第十八怪 フランケンシュタインの怪物


 0


 愛するということを考えた。

 人間は生物である以上、繁殖しているわけだ。

 つまりは生殖によって増える。

 現代社会ならここに恋愛の情というものが入ってくる。

 そういったものはわりと近代的な概念だと述べる反抗心の強い人もいるだろうが、結局、それは起点になっているかどうかなのだと思う。

 一緒に過ごしている内に芽生えてくる愛というものもあるだろう。

 こうなってしまうと卵が先か鶏が先か、という議論にも似たものになってきてしまう。

 ゆえに、愛の発生について議論することは無意味だと僕は思う。

 されど、愛というものが世間一般で思われているほどには穏やかなモノでないということはもっと知っていて欲しい。

 僕は未だに人を愛した、と断言できるような人生経験を積んでいるわけではないのだけど、それでもこの事件ではつくづく痛感させられてしまった。

 愛は時として暴力的で、反社会的で、排他的だと。

 もしかしたらその危険性にかれて人は愛を求めるのかも知れないけれど、それは詩人でもない僕には知ったことではない。

 ただ、僕は誰かを愛するなら、その責任は僕自身にあることを忘れたくない。


 1


 夏休みもあと数日。

 そろそろ長期休暇なつやすみという特別休暇に浮かれて、宿題という業から逃避し続けていた者もそろそろ尻に火がついているころだろう。真面目に取り組んでいた僕は多少の余裕はあったが。

 小唄あたりは昨日から友達の家で合同勉強会という名前コピペ共犯者製造会わるいことをやっているらしいが、そのおかげで僕はストレスフリーだった。

 すがすがしい。夏だっていうのに、高原で風にでも当たっているような気分だ。

 まあ、そんな気分で僕はいつものようにハイツまねくね二〇一号室、またの名を百怪対策室のインターホンを押したのだった。

 キン、コーン。

 そろそろ聞き慣れてきたこの平凡な音もどこか僕の今の精神には快く響いた。

 「だれだ?」

 ザ、というノイズの後に、いつものように室長の声が迎えてくれる。

 「僕です。コダマです」

 「ほう、コダマ、ねえ。コダマだったらつい昨日私が買いに行かせた書物の名前を記憶しているはずだ。言ってみろ」

 ……そうきたか。

 が、今日の僕はちょっとやそっとでは傷つかないメンタルをしている。この程度は楽勝だ。

 「えー、『オトメ王子は恋する姫にキスをする』、『乱暴なのがスキなの!』、『私のハートは接近警報中! ~乙女の胸は地雷原』。……ええと、あとは『らぶパン ~紳士のたしなみは理解されない』、でしたっけ?」

 「白昼堂々なんてことを口走っているんだキミは。変態か」

 ……変態はあんただ。

 毎回買いに行っているせいで最近は店員さんが男性に変わるようになってしまったんですけど。なんか警戒されてるし。しかもその男性店員さんまでもが、なんとなく腫れ物に触るように接してくる。

 レシート渡すときに肌が触れないようにされているのはわかっているんだ。くそ。

 「まあいい。いつものように入れ。鍵は開いてる」

 開いてはいるが、むやみに入ろうとすれば迎撃魔術が熱烈に歓迎してくれるというドアを僕を開けて、いつものように百怪対策室に入った。

 いつものように応接室。

 だが、いつものようにジャージに白衣の金髪女子が待っているだけではなかった。

 テーブルを挟むようにソファが配置されているのは同じなのだが、すでに先客がいた。

 片方は男性。

 長身痩躯をかっちりとしたスーツに包んだ初老の紳士だった。

 グレーがかった髪に、切れ長の目が理性的な印象を受ける。

 そして、もうひとりは少女。

 なぜかメイド服のような格好をしており、ぴくりとも動かない待機姿勢で初老の紳士の後ろにたたずんでいた。

 百怪対策室では初めての事態に、多少動揺する。

 初老の紳士も、メイド服の少女も僕を見る。

 僕はあまり注目を集めるのは苦手なので、こういうときにはちょっと固まってしまう。

 「なにをもじもじしてるんだ。とっとと座れ。今日はもう依頼人が来ているんだ」

 今日は短めの葉巻を咥えている室長が僕を一瞥いちべつしてそう言う。

 ここは素直に従うことにしよう。こんなところで反抗精神を発揮している場合じゃないだろう。

 いつものように依頼人の隣に座ろうと思ったのだが、室長に指さされてしまったので、渋々僕は室長の隣のソファに座る。

 ……隣に室長がいるというのはなんとも慣れない。いつもは対面にいるから顔が見えるので多少の感情の推測も出来るのだが、今僕に見えているのは怜悧れいりな顔をした紳士と、人形のように無表情のメイド服少女だけだ。ちょいとプレシャー。

