとは言うものの、本来ならば安静にしていないといけないぐらいに傷はまだ深い。能力の行使のために集中するのもやっとというのが本当の僕の現状だ。

 しかし、相手の目にはそうは映らなかったらしい。

 「やめてくれぇっ! 殺さないでくれっ!」

 頭を抱えてブルブル震えながらの命乞いだ。うわー、まるで悪役だよ僕。

 「……じゃあ降りて来いよ。妖刀を拾ったらその瞬間首をへし折る」

 もちろんそんな度胸はない。だけど、実行するかも可能性は高いと思わせた時点で脅しは成功したも同然。

 小さな悲鳴をあげて男は大人しく木の枝から降りてきた。多少ぎこちなかったのはきっと右腕の痛みのせいだろう。決して僕が凶悪な顔つきをしていたことが理由じゃない、と思いたい。

 未練がましく空中を漂っているかまいたちの破片を避けながらゆっくりと男に近づく。

 そう、現在かまいたちの破片は“見えている”。

 まき散らされた塗料は、僕の肉体を引き裂かんと漂っていた破片を見事に着色していた。オレンジ色の花弁のような物体が漂う中、僕は視線が通った男の右腕に能力を行使してべきべきにしてやったというわけだ。

 透明な刃ならば、どこで視線を遮られているのかがわからないけど、着色されているのならばそれを避けるだけの話だ。体のどこかでもちゃんと見えていれば僕の能力的には問題ない。

 妖刀なんて反則アイテムに対抗するために使ったのがカラーボールだっていうのはちょっと拍子抜けしてしまうけど、勝者は僕。敗者はかまいたち。決着した勝負にあとからぐちゃぐちゃ差し込むのは褒められたことじゃないだろう。

 「かまいたちの鞘を掲げろ。余計な動きをしたら内臓を捻る」

 んなことはできないんだけど。僕の能力が働くのはあくまで表面上。見えてない部分には無力だ。

 そんな込み入った事情なんぞ知るよしもない男が素直にかまいたちの鞘を掲げる。

 僕はそれを能力で手元に引き寄せる。

 すでに柄の方は回収している。そして、コイツがご丁寧に解説してくれたので使い方もわかっている。

 鞘に柄を収める。

 たったそれだけの動作で漂っているかまいたちの破片は一瞬で消え去った。

 出るのも一瞬なら消えるのも一瞬。たしかに、恐ろしい刀だった。殺傷能力は大した事がなかったのだけど、隠密性という点においては他の妖刀を凌駕していた。もっと入念な奇襲をされていたら僕も勝てたかどうか。使い手がアホ……いや、油断していただけだ。

 そろそろ完全に膝裏も回復している。

 ゆっくりと、なるべく現在の僕の何をするのかわからないというイメージを崩さないようにして男に近づく。

 カタカタ震える人間を追い詰めてるみたいでちょっとばかり良識の部分が痛んだのだけど、こいつは僕を容赦なく刻もうとしてくれたんだ。このぐらいはやってもいいだろう。ちょうどいい仕返しだ。

 じっくりと、逃がさないように距離を詰めた。もう手が届く距離だ。

 涙を鼻水とよだれでひどいことになってる大人の顔面が目の前にある。きっつ。

 「あ」

 「え?」

 「シュ!」

 何気ない調子で発した僕の言葉と視線誘導によって上を向いた男の顎を打ち抜く。

 お手本のような脳震盪を起こして男は失神した。

 「……僕は、汚れてしまった」

 ような気がする。無力化するためとはいえ、完全に降参状態の相手に暴力を振るってしまうだなんて。まてよ? これは暴力なのだろうか? 拘束のために必要最小限のダメージを与えたと表現は出来ないか? いやいや、出来ないか? じゃなくて出来るんじゃないか? そう……換言するならば必要悪だ。痛みを伴わない改革は存在しないように、暴力を伴わない拘束はありえない。

 とまあ、現実逃避はこのぐらいにしてそろそろ室長の座標に飛んだほうがいいだろう。

 僕がはめている指輪にこめられている空間転移の魔術は人間二人分ぐらいはいけるらしいし。

 失神している男の襟首を掴む。

 ……言わなきゃならないのか。

 「……そ~らをかっけって! くるくる~☆わーぷ!」

 この言葉を発動のキーワードにしたのは室長だ。決して僕じゃない! しかも! しっかりとこの頭がとろけているんじゃないのかという調子で言わないといけないという徹底ぶりなんだよ! くそくそくそくそくそ! 

 キレかける僕をよそに、しっかりと空間転移の魔術は発動してくれた。



 

 「ちょうどだな、コダマ」

 まるでテレビのチャンネルを切り替えるみたいに、次の瞬間には室長が目の前にいた。笠酒寄も一緒だ。ついでに述べるならば二人ともクルマの外にいる。

 ……しかし、なんだろう。こんなに二人ともぼろぼろだったっけ?

 「言いたいことはあるだろうが、道すがら説明する。流石に私もちょっと疲れた」

 そんなことを言う室長は珍しい。

 笠酒寄に目をやる。

 「わたしも……もうちょっとだけ休ませて」

 二人そろって拾い食いでもしたのか? 調子がおかしい。

 「あ、この……かまいたちの所有者どうしますか?」

 襟首を掴んだままの存在を思い出した。

 「あー……例のスーツケースにでも放り込んどけ。妖刀を手放してしまったヤツなんてカスだカス」

 容赦ない。

 言われたとおりに僕はとっとと後部座席のスーツケースにかまいたちの(元)所有者を上半身だけ突っ込む。

 ずぽん!

 身も蓋もないほどに勢いよくスーツケースは綺麗に吸い込んでしまうと、そのまま自動で閉まる。相変わらずホラーだ。

 さてと。

 クルマに向いていた体の方向をいい加減に反転させる。

 そこには、ぼろっぼろの公衆トイレがあった。

 ただし、どこかで見たことがあるマークも小さく書いてあった。

 統魔日本支部で何度か見かけるマーク。

 おそらくは、統魔のいくつかの入り口の一つなんだろう。

 そして、笠酒寄が持っている短めの刀、というか脇差しの正体も気になる。

 「心の準備はいいな? この先にいるのは今回の妖刀騒ぎの元凶だ。始まりの妖刀、ありとあらゆる妖刀の原型。空前にして絶後、そういう……馬鹿だ」

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

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