第二十五怪 圧し切り長谷部

 

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 人間として最も大事なコトはなんだろう? 時として僕はそんなことを考える。

 なりそこない吸血鬼になってしまった僕としてはけっこう重要な命題なのだ。

 人間と吸血鬼の狭間。そこで揺れている僕としては悩ましい問題でもある。

 はてさて。まずは思考してみることからだ。思考して、試行してみることからだ。

 大事、というからにはソレは何かしらの存在理由レゾンデートルに関わってくるのだろう。無くてはならないものなのだろう。無くなってはならないものなのだろう。

 だけど、ここで反射的に僕は反論したくなってしまう。

 人間を人間たらしめている要素とは存在するのだろうか?

 そういう風に、屁理屈をこねてしまいたくなってしまう。

 結局のところ、そうやって自縄自縛している間は答えが導出されることはないのだろうけど。導き出すには、きっと先達が必要になってくるのだろうけど。

 先達せんだつ

 何事にも先を行っている存在というのはありがたいはずだ。

 それが、例え血煙の向こう側だったとしても。

 反面教師にはなるだろう。

 けっして、水面みなもに映る僕自身にしてはいけない。

 だって、僕は……。


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 「……平穏が好きなのだから、と」

 「平穏なんてものはだな、物騒な事態になって初めて価値を実感できる。ゆえに、平穏を享受していると、価値が分からなくなってしまう。空気みたいなものだ」

 自嘲じちょう気味に、というよりもちょっとばかりこじらせ系の僕による独り言に対して、容赦のない返しがやってきた。

 「……いや、空気ってひどくないですか? 平和って良いじゃないですか。平和サイコー。ビバ平穏」

 「太平の世の中にも血なまぐさい事件は存在していたんだから混じりっけなしの平和なんてものはまやかしだ。……いや、人類が絶滅してしまったらある意味じゃあ平和になるかも知れないな」

 物騒な。

 現在、僕は室長のクルマに乗って、とある場所に向かっている。

 運転しているのはもちろん、室長だ。 

 見た目中学生の金髪碧眼の少女が運転しているものだから目立ってしょうがないのだけど、ちょうど良い足もなかったので仕方が無い。っていうか、本当は電車も通っているのだけど、室長が強硬に反対したので却下となった。

 理由は知らない。だけど、理由無く室長はそういうことをする人(吸血鬼だけど)ではないので、僕はこうやってクルマの見た目をしている生物の腹の中でそわそわする時間を過ごしているというわけだ。

 「で、室長。そろそろ何処に向かっているのか説明してくれても良いんじゃないですか?」

 ちなみに、笠酒寄かささきはいない。

 ちょっとばかり笠酒寄には調べものがあるらしく、室長の別命によって動いているはずなのだった。……不安しかない。

 そんな不安はさておき、僕が置かれている状況を把握する必要がある。

 このままどこぞに拉致監禁されてしまったらかなわない。いや、単純な拉致監禁ぐらいならどうにでもなるのだけど。

 「向かってるのはキミも知ってる場所だ」

 ごく簡潔に室長は返答してくれた。回答になっているようでなっていなかったのだけど。

 「いやいや室長。そんな答弁じゃあ野党は納得してくれませんって。支持率低下待ったなしですよ」

 「支持率なんていくらでも操作できる。そんなのは犬にでも食わせてろ」

 ばっさりと切り返すのと一緒に、ハンドルも切る。

 クルマはコインパーキングにするすると入っていく。

 慣れた様子で駐車すると、エンジンを切ってから室長はクルマから降りる。

 「何をやってるコダマ。ついてこないなら置いていくぞ」

 うっわぁ、勝手。

 そのまま置いていってもらっても良かったのだけど、コインパーキングでひとりぼっちというのも嫌なので渋々しぶしぶクルマから降りる。

 降りてから気付いた。僕はこの場所にきたことがあるという事実に。

 ああそうだ。今になって気付くなんて僕はなんて愚かなんだろう。

 だって……ここは八久郎やくろうさんの経営する店、マジカルカントリーがある街なのだから。

 

 2


 飲食店がひしめいている一角、正確には飲食店というよりも飲み屋か。

 全体的に未成年お断りの雰囲気がぷんぷんしているから、僕も室長も完全に場違いなんだけど、幸いにも咎められることはなかった。

 だって、昼間だもん。

 準備中の店がほとんどだ。辛うじて開いているのはランチタイムの店ばっかりで、そっちはアルコールをまだ提供していない。

 とは言っても、あまり長居したい場所ではないのだけど。

 補導されてしまうのは勘弁してほしい。警察で指導されて、家でも指導され、更には学校でも指導されるなんて三段活用になってしまった日にゃあ、僕のこれからが針のむしろだ。

