第二十六怪 水鏡
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自分を客観視する。そういう言葉が昨今よく叫ばれている現状なのだけど、はてさてそれが出来る人間がどれほどいるのだろうかと僕は疑問を投げかけたい。
一見オープンに見えるネットの世界でさえも、実はかなりの閉鎖的な環境なのだ。
なぜか? 情報を取捨選択するのは結局のところ自分だからだ。
この世界は自分というフィルターを通して観測しているに過ぎない。
自分。それは一番近くて、一番理解しがたい存在だ。
時として望まぬ結果を生み、時として至上の幸福をもたらす。そんな
さて、屁理屈をこねているようにしか見えないこの話。
しかしながら、ちょっとばかり思うところがある。
じゃあそんな奇妙
簡単だ。その辺にある手鏡でも手に取って鏡面を顔の前に持ってくるといい。
だけど、写ったソレが自分であることを保証してくれる存在はない。
もしかしたら、見ているのは鏡自身なのかもしれないのだから。
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「さて、
時刻はすでに八時過ぎ。というか、
そして、そこで待っていたのは笠酒寄だった。
そろそろ帰らないと僕も笠酒寄もお小言を頂戴する羽目になるような時間。バイトは黙認されているとは言っても高校生。未だ本業は勉学であり、自分の子どもが魔術とか妖刀とかの事件に関わっていると知らない親からは容赦なく雷が落ちる。
「はい、結果から言いますね」
最近の笠酒寄のマイブームは『結果から先に』というモノだ。映画にでも影響されたのだろう。たぶん。
「
はー、また始まった。こういうワードが出てきてろくな目に
すでに僕のやる気は下限を突破してグラフの底をぶちこわしてくれそうなぐらいだ。新しく線を引かないといけないだろう。その場合はマイナスの数値になってくるので赤のマーカーじゃないと受け付けない。
「辻斬り、か。また物騒だな。……詳細を聞きたい」
「はい。御路次町周辺では年末から立て続けに傷害事件が起こってます。被害者のほとんどが剣道の有段者、もしくは何らかの剣術を修めている人物です」
……なるほど、それは確かに奇妙だ。
まあ、笠酒寄も室長も
「有段者?」
「はい。年齢は様々ですけど、みんな大会とかで優勝したことがあるような人ばっかりです」
だんだん化けの皮がはげて普段の口調に戻り始めている笠酒寄だった。
しかし、辻斬りとはまた……なんとも古めかしい。今は二十一世紀であって、江戸時代とかじゃないんだけどな。
とは言っても、この百怪対策室で働き出してから珍妙な事件に
しばらく、室長は顎に手を当てて何かを思考しているようだった。
まるで難問に挑む数学者のように。
「……笠酒寄クン、被害者に共通していることは? もしかして、同じ箇所に傷を……いや、二度と剣を持てないようにされていないか?」
やけに重々しい口調で室長はそんなことを訊いた。
なんだそれ? 『二度と剣を』って。傷害事件なら怪我で剣を持つどころじゃなくなっているに決まってるじゃないか。
だけど、どうやらソレはかなり核心に触れる質問だったらしい。
「え、、あ、はい。怪我した人達はみんな手に重傷を負っていて……回復しても前みたいには動かなくなっちゃう……みたいです」
報告するはずだったことを先取りされた笠酒寄は目に見えて動揺していた。
だけど、もっと動揺していたのは僕の方だ。
「なんで……なんで室長はそんなことがわかったんですか?」
嫌な予感がする。こういう時だけ発揮される僕の嫌な予感が。
やれやれというように室長は
このままゲームでも始めてくれるのならば、僕も笠酒寄も多少は安堵する場面だったのだけど、その期待は裏切られた。
選択されたアプリケーションは、電話だった。
もう、わかってる。どこにかけているのか。そして、これからどうなってしまうのか。
数回のコールの後に、相手がでた。
『はい。こちらは統一魔術研究機関日本支部でございます』
「ヴィクトリア・L・ラングナーだ。保管されている物品の所在について問い合わせがしたい。管理課に転送してくれ」
『承知しました。少々お待ちください』
事務的な対応の後に、保留音のメロディが流れ出す。
今この場で何が起こるのかを問いただした方が良いのだろうか? それとも逃げ出したほうがいいのか? とっさに思いついたのはその二択。しかし、どっちも選べずにいるまま電話は管理課とやらにつながってしまった。
『お電話ありがとうございますヴィクトリア様。ご用件は?』
男性の声。性別なんぞは重要じゃないんだろうけど、あまり若々しい感じじゃないし、もしかしたら偉い人につながっているのかも知れない。
「妖刀の一振り、“
妖刀。ああ、また妖刀だ。
ついさっき一件解決してきたというのに、僕はまたぞろ血なまぐさい一件に首を突っ込む羽目になってしまうのか?
笠酒寄は事態について行けていないのかきょとんとした顔をしている。お前もあの圧し切り長谷部のとんでもない能力を目の当たりにしたら逃げ出したくなると思うぞ。
まるで
『水鏡につきましては
その回答で僕はちょっとだけほっとする。
同時に、室長も見当外れの方向に大暴投することもあるもんだ、とちょっと意外に思っていた。
だが、室長の追求はやまない。
「保管の責任者は誰だ? いや……前任者は誰だ?」
少しだけ、通話先の相手はたじろいだようだった。
『……
また、ヤツだ。木角利連。あの肥大化した欲望で自滅した陰陽師の名前だ。
「その際に保管している品はきちんと検査したのか?」
『それは……』
言い
しかしながら、無理があるというものだ。
木角利連が失脚したのは十二月も下旬。
そこから現在まで二週間程度。その短い期間で検査が終わるわけがない。
未だに後任の人間が決定していない状態で、それを批判するのはあまりにも外野の意見に過ぎる。
それでも、室長は手を緩めない。
きっとそれは過去に何かがあったからなのだろうけど。
「剣士狩りが起きている。水鏡はおそらく偽物だ。今すぐに調べて
『しかし、貴方は――』
「これ以上事態を放置するつもりならそうしろ。お前には死すらも生ぬるい罰を執行してやる」
一方的に告げて室長は電話を切る。
ほんのわずか、怒っているようにみえる。
物品管理の体制の不備によるものか、それとも木角の名前が出たことによるものなのかはわからない。
エスパーならぬ、サイキッカーの僕にはその心情をするすべはない。
だけど、この後どうなるかぐらいは想像が付く。
ああきっと、僕はまた妖刀を相手取って極限バトルなんだろうな。
2
結局あの後、僕も笠酒寄も家に帰った。
統魔内での調査と、八久郎さんへの取り次ぎ。それには多少の時間が掛かるという室長の判断からだ。
そして、それは正解だったみたいで、次の日に僕と笠酒寄が百怪対策室にやってきてもまだ、統魔からも八久郎さんからも連絡は無いようだった。
「実は妖刀は本物が保管してあって、今は室長にどういう抗議をしようかと考えている最中、とかどうですか?」
「面白くもない冗談だなコダマ。あの木角利連が秘密裏に動くに当たっての活動資金は何処から出ていたんだと思う? 日本支部の最高責任者とは言っても、目玉が飛び出るほどの資産家というわけじゃあないんだぞ」
軽口に全力で反撃されてしまった。大人げない、と言いたいところなのだけど、どうやら今回の妖刀はそのぐらいにはヤバい代物みたいだ。……僕はヤバくないほうが好みなのだけど。
僕と笠酒寄、そして室長の間に重苦しい空気が流れる。
どうにかしてくれ、この空気。
破ってくれたのは、室長のスマホだった。
この場には似つかわしくない軽快な着信音。素早く室長は電話に出る。
「八久郎か。首尾はどうだ?」
掛けてきたのは八久郎さんだったようだ。
現在は日本支部の再組織で忙しいのだろうけど、室長が一番仲の良い(のだと僕は思ってる)人物だし、そのうちに評議会とらやらの一員になる予定の彼は何かと融通が利くのだろう。
『
対象になってしまった人の胃に同情する。室長と八久郎さんだけじゃなくて、監査とかそういう怖い響きの場所からの圧力とか……未だに高校生の僕には想像も出来ない社会の怖さだ。
早急に対応しないといけないのは妖刀のほうだ。
「で、統魔のお偉方はどういう反応なんだ? まさか青色吐息の回収班を回す気じゃないだろうな?」
どうやら回収班の方々はよほど酷使されているらしい。南無。
『まさか。返り討ちになって水鏡が厄介になるだけよ。……ヴィッキーに一任するわ。ある程度のバックアップはできるけど?』
「いらん。余計な人間なんて邪魔なだけだ。百怪対策室で解決する。私達がどうにか水鏡を無力化するから、その保管方法だけ考えてろ」
大口を叩く。……っていうかまて、しれっと私“達”って言ったよな? 間違いなく言ったよ。おい、僕達もやっぱり限界バトルなのか?
『ありがと。一応なにかあったらすぐに連絡してちょうだい。あたしで力になれることならどうにかするわ』
ああ、八久郎さん。言葉だけ聞いたのならば感動してしまいそうになる。貴方がやたらにガタイのいいオカマじゃなかったらなあ。
「心配はいらない。私を誰だと思ってるんだ? 略奪者と恐れられたヴィクトリア・L・ラングナーだぞ?」
にやりと笑った室長は、本当に楽しそうだった。
それに比例するように、僕の胃はきりきりと音を立てた。
「ふうむ。御路次町……ね。名物は大根おろしかな?」
「いや、そんな安直な由来じゃないでしょうに。どんだけ頭の中空っぽで町名決めたんですか。嫌すぎますよそんな歴史。つうか、その場合は大根が名産になるじゃないですか」
「そうか? 意外に由来なんてそんなもんだ。特に地名なんてな」
「はぁ、さいですか」
初めて訪れた町に対しての第一アクションとしては不正解極まりないと思う。
まるで話題に困って無理矢理にひねり出したみたいなこの会話が発展する可能性は限りなくゼロに近い。ということは、ゼロとみなしてもいい。数学的にはゼロに収束する。してくれ。
そんな事に時間を費やしている場合じゃない。
この町では、今現在、妖刀が隠れ潜んでいるのだ。
ぱっと見た感じでは、違和感には気付かないだろう。だけど、僕にはわかった。夏休み、フランケンシュタインの怪物騒動が起こっていたあの町と一緒だ。
誰も一人では出歩いていない。
みんながみんな、誰かと寄り添うようにしてびくびくしながら歩いている。
そうは見せないように強がっている人間もいるみたいだけど、その本心には怯えが潜んでいるのはわかる。必要以上に声を張り上げて、周囲を威嚇(いかく)するように歩くその姿は、まるで虐待を受けた小動物のようだ。
……間違いなく、この町では何かが起こっている。それも、普通の神経ではやられてしまうような何かが。
今回も室長のクルマで僕達は移動してきている。
前回とは違って、今度は笠酒寄も一緒だ。
本当は笠酒寄には付いてきて欲しくはなかったのだけど、室長に押し切られてしまった。
やたらに優雅な動作で室長はクルマから降りる。
続いて後部座席の僕と笠酒寄も。
「コダマ、笠酒寄クン。これを持ってろ」
投げ渡されたのは、一メートルぐらいの細長い布包み。やけにずっしりしてる。
「なんですかこれ?」
なんなく僕も笠酒寄もキャッチしたのだけど、普通の人間だったのならば取り落としてしまっていたかも知れない。それぐらいには見た目と重さのギャップがあった。
「開けてみろ。ただしこっそりとな」
(?)