 「ヘム、コダマも来たことだし、世間話もこのぐらいにして本題に入ろう。お前にも猶予ゆうよはあまりないんだろう?」

 いつになく真剣な調子で室長が対面に座る紳士に呼びかける。

 ぐ、と紳士は一度天井をあおいで、それから室長と僕を見た。

 「空木コダマ君、だね。初めましてだし、自己紹介と行こう。私の名はヘムロッド・ビフォンデルフ。統魔に所属している魔術師だ。後ろの子は私の作品で、名をクリシュナという」

 外見から想像されるとおりの渋い声で紳士、いやヘムロッドさんは丁寧に自己紹介してくれた。

 だがちょっと待て。今おかしい部分があったよな? 僕の聞き違いじゃなければ。

 「あの、いきなりで失礼かも知れませんが、その……クリシュナさんが『作品』っていうのはどういうことなんですか?」

 まさか、この、クリシュナさんがモノ扱いになってしまっているのは人身売買とかそういう裏街道の香りがする話なのだろうか? それとも何らかの契約によって、扱いがそのように取り決められているのだろうか? 何にせよ気になる。

 「コダマ、クリシュナはゴーレムだ。元々人間でも人外でもない。それなりに気は利くが、根本的に生物じゃない。そっちのヘムロッドもゴーレム法の専門家だ」

 説明してくれたのは室長だった。

 ご、ゴーレム? 

 ゴーレムなんて言われても、僕には石でできた無骨な人型のモンスターぐらいの認識しかない。っていうかゲームではそんなんばっかでてくるし。

 が、クリシュナさんはもとより、ヘムロッドさんも否定する様子はない。両者とも“なにも間違っていない”という態度だ。

 ……マジか。

 ゴーレムってこんなに人間と見分けがつかないのがいるのか。

 これはちょっとゴーレムという存在の危険性が僕の中で急上昇だ。

 そんな風に僕が危機感を抱いているのを知っているのか知らないのか、室長はぶわり、と煙を吐く。

 「ヘム、自己紹介は済んだんだ。とっとと事情を話せ」

 「ああそうしよう。では本題から行くが、統魔からA指定の物品を盗み出した私の弟子を拘束し、造っているモノを破壊して欲しい」

 ヘムロッドさんの頼みは中々に物騒なものだった。

 弟子っていうことは、相手は魔術師だろう。しかも統魔、つまりは世界中の魔術師を管理する団体から何かしらの危険な物品を盗み出して、最悪、それを使用している魔術師を拘束しないといけないわけだ。

 待ってくれ。百怪対策室はいつからそんな血なまぐさい感じの依頼を受けるようになってしまったんだ?

 いや、キスファイアの時点で血なまぐさい感じだったか。それでも危険度が段違いじゃないのか?

 「A指定? 統魔の管理体制はどうなっているんだ? 私が居た頃にはそういった事件はなかったぞ。ふん、管理部の怠慢たいまんだな」

 「返す言葉もないね。今頃は管理部も上下をひっくり返したような騒ぎだよ。幸い盗まれたのは三つだけだが」

 なんだか僕を置いてきぼりにしてどんどん話が進んで言ってしまっている。

 言い出さないと、わからないままでこの件に首を突っ込むことになってしまう。

 「ああそうか。コダマ、キミには説明していなかったな。統魔は世界中の魔術師だけではなく危険な物品も管理しているんだ。そして、もちろん魔術師と同様にそれらにも指定をつける」