 すでに手遅れな気がしないでもないけど、現状よりも悪化するのはまずいだろう。

 僕はそんな風にびくびくしながら、室長はいつもと全く変わらないふてぶてしい態度で、人通りもまばらな道を歩く。

 あんまり以前来た時は違って、ネオンがついてないのでどこか地味な印象を受ける看板。

 〈Bar マジカルカントリー〉

 八久郎さんが店長を務めている店。

 八久郎さんと会うのは、室長がバトルしたとき以来だ。結局、あれは木角きかど利連りれんが仕組んだ罠だったのだけど、それを勘定に入れてもどういう接し方をしたらいいのかがわからない。

 ゆえに、僕は固まってしまった。

 「何をもじもじしてるんだ。とっとと入らないと尻をひっぱたくぞ」

 尻肉が取れそうだ。

 ホントにやりかねないから、僕は思いっきり息を吸ってからドアを開けた。

 からん、という軽やかな音と共にドアは難なく開いた。

 一応は準備中じゃないのか?

 不思議には思ったのだけど、後ろから室長が詰めてきているので前進する。

 「あらぁ? お客ぅ~? 生憎とぉ、まぁだ営業時間外なんだけどぉ」

 やけに間延びした口調で僕達を迎えたのは長身痩躯ちょうしんそうくの女性だった。

 長身、というか女性にしては滅茶苦茶でかい。八久郎さんほどじゃないけど、それでも一八〇はありそうだ。

 服装こそラフな物だけど、すでにけっこう呑んでいるらしく、その目はとろんとしている。

 ……昼間っから酒呑んでんじゃねえよ。

 毒づきたくはなったけど、それよりも優先すべきことがあった。

 「マリーか。八久郎はいないのか?」

 後ろから室長の声が飛ぶ。

 どうやらこの飲んだくれの方はマリーというらしい。源氏名だろう。あんまり深く考えると頭痛がしてきそうだ。

 「いるわけないじゃなぁい。最近はぁ、店長忙しいみたいだしぃ~。店もアタシに任せっきりよぉ~」

 どうやら八久郎さんは不在らしい。っていうか室長はこの人と知り合いみたいだ。

 まあ、室長だし。

 まるで呑むことでその不満が解消されるとでもいわんばかりの勢いでマリーさんは一気にグラスの液体を飲み干す。

 そして、酒臭い息を吐きながらも、やっと体を僕達の方に向ける。

 「ヴィッキ~、あんたからもぉ、言ってやってよぉ~。店ほっとくんじゃないわよ、ってさぁ~」

 どうやらマリーさん、絡み酒のようだ。据わった目で見てくる。

 しかしながら、『怪』の専門家にして、吸血鬼にして魔術師のヴィクトリア・L・ラングナーにはそんなものは通用しなかった。

 「これから会う予定だから言っておいてやる。……奥のドアを使わせてもらうぞ」

 「お好きにぃ~」

 満足したようで、マリーさんはふらふらとした足取りでカウンターの奥に酒瓶を取りに行く。店の酒を勝手に飲んで大丈夫なのだろうか、などと余計なコトを心配したのだけど、本来はマリーさんの足下を心配すべきだったのかもしれない。

 かつかつと足音を立てながら、室長は店の奥、〈店長以外使用禁止〉と書かれたドアの前に立つ。

 このドアは統魔日本支部につながっている。

 以前来た時には、僕の魔術師としての登録と大根退治の依頼でだったのだけど、

 今回の理由はわからない。いや、本当はわかってるんだけど、それを認めたくない僕がいるだけなのだろう。

 「……ねぇヴィッキー。アタシはさ、店長やアンタみたいに化け物みたいなコトはできないけどさ……話を聞くことぐらいはできるわよ」

 「……それも八久郎に伝えておいてやる。安心しろ、私は約束を守る女だ」

 「はん、アンタが言うと説得力が違うわぁ~」

 やけに含む物のある会話を交わしてから、室長はドアをくぐる。慌てて僕も続く。

 ドアをくぐった先は見覚えのある建物があった。

 支部とは言うが、それでも世界中の魔術と魔術師を管理する団体の建物。

 ぽつんと、寂しげに建っているそこに僕達は用事があるのだ。

 「……なんか、さびしげな女の人でしたね」

 そういう感想を漏らしてしまったのは、きっとマリーさんとの会話のせいだろう。きっとそうに違いない。

 「コダマ、アイツは男だ」

 「…………は?」

 マリーさんは最後にとんでもない爆弾をくださった。


 3


 「ヴィクトリア・L・ラングナーだ」

 「はい、お待ちしておりましたラングナー様。一番の部屋でお待ちください」

 入って早々に室長は受付の女性(今度こそ女性だろう。じゃないと僕は誰も信じられない)に名前を告げる。即座に反応が返ってくる辺り、向こうも待ち構えていたということなのだろう。あんまり良い気分じゃない。

