第二十怪 殺生石

 1


 期末テストという名前の魔物を何とかやり過ごし、そろそろ冬休みも近くなってきたその日。近づいたクリスマスに、どこかそわそわした雰囲気が町全体に、いや、世の中全部が染まり始めたその頃、僕と笠酒寄はいつものよう 百怪びゃくかい対策室たいさくしつへの道を歩いていた。

 最近のクラスメイト達も付き合っている男女を気にするより、クリスマス当日の過ごし方に対しての関心が強くなっていたので、つかの間、僕はほっとしているのだった。

 ……五里塚ごりづかは相変わらず無謀なアプローチを仕掛けては玉砕を繰り返しているようだったが、そのうち良いことがあるだろう。とりあえずは振られた次の日に別の女子に告白することは止めた方が良いと思うのだけど。

 そんな隣の席の友人の蛮行について考えていると、隣を歩いている笠酒寄かささきに腕をつつかれた。

 「なんだよ?」

 「空木うつぎ君さぁ、彼女が隣にいるっていうのに、別のこと考えてたでしょ」

 図星ではある。たしかに今の僕の思考には笠酒寄が介在する余地はなかった。

 しかしながら、だ。

 「彼女が隣にいたら彼女のこと以外は考えたらダメなのかよ?」

 「うん」

 日本国憲法をガン無視してくる笠酒寄様だった。

 思想の自由はどこにいった。

 軽い頭痛を覚えつつも、僕はあまりにも狭量すぎる笠酒寄の方針について反論する。

 「いや、無理だろ。なんだよそれ。僕の思考活動に関しての権限はお前にはないだろ」

 「あるの! だって、彼女が隣にいるのになんで他のこと考えるの⁉」

 うっわ、一気に感情論と論点ずらしに来やがった。

 しかし、妹を持つ僕としてはこんなことは日常茶飯事だ。逆に言ってしまうと、この程度でひるんでいるようだった小唄こうたの相手はしていられない。……あれを一般的な女子だとは思いたくないが。

 「まてまて、論点がずれてるって。例え彼女が隣にいてもだ、他のことを考えるぐらいはあるじゃないか」

 「ない」

 おお、むくれてきた。

 上目遣いで、やや頬を膨らますように見られてしまっては、免疫のないヤツはイチコロなのだろうが、そんな戦法は僕が十歳になる前に飽きるほど味わったので効きはしない。

 「なあ、笠酒寄。例えばだ、お前の目の前に大好物が山ほどあるとする」

 「うん」

 「その大好物を味わっている間に、他の事を一切考えないなんてことはあるかもしれない。しかしだ、その状態の時にふと何かしらの考えがよぎったりはしないか?」

 「考えないよ。わたしは一直線だもん!」

 元気に答えてくれる笠酒寄だったが、すでに僕の術中にはまっている。本人は気付いていないのかも知れないが。

 「そうか? ちなみにお前の大好物ってなんだ?」

 「伊勢堂のクリームマカロン!」

 ほら、詰みチェックメイトだ。

 「ふーん、なら想像してみろって。お前の目の前には山ほどのクリームマカロン。食べても食べてもまだ尽きないクリームマカロンの山だ」

 「ぅ~ん……じゅるり」

 「さあ、お前はクリームマカロンの山を蹂躙じゅうりんせんとするわけだ。そのときにふとよぎらないか? 『太っちゃうかも』という考えが」

 「……」

 今にもよだれを垂らしそうにだらしなく緩んでいた笠酒寄の顔が、やけに沈痛なものに変化する。

 ふ、わかってくれたようだ。

 「そういうことだよ。僕にとってお前が隣にいるっていうことはとれもうれしいことなんだけど、ふとした弾みでそれに水を差すような考えが浮かんでくることだってあるんだ」

 「むぅ……被告の異議を認めます」

 コイツ、裁判が関係するタイプのゲームやってるな。笠酒寄の口から自然にそういう言い回しが出てくるなんていうことは、ない。それなりに付き合いが長くなっているからわかる。

 ま、しかし。大人しく矛を収めてくれたのはいいことだろう。このまま道端で無益な議論を続けていてもしょうないことだし。っていうか、弐朔にのり高校の人間に見られたら何かしらの変な噂になりかねない。これ以上の妙な属性をくっつけられてしまうのは勘弁して欲しい。

 嘆息。

 高校一年生にして、こんな事に悩まないといけないとは。僕は前世でどんな悪いことをやったんだろうか? 天罰なのか?

 謎は尽きない。

 「……ねぇ空木君。ヴィクトリアさん、どうにかできるかな?」

 突然、笠酒寄がそんなことを訊いてきた。

 だが、それは僕がどうのこうのできるような問題じゃない。

 統魔という組織に関わる事案だ。

 あくまでも魔術師見習いに過ぎない僕や笠酒寄では手も足もでない。もっと高度な政治的な駆け引きによって成り立っている世界の話だ。

 未成年の僕には、なんとも言い様がない。

 「……ヘムロッドさんが色々やっているはずだからそれを信じるしかないだろ。僕もお前も」

 冷たく突き放すようになってしまったのは、きっと僕が自らの無力さにあきれかえっているせいだったのだろう。しかし、それを笠酒寄にぶつけても仕方がない。それなのに結局、僕は自分を制御できなかった。くそ。

 「うん……そうだよね。ヘムロッドさんを信じるしかないよね」

 消え入りそうな笠酒寄の言葉は、思いの外、僕の心に刺さった。

 まるで、夏休みの終わりに刺さったとげのように。

 


 ハイツまねくね二〇一号室、またの名を百怪対策室。

 いつものように僕はインターホンを押す。

 キン、コーン。

 いつもの呼び出し音に続いて、未だに慣れないクリシュナさんの声が聞こえてくる。

 「どちら様でしょうか? 姓名をお告げください」

 「コダマです。笠酒寄も一緒です」

 「承知しました。鍵は開いておりますのでお入りください」

 クリシュナさんの対応は全く変化がない。録音の音声を聞いているかのようだが、この人(?)はこういう感じなのだということは分かってきているので、僕と笠酒寄はさっさと中に入る。

 靴を脱いで、いつものように一番手前の右側の扉、応接室のドアを開ける。

 一番目立つように配置されているテーブルと、向かい合うように配置されているソファ。

 その一つには長身痩躯のスーツ姿の銀髪紳士、ヘムロッドさんが難しい顔をして座っていた。

 はて? ヘムロッドさんがこんな顔をしているのは初めて見る。とは言っても、そこまで長い付き合いというわけでもないのだけど。

 「こんにちは、ヘムロッドさん、クリシュナさん」

 「お待ちしておりました、空木様、笠酒寄様」

 丁寧に一礼するクリシュナさん。相変わらずメイドみたいな服装をしているが、もはや気にならなくなってきてしまっている自分が怖い。

 そして、肝心のヘムロッドさんは難しい顔のままでテーブルに置いている手紙のようなモノをにらむように見ていた。

 「あの……ヘムロッドさん?」

 僕の再度の呼びかけで、ヘムロッドさんはやっと僕たちに気付いたようだった。

 「やあ、空木クン、笠酒寄クン、こんにちは。散歩はしてみているかな? 日本の風習はあまりよく知らないんだが、どうにも浮かれ気分が蔓延まんえんしているようだね。その割には皆やけに忙しそうだが」

 いきなり風刺気味の挨拶をするのは魔術師の礼儀作法か何かに含まれているのだろうか?

 「……はあ、まあ、そうですね」

 微妙に返答に困る挨拶っていうのは止めて欲しい。室長とは違った面倒くささがある。

 なんとも曖昧あいまいな返事をしてから僕と笠酒寄はソファに座る。

 ご丁寧なことにクリシュナさんがコーヒーを運んできてくれたので、丁重にお礼を言っておく。

 「なんか、難しい顔をされてるみたいですけど、どうしたんですか?」

 大抵はこういう時には厄介事が転がり込んでくると決まっているのだけど、訊かないことには始まらない。訊くも地獄、訊かぬも地獄な気がするが、覚悟が出来るだけ前者の方がマシだ。

 「ああ、そうだね。どうせこれも受けないワケにはいかないから二人にも話しておこうか」

 ぴらり、とヘムロッドさんはテーブルに置かれていた手紙のようなモノを上下反転させてから僕たちのほうに寄せてきた。

 〈百怪対策室への協力要請〉

 最初に書かれているその一文だけで送り主がわかってしまった。統魔だ。こんなお堅い役所みたいな文書が百怪対策室にやってくるときには統魔が関わっている。

 しかも、協力要請ときたものだ。ずいぶんな上から目線じゃないか。室長をあんな目に遭わせておいて、どのつら下げてこんな文書を送ってきたのだろうか?

 ふつふつと怒りが湧いてくるのがわかる。

 それは隣の笠酒寄も同じのようだった。っていうか、見えている指先に獣毛が生え始めている辺り、笠酒寄のほうが怒っているのだろう。あんまりにも感情が昂(たか)ぶってしまうと、たまに笠酒寄は人狼を制御しきれなくなってしまう。

 「落ち着けって笠酒寄。いまここで暴れてもしょうないだろ」

 「……うん」

 笠酒寄が元気なく返事をすると、指先を覆っていた獣毛が溶けるように消えて、元に戻る。

 改めて、僕は統魔からの要請書のほうを見ようとするが、なんとも難解な文字列が並んでいるので非常に読みにくい。国語は苦手なんだ。っていうかこれ日本語じゃないから国語じゃないけど。

 がしかし、ヘムロッドさんから助けの手は差し伸べられた。

 「統魔からの要請の内容はだね、統魔が回収したいアイテムらしきモノがあるんだが、それに接触できそうにないから私達にどうにかしてくれ、という内容だね」

 なんだそれは? 

 「いや、ヘムロッドさん。統魔が回収したいアイテム『らしき』モノってどういうことですか? すさまじく意味がわからないんですけど」

 統魔はかなり巨大な組織だ。全世界に支部があるらしいし、日本にももちろん存在している。そして、一般社会にもある程度の影響力はあるし、魔術を一般社会から隠す、ということにもある程度は成功し続けている。

 それぐらいには強力な組織がどうにかできないものが僕たち、というか百怪対策室にはどうしようもない気がするんだけど。

 その疑問は笠酒寄も同じだったみたいだ。

 「あのあの、統魔ってそんなにしょぼい組織なんですか?」

 ぶっ込むなあ。一応はヘムロッドさんも最近まで統魔の最高評議委員だったというのに。

 しかしながら、ヘムロッドさんは特に気を悪くした様子もなく笠酒寄の質問に答える。

 「統魔の存在意義というというか、お題目は『魔術の継承と発展』だからね。そのためには魔術を使うわけにはいかないんだよ。それゆえに私……いや、百怪対策室にお鉢が回ってきたというところかな」

 いや、全然答えになっていない気がするんだけど……。

 と、そんな考えがどうも顔に出てしまっていたらしい。

 ヘムロッドさんは肩をすくめながら言った。

 「空木クンの考えはわかる。だがね、例えてみれば良いかな? 『木』というものを隠すために『森』を作るわけにはいかないだろう?」

 なるほど。

 魔術の痕跡を隠すために、魔術を行使していたら結局の所いたちごっこになってしまうということか。

 確かに、僕が知っている統魔の隠蔽いんぺい工作は現実的な、言い換えてしまったら常識的なものだ。

 情報操作が主なものではあるけど、きっとそのほかの工作活動も一般的な人間が行える範疇に収まっているのだろう。

 しかし、今回はその『一般的な』手段が通用しないということか?

 魔術を行使する必要が有るけれども、統魔としてはそれをやるわけにはいかないということなのだろうか?

 それって、単に百怪対策室ぼくたちに厄介事を押しつけているだけじゃないか。

 僕の心情としては受けたくない。

 統魔に対してはあまりいい印象がないのだ。もちろん、笠酒寄だってそうだろう。

 ヘムロッドさんもそのへんがわかっているからこそ、こうやって難しい顔をしていたんだと思う。

 統魔という組織と、僕たちとの板挟みだ。

 室長あたりなら簡単に依頼を蹴っていたのかも知れないけど、現状の僕たちは結構まずい状態らしい。

 かろうじて、ヘムロッドさんの弟子という形で処分保留と言うことになっているのだが、それでも向こうとしては室長の関係者ということだけで拘束したいものらしい。

 ……どれだけ警戒されているのかという話なんだけど。

 それはさておき、目下の所考えないといけないのは統魔からの依頼だ。

 統魔でも手を焼くような厄介な案件。

 想像もしたくないが、どうせ巻き込まれるのは決定しているようなものだ。

 あまりヘムロッドさんに無駄な心労をかける必要はないだろう。

 「ヘムロッドさん、依頼を受けてください。もしかしたら室長の一件に関わりのあることなのかも知れないですから」

 隣でこくこくと笠酒寄が頷いているのがわかった。ちょっとだけうれしい。

 「……そうかね。君達がそう言ってくれるのなら助かる」

 何かを決心したような顔で、ヘムロッドさんは手紙を丁寧な動作でしまった。

 「で、一体どんな案件なんですか? 超凶暴な魔獣とかじゃないですよね?」

 バトル展開はこりごりだ。

 そんな僕に、ヘムロッドさんは目線を合わせずに言った。

 「目的のモノはね、殺生せっしょうせきだ」


 2

 殺生石。

 なんとも物騒な名前なのだけど、実際の所は付近から有毒ガスが生じているために近づいた鳥やら獣やらがバタバタ死んでしまったために名づけられてしまった、というどうにも締まらない由来だ。

 あくまで、一般的に知られている情報では。

 「殺生石の伝説ぐらいは聞いたことがあるだろう?」

 少なくとも僕はなかった。

 中学二年生を過ぎたぐらいの頃からそういった伝承やら伝説やらに関する興味はとんと失せてしまっていたからだ。

 まあ、結局の所そんなうさんくさい伝承やらと大して違わない事件に遭遇しまくっている辺り、僕の興味と運命は平行線上にあるらしいことぐらいはわかった。

 「ふむ。日本ではそれなりに有名な伝承だと思ったのだが、それでもなかったらしいね。私も情報収集が足りない」

 「いえ、空木君がそういうのに対してとってもひねくれたスタンスを取っているからだと思います」

 おい笠酒寄、僕を超絶にひねくれてるヤツみたいに言うのは止めろ。……多少はひねくれている自覚はあるが、堂々と隣で言われると僕もかちんと来るものがあるぞ。

 笠酒寄に睨むような視線を送るのだが、当人は涼しい顔をしていた。

 そんな僕と笠酒寄を見ながら、向かいのソファに座っているヘムロッドさんは何かを思案しているような顔をしていた。

 「えー、っと。まあ、僕が知らないのは分かって頂けたと思いますから、一応説明していただけませんか?」

 「わたしも知りません」

 笠酒寄、お前……自分も知らないのに僕をあんな風に評したのか? その図太さは尊敬に値する。

 「とは言っても、伝承がそのままなんだよ。ええと、なんと言ったかな……。そう、玉藻たまもまえ。いや、九尾の狐だったかな?」

 あ、それならなんとなく聞いたことがある。

 妖狐の中でも非常に強力な力を持った存在なんだっけ?

 まあ、僕の場合はゲームとか漫画からの知識になってしまうんだけど。それは笠酒寄だって同じだろう。

 「どうやら聞いたことぐらいはあるようだから詳細は省くが、その九尾の狐は存在したんだよ。当時の人間によって討伐されてしまったがね。その時に流した血を吸ったのが殺生石だ」

 そりゃあ、大層な怨念でもこもってそうだ。

 ぶっ殺される時の感情なんてものは知らないけど、相当なものであろうという推測ぐらいはできる。しかし、確か……。

 「九尾の狐が悪さをしてたのは相当に昔だった気がするんですけど」

 そう、少なくともつい最近ぶっ殺されてしまった、なんてことはないだろう。創作に登場するような九尾狐はどれもこれも、千年を経た妖狐みたいなキャラ付けだし。……キャラ付けとか考えてしまっている辺り、僕もだいぶ室長に毒されてしまっている気がする。

 「そうだね、おおよそ千年ぐらいは前の事だね」

 もし僕に前世があったとしても、それよりも昔だろう。一〇世紀前の事かよ。

 「そうだね……強力な妖怪、その断末魔の怨念を血と一緒に吸った石は未だに強烈な毒気を放っている。統魔の日本支部でもB指定の物品だね」 

 「はあ……でもそれなら統魔が管理しているはずなんじゃ?」

 僕の質問に対して、ヘムロッドさんは皮肉げな笑みを浮かべた。

 「統魔の歴史は魔術の歴史に比べてみたら非常に浅い。一応、日本には日本独自の組織があったのだけど、管理体制としてはあまりよろしいものじゃなかった」

 いやーな予感がしてきた。ずさんとか、いい加減とか、そういう単語は聞きたくない。

 「殺生石を管理していた組織は、無力化しようとしたんだろうね。殺生石を砕いてしまった。が、そんなもので拡散してしまうようなら苦労はしない。結果、砕かれた殺生石は管理が余計に難しくなり、持ち出しが容易になってしまう。あとはわかるだろう?」

 よからぬ事を考える人間はいつの世だっているものだ。興味本位で危険物を持ち出してしまうやつだっているだろう。統魔という組織があってもそうなのだから、コンプライアンスが未成熟だった昔のことなら尚更だろう。

 つうことは、持ち出されてしまった殺生石はけっこうありそうだ。そして、適当に売り払われてしまったやつの中には、一般人が所有することになってしまったものだってあるだろう。

 なるほど。今回の依頼とやらの原因が段々と見えてきた。

 どうやら僕の推測は当たっていたらしく、ヘムロッドさんは一回頷いた。

 「そう、今回の件は一般社会に出回ってしまった殺生石の回収なんだよ。しかし、統魔が介入するためには確信が必要になってくる。しかし、今回はそれが難しいらしい」

 なんだそれは? 

 世界中の魔術と魔術師を管理する団体である統魔に難しいことがヘムロッドさん個人で可能なんだろうか?

 いや、そもそも統魔が調査程度にてこずるのか? 魔術を使わないとしてもだ。

 どうにも難しい顔をしてしまっていたらしく、隣の笠酒寄が「大丈夫?」と言いながら僕の顔をのぞき込んできた。

 「大丈夫だよ。それよりも、ヘムロッドさん。統魔でも調査が難しいっていうのはどういうことなんですか? それって個人でどうにか出来るような問題じゃなくっているような気がするんですが」

 統魔の手にあまるような案件に、ヘムロッドさんならともかく、僕や笠酒寄が必要になってくるとは思えない。っていうか巻き込まれたくはない。絶対にろくな事にはならないだろうし。

 そんなことを考えていた僕の思考を読み取ったかのように、ヘムロッドさんは言った。

 「殺生石らしきモノを所有している人物は極端な人間不信らしくてね。非常に疑り深い性格に加えて、どうにも独善的な性格だそうだ。統魔の調査班が接触しても門前払いを食らってしまったらしい」

 えぇ……しょぼい。主に理由が。

 そんなもんでめげてしまうのか、統魔。

 いや、あまり強硬手段をとってしまうと色々と勘ぐられてしまう可能性があるのがまずいのか。統魔は魔術を一般社会からは隠し通すのが基本方針だし。

 と、なると。僕たちはその統魔でも手を焼く偏屈な人物に取り入っていかないといけないのか? またミッションの難易度が上がってしまった気がする。やめてくれ。

 無理難題をふっかけられているのはわかっているのだが、それでもやらないことには始まらない。なんとも理不尽だ。

 「……ヘムロッドさんには秘策とかありますか? 僕はそういう懐柔には不向きな性格をしてますし、笠酒寄のほうは口が達者というわけでもないので、ヘムロッドさんが頼りになってしまいます」

 クリシュナさんに関しては言わずもがな、だろう。大体見た目が怪しすぎる。……男子のくせにポニーテールにしてる僕が言えた話じゃないのだろうが。

 「任せたたまえ。伊達や酔狂でヴィクトリアと一緒に学んだわけじゃない。白林檎のその第一期生の鮮やかな腕前を披露しようじゃないか」

 ヘムロッドさんは非常にいい笑顔でそう言ってくれたのだが、『白林檎の園』という単語で、すでに僕には嫌な予感しかしなかった。

 僕が一生足を踏み入れないと誓った魔境。その卒業生というだけで僕が警戒するには十分だろう。っていうか、当然のように第一期生なのか。



 さて、統魔からの依頼を受けると決めてからの僕たちの行動は早かった。準備が必要なのはヘムロッドさんとクリシュナさんだけなので、当然と言ったら当然なのだけど。

 クリシュナさんが運転するクルマに四人で搭乗し(僕と笠酒寄は後部座席だ)、殺生石があるという話の場所に向かったのだった。

 クルマをぶっ飛ばしてわずか一時間。

 わりと近い距離にあったのでまだ日が昇っているうちに到着することが出来た。

 田舎町なので、クルマを停める場所には困らなかった。

 クルマから降りると、地図も見ずにヘムロッドさんとクリシュナさんは歩き出す。その後ろから僕と笠酒寄は付いていく形になった。

 っていうか、クリシュナさんはまた『あの』チェロケースを背負っているので非常に不安だ。その中身を突きつけたり、ぶっ放すことがヘムロッドさんの秘策ではないことを祈る。

 ……通報されてしまったら逃げ切れる自信は無い。元々外国人のヘムロッドさんやら戸籍のないクリシュナさんはどうにでもなるだろうが、純粋日本人である僕や笠酒寄は困る。指名手配なんぞされてしまったら一巻の終わりだ。

 この年で犯罪者なんぞになってしまったら死んだおばあちゃんに顔向けできない。

 そんな不安にさいなまれてしまっている僕なんぞ何処吹く風、とばかりに笠酒寄のヤツは上機嫌だった。

 さっきからクリシュナさんと一緒にその辺の風景を自撮りしていやがる。無駄に女子力を発揮するんじゃない。っていうかクリシュナさんも一緒になってやらないでほしい。 

 そんな妙な状態で十数分ほど歩いた頃に、僕たちは大きな日本屋敷の前に立ち止まった。

 〈間沼〉

 立派な表札には堂々と書いてあった。

 うっわー。面倒くさいニオイしかしない。ヤクザとかそっち関係じゃなさそうだけど、こういう由緒正しい感じの家は高校生には敷居が高い。

 が、ヘムロッドさんには微塵もそんなものは存在していないようだった。

 堂々としたたたずまいの門の脇にあるインターホンを迷うことなく押した。

 キン、コーン。

 百怪対策室と同じ音なのだろうが、どことなく品格を感じさせるのは門構えの違いか。

 ぷつ、という音の後に家の人であろう音声が聞こえた。

 「はい、間沼まぬまでございます」

 上品そうなご婦人の声だった。

 「こんにちは、×××××」

 インターホンに顔を近づけて、ヘムロッドさんは挨拶をした後に何かを言ったのだが、僕には聞き取れなかった。

 「……はい、御用の向きは?」

 「ご主人に会わせて頂けますか? ちょっとお伺いしたいことがありまして」

 「……はい、少々お待ちください」

 ぷつり、という音と共に、インターホンは沈黙した。

 いやいやいやいやいや。待った。

 「ヘムロッドさん、今、魔術を使いませんでしたか?」

 「使ったよ」

 あっけらかんと答えてくださる。

 「いやいや! 『使ったよ』、じゃないですよ! まずいじゃないですか⁉ 何使ってるんですか⁉」

 統魔にバレたらどうなるのかわからない。

 っていうか統魔の依頼で、統魔の方針に反することをやらかすとは思っていなかった。

 が、ヘムロッドさんは平然としていた。

 「空木クン、こういうのはね、バレなければいいんだよ」

 うっわ、悪い大人だ。 

 思わず僕は頭をかきむしってしまうが、あまり済んでしまったことを悔やんでもしょうがないだろう。っていうか、笠酒寄のヤツも平然としているのだし、僕の方がおかしいのか? クリシュナさんは微動だにしていないし、やっぱり僕がおかしい気がしてきた。

 ああ、もう!

 いっそのことヤケになってしまいたいぐらいの心境なのだが、生憎と今までつちかってきた僕の性分がそれを許してくれなかった。世の中を渡っていく自信がガリガリと削れていく。

 なんでこんなに僕が苦悩しないといけないのだろう。世は不条理だ。

 「空木君?」

 ああ、笠酒寄。お前はあんまりその辺は悩まなさそうで良いな。うらやましい。

 妙な動作をしている僕を心配している笠酒寄にまで、そんな風に噛みつきたくなってきてしまった。なんてこった。

 深呼吸を、する。

 平静を保てない時には一度深呼吸をすることだ。

 深く吸って、深く吐く。

 ゆっくりと肺の中の空気を入れ換えるイメージで。

 数度、繰り返しているうちに多少は平静を取り戻せた。

 「……心配してくれてありがと、笠酒寄」

 無理矢理にでも笑ってみせる。

 けっこう、笠酒寄はこういう時には敏感だ。心配をかけてしまったのはなんとも不甲斐ない。

 「お腹痛いの?」

 違う。

 お前、ここでその勘違いはやめてくれよ。

 「いや……まあ、いいよ」

 結局、僕が脱力しただけで終わってしまった。



 3


 からり、と戸が開いて、姿を現したのは初老の男性だった。

 それはいいのだが、異様なのはその顔貌かおかたちだった。

 頬はこけ、目は落ちくぼみ、肌の色も青白い。

 そんな中で、ぎらぎらとした光を放つ双眸そうぼうだけが異様に目立っていた。

 病気……いや、『怪』が原因か?

 見た感じ、僕たちにどうにかしてもらうことよりも先に病院を勧めた方がいいような気がしたのだが、こちらの目的は殺生石なのだからそっちを優先することにしよう。

 心は痛むのだが仕方ない。

 「こんにちは、ご主人。私はヘムロッド・ビフォンデルフと申します。こちらの三人は私の助手です」

 うやうやしく頭を下げるヘムロッドさんに従って、僕たちも頭を下げる。

 「私は間沼源次げんじといいます。ご足労頂いたところ悪いのだが、生憎と私は忙しい身なので帰っていただけ……」

 「まあまあ、そう言わずに、×××××」

 再びのヘムロッドさんの魔術によって、間沼さんの目がとろんとしたものになる。

 なんだこの魔術。絶対に危険なヤツだろ。っていうかヘムロッドさんが使えるってことは室長が使える可能性も高い。……警戒すべき事が増えてしまった。くそ。

 「私は……そうですね、旅の占い師のような事をやっているのですが、この家からはなんとも不吉な気配を感じてしまいまして。少しばかりお役に立てたらと思って声を掛けさせていただきました」

 「そう……ですか」

 聞いただけで追い払いたくなる文言を並べ立てられても、受け入れてしまう見るからに病気の初老の男性。僕たちはいつの間に詐欺師集団になってしまったのだろうか? 警察が見たら速攻で僕たちを拘束するだろう。

 「もし良かったら家の中を拝見させて頂けませんか? そうしたら原因になっているモノがわかるかもしれません。どうも、ご気分だけでなく、お体の様子もおかしいようですし、お役に立つ自信はあります」

 「……なるほど。……では、中へどうぞ」

 足取りはしっかりしている状態なのだが、それでもどことなく心配になる様子で間沼さんは母屋のほうに向かっていた。

 これで説得されてしまうのだったら、統魔の調査班ぐらいには魔術の行使を認めてしまって良いと思うのだけど、そこは統魔にしかわからない線引きがしてあるのだろう。理解はできないが。

 「さて、行こうか。殺生石を探しに」

 飄々ひょうひょうとしか感じで言うのは止めて欲しいのだけど、そんな願いが聞き届けられることはないのだろう。あんまり考えると変な風に自問自答することになってしまうので、僕は何も考えないことにして、黙ってついていった。

 


 「ふむ。建物内じゃないね」

 屋敷の中に入ってから、ぼそりとヘムロッドさんはそう呟いた。

 「わかるんですか?」

 横に並んで、僕は尋ねる。

 「ああ。殺生石なんてモノがあったら瘴気がもっと濃いはずだ。しかし、屋敷内はほとんど正常。となると……外だろうね」

 ほとんど、というのは個人的にはひっかかるのだが、今はそういう細かい部分を詰めている場合じゃない。一刻も早く、この積層的に増えていく罪状から離れないといけないだろう。

 というわけで、僕はとっとと殺生石を見つけるためにヘムロッドさんに促す。

 「だったら、早く外に行った方がいいんじゃないですか? 屋敷内でうろうろしてても埒があきませんよ」

 「そうだね。ご主人、いえ、間沼さん。私の見立てになってしまいますが、庭が怪しいかと」

 ヘムロッドさんの呼びかけに対して、間沼さんはびくりと身を震わせた。

 ……なんかあるって言ってるようなもんだ。

 「……そう、ですか。やはりわかるお人にはわかるようですね」

 振り返った間沼さんの顔は、なぜかほっとしているように見えた。

 嘘も方便というか、下手な鉄砲も数打ちゃ当たるというか、言ってみるもんだ。

 「ご案内します。私は信じないのですが、家内は非常に気にしてましてね」

 その独白にも似た言葉は、まるで自分に言い聞かせているかのようだった。



 間沼さん宅、庭。正直、広すぎて庭というよりも公園の一角みたいになってしまっているのだが、この場所に殺生石があるのだろうか?

 僕はヘムロッドさんの顔を横目で見る。

 いつも通りの表情に見える、だろう。よく知らない人には。

 だが、少なくとも僕には多少緊張が走っているのがわかった。いや、緊張と表現するよりも警戒しているというほうが正確か。

 「……空木君、ここ、なんか嫌だよ」

 珍しく、笠酒寄のやつがしおらしい感じで僕に寄り添ってきた。

 普段の様子からは全く想像できないのような態度だが、女心と秋の空と言うぐらいだし、気にしないほうが……とはいかない。

 なぜならば、僕も感じているからだ。背中に走る悪寒を。

 別におぞましい形態をしている庭、というわけではない。しかしなんというか、寒気を覚えるぐらいに空気が禍々まがまがしいのだ。

 どうも、殺生石とは限らないが『なにか』があるのは間違いないようだ。

 僕も笠酒寄も、そしてヘムロッドさんまでもが単なる勘違いをしている、という確率は考慮しなくてもいいぐらいに低い。

 っていうかそんな事態になってしまっているのならば、確実に何かしらの『怪』が関わってくるだろうし。

 敷き詰められている玉砂利を踏み鳴らしながら、僕たちは瘴気が濃い方を目指していく。

 嫌な感じが強くなっていく方向に歩いて行けば良いのだから簡単だった。

 そうして、枯山水になっている一角に到着する。

 いくつかの岩が並べられている中の一つが、それだった。

 黒く、不思議につやのない岩肌。形は特別に奇妙というわけではない。

 しかし、見てわかるぐらいにはその岩からは瘴気があふれ出していた。

 その岩の周りだけ、どす黒くなっているように見える。おそらく、そんなことはないんだろう。僕が感じてしまっている嫌な感じが反映されてしまっている結果、このように見えてしまっているのだと推測は出来る。隣の笠酒寄も同じみたいだし。

 「……これ、でしょうか?」

 「だろうね。詳細は調べてみないとわからないけれど、可能性は非常に高い。というか、瘴気の発生源はこの岩みたいだし、とりあえずは回収しないとまずい」

 ヘムロッドさんに確認するように呟いたのだが、やはりこの岩で間違いないようだった。

 なんで今まで放置されていたのかは気になってしまうのだが、サンジェルマンの石みたいに偶然紛れ込んでしまった、とかだろうか。

 いや、そういうことに気を回すのは後からでいいだろう。

 とっとと回収するために間沼さんに許可をもらうのが先決だ。

 ちらり、と僕は間沼さんを見る。

 殺生石(らしき)石を見る間沼さんの目には、恐怖が浮かんでいるのがわかった。

 信じていない、とは言っていた。

 しかしその様子を見るに、間沼さん自身もこの瘴気を感じていたとまでは行かなくとも、どことなく嫌な予感を覚えていたのは事実なのではないだろうか? 家内は信じている、ということは、間沼さん自身は信じたくないという心情の現れだったのだろうか? そうであってもおかしくないと思う。

 単なる岩に人間が恐怖しないといけないだなんて、僕も百怪対策室に関わる前には思いもしなかった。自分が知らない、知りたくもない世界が存在していることを知ってから、初めて信じる事が出来るようになったのだ。

 知識、いや認識が広がったことで、危険を正しく認識することが出来るようになったのだ。

 それが、間沼さんにはまだない。いや、一般人には必要ない。それゆえに、現在の間沼さんはわけのわからないモノを抱える羽目になってしまった。

 餅は餅屋に。『怪』は百怪対策室に、と言いたいところなのだが、今回は統魔に任せることになってしまうのだろうが。それでも、間沼さんの悩みが解決するようならそれでもいいと思える。

 ……そもそも統魔が管理すべき物品なのだろうし。

 そこまで考えて、僕はあることに気付く。

 この殺生石、どうやって運んだらいいんだ?

 破壊するというのはないだろう。なぜなら殺生石は砕いても毒気が弱まることはなかった。つまり、運びやすくはなるが、全部回収することは余計に難しくなってくる。

 なら、このまま運ぶか? 僕や笠酒寄、そしてクリシュナさんの筋力なら運べないこともない大きさだ。だが、こっちも問題は残る。

 少年少女が、成人男性でも数人がかりで持ち上げるような大きさの岩を運んでしまったら非常に悪目立ちする。っていうかこの大きさだと重機を用いるんじゃないだろうか? 

 その辺を突っ込まれてしまった場合は取り繕い様がない。情報操作は統魔の得意とする処理なのだろうが、生憎と百怪対策室にはそういうノウハウはない。室長ならあるのかもしれないが、少なくとも僕にはない。

 さて……僕はすでに手詰まりなのだが、ヘムロッドさんはどうするつもりなのだろうか?

 「間沼さん、この石が元凶ですね。貴方が感じていらっしゃる嫌な感じはこれが原因です。解決は簡単。取り除いてしまったらよろしい」

 淡々としたヘムロッドさんの声が聞こえた。

 隈がくっきりと浮かんだ目を向けて、間沼さんはヘムロッドさんの言葉を聞いていたのだが、口の端を嫌な感じに曲げた。

 「……そう、ですか。なるほど、やはり貴方はなにかをご存じらしいが、私には未だに信じることが出来ないのですよ。このようなモノが存在しているという事実を。人間がたんなる石ころごときにおびえないといけない、などということは」

 「それは貴方がご存じないからだ。知らないということは、正確な対処を妨げる。貴方はこの石に対してどうしていいのかわからない。そうでしょう?」

 あくまでヘムロッドさんは平静に問う。

 事務的にさえも感じられてしまうようなその口調は、下手をすれば相手の神経を逆なでしかねないようなものだった。しかし。

 「……知らない。そう、なのでしょうね。私はあの石についてわからないことばかりですよ。ただの石にしか思えないのに、確実に私は生物的恐怖を覚えている。なんとも不本意なことに」

 漏らすような間沼さんの言葉は、きっと真実だったのだろう。その証拠に、自分が殺生石に対して恐怖を覚えていることを吐露とろした間沼さんはなにかを吹っ切った様に見えた。

 「そうですね。貴方は知らない。そして知る必要もない。不必要な知識は身を滅ぼすだけです」

 「……なら、私はあの石に一生おびえていろと?」

 「いえ、私、ヘムロッド・ビフォンデルフにお任せください。我々の仕事はこういうモノの対処ですので」

 胸に手を当てて、そう言うヘムロッドさんは非常にうさんくさかったのだが、その一方でなんとかしてくれそうな感じがしていた。

 間沼さんはしばらく悩んでいたのだが、結局ヘムロッドさんに全てをまかせることにした様だった。 

 頭を下げて、言った。

 「ミスター・ビフォンデルフ、お願いする。あの石をどうにかしてくれ。私を、家内を解放してくれ」

 「うけたまわりました、ミスター・間沼」

 契約は成立した。 

 この場合、契約対象が悪魔じゃなくて魔術師ではあるのだが、少なくとも室長と契約するよりはマシだろう。

 

 4


 「では少しの間眠っていただきます。その間にあの石を処理してしまいますので。ご心配なく。起きたときには全てが終わっていますよ」

 柔らかな微笑みを浮かべて言うと、ヘムロッドさんは空中に妙な図形を描いた。

 「眠りもたらす精霊よサンドマン

 まるで糸を切られた操り人形のように間沼さんが倒れそうになる。だが、クリシュナさんが見事に支えて、そのままお姫様抱っこに移行した。

 ……普通は女性が男性にされるモノだと思うのだが、この場合は緊急事態だからいいだろう。っていうか初老の男性がお姫様抱っこされている絵は中々シュールだな。

 「クリシュナ、間沼さんをどこか横になれる場所に運んでおけ」

 「承知しました、マスター」

 短く返答すると、クリシュナさんはそのまま間沼さんを抱えてどこかに行ってしまった。

 これで人払いはOKというわけだ。犯罪臭がするけど。

 となると、これからこの殺生石を運んでしまうのだろうか? まあ、そうなるんだろうけど。

 いざとなったら、僕の能力で運んでしまってもいいだろうし。……その場合、僕はかなりの距離をとって運ぶ安全策をとらせてもらう。正直、近づきたいモノじゃないからだ。

 と、そんな風に僕が考えていると、ヘムロッドさんはおもむろにジャケットのポケットから携帯電話を取りだした。

 そのまま番号を呼び出し、コールする。

 「ヘムロッド・ビフォンデルフだ。所有者は無力化した。回収班を回して欲しい」

 いきなり目的を告げると、そのままいくつかのやりとりを経て何かしらの決定が成されてしまったらしい。

 携帯をポケットにしまうと、ヘムロッドさんは小さく息を吐いた。

 「……あの、ヘムロッドさん? 一体何がどうなっているんでしょうか?」

 「うん? ああ、統魔の回収班を回してくれるように頼んだんだよ。瘴気への対策はしていないからね。回収の専門家に任せるのが一番だろう」

 完全に肩すかしを食らってしまった。

 てっきり、僕や笠酒寄がふうふう言いながら殺生石を運ぶ事になると思っていたのだが、そんなのは杞憂だったらしい。っていうかはじめっから言っておいてくれ。そうしたら無駄に緊張感を持つ必要はなかっただろうに。

 「あくまで統魔が困っていたのは魔術を用いることなく間沼さんに上手く接触できないことだからね。回収するのは慣れたものだから心配する必要はないよ」

 ヘムロッドさんは涼しい顔でのたまう。

  おお……もう……なんだこれ。

 くっそ。なら僕が来る必要ないじゃないか。っていうかヘムロッドさん一人で十分すぎたじゃないか。なんならヘムロッドさんとクリシュナさんでやってきて、僕と笠酒寄はとっとときたるクリスマスに備えてデートプランでも練っていたほうがいくらかは有意義な時間だったんじゃなかろうか? 

 そんな考えが浮かんでくるぐらいには、がっくりきた。

 「空木君、そんなに気落ちすることはないよ。何事にも備えておくことは大事だからね。私とクリシュナだけだといざという時の戦力としては頼りない。キミ達は用心棒のようなものだ」

 いや、室長と同期の魔術師なんかに護衛が必要だとは思えない。

 はあ。しかし、今回は室長の一件に関しての手掛かりはなさそうだ。

 焦りは禁物だということはわかっているのだが、それでも一刻も早く室長を解放してあげたい。恋人の形見を持つことも許されないなんていうのは、あまりに不憫ふびんだし、それを利用した『何者か』にもそれなりの代償を払ってもらいたい。

 気が滅入ってくる。しかし、それでも僕はそう決めたんだし、笠酒寄ともそう誓った。

 だから、僕はやる。

 そんな風に決意を新たにしたり、気分の悪そうな笠酒寄の調子を尋ねたり、ヘムロッドさんに室長のやらかしたエピソードを聞いていたときだった。

 ざくざくざくざく、という複数人の足音が、した。

 一気に全身が警戒モードに入る。

 いつでも能力を発動出来る状態で体ごと振り向く。

 そこにいたのは六人の男女だった。

 一見すれば、ごく普通の格好をした若い男女のグループというように見えただろう。

 しかし、僕にはわかっていた。こいつらは、一般人じゃない。

 なんせ、いきなり間沼さんの庭に侵入してきていることもそうだが、見るからに高校生の男女と、老紳士に、メイド服っぽい格好のチェロケースを背負っている若い女性、なんて集団を見ても全く動揺していない。

 こんなへんちくりんな集団がこんな立派な屋敷にいたらそれなりにいぶかしむはずだ。それなのに、こいつらにはそれが見られない。

 つまりは、そういう『変なの』に慣れているということだ。

 「ヘムロッド・ビフォンデルフさんですね。統魔の回収班の者です」

 六人の男女の先頭に立っていた鋭い目つきの男性が頭を下げながらそう言ってきた。

 確認するように、僕はヘムロッドさんの方を見る。

 「……ふむ。そうだね、私がヘムロッド・ビフォンデルフだ。キミ達が回収班かな?」

 平常通りの調子でヘムロッドさんはそう尋ねる。

 「はい。殺生石の回収班です。このたびはお手数をおかけしました」

 対するリーダー格らしい男性も穏やかなものだ。

 どうやら僕の早とちりだったらしい。どうにも室長の一件があって以来、統魔に対して過剰に反応しすぎているきらいがある。

 「では殺生石の回収に入らせていただきます。後は我々にお任せください」

 一歩、リーダー格の男性が踏み出した瞬間だった。

 「待ちたまえ」

 制するようにヘムロッドさんが声を上げた。

 「どうかなさいましたか? 我々に落ち度があったのならば謝罪しますが」

 「いやいや、別に落ち度はないさ。しかしね、一つ気になることがあるんだ」

 ポケットから携帯を取り出してヘムロッドさんは不敵に微笑んだ。

 「気になること? なんでしょうか?」

 「なぜキミ達が来たのか、だよ。回収が目的ならば、なにもキミ達のような存在がやってくる必要はないと思うんだけどね。あまりにも、戦力過剰だ」

 きりきりと空気が絞られているかのように、息が詰まってくる。 

 統魔の回収班を名乗る男女とヘムロッドさんによって、この場の緊張感はどんどん高まっていた。

 どういうことなんだ? この人達は統魔の回収班じゃないのか?

 というか、ヘムロッドさんは携帯なんて取り出してなにをするつもりなんだろう?

 「キミ達の姓名を教えてくれないかな? 今、統魔に確認を取ってみる」

 何とか体が動いてくれたのは僥倖ぎょうこうとしか言いようがない。

 ヘムロッドさんが携帯で統魔の番号を呼び出そうとした瞬間、リーダー格の男性がすさまじい俊敏さで突っ込んできたのだった。

 まるで獣のようなその突進を躱すために、僕はヘムロッドさんのジャケットを掴んで大きく横に跳んだ。

 布地が破ける感触があったのだが、今だけは容赦して欲しい。長身ではあるが痩せ型のヘムロッドさんがあれを食らってしまったらひとたまりもないだろう。

 絡まるようにして、僕とヘムロッドさんは玉砂利の上を転がる。くそ、制服に思いっきり泥が付いてしまった。これは後で洗濯だな、などといったどうでも良い考えは隅に追いやって戦闘モードに頭を切り替える。

 「ヘムロッドさん! 大丈夫ですか⁉」

 「ああ、大丈夫だよ。ジャケットは新調しないとダメだろうけどね」

 ……経費で落ちることを祈る。

 「笠酒寄! フォロー頼む!」

 気付いては居るだろうが、一応は笠酒寄にも声を掛けておく。

 「うん! わかった!」

 元気の良い返事が返ってきたのを確認したら、僕は能力を発動させるために突進してきた男性を視界に入れようとして……。

 「がっ!」

 派手に吹っ飛んだ。

 が、流石の吸血鬼の回復能力。吹っ飛んでいる最中にすでに再生が始まってしまっている。

 地面に削られながらも、僕はなんとか体勢を立て直す。

 そして、僕の目に映ったのは、人間じゃなかった。

 直立した虎、というか、人間と虎の間のような生物。

 獣憑きライカンスロープだ。

 笠酒寄が人狼ワーウルフなら、こっちは人虎ワータイガーといったところか。

 ソイツは大きく咆えた。

 まずい!

 僕の嫌な予感は的中したようで、後ろに控えていた残りの五人も戦闘態勢にはいる。

 二人はトカゲのような姿に変わり、一人はリーダー格と同じ人虎に。

 残りの女性二人は変身せずに構えただけだった。

 くそ、少なくとも姿が変化した奴らはまずい。

 人狼状態の笠酒寄と戦ったことがある僕にはわかる。獣憑きの運動能力は人間じゃあ絶対に敵わない。なり損ない吸血鬼の僕でも、純粋な身体能力では劣る。

 それが最低でも四人。変身していない二人は変身できないのか、それともしないのかわからないけど、人数は向こうが勝っている。

 直接に殴り合ったら、僕たちに勝ち目はない。

 なら、僕の能力で速攻を仕掛けるしかない!

 だが、それすらも遅かった。

 すでに、ヘムロッドさんに手が届く距離にいた人虎がその膨大な破壊力を秘めた豪腕を振り上げたところだった。

 だめだ、間に合わない!

 「どきたまえ」

 目がくらむほどの、いや、目が潰れかねない光が、ヘムロッドさんから発せられた。

 防御し損なってしまったので僕も目をやられてしまったのだが、もっと近くにいた人虎はひとたまりもなかったのだろう。悲痛な咆哮が聞こえた。

 僕の視力が回復したとき、すでにヘムロッドさんは人虎のそばにはいなかった。

 少しばかり距離をとった場所で、クリシュナさんと一緒に悠然ゆうぜんたたずんでいた。

 「空木クン、笠酒寄クン、こいつらは統魔の者じゃない。おそらくは何らかの目的で殺生石を横取りしようとする勢力だ。どうやら統魔の回収班はすでに壊滅しているだろうね。……ふん、統魔に肩入れする気もないんだが、拘束しないとならないだろう」

 言われるまでもない。僕と同じように光に目をやられていた笠酒寄も復活したようだし、こっちの戦力はこれで全部だ。

 なら、あとはやるしかないじゃないか。

 目の前にいるやつらは何かしらの情報は持っているだろう。もしかしたらそれは、室長をはめたやつにつながる情報なのかも知れない。

 後ろでまとめている髪が浮かぶのがわかった。

 「全員、殺せ」

 リーダー格の人虎の号令で、敵は全員動き出した。

 

 5


 変身している人虎とトカゲ人間が突撃してくる。

 計四人。こっちも四人だから戦力的には同等に思えるようだが、ヘムロッドさんとクリシュナさんの格闘能力は未知数だ。っていうか、見るからに向いてないだろう。

 「笠酒寄、足止め頼む!」

 「おっけー! ひっさーつ!」

 人狼全開の笠酒寄が突進してくる四人に向かう。

 一対四。しかも笠酒寄は人狼とはいえ、格闘訓練を積んでいるというわけじゃない。結果は火を見るよりも明らかだろう。……僕がいなけば。

 敵の四人が笠酒寄を迎え撃つために足を止めた一瞬を僕は見逃さない。

 狙いはリーダー格の人虎。

 べきごぎぼぎん!

 なんとも耳障りな音と共に人虎の両足がひどいことになる。

 目にも留まらぬ早さで移動されてしまったらどうしようもないが、捉えてしまったらどうにでもなる。笠酒寄とのバトルからの教訓だ。

 絶叫。

 両足が使い物にならなくなってしまった痛みは僕には想像も出来ないが、すさまじいものだったのだろう。振り絞るような咆哮と共に片方の人虎は前のめりに倒れた。

 「ていやー!」

 そして、残りの三人が動揺したその一瞬で笠酒寄はすでに距離を詰めてしまっている。

 体が動く三人は辛うじて人狼キックを避けられたのだが、倒れてしまっている人虎はどうにもならない。

 もろにその凶悪な一撃を受けてしまった人虎は、声も上げることが出来ないままに地面に埋められてしまった。

 ……あれじゃあ両足が再生しても戦線復帰は厳しいだろう。なら後の三人にしばらくは集中できる。ナイス笠酒寄。

 「次頼む!」

 「りょーかい! まっさーつ!」

 かけ声が物騒なのは突っ込まない。今は戦闘中だし。

 笠酒寄は残っている人虎のほうが厄介だと判断したのか、それともトカゲが嫌いなのかはわからないが、人虎のほうに向かった。つまりは、残りのトカゲ人間は必然的に僕に向かってくる。

 「シャアアァァァァア!」

 ヘビの威嚇のような声を上げて二人のトカゲ人間が向かってくる。だが、こんなのにくらべたらキスファイアのほうがまだ恐ろしかった。更に言うならこの程度のスピードでは僕の視線を切ることはできない。相手の能力を知らないということは非常に危ういことだと身を以て教えてくれた。

 「空木様、伏せてください」

 感情を感じさせないクリシュナさんの声が聞こえるのと同時に僕は玉砂利の上に伏せていた。

 「七・六二ミリ非殺傷用弾頭、ご堪能ください」

 パダダッ! パダダッ! パダダダダダダダダダダッ!

 最初の三点バーストで正確にトカゲ人間に命中させて、動きを止めてから確実に連射を叩き込んでいく。

 今回はそんなに長時間の連射じゃなかったので弾切れは起こしていないのだろうが、それでも弾丸をしこたま食らったトカゲ人間達は声も上げずに失神した。

 ん? 失神?

 そう。肉片にジョブチェンジしてしまっても不思議じゃないぐらいの弾丸を食らったはずのトカゲ人間二人には特に外傷もなく、立ったままで気絶しているようだった。

 「失神の魔術を物質化させた特製の弾丸です。ヴィクトリア様謹製でございます」

 ……なるほど。こんな弾を作るのは室長だろうな。

 まあ、無力化できたのだからよしとしよう。室長が製作したモノならしこたま性質たちが悪い可能性はあるだろうが、効果はてきめんだろう。

 そして、笠酒寄の方も見事なアッパーが人虎の顎に決まっていた。

 人虎の巨体が三メートルも縦にぶっ飛んだのだからその威力や推して知るべしだろう。

 ざしゃり、と派手に玉砂利を跳ねさせて人虎は落下した。……ぴくりともしないところを見ると、死んでしまったんじゃないかと心配したくなってしまうが、この程度でくたばるようなら僕は笠酒寄の時にあんなに苦労はしなかっただろう。

 つまり、人虎はまだ生きてはいるが復帰には時間がかかる。

 パダダッ!

 今し方、トドメのように打ち込まれた特製弾丸のおかげで更にしばらくは目を覚まさないだろう。

 なら、残りを始末するだけだ。

 未だに変身もせず、魔術を行使するでもない二人の女性に目線を移す。

 わずかな時間で数的優勢は逆転してしまった。

 こっちは弾薬の消耗ぐらいで、体力もまだ有り余っている。

 対して、向こうの戦力は単純計算でも三分の一だ。

 伏せた状態から立ち上がって、僕は残っている二人に宣告する。

 「投降してください。僕もあまり女性を傷つけたくはないんです」

 大きめの声で言ったから聞こえなかったということはないだろう。

 が、反応は冷たいものだった。

 「ふうん。確かにそっちは中々やるけど、こっちはもう勝ってるんだよ」

 未だに自信満々なのは一体なぜなのかという疑問はあるのだが、交渉が決裂してしまった以上、僕がやることは一つだけだ。

 ぶわり、とまとめている髪が浮くのがわかった。

 「AaaaAAaaAAAaaaaaaaaaAaaAaAaaAAッ!」

 二人のうちの一人、長い黒髪の女性が突如すさまじい大音声で叫んだ。

 声こそデカいが、なんてこともない叫び、だったはずだった。

 がくり、と膝から力が抜ける。

 なん、だ?

 何かの攻撃だったのか? 

 いや、魔術だっていうのならばヘムロッドさんやらクリシュナさんが警告しないはずがない。二人からは何の警告もなかった。

 未だに、悪夢のような叫びは続いている。

 まずい、視界までかすんできた。

 なりそこない吸血鬼の僕でもこの状態なんだ。人狼の笠酒寄や、ゴーレムのクリシュナさんも怪しいが、ヘムロッドさんはもっと深刻だろう。

 なんとか動いてくれる首を無理矢理に動かして、ヘムロッドさんの様子を伺う。

 「ふむ。生物に対しての殺傷……には至らないものの、悪影響、か。叫びを起点として発動することといい、片方はバンシーだな」

 すげー普通にしているヘムロッドさんとクリシュナさんがいた。

 なんでだよ⁉

 クリシュナさんはともかくとして、ヘムロッドさんはおかしいじゃねえか⁉

 くそ、問い詰めたい気分ではあるのだが、今はそんな場合じゃない。この叫び声をどうにかしてもらわないと、僕も笠酒寄もやばい。

 殺傷には至らないとヘムロッドさんは言っていたが、現在進行形で頭がぐわんぐわんする。

 この調子だと気を失っても不思議じゃない。

 「ヘム……ロッド、さん……どうにか……」

 なんとか声を振り絞る。

 「ん? ああそうか。一応は空木クンにも有効か。仕方ない、無力化しようじゃないか。……クリシュナ」

 「はいマスター」

 パダダッ!

 ヘムロッドさんの呼びかけで、情け容赦のないクリシュナさんの弾丸がバンシーに襲いかかる。

 が、その弾丸は命中しなかった。

 具体的に言うと、残っていたもう一人の女性がバンシーをひっつかんで躱したのだった。

 嘘だろ⁉ 銃弾ってよけられるものなのか?

 だが、そのおかげでバンシーの叫びは中断された。

 すぐさま元通りにはならないが、それでもかすんでいた視界は元に戻る。

 「笠酒寄! 大丈夫か⁉」

 「うーん、……だめ」

 呼びかけたが、だめそうだ。

 聴覚に優れる人狼の笠酒寄は僕よりも影響が強かったと見える。長所が仇となってしまった。

 ま、視界が回復してくれたのなら僕がどうにかできる。

 銃弾を躱せても、視線を完全に切ることはできまい。 

 三度みたび、僕は能力を発動させるために集中する。

 しかし、結局僕の能力は不発に終わった。

 黒い、霧のようなものが発生し、視界を遮ってしまったのだ。

 (なんだこれ⁉)

 霧を発生させているのは、未だに能力が不明の女性だ。

 その体から、真っ黒な霧がすさまじい勢いで発生していた。

 だめだ。僕の能力は完全に視線が通っていないと発動できない。ちょっとでも邪魔されてしまうと不発に終わってしまう。

 となると、頼りになるのはクリシュナさんだけだ。

 パダダダダダダダダダダッ!

 そのくらいのことはお見通しだったらしく、クリシュナさんは躊躇(ためら)うことなくトリガーを引いていた。

 すでに敵二人を黒い霧が包んでしまっているので目視はできない。

 しかし、それは向こうも同じ事だ。

 何十発も撃ち込まれる銃弾を躱すことは出来ないだろう。

 黒い霧を穿うがちながら、非殺傷の弾丸が飛んでいく。

 何発かは着弾した感じだった。

 あれだけの巨体だったトカゲ人間も、人虎も気絶させてしまうような弾丸だ。比較すると小柄だった女性二人には十分すぎる威力だろう。

 クリシュナさんが撃ち尽くしてしまってから、数秒静寂があった。

 正直、僕は敵の二人がぶっ倒れていることを確信していた。

 だが、それは希望的観測というか、願望に過ぎなかった。

 それを裏付けるように、未だに晴れない霧の中からなにかが飛び出してきた。

 「!」

 僕のほうに飛んできたので、思わず避ける。

 派手な音を立てて玉砂利に突っ込んだソレは、気絶したバンシーだった。

 僕もヘムロッドさんも、そしてクリシュナさんもそちらに注意が向いた瞬間、もう一つ霧の中から飛び出してきたものがあった。

 なんとも形容しがたいソレは、一見すれば虎の様に見えた。しかも、一直線に殺生石のほうに向かっている。

 まずい!

 即座に反応した僕は立ち塞がろうとするが、肩に何かが噛みついた感覚に足を止めてしまう。

 ヘビ、だった。

 巨大なヘビが僕の肩に噛みついていたのだ。

 またヘビかよ!

 掴んで、力任せに引き剥がす。

 牙が折れて刺さったままになってしまったが、今はそんなことにかまっていられない。

 クリシュナさんは弾切らしく、肉弾戦に持ち込むために走っている。笠酒寄はバンシーの音波攻撃からまだ立ち直っていない。ヘムロッドさんはポケットからなにかの金属片を引き抜いている。

 間に合うのか?

 全力で僕は走るが、流石に人型よりも獣の形をしているほうが足は速い。

 立ち止まって、能力で制圧しようとも考えたが、高速で移動しているのならばちゃんと捕捉できる自信がない。

 全力で、跳ぶ。

 相手の進路は一直線だから、その予想点に跳び蹴りをかますことを選択したのだった。

 当たったら僕の足も無事では済まないだろうが、それでも殺生石を持って行かれてしまうよりもマシだろう。すぐに治るし。

 僕は、蹴りが当たる直前にそんな甘いことを考えていた。

 僕の足が命中したのは、虎のような姿の奇妙な獣ではなく、地面だった。

 蹴りが当たる直前、獣は予想していたかのように軌道を変えたのだ。

 派手に砂利が散って、僕の顔にも当たる。

 すぐさま体勢を立て直そうとするが、右足が完全にいかれてしまっていて立てない。

 這いつくばって、なんとか視界に獣の姿を収めようとするが、それも叶わなかった。

 「Go!」

 聞こえたのはヘムロッドさんの声だった。

 察するに、さっき引き抜いていた金属片を投げたかなにかだろうか?

 どごん、という爆発音も聞こえた。

 だが、奇妙な獣のうめき声とか、何かが倒れたような音はしなかった。

 その代わりに、やけに大きな羽ばたき音が聞こえた。

 どうなったんだ?

 見える体勢じゃなかったので、何が起こったのかが分からない。

 ひどいことになってしまった右足がなんとか立てるぐらいには再生してから、僕は即座に立ち上がる。

 ……殺生石が、なくなっていた。

 ヘムロッドさんとクリシュナさん、そして笠酒寄は無事のようだったが、目的のものは持ち去られてしまったようだ。

 まだ痛みが完全には引かない右足を引きずるようにして、僕はヘムロッドさんのところに行く。

 「ど、どうなったんですか?」

 「……やられたよ。まさかぬえを人間に合成しているとはね。しかも、鵺だけじゃなくて、他にも合成している。……明らかに抹消指定の魔術を用いているね」

 抹消指定。

 統魔においては表向きには存在していない指定。

 その痕跡さえも抹消するために行われる指定。

 ヘムロッドさんのように、永く生きている魔術師は存在を知っている者もいるが、若い魔術師には知られてすらいないらしい。

 もちろん、非常に危険なアイテムや魔術、そして魔術師だ。

 そんな抹消指定の魔術を用いていた正体不明の敵。

 ……単なる回収依頼がとんでもない事になってきてしまっていた。

 もはや、僕たちが出る幕じゃないだろう。すでに、少人数でどうにかできる規模を越えてきてしまっている。

 転がっている人虎や、トカゲ人間の隠蔽も考えないといけないだろうし。

 頭が痛くなりそうだ。

 「マスター、いかがなさいますか?」

 全く崩れない無表情でクリシュナさんはヘムロッドさんに尋ねた。

 対して、ヘムロッドさんは何も言わずに携帯を取り出し、どこかにコールした。

 数十秒の呼び出しの後に、やっとのことで相手は電話にでたようだった。

 「やあ、元気かな? ……用? そうだね、抹消指定の魔術を用いている輩を発見してしまってね。統魔に取り次ぐ前に、キミに一言断っておこうかと思ったんだよ」

 相手は誰だ? 統魔の人間じゃないのか?

 「ふふ。キミも意外に疑り深いね。意に沿わぬ任務をあてがわれてしまった統魔への背信を気にしているとは思えないのだけどね」

 なんだろう……ヘムロッドさんは気さくに話しているというのに、相手の緊張が伝わってくるかのようだ。

 「……そうだ。おそらくは、ね。だから、これからクリシュナを向かわせるから日本支部の評議員達に取り次いでくれ。その先はクリシュナに伝えておく」

 クリシュナさんを伝言役にするということだろうか? しかし、それならわざわざクリシュナさんを使わなくてもヘムロッドさんが直接に言ったほうが説得力を帯びてくるというものじゃないだろうか?

 「……ああ、私はこれから追跡する。このままだとろくでもないことに発展するだろうからね。現状で打てる手は打っておく必要がある。安心したまえ、空木クンと笠酒寄クンもいる」

 追跡? ああ、そうか。殺生石を奪われてしまったままというのはまずい。そのためには現場から近い僕達が行くのが最良というわけだ。試練というやつは一個やってくると、連続してやってくるみたいだ。

 逃げたいが、あんな危なっかしい物品を盗まれしまったのは油断していた僕達の責任でもあるのだろうから、ある種は自業自得なのかもしれないけど。

 「……そうだね。隠蔽班にはクルマを用意するように言ってくれないかな? 私のクルマでクリシュナが向かうからね。こっちは足がなくなってしまう」

 確かに。僕達は一つのクルマに乗り合わせてきたのでクリシュナさんが統魔に向かっている間、どこにも移動できなくなってしまう。

 追跡には時間が大事だし、そのためには移動手段は必須になってくる。

 そのためにヘムロッドさんはクルマを頼んだのだろう。

 どうやらそれで話は終わったようで、ヘムロッドさんは話しの締めに入った。

 「……うん、それでいい。なるべく早く頼むよ。事態は一刻を争う可能性があるからね。……ではよろしく、八久郎やくろう

  出た名前は、ある意味では僕が最も聞きたくない名前だった。


 

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