 まるで心を見透かされてしまったかのような室長の発言だったが、これは単に僕が魔術に関して、というよりも統魔に対してあまり訊いてこなかったからかもしれない。

 静かに室長は咥えていた葉巻を灰皿に置く。

 「統魔のアイテムの指定は四種類だ。A、B、C、Dの四つ。D指定はまあ、一般人が所持してても問題ない。お守り程度だ。C指定は一般人が所持している場合は回収、魔術師が所持している分には問題ない」

 なるほど。もし僕が魔術師見習いでもなかったらC以上の指定を受けているモノは所持できないわけだ。

 「次にB指定。これは許可があれば魔術師は所持していてもかまわない。一般人が所持している場合には問答無用で回収する」

 ……物騒になってきた。そろそろ話を聞くのがヤバい気がしてくる。

 だが、今回盗み出されているのはA指定のアイテムだ。

 「……A指定。これは魔術師でも接触は禁止だ。特別な許可をもらい、その上で立会人が存在している状態で、制限された時間内でしか接触は許されない。いかなる存在もこれを所持できない。統魔の最高権力者である魔法使いウィザードでもだめだ」

 つまりは相当に、いや、僕が想像できないぐらいには危険な物品だということか。

 統魔という、全貌ぜんぼうさえも掴みきれない組織でも、コントロールできないということなのか。

 それを三つ所持してる魔術師。

 現代兵器に例えるのならばどのぐらいの危険度になるのか想像もしたくない。

 「とまあ、そういう危険な物品を所持している魔術師を相手にするんだ。情報が欲しい。ヘム、何をられたんだ? それによっては私も準備がある」

室長は鋭い視線をヘムロッドさんに向ける。

 横顔だけでもけっこう威圧されるのに、正面から受けているヘムロッドさんへの圧力は想像もしたくない。

 「一つ目は『魂の枷』。魂を捕縛しておくためのモノだ。二つ目は『反魂(はんごん)術応用』。かつての死霊魔術師ネクロマンサーの集団、“屍の偶像ネクロ・イコン”が記した禁書。そして三つ目が『フランケンシュタイン法概論教本』。私たちが回収したあの品だ」

 次々に並べ立てられてしまったので、僕の脳みそはついていってない。

 が、かなり物騒そうな品々が並んでいそうなことぐらいは隣にいる室長の険しい顔が教えてくれた。

 「目的は……聞くまでもないな。死者の復活。そこまでして復活させたい人間とはなんだ? アレイスターでも呼び戻すのか? とっくにあの世に行っているぞ」

 「いや、私の弟子の目的はそんな大層な人物じゃない。平凡、といってしまうことは出来ないが、キミや私のような者から見たら大した魔術師じゃない」

 ヘムロッドさんはもったいぶったような言い方をする。

 いや、これは言いたくないのだろうか? 自分の弟子が犯した失態を恥じるという心境にあるというのだろうか? だが、それなら室長に依頼しに来ること自体がおかしくなってしまう。

 「回りくどいぞ、ヘム。私に対して取引は通用しないと知っているはずだ」

 めずらしく室長がやけに喧嘩腰だ。

 もしかしてこの二人、仲が悪いのか?

 「……そうだったね、ヴィクトリア。私もなにぶん、ショックなんだよ。自分の弟子にきちんと魔術の危険性を教えることができなかったのが」

 「同じ事を言わせるな。私は……」

 「弟子が蘇らせようとしているのは、恋人だ」

 室長の台詞の途中でヘムロッドさんが割り込む。

 何かしらの反駁はんばくを室長はやるに違いないと僕は思っていたのだが、予想に反して室長は沈黙した。

 それに相反するようにヘムロッドさんはつらつらと事情を述べ始めた。

 「私の弟子、ゲムディフ・ゼーネ・ガルフシュタインは優秀なゴーレム法の研究者だった。そのうちに、この失敗でなんとか生きているだけの死に損ないを追い越してくれることを切に願っていた魔術師だった」

 なぜか僕にはヘムロッドさんが韜晦とうかいしているように思えてならなかった。その沈痛そうな表情のせいだろうか?

 「ゲムディフには恋人がいてね。日本人だった。都築つづき早香はやかクンというんだが、中々魅力的な女性だったよ。彼女とゲムディフは見ているこっちが赤面してしまうぐらいに熱々だった。……十数日前の実験の失敗で都築クンが死亡してしまうまではね」

 一度、ヘムロッドさんはそこで言葉を切った。

 まるでその件について思い出すことが、非常に苦痛だというように。

 数秒、室長もヘムロッドさんも、そしてクリシュナさんも沈黙していた。

 「……で、その失敗からどうなったんだ? そこが今回のお前の馬鹿弟子の所業の原因だろう」

 沈黙を破ったのは室長だったが、かなり容赦がなかった。

 弱々しく微笑み、ヘムロッドさんは再び口を開いた。

 「ゲムディフのやつだがね、それはもう半狂乱になっていたよ。あそこまで荒れているのを見たことはなかった。それぐらいに、あいつにとって都築クンは重要な存在だったということなのだろう。そんな状態で二日ぐらい経過した頃だね、ゲムディフが急に静かになってしまったのは。おそらく、そのときにはすでに計画は出来上がっていたんだろう。そして、統魔の管理部の人間を無力化、そして速やかに逃亡した。それが十日前になる」

 す、とヘムロッドさんは液体の入った小瓶をテーブルに置いた。

 「ヴィクトリア、私の依頼料はこれだ。キミにこんな辛いことを頼めた身分ではないのだが、頼れそうなのはキミぐらいしかいない。この通りだ」

 深々と頭を下げるヘムロッドさんと、赤い液体の入った小瓶。

 それらをしばらく室長は眺めていたが、深く嘆息してから言った。

 「いいだろう。受けてやる。ただしお前の弟子は五体満足とは限らないし、それ以外は何だろうと破壊する。そう思っておけ」

 「ありがとう、ヴィクトリア」

 結局、クリシュナさんは一言も発しなかった。


 2


 ヘムロッドさんは独自に調査を進めていたらしく、いくらかの資料を持ってきていてくれた。

 その資料を渡した後、ヘムロッドさんとクリシュナさんは百怪対策室を後にした。

 なんでも、これから統魔の調査委員会に出頭して調査に協力しなければならないらしい。つまりはこの資料は本来、その調査委員会に提出されるべきモノなのだ。もちろんコピーは取っているのだろうけど。

 そう考えると、ヘムロッドさんの行為は統魔に対する背任行為になりかねないものだ。

 なぜそんなリスクをおかしてでも室長に依頼しに来たのはよくわからない。

 一見すると仲が悪そうに見えたこの二人はどういった関係なのだろうか? 疑問は尽きない。

 よって、僕は直球で尋ねることにした。

 「あの、室長。ヘムロッドさんとの関係って一体なんなんですか? 僕にはすげー仲が悪そそうに見えたんですけど」

 ちなみに今は特急電車の中だ。

 なんでそんな場所に居るのかというと、ヘムロッドさんの資料によればゲムディフ・ゼーネ・ガルフシュタインが潜伏している可能性が非常に高い都市の推察があったからだ。

 根拠としては、そこでは若い女性の行方不明事件が多発しているらしい。それも犯人がまったく特定できていない上に、被害者の足取りも全くつかめていないのだ。しかも発生しているのはここ数日。

 ……遺体さえもまだ、見つかっていない。

 そんな奇妙な事件を起こすのは魔術師が動いている可能性が高い、らしい。

 それでも、室長がヘムロッドさんの資料をかなり信用していることは確かだ。

 仲は悪そうなのに、資料は信用する。なんともわからない。

 そんなもやもやを抱えている状態の僕に返ってきた室長の返答は至極簡素なものだった。

 「同期だ」

 いや、それで納得できるなら世の中はもっと円滑に回っていると思う。

 僕は何も言わない。ただ、じっとりとした視線を、隣でけだるそうにしている室長に送る。

 「……」

 「……」

 「……」

 「……」

 「……昔はよくつるんでいたからな。統魔でも私と同期でまっとうに存在しているのはヘムロッドともう一人ぐらいだ。あとは全部死んだか、ろくでもない存在になってしまっている」

 勝利を収めたのは僕だった。

 が、謎が増えただけのような気がする。

 「いやいや、それだけでそんなにざっくらばんに話せるものなんですか? 言っときますけど、端から見たら一触即発でしたよ」

 「昔からあんなもんだ。キミも古い友人に再会するような年になったらわかる」

 何年後の話だ。いや何十年後か。約四〇〇歳の室長にとってはそんなに大したことない期間なのかも知れないが、人間の僕にとってはすさまじく遠い未来になりそうだ。

 ……いや、今は人間じゃないか。

 少し、気分が沈む。

 頭を振って、妙な考えを振り払う。今はそんなことに思考の要領を割いている場合じゃない。

 起こっている事件。それが問題なんだ。

 若い女性の行方不明者が続出している。そして、その遺体が発見されていない。

 それがなぜ、魔術師の仕業と結論づけられてしまったのか?

 僕はそれが知りたい。事情を知らない状態で事件に首を突っ込むのは賢いとはいえない。

 この特急電車には二時間ほど乗車している予定だ。この時間中に、僕と室長で認識をアジャストしておくのは有効な選択だろう。

 ゆえに、僕は訊く。

 「今回の事件、本当にヘムロッドさんの弟子が起こしているんでしょうか?」

 「まあ、十中八九間違いないだろうな。コダマ、盗み出された物品を覚えているか?」

 うろ覚えだが、なんとか覚えている。そして、恋人を蘇らせるつもりだと室長が言ったことも。

 「A指定の物品の一つ、『フランケンシュタイン法概論教本』、これはフランケンシュタインの怪物の製造方法の説明だ。フランケンシュタインの怪物は知ってるな?」

 まあ、知ってる。っていうか知らないほうがどうかしているだろう。

 青白い、というか青い肌につぎはぎ。そして頭に刺さったでっかいボルト。

 まあ、見た目のインパクトも強烈だから一目見たら忘れないだろう。

 だが、これは死者蘇生の方法というよりも、人造人間だろう。

 誕生した怪物(よくこれがフランケンシュタインだと思われているが、造ったのがフランケンシュタイン博士である)は、創造主に裏切られるという悲哀に遭い、そして、人ならざる自分の在り方に苦しんでいく、とかいうのがあらすじだったか? 

 スタンダードな怪物過ぎて色々と登場するから、どれがオリジナルだったのかはっきりしないのだが、そんな感じだったはずだ。

 「世間一般に認知されている『フランケンシュタインの怪物は創作である』、という認識は統魔の情報操作によるものだ。フランケンシュタインの怪物の製造方法は存在しているし、製造されたこともある。それをあらわしたのが盗み出されたA指定の物品の一つだ」

 とんでもないな、統魔。情報統制とかやってしまうのか。しかも世界規模で。

 そこまで出来るのならば、いっそのこと情報を完全に抹消してしまった方がいいのではないだろうか? 

 顔に出ていたのだろうか。室長は長いため息をついた。

 「キミの言いたいことはわかる。だが、隠すと逆に嗅ぎ回りたくなってしまう連中というのが世の中には一定数いるんだ。すでに術法として確立してしまっている以上、流出しないという確信はもてない。ならば真実自体を上塗りしてしまえばいい。当時の統魔はそう考えた」

 なるほど。もしフランケンシュタインの怪物が出現したとしても、それなら統魔の情報統制もやりやすいというわけだ。真実を公開しても、冗談と思われるのがオチだ。

 思った以上に統魔の影響力は強いものらしい。

 そんな風に僕が納得していると、興が乗ってきたのか室長は話を続けた。

 「後はヘムの資料にあったんだが、『魂の枷』は生物の魂を捕縛しておくためのアイテムだな。しかし、使用できるのは死後数日の短い期間。それ以上は魂が現世から離れてしまうからな。そして、『反魂術応用』はそのまんまだ。死霊魔術ネクロマンシーの一つ、反魂術の応用法を記したモノだな。この三つでやるとするなら、まずは死者の魂を捕縛。その後に、フランケンシュタインの怪物で肉体を形成。最後に反魂術で魂を定着させる。生前とまったく同じ容姿とはいかないが、魂は一緒だし、肉体もちゃんとある。つまりは蘇るわけだ」

 つらつらと述べられるそれぞれのA指定の物品が盗み出された理由の考察を聞いてみると、たしかに室長が言ったように、ヘムロッドさんの弟子……ガルフシュタインは恋人を蘇らせようとしてるようにしか思えない。……行方不明の女性達は材料か。くそ。

 しかし、そんなに単純な理由なのだろうか?

 恋人を蘇らせたい。

 それだけの理由で、人は巨大な組織に背いてまで行動するのだろうか? 倫理を放棄してしまえるのだろうか?

 僕にはそれがわからない。

 「……室長、本当にガルフシュタインは恋人を蘇らせたいという目的で動いていると思いますか? 僕には、何か裏があるような気がするです。だって、統魔は巨大な組織なんでしょう? リスクとリターンが見合っていませんよ」

 僕の質問、というか難癖のような言葉に室長はやや考えるような仕草をした後に、静かに言った。

 「キミも身を焦がすほどの恋をすればわかるかもな」

 室長の顔には皮肉げな笑みが浮かんでいた。


 3


 電車から降りると、すでに夕刻が迫り始めていた。

 僕たちが降りたのはそれなりに発展している都市のはずだ。だが、奇妙な点があった。

 明らかに歩いている女性が少ない。

 いても、絶対に一人ではない。それなりの集団になっているか、男性が一緒だ。

 ……なるほど。若い女性に限った行方不明事件が立て続けに起こっているのは間違いないようだ。

 となると、明らかに見た目だけは中学生女子ぐらいである室長は目立ってしまう。

 いや、一応は僕が隣にいるわけだが、他は成人した男性なのに、室長だけは同伴が男子高校生一人というのは奇異に映ることだろう。

 室長が目立っているのはいつものことなのでどうでもいいのだが、僕が目立ってしまうのは避けたい。どうしたものか……

 悩む僕を尻目に室長はとっとと駅舎から出ると、ヘムロッドさんの資料と案内看板の地図を照らし合わせて何かを確認しているようだった。

 慌てて僕は室長に駆け寄る。

 「ちょっと室長、置いていかないでくださいよ。知らない街で迷子になったらどうやって合流するつもりなんですか?」

 「……」

 ガン無視かよ。傷つく。

 しかし、こういう時には室長の思考を邪魔しない方が良いだろう。

 少なくとも僕よりも、室長のほうが正確な推理をできるのだろうから。

 そんな風に金髪少女のそばにたたずむポニーテール少年という変な絵は数分続いた。

 「……コダマ、方針は決まった。行くぞ」

 突然そう言い放つと、室長は資料をポケットに突っ込んで(容積的には絶対に入らないが、入ってしまった)、とっとと歩き出してしまった。

 わけもわからずに、僕はそれを追う。

 「ちょっと、行くってどこにですか?」

 「決まってるだろう。買い物だ。怪物退治のためのな」

 キメ顔でそう言う室長が取り出そうとしたタバコを僕は取り上げた。

 路上喫煙禁止。



 さて、僕たちはヘムロッドさんの弟子である魔術師、ガルフシュタインの潜伏場所を探さないといけないはずだ。

 けっして、今現在のように、服屋で試着などしている場合ではないはずだ。

 そう、もっと他にやることがあるはずなんだ。

 僕が女物の服を着ている理由はきっと何かの不条理だ。夢だ。いや、悪夢だ。小唄の悪趣味な目覚し時計シリーズでいいから僕をこの悪夢から解放してくれ。そろそろ僕の精神の方が焼き切れそうになってきた。いやほんと。

 「んー。もう少し清楚にコーディネートしてみるか。ついでにネイルも念のためにしておくべきか? 最近の流行には疎いからな、どうにもこういうのは苦手だ」

 女装して試着室から出てきた僕を迎えたのはそんな室長の言葉だった。

 ……もう勘弁して欲しい。っていうか吐血しそうだ。僕のプライドも一緒に放出してしまうだろうが。

 「……室長、一応は言われるがままに従いましたけど、そろそろ限界です。死にそうです。人間的に、いや、男性的に」

 絞り出すような僕の抗議の声は聞こえたのだろうが、室長は聞こえないふりだ。っていうかすでに手にはワンピースを持っている。もしかして次に僕はそれを着なければいけないのだろうか? そろそろ尊厳死を考える時期になってしまったようだ。さよなら現世。

 「舌噛んで死んで良いですか?」

 「ダメだ。っていうか死ねないだろうしな。死ぬほど苦しみはするが」

 まあ、だろうな。

 このときばかりは吸血鬼の再生能力がうらめしい。

 「というか、いい加減に何で僕が女装こんなことをする羽目になってしまっているのかを説明してくれませんか? そうじゃないと全力で逃亡させてもらいますよ」

 「?」

 『キミが何を言っているのかがわからないな』という顔を室長は僕に向けてくる。

 うわ、すっっっっっっっっげえむかつく。殴り倒したい。殴り返されるだろうけど。

 「いやいや、そんな顔してもダメですよ。とりあえずは言われるとおりにしましたけど、そろそろ限界ですよ。現在進行形で大事なものをポロポロ落としちゃってますし、どうしてくれるんですか?」

 「キミも百年ぐらい生きてみたらどうでもよくなってくるから気にするな」

 そんなに生きる気はない。僕は死ぬときには人間として死にたい。

 「室長基準で考えないでください。僕は平凡な男子高校生。そういう存在なんですよ」

 「超能力を使える吸血種まがいが平凡、ねえ。キミも少しは言うようになったな」

 「ごまかさないでください室長。これが捜査に関係あるんですか?」

 「大いにある。おとり作戦だ」

 囮作戦。ほう、なるほど。僕を女装させて、それにガルフシュタインを食いつかせようという魂胆か。なるほどなるほど。合理的な作戦かも知れない。ただ一点を除いては。

 「囮は室長でいいんじゃないですか? わざわざ僕が女装しなくても」

 それなら僕がこうやって必要以上の精神的苦痛を受けなくてもいいじゃないか。っていうか、本来は最初にそれを言うべきだったのかも知れないが、この際、終わったことにとやかく言うのは止めておこう。

 そんな僕を室長は鼻で笑う。

 「コダマ、相手は魔術師だぞ? 魔術師わたしが動いていることを察知したらさっさと逃亡するに決まっているだろうが。ただでさえ統魔に追われることは確定しているんだ。気付いたら逃げの一手だろう。統魔が指定を迷っている間しか私達には時間が無いんだ。少しでも逃亡の可能性は避けたい」

 真剣な顔で室長は説明するが、口の端がわずかに震えているのを僕は見逃さなかった。

 楽しんでるじゃねえか!

 だがしかし、言っていることにも一理あるのは事実だ。

 ならば、僕は、ここは耐え忍ぶしかいないのか。ぐうううううう。

 「さてコダマ、とりあえずは男とわからないようにしないとな。キミは華奢きゃしゃな方だが流石に肩幅はごまかせない。もっと考える必要があるな。今のままだと単にキモいだけだな」

 ……どうやら地獄はまだ続きそうだ。


 4


 

 日が沈み、暗闇に沈み始めた街を僕は歩いている。女装して。

 結局、僕はあのあとだいぶん時間をかけて、ワンピースの上にストールを羽織るという事で決定した。っていうか、された。

 ご丁寧にムダ毛処理までされてしまったので(詳細は述べない。述べないったら述べない)、今のところ僕はそれなりには女装できているのだろう。

 髪は降ろしただけだ。ついでにうっすらと化粧もしているので、なんとも息苦しい。

 世の女性達は毎日こんな息苦しさと感じているのかと思うと、多少は頭が下がる思いだ。

 まあ、それ以上に僕の精神耐久値がガリガリ削れているので、おそらくは明日には忘れているのだろうけど。

 くそ、最悪だ。一応は僕の地元でなくて助かった。

 もしも知り合いにでも見られてしまったら一生後ろ指をさされかねない。

 不幸中の幸い。いや、そんなものがあっても、焼け石に水だけど。

 かなりやけっぱちな気分で僕は歩く。

 「コダマ、そのまま左の路地に入れ。人の気配がしない。おそらくはそこで獲物を待ち構えているはずだ」

 耳に押し込んでいる小型の無線装置から室長の声が聞こえた。

 ちなみに室長はけっこう離れた場所から僕を追跡しているらしい。どうやっているのかは知らないが。

 「わかりましたけど、本当に大丈夫なんでしょうね? さっきから僕、奇異の視線で見られているような気がするんですけど」

 無線装置は受信だけでなく発信もできるやつだ。なので僕の呟きのような声も室長には聞こえている、はずだ。

 「被害妄想が激しいなコダマ。良い病院を知っているんだ。この一件が解決したらそこにいってみるといい。次の日にはきれいさっぱり消えてなくなっているはずだ」

 怖! 明らかにやばい病院じゃねえか!

 肉体的には全く疲れていないのに、なぜかどんどんと精神的疲労だけは蓄積していく。

 こんなはずじゃなかったんだけどな、僕の高校生活。

 夏休み直前には、まさか女装して魔術師を探すことになるとは予想していなかった。予想できるヤツがいるとしたら妄想癖で診てもらった方が良い。僕はそういうタイプじゃなかったので、夏休みには多少の高揚感を覚えているぐらいだったのだ。

 それが、この有様だ。

 思わずため息が漏れる。

 「知っているかコダマ? ため息を一つ吐くごとに一本ずつ未来の頭髪が減っていくんだ。ハゲたくなかったらとっとと指定の場所に向かえ」

 うっさい。ハゲるとか言うな。多感な男子高校生をいじめて楽しいのか?

 が、室長の言うことはもっともだ。

 僕の心労が多少かさむことになってしまっても、行方不明事件なんてモノはとっとと止めないといけない。

 ……悲しむ人は、いるのだから。

 


 室長の指示に従って路地に入ると、確かに人の気配がしなかった。

 というよりも、生物の気配が。

 野良猫の一匹でもいそうなものだが、生憎と無機質な建物の壁しか目に入らない。

 ああ、キスファイアを思い出す。なんでこうも悪いことをするヤツは狭い場所を好むんだ? 僕が日本を自由に出来るようになったら広さが四メートル以下の通路は禁止する法律を作るだろう。

 そんなくだらないことを考えていると、音が聞こえた。

 ず、という重い何かが動く音。

 ……すげーイヤな予感しかしない。

 しこたま気は進まなかったのだが、僕は音がした後方に振り向く。

 ――――壁が、動いていて、いた。

 いや、正確には壁のように見えていたモノが動いていた。

 どうもコイツはコンクリートの壁に擬態していたようだ。平べったくなって、壁に張り付いていたのだろう。その証拠に、ソイツが離れた壁は数十センチほど厚みが減ってしまっていた。

 壁の姿をしていたソイツは、段々と形を変えていく。

 ぐねぐねと、うねうねと。

 やがて、その形は辛うじて人間に類似していると言えるぐらいには人型になった。

 軽く三メートルはある。巨人、と表現しても差し支えないだろう。

 「室長、出ました。けど、明らかに人間じゃないですね。どっちかというと……ゴーレム」

 そう、今は変な人型になってしまっているソイツはゲームなんかに登場するゴーレムにそっくりだった。

 「捕獲用のゴーレムだろうな。ソイツが犠牲者をさらっていたんだろう。それなりには敏捷だろうが、キミの敵じゃない。あくまで一般人を対象にしたやつだろう。そっちに行く。手足をいで動けなくしておけ」

 容赦ねえ。個人的にはかなりの無茶を振られている気分だが、多分室長は僕の能力を当てにしているのだろう。

 女装こんなかっこうはしているが、能力は問題なく使える。

 「わかりました」

 ぶわり、と僕の髪が浮く。

 今日はポニーテールにしていないので、すごい広がり方をしていることだろう。室長はかなり念入りにセットしてくれたのだが、台無しになってくれたおかげでちょっとはすっきりした。

 集中。

 とりあえずは脚だ。

 関節構造も人間と同じようになっているのかどうかは知らないが、捥がれたら動けなくはなるだろう。飛行能力でも持っているというのならば別だろうが。

 ばご、という破砕音と共にゴーレムの右足と胴体が離れる。

 バランスを崩して倒れるが、特に問題なく左足に視線を移す。

 ばごん、ばごん、ばごん。

 左足、右腕、左腕の順番で捥いでやる。人間が相手じゃないから気が楽だ。

 ずしん、という重苦しい音がしたが、最初にコイツが動いたときのほうが明らかに重量感があった。手足の分、質量が減ってしまったからだろう。

 今の音で誰かやってこないか心配になってしまう。どう言い訳したものやら。

 が、そんな僕の心配をよそに、やってきたのは室長だった。

 「ご苦労。……ふん、自己修復機能もつけていないとはな。ヘムも弟子の教育はまだまだだということだろうