第二十四怪 妖刀地切り戸灰悪

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 自分が二重人格、いやさ、多重人格じゃないのかと錯覚したことはないだろか? 

 僕、空木うつぎコダマは……ある。

 具体的に述べると、夏休みに対峙した超能力者……キスファイアと戦ったとき。

 あのとき、僕はとても残酷だった。

 人間に対して、容赦なく能力を行使して、ボコボコにした上ですっきりした気分を得たことを否定できない。

 こんなにも残忍な部分が僕にあったのかと戦慄せんりつしたものだ。

 その上で断言する。僕は多重人格者ではない。医学的に言えば、解離性同一性障害じゃない。

 高度な社会生物である人間は、色々な想いを己の内に閉じ込めて、言い換えれば我慢しながら生活しているのだ。

 当然、僕だってそうだし、笠酒寄かささきもそうだ。

 そして、僕からしてみたら自由奔放じゆうほんぽうに振る舞っているように見える室長だってそうなのだろう。

 だからこそ、今回の妖刀は恐ろしかったのだけど。


 1


 元日、つまりは一年最初の日。

 僕はとある神社にやってきていた。

 言うまでもなく初詣にやってきているのだ。しかし、例年とは多少事情が違ってきていた。

 「見ろコダマ、こんなにも新年早々から人々は密集したがっているぞ。なんとも寒々さむざむしいじゃないか。この中のどれだけが本心からここの祭神に祈りに来ているんだろうな? ふん、私は神を信じない。なぜならネット上に沢山いるからな」

 うっぜえ。いきなり矛盾しているじゃねえか。

 「ねえねえ空木君、お願いは何にするの? 教えて。わたしはねぇ……空木君と一緒にいられますように、って」

 こっちもこっちでうぜえ。

 僕の隣にいるのは家族ではなく室長と笠酒寄。

 そう、百怪対策室びゃくかいたいさくしつの面々で初詣に来ているのだった。

 昨日まで室長はどこぞに出かけていたのだけど、山ほどの荷物と一緒に戻ってきていた。

 そして、早朝から僕と笠酒寄を呼び出したかと思うと、そのまま初詣に行くと言い出したのだ。

 そういうわけで、僕は不承不承といった有様でこうやって知りもしないちょっとばかり遠い神社までやってきているという次第。なぜ近くの府明道ふみょうどう神社にしなかったのかがわからない。

 寂れすぎていて御利益とかありそうにないからか? バチが当たってしまえ。 

 しかし、わざわざやってきたはいいものの、この神社もそこまで大きいというわけでもない。

 言い方は悪いけど中小、いや弱小という形容が当てはまるぐらいには小さな神社だ。

 それでも、人はあふれるぐらいにはいるのだけど。新年効果ってすごいな。一年に一度のかき入れ時なのだから当然と言ってしまえばそうなのだろうけど、普段はまったく参拝なんてしない神社にこういう時だけはきっちりやってくるのだから、日本人は非常に強い宗教を持っているのではないのかと考えてしまう。

 「こらコダマ。その顔はまたぞろ難しいように思える事を考えている顔だぞ。新年早々そんなつまらんことはするな。日本人なら新年ぐらいは清々すがすがしい気持ちで過ごすべきだろうが」

 ……僕は思考が顔に出てしまうタイプらしく、容赦なく室長は突っ込んでくる。っていうか、アンタは日本人じゃないだろうが。なにを日本人づらしてるんだ? 

 「もう五十年以上は日本に住んでいるんだ。キミよりもよっぽど日本に詳しいぞ、私は」

 屁理屈屋め。

 「はいはいわかりましたよ。じゃあ、その日本にお詳しい室長と一緒に初詣にいかないといけないんですかね、僕は?」

 「そりゃ私は雇用主だからな。従業員の福利厚生を充実させるのは使命だ」

 福利厚生だと言い切っている感じからして、どうやら室長の中では僕が喜んでいるのは確定してしまっているらしい。

 「言っときますけどね室長、新年早々呼び出されて、そのまま理由の説明もなく連れ回されることを世間一般でなんて言うか知ってますか? 誘拐ですよ、誘拐。未成年誘拐の罪で警察に逮捕されたいんですか?」

 「ほう……キミは私のこの心遣いがわからないと見える」

 んなモン端っからないだろうに。

 「近場に初詣に行ってしまって、知り合いに遭遇してしまったらどうする? どうせキミのことだ……私に誘われなくても笠酒寄クンに連れ出されていただろう? 高校生カップルが新年早々から友人に遭遇してしまったらどういう事態になってしまうのかは、想像にかたくないな」

 僕は想像する。最悪の事態を。

 笠酒寄と一緒にいるところを、五里塚ごりづか辺りに見られる。もしくは、彼女がいない運動部の連中にでも発見される。 

 ……うん、絶対にいじられる。っていうか、最悪学校が始まってからの扱いがひどくなってしまう。

 それは避けないといけない。僕はあくまで平穏が欲しいのであって、決して妬みそねみの対象になるような目立ち方はしたくないのだ。

 あくまで僕は、表上は平々凡々とした高校生。そういうスタンスなのだ。……奇妙な事件を解決してる人物の助手だという噂が立っている時点で手遅れな気もしないでもない。

 「……お心遣い感謝しますよ、室長」

 「ふふん、いいだろう。私は寛大かんだいだからな。日本海よりも広い心で許してやろう」

 あんまり広くないな。しかも、よく荒れそうだ。

 「空木君、甘酒配ってるよ! もらいに行こう!」

 きらっきらした瞳でそんなことを言いながら笠酒寄は僕の腕を引っ張る。

 「適当にな~」

 砕けた調子で言うと、そのまま室長は喫煙所に向かっていった。

 やっぱり口先だけでも感謝するんじゃなかった!


 2


 「甘酒ください!」

 「はい、どうぞ」

 お前は小学生か。

 大学生か、社会人なりたて、といったぐらいの美人な巫女さんに笠酒寄は甘酒を要求していた。

 同性としては目に余る行動だったにも関わらず、巫女さんは優しく微笑んで紙カップ入りの甘酒を笠酒寄に渡してくれた。……すいません、この子アホなんです。

 「二人分ください!」

 「……はい、どうぞ」

 今度は流石に多少の躊躇ちゅうちょが見て取れた。……すいません、この子かなりのアホなんです。

 「ほら空木君空木君! 甘酒!」

 見りゃわかるわ。っていうか、お前……いつの間にそんなに残念な頭になってしまったんだ?

 人狼の影響か?

 かなりひどい考えが僕の頭をよぎったのだが、口には出さない。言ってしまったら不興を買うことぐらいは僕の貧相な想像力でもカバーできた。

 「ありがと。……ただ、他にも人がいるんだから多少静かにしていこう」

 「うん、わかった!」

 わかってねー。

 振る舞われていた甘酒はとても美味しかったことは述べておかないといけないだろう。

 


 かろん、がらんがらん。

 賽銭を放り投げて(奮発して五〇〇円玉だ)、名称不明のでかい鈴を鳴らしてから二礼二拍手一礼。目をつむってから願う。

 (どうか今年こそは、僕がバイオレンスな事になりませんように! いやホント切実に!)

 心の底から願う。今年はもっとほんわかしたハートフルな感じにしてほしい。

 目を開けると、隣で笠酒寄はまだお願いをしてるようだった。

 一秒、二秒、……最終的には二〇秒ほど。

 終わった笠酒寄は静かに目を開いた。 

 ドキッとしてしまったのは、きっと顔を見続けていたせいだろう。きっとそうにちがいない。

 「他の人も待ってるし、いこ、空木君」

 「あ、ああ……」

 僕の手を引くその瞬間の横顔が、とても大人びて見えたのは気のせいだろうか?



 「……小吉」

 「大吉」

 願い事を済ませたのならば、あとは当然おみくじをやる。

 そして、複数人でやってきているのならば、結果を開示し合うのは当然の帰結だった。

 まあ、僕の圧勝だったのけど。

 いや、おみくじで勝ち負けをつけるっていうのはなんとも本末転倒な気がしないでもないのだけど。

 「むぅ~。もう一回引いてくる!」

 お前は負けず嫌いか。

 頬を膨らませてわかりやすくむくれると、笠酒寄は再びおみくじを引きに行ってしまった。

 僕を置き去りにして。 

 いやいや、お前。彼氏にこの扱いはなくないか? 仮にも元日というハレの日に一緒にいるというのに、ひどくない?

 脇目も振らずに笠酒寄はおみくじの販売所に突撃すると、じっとりと眇(すが)めるような目つきでおみくじの吟味を始めていた。

 ……これは長くなりそうだ。

 ちょっとばかりの意趣返しというわけではないけど、選別に夢中の笠酒寄を置いて、僕は神社の境内を少しばかり見て回ることにした。

 初めての場所だし、あまり神社なんて来ることはないのだから。

 ……それに、たまには僕だって一人になりたい。百怪対策室に集合してからずっと笠酒寄と一緒にいると疲れる。いつにも増してテンション高いし。

 そういう風に言い訳しつつ、僕は黙って神社の裏に向かったのだった。

 


 境内裏にまでやってくると、流石に人がいない。

 一年で一番人口密集度の高くなる元日にも、こちら側は不人気らしい。

 だけど、今の僕にはちょうどいい。

 ちょっとばかり、一人になりたくなってしまっている僕には。

 タバコでも吸うのならば、ここで一服なんてこともできたのかもしれないけど、生憎と僕は未成年。そんな危ないものは持っていない。

 ただ、突っ立っているだけだった。

 ぼんやりと真冬の寒さに当てられている顔の感覚を味わっていた僕は、唐突に気づいた。

 僕以外に、人がいる。

 いや、正確には小さな社のような場所から出てきたわけだから、いるのではなく乱入してきたという表現の方が正確なのかもしれないけど。

 まあしかし、問題があった。

 その人物はさっき甘酒を配っていた美人な巫女さんに違いない。あの特徴的な泣き黒子はかなり印象に残る。

 それだけなら問題じゃない。まったく問題じゃなかった。

 問題なのは、その巫女さんは抜き放った日本刀を持っていることと、悪鬼のごとき形相をしているということだった。

 ……なんかの余興である可能性に賭けたい。

 「……どいつも、こいつも、うるせえんだよ……普段はまったく来やしねえくせにこういう時ばっか来てはしゃぎやがる!」

 吐き捨てるように呟かれたその言葉はきっと僕の聞き間違いだったに違いない。

 別に、美人が皆、性格が良いだなんて妄言を吐くつもりはないのだけど、日本刀を持った状態でのその発言は危険性が高すぎる。

 「恥知らずの不信心者どもが……あたしがぶっ殺してやる!」

 ……今度は疑いの余地もなく聞こえてしまった。

 この場に僕以外に誰もいないことは幸いだったのだろう。これからの犠牲者が減る。

 おっそろしく目がつり上がっている巫女さんと目が合う。

 「ど、ども」

 「しねぇぇぇぇえぇえええ!」

 化鳥けちょうのように飛び上がりながら、巫女さんは僕に斬りかかってきた。 

 やっぱこうなるのな!


 3


 「見せびらかしてやがったガキの片方だなぁ! 死ねえ!」

 ぎらりと輝く刃が一直線に僕の喉元めがけて伸びる。

 確かに喉は急所ではあるのだけど、命中させるのは中々に難しい。

 飛びかかってくる巫女さんに対して弧を描くように僕は剣閃を躱す。

 ここまで接近を許してしまっていたのは失態だ。この距離だと、能力を使うために集中した一瞬が文字通りに命取りになってしまう。

 ……致命傷には至らなくても、めちゃくちゃ痛い目を見ることになるし、そしてなによりも巫女さんが持っている刀から嫌な気配を感じたのだ。

 禍々しいオーラのようなものが、見えているわけではないのだけど、感じる。

 つい先日の妖刀での手傷は、なり損ない吸血鬼の回復力が通用しなかった。

 それに、いきなり我慢の限界に達してしまって刃傷沙汰に及んでしまったというよりも、妖刀の影響によってこんな凶行に走ってしまったという説明のほうが納得がいく。

 おそらく、彼女が持っているのは妖刀なのだろう。

 どんな性質を持っているのかがわからない以上、無闇に手傷を負ってしまうのは得策じゃない。毒性とか持っていたらなりそこない吸血鬼の再生能力も通用するかどうか怪しい。

 「くたばれっ! クソガキィ!」

 「あっぶね!」

 返しの刃を紙一重で躱す。何本かの前髪が宙に舞う。

 いやいやいやいや! 女性の細腕で出来る鋭さじゃないぞ!

 やっぱり何らかの影響を受けているのは確定みたいだ。

 となると……。

 「死ねぇ!」

 考えてる暇なんぞねえ! 

 次々に斬撃が襲いかかってくる。

 なり損ない吸血鬼の反射神経と運動の能力がなかったらとっくに膾(なます)になってるところだ。

 「避けるんじゃねえ!」

 避けるに決まってるだろうが! 誰が好き好んで斬られるっていうんだ。多分室長でもそんなことはしないぞ。うん、多分。

 次々に必殺の一撃が襲いかかってくるので、僕も躱し続ける。

 このままじゃあジリ貧になるだけだ。

 大振りの一撃。

 地面ごと僕を真っ二つにしそうなその一撃をすんでのところで避けて、僕は背中を見せて脱兎のごとく駆けだした。

 「逃げるんじゃねえ! ぶったぎってやる!」

 僕の思惑通りに巫女さんは追跡を開始してくれた。

 このまま境内の方に逃げるのはまずいだろう。あそこには参拝客が沢山いる。

 参拝客に意識を向けさせてその間に僕の能力で行動不能にする、なんて外道な案も浮かんだと言えば浮かんだのだけど、それは即座に却下した。

 ……新年早々刃傷沙汰にんじょうざたになってしまったら大変だ。僕みたいな『怪』に片足突っ込んでるような人間ならともかく、一般人の人々には少々刺激が強すぎるし、なにより今現在妖刀の影響を受けている巫女さんが社会的に死んでしまう。

 妖刀なんぞに関わってしまったがために、これから先の人生を棒に振ることなんて馬鹿らしいじゃないか。

 そんなことを考えながら、僕は玉砂利を巻き上げながら走り続けた。

 



境内裏は弓道の練習場につながっていた。

 人気ひとけのないほうにやってきていたら、いつの間にか迷い込んでしまったのだけど。

 砂利から土へと、地面は変わってしまっている。

 そして、僕はここで決着をつけることにした。

 頼りになるのはなり損ない吸血鬼の身体能力と、くぐってきた修羅場の経験。能力自体は決定打にはならない。威力の調整がしづらいし、使う時間があるかどうか。

 違和感。

 今まで僕の後ろをぴったりと付いてきていた足音がなくなった。

 追跡を中止したのか? 振り返るけど、刀を持った物騒な巫女さんは僕の視界には映らなかった。

 悪寒ぞくり

 命の危機に何度も陥ったことがある僕だからこそわかった。『あの感覚』だ。

 「うぉっ!」

 みっともないけど、選択したのは前方に転がるというものだった。

 ざくん、と何かが地面に突き立った音が背後で鳴った。

 確認するまでもないのだけど、素早く立ち上がりつつ確認する。

 土を巻き上げながら妖刀を引っこ抜く巫女さんがいた。

 どうやらとんでもない大ジャンプをかまして僕の脳天にあれを突き立てるつもりだったらしい。えっぐい。

 ……つうか、しれっと身体能力が強化されてるし。 

 「クソガキがぁ! 逃げ回ってるんじゃねぇ!」

 よだれをまき散らしながら喚くその顔は、笠酒寄に甘酒を振る舞ってくれていた時とはまるで別人、いや別生物のようだ。ここまで人間の表情って変化するもんだな。

 「いいよ、ここで決着つけようじゃないか」

 半身に構える。

 肩の力は抜いて、リラックス。呼吸は乱さない。 

 相手は確かに凶器を所持してるし、尋常の凶器でもない。

 だけど、発火能力者キスファイアやら人狼かささきやら魔術師そのたもろもろやらと比較したらその危険性は低いと言わざるを得ない。今まで僕が相手取ってきた奴らよりも次元は低い。

 集中。能力の行使のためじゃなく、相手の動きを見切るために。

 「い~い覚悟だぁ……おっね!」

 醜悪な笑みを浮かべて、大上段に振り上げられた刀が僕を真っ二つにしようと襲いかかる。

 極限まで集中した僕の動体視力は、その動きをはっきりと捉えていた。

 そして、一歩踏み込む。

 一歩。人間がやったのならば刀の根元を叩き込まれていたことだろう。だけど僕はなり損ないとはいえ吸血鬼。 

 その一歩で手が届く距離まで入っている。

 振り下ろされる途中の右手を掴んで、そのまま振り下ろされる方向を変えるような感じで誘導。

 くるん、と面白いように巫女さんの体が反転する。

 後は簡単。そのまま僕は後ろから巫女さんの左脇の下から手を入れて固定する。

 「この……クソガキがぁ! 痛っ」

 掴んでいる右手の腱をぐりぐりしてやる。ここを攻められると手に力が入らなくなってしまうのは室長に何度も何度もやられたので身を以て知っている。

 流石に人体構造までは変化していなかったのか、巫女さんは妖刀を取り落とした。

 同時に、その体が一気に脱力する。

 慌てて僕は支えようとしたのだけど、バランスを崩してしまって一緒に倒れ込んでしまった。

 「……あたた、締まらないなぁ。っと、大丈夫ですか?」

 起き上がってから巫女さんの顔をのぞき込むと、どうやら気絶してしまっているようだった。

 呼吸はしっかりとしているので命に別状はないらしい。

 ほっと一息ついた、のと同時に僕は何者かの足音を聞く。

 「………………空木君、その人、だれ?」

 笠酒寄だった。

 多分、人狼の聴覚によってなにか起こっているのを察知して駆けつけたのだろう。

 まあいい。そこは別にいいんだ。

 問題は今の状態だ。

 気を失って地面に倒れている巫女さんと、その顔をのぞき込んでいる高校生男子。

 「待て笠酒寄、誤「浮気者!」

 怒りの人狼パンチを食らって、僕は巫女さんと同じように気絶する羽目になった。


 4

 

 「起きろコダマ。……起きないつもりなら、キミの肋骨を一本ずつ順番に、菓子みたいにペキペキやっていくぞ」

 悪魔でも思いつかないような起こし方を聞いてしまって、僕の意識は緊急的に覚醒する。

 寝覚めは最悪なのだけど。

 「おはようコダマ。少しはキミも私の助手らしくなってきたじゃないか。無傷で妖刀をなんとかするとはな」

 同時に浴びせられたのは褒めているような、嫌みのような微妙なラインの一言だった。

 「おはようございます、室長」

 すでに殴られた箇所は治ってしまったらしく、痛みはない。口の中には砕けた歯の破片が残っていたので気分は最悪だったけど。

 すでに歯の再生は済んでしまっているので、用済みになってしまっている破片を吐き捨てながら僕は身を起こす。

 年がら年中変わらない白衣にジャージに室長と、どこか申し訳なさそうにしている笠酒寄。そして、未だに目を覚ましていない状態の巫女さんがいた。

 「……ごめんね、空木君」

 しおらしく謝ってくる笠酒寄。

 僕は決して心の狭い人間じゃないし、大海のごとく広い心の持ち主というわけでもない。

 しかしながら、こうやって素直に謝罪の意を表明してくれるのならば許すのはやぶさかじゃない。

 「いいよ、どうせなり損ない吸血鬼だから再生しちゃったし。……それよりも室長」

 「わかってる。この妖刀のことだろう?」

 すでに室長は抜き身の刀を手にしていた。

 間違いなく巫女さんが持っていたヤツだ。

 「妖刀、『地切り戸灰悪じきりとはいお』。製作は大正時代の一品だ」

 おそらく、またしても室長は抗魔カウンター・マジックを使って妖刀の影響を受けないようにしているのだろうが、それでも、抜き身の日本刀がすぐ近くにあるっていうのは落ち着かない。

 まるで清澄な冬の空気を切り裂くように輝く刀身を持つ妖刀なんてものなら尚更だ。

 「……コダマ、キミはこの妖刀の能力、というか異能はどんなものだと思う? ヒントはこの妖刀の名前だ」

 はて? 突然の質問はいつものことだったのだけど、ヒントがヒントとして機能していないような気がする。

 地切り戸……灰悪? なんじゃそら。さっぱり意味不明だ。打った人間の名前とかじゃないだろう。それならもっと短くなってくるだろうし。っていうか、地切り戸っていう銘自体がどうなのかと思うのだけど。

 地切り戸、地切り戸……うーん、さっぱりだ。

 「……ギブで」

 「はぁ~やれやれ情けない。その調子だと助手らしくなってきたという前言は撤回しないとならないな。まだまだキミ一人だと心配になってくる。及第点はやれないようだ」

 最近の室長の中では上げて落とすのがブームになっているらしい。

 まあ、そういうどうでも良いことは脇にやっておこう。

 「で、どういう『妖刀』なんですか? もしかしてこの前の『リア充殺し』みたいなやつなんですか?」

 人の嫉妬心を増幅して、その上で行動権を支配してしまうという厄介な妖刀。クリスマスに遭遇したなんとも表現しづらい妖刀だった。

 「惜しいが、違う。この地切り戸灰悪は何も増幅しないし、肉体を乗っ取ってしまうようなこともない。……ただ枷を外すだけだ」

 はい? 枷? なんのこっちゃ。

 僕の困惑なんぞ知ったことかとばかりに、室長の解説は始まった。

 「原因、というか始まりというか、やらかしたのは一人の魔術師なんだ。この魔術師は明治に来日した際に日本刀に出会う」

 はあ。いきなり明治大正ロマンでも始まるのか?

 「刀、という芸術品でありながらも高度に洗練された武器に惚れ込んでしまった。そんなわけで自分でも日本刀の製作に乗り出した。……わずか数年で日本刀らしきモノには到達したのだから大したものだが」

 刀鍛冶っていうのは何十年も修行してやっと一人前になる、ということぐらいは小耳に挟んだことがある。正式にという訳ではないけど、それなりには出来るようになったということなのだろうから、才能はあったんだろう。

 「しかし、ここで問題が発生した。いや、問題と表現するよりも必然と言った方が良いな」

 嫌な予感がする。 

 「日本刀もどきを製作した魔術師は考えた。『自分が作った刀が平凡な一振りであって良いはずがない。特別な一振りにしなければ』とな。後はいつものようにいらんことをやらかしてしまったのであった、とな」

 いらんこと? いや、ちょっと待ってくれ。聞き覚えがある。とても身近なというか、具体的に言うと隣にいる笠酒寄の関連で。

 「いらんことしいのナブレス・オルガ。地切り戸灰悪の製作者にして、数々のみょうちきりんなマジックアイテムの製作者だ」

 笠酒寄が今現在、人狼の能力を制御するために二四時間肌身離さずに身につけている『服従の指輪』。その製作者がこの妖刀も作っていたというのはなんとも奇妙な縁を感じる。

 「いや、室長。妖刀の歴史というか、製作秘話みたいなのはいいですから、とっとと本題に入ってくださいよ。どういう魔術が篭められているんですか?」

 魔術師ならば、そして、マジックアイテムの製作者ならば、間違いなく何らかの魔術が関連しているだろう。

 「抑圧の解放。そういう風に表現されているな」

 は?

 「人間、というか知性を持つ生命体はある程度自分を抑圧しているだろ? それを取っ払ってしまうのがこの地切り戸灰悪だ。つまりは、抑圧している欲求の解放によって起こる人格の豹変、もしくは攻撃性、もしくは反社会性の発露という風になってくるんだがな」

 そりゃ、まあそうだろう。むっとした瞬間、やりたくないけどやらないといけない仕事、道徳観によって我慢する瞬間……と、社会の一員として生きていく中で自分を抑圧する場合は無数にある。

 それが無くなってしまったらどうなるか、なんてことは想像するまでもない。

 「つまり、この妖刀を持ってると、理性が吹っ飛んじゃったような状態になってしまうということですか?」

 「そういうことだ。そして、抑圧されているはずの面が表出することからナブレス・オルガはとある小説の題名から銘をつけた。……ジキルとハイド。知ってるだろう?」

 善良なジキル博士がおぞましい悪人であるハイド氏に変貌してしまうという小説だ。僕だって読んだことぐらいはある。

 ……なるほど。あの小説において、ハイド氏はジキル博士の抑圧されていた悪の部分みたいに言われていたし、妖刀を表わす名前としては悪くないのかもしれない。

 っていうか、当て字かよ。暴走族じゃあるまいし。

 「そういうわけで、この妖刀は統魔の管理下にあったはずなんだが、第二次世界大戦のゴタゴタで紛失してしまっていたんだ。日本にあるのは確定していたんだが、行方だけはようとしてわからなかった。こんな場所にまつってあるとはな」

 「へ? それってこの神社のご神体なんですか?」

 だとしたらとんでもないことだ。よりにもよって妖刀なんてモノをご神体に祭り上げていたなんて、ちょっとした不祥事になりかねないんじゃないか?

 「別にご神体だったとは限らない。何らかの事情で引き取っていたのかもしれん。……それに、封印していた可能性だってある」

 神社に良くないモノが封印されている。良く聞く話だ。だけど実際には遭遇したことがない話でもある。

 「さて、妖刀の解説はこのぐらいで良いだろう? 流石にこのまま放置しておくわけにはいかないから、これから統魔に連絡して回収してもらう。後の処理は任せておこう」

 美しさすら覚えるような優雅さで納刀すると、室長はスマホを取り出した。

 「それとも、キミたちも新年から統魔の事情聴取を受けたいか?」

 もちろん、僕も笠酒寄も首を横に振った。


 5


 「ゴメンね、空木君。私勘違いしちゃった」

 「良いって言ってるだろ? 一人で行動した僕も悪いんだから」

 決して僕だけが悪いとは言わない。この辺りに腹の虫の具合が良く現れている。

 妖刀騒ぎの神社から引き上げて、僕と笠酒寄は電車に乗っていた。

 ちなみに、室長は今頃統魔の回収班を待っていることだろう。ざまあみろだ。そのまま夜まで事情聴取されてしまって、好きなアニメは録画で見える羽目になってしまえ。

 そういう風に考えて僕は多少溜飲を下げる。

 「……ねえ、あの巫女さんってさ、人を斬りたかったのかな?」

 呟くように笠酒寄は言った。

 「いらついてたんじゃないのか? 新年早々目の前では幸せそうにしている人々、だけど自分は仕事に忙殺されてる。そんな状態なら鬱憤うっぷんが溜まってしょうがないんじゃないか」

 人間は自分だけが不幸だって思いたがる傾向がある。僕だって、いつの間にかそんな風に自虐的に考えてしまうことがあるのだし、あの巫女さんがなってしまっても不思議じゃない。

 そこにあの地切り戸灰悪はつけこんだのだろう。なんとも恐ろしい刀だ。

 今回は普通の人間だったからいいものの、これが魔術師とか、室長みたいな人外だった場合は想像もしたくない。

 ……多分、あの妖刀は厳重に封印されてしまうか、破壊されることになってしまうのだろう。

 貴重なのかどうかはわからないけど、危ないアイテムなんてそのぐらいの扱いでちょうどいい。

 今回の件に関しては、僕はそんな風に割り切ることにした。

 くい、と袖を引っ張られる。

 「なんだよ、笠酒寄」

 「……もうちょっと、一緒に、いよ」

 新年早々、血なまぐさい事件になりそうだったのだけど、多少はあのおみくじも当たっていたみたいだ。

 僕はスマホを取りだして、正月でも営業している店を検索し始めた。

 もちろん、健全なやつを。



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