第十九怪 ファフロッキーズ

 1


 「おい空木うつぎ、お前また彼女とデートかよ。いいねえ、彼女がいらっしゃるお方は。ちっとは俺にもその幸せを分けてくれよ。っていうかくれよ。俺に彼女をくれよ! 頼むよ!」

 「うっさい。クリスマスが近いからって焦るなよ。そうやってその時々の気分でくっついたり離れたりしても良い事なんてないだろ? ……諦めろよ」

 「鬼! 悪魔! リア充!」

 「その並びは正しいのか正しくないのか僕にはわからないな」

 隣の席の五里塚ごりづか宗司そうじ罵倒ばとう(?)を華麗にいなして、僕、空木コダマはカバンを持つ。

 野球部ゆえに坊主頭の五里塚は未練がましい視線を送ってきていたのだが、そんなことは僕の知ったことじゃない。行かなきゃならない場所があるし、そして、一緒に行くのは確かに彼女なのだが、同時に仕事仲間とも言える存在なので、デートかと問われれば首を横に振らざるを得ない。

 まあつまり、これから行くのはバイトだ。

 しかし、普通のバイトじゃない。

 『怪』、つまりは奇妙な事件やら事象やらの解決に奔走ほんそうする、脳みそにシャイニングウィザードを食らっても至らないであろう考えの場所だ。

 「じゃあな、五里塚」

 「おう、また明日」

 笠酒寄かささきは寄りたい場所があるので先に向かっているから、僕は一人で昇降口に向かった。

 このときには、明日もいつも通り五里塚の顔を見ることができると、僕は思っていた。



 「ねえねえ空木君、クリスマスはどうする? おうちデート? それともどこかに遊びに行っちゃう?」

 「え、なに? お前の中ではすでにクリスマスは僕と一緒に過ごす予定なの?」

 バイト先に向かう途中。合流した笠酒寄ミサキはそんなことを開口一番のたまってきてくれた。

 唐突だ。唐突すぎてびっくりしてしまった。

 確かに、すでに十二月だし、あと十数日でクリスマスにはなるのだが、僕たち高校生にはまだ期末テストという関門が待ち構えているのだ。それ次第では冬休みも補習になってしまうというのに、すでにその予定を固めにかかる笠酒寄の先走りっぷりは感心してしまう。

 僕が予定を立てなすぎるだけなのかもしれないが。

 僕の返しで、ボブカットの髪を揺らすぐらいの大仰な動作で笠酒寄は驚きを示す。

 「え⁉ 空木君、わたしって、空木君のなに?」

 「彼女だな」

 「じゃあ、クリスマスは誰と過ごす?」

 「……家族? ぐっ!」

 脇腹を抉るように突かれた。思わず膝を折る。

 女子の力だから大丈夫だろうとか思わないで欲しい。

 コイツは人狼に変身できる。そのうえ、普段から多少は身体能力が強化されている。

 今の一撃も、とある事情からなりそこない吸血鬼である僕じゃなかったら骨にヒビぐらいは入っていたんじゃないかというような威力だ。っていうか、彼氏なんだから手加減しろ。いや、彼氏じゃなくても手加減しろ。世の人間は僕ほど頑丈でもないし、怪我の治りも遅いんだぞ。

 「ぉぉぉぉぉ……」

 「もう! 空木君はもうちょっと女心ってやつを勉強してよね! 小唄ちゃんとかに聞いてさ!」

 痛みで悶絶してる僕に笠酒寄はそんな事を言ってくるが、小唄のやつは参考にならないだろう。僕の妹ながらも、アイツが世の平均的な女子の心情を理解できるとは思えない。むしろ逆効果だろう。っていうかまた小唄のやつは僕が知らない間に僕の知り合いとコンタクトを取っているのか。我が妹ながらその情報収集能力が恐ろしい。

 「……かっ……くぅ……」

 「……えっと、空木君、大丈夫?」

 これが大丈夫に見えるのなら眼科に行け。

 突かれた箇所を押さえて、声も出せない状態の僕を心配そうに笠酒寄がのぞき込んでくるが、誰がやったのかを問い詰めてやりたいぐらいだ。再生能力はあっても、痛みに対して強いわけじゃない。

 「……はぁ、笠酒寄、お前ちょっとは手加減しろっての。僕じゃなかったら死んでたかもしれないぞ」

 「大丈夫だよ。こんなこと空木君にしかしないし」

 はにかむような笑みを浮かべる笠酒寄様であった。

 普通の男子だったらドキっとする仕草なのかも知れないが、今し方地獄をあじわわされてしまった僕としては恐怖しか感じない。

 なんてこったい。女子のこういう顔に対してこんな寒気を覚える日が来てしまうとは。

 この世界の神様はクソッタレに違いない。

 やっと痛みも収まって立てるぐらいには回復したので、僕は取り落としてしまったカバンを

 拾ってから立ち上がる。

 あまりグズグズしてると怒られてしまうかもしれない。

 「行くぞ笠酒寄。もしかしたら依頼が来てるのかもしれないし」

 「……うん、そうだね」

 笠酒寄の顔はあまり晴れないものだったが、その理由はわかっていた。

 だが、そのことについては触れずに、僕と笠酒寄は目的地に向かって歩きだした。



 ハイツまねくね。見かけ上は平凡なこのアパートの二〇一号室には妙ちきりんなプレートがかかっている。

 〈百怪対策室びゃくかいたいさくしつ

 怪しさビッグバンなこの場所が僕と笠酒寄のバイト先だった。

 迷うことなく僕はインターホンを押す。

 キン、コーン。

 これまたよくある呼び出し音がなるが、以前とは違ってすぐに応答はやってきた。

 「どちら様でしょうか? 姓名をお告げください」

 ノイズ混じりだがはっきりわかる、落ち着いた女性の声。

 人間にしかみえないゴーレムのクリシュナさんだ。

 「空木コダマです。笠酒寄も一緒です」

 「承知しました。鍵は開いておりますのでお入りください」

 ぶつり、と音声は途切れる。

 抑揚のない口調は、人によっては無愛想だと批判する所かもしれないが、僕はこれが彼女の平常通りだということを知っているので、特に気分を害することもなくドアを開ける。

 以前と同じような、異様な空間。

 外見は1DKが精々のハイツまねくねなのだが、百怪対策室内部は人が十人ぐらいは並べるぐらいの廊下が広がり、何枚ものドアが並んでいた。

 ……過去に何度かこの光景によってトラブルになりかけたこともあるが、僕の横に居る笠酒寄は今更のことなので動揺しない。

 とっとと僕も笠酒寄も靴を脱いでスリッパに履き替え、一番手前の右側のドアを開ける。

 百怪対策室内応接室。室内に更に室をつけるな、と命名者には文句を言ってやりたいが、当の本人は現在とんでもない状態になってしまっているので文句も言えない。

 くそ。

 室内には、いつものようにテーブルを挟んで配置されているソファが二つ。

 片方には、きっちりとしたスーツに身を包んだ老紳士が座っている。なでつけるようにした銀髪と、怜悧れいりなグレーの瞳がなんとも冷徹な雰囲気を醸し出していた。

 そして、その後ろに控えるように立っている若い女性。

 ぱっと見はメイド服にも見えないこともない服を、これまたきっちりと着込んだ若い女性だ。

 男性のほうがヘムロッド・ビフォンデルフさん。女性のほうがクリシュナさんだ。

 本来は両方とも、この百怪対策室にはあまり関係のない人物なのだが、あるじが不在の間の代行として、滞在してくれているのだった。

 「やあ空木クン、寒々さむざむとしている日本の空というものはなんとも寂しいものだね。ブリテンの天気は年中曇り気味だが」

 「は、はあ……」

 天気の話、なのだろうが、いきなりブリテンを引き合いに出されてしまっても純日本人たる僕にはなんともコメントしがたい。だから返事のほうもなんとも曖昧(あいまい)なものになってしまった。

 クリシュナさんのほうは黙って一礼しただけだった。僕としてはこっちの反応のほうが助かるような助からないような……いかん、大分室長の毒舌に染まってきているみたいだ。

 「こんにちは、ヘムロッドさん」

 「こんにちは、笠酒寄クン。おや、今日は少し装いがうるわしいね。なにか良いことでもあったのかな?」

 「え、わかるんですか⁉」

 「当然だよ。些細な変化に気がつかないようでは男としては情けないからね」

 「えへへへ」

……どうせ僕はまだまだ未熟者ですよ。

だらしなく顔を弛緩させる笠酒寄のことは放っておいて、僕はいつものようにヘムロッドさんの対面のソファに座る。

 すぐに笠酒寄も僕の隣に座ってくる。

 あんまり近づくな。お前の髪は刺さると痛いんだよ。

 ひっついてこようとする笠酒寄を制しながら、僕はヘムロッドさんに尋ねる。

 「なにか、ありましたか?」

 僕は何もなかった。これでヘムロッドさんのほうも何事もないようならば、今日の百怪対策室は終了となってしまう。

 が、淡い期待をこめた僕の質問は、思いっきりカウンターを食らう羽目になってしまった。

 「あるね。これから来客がある。どうも『怪』に遭遇してしまっているようなんだ。ざっとしか話は聞いていないんだが、私達が動かないといけないような事件だね」

 『怪』。理屈や常識では説明できないような物事を百怪対策室ではそう呼称している。

 しかし、一体どこでそんな話を聞いたというのだろうか? 

 最近の百怪対策室の基本は僕が妙な話を仕入れて、それを室長に吟味してもらってから依頼人にコンタクトを取る形式になっていた。

 少ない方の事例だが統魔、つまりは統一魔術研究機関からの依頼という形の仕事もあったのだが、それはどちらかというとヘビーな事件が多かったので勘弁願いたい。

 「安心したまえ、統魔からの依頼じゃない」

 顔に出てしまっていたらしい。やはり僕はポーカーには向いていないようだ。

 では依頼元はなんだ?

 そんな疑問に答えるようにヘムロッドさんはテーブルの上に置いていたノートPCの画面を僕に向けてきた。

 〈奇妙な事件にお困りではありませんか? 警察に相談しても効果が上がらない。オカルトと一笑に付されてしまうようなおかしな事件。そういった諸々もろもろの解決請け負います。解決するのはこの道の専門家です! ご安心ください〉

 百怪対策室代表ヴィクトリア・L・ラングナー、と末尾には百怪対策室の本来の室長の名前が記されていた。

 ウェブページ自体はそこまでった造りにはなっていないが、それでも文言のうさんくささは徹頭徹尾てっとうてつび、微塵も揺らがなかった。

 っていうか、完全に詐欺ページにしか思えない。

 「……なんですか、この……これ」

 形容する言葉が見つからないので代名詞で置き換えることしか出来なかった。

 っていうかこの珍妙なページを形容する言葉を持っている知性体がいたら僕の前に現れて一席ぶって欲しいぐらいだ。

 そのぐらいに意味不明というか、関わり合いになりたくないオーラがぷんぷんしていた。

 「どうもヴィクトリアは百怪対策室のページを制作していたようだね。ご丁寧にメールフォームまで用意していたのだが、今回の話はそこにやってきたものだよ」

 なるほど。室長は僕だけじゃなくて、ネットでも『怪』の話を収集していたわけだ。

 なんでまたネットという玉石混淆ぎょくせきこんこうの場所でそんなことをしようと思ったのかはわからないが。まあ、単に室長がネットサーフィンをするついでに出来るように設置しただけの気がしないでもない。

 「……その話って本当に信用できるんですか? ヘムロッドさんは知らないかも知れませんけど、日本のインターネットって嘘八百がまかり通っている部分があるんですよ?」

 「安心したまえ。魔術を組み込んであるから嘘を送りつけようとするとネットが遮断されるようになっている」

 軽いように思えるが、けっこうえげつない。

 多分、そういうことが出来るっていうことは、他にも色々と仕込んであるんだろう。

 僕は絶対にこのページにアクセスしないと心の中で固く誓った。

 そこは置いておくとして。

 「じゃあ、ヘムロッドさん。依頼される『怪』はなんなんですか?」

 これまでは実際に室長が話を聞いてからネタばらしをすることを好んでいたのだが、ヘムロッドさんはそうでないことを祈る。どういう『怪』なのかぐらいは知っておきたい。名前もついているのならば、僕は知らないかもしれないけど、聞いておきたい。

 ほんの少しだけ、ヘムロッドさんは口の端を持ち上げるような表情になった。

 「今回の『怪』はね、空木クン。ファフロッキーズだ」

 なんですかね、そのお菓子みたいな名前は。

 

 2


 ファフロッキーズ。

 ヘムロッドさんはこれから持ち込まれる『怪』のことをそう呼んだ。

 聞いたことがない。っていうか何語なんだ? 英語か?

 「何語なんですか? ラテン語? 英語? それともエスペラント語?」

 なんでお前はそんなに興味津々なんだよ笠酒寄。僕は何語なのかよりも、どういう『怪』なのかのほうが気になっているんだけど。っていうかエスペラント語ってなんだ。

 「一応は英語なんだけど、いくつかの単語をつなげて省略したものだから造語ということになるかな」

 ヘムロッドさんも真面目に答えなくても良いと思う。

 話が脱線し始めてきたので、僕が無理矢理にでも戻さないといけないのだろう。遺憾なことながら。

 「ええと、そのファフロッキーズっていう『怪』の依頼が来るんですよね?」

 「そうだよ、空木クン」

 ヘムロッドさんはいちいち僕をいじる、という無駄なことを挟んでこないので話が早くて

助かる。

 「なら、『怪』の正体もわかってるんじゃないんですか? だったら――」

 「残念だけどね空木クン、ファフロッキーズの原因となり得る事は非常に多岐にわたる。ゆえに直接話を聞かないことには原因を断定することは難しい」

 とっとと終わらせようとする僕だったのだが、機先を制されてしまった。

 しかし、原因が多岐に亘るとはまた、なんとも面倒くさい一件に発展しそうな気配がぷんぷんする。正直言って関わり合いになりたくない、と以前の僕ならば言っていたことだろう。

 しかし、今は違う。

 何者かによって室長がハメられてしまった以上、わずかな手がかりでもいいから欲しい状態だ。『怪』には何らかの理由がある。その理由が室長をハメた人物の足跡の可能性もあるのだ。

 ゆえに、放置はできない。

 解決出来ることは解決していかないと、どうにもならない。

 「……わかりました、ヘムロッドさん」

 「その依頼人さんはいつ来るんですか?」

 そんな風に僕は割とシリアスになっているつもりだったのだが、笠酒寄のほうはいつもの緊張感の欠片もない調子でヘムロッドさんに尋ねる。僕はちょっとだけお前がうらやましいよ。ついでにスポンジケーキの欠片が唇の端についてるぞ。

 「ああ、それなら……そろそろだね。ちょうど空木クンと笠酒寄クンがやってくるであろう時間帯に合わてもらったからね」

 高級そうな腕時計をちらりと確認してヘムロッドさんが言う。

 同時に、いつもの呼び出し音が室内に響いた。

 「どちら様でしょうか? 姓名をお告げください」

 とてもゴーレムだとは思えない滑らかな動作で対応用の端末まで移動したクリシュナさんが、さきほどの音声の録音のような対応をする。

 ……これ、人間じゃあとても真似できないな。

 しこたまどうでもいいことを僕は考える。

 どうやら依頼人だったようで、クリシュナさんはそのまま入ってくるように促した。

 ……あ、嫌な予感がする。

 「ヘムロッドさん、僕、ちょっと依頼人さんを迎えに行ってきます」

 「ん? 別に依頼人は幼子おさなごというわけじゃないよ? 立派な成人どころか、聞いていることが本当だとしたら老年期に入っているような人物だが」

 「だから心配なんですよ」

 ヘムロッドさんも笠酒寄も頭の上に?を浮かべたままだった。クリシュナさんは無表情だった。

 ヘムロッドさんはともかくとして、笠酒寄。お前は一度やっているからわかるはずだろうが。

 どうにも笠酒寄のヤツも百怪対策室、というか超常的なモノに染まり始めているようだ。これからは学校でもしっかり見ていないといけないのかも知れない。

 頭が痛くなってきたので、僕は何も言わずにソファから離れて玄関に向かう。

 応接室のドアを開けて、廊下に出ると僕の予想通りの光景があった。

 百怪対策室のドアを開けて、そのまま固まってしまっている初老の男性。

 まあ、普通の人がいきなりこの内部をみたらそうなるよなあ。僕だってそうだったし、笠酒寄だってそうだったはずなのに。

 「……あ」

 人間が出てきたことで安心したのか、白髪交じりの男性からはやっとの様子で声を漏らした。

 「お気持ちはわかりますが、とりあえず何も言わないで靴を履き替えてください。説明はしますし、害を加えたりはしませんから」

 かなり不安そうな顔だったが、男性はなんとか僕の指示には従ってくれた。



 「ど、どうも、始めまして。わたくし、不来坂ふきさか峰一ほういちと申します。このたびは、なんというか……妙な話を持ち込んでしまって申し訳ありません」

 「いえいえ、こちらはその奇妙な話の解決を仕事にしているのですから、お気になさらないでください」

 にこやかにヘムロッドさんは応じるが、不木坂さんの顔が微妙にひきつっているのを僕は見逃さなかった。っていうか、不安を覚えるのは当然だろうけど。誰だって普通のアパートの中身がでっかい屋敷みたいになっていたら不安になる。っていうか自分の正気を疑う。

 老年期にさしかかっている、という情報には間違いなかった。だが、不木坂さんはまだまだ髪もふさふさしていたし(さすがに白髪は混じっていたけど)、背筋もぴしりと伸びていた。

 同年代と比較しても、おそらくは若々しく見えているんじゃないかと僕は思った。

 「さて、早速ですが詳しくお話しいただきましょうか。貴方の出会った奇妙な話を」

 ほんの少しだけ前傾姿勢になってヘムロッドさんは話を聞く体勢に入る。

 それでも長身なので、威圧感はあまり変化なかったが。

 す、と不木坂さんは黙ってテーブルの上にあるものを置いた。

 「……手袋、ですか」

 そう、僕たちが囲んでいるテーブルに置かれたのは手袋だった。

 材質は皮か? 丈夫そうで、作業とかにも使えそうなぐらいにはちゃんとしたものだった。

 ちなみに現在、ヘムロッドさんと笠酒寄が僕の対面、不木坂さんが僕のとなりに座っている。

 クリシュナさんはさっきから僕の後ろに佇んだままだ。超コワイ。

 「失礼」

 一言短く断ってから、ヘムロッドさんは手袋を手に取り検分を始めた。

 検分、とは言ってもためつすがめつ見ているだけだが。

 室長のように魔術を用いて調べる、みたいなことはしないようだ。単に依頼人が見ているからかも知れないけど。

 「ごく普通の手袋に見受けられますね。……これが降ってきたのですか?」

 「ええ、半年前に降ってきたモノの一つです」

 はて。ヘムロッドさんは僕が事情を知らないということをご存じないようだ。僕はエスパーじゃないし、ファフロッキーズなる『怪』のこともよく知らないんだが。

 「はいはい! 何のこと言っているのやら全くわかりません!」

 元気よく挙手して笠酒寄が不木坂さんとヘムロッドさんの会話に割って入る。

 普段なら黙らせているところだけど、このときばかりは僕も同じ意見だったので特になにもしない。

 説明しないのは室長もヘムロッドさんも共通のようだった。

 「ん、そうだったね。笠酒寄クンも空木クンも事情を知らないんだった。では説明してもらおうか。依頼人に」

 僕と笠酒寄とヘムロッドさん。三人の視線が依頼人である不木坂さんに集中する。

 「え⁉ あ、いや……わかりました。説明させていただきます」

 助かる。

 こほん、と咳払いを一つしてから不木坂さんはいまいましそうな視線をテーブルに置かれた手袋に注いだ。

 「一年前、わたくしが町長を務める町に、無数の生姜が降り注ぎました」

 は? 

 なんだそれ。

 いや、ホントに意味がわからない。

 なんで生姜なんだよ。

 いや、っていうかなんで生姜が降るんだよ! もっと他のモノが降れよ! 明日の天気は曇りのち生姜、とかいう天気予報があったらテレビをぶん殴るだろうが!

 と、まあそう叫びたかったのだが、ぐっと呑み込む。

 そういう『怪』なのだろうから。

 「一応はわたくし達も警察に届けましたし、自分達で色々と調べてみました。しかし、降ってきた生姜はどれも普通の生姜でした」

 ……普通じゃない生姜ってなんだろう。そんなどうでもいい疑問を抱いてしまう。

 だが、そんなうろんな考えをしている僕をよそに不木坂さんの話は続く。

 「降った生姜の量は……数えたくもありませんでした。町中に降り注いだ生姜のおかげでしばらくは皆、生姜を見ることも嫌になっていましたから。それが一年前でした」

 まだあるのか。勘弁してくれ。

 「半年前、今度降ってきたのは手袋でした。皮も、ゴムも、布も。大きさも、材質も、形状も、まったく統一性はありませんでしたが、町中を埋め尽くす勢いで降りました。前回の生姜と違って腐って悪臭を放つ、ということはありませんでしたが、廃棄に尋常ではないコストがかかりました」

 生姜の次は手袋ときたか。

 シュール過ぎて最早コメントできない。こういう時には真っ先に切り込んでいく笠酒寄でさえも沈黙している。

 沈痛な表情の不木坂さんには悪いが、なにかのクスリを町の人々がキメたようにしか思えない。

 いや、ここに実物がある以上は否定できないのだろうが。

 なるほど。そういう『怪』なわけだ。

 「ファフロッキーズという怪現象はね、空から降ってくるはずがないモノが降ってくるという怪現象なんだよ。色々と原因については考察もあるし、有力な説もあるが決定打になるものがない。そういうものだね」

 原因は多岐に亘る、とういうのはそういうことか。

 未だに原因については特定されていない。そういった不安定な状態の事物というヤツは『怪』の温床になりやすい。っていうか今回がそうか。

 なるほど。今回はそのファフロッキーズの原因を探って、解決したらいいのだろう。

 となると、やはり実地調査が必要になってくる。

 流石のヘムロッドさんも、生姜が降ってその後に手袋が降った、なんていう手掛かりだけじゃあ原因はわかるまい。

 じゃあ、不木坂さんの町におもむかないといけないのだろうが、正直、数日後に期末テストを控えている身としてはかなりの不安を抱えることになる。理数科目はいいだろうが、問題は文系科目だ。暗記は苦手なんだ。

 そんな、しょーもない考えを僕は展開していたのだが、ヘムロッドさんは何かを考えているようだった。

 どこからともなく取り出した小さなパイプを左手に、右手を顎に当てて黙考していた。

 しぶい。

 室長がやっても、中二病をこじらせてしまった女子中学生にしか見えなかったのだが、長身でスマートな男性がやると非常にさまになる。推理小説に登場する名探偵のようだ。

 室長と同期というだけあって、それなりに似ている部分もあるようだ。

 しかし、ヘムロッドさんは沈黙したまま何も言わない。

 身体の動きだけを静止させて、思考だけに全てをついやしているのだろうか? 僕にはどんな思考が展開しているのかはわからないが、それでも、今回の『怪』について考えていることぐらいは想像できる。

 ……室長ならとっとと『怪』の原因にはたどり着いて、その上で僕をどうやってからかうかを考えているようなもんだったのだが、ヘムロッドさんならその心配はないだろう。

 僕は待つ。ヘムロッドさんの解答を。笠酒寄も、不木坂さんも待っていた。

 「マスター、もったいぶるのは良くない癖です。マスターが解答にたどり着いているにも関わらず、それを開陳かいちんしないのはこれで三四二回めです」

 緊張感を伴った沈黙を引き裂いたのはクリシュナさんの一言だった。

 それに呼応するかのように、ぱちんとヘムロッドさんが指を弾く。

 「そうだね、クリシュナ。ならばさっさと解決することにしよう」

 しぶい、という前言は撤回する。この人も室長と同じ人種だ。

 隙あらば他人をからかうタイプだ。

 「……」「……」「……」

 僕と笠酒寄と不木坂さんの沈黙がヘムロッドさんに刺さる。僕に至ってはいつでも能力を発動できる状態になっていた。

 「……さて、冗談はこのくらいにしてとっとと本題に移ろうか」

 微妙に効いていたらしく、すっとぼけるヘムロッドさんの顔もどことなく哀愁あいしゅうが漂っていた。

 「では空木クンと笠酒寄クン。そしてクリシュナには現地に向かってもらおう」

 ……やっぱりそうなってくるか。


 3


 高速道路をかっ飛ばして三時間。

 普通の人間ならばそれなりに疲労してしまうような運転時間だったのだが、生憎と運転していたのはクリシュナさんだったのでその心配はなさそうだった。

 出発時と全く変化のない横顔で運転を続けている。

 すでに僕たちは不木坂さんが町長を務める町に到着していた。

 それなのに、なぜまだクルマに乗っているのかというと、単純に今日泊まる場所まで案内されている途中だからだ。

 ……結局、泊まりになってしまいそうだったので、不木坂さんが宿泊場所を提供してくれる運びになったのだ。僕はビジネスホテルでもなんでも良いと思ったのだが、どうもこの町はけっこうな田舎であるらしく、近くにちょうどいい宿泊施設のような場所はないらしい。

 ゆえに、僕たちが現在目指しているのは公民館だ。

 高校生にもなって公民館に宿泊するハメになるとは思っていなかった。

 これならちょっとぐらい遠くてもいいから安いホテルでも探した方が良かった気がする。

 「……はぁ」

 「なに? どうしたの空木君。彼女とお泊まりデートなのに楽しくないの?」

 不思議そうに笠酒寄は横から訊いてくる。

 ちなみに、僕と笠酒寄が座っているのは後部座席だ。助手席にはクリシュナさんが外出するときにはいつも背負っているチェロケースが置いてあった。中身には言及したくない。

 「……お前なぁ、デートじゃないだろ、デートじゃ。僕たちは『怪』の調査に来ているんだぞ。そのへんははき違えないでくれよ」

 「わかってるよ。『怪』の調査もしつつ、初めてのお泊まり……!」

 ちがうっつーの。

 だめだ。妄想モードに突入した笠酒寄を止める手段を僕は持ち合わせていない。

 ちらり、と助けを求めるようにハンドルを握るクリシュナさんを見るが、バックミラーすら見なかった。

 ちくしょう。助けはない。

 なんで僕はこうも妙なところで追い込まれないといけないのだろうか? 僕の人生の演出家、でてこい。殴ってやるから。

 「……あのね空木君、あんまり乱暴なのは、わたしちょっと……」

 「聞きたくないし、詰めたくない。だからちょっとだけ黙っててくれ」

 「空木様、性行為を行うのにあたって、機密性が高くない場所は好ましくないと思われます。この場合は女性側の意見を尊重して、それなりの高級ホテルでも手配するのが常套じょうとう手段であると推測します」

聞いていたのか、クリシュナさん。しかし、まったく必要のない助言はいらなかったなあ。

 そもそも、まだそういう段階にはない……って、確実にいらん方向になってきている。

 軌道修正をしないといけないだろう。

「そんなことよりクリシュナさん。本当にヘムロッドさんは来なくても大丈夫だったんですか?」

 そう。今回はヘムロッドさんが同行していないのだ。どこに居るかというと、百怪対策室に残っている。

 僕たちは『怪』の正体を聞かされる前に、出発させられてしまったのだ。

 先行き不安だ。

 「問題ありません。わたしはマスターと通信を行うことが出来ますし、直接空木様たちにお聞きいただくことも可能ですのでご心配なく」

 ? 携帯電話とかでやりとりするわけじゃないみたいだ。携帯で話すならここまで持って回った言い方をすることもないだろう。というか、クリシュナさんが携帯を使っている情景が浮かばないのもあるだろうけど。

 と、そんなどうでもいいことを考えていると、クルマが停止した。

 怪訝に思って外に目をやると、クルマはすでに公民館の駐車場に停まっていた。

 先導していたよく見るコンパクトカーから不木坂さんが降りてきた。

 「どうぞ。あまり快適とは言えないかも知れませんが」

 笑顔ではあるのだが、どこか疲れているように見えるのは三時間に及ぶ運転のためだけではないだろう。

 このままクルマの中に居座っていてもしょうがないので、僕たちはクルマから降りる。

 改めて見てみれば、凡庸ぼんようというか、特徴のない公民館だった。

 特に古いというわけでもなく、際だって新しいというわけでもなく、そこそこに古く、そこそこに新しかった。……今にも倒壊しそうな感じじゃないだけ良しとしよう。

 「ご案内感謝いたします。ここからはわたしたち独自の調査を行いますのであとはおかまいなく」

 ぴくりとも表情筋を動かさずに(ないだけなのかもしれないけど)クリシュナさんは不木坂さんに言う。

 なぜか不木坂さんは安堵の表情を浮かべて一礼すると、そのまま自分のクルマに乗って去って行った。

 僕と笠酒寄、そしてクリシュナさんが残される。

 「行動方針をマスターと話し合います。中に入りましょう」

 一も二もなく、僕も笠酒寄も賛成した。

 流石に十二月の気温はこたえる。

 それに、もう日も暮れて辺りは暗くなってしまっていた。

 夜。『怪』が始まるにはちょうど良い時間だ。

 



 「ではマスターとの通信を開始いたします」

 公民館内、広間、っていうか畳が敷き詰められた一番大きな部屋でクリシュナさんは宣言した。

 到着してからすでに一時間ほど経過している。

 まあ、腹ごしらえのために多少の買い物をしていたのでしょうがない。

時刻はすでに夜の八時を過ぎてしまっていた。

 ちなみに、クリシュナさんと僕と笠酒寄で三角形を描くように座っている。

 ……メイド服っぽい服装のせいでしこたま畳にマッチしていなかったが、置いておこう。些細ささいな問題だ。

 正座しているクリシュナさんは静かに目を閉じる。

 十数秒そのままだったが、いきなり、かっと目を見開いた。

 「やあ、空木クン、笠酒寄クン。聞こえているかな?」

 口を開いたのはクリシュナさんだったが、口調はまるっきりヘムロッドさんのものだった。

 「あ……はい」

 「はーい」

 笠酒寄のヤツは動じねえな。僕はかなり引いているんだけどな。

 「うん、どうやらきちんと魔術は起動しているようだね。安心したよ。では、これからの活動方針というか、向かう場所を教えよう」

 反応からして、ヘムロッドさんの方にもこちらの様子は伝わっているようだ。僕の微妙な顔も見えているのだろうが、特に言及されないのは幸か不幸か。

 いやしかし、向かう場所? 

 どういうことだ? 今回の『怪』の元凶に対して、ヘムロッドさんは何かしらの確信を得ているのだろうか?

 「向かう場所はこの町唯一の教会だ。そこに今回の『怪』を引き起こしている犯人がいるはずだから、拘束の後に統魔に連絡しなさい。連絡先はクリシュナが知っている」

 「ちょ、ちょっと待ってくださいよ! 『怪』の正体もわからないままに教会に向かえなんて言われても、はいそうですか、とはいきませんよ」

 これでやるべき事はやった、と言わんばかりのヘムロッドさんに思わず反論してしまう。

 笠酒寄から見たら、僕がクリシュナさんに食ってかかっているように見えるだろう。なんとも奇妙な光景だ。

 「ん? ああそうか。空木クンたちにはまだ今回の『怪』の正体を話していなかったね。ついついヴィクトリア相手と同じ対応をしてしまった。すまないね」

 なんだろう、あおられている気がするのは僕だけなのか? 笠酒寄のヤツはぽやんとした顔をしているし、独り相撲の様相をていしているような気がする。

 が、ここでそのまま引き下がってしまったらまずいことになりそうな気がする。ヘムロッドさん自身が言ったように、僕や笠酒寄では室長との能力差は顕著けんちょだ。

 それこそ、大人と赤子ぐらいの差はあるだろう。その差異は解決にあたって、確実に影響してくる。ヘムロッドさんやら室長やらの魔術師にとっては常識の事だって、僕や笠酒寄には非常識でしかないのだ。僕たちは魔術師じゃない。統魔で教育を受けたわけでもないので、いままでなんとかこなしてきた『怪』相手の経験だけが頼りになってくる。

 なんとも心許こころもとない。わずか十回を超える程度の経験で何がわかるというのだろうか? いわんや、今回のシュール過ぎる『ファフロッキーズ』をや、だ。

 どうやらヘムロッドさんもその辺りはあまり頭になかったらしい。向こうからの通信を中継しているであろうクリシュナさんが、しばらく沈黙していた。

 「……さて、となるとどこから話そうかな? まあ核心からいこうか。今回の『怪』の正体。摩訶不思議まかふしぎなファフロッキーズの正体は……ミカエルの召喚だ。熾天使してんしミカエル、四大天使の一角。神に似たもの、という意味を持ち、天秤で魂の善悪を測る。そのミカエルだね」

 壮大にぶっこんできたな。っていうか、そんな存在を召喚しようだなんてよく考えたな。僕だったらビビって手を出そうだなんて思いもしないだろう。

 いや、まてまてまてまて。

 「いや、ヘムロッドさん。なんでそんなに壮大な感じになってしまうんですか? もっとこう、こぢんまりとした原因の可能性はないんですか?」

 今までの『怪』の原因はほとんど個人的なモノだった。

しかし、そんなやけに強力そうな存在を呼び出そうとしている動機がしょぼいものである保証はない。というかしょぼい理由で呼び出して欲しくない。

僕たちの手に余るような犯人だったとしたらまずい。

 そういうことをやらかすからには、犯人は魔術師だろう。最悪、統魔に連絡だけして僕たちはとっとと逃げるのが正着手のように思えてしまう。っていうかそんな大それた存在を召喚しようとしているヤツがヤバくないわけがない。

 だが、ヘムロッドさんは特に動じた様子もなく続ける。

 「安心したまえ。犯人は大した魔術師じゃない。ただ、統魔としては接触を規制しているはずの物品を所持しているはずだ」

 僕と笠酒寄に緊張が走る。

 統魔が接触を規制しているというとは、間違いなくA指定以上のアイテム……いや、もしかしたら室長が封印される原因になってしまった抹消指定のアイテムだろうか? 

 もしそうだとしたら、また八久郎さんが出張ってくることになるのか? 今度は、僕と笠酒寄が八久郎さんとバトるハメになってしまうのか?

 ……そんなのは、ゴメンだ。

 「ふむ。安心したまえ。抹消指定のアイテムじゃない。しかし、A指定ではあるだろうがね」

 安心できるような情報じゃない。夏休みのフランケンシュタインの怪物騒動はA指定のアイテムが原因になったようなものだ。

 嫌な予感だけがブーストして襲いかかってきている。

 ……っ、くそ。僕は室長を解放するために頑張るって誓ったはずだろうが!

 弱気な考えを振り払うように僕はかぶりを振る。

 「……一応は聞かせてもらえますか? そのA指定のアイテムの詳細を。その内容如何によっては僕と笠酒寄だけじゃ手に余ります」

 「大した物じゃない。おそらくは召喚サモン系列のアイテム、もしくは魔術書だろうね。何度かファフロッキーズが起こっていることをかんがみるに、おそらくは後者だろうが」

 失敗? どういうことだ? 今回の『怪』は単なる失敗なのか?

 「あのー、ヘムロッドさん。ファフロキーズ自体が失敗なんですか? それともファフロッキーズを起こすことが目的なんですか?」

 ……笠酒寄の言いたいことはわからないでもない。

 だが、解読するのは一苦労しそうだ。

 「そこもまだ確定しないんだが、おそらく、ファフロッキーズは失敗の成果だね。過去に降り注いだ物品がそれを示している」

 この町に起こった過去のファフロッキーズ。つまりは生姜と手袋か。

 いや、関連性なんて見えないんだけど。

 かたや食料、かたや服飾品だ。別になくても死にはしないっていうことぐらいしか僕には共通点は思いつかない。

 「ふむ、思いつかないかな?」

 うっわすっげむかつく。

 喋っているのはクリシュナさんなだけに余計にむかつく。明らかに年上の男性の姿をしているヘムロッドさんのままならそこまででもないんだが、年若い女性の姿のクリシュナさんに言われている現状としてはどうしてもむかついてしまう。

 ちらりと横目で笠酒寄を見ると、首を捻ってうんうん唸っていた。

 ……大人しく降参した方が良いか。

 「……わかりません。笠酒寄のほうも野生の勘は働かないみたいですし」

 笠酒寄のヤツがへそを曲げるかと思ったけど、当の本人は精一杯考えている最中らしくガン無視だった。

 「いいだろう。生姜と手袋。一見すると共通点のないこの二つにあるものを加えると、共通点が見えてくる。あるものとは鵞鳥がちょうだ」

 生姜と、手袋と、鵞鳥……手品でもするのか?

 クリシュナさん、もとい、ヘムロッドさんは続ける。

 「それぞれを英語のスペルに直したとき、共通しているのは単語の最初がGで始まるということなんだが、この三つのGはね、ミカエルを象徴する三つなんだよ。」

 Ginger,Glove,Goose.

確かに、単語の最初はGで始まっている。いや、確かにそうなんだけど、誰が知っているんだ? 熱心なキリスト教徒でもないと知らないだろうに。日本でそんなに熱心なキリスト教徒がそんなにいるとは……あ。

 「気付いたようだね空木クン。そう、今回の『怪』は密接にキリスト教と関わっている。そして、天使の降臨なんていうことを考える連中なんてものも限られてくる」

 初めからヘムロッドさんはたどり着いていたのか?

 「キミ達がそちらに向かっている間に私も調べてみたんだが、その町ではあまりキリスト教は根付いていないようだ。……数十年前に建設された教会周辺を除いてはね」

 ソレを調べるためにヘムロッドさんは残ったわけだ。なるほど、ある程度は納得できた。

 ……移動中にスマホで調べたらいいじゃねえか、という突っ込みをするのは野暮だろう。

 「じゃあ、その教会にいる人が犯人っていうことですか?」

 「その通りだよ、笠酒寄クン。まあ、おそらくは神父だ。憐れな鵞鳥が降り注いで町が羽毛で埋め尽くされる前に拘束したまえ、以上」

 かくん、とクリシュナさんがうなだれる。

 ヘムロッドさんからの通信は終わりらしい。

 だが、やることははっきりした。

 「マスターからの通信は以上のようです。空木様、笠酒寄様、向かいましょう」

 何処に行くか? そんなのはわかっている。教会だ。

 

 4


 夜も更けて、田舎の町は完全に闇に覆われてしまっている。

 辺りには街灯もないので、その闇は一層濃いものに思えてしまう。

 しかし、いまこの町の一角で行われているのは光の象徴とも言える天使の召喚だ。闇を払うための天使にはなんとも似つかわしくない夜という時間だが、そんなことは人間には関係ないようだ。なんとも業の深さを感じてしまう。

 呼び出されてしまう熾天使には同情を禁じ得ないが。いや、人間の同情なんて天使にとってはどうでもいいのだろうか?

 「目的地に到着しました」

 まるでカーナビのように無機質なクリシュナさんの声が車内に響く。

 後部座席から外を見ると、教会が見えた。

 この時間の訪問者なんていないだろうに、微かに明かりが点いている。

 「あの教会で間違いないですか?」

 「はい。この町唯一の教会です。マスターの情報に間違いがなければ」

 ごくごく無機質にクリシュナさんは答えてくれる。

 ま、たしかに。言ってしまったら悪いんだけど、こんな片田舎の町にいくつも教会があっても困る。っていうか目の前のこの教会にも通っている人間がいるのかどうか怪しいぐらいだ。

 「じゃあ行きましょう。……笠酒寄、起きろって」

 「……んむぅ」

 居眠りをこいていやがった笠酒寄を揺り起こして僕たちはクルマから降りる。

 僕と笠酒寄は特に装備品はないが、クリシュナさんはチェロケースを持っている。すさまじく嫌な予感がする。

 「クリシュナさん、一応聞いておきたいんですけど、その中に入っているのはチェロですか?」

 「いえ、FNミニミ軽機関銃が入っております。弾薬は二〇〇発ほど」

 「……なるべく発砲はしない方向でお願いします」

 「なぜでしょうか? アウトレンジからの攻撃は基本ですが」

 「日本なんで、警察がやってきます。いや、外国でもやってくるでしょうけど」

 「承知しました。本来、命令権はマスターのみが有していますが、今回に限っては命令権を空木様に移譲されていらっしゃいますので、空木様の許可があるまでは発砲しません」

 命令権の移譲なんてやっていたのか、ヘムロッドさん。いつの間に。

 まあ、そのおかげでクリシュナさんが素直に従ってくれたので感謝しよう。

 さて、と。

 「とりあえず、犯人を拘束するためにはある程度の証拠は必要になってきますよね?」

 「はい。統魔においてもその点においては一般社会と一致しています。物的証拠なしでは魔術師もしくは、魔術師見習いの身体的自由の拘束は禁止されております」

 つまりは少なくとも僕や笠酒寄が現場を押さえる必要があるというわけだ。ヘムロッドさんはクリシュナさんを通して視覚情報を得ることが出来るようなので、もしかしたらクリシュナさんでもいいのかもしれないけど。

 ……結局、教会の中に突入しないことには始まらない。入り口でまごまごしてても、ただ時間が無駄に経過するだけのようだ。

 腹をくくるしかないか。

 「笠酒寄、一応、人狼モードは全開で頼む。僕も注意するけど、一番頼りになるのはお前の鼻と耳だしな」

 「うん!」

 やけにうれしそうに頷く笠酒寄に対して罪悪感を覚えてしまうのはなぜだろうか? きっと僕が心の底では笠酒寄にこういうことに関わって欲しくないと思っているのかもしれない。

 僕は、笠酒寄にはもっと平穏に生きて欲しいと思ってしまっているのだ。……僕にはどうにも無理そうだから。

 脇にそれてしまった思考を、目の前の『怪』に集中させる。

 教会内部にから漏れるほのかな明かりは、冥府に誘うという鬼火を連想させた。


 

 「待って空木君。声がする」

 教会の正面入り口前。

 頑強そうな両開きの扉の前で笠酒寄はささやくように僕に言った。

 笠酒寄の聴覚ははっきり言って異常なぐらいだ。現状の、人狼全開で獣耳を生やして手足が獣毛で覆われている状態なら尚更だ。冗談抜きでこの状態の笠酒寄を奇襲するのはかなり難しいだろう。

 その笠酒寄の耳が何かの声を捉えたというのならば、それは十分警戒に値する。

 「……どんな声だ?」

 「んっと、祈ってる感じ?」

 なんともあやふやな返答だった。

 普通なら「そんなもんで何がわかるっていうんだ!」とでも呆れるところなのだろうが、今は別だ。

 ミカエルという熾天使降臨のためにファフロッキーズという『怪』が発生している現状では全く違った意味合いを持ってくる。

 儀式、絶賛実行中。

 「クリシュナさん、突入します。まだ発砲はしないでください」

 「承知しました」

 答えが来るのが早いか、僕は扉を蹴り破っていた。

 だがん!、という派手な音と共に扉は無理矢理開いた。

 教会内部にあったのは、おそらくは訪れた信徒が座るであろう長椅子と小さな祭壇、ところどころに掲げてあるロウソク。

 そして、祭壇の前にいたのは、こちらに背を向けている人物だった。

 派手な音に驚いたのか、背を向けていた人物は慌てた様子で振りかえる。

 「な……なんだきみ達は⁉」

 振り返ったのは、中年の男性だった。

 あまり特徴のある顔立ちでもないが、目立って悪人面というわけでもないし、見るからに徳が高そうというわけでもなかった。つまりは平凡だということだ。

 その人物は、片手に、辞書のようなモノを持っていた。

 「夜も遅くに失礼します。この町に起こっている奇妙な現象の解決を依頼されて動いている者です」

 僕のその一言で男性の顔色が変わる。

 ……わかりやすくって非常に助かる。室長やヘムロッドさんもこうだといいんだけど。

 持っていた辞書のようなモノをかばうように抱いた男性に向かって、僕は一歩前に進む。

 「信徒もやってきていない教会で、貴方は一体何をやっていたんですか?」

 「わ、わたしは神に祈りを捧げていただけだ! やましいことなどやっていない!」

 ……僕は一言もそういった発言はしていないはずなのだが、勝手に自爆してくれるのは非常にありがたい。手間が省けるし、無駄に問い詰めなくて済む。

 僕は更に一歩前に進む。笠酒寄とクリシュナさんには「待機していてくれ」というジェスチャーをしながら。あまり圧力をかけると逆上を招く恐れがある。

 「なら、その手に持っているモノを調べさせてもらっても良いですか? それが統魔の指定していないアイテムなら僕たちはここから去ります」

 「……くっ!」

 いやホントわかりやすくて助かる。

 男性は一歩、後ろに下がるが、僕はその分距離を詰める。

 視線は……とりあえずアイテムを持っている右手に合わせておく。いざとなったら即座に能力を発動してへし折るつもりだ。

 更に距離を詰める。すでに僕の身体能力なら二秒もかからずに飛びかかれる距離だ。

 男性の顔は青ざめるというか、なんというか……とにかく悲壮な顔になっていた。

 この分なら楽勝でモノをぶんどれるな、などと僕が楽観視し始めた瞬間だった。

 「……降臨せよ! 御使いよ!」

 薄暗かった教会に光が満ちた。

 


 まばゆい光に数秒、目がくらんでしまった。

 だが、すぐに瞳孔のほうは戻ってくれたらしく、焼け付いたようになってしまっていた僕の視界は正常なモノへと戻る。

 見えたのは中年の男性と、それを覆うように存在している巨大な半透明の人型だった。

 は?

 「御使いよ、目の前の不埒者ふらちものに断罪を!」

 その声に反応したのか、半透明の人型が右手に持っていた剣を高々と掲げる。

 剣の全長だけで二メートルはあるだろう。食らったらひとたまりもない。

 「マジかっ!」

 あわてて横に跳ぶ。

 ほんの数瞬前まで僕が存在していた場所を半透明の剣が貫く。

 耳障りな音と共に、床が砕けた。

 (くっそ! なんだあれ⁉)

 聞いてない! ヘムロッドさんの情報ではこんなのはなかったはずだ!

 なんとか初撃を回避した僕は、長椅子に隠れるようにして転がる。

 がづん、がづんと次々に長椅子が破壊されていく。

 多分、あの人型が連続で剣をぶっこんでいるんだろう。破壊衝動の塊みたいなやつだ。

 転がる勢いを利用してそのまま立ち上がる。

 振り返ることもなく、僕はクリシュナさんに向かって叫ぶ。

 「クリシュナさん! 発砲を許可します! このでっかいのをどうにかしてください!」

 ちなみに、クリシュナさんは教会に入ってきた時点の場所から全く動いていなかった。隣では笠酒寄が目を押さえてうずくまっている。どうやら僕以上に効き目があったらしい。

 クリシュナさんが背中に背負っていたチェロケースを下ろし、開く。

 じゃらり、と連なった弾薬を鳴らしながら現れたのは、クリシュナさんが言ったとおりのブツだった。

 つまりはFNミニミ軽機関銃。

 無骨な外見通りの、非常に殺傷能力の高い銃だ。……本来は伏せ撃ちで使うものらしいのだが、ゴーレムであるクリシュナさんには関係ないのだろう。

 ボルトを引いて、発射準備は完了。

 「対霊体用コーティング済み七・六二ミリ弾。どうぞご堪能くださいませ」

 パダダダダダダダダダダダダダッ!

 クリシュナさんの台詞と同時に、すさまじい勢いで弾丸が発射される。

 無茶苦茶な反動があるのだろうが、クリシュナさんは涼しい顔でそれを制御しきっていた。

 思っていたよりも銃声は小さいものだったのだが、その威力は凶悪だ。

 弾薬が尽きるまでの数秒の連射。それで巨大な人型はボロボロにされてしまっていた。それはもう、見るも無惨に。

 残念なことに、謎の巨大人型生命体(?)も現代兵器の前には膝を着くしかなかったようだ。……対霊体用コーティングとかなんとか聞こえた気がするが、その辺は突っ込むだけ野暮だろう。どうせ統魔が作ってるヤツだ。そうに違いない。

 ぼろ雑巾のようになってしまった半透明の巨大人型は段々とその姿が薄れていく。

 多分、死んだのか、自分を保てなくなってしまったのかのどちらかだろう。どっちもでもいいけど。

 「ば、馬鹿な……大天使アークエンジェルをこうも容易たやすく……」

 あ、天使だったんだ、今の謎の半透明。かなり無残なことになってしまったが。

 まあしかし、虎の子だったんだろう。男性の狼狽は明らかだった。

 残りの戦力があったとしても、これ以下の小粒なのだろう。男性はすでに腰が引けてしまっていた。

 「空木様、弾薬が尽きました。火器による支援を終了します」

 …………ん?

 「え、クリシュナさん。……え?」

 「今回持ち込んだ弾薬は今使用した分で全てです。すでに弾薬は尽きました」

 なんで言っちゃうかなぁ⁉

 案の定、男性は思わず嫌悪をもよおす笑みを浮かべた。

 ああ、悪役が悪あがきする時のやつだ。

 「やはりっ! 天は私を見放さなかった! 御使いよ、来たれ!」

 男性が持っている辞書みたいなモノが光を放つ。

 今度はそれほどまぶしくなかったので、何が起こっているのかははっきりとわかった。

 ずるり、と辞書から人が飛び出してきた。

 いや、その背中には立派な白い翼があるので、天使なのだろう。頭の上に輪っかは浮いていなかったのだけど。

 ヤバい、と思って能力を発動しようとした時にはもう遅かった。

 飛び出した天使達が僕らのほうに剣を構えて突進してきていた。

 「だぁあ! もう!」

 今度出てきた天使は人間サイズだったので避けるのはそれほど難しいことじゃなかった。だが、それでも凶器を向けられて平然としていられるほど僕の肝も据わっているわけじゃない。

 再び転がりながら、今度はクリシュナさん達のほうに向かう。

 途中何度か天使の剣が掠りもしたが、このぐらいならすぐに治癒する。なり損ないとはいえ、吸血鬼なめんな。

 突進してくる天使達に容赦のないカウンターパンチをたたき込んでいるクリシュナさんの隣でまだ目を押さえてうずくまっている笠酒寄の所まで行く。

 ……クリシュナさんは的確に殴りつけては壁まで天使をぶっ飛ばし続けているので放っておいても大丈夫だろう。

 問題は、天使を呼び出し続けている男性、っていうかあの辞書みたいなモノをどうにかしないと、いつかは物量に押しつぶされてしまうということだ。びゅんびゅん飛び回る天使の数はどんどん増えている。

 僕の能力は一つの対象物にしか発動できないし、弾切れになってしまった以上、どうにかして元凶を断たないといけない。

 しかし、僕一人では手に余る。なら手を増やすだけの話だ。

 「おい笠酒寄、大丈夫か?」

 「うぅ……目ぇ痛い」

 うずくまっている笠酒寄に声をかけるが、未だに大天使登場の時の光に目をやられている状態のようだった。

 コンディションは悪いだろうが、協力してもらわないと困る。っていうか死ぬ。

 「どうにかして目障りな天使達をぶっ飛ばしてくれ。その間に僕が本体をどうにかする」

 「うぅ……痛いよぉ……」

 くっそ、コイツ……!

 本当はすでに治ってやがるな。再生能力に関しては純粋吸血鬼には及ばないものの、人狼も強力だ。その人狼の力を解放している笠酒寄がいつまでもうずくまっているのはおかしいと思っていたのだが、どうもなにやらご機嫌ななめのようだ。

 なんだ? 何が不満なんだ? 今に限っては笠酒寄の力が必要だ。

 「やってくれたら僕が出来ることなら何でもしてやるから! 頼む、笠酒寄!」

 ぴくり、と笠酒寄の頭から生えている狼の耳が動く。

 「本当になんでもしてくれる?」

 「ああ、僕に出来ることだったらな!」

 安請け合いと言いたければ言うがいい。緊急事態だ。

 「ホント⁉ 嘘だったらひどいよ」

 「嘘なんて言わない!」

 「わかった! やる!」

 顔を覆うようにしていた手がどけられ、やけに明るい表情の笠酒寄の顔が見えた。

 「あのびゅんびゅん飛んでいるのたたき落とせばいいんだね?」

 「ああそうだよ。思いっきりやってくれ」

 「おっけー。しゅんさつー!」

 床が軽くへこむぐらいの跳躍を行って、笠酒寄は天使の群れに突っ込んでいった。

 「てりゃー!」

 着地点にいた天使の一人が、笠酒寄の踵落としを食らって砕けちる。……どんな威力してんだ?

 当然、そんな派手なことをしてしまったので、天使達は笠酒寄に殺到する。

 が、しかし。

 人狼全開モードの笠酒寄に格闘戦で勝てると思うのは愚かだ。

 元々運動神経は悪くない笠酒寄に人狼の身体能力が加わったらどうなるか?

 言うまでもなく、一方的な展開になった。

 突き出される剣は避けられ、カウンターでたたき込まれる拳や蹴りによって、次々に天使達は砕かれていく。一斉にかかっても、すでに撃墜した天使を盾代わりにして凌いだ後に強烈な一撃を見舞われていた。

 怖。人狼怖い。

 純粋な格闘戦だと敵わないと思ってはいたのだが、ここまで無茶苦茶だとは思っていなかった。

 だが、そのおかげで活路がひらけたのだから感謝しないといけないだろう。

 天使達は笠酒寄に釘付けになっている。

 僕の視線が、男性の右腕に集中する。

 ポニーテールにしている髪がぶわりと浮くのがわかった。

 ごぎり。

 「かっ……ぁ……!」

 本来曲がらない方向に無理矢理曲げられた右腕は、いとも容易く大事に抱えていたモノを話してしまった。

 サイコキネシス。

 僕本来の、能力。

 ちゃんと視線さえ通れば必殺の威力。まあ、意外に使えない場合の方が多いんだけど。

 しかし、再生能力も持っていない普通の人間ならば、一撃必殺の能力であることには間違いない。

 男性の手から落ちた辞書らしきモノからは、もう天使が飛び出してくることはなくなっていた。

 笠酒寄にボコボコにされていた天使達も、透けるようにして消えていった。

 男性はまだ動く左手でなんとか辞書のようなモノを拾おうとするが、その手を僕は踏みつける。

 「があぁぁぁあ!」

 「すいませんけど、これ以上は好き勝手にさせられないんですよ。あと、言い訳は統魔の人達に言ってください」

 全力で走って踏みつけたので、かなり勢い余ってしまって骨までいった感触があったのだけど、なるべく冷徹に映るように振る舞う。

 隙を見せないことは結構大事だ。

 「じゃあ、クリシュナさん。統魔の連絡先、教えてください」

 顔だけをクリシュナさんに向けて、僕はなるべく軽い調子でそう言った。


 5


 クリシュナさんから教えてもらった電話番号に電話してから三時間後、統魔の回収班を名乗る人々がやってきて、男性を回収していった。

 目深にフードを被って、まったく肌を見せない服装をしていたので、どういう人物なのかは全く分からなかったが、短く僕にいくつかの質問をした時の無機質な声音からは人間性というやつを感じられなかった。

 回収班も回収班で、どこかしらおかしいらしい。

 暖房も効いていないこの教会で何時間も待っていた僕たちに労いの言葉をかけるわけでもなく、さりとて露骨な嫌悪を示すでもなく淡々と仕事をした統魔の人々に対して、僕はなんとも不気味なモノを覚えたのだった。

 そして、統魔が色々と隠蔽工作をするために教会を封鎖したので僕たちは追い出されてしまっていた。

 十二月の深夜。もちろん気温は氷点下になってしまっている。

 動きやすい服装をしていたので、もちろん寒気が染み入る。……早く休みたい。

 「空木様、笠酒寄様。マスターからの通信です」

 「あ、はい。つないでください」

 クリシュナさんは目を閉じると、数秒後に目を開けた。

 「やあ、空木クン、笠酒寄クン。無事にファフロッキーズは解決出来たかな?」

 クリシュナさんの顔はまったく変化していないにも関わらず、フレンドリーさがやけに強化されてしまっているので、落差について行けなくなってしまうが、なんとか我慢する。

 「はい。ミカエル降臨の儀式を行っていた神父は統魔が拘束しましたし、もってたアイテムも回収していっちゃいました」

 「それはなにより。事前に連絡しておいた甲斐があったね」

 なるほど。統魔に連絡をとったとき、やけに話が手早く進むなと思っていたのだけど、それはヘムロッドさんが根回しをしておいてくれたからか。

 さすがは元最高評議会委員。

 「さてと、空木クン、そして笠酒寄クン。どうするかね? 一応はこれで『怪』は解決したわけだから泊まってきてもかまわないが?」

 正直な話、このまま寝たい気分だ。

 なりそこない吸血鬼とはいっても、それなりに疲労感は覚えるし、この寒空の下で統魔の回収班を待っていた身としては暖かな布団で横になりたい。それが偽らざる僕の心境だった。

 ちらりと隣の笠酒寄をみやる。

 統魔を待っている間も船をこいでいた笠酒寄はかなり眠そうな顔だった。

 ……人狼は夜に活動するんじゃねえのかよ、と突っ込みたいが、昼間は学生生活を送っている僕たちに対してはあまりにも理不尽すぎるだろう。

 それゆえに、これからまだ少しばかり無茶をしないといけないのだけど。

 「いいえ、ヘムロッドさん。僕も笠酒寄も期末テストが近いんで戻らないといけませんよ。授業も期末前の総まとめに入っていますしね」

 「やれやれ、学生というものは大変だね。いいだろう、運転はクリシュナに任せておきなさい。それと、依頼人には私のほうから解決したという報告はしておくから安心したまえ」

 助かる。室長だったらなんて言っただろうか? そんな益体もないことを僕は考えた。

 「では空木クン、統魔からの報告は私が対応する。後は任せて休んでくれ」

 その言葉を最後にして、ヘムロッドさんからの通信は終わってしまった。

 色々と気を回すタイプの人のようだ。多分、室長には手を焼かされていたんじゃないだろうか? 

 何も言わずに、クリシュナさんはクルマまで行って、ドアを開けてくれた。学生の身分でこんなことをされるのはなんとも面はゆいものなのだが、それに遠慮するだけの体力は生憎と残っていなかった。

 なだれ込むように僕と笠酒寄は後部座席に座る。

 座った瞬間から笠酒寄は居眠りを始めたのだけど、僕はそれに対して何も言う気にはならず、一緒にまどろみに落ちることにした。

 最後に、クリシュナさんに一言だけ添えて。

 「安全運転でお願いします」

 「承知しました。空木様と笠酒寄様の睡眠を妨げるような運転はいたしません」

 やはりクリシュナさんは一瞥もくれなかったのだけど、今はそれがむしろ安心感につながった。

 暖房が効き始めた車内で、僕はまぶたを降ろした。

 




 「よーっす、空木。……なんだか眠そうじゃねえか」

 「ん、ちょっと昨日夜更かしが過ぎてね」

 「なんだァ……彼女と深夜までイチャイチャラブラブしてましたってかァ⁉ 自慢か! このリア充!」

 深夜まで、どころか夜明けまで一緒だったのは言わない方が良さそうだった。

 弐朔にのり高校、一年教室内。

 あれから、僕と笠酒寄はとんぼ返りしてそれぞれの家に戻ったのだが、流石に時間的にゆっくり眠っている暇がなかった。

 僕はそのままぶっ通しで起きていた上に、クルマの中での睡眠は浅かったのか今一つ疲れが抜けていなかった。

 ゆえに、今非常に眠いし、けだるい。

 今日に限っては一時間目ぐらいから居眠りをしてしまいそうだ。つきまとっている変な噂こそあるものの、僕は真面目な学生だっていうのに。

 自分の席に着く前に声を掛けてきた五里塚に対しての返答もけっこう気力が必要になってしまった。っていうかうっすらと視界がかすんでいるようになってしまっているので五里塚の顔がくっきりしない。どこか薄ぼんやりとしてしまっている。まあ、元々コイツの特徴は坊主頭って言うことぐらいだからそれがわかれば問題ないだろうけど。

 そんな僕を怪訝そうに見ながら、五里塚は「ま、いっか」なんて呟いていた。

 ……まるで僕が変なヤツみたいな反応は止めてくれないかな? 地味に傷つくんだよ、それ。

 今一つはっきりしてくれない脳みそを叱咤激励しったげきれいしつつ、とりあえず一時間目の準備をする。

 いきなり苦手科目の一つである世界史っていうのはなんとも過酷だけど、やりこなさないといけないだろう。

 嘆息。

 アルバイトをしている高校生っていうのはこんなもんだろうか? 僕の場合はバイトが特殊すぎる気がしないでもないが。

 そんな風に思いつつも、世界史の教科書とノートを準備していたときに、笠酒寄が教室に入ってきた。

 「ぅはよー」

 こっちも眠そうだった。

 笠酒寄の席は僕の席と離れているので、座ってしまえば距離が開く。

 隣から事情を聞き出そうとする女友達からの追求をかわしながら、笠酒寄はこっちに視線を送ってきた。

 どこか責めるような、不満そうな視線を。

 僕が何をした?

 そして、その視線を女友達に見つかってしまい、僕との関係をいじられ始めた。

 「おい空木……今の視線はどういうことだ? お前! まさか⁉」

 隣でヒートアップし始めた五里塚をどうやって沈静化させようかと、僕は頭を抱えた。





 百怪対策室内応接室。

 クリシュナが運んできたコーヒーを一口含んでから、ヘムロッドは統魔からの要請書を見ていた。

 〈ヴィクトリア・L・ラングナーの資産移譲の要請及び空木コダマ並びに笠酒寄ミサキの身柄の引き渡しについて〉

 長々とした見出しに眉を動かすこともなく、ヘムロッドは無駄に固い文章を読んでいく。

 数分で目を通し終わったヘムロッドは要請書をくしゃりと潰してからクリシュナに投げる。

 そうあることが決まっていたかのようにクリシュナは受けとると、潰された要請書をゴミ箱に放り込む。

 「よろしかったのですか、マスター。一応は統魔から正式な要請書では?」

 咎める、というよりも確認するようにクリシュナはヘムロッドに尋ねる。

 冷め始めたコーヒーを飲み干すと、ヘムロッドはソファに背を預けてから返答した。

 「かまわん。要請の根拠が全く以てナンセンスだ。弟子の責任は師匠が負わねばならないが、師匠の責任を弟子に求めることは間違っている。それがわかっていない統魔ではないと思っていたんだが、期待を裏切られた」

 つまらなそうに言うと、ヘムロッドは紙巻きタバコをくわえて、火を点ける。

 「ラングナー様の資産移譲に関してはまだ納得できますが、空木様と笠酒寄様の身柄引き渡しという点についてはどうお考えですか?」

 ヘムロッドが飲み終わったコーヒーのカップを回収しながらクリシュナは尋ねる。

 細く、長い煙を吐き出しながらヘムロッドは答えた。

 「わからん。ヴィクトリアが何かしらの情報を渡していると推測しているのか、それともなにかに利用するつもりなのか……そうはさせないが」

 ほんの一瞬だけ、ヘムロッドの視線が剣呑なモノをはらむ。

 古い付き合いの友人から託されたものを譲る気にはなれなかった。

 そも、統魔自身がその友人を拘束しているのだ。対応に関しても未だに疑問が残る部分が多い。十中八九、統魔の中にヴィクトリアをうとましく思っている存在がいるはずだった。

 そして、それは単なる好き嫌いではなく、何らかの利害によるものだろうとヘムロッドは推測していた。

 (利害……なら目的はなんだ? 何をやろうとしてヴィクトリアが邪魔になる?)

 今は時間ごと凍結させられて、統魔に保管されている親友の事を考える。

 (まだ、手掛かりが足りないか。だがね、私達を敵に回したことを後悔させてやろうじゃないか。そうだろう? ヴィクトリア)

 くつくつと邪悪な笑みをこぼしながら、ヘムロッドは過去を思い出していた。

 白林檎のその第一期生、ヴィクトリアと共に『悪夢の一期生』と呼ばれていた頃の事を。

 「マスターがされている笑みは、一般的に悪巧み、もしくは謀略を抱いている人物が浮かべるモノであると推測します。マスターの描かれる計画はどのようなモノでしょうか?」

 「……クリシュナ、これは過去に思いを馳せている顔だ」

 「承知しました。そのように記録しておきます」

 「やめなさい」

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