 部屋の番号を確認すると、いつもの早足で室長は向かっていく。

 相変わらず一礼もないので、代わりに僕が頭を下げておく。……普通逆だろ。

 一、と大書してある金属製のドア。

 以前入った部屋とはちょっとばかり雰囲気が違う。

 いかにも頑丈そうだし、なんというか、威圧するような雰囲気を感じる。

 つうか、ドアノブがない。

 ならばどうやって入るのか? 答えはごっついハンドルを回してから入室するというものだ。

 ……ここは潜水艦の中か何かか?

 そこまで気密性を重視してどうするんだ、という疑問を差し込む暇も無く、室長はすごい勢いでハンドルをぐるぐる回してロックを解除する。

 重たげな開閉音を立てるドアをくぐると、中は思った以上に狭かった。

 人が十人も入ったらいっぱいいっぱいになってしまうだろう。

 その程度の広さなのに、机と椅子がおいてあるものだから拍車がかかっている。

 そして、更には先客がいた。

 「よう八久郎」

 「久しぶりね、ヴィッキー。そしてコダマちゃん」

 以前見たときよりも、多少顔色が悪くなってしまってはいたのだが、その人物は間違いなく八久郎さんだった。

 どうやら自動的に閉まる仕組みだったらしく、僕の後ろでごうん、とドアが閉まる音がする。

 だけど、僕はそんなことよりもなんと返答したものかを思案していたのだ。

 八久郎さんは、確かに室長とバトる羽目にはなったのだけど、それは仕組まれた物であって、しかしながら、僕達はその室長を解放するためになんやかんやと統魔を引っかき回して、結果的に日本支部の最高責任者をぶっ飛ばすことになってしまっている。

 統魔に所属している八久郎さんからしてみたら、今の僕がどういう風に映っているのかが予想できない。

 今この場で戦闘が始まる可能性だってあるんだ。

 心境としては複雑。そして、立場としても複雑。

 そんな状態で僕は頭をぶん回すのだけど、正答は出てこない。当然だ。こんな場面に遭遇したことなんてない。参考になる状況もない。

 「とっとと座れコダマ。それともキミは立っている方が好みだったか? それなら今度から百怪対策室でもずっと立っているんだな」

 気付けば室長はすでに椅子にかけていた。

 くそ、これじゃあ座る一択じゃないか!

 半ばやけくその心境で僕は椅子に座る。

 「さて、わざわざ私を呼び出しての用件なんだ。それなりには厄介なんだろう?」

 本題。そう、僕は詳しいことを知らないのだけど、こうやって統魔にやってきている以上、何かしらの呼び出しがあったと考えるのが自然だ。

 以前やってきたときには、思い出したくもない大根退治をやることになった。

 今回はなんだろうか? 僕は当然のようにミッションが用意されていると考える。

 「ムシが良い話とは思うんだけど、妖刀を回収してきて欲しいのよ」

 登場した単語に、思わず背筋がざわつく。

 妖刀。ここ最近で立て続けに関わることになってしまってる。

 そんな状態で反応するなと言うほうが無理な話だ。

 「妖刀……ねぇ。それなら統魔の回収班にやらせたらいいだろうが。給料分ぐらいは仕事してもらわないとな」

 室長はどこか皮肉げだ。まあ、関わった妖刀は、本来ならば統魔の回収班の仕事だったので当然だろう。あのおかげで僕達はクリスマスも新年もぶっ潰されてしまったような物だ。

 特に、事情説明のために留まったりしている室長は、恨み骨髄とまではいかなくともかなり面倒くさく感じているのだろうと僕は推測する。

 年末年始限定はただでさえイベントが立て込んでいるのだし。

 「当然、回収班は向かわせてるのよ。……でもね、あたしの直感が告げてる。回収班の手に負える代物じゃないわ」

 「だったら始めからお前が動けばいいだろうが。少なくとも純粋な戦闘でお前に勝つことが出来るヤツは少ないだろう?」

 室長も実際に負けてる。いや、あの時の八久郎さんは準備万端で、室長のほうは不意を突かれたようなものだからノーカンだろうか?

 それでも、この人がすさまじく強い魔術師だっていうのは間違っていない。あんなとんでもない力を行使されたら僕なんかじゃとても太刀打ちできないし、ましてや単なる道具でしかない妖刀なら尚更だ。

 「……あたしは日本支部ここから離れられないのよ。木角利連の失脚で評議会の人員も大幅に刷新さっしんが決まってる。陰陽師の系列からも出したいけど、土御門つちみかどやら賀茂かもは統魔に非協力的。となると、ほとんど唯一陰陽師の家系に連なってるあたしが次の評議員の末席っていうわけよ」

 権力闘争っていうモノは何処の世界でもあるらしい。

 そして、その渦中にある人物が全員ソレを望んでいるわけではないというのも共通しているようだ。

 「万が一にでも評議員が負傷したら大問題、か。ふん、だから私は統魔には所属しない。自由に外出も出来なくなるからな」

 「そういうことよ。そして、回収班はもう到着して報告を上げてもいい頃なのに、反応はなし。戦力の逐次ちくじ投入よりも、あたしは解決出来る人物に頼むわ」

 まっすぐに八久郎さんは室長の目を見る。

 切れ長のその目は、男性であることを忘れてしまうぐらいにはきれいだった。

 「…………ち。報酬は弾んでもらうぞ」

 渋々といった様子ながらも、室長は依頼を受けた。自動的に僕もそのミッションに参加させられることが決定してしまったのだけど、最早この時点で口を挟んでもどうにもならない。

 挟むなら最初に挟むべきなのだ。

 「で、私に回収して欲しい妖刀はなんだ? まさか、草薙くさなぎの剣とかいうなよ?」

 「それは妖刀じゃないでしょ。……回収して欲しいのは『圧し切り長谷部へしぎりはせべ』よ」

 ぴくり、と室長の眉が上がる。

 「また厄介そうなヤツを持ってきたな」

 室長はどうやら知っているようだけど、僕は知らない。どういう刀なのだろうか? つうか、今回は先に能力とかを解説してもらいたい。

 「……圧し切り長谷部、かの織田信長が所有していた刀の一振り。異能は『怒りの増幅と、増幅した怒りに比例した切れ味の強化』。まさしく妖刀の名がふさわしい刀よね」

 室長ではなく八久郎さんがものすごくざっくりとした説明をしてくれた。

 いや、しかし。

 「織田信長って、戦国大名のですか? そんな大層な刀なら美術館にでも展示されてるんじゃないですか?」

 小学生でも知ってるような歴史上の人物の持ち物となると、そういう扱いがふさわしい。まさか、展示品を持ち出せなんて言われるのか? そういうのは百怪対策室じゃなくて、怪盗とかに頼んで欲しいのだけど。

 「表向きの圧し切り長谷部は偽物だ。統魔……いや、日本支部の前身となった陰陽寮が隠蔽いんぺいするために製作したんだ。まがい物だが、良い刀だから見破られる心配はない。問題は本物のほうだ」

 偽物まで作ってるのか。となると、曰く付きの一品とかはそのうちに統魔が全て偽物にしてしまうのかもしれない。いや、もうなってるのか?

 「えっと、つまり、僕達はその……本物を回収しに?」

 「ああ。しかも、多分封印が解けて暴れてるヤツをな」

 ……なんてこったい。


 4


 「それじゃ、これが圧し切り長谷部が保管されてる寺につながってる転移陣だから」

 妖刀回収を引き受けてから速攻で僕達は移動のために、転移陣がある部屋に案内されていた。

 ……いや、こんなもんあるなら八久郎さんもいけるんじゃない?

 どうやらその疑問は向こうも想定内だったらしく、八久郎さんは悲しげに腕を組んだ。

 「この転送陣は一方通行なのよ。本当は双方向にしたかったんだけど、当時の陰陽寮は簡単な往来をよしとしなかったのよ」

 悲しげだ。

 しかしながら、僕の感想としては『なにその面倒くせえの』だ。なんでそんなことをしたのかが理解しがたい。解体されて正解だったな陰陽寮。

 そろそろ覚悟を決めないといけないみたいだ。こうやって現状に関係ないことに脳みそ使っても仕方が無い。

 「いくぞ、コダマ」

 躊躇しねえなこの人は。

 とっとと転移陣の中に入りこんだ室長に多少恐ろしいモノを感じつつも、僕は続く。

 「行ってくる」

 「……ええ、無事を祈ってるわ」

 「私を誰だと思ってるんだ?」

 「そうね、要らない心配だったのかも。……コダマちゃん、ヴィクトリアをよろしくね」

 「え、ああ、はい」

 多分、カバーされるのは僕のほうだとは思うのだけど曖昧あいまいに頷いておく。

 「起動」

 短い宣言と共に、僕の視界は光に包まれた。

 


 

 視界が戻ると、すでにそこは統魔日本支部の中ではなかった。

 ならば何処なのかというと、僕の知らない場所だからどこだとは断言できない。……まあ、圧し切り長谷部が保管されている寺なのだろうけど。

 それを証明するかのように、僕達の目の前には立派なお堂があった。

 ただし、そこには真っ赤な液体が所々ぶちまけられている上に、深い切り傷がいくつも刻まれていたのだけど。

 もう嫌な予感しかしねー。

 よくよく観察してみると、点々と血が滴ったであろう痕跡がずっと続いている。

 それも、僕達が現在立っている入り口まで続いて、更には門の外まで続いていた。

 「コダマ、キミは血の跡を追え。私は負傷者の手当に向かう。おそらくまだ息があるのもいるだろう。終わり次第私も駆けつけるからキミは時間を稼ぐだけでいい」

 早口でそれだけ言うと室長はお堂のほうに駆けだしていった。

 くそ……なんで、こう、なるんだよ⁉ 血なまぐさいことは避けたいのに!

 心の中でだけ毒づく。

 だけど、まごつくようなことはしない。

 まだ血の跡は新しい。つまり、妖刀はまだ遠くに行っていないと言うことだ。なら、追いつく可能性は高い。

 室長とは逆方向、点々と続く血の跡と鉄の匂いを追って、僕も駆けだした。 

 圧し切り長谷部を追って。




 走る。

 全力で。

 なり損ないとは言っても吸血鬼。その身体能力は人間の限界をスキップで超えてしまってる。

 端から見たらとんでもない速度で走る男子高校生という、新たな『怪』になりそうな現象だったのだろうけど、こんな鬱蒼うっそうとした山の中じゃあ観測する人間はいないだろう。

 なんだってこうもへんぴな場所に寺を作ったのかはわからないけど、街中にあるよりもマシか。もしかしたら、こうやって封印が破られてしまった場合を想定してのことだったのかもしれないけど。

 未だに、圧し切り長谷部は発見できない。それでも、僕には確実に追跡できているという確信があった。

 なぜならば、あちこちにぶったぎられた痕跡が残っているのだから。

 木に、岩に、地面に、野生の獣に。まったくの見境なしに振るわれた妖刀は、バターを切り裂く熱したナイフのように滑らかな切り口を残していってくれていた。

 追跡するのにここまでしっかりとした手掛かりを残してくれるのは助かる反面、罠じゃないかと勘ぐってしまう。

 一刀両断にされて、はらわたをぶちまけている猪の死体を跳び越えながら、僕はそう考える。

 ぶんぶんと頭を振って、浮かび上がった考えを振り払う。

 あまり考えていても仕方が無い。妖刀の能力は分かってる。そして、その能力がトラップを作るのには向いてはいない上に、怒りの増幅という冷静さとは真逆の能力を持っているのだから、罠を警戒して足が鈍ってしまうほうがまずい。

 ふもとに降りられてしまったら終わりだ。

 僕の聴覚が、一つの音を捉えた。

 いや、それは音と表現するよりも、咆哮ほうこうと言った方が正確だろう。人間の叫び声だとは到底思えないような、野性的な、そして、原始的なモノだったのだから。

 ……近い。

 速度を上げる。

 必要以上に密集している木の狭間にソレは見えた。

 枝葉の間から漏れる光を反射して、ぬらぬらと光る刀身。野生の獣か、それとも人間のモノか、いやおそらくは両方のものであろう血液をまとっている。

 「■■■■■■■!」

 再びの咆哮。

 ここで初めて僕は、持ち主を見た。

 現在の妖刀の持ち主は老人だった。

 見事な禿頭とくとうに、立派な袈裟。おそらくはあの寺の住職なんじゃないだろうか。

 だけど、その目は血走り、形相は悪鬼さながらだ。

 深く刻まれたしわがまるで顔面に走るヒビのようで、はっきり言って怖い。

 そのぎょろりとした眼球が不気味な動きで僕の方を向く。

 先手必勝!

 即座に僕は能力を発動する。

 すでに視線はしっかりと通っている以上、先手さえ取れれば僕の勝利は確定しているようなモノだ。

 イメージは、手。

巨大な手で包み込むように。

 流石に潰してしまったら後味が悪いので、動きを封じる程度に。

 「■■■■!」

 唾をまき散らしながら住職は叫ぶ。だけど無駄だ。発動してしまった僕の能力サイコキネシスを防ぐにはなにかしらの遮蔽物しゃへいぶつが必要になってくる。

 現状、動きを封じられている状態でそれは可能か? 答えはノーだ。

 「……こ、今回は楽勝」

 このままだと単なる膠着こうちゃく状態なのだけど、こっちは室長という援軍がやってくることは確定している。ならばこの状態を維持しておくだけでいいのだ。

 距離は二〇メートルほど。能力を発動し続けておくにはまばたきさえもできないのだけど、そこは無理矢理にでも見開いておけばいい。

 距離は詰めない。無理に近づいてなんか食らってもいやだし。っていうか怖いし。

 どうやら圧し切り長谷部、こういった拘束には弱いみたいだ。

 無理もないか。刀なんてのは振るう人間がいて初めてその性能を発揮できるのだから。

 能力を発動し続けているので僕自身も動けないのだけど、あとは維持し続けるだけなのだから、突然に隕石でも振ってこない限りは大丈夫だ。

 そんな風に僕は考えた。そして、そういう考えをなんと表現するか?

 油断、だ。

 「■■■■■■■■■■■■―!!」

 これまでで最大の音量で叫ぶ。

 そして、僕は見た。

 圧し切り長谷部からどす黒いオーラのようなものが立ち上るのを。

 びゅん、と手首だけで妖刀が振るわれる。

 そんなモノでどうにかなる状況でもないし、出来たからと言ってどうするんだと言いたかった。

 僕の能力が“斬られて”しまったのを感じるまでは。

 は?

 「■■■ッ!」

 住職が叫びながら突っ込んでくる。

 なんのかせもないように。なんの拘束もないかのように。

 え?

 「嘘だろッ⁉ くそっ!」

 圧し切り長谷部の能力は、『怒りの増幅と、それに比例した切れ味の増幅』……不可視のモノまで斬れるのかよ! なんだそれ⁉ 反則だろうが!

 すでに彼我ひがの距離は一〇メートルまで縮まっている。

 くそっ、覚悟を決めるしかない!

 相手は妖刀で武装していて、僕は素手。

 そして能力は切り裂かれてしまうというおまけ付き。

 正直言って逃げ出したい。だけど、逃げるわけにはいかない。僕がここで逃げてしまったら、誰がこの妖刀に対処できるんだ? 

 室長が追いつくにはまだ時間が掛かるし、たぶん、先発の回収班はやられてしまってる。 

 消去法で、残っているのは僕だけ。

 あと五メートル。

 「■■■■■■!」

 「かかってこいよこの野郎!」

 似合いもしない乱暴な口調で、僕は自分を鼓舞こぶした。


 5


 黒々としたオーラに包まれている妖刀が僕を襲う。

 斬撃は鋭く、こめられている殺意は本物。

 だけど、振るっているのが老人だということも手伝って 地切り戸灰悪じきりとはいおほどの鋭さはなく、人狼かささきのように動きが見えないということはない。

 見切れるからと言っても、それがかわせるという事実に直結するとは限らないのだけど。

 「■■■■!」

 超あぶねえ!

 全身運動で避けるけど、ポニテをかすった。数本の髪がはらはらと舞う。散髪の手間が省けて助かるな! くそ。

 次々に斬撃は襲いかかってくる。

 ……くそ、ダメだ! あの間合いに飛び込むのは危険過ぎる。

 怒りによって増幅されている切れ味というのが問題だ。かつての『リア充殺し』、あの妖刀で負った傷はなり損ない吸血鬼の再生能力が働かなかった。室長曰く、妖刀というモノの性質としてそういった傷の回復を遅らせるのはデフォらしい。

 つまり、抜群ばつぐんの切れ味に加えての一発食らったらアウト。

 なんて理不尽だよ!

 「■■■■■■■!」

 横薙ぎの一閃。

 垂直にジャンプすることで躱す。

 が、手頃な太い枝に着地した僕はすぐに地上に降りることになる。

 なぜか? それは僕の後ろに存在していた木を圧し切り長谷部は豆腐でも切るかのようにぶったぎっていたのだから。

 ゲームみてえなコトすんな!

 かしぎ始めた枝から飛び降りる。もちろん、間合いからは外れるように。

 しかし……参った。

 まだ接触してから数十秒しか経ってないはずなのに、どんどん精神的疲労が蓄積されていく。

 このまま持久戦に持ち込むのはいいのだけど、その場合は最低でも一撃は受けてしまうことは確定的だ。

 逃げ回っていればいいだろうと安易に考え過ぎていた。

 着地。同時に剣閃も襲ってくる。

 「このっ!」

 ごろごろ前転しつつ、途中からヘッドスプリングの要領で跳ぶ。

 流石はなり損ない吸血鬼の身体能力、ひとっ飛びで十メートル近くは距離が取れた。

 今のうちに体勢を……。

 「■■■■■■■■■■!」

 ってもう来てるし! はえーよ! しつけーよ! そしてこえーよ!

 視界の端にあった人間の頭ぐらいの大きさの石。

とっさに能力を発動してそれを投げつける。

 「■■■!」

 野生の獣じみたカンによるものか、それとも感覚が鋭くなっているためか、もしかしたら圧し切り長谷部の能力なのか、知ったことじゃないけど迎え撃った一閃によって石は真っ二つになってしまう。

 飛んでくる石が真っ二つになるって何だよ⁉ そんな無茶苦茶室長でもしないぞ! たぶん。

 だけど、一瞬だけでも気がれたのは大成功だ。

 「ぶっとべ!」

 僕が欲しくて欲しくてしょうがなかった隙。つけ込むには十分だ。吸血鬼キックが住職を襲う。

 形もなにもなっちゃいないような力任せの前蹴りもどきだったのけど、それでも乗っている威力は人外の領域。食らったらひとたまりも無い。

 もちろん、妖刀を所持しているとはいっても人間。住職も普通にぶっ飛ぶ。

 感触から推測するに骨の一、二本はへし折ってやったはずだ。

 ぶっ飛んだ先には太い木が生えていた。

 どごん、と重々しい音が響く。

 はりつけられるかのように叩きつけられた住職はそのままずるずると地面に倒れる。

 ……どうだ?

 僕は動かない。なにしろまだ圧し切り長谷部を手放していないからだ。枯れ枝のような腕は、まだしっかりとその柄を握りしめている。

 静寂。張り詰めたような空気が充満してはいるのだけど、音だけは、ない。

 祈る。このまま立ち上がらないまま室長がやってきてどこぞの二十二世紀の猫型ロボットみたいに事態を収束させてくれることを。終わらせてくれることを。

 だけど、やっぱり、そんなのは願望に過ぎなかったみたいだ。

 ぴくり、と指が動いた。

 まだ……終わっちゃいない、か。

 頭をぶん回す。

 多少の手傷を負ったぐらいで弱体化してくれるようならここまで苦労はしない。

 能力で手足をへし折ってやるという手もあるのだけど、その集中した一瞬が命取りになる可能性だってある。

 こっちはライフ一で激しい攻撃をかいくぐっていくような無茶をしてるんだから、まともに相手なんぞしてられない。

 一つのアイディアが閃くのと、住職が立ち上がるのはほぼ同時だった。

 距離は再び二十メートル。

 「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ッッッ!」

 もはや咆哮と表現するよりも、単なる騒音と表現したほうがしっくりくるような叫び。

 完全に白目剥いてる状態でもやる気満々なのは尊敬さえしたくなってくる。

 まあ、やってるのは妖刀なんだろうけど。

 ボタボタとよだれを垂らしながら、ただただ殺気をぶつけてくる。

 みしり。その音が柄を握りしめる音だったのか、それとも踏みしめられた地面の悲鳴だったのかはわからない。

 なにせ、地面が爆発したのだから。


 6


 地面が爆発したと述べたのだけど、それは正確じゃない。

 正確には、僕が能力によって地面をえぐり取って、それを空気中にぶちまけたというだけのことだ。

 スプーンですくい取るようにイメージして、持ち上げた土の塊を更に砕いて撒く。そういう能力の使い方も出来るようになってきている。

 現状、僕と住職の間は茶色の煙によって視界が完全に防がれている状態だ。

 もちろん、お互いに目視することはできない。だけど、寸前まで見えていた相手に向かっていくことを妖刀が躊躇するだろうか? いや、ない。

 ずばん、と一閃。

 その一発(?)で土煙は横に切り裂かれる。

 「■■■■■■■■!」

 「来いよ、へっぽこ刀」

 別に僕のあおりに反応したわけじゃないのだろうけど、とても老体とは思えない速度で住職は踏み込んでくる。

 対して僕はというと、特に何もしなかった。

 ただただ立ち尽くしていただけだ。

 なにせ、細工は終わっているのだから。あとは仕上げをごろうじろ。

 一歩、二歩、三歩、四歩目で住職の姿がかき消える。

 特に動揺はしない。だってこれこそが僕の作戦だったのだから。

 最大限に警戒しながら、僕は住職が消えた場所に近づく。

 そこには、深い穴が掘られていた。

 いや、ニュアンスが微妙に違ってきてしまうか。この穴は僕が掘った。

 能力でこの部分を掘り返して、煙幕代わりにぶちまけたのだ。

 出来るかどうかは賭けだったのけど、上手くいったのだから勝利したのは僕だ。

 そして、読み切れなかった住職はと言うと……穴の途中に圧し切り長谷部が引っかかってしまったために手を離れてしまったようで、穴の底で白目を剥いてぴくりとも動かない。

 穴の途中にぶっ刺さっている妖刀は、さっきまでの禍々しい様子が嘘のように美しい刀身を晒していた。

 落とし穴。

 古今東西、罠の種類は多種多様だろうけど、これを知らない人間はいないだろう。知らないっていうのならば、きっと相当に発想力が貧困なのか、それとも一帯が掘れないぐらいに固い地面をしているかだ。

 単純明快なれど、はまったときの威力は大きい。

 殺傷能力という点においては底に槍でも仕込んでいるといいのだろうけど、生憎と僕の目的は殺傷じゃない。この年で殺人犯になってしまうのは勘弁だ。

 簡単には脱出できないようなシチュエーションに追い込んでしまうことが目的だった。

 飛び出してこようとしたら、周辺を崩して死なない程度に埋めてやるつもりだったし。

 ともあれ、妖刀の支配下にある状態からいきなり手放してしまったらどうなるのかはクリスマスと正月の妖刀で体験済みだ。

 過ぎた力の反動で、しばらくは気絶する。

 今回の圧し切り長谷部みたいな強力な妖刀ならば尚更なんじゃなかろうか。

 「……っはぁ……」

 思わずため息が漏れる。

 疲れた。あと座り込む。

 いきなりこんな修羅場に放り込まれてしまったら誰だって疲れるんじゃないか?

 はあ、もう。なんでいっつもいっつも僕はこうなっちゃうんだ?

 疑問に答えてくれる存在に心当たりはなかった。


 


 やがてやってきた室長は、いつものように抗魔カウンター・マジックを発動させて圧し切り長谷部を回収した。まあ、コイツに室長が乗っ取られてしまった日には軍隊でも出さないといけないだろうし、妥当だと思う。

 「住職は多分全治二ヶ月といったところか。老体で無茶をし過ぎたし、穴に落ちたときに腰を痛めたようだしな」

 すでに圧し切り長谷部は後からやってきた統魔の回収班が押収してそのまま持ち帰ってしまっている。

 現在、僕と室長は統魔が用意してくれたクルマの中。ちなみに、なぜか誰も運転してくれなかったので室長が運転していたり。

 「……ま、まあ、ほ、ほら! 圧し切り長谷部を放っておくワケにはいかなかったんですし、必要な損害っていうことで!」

 「そうだな。今回ばかりはぎりぎりで間に合ったという表現がぴったりだ。あのまま住宅地にまで到達されてしまったら隠蔽いんぺいしきれなくなってしまったからな」

 さらっと不穏当な単語が出てきているのだけど、すでに僕は慣れきってしまっているのでノーリアクション。

 「……でも、なんというか、立て続けに妖刀絡みの事件が続くなんてついてないですね」

 クリスマス、元日、そして三が日が明けたかと思ったらすぐに妖刀。

 なんつう年だよ。厄年には早いだろ、僕。

 「ついてない、か。そうでもないかもしれないぞ」

 「へ? どういうことですか?」

 「笠酒寄クンの調査報告を受けたら分かる。……多分」

 最後がちょっと不安そうになったのは、きっと笠酒寄の普段の行いが原因だろうな。

 だけど、もしこの一連の妖刀の事件に何かの意味があったとしたら?

 いや、そんな馬鹿なことはないだろう。

 なんで僕がそんな物騒なアイテムに関連しないといけないんだ。

 僕はまだ、高校生だ。

 まだ普通の、高校生だ。


 

 

 

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