わけわからん。何を言ってるんだ室長は、という僕の疑問は開けた瞬間吹き飛んだ。
なぜならば、布包みの中にあったのは最近よく見る品物だったのだから。
間違いなく、日本刀の柄だ。
「ちょ、室長⁉」
「今回の妖刀……水鏡の性質なんだがな、これは対峙した相手の太刀筋を写し取ってしまう性質を持っている。あまりにも形状がかけ離れていると再現は無理なんだが、日本刀ならばほとんどは再現できると思っていい」
僕の話なんぞ何処吹く風とばかりに室長は唐突に今回の妖刀の解説を始める。
「この性質によるものか、それとも水鏡自身の意思によるものかは不明なんだが、この妖刀は剣士と戦おうとする性質を持ってる。そして、今回はその性質を利用させてもらう。即興だが、キミ達は今から剣士だ」
ふざけんな! いきなり刀渡されて万全に使えるわけないだろうが! 大体、僕は竹刀さえも振ったことがないんだぞ! っていうか、刀持ってるだけで剣士認定なのかよ! 基準はどうなってるんだ⁉
そう抗議したかった。いや、喉元までは出てきていた。
しかしながら、それで事態がどうなるわけでもないのだ。一度言い出した室長を止めることは僕には不可能だと言うことは嫌と言うほどにわかっている。
つまり、囮になるのは決定事項。その上で、一体何をやらかすつもりなのかを理解しないといけない。
「……ふぅ。室長、どういう
僕の質問に対して、室長はにやりと笑う。
「今回の妖刀はまともに戦うだけ無駄だ。なんと言ってもコピー能力があるんだからな。やり合った次の瞬間には太刀筋を写し取られてずんばらりん、だ。ならばまともに戦わないまでの話」
どこかに潜んでいるであろう妖刀に対してなのか、やけに芝居がかった動作で室長は
「餌はコダマと笠酒寄クン。二人に食いついたら、トラップまで誘いこむ。剣士? 上等だ。私は魔術師、それらしく卑怯な手を使わせてもらう。あ、そうそうそのときには二人とも戦うんじゃないぞ。相手の能力は判明しているが、水鏡がどういう太刀筋を写し取っているのかは解明されていないんだ。下手に怪我をされても困る」
最後、ちょっとだけ冷静になったのは自分でもアホなことをやっているという自覚があったからなのだろうか? どっちでもいいのだけど。
なるほど。今回は僕も笠酒寄もバトらないで済みそうだ。
逃げるだけならなりそこない吸血鬼と人狼、所詮は妖刀の所有者の人間に追い付かれるということは万に一つもない。
できるって言うんならソイツはすでに人間を辞めている。
うむ、今回の作戦は安全そうだ。しかしながら、当然の疑問がある。
「僕と笠酒寄が餌になって妖刀をおびき寄せている間、室長は何をやってるんですか?」
これでサボっているとかいう回答だったら僕もブチ切れる自信がある。
だけど、そんな剣呑な僕の心境に反するように室長は不敵に笑った。
「私か? 私は町中あちらこちらにトラップを設置するんだ。どこに妖刀がいるのかわからない以上、トラップが一か所だと
絶対にそうは思ってない。賭けてもいい。
だけど、なるべく早く解決するために僕は室長の案に渋々従うことにした。
なるべくトラップの近くで妖刀に遭遇することを祈って。
3
静かだ。
この町は、今とても静かだ。
いや、別に音が全くないというわけじゃない。生活音は普通にある。
だけどその音自体が、何かに配慮しているというか、遠慮しているというか、目をつけられないようにこそこそしているように感じられる。
そのためにそれぞれの主張が薄まってしまい、結果として『静かだ』という結論に僕は達した。こつん、と踏んだ石畳さえもどこか勢いがない。
「……はぁ」
漏れるのはため息。当然だ。だって、
歩き回り始めてすでに二時間ほど。
夕暮れはまだ遠いけど、まるで夜も深まっているかのように人通りは少ない。
不気味……いや、余計な人を巻き込む心配がなくてこっちは助かるのだけど。
こつん。
今僕が歩いている場所はなんの変哲もない住宅街のはず、だ。
道は整備されており、建物もきれいだ。緑も多く、とても過ごしやすいんじゃないか? だからこそ、この静けさは不吉だ。
生活の拠点となる場所に、まるで死を待つだけの老人のような静寂は似つかわしくない。
「……やあ」
唐突に、声をかけられた。
すわ警察か、と多少の緊張を持ちながら振り返った僕の目に映ったのは、さわやかな青年だった。
ん?
「こんな場所で何してるんだい? 危ないよ」
細身で涼やかな目元をしたイケメンではあるのだけど、今この場所で遭遇するということは、そしてわざわざ声をかけてくるということは……そういうことだ。ああ、もう全く。
警戒態勢に入る。相手には悟らせないように。気づかせないように。
「こんにちは。いえ、ちょっとばかり野暮用で」
当たり障りのない会話。別名、腹の探り合い。
「そう……ところできみは剣士なのかな? 背中のは刀だろう?」
いきなり核心に触れるどころか全力タックルだよ畜生。完全にあたりだ。コイツで間違いないだろう。これで間違っていたら腹を
「……そう、だとしたらどうするんですか? 見たところ警察の方じゃないみたいですけど」
青年は割とカジュアルな服装だ。
ただ一つ、背負ったハードタイプのギターケースを除けばの話だけど。
「いやね、僕はちょっと剣士に興味があるんだよ。きみがもし剣士だとしたらちょっとお話したいと思ってね。ほら、最近”剣士狩り“が出没してるだろ? 皆おびえてしまってお話も出来ないしね」
寂しげに笑いながら言ったのならばちょっとば信憑性があったのだろう。だけど、獲物を目の前にした野生動物みたいな目をされていちゃあ、鈍い僕も警戒を解くことはない。
つうか、短い台詞の中で何回剣士っていうワードを使うつもりなんだよ。数えたくなってきたぞ。
「生憎と僕はこの町の人間じゃなくてですね、たまたま訪問しただけなんでご期待に沿えるような面白い話は持ってませんよ」
「いいんだよ、それで。第一、話と言っても――――こういう話だしね」
ギターケースをぶん回すようにして下ろしつつ、金具の固定を解除。あんたはアクション映画の主役か?
中から出てきたのは、当然のように日本刀。しかも鞘にすら収まっていない。抜き身で持ち歩くんじゃねえ!
「妖刀水鏡、古今東西の太刀筋を写し取ったこの一振りに新しい技を覚えさせて欲しいな。――きみの血と悲鳴で」
まあ、なんというか、僕としても多少は慣れてきてしまっているのでこのぐらいだと驚かないけど。
そしてこうなってしまったら僕の取る行動は一つ。
「三十六計逃げるに
華麗に背中を見せてダッシュ。
「逃がさないよ――はは……ははははははっ!」
うっわ、めっちゃ笑ってるし。変な感じにテッペン決まってらっしゃるみたいだ。僕としては関わりたくない。無理だろうけど。
かつかつかつかつかつ。無事に追ってきてくれているみたいだ。これで僕の役目は八割終了した。あとは室長特製のトラップに誘い込んでジ・エンド。
そんな風に考えつつも、僕はあることを思い出す。
トラップの場所教えてもらってねえ! 致命的すぎる!
あわてて走りながらスマホを取り出して室長の番号を呼び出す。
三コール目で室長は出た。
『どうしたコダマ?』
「水鏡と遭遇! 現在追われています! 何処行ったら良いですか⁉」
報告は簡潔に。
『ああ、今のキミの位置なら……体育館が一番近いな。北に進め』
「北ってどっちですか⁉」
ああ、まるで僕がアホの子みたいだ。
来るのが初めての町で正確無比に方角を把握することができる特殊能力なんぞ僕には備わっていないので無理もないのだとはわかっていても、涙が出そうになる。こういうのは笠酒寄の役目だろうが。
『北は北だ。キミは東西南北がわからない小学生というわけでもないだろう』
「そういうのはいいですから!」
『今キミが走っている方角が南西だな』
「ありがとうございます!」
『健闘を祈る』
ぶつりと通話は切られる。意地悪なのか、それとも僕にはこの程度の情報で十分だと言うことなのか、真相はわからない。けど、必要な情報は手に入った以上、行動を躊躇する理由はない。
頭の中で地図を展開する。
この町に来るまでに見た地図。そっくりそのままというわけには行かないけど、それなりには記憶力には自信がある。
おおよその僕の現在位置、そして、方角がわかっていれば目的地の体育館へのルートは自然と導き出される。
無理矢理に停止。
走っている状態からの急停止だったので転びそうにはなるけど、そこはなり損ない吸血鬼の身体能力で無理矢理制御する。
そして、跳躍。
どこの誰とも知れない一軒家の屋根に着地する。
衝撃で瓦が砕けるけど、緊急事態と言うことでお目こぼし頂きたい。
「身が軽いねっ! 早くきみを斬らせてくれないかな!」
不穏当な発言は控えて頂きたい。主に統魔の
とは言っても、こっちをロックオンしてくれているのはありがたい。
しかし、聞く耳は持たない。っていうか、どこの世に『斬らせてくれ』って言われてはいどうぞ、とばかりに足を停める人間がいるんだ? いたとしたらそいつは深刻な自殺志願者だ。
屋根から屋根へ飛び移るようにして移動する。
「……逃がさないよ」
今だけは聴覚が強化されていることを呪う。
粘着質なその呟きを僕の耳は捉えてしまったのだから。うへえ、気持ち悪い。
そうして、僕は忍者のように屋根から屋根を移動しつつ逃げ、その影のように妖刀(とその所有者)が追ってくるというなんとも奇妙な逃走劇が開始されたのだった。
キルゾーンは体育館。そこでこの妖刀とは決着をつけよう。
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住宅街が途切れると、唐突に道が広がり始めた。
もちろん、そんなことで僕が動揺するはずもない。方角は合っているはずだから屋根上から降りただけの話だ。
「やぁっと、降りてきてくれたねぇ」
きっついなぁ、これ。
男に後ろから追いかけられるっていうのがこんなに気持ち悪いモノだとは思っていなかった。いや、例え相手が可愛い女子でも感想はあまり変化ないのだろうけど。
ともあれ、すでに僕は目的地が近いことがわかっている。なぜか? 簡単だ。案内板が出ていた。
振り切るほどではないけど、それでも追いつくことは出来ない程度のスピードで僕は体育館に向かって逃走を続行する。
かつかつかつかつかつかっ。
一瞬だけ、後ろから追ってきている男の足音が変化した。
猛烈な嫌な予感というか、なり損ない吸血鬼としての危機感知本能が叫ぶ。避けろ、と。
「……っでぇい!」
アスファルトが陥没するぐらいの勢いで踏み込む。
その反動で僕の体は急加速。
ちゅいん、とポニテを何かがかすった。
確認するまでもない、妖刀だ。多分一センチぐらいは持って行かれてしまった。
「惜しい」
惜しくねえよ!
っていうか、明らかにおかしいだろうが! なんで十メートル以上の距離を一歩で詰めることが出来るんだよ⁉ 人間の身体能力じゃねえだろ!
出来ることならば、そう抗議したかったのだけどその隙に
もう追いつけるかどうかのスピードとかじゃなくて、完全に全力の逃走だ。
水鏡が写し取っている太刀筋は未解析、そういう風に室長は言っていた。ということは、いまの一撃はその太刀筋だっていうのか? くそ、コピー能力とかは噛ませ犬の能力だって相場が決まってるはずなのに、なんでこんなに厄介なんだよ!
「逃げないでくれよっ」
逃げるわボケ! 真っ正面から戦ってられるか!
もう体育館は見えきた。あと五百メートルもない。
今の僕の速度なら一分かからない!
悲鳴を上げる靴のことは無視して最後の直線をフルスピードで突っ切る。
流石になり損ない吸血鬼の全力ダッシュには追いつけないのか、妖刀の追撃はなかった。
そして、僕は体育館の駐車場に突入する。
勢い余って壁に激突しそうになる直前になんとか制動が効いてくれたので無傷。靴の方は無残なことになってしまったらしく、さっきからアスファルトのざらざらした感触が伝わってくる。……おろしたてだったんだけどなぁ。
十秒ほど遅れて妖刀と所有者もやってくる。ぎらぎらと光る目が怖い。っていうか、もはや最初の爽やかさは微塵もない。髪を振り乱して、荒い息を吐きながら僕を見つめるその姿は修羅というにふさわしい。
「観念したのかな? さあ、きみの刀を抜きなよ。きみの太刀筋を見せてくれ。さあ、さあ。さあさあさあさあさあさあさあさあ!」
覚悟を決める。とは言っても、斬り合いを演じる覚悟じゃないけど。
ここはすでに百怪対策室が用意したトラップだ。
最初に室長から教えられていた合い言葉を口にする。
「
ばごん、という音は僕の後ろからした。
男の顔色が変わる。
男が妖刀を構えるが早いか、僕の後方からアスファルトを突きやぶって生えてきた無数の茨がその枝を伸ばす。
「三の型、
おそらくは水鏡が写し取った太刀筋なのだろう。伸びてくる茨は次々に切り払われる。
多分、連続攻撃を型として昇華したものなのだろうけど、それは常識の世界の話。
今あんたが対峙しているのは剣士でもなければ常識でもない。非常識中の非常識、魔術師ヴィクトリア・L・ラングナーが設置したトラップだ。
切り払っても切り払っても次々に茨は再生してその棘付きの枝を伸ばしてくる。
そう、どんなに動きが速くっても、どんなに完璧な動きをしても、決して倒れない相手を剣術は想定していないだろう。あくまで対人の、そして人間が用いるための剣術ではこんなのを想定しているほうがおかしい。
案の定、徐々に男は茨に包囲されていく。未だに抵抗を続けてはいるけど、拘束されてしまうのは時間の問題だ。
……ここはダメ押しをしておくか。
ぶわり、と僕の少しだけ短くなってしまったポニテが浮く。
気持ち悪い台詞聞かせやがって! おかげで鳥肌立ったぞこの野郎! その思いをこめて左腕を固定する。
日本刀は基本的には両腕で扱う。妖刀水鏡もそれに漏れず両方で持っていた。ならば、片方が固定されてしまったらどうなるか? 検証結果は簡単だった。
突然に停止した左腕に違和感を覚えた間に茨が男の全身を縛り上げる。
ぎりぎりと棘が食い込んでしまって、動くだけでひどいことになってしまうのは容易に想像できた。
「……はぁ」
今回は楽勝だったな。
まあ、精神的ダメージはあったのだけど、それも微々たるものだし。
茨でがんじがらめにされてしまっている男を観察する。
棘が食い込み、身じろぎすることも出来なくなってしまっている。
この状態から脱出するには第三者の手を借りるしかないだろう。そして、そんな都合の良い第三者はこの場には存在しない。つまりは、詰み。
すでに能力は解除している。もはや使っていてもいなくても動けないことには変わりないのだからいいだろう。
あとは室長がやってくるまでのんびり待っているだけで良い。僕はそう考えた。
「……は、はは、はははははっ! 面白い術を使うんだねっ。だけど僕は妖術じゃなくて剣術を見せて欲しいんだよ! それだけが僕の望みなんだから!」
ほざいてろ。縛り上げられている状態で何を言っても負け犬の遠吠えにしかならない。そんなものに耳を貸すほどに僕は心が広くない。
また気持ち悪い台詞を聞かされてもたまらないので多少距離を置こうと一歩下がった瞬間、水鏡の刀身をどす黒いオーラが覆った。
「
手首だけで水鏡が回転する。幾本かの茨が切り飛ばされて……枯れた。
なんだよ……それ⁉
最初の数本の拘束が緩んだらあとは早い。あっという間に男を縛り上げていた茨は無残にもバラバラにされてしまった。
そして、再生しない。
切り口から枯れていってしまっている。
動揺。
そう、僕はこれに見覚えがある。
どす黒いオーラ、手首だけの一閃。そして、尋常じゃない切れ味。
「……圧し切り長谷部ッ!」
つい昨日対峙して退治する羽目になった妖刀の能力そのものだった。
「なんだ、知ってるのか。……もしかして、きみも戦ったことがあるのかな?」
にやにやと気色の悪い笑みを浮かべて男が言う。自由になった体の調子を確かめるかのように二、三回妖刀を振りながら。
まさか、妖刀の能力を用いた太刀筋までコピーできるのか、コイツは⁉
いや、そうじゃないと説明がつかない。室長の仕掛けた魔術をそうそう簡単に切り裂けるはずもない。
「さあて、無粋な邪魔もはいったけど、そろそろきみと斬り合いたいな。僕に新しい太刀筋を教えてくれ」
かつん、と一歩男が踏み出す。
能力で……だめだ、圧し切り長谷部のあれが向こうにある以上、時間稼ぎにしかならないし、失敗したら多大な隙をさらすことになる。
くそ! 僕は剣術なんて素人なのに!
背中に背負っていた布袋を引き裂くようにして日本刀を取り出す。
なんとか抜き払うことには成功したのだけど、慣れない得物では心許ない。
「んん? なんだか素人みたいな構えだね。でも、きっとそこからすごい動きがあるんだろ? そうじゃないと……面白くない」
ねえよんなもん!
叫びたくなるけど、ぐっと我慢する。
どのぐらいで室長は到着する? わからない。だけど、ここは僕が踏ん張るしかないみたいだ。
「死合おうじゃないかっ!」
鋭い突き。
オーラを纏っていないので圧し切り長谷部のモノじゃないのだろう。だけど、なり損ない吸血鬼の僕の動体視力を以てしてもかなりぎりぎりの線だ。
捌いた刀身から火花が散る。なんつう突きだよ。
「
残像を残して男の姿がかき消える。
だけど、それがいきなりしゃがみ込んだことによる錯覚だということはなんとかわかった。
足を払うような一撃。
地面に刀をぶっ刺すことによってなんとかその一撃は回避できた。
まずい。今の受け方は素人の僕でもわかる。
っていうか、すでに刀身がぼろぼろになってしまっている。吸血鬼の力で振るわれたり、アスファルトにぶっ刺される事なんぞ想定してないから当然なのだろうけど。
「こんのぉっ!」
もう無理矢理にアスファルトを削りつつも男に向かって切り上げる。
「柳受け」
まるで手応えがない。
当たったと思った瞬間には、すでに僕の刀は男のいた空間を通り抜けていた。
そして、当然のように素人の僕は盛大に隙をさらす。
「期待外れだ。死んでくれ」
きらめく白刃が、僕を襲った。
5
やってくるであろう痛みに耐えるために僕は目を
だけど、予想していたような痛みはやってこない。それどころか、何かが接触したような感覚さえもない。
?
こわごわと目を開ける。
僕の首を
へ?
分厚い刀身のやけにごっついその刀を握っているのは……笠酒寄だった。
両手両足を人狼化して僕と水鏡との間に割り込み、その凶刃を受け止めている。
「
力強い宣言。おっとこらしいぜ、笠酒寄。
いやいや、軽く現実逃避してる場合じゃない。
なんで笠酒寄がここにいるんだ? っていうか、お前よくこの状況で飛び込んで来る気になったな。
ぎぃん、と
同時に、僕は笠酒寄に
頭から突っ込みそうになるけど、なんとか無事に着地。
「おい笠酒……き?」
文句を言おうとした僕は黙らざるを得なかった。なぜならば、笠酒寄と水鏡の所有者、その二人の間では激しい剣閃の応酬が繰り広げられていたのだから。
人狼の筋力で振るわれる一撃をいなして妖刀が返し、それを更に笠酒寄は避けながら返しの刃を放つ。その繰り返しだ。
理合とか間合いとか、合理とか
ハイスピード過ぎてまるで打ち合わせ通りに踊っているようにも見えるその戦闘は余計な手出しをする余裕さえない。めまぐるしくお互いの位置取りが変化し、入れ替わり、ぶつかり合う。近づいただけでぶったぎられそうだ。
たぶん、技量は水鏡のほうが圧倒的に上なのだろう。笠酒寄がどんなに剣術の
それが
人間として考えるのながら規格外そのものである人狼の筋力、反射神経、スタミナ、タフネス、そういったフィジカルな要素が妖刀という反則アイテムへの対抗手段たり得ているのだろう。
例えるのならば、技の水鏡、力の笠酒寄。
そして、たぶん笠酒寄は身体能力任せで刀を振るっているだけだ。
だから、水鏡も写し取れない。圧倒的な身体能力に対して、技で対抗するしかない。
当然、柔よく剛を制すの精神を体現するような技もあるのだろうけど、それは相手が人間の
力任せの一撃は、剣豪の鋭さに匹敵するんじゃないか?
実際、僕の動体視力でも笠酒寄の太刀筋(と言って良いのかはわからないけど)を見切るのは不可能に思える。水鏡は蓄積した技の記憶や、所有者の経験値によって対抗しているけど。
互角。少なくとも今のところは。
「きみは不思議だねぇ。まったく太刀筋が見えないんだけど、鋭くって鋭くって惚れ惚れするなぁ」
「あなた嫌い!」
ごもっとも。僕もこいつは嫌いだ。生理的に。
荒々しい笠酒寄の太刀筋とは対照的に、男の方は滑らかに動く。
まずい。笠酒寄のほうは相手を殺す気まではないからぎりぎりで手加減しているけど、相手はそんな優しさは微塵もない。
拮抗しているのならば、最終的に差が出てくるのはそういう心理の面だ。
現に、徐々にではあるが笠酒寄が避ける割合が増えてきている。
最初は九割攻めていたのに、今は攻守の割合が半々ぐらいにはなってしまっている。
このままだと押し切られる!
視力、いや、動体視力に全ての意識を集中する。
僕の限界? そんなもん知ったことか!
同時に能力をいつでも発動できるようにスタンバイ。ポニテが浮く。
もはや二人の動きを分析するのは不可能に思える。だけど、出来なきゃ笠酒寄も僕もあの気持ち悪い奴にぶっ殺されて終了だ。
手足が冷たい。
全身の血液が脳みそと眼球に集中してしまったみたいだ。
けど、今はそんなことどうでもいい。大切なのは隙を作ることだ。一瞬、それだけでいい。それだけあれば笠酒寄には十分だろう。
笠酒寄の大振りの一閃を華麗に
その瞬間、まるで時間が引き延ばされてしまったかのような錯覚を覚えた。
ひどくゆっくりに見える。
踏み込んでいる笠酒寄も、嫌な笑みを浮かべている男も、宙に舞うホコリさえも、すべてに働く時間という概念がちょっと一休み、と言っているかのようだった。
それを僕は逃さない。
ぎりぎり、焦点を合わせることが出来たのは水鏡の刀身だけだった。
それでも能力自体はちゃんと発動してくれたのだから、及第点と言って良いだろう。
びたりと水鏡の動きが停止する。
「笠酒寄! 僕が止めてるうちに!」「わかった!」
打てば響くように返事が返ってくる。頼もしい。
ざわり、と笠酒寄の肉体そのものが波打ったように感じた。
僕は水鏡に集中しているからわからないけど、たぶん完全に人狼化したんだろう。
「ええーい!」
僕と戦ったときとは違って声は笠酒寄のモノだったけど、その威力は間違いなく本物だった。
笠酒寄は、自分の肉厚の刀を水鏡に振り下ろしていたのだ。
もちろん、そんなことをしてしまったので僕の能力は途切れる。
だけど、もうすでに詰みだ。
極厚の刃は、ほんの少しではあるが妖刀の刀身に食い込んでいた。
「……かっ……くぁ……」
膝をついて男は耐える。だけど、それは悪手だ。そして、たぶん笠酒寄の思うつぼだ。
「ぅぅぅぅぅぁぁぁあああああ!」
全霊の叫びと共に押し込まれた笠酒寄の刀は水鏡の刀身を真っ二つにしていた。
勢い余ってそのまま下のアスファルトにまで食い込む、っていうかぶっ刺さる。
そこから先の笠酒寄の動きは素早かった。
刀を手放して、そのまま放心している男の右手を握る。
乾いた木の枝が折れるような音と共に男の手首が変な方向に曲がる。
男は絶叫するが、それにもかまわずに完全に人狼と化した笠酒寄は左手首も折る。
へし折られてしまった水鏡の柄側が落ちる。
「ぎぃぃぃゃああああああああああああ!」
妖刀を手放したおかげで感覚が戻ったのか、感性が戻ったのかはわかないけど、男はのたうち回る。その勢いで折れた手首を打ったらしく、更に勢いは増したのだけど。
「サンキュ、助かったよ、笠酒寄」
「大丈夫、空木君? 怪我ない?」
僕よりもお前のほうがよっぽど危険性が高いことやってた気はするんだけどな。それでも僕を心配してしまう辺りは、なんというか……こそばゆい。
「平気平気。それよりもお前は大丈夫なのかよ」
妖刀に斬られるという事の危険性は笠酒寄もわかっているはずだ。一つの手傷が致命傷になる可能性だってあるんだから。
「大丈夫、わたしは頑丈だもん」
まあ、そりゃあその状態(人狼)ならそうだろうけどよ。
それでも、お前は女子なんだから心配になるじゃないか。……ほら、彼氏としても。
照れくさいのでそういうことは言わないけど。
人狼化を解除して笠酒寄は人間に戻る。今回はぶかぶかの服装をしていたおかげで服が破けるということはなかった。少なくとも表面上は。インナー部分は知らない。
水鏡の所有者、いや、すでに水鏡が破壊されてしまったので元か。とにかくあのイカレた気持ち悪い男は未だにごろごろと地面をのたうち回っていた。
両手首を折られてしまっているので、襲っている痛みは想像を絶するだろう。だけど僕は同情なんてしない。こいつは何人も斬っている。間違いなく人斬りなんだ。
ひとしきり暴れて体力も尽きたのか、数分も経過すると男の動きは目に見えて鈍くなってくる。
……さて、どうしたものか?
応急処置でもしてやったほうがいいのか、それともこのまま蹴りの一発でもお見舞いしてやったほうがいいのかの検討を僕が始めようとしていると、背後のほうから何かが着地した音が聞こえた。
予想は付いているのだけど、警戒態勢で振り向く。
「そんなにピリピリするんじゃない。この町で確認できているのは剣士狩りだけだから水鏡以外の妖刀は存在してはいない」
ホコリでもついたのか、ぱたぱたと白衣をはたきながらそんなことをのたまう室長だった。まあ、大体予想できたことではある。
「ちょっと登場にもったいつけすぎなんじゃないですか? 僕も笠酒寄も危ういところでしたよ」
「たしかにな。まさか他の妖刀、よりにもよって圧し切り長谷部の能力を写し取っているとは予想外だった。これは私の失態だ。間違いない」
……妙に素直に謝るな。
いやまて、今の言動はおかしいんじゃないか?
「ちょっと待ってくださいよ室長。なんで水鏡が圧し切り長谷部の能力を写し取っていることを知ってるんですか?」
室長は言った。水鏡がどういう太刀筋をコピーしているのかは未知数だと。しかも、あのときは室長も笠酒寄もいなかった。情報を得る手段があるはずもない。
「ああ、簡単だ。キミ達に渡した刀と袋には魔術を仕込んであった。術者と周辺の視覚情報を共有できる魔術をな」
つまり、僕と笠酒寄は刀型のカメラを抱えていたようなもんだったってことか。そう考えると、僕が室長に連絡したときにやけに落ち着いていたことも説明が付く。すでにあのとき、室長は水鏡に遭遇したという事実を知っていたのだから慌てる理由もない。
また僕は室長に肝心な部分を明かされないままで踊っていたというわけだ。ちょっと悔しい。
「ふふん、どうやら察しはついてるみたいだな。後は私が笠酒寄クンを体育館まで誘導して時間稼ぎを頼んだ。まあ、二人だけで十分だったみたいだがな」
軽く言ってくれやがる。こっちは死にそうになっていたっていうのに。
思いっきり不満げに室長に視線を送るが、全く効果は感じられない。
それどころか、涼しげな様子でずかずかと息も絶え絶えといった様子の男に近づく。
しゃがみ込んで、容赦なく髪を掴んで顔を上げさせる。あんたはヤクザか。
「答えろ。どこでその刀を手に入れた? 答えない場合は一本ずつ歯を引っこ抜く」
いつの間にかタバコを
だけど、男は不敵に笑った。
「は、はは、ははは。なるほどなるほど。あなた達でしたか。でも残念。僕を殺しても何も解決しませんよ。……もはや
最後のは前歯を引っこ抜かれた悲鳴だ。
自分はのらりくらりとかわすくせに、他人には正確な返答を強制する室長に対して、からかうような事を言ったらどうなるのかの実証実験と言えるだろう。理不尽極まりない。
「ヒッ……ヒィィ……ヒ!」
「喋る気が無いのならお前の血液に直接尋ねるまでの話だ。言っておくが手加減はしない。廃人になっても後悔するなよ」
むしられた前歯に男の関心が移っている間に、室長はすでに耳のところと肩に手をおいて体勢を整えていた。
ああ、これは、アレだ。
迷い無く室長はそのまま男の首筋にかぶりつく。
「かっ! か、あ、あ、あ……」
しかも今回は手加減なんて生やさしいモノは一切含んでいないだろう。全力で室長が吸血した場面を見たことはないし、想像さえもできない。
見る間に男は白目を剥き、徐々に徐々にその若々しかった肌がまるで枯れ木のように変化していく。
流石にそろそろまずいんじゃないか? そんなことを思ったら、まるでその思いが通じたかのように室長は口を離した。
口の周りを汚す血液を乱暴に白衣の袖で
「……なにか、わかったんですか?」
我ながら間抜けな質問だった。だけど、一応は聞いておかないといけないだろう。あんな意味深な負け惜しみを言うぐらいなのだから。
「まずいな」
それは、血液の話だろうか、それとも、僕達が置かれている状況の方だろうか。
いや、きっと両方なのだろう。
室長があまり見せない深刻そうな顔の答えは、まだわからないのだけど。
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