第二十二怪 反魂術
1
魔方陣が輝いて、その光の強さに僕は反射的に目を
すぐに光は収まり、こわごわと目を開いた僕は驚いた。
なにしろ薄暗い倉庫の中ではなく、竹林にいたのだから。
隣には笠酒寄。そして、すぐ目の前にはヘムロッドさんの背中があった。
「二人ともいるかな? いるね。ではいこうか」
振り向いたヘムロッドさんはそれだけ言うと、なんの
慌てて僕と笠酒寄はその後を追う。
「ちょ、ちょっとヘムロッドさん。何処に行くっていうんですか? っていうか、転移したのは確実なんでしょうけど、正確な位置はわかっていないんですよね? なら、ここから先はどうやって追跡していくんですか?」
早口でそうまくし立てたのだけど、ヘムロッドさんはまったく歩みの速度をゆるめることはなかった。なんならちょっと早くなったぐらいだ。
返事はない。
なんとも居心地が悪い。
もしかしてなにか気分を損ねるようなことを言ってしまったのかと
とても立派な日本屋敷が見えたのだから。
「あれが目的地だ」
静かにヘムロッドさんは言った。僕に聞かせるように、僕が自制を利かせられるように。
すぐ後ろにいる笠酒寄が袖を握ったのがわかった。
不安なのは僕も一緒だ。
なんてったって、これ以上無いぐらい『悪いことしてるヤツ』の本拠地だったのだから。
だがそれでも、行くしかないだろう。このまま目の前で殺生石をいいように利用されてしまうのはまずい。なによりも後味が悪い。
「では二人とも、臨戦態勢で行ってくれ。穏便には済まないだろうからね」
ヘムロッドさんは何かを確信しているようだった。
それが闘争の確信だったのか、それとももっと別種のものだったのかは僕にはわからなかった。
「止まれ!」
竹林から降りて日本屋敷に近づいた僕達を迎えてくれたのは、歓迎の言葉なんかじゃなくて警戒心もあらわな一言だった。
まさに悠然とした佇まいの門には不釣り合いで、なんともちぐはぐな印象を受けてしまう。
そんな言葉を発したのは、一人の青年だった。
まだ、若い。僕が言えたような年じゃないんだけど。
「何者だ、名を名乗れ!」
時代劇でしか聞いたことがない台詞をまさか聞くことになるとは思っていなかった。
なんと言ったものだろうか? 「この屋敷に殺生石が転送されてきているのでそれを回収しにきました」なんて言っても無理だろ。
はいそうですかと、通してくれそうにはない。っていうか、高校生二人を連れた初老の男性っていう時点で怪しいんだけど。
「なに、ちょっとした捜し物でね。とある物品がこの屋敷にあるはずなんだ。私達はそれを探している。……立ち入り調査というヤツだよ」
ヘムロッドさんはストレートど真ん中だった。もうちょっとオブラートに包んでもいいんじゃないですかね?
「……貴様、ここがどこだかわかっているのか?」
見張りをしていた男性はかなりの不快感を示していた。
そりゃそうだろう。いきなりやってきて、『調査のために中に入れてくれ』なんてのは喧嘩を売っているようにしか聞こえない。……もしかしたら実際に売っているのかも知れないけど。
しかし、ヘムロッドさんは向けられてる悪感情など何処吹く風とばかりに歩み寄る。
「もちろんわかっているよ。統魔日本支部統括、
後ろにいる僕にはヘムロッドさんの表情はうかがえない。
しかし、懐から何かを取り出したのはわかった。
「こういうことだよ。理解したら大人しく通してくれたまえ。時間が無くてね」
ヘムロッドさんが何を示したのかはわからないが、それでも男性の顔色が一気に変わった。
いや、顔色だけじゃなくて、全体が。
刺々しかった雰囲気が一気に収縮してしまって、代わりに現れたのは……恐怖?
一体、ヘムロッドさんは何を見せたのだろうか?
「さ、通してくれるようだから進もうじゃないか。時間は有限で刻限は近い」
もはや見張りの男性をちらりと見ることもなく、ヘムロッドさんは悠々と敷地内に入っていた。
なんとなく気まずい感情を覚えながらも、僕と笠酒寄も続く。
門を越えた瞬間、ヘムロッドさんが見覚えのある金属片を放った。
自由落下の後に、いきなり鋭く飛翔したそれは、僕達の後ろに飛んでいった。
僕は目で追う。
「がっ!」
いつの間にか僕達のすぐ背後にいた見張りの男性の額に金属片が張り付いていた。
みしみしと音を立てて金属片は額にめり込んでいく。
ちょっとばかり衝撃的な光景に僕は駆け寄ろうとするが、男性の手に短刀が握られていることに気付いて足を止める。
……え?
笠酒寄も僕と同じように驚いているようだった。
「浅はかだね。奇襲を仕掛けるのならば相手が油断している時を狙うのが常識だよ。最も、私はこの屋敷で油断することはないだろうけどね」
屋敷に向かう足を止めないままでヘムロッドさんは残酷に宣言した。
立ったまま、白目を剥いて男性は気絶してしまい、倒れる。
呼吸は出来ているので死にはしないだろう。
どうやら、この屋敷には人を入れたくないような何かがあるらしい。十中八九殺生石が絡んでいるのだろうけど、それだけではない気がしていた。
「空木クン、笠酒寄クン、あまり離れると危ない。すでに敵地なんだからね」
その呼びかけで、ちょっとばかり遠い場所に行ってしまっていた僕と笠酒寄の意識は戻ってくる。
そして、慌ててヘムロッドさんに追いつくために小走りで追った。
2
「あの見張りの人、とっても慌ててたみたいですけど、一体何したんですか?」
やけに手入れの行き届いている庭園を横切っている途中、笠酒寄は唐突に尋ねた。まあ、僕も訊きたかったことなのだけど。
「なに、ちょっとこれを見せただけだよ」
そう言いながらヘムロッドさんが取り出したのは、白い林檎が描かれているペンダントだった。しかも、その林檎には大きく傷が入っている
それには僕も笠酒寄も見覚えがあった。
八久郎さんが持っていたペンダント。
忘れるはずもない。
後からヘムロッドさんから聞いたのだが、これは統魔のかなり上の人間からの密命であることの証明らしい。
だが、ヘムロッドさんは現在統魔に所属していないはずだったのでは?
そんな疑問は見透かされてしまっていたらしい。
「これは個人的な依頼でね。統魔本部の最高責任者からの頼みなんだよ。八久郎に命令を
下したのは日本支部の人間だろうがね」
ああ、そうなのか。
ヘムロッドさんは室長の頼みと統魔の上の人間の依頼、両方を果たすためにはるばる日本にやってきたわけだ。
それなら、なんとなく合点がいく。
最高評議会なんて
旧友の頼みっていうだけでそこまでやるのかと常々疑問に思っていたのだが、それならなんとなく納得も出来そうだ。
そして、八久郎さんに命令を下した日本支部の人間というヤツも大体見当がついてくる。
さっき名前が出た人物。
「木角、利連」
「そう、おそらくはヴィクトリアをはめた人物は彼だろうね。何を企んでいるのかは大体見当がついているんだけど、ね」
その声音に、どこか哀愁を感じたのは僕の勘違いだろうか?
「……一体、何を企んでいるっていうんですか? 八久郎さんと室長を戦わせて、そんなことをしてまでその人は何をやろうとしているんですか?」
少しばかり語調が強くなってしまった。
それでもヘムロッドさんは気分を害した様子もなく答えてくれた。
「悪いこと……いや、彼にとっては良いこと、だろうね」
庭園は終わりに近づいていた。
屋敷は不気味なぐらいに静まりかえっている。
これからの波乱を予感させるように。
「ふむ、迎撃態勢は今一つか。日本人の悪いところだね。黙っていれば都合の悪いことが勝手に去ってくれると信じる。なんというんだったかな? 触らぬ神に祟りなし、だったか。……神なんていうものは、征服してこそだ」
嘯(うそぶ)くヘムロッドさんが本心でなかったことを切に願う。
3
土足で室内に入るというのは、なんとも据わりが悪かった。
板張りの廊下だからそれほどでもなかったのだけど、それが畳だったのならばかなり気持ちが悪いものだったに違いない。
そんなことを考えながら、僕は見たこともないぐらいに立派な屋敷の廊下を土足で歩いているのだった。
「……おかしいね」
「? 何がおかしいんですか」
足を止めないままでヘムロッドさんが呟いた言葉に僕は反応する。
「いや、派手に結界を踏み越えてきたからね。向こうはすでに侵入者に気付いているはずなんだが一向に迎撃してこないな、と思ってね」
「……ちょっと待ってくださいよヘムロッドさん。結界なんて踏み越えた覚えがないんですけど」
「言ってないからね。あの無駄に広かった玄関にあったんだよ。人払いのやつとかじゃなくて、感知の為のものだったから空木クンや笠酒寄クンでは気付けなかっただろうね」
かなりクリティカルな事態になってしまっている気がするのだけど、思い過ごしだろうか?
「それって、攻撃してくるやつとかだったらどうしたんですか?」
笠酒寄は僕の疑問を代弁してくれた。
「まあそうだね、適当に解除していたかな。結界術は専門じゃないのだけど、多少の無理はできるつもりだからね」
才能ある相手っていうのはこれだから手に負えない。
凡人がいかに手練手管を用いても、正面から粉砕してくれるのだから。
だが、それならそれで別の疑問が発生する。
「でも、ヘムロッドさんは結界に気付いても壊しませんでしたよね?」
その通りだ。攻撃性を持っていなかったからか? いや、僕の予想だとそういうものじゃない。
「少しは相手の戦力を分散できると思ったんだが、生憎と誘いには乗ってきてくれなかった。薄情なものだよ」
警報装置が働いたのならば、確認したくなってしまうのが人情というものだ。
それを逆手に取って、ヘムロッドさんは先遣隊を返り討ちにして敵戦力を削るつもりだったようだ。
しかし、それは空振りに終わっている。
意外にも、相手は徹底的に迎撃の体勢を崩すつもりはないようだ。
こっちの戦力は三人。一方、向こうの戦力は未知数。
笑えてくるぐらいに絶望的だ。
正直、なんでヘムロッドさんが自信満々に乗り込んでいるのかがわからない。
ここは統魔に連絡して応援を待つのが得策なんじゃないだろうか? そんな風な考えが思考の端に浮かんだことは否定できなかった。
「空木クンの言いたいことは大体予想がつくよ。だがね、黒幕は統魔日本支部の統括なんだ。決定的な証拠が無い状態では統魔は動けない。となれば現場を押さえるしかない。……いざとなったら私個人の暴走という形にして収めるつもりだからね。そのときは二人が操られていた事にする」
責任はあくまでヘムロッドさんが取る、ということか。
僕も笠酒寄も協力していたのではなく、協力させられていた。そのスタンスで行くつもりらしい。
「さて、おしゃべりはここまでにしようか。この先に元凶がいるようだ」
ヘムロッドさんが足を止めたのは、何枚も横に並んだ襖の前だった。
引き返すことはできない。
殺生石なんて物騒なモノを使って何をするつもりなのかは知らないが、少なくとも室長にかけたちょっかい分は言ってやらないと僕も収まらないのは確かだ。
手を握ってきた笠酒寄の顔をじっと見てから、僕はヘムロッドさんに向かって頷いた。
「どけ」
ヘムロッドさんが発したのは短い一言だった。
その一言で、並んでいた襖は全て吹っ飛んだ。
……室長といい、ヘムロッドさんといい、魔術師はまともに出入りするのが嫌いなのだろうか?
奥に向かって吹き飛んだのではなく、横に吹き飛んだ襖達は二度と使用に耐えない程度にはぶっ壊れた。
そして、僕は見た。
襖の向こう、まるでお寺の伽藍堂のような広い空間。
その中には数人の人間がいた。
その中央に鎮座していたのは間違いなく殺生石だった。
ヘムロッドさんの手が閃く。
飛んでいった金属片は十三。
室内にいた人間の数と一緒だった。
いくつかは命中し、そのまま皮膚にへばりついて体内に侵入し始める。
他の者は、防御するなり回避するなりして何かの印を組んでいた。
しかし、遅い。
ごぎん、ぼぎん、めぎん、ばぎん。
端の方から順番に僕の能力で指を滅茶苦茶にする。
視線さえ通っていれば下手な魔術なんかよりも僕の能力のほうが早い。
かなり痛々しい悲鳴が上がったのだけど、今だけは気に留めない。そんなことをしたら僕達のほうがひどいことになってしまうのは火を見るよりも明白だったからだ。
なんと言っても、部屋の中にいた人間達の視線の鋭さと言ったら無かった。
あのキスファイアでもここまで明確な殺意は向けていなかった。
今は、それが仇になったのだけど。
明確に敵意を向けてきてくれているのならばやりやすい。ここに来るまでに大分色々苦労させられたんだ。僕もちょっとばかり凶暴な気分になっている。
次々に指をへし折って、余裕こいてる最後の一人の指を折ってやろうとした瞬間、僕は違和感を覚えた。
僕は確かに能力を発動しているのだ。しかし、その人物の指はひしゃげるどころか、微動だにしていなかった。
ここで初めて僕は、無事に立っているその人物の顔を見た。
老人だった。
ヘムロッドさんよりも見た目は年上。七〇歳は軽く越えているだろう。
痩身を和服に包んで、悠然と僕達を見ていた。
だが、その深く刻まれた皺からにじみ出る狂気は隠しようもない。
なんというか、立ち姿から異質だった。
「やあ、木角。殺生石なんてどうするつもりだい? それはB指定ではあるが、発見された場合は一度回収して調査するのが基本だということぐらいは知っているんだろう?」
ごく軽い調子で、友人にでも話しかけるかのようにヘムロッドさんは言った。
「……ヘムロッド・ビフォンデルフ。統魔本部の者が何用だ? 勝手に敷地内に立ち入って申し開きがそのような言葉であるとは……外人は礼儀を知らんとみえる」
憎悪に満ち満ちた目線をヘムロッドさんに送りながら、木角と呼びかけられた老人は答えた。
おそらく、この老人が統魔日本支部統括、木角利連なのだろう。
親でも殺されたかのようなその敵意は、老人の周りを渦巻いているかのように見えた。
「礼儀なんてものは二の次だよ。それよりも私の質問に答えてくれないかな? こっちはこういう物を持っているんだよ」
ヘムロッドさんが取り出したのは、あの白い林檎が描かれたペンダントだった。
だが、木角はまるで子供だましの玩具でも目撃したかのように鼻で笑った。
それは、開き直りだったのだと思う。
「ふん、そんなものは知らん。ここは日本で、儂の屋敷ぞ。他人に口を挟まれる筋合いはない」
歪んだ顔で表現したかったのは、笑みだったのだろうか? 僕にはただただ嫌悪感しかなかった。
老醜を晒す、そんな言葉なんかじゃ生ぬるい。これは、もっと毒々しい物だと思う。
もっと原始的で、感情的で、抽象的で、そしてなによりも利己的な……僕が感じ取ったのはそういった類いのものだった。
「知らない? キミは日本支部の統括なんだろう? 好き勝手にできる立場には無いと思うのだけどね。……それとも、いつでも私達ぐらいならどうにでもできるという自信かな?」
「何のことやらわからぬな。濡れ衣を着せられるようならば、木角利連の名を以て抗議せねばならんのだろうが、生憎と今は多忙ゆえ後日にしてもらおうか。……今なら無礼は不問にしてやろう」
すっとぼける木角だったのだけど、そんなことを許すヘムロッドさんじゃなかった。
「私が受けている命令はこうだ。『日本支部において行われる可能性のある
安倍晴明、という名前が出て木角の表情が変わる。
言いようのない嫌悪感を覚える表情から、わかりやすい憤怒の表情に。
歯を剥き出しにして、充血した目で見られるなんてのは普段なら遠慮したかったのだけど、あの気持ち悪い顔よりも何倍かはマシだった。
しかし、安倍晴明ときたか。
それぐらいは僕も知っている。
おそらくは、日本で一番有名な陰陽師なんじゃないだろうか。
誰しもどこかで聞いたことがある名前だろうし、題材にされている作品も数え切れない。
逸話には事欠かないし、その謎めいた人物像がいやに魅力的なんだろう。
そんな、おとぎ話の登場人物並の遠い存在を蘇らせようというのか、この老人は?
「……貴様ッ! 何処まで知っている⁉」
「なに、これまでキミが関わってきたであろう事件を追っていくとわかるさ」
唾を飛ばして詰問してくる木角に対して、ヘムロッドさんは全く平然としていた。
「まず八月の事件。私の弟子が拘束されたときに回収するはずだった三つのアイテムがあった。しかし、一つだけ回収されなかった。『反魂術応用』。死者の魂を呼び出し、それを使役するための方法が記してある」
八月、夏休み最後の事件。
そう、僕が一番後味の悪い思いをした事件だ。
「次に、
室長が拘束されてしまった
僕や笠酒寄には阿次川雑路の情報は回ってきていなかったのだけど、ヘムロッドさんにはきていたらしい。いや、もしかしたら独自に調べ上げたのかも知れないけど。
「そしてファフロッキーズの怪。これは多分、囮用にしようと思っていたんだろうね。本来はヴィクトリアの目を逸らすためだったのだろう。あわよくば、騒動になって統魔の目をそちらに向けることも考えて、か」
降臨させようとしていたのは
確かに、成功していたら一騒動なんかじゃ済まなかっただろう。ミカエルなんて降臨してしまったらそれこそ統魔全体で必死の
「最後に、殺生石。九尾狐の要素を満たすこの石は、狐が母親であるという逸話を持つ安倍晴明復活の媒体としては上々だろうね。以上の点から、私はこの事件群の背後にいるのは統魔の中でもそれなりに上の地位にいて、高い実力を持ち、更には現状に不満がある人物。……歴史の影で細々と続いていたが統魔に吸収された陰陽寮のまとめ役の家系、木角家になるだろうと推測した。何か
突きつけるようなヘムロッドさんの推理に、木角は様々に顔を変化させていたのだけど、やがてそれは一つに収束した。
憑きものが落ちたかの様な顔。
本来ならば、歓迎するような顔のはずだ。
だが、こういう時にされるのは非常に嫌な予感がする。
「……か、か、かかか……クカカカカカカカカカカッ」
まるでざりざりと神経を削られていくかのような、気味の悪い笑いだった。
「カハハッ。そこまでわかっておるとは……流石に多少は頭が回るか! カカカカカカ!」
その目は一切笑っていない。僕にだってわかる。
これは、
「ヴィクトリアに掴ませたローグアイゼン師の教本は偽物だね?」
「そうだ! あの気に食わぬ女が引っかかったのは痛快だったわ!」
……そんな、室長は偽物なんかのために拘束される羽目になってしまったのか?
そんな、理不尽があってもいいのか? ……いいや、ないだろ。
僕は木角をにらみつける。だが、当の木角はヘムロッドさんしか目に入っていないようだった。
「なるほど。これでキミを拘束するのには十分だ」
静かにヘムロッドさんは再び金属片を取り出す。
今までの物とは違って、それは毒々しい赤色だった。
「木角利連。罪状は並べると長くなるから省略するが、キミは拘束指定とする。今すぐに投降するなら五体無事だ。どうする?」
「ほざけっ! 悲願を目の前にして止める阿呆がいるものか! 前鬼! 後鬼!」
叫びならば木角が放った札がぎちぎちと音を立てて膨張し出す。
あっという間に、それは二体の巨大な鬼の姿を取った。
「式神術。陰陽師ならば基本だろうが、最高位の前鬼、後鬼を使役するとはやるね。しかし、キミの命運はすでに尽きたんだよ。……木角利連。
「ほざけぇ! この
3
ヘムロッドさんが赤い金属片を投げつけるのと、前鬼と後鬼が突撃してくるのは同時だった。
巨大な鬼が突進してくるだけでも恐ろしかったのだけど、その二体に命中したヘムロッドさんの金属片が引き起こした事態はもっと恐ろしかった。
ぞぶり。そんな生々しい音と共に式神達は真っ二つになり、その上に何度も何度も見えない刃に刻まれたかのようにバラバラになってしまった。
あっけない。
向こうとしては切り札だったんじゃないかと思ってしまうような凶悪な式神も、ヘムロッドさんにとっては
だが、木角は
「双鬼再生」
ゆらり、と動いた木角の手の動きに合わせるかのようにバラバラに解体されてしまった式神の肉片が
まだ死んだわけじゃないのか⁉
まるで映像の逆回しを見ているように、二体の式神は元通りに戻ってしまった。
そして、再び突進してくる。
「空木クン、笠酒寄クン。あの二体を少しの間引きつけられるかね?」
「わかりました!」
「……やってみます」
想定外だったらしく、僕と笠酒寄にお鉢が回ってきた。
やるしかないだろ、これは。
笠酒寄は人狼に変身して(いつの間にか完全に人狼になっていた)、僕は能力でひきちぎってやる……つもりだった。
ふわりと僕の髪が浮いて、確実に能力は発動したはずだった。
だが、突進してくる二体の鬼は勢いそのままに向かってきている。
なんでだ⁉
動揺したのはミスだった。
すでに間合いに入っている笠酒寄に式神の拳が向かう。
宙返りで避けた笠酒寄だったのだけど、相手が二体なのはまずかった。
空中に逃げたところを虫でも落とすかのようにはたき落とされてしまった。
ばごん、と床板を割りながら笠酒寄(人狼)が墜落する。
式神達はすでに次の動作に入っている。
その大木のような足を持ち上げて、笠酒寄の真上に持ってきていた。
踏み潰す気だ!
気付いたときには僕の体は式神に向かって全力で突進していた。
「なにしやがる!」
跳び蹴り。
なり損ないとはいえ、吸血鬼の身体能力から放たれる一撃の威力は保証されている。
なのに、あっさりとそれは捕まってしまった。
すさまじい握力によって僕の足の骨が軋む。
思わず悲鳴が飛び出しそうになるけど、ぐっとこらえて再び能力を行使する。
だが、やはり僕の能力は発動しているはずなのに式神達は平然としていた。
二度目の失敗に動揺こそしなかったのだけど、直後に床に叩きつけられたことによって意識が吹っ飛びそうになる。普通の人間だったら破裂しかねない衝撃だった。
「がっ!」
口から耳から出血する。ついでに目からもちょっと出た。
再生能力はあっても、痛い物は痛い。そして痛みは判断力を鈍くする。
「……笠酒寄! 起きろ!」
思わず叫んでしまったのは、笠酒寄が心配だったからなのと、きっと笠酒寄なら身体能力で食いつけるからだと反射的に考えたからだろう。
割れた床板から笠酒寄が飛び出す。
「■■■■■―!」
獣の咆哮を上げながら笠酒寄はその右腕を振るう。
鬼の巨体が、ぐらりと揺らいだ。
「■■■■■■■ッ!」
僕の動体視力でも捉えきれないようなスピードで笠酒寄の連撃が叩き込まれる。
二体の式神も流石にこれには対応しかねるように防御一辺倒になり始めていた。
「
しわがれたその声は木角のものだということはわかった。
だが、この状態で一体何をするって言うんだ? とっておきの式神も完全人狼モードの笠酒寄には対応しきれていない現状で。
一瞬、そう考えて木角のほうに視線をやってしまったのが間違いだった。
「■■■!」
悲痛な笠酒寄の悲鳴が聞こえた。
さっきまで二本腕だった式神が、四本腕になっていた。
二本で防御して、残りで笠酒寄を捕まえたのだろう。前鬼と後鬼、空いている四本の腕で追われてしまったら完全人狼モードでも無理だった。
みしみしと笠酒寄の骨が軋む音が聞こえた気がした。
「……こ、のぉぉぉぉぉぉお!」
思うようには動いてくれない体にむち打って無理矢理動かす。
室長がやっていたように変形能力でも持っていたのならばもっとスマートにいったのだろうけど、そんなものはなかったので式神の指を掴んで無理矢理引っぺがす。
ぱきぱきと次々にぶっとい指の骨が折れる感触がしたのだけど関係ない。
拘束が少し緩んだ時点で笠酒寄は自力で脱出してくれた。
そして、同時に僕達は吹っ飛ばされる。
着地点がちょうどヘムロッドさんの近くだったのは幸運なのか不運なのか。
すぐさま立ち上がろうとして、気付いた。
体が鉛にでもなってしまったかのように重い。
おかしいと思って自分の腕を見てみると、べっとりとスライムのような何かがくっついていた。
「な、なんだこれ⁉」
引っぺがそうとしても、まったく上手くいかない。それどころかますます密着度合いが増したような気さえする。
「式神に付与された術式だろうね。これ以上は動かない方が良い」
冷静にヘムロッドさんは言うけど、そんなこと言ってる場合じゃない!
今にも四本腕になった式神達は再び向かってこようとしているのだ。
僕や笠酒寄でもこの有様なのだから、細身のヘムロッドさんならどんな惨事になってしまうのか想像に難くない。
「ヘムロッドさん、どうにかならないんですか⁉」
僕達はあくまで時間稼ぎ。本命はヘムロッドさんだ。
「どうにかなるよ。時間稼ぎは十分だ」
そう言うと同時に、ヘムロッドさんの横に輝く魔方陣が出現する。
空間に浮かび上がったソレは多分、空間転移の魔方陣だったのだと思う。
なぜならば、そこからは腕が飛び出してきていたのだから。
最初は腕、そして足。胴体、顔まで見たところで僕は仰天した。
だって、出てきたのは……室長だったのだから。百怪対策室室長、ヴィクトリア・L・ラングナーだったのだから。
笠酒寄も僕も、言葉を発することが出来なかった。
室長も沈黙したままだった。
いつものジャージに白衣ではなく、ドレス姿だったのだけど見間違えるはずもない。
僕達が助けたいと思っていた、室長だ。
「さて、木角利連。キミがわざわざ手間暇掛けて拘束したヴィクトリアはここにいる。大人しく拘束されるか、全てを奪われてしまうのか、好きな方を選ぶと良い」
口をあんぐりと開けているだけの僕達のことは無視してヘムロッドさんはそう言った。
だが、木角はそれを鼻で笑った。
「ふん、貴様の策はその程度か。そのような人形風情を見破れぬと思っているのか?」
人形?
姿形は確かに室長だ。間違いない。
だけど、だけど……あの独特すぎる雰囲気がなかった。
「最高の人形使いの技もその程度か。哀れみさえも感じるわ」
おかしくてたまらないけど、それをできるだけ漏らさないように、そんな木角の口調だった。
「ならば本当の最高傑作をお目に掛けよう」
ぱちん、とヘムロッドさんの指が鳴る。
今度はさっきとは細部が違う魔方陣が出現した。
違うのは、魔方陣だけじゃなかった。
だって、最初に出てきたのは銃口だったのだから。
パダダダダダダダダダダダダダダダダダダダッ!
出現した銃口から、一斉に銃弾が吐き出される。
こっちに向かい始めていた式神達も、この弾幕には防御の姿勢を取るしかなかった。
弾丸の雨を浴びせながら、徐々に銃が、そしてそれを持っている人物がでてくる。
いや、彼女は自分のことを『人物』とは表現しないのかも知れない。
だって、ゴーレムなのだから。
パダダダダダダダダダダダダダッ!
一通り撃ちきったクリシュナさんは、FNミニミを持ったままで優雅に一礼した。
「クリシュナです。以後お見知り置きを」
事情説明のために統魔へと別行動を取っていたクリシュナさんがそこにいた。
「魔術師が火器なぞに頼るとはッ! 恥を知れ!」
激高する木角だったけど、僕としてはいい気味だ。
そもそも、使える技術を使わないほうが悪いんだと思う。……日本で銃はまずいと思うけど、緊急事態だということでセーフにしておく。
機関銃の弾幕を食らって、前鬼も後鬼も無残な状態になっていた。
木角だけは無事なようだけど、式神が撃破されてしまった以上、戦力はがた落ちだろう。
「次弾装填完了しました。射撃を開始しますか、マスター?」
淡々と、背負っていた弾帯をミニミに装填してクリシュナさんは尋ねた。
あと二〇〇発は軽くある。
両手足を
「双鬼再生」
さっきも聞いたその言葉。クリシュナさんは反応して射撃をしたのだけど遅かった。
穴だらけになっていた二体の鬼が再び元に戻る。
今度は、弾幕に削られながらも向かってきていた。
次々に穴が空いていくけど、その勢いが止まらない。
二〇秒も経たずに撃ち尽くしてしまったクリシュナさんはミニミを投げ捨てて式神に向かっていった。
室長の姿をした人形も向かっていく。
襲ってくる巨大な鬼の拳をクリシュナさんは全身を使って受け止める。
吹き飛ばされることこそなかったけど、衝撃でクリシュナさんの腕が変な方向にひしゃげていた。
加勢に加わろうとして、僕達はヘムロッドさんに手で制される。
え?
その間にもクリシュナさんは次々に式神の攻撃を受け続け、段々と損傷が激しくなっていた。
室長の人形も同じだ。もはやドレスはずたずたになってしまって、左腕ももげてしまっている。
大きく振りかぶってから放たれた前鬼と後鬼の一撃によって、クリシュナさんはボロボロになって吹き飛び、室長の姿をした人形は砕け散った。
ごろり、と手足が砕けて一回り以上小さくなってしまったクリシュナさんが僕のそばに転がる。陶器のようなその顔には無数の痛々しいひびが入っていた。
「損傷率六〇パーセントを突破。中枢機関は無事ですが、戦闘行為の継続は不可能です」
冷静に、体をめちゃくちゃにされているようには思えない声音でクリシュナさんは報告してくる。
「よろしい。そこで命令があるまで待機だ、クリシュナ」
「承知しましたマスター」
これが平常ならどうでも良い会話なのだろうけど、現状は違う。
僕達は四本腕の式神達に
唯一無事なのはヘムロッドさんだけなのだけど、僕達が稼いだ時間でやったのはクリシュナさん達の転送だ。
他の魔術を都合良く準備しているなんて事はないだろう。
……こんなところで僕達は終わりなのか? 室長の仇(かたき)が目の前にいるっていうのに、何も出来ずに終わってしまうのか? そんなのは、嫌だ。
まだ、僕の目は見えている。
全霊をこめて木角をにらみつける。
膨れ上がっている破壊衝動を全てこめて。
ぶわりと、髪が今までにないぐらいに浮き上がるのがわかった。
だけど、やはり木角には全く干渉できていなかった。
なんで……なんでなんだよ!
床に拳をたたきつけたかったのだけど、すでにそんなことさえも出来ないぐらいに体の自由が奪われている。
スライムのような『何か』は鋼鉄のような硬さに変化して、僕と笠酒寄をがっちりと拘束していた。
「……式神は二体だけじゃない、か。キミを包み込むように守護している透明な式神、そういうのがいるね」
「ふん、それがわかったからといって今更貴様に何が出来る。女々(めめ)しい人形しか創れぬような愚か者に、我ら陰陽師が連綿と受け継いできた式神術を破れるものか」
黄色い歯を剥きだして笑うその顔は、とても見られてものじゃなかった。だが、それでも僕はにらみつける。
「ふん、小僧。どうやら異能の持ち主のようだな。そこの人狼もそれなりにはやるようだな。……どうだ? ヘムロッドを切って儂に付かぬか?」
木角はそんなことを僕と笠酒寄に言ってきた。
だけど、僕の答えは決まっている。
「いやだ。お前なんかにつくかよ」
「わたしも絶対に嫌」
顔だけ人狼を解除した笠酒寄も同意する。
こんなことで意気投合してもしょうがないのかもしれないけど、今だけはとてもうれしかった。
笠酒寄も、室長をはめたようなヤツに取り入るような根性をしていなくて僕はうれしかった。
どうやら木角は僕達の答えが気にくわなかったようで、般若のような形相に変化していく。
「……この愚か者共がッ! 儂がせっかく情けをかけてやろうというのに、それを
「待ちたまえよ、木角利連。キミの目的は私達の殺害かね? 違うだろう? それを考えてみるんだね。私達を殺すのは……いや、蘇った安倍晴明の最初の生け贄に『白林檎の園』第一期生の
ぴたりと木角の振り上げられた手が止まった。
「せっかくの強力な陰陽師を反魂しようというんだ。その力、試してみたくはないのかね? まさかキミの身内を手に掛けるのか? それは得策じゃないな。日本支部でも陰陽寮の流れを汲む人間は段々と減ってきている。手駒を減らすようなヘマはしないだろう?」
一体、ヘムロッドさんは何が言いたいんだ?
わからない。意図が全く読めない。命乞い、というにはちょっとそぐわない感じだ。
「最初の犠牲者を決めているとかならばともかくとして、反魂術の成否を占ってみたらどうだい? すでに私が出来る細工は終わっているからね。後は天命を待つだけだ」
ヘムロッドさんは観念してしまったのだろうか? こんなところで、こんなやつに殺されてしまうのなんて僕は嫌だ。
「……ヘムロッドさん!」
「黙っていてくれ空木クン。これはね、賭けではないよ。私はギャンブルには弱くてね。なるべく不安要素は取り除いておきたい」
なにを、言っているんだ? ヘムロッドさんは何を考えているんだ? いや、何をやろうとしているんだ。
ぐるぐると、走馬灯のように僕の頭の中で記憶が混濁する。
家族、クラスメイト、笠酒寄、ヘムロッドさん、クリシュナさん、八久郎さん、そして、室長。最後に思い浮かべた室長は、あの人を小馬鹿にしたような笑みを浮かべていた。
「よかろう。貴様らは晴明様の贄にしてくれるわ。そこで見ておれ、復活を!」
木角は勝ち誇ったような顔で中央に鎮座している殺生石に近づく。
ヘムロッドさんの金属片ゴーレムから逃れて、僕に指をぐちゃぐちゃにされた陰陽師達の何人かも段々と体勢を立て直し始めていた。
絶望。そんな感情が僕の中に広がる。
思わず顔を
腑に落ちないというか、異物が混入してしまった、みたいな表情だ。
追い詰められた状態で、笠酒寄もおかしくなってしまったのだろうか?
「……なにか、来るよ」
「……え?」
笠酒寄の呟きに気の抜けた返事をした瞬間、雷でも落ちたかのような轟音が響いた。
思わずそちらに視線をやる。
もうもうとホコリが舞っていた。
天井に大穴が空いているから、おそらくはあそこを『何か』が突き破ってきたのだ、ということぐらいは想像できた。でも、何が?
ゲホゲホと何人かが咳き込む。これだけのホコリが舞っているのだから無理もないだろう。僕も多少涙がにじんできた。ヘムロッドさんは平然としていたのだけど。
「おのれ! 何が起こった⁉」
想定外の事態だったのか、木角の怒声が響く。
多分、復活した木角以外の陰陽師なのだろう。ぶつぶつと何かを呟くように詠唱する声が聞こえた。
直後に強い風が吹いて、ホコリは吹き飛ばされる。
視界が晴れたとき、人数が一人増えていた。
僕達と木角の間、天井の大穴の真下にいたその人物は、白衣を着ていた。
白衣の裾から、ジャージを着ているということは分かる。そしてその髪は長く、とてもきれいな金髪だった。
言葉が出てこない。……いや、これもヘムロッドさんの用意したゴーレムなのか?
木角はさげすんだような笑みをヘムロッドさんに向けた。
「ふん、貴様もこりない男だな。このような子供だましが儂に通用しないことがわからぬとはな。よかろう、その勘違いを正してやろう……やれ」
木角が、動ける陰陽師達に合図を出す。
一斉に陰陽師達は何かをブツブツと唱え始めた。だけど。
「せっかくの劇的な登場なんだ、雑魚にはご退場願おうか」
ここしばらく聞いていなかったその声が響くとのほぼ同時に、白衣の裾から鋭く光る刃が飛び出した。
くぐもった声が上がり、陰陽師達は次々と膝を突いた。
「元々は対魔用なんだが、人間が食らっても魔術が行使できなくなる。魔力を乱されてしまうからな」
淡々と解説してくれる。刺さっているのは十五センチぐらいの刃みたいないモノだった。
あれは、室長が使っていたモノに間違いない。
くるり、と白衣の人物はこちらに振り向いた。
「待たせたな、、コダマ、笠酒寄クン。あとついでにヘム」
まるで待ち合わせに十五分遅刻してきたみたいな気軽さでそんなことを言ってのけたのは、今度こそ本物の室長だった。百怪対策室室長、ヴィクトリア・L・ラングナーだった。
4
僕は、何を言ったら良いのかがわからない。
文句をいうべきなのか、それとも涙を流して喜ぶべきなのか、判断がつきかねていた。
「ひどいね、ヴィクトリア。私がどれだけ根回しをしたと思っているんだい?」
「お前は好きでやってるんだろうが。第一、お前が始めからしっかりと手綱を握っていたらこんな事態にはならなかったんじゃないのか?」
「日本支部は私の管轄下じゃなかったからね。ゲムディフの事がなかったここには来なかったよ。……『もしも』の話をしても仕方が無いだろうけどね」
「全くだ。こんな小僧に一杯食わされてしまうとはな。私もヤキが回ったかな?」
「指導役に回るかい? 紹介するよ」
「……今更教導に移行するわけ無いだろうが。日本を出て行く羽目になるからな」
「そうか、残念だよ」
二人は、まるで世間話のような調子で会話している。
すぐ目の前に、安倍晴明復活なんて大それた事をやろうとしている人物なんていないかのようなヘムロッドさんと室長の会話だった。
「馬鹿な……なぜ貴様がいるのだッ! ヴィクトリア・L・ラングナーッ!」
絶叫。困惑と憤怒と憎悪と恐怖と、色々なモノがない交ぜになった木角の叫びだった。
至極面倒くさそうに、室長は木角に顔を向けた。
「何って、お前。反魂術の行使に、禁止されている安倍晴明関連の魔術。ついでに大小様々のアイテムの横流し。これだけそろっていたら統魔の日本支部統括だろうがなんだろうが最低でも拘束指定になるに決まってるだろうが。頭を使え」
「そのようなことは訊いておらぬわ!
口角から泡を飛ばしながら木角は叫ぶ。
だけど、室長はすごく面倒くさそうな顔をした。というか、「うわっ、キモ」と今にも言い出しそうだった。……容赦ない。
「おいヘム。あっちのご老人は事情がわかってないようだし、説明してやれ。私も全貌は把握していないんだ」
「やれやれ、こういうのは日本語でなんて言うんだい?」
「損な役回り、と表現するんだ。いいからとっととやってやれ。ついでに高血圧が悪化してくれたら御の字だ」
肩をすくめてからヘムロッドさんは一歩、木角に近づく。
これから数式の証明をする教授か何かのように、木角、室長、そして僕達を見回した。
「では、解説していこう。なぜ久道院八久郎に時間凍結を受けたはずのヴィクトリアがここにいるのか。種明かしはこのヘムロッド・ビフォンデルフ。皆さま最後までお付き合いを」
ぺこり、と優雅に一礼するヘムロッドさんはその紳士然とした佇まいから似合ってはいたのだが、状況的にはシュールの一言だ。
「最初に、今回の功労者を発表しよう。私の最高傑作、クリシュナ。彼女がいなかったらここまで上手く事は運ばなかったことだろう。その意味で、彼女には拍手を送りたい」
ぱちぱちと手を打ち鳴らすヘムロッドさんと、やる気なさそうにタバコを取り出してすでに火をつけている室長だった。
おお……もう、なんだこれ。
「さて、殺生石を追跡するにあたって、私はすでに安倍晴明の復活計画が最終段階に入っていることを確信した。そこで、クリシュナを統魔の日本支部にやった。これで細工は流々。あとは仕上げをご
無駄にそういう日本語は知っているのか。多分、教えたのは室長だろう。
「さて、では統魔に到着したクリシュナはどうしたのか? 答えは『日本支部の評議員と久道院八久郎を凍結封印されているヴィクトリアの前に集めた』、だ。そんな事が可能なのか? 可能なんだよ。なにせ私が統魔の最高責任者から指令を受けている以上、クリシュナも持っていても不思議じゃないだろう?」
そう言いながらヘムロッドさんが取り出したのは、傷の入った白林檎が描かれたペンダントだった。
統魔の最高責任者からの直接の命令であることの証明。支部でしかない日本支部からしてみたら、黄門様の印籠みたいなもんだったのだろう。
「さて、ここに日本支部のお偉方は集合した。よって、ここからは黒幕の悪行を暴かないといけない。しかしどうする? 物的証拠はない。なら直接証言してもらったら言い逃れもできないしちょうどいい。……クリシュナには通信機能があってね。いつでも私と通信できるし、私が聞いている音を発信することも出来る」
木角が何かに気付いた顔をした。
僕もそれで理解した。一体何があったのか。なぜヘムロッドさんがわざわざ戦力の分散までしてクリシュナさんを統魔に行かせたのか。
「木角利連、キミがきっちり自分の罪状を認めてくれたのは助かった。非常に助かった。なにせローグアイゼン師の教本が偽物であると認めてくれなかったらヴィクトリアの拘束指定は解除されなかった可能性のほうが高かったからね。その点は感謝したい。ありがとう」
室長は黙ってタバコをふかしているだけだった。
こっちに向いているその顔がどこか悔しそうな顔をしているように見えたのは、僕の錯覚なのだろうか。
「拘束指定の根拠が崩れ去ってしまった以上、ヴィクトリアの拘束指定は即刻解除されただろう。ついでにキミは最低でも拘束指定になる。更には、今まさに安倍晴明復活の実行中、となると最も身近にいる腕の立つ魔術師に依頼しない手はないからね。あとは簡単、私はクリシュナを転移魔術でこっちに移す。ヴィクトリアはそれを辿って近くに転移してくる。そこからは私も知らないのだけど、おそらくは建物内を突っ切ってくるよりも天井から突入したほうが早いと考えたんじゃないかな? そのへんはどうなのかな、ヴィクトリア?」
「コダマと笠酒寄クンの座標なら私はわかるからな。あとは真上から行くのが一番警戒が薄そうだっただけの話だ」
ヘムロッドさんの方に振り向きながら、室長はつまらなさそうに答えた。
「さて、種明かしも終わったし、そろそろ観念して大人しくしたほうがいいんじゃないかな? あまり抵抗すると痛い目を見ることになるだろうし、私もあまり手荒なことはしたくないからね」
「き、きさ、きき、き、貴様……」
「猿の真似か? 木角利連。モノマネが好きだとは知らなかったな。これからお前は拘束されるんだから好きなだけやれ。死ぬほど時間はある。文字通り、死ぬほどな」
かちかちと歯を鳴らしながら、言葉にならない言葉を発しようとする木角に、室長は容赦の無い言葉を浴びせた。
一歩、木角は後ずさる。
一歩、室長は前進する。
さっきまで僕達を殺すために動いていた前鬼と後鬼が、今度は室長から木角を守るように立ちはだかる。
「式神術か。最高位の前鬼後鬼を使役できるのは褒めてやるが、攻略法を知っているなら問題は無いな」
ひゅん、と風を切る音がして変形した室長の両腕がそれぞれ前鬼と後鬼に突き刺さっていた。
「
呟くような室長の言葉と共に、二体の式神が燃え上がる。
ごうごうと音を立てながら、あっという間に式神達は燃え尽きてしまった。
「式神術の欠点は媒体である符の損傷に弱いことだ。取り憑いている式神を攻撃しても簡単に再生できるが、符そのものは再生できない。ついでにコダマ、キミの能力は多分通用しなかっただろう? 当然だ、式神っていうのはあくまで本体は符。見えてる部分は存在していないようなものだからな」
伸ばした腕を元の長さに戻しながら室長は解説する。ついでのように僕の能力が通用しなかったことまでわかっているのは流石というべきか、あらかじめ忠告しておいて欲しいと愚痴るべきか。
前鬼後鬼の残骸を蹴り飛ばしながら、室長は無造作に木角に近づく。
「
なりふり構わないといった様子の木角が叫んで、その周りの空間がわずかに揺らいだ。
透明な式神。ヘムロッドさんが言っていた木角を守っている一体。それを思い出す。
まるで陽炎の塊みたいな巨大なモノが動いたのはわかったのだけど、僕にははっきりとは知覚できない。
「危ない!」と声を室長に声を掛けようとして、僕はそれを呑み込む羽目になった。
なぜならば、室長から無数の棘のようなものが生えて、それが盛大に楼鬼とかいう式神にぶっささったようだったのだから。
なぜそんなことがわかったのかというと、なにもないように見えていた空間から派手に血しぶきが上がったからだ。
噴水のようにどす黒い血液が降り注ぐが、室長には一滴もかかっていなかった。その白衣はドームのような力場を展開して血の雨を防いでいた。
「芸が無いな。いや、元々陰陽寮時代からお前はそうやって他を見下していたらしいしな。当然の結果か。慢心は魔術師を殺す。私がお前に告げることはそれだけだ」
棘をひっこめて、突き放すように室長は言った。
当然在るだろうと思っていた怒りは感じられなかった。その代わりに、どこかその背中は悲しそうに僕の目に映った。
どごん。
床板が割れるぐらいの踏み込みと共に放たれた室長のアッパーによって、楼鬼は吹っ飛ばされてしまったらしい。未だにその姿は見えていなかったのだけど、天井がこっち側からぶち破られたのでおそらくはそうなのだろう。
ぱらぱらと木片が降り注ぐが、木角にはそれを防御するような手段は残っていないようだった。かつんかつんといくつもの木片が頭に肩にぶち当たっていた。
「終わりだ、木角利連。せいぜい後悔しろ」
「……させぬわぁ!」
木角が懐から符を取り出す。
だが、もうすでに守るモノはない。そして、僕には木角のその動作はしっかりと見えていた。
ぱきぱきぱきぱきん、と木の枝でも折るような軽い音と共に木角の指があらぬ方向に折れ曲がる。
ちゃんと視線さえ通っていれば、僕のほうが早い。
最後に一矢報いてやれたのはちょっと満足した。
「かぁぁぁあ! っく、おのれぇ!」
「やかましい」
ぞんざいに放たれた室長の一撃によって、木角は昏倒した。
統魔日本支部に巣くっていた
「さ、て。コダマ、笠酒寄クン。その気持ち悪いのをどうにかしないとな。粘液拘束プレイなんてまだまだ少年少女には早すぎる」
昏倒した木角に軽く蹴りを入れて(ちょっと体が浮き上がるぐらいの威力)、完全に気絶していることを確認してから、室長は僕達を見てそう言った。
まあたしかに。
がっちりと固まってしまったスライムのようなものは、一人では脱出できそうになかったのだから。
しかし、もうちょっと言い方はあるんじゃないだろうか?
至極あっさりと室長は僕と笠酒寄の拘束を解く。
解放されて、僕がなんと言うべきなのか悩んだ。
感謝の言葉か、それとも心配させられてしまった事への恨み言だろうか? もしかしたらもっと気の利いた一言だったのかもしれない。
でも、僕は言ってしまっていた。
「……おかえりなさい、室長」
「ああ、ただいま」
初めて、室長が柔らかな微笑みを僕に向けた。
しばらく、笠酒寄はぼたぼた涙を流しながら室長に抱きついていた。
こういうとき、女子っていうのはなんでそこまでベタベタするのかはわからない。わんわん泣いていた笠酒寄だったのだけど、そのうちに落ち着いたのか室長から離れて僕と同じように「おかえりなさい」と言っていた。
なぜか室長はやけに丁寧に返答していた。……やっぱり、僕の扱い雑じゃないか?
「ではヴィクトリア、一応事後処理もあるし、キミは残っていてくれないかな? 百怪対策室に帰るのはそれからにしてくれ」
「病み上がり……いや、拘束上がりに対して優しさが足りないんじゃないのか、ヘム?」
「私一人では対応できないし、そのうちに木角配下の陰陽師も目を覚まし出すだろうしね。用心のためだよ」
「まったく、お前の人使いの荒さは変わらないな」
そんな軽口を叩きながらも結局、僕達は日付が変わるまで統魔からの事情聴取を受ける羽目になってしまった。
ヘムロッドさんも室長も正直に全部喋って良いと言っていたので、洗いざらい全部しゃべった。
警察の事情聴取なんかもこんな感じなのだろうかとか、この人達ってこれから大分忙しくなるだろうなあ、とかしょうもないことを考えながらも、僕はそれを乗り切った。
笠酒寄はへばっていたのだけど、室長とヘムロッドさんは涼しい顔だった。なんならヘムロッドさんは陣頭指揮を執っていた責任者らしき人がぺこぺこしていたぐらいだ。
そんな風に疲れ切った僕と笠酒寄は泥のように眠って、次の日の昼頃になってやっと起きてきていた。
すでに日は高いが、気温自体は冷え込んでいた。
「おはよう、空木君」
「おはよう、笠酒寄」
お互いに寝起きの姿を見るのは初めてなのだけど、あんまりどきどきとかわくわくはなかった。多分、すぐ隣でにやにやしながら室長が見ているせいだろう。きっとそうに違いない。
「それじゃあ二人とも、帰ろう。百怪対策室に」
「はい」「はいはい」
上機嫌な室長を
ヘムロッドさんはこのまま百怪対策室には寄らずに、本国に帰還するらしかった。
多分、最高責任者への報告とその他諸々の処理が待っているのだろう。同情する。
クリシュナさんは損傷が激しく、かなり大がかりな修理が必要になってくるらしい。そのために帰国するという面もあるのだろう。
すでに二人は先に出発している。
だから、このクルマに乗っているのは僕と笠酒寄と室長の三人だ。
純粋に、期間で言ったら室長が拘束されていたのは一ヶ月にも満たない。だけど、ずいぶんと久しぶりにこうやって三人でいるような気がする。
「出すぞ」
ゆっくりと、クルマは百怪対策室を目指して走り始めた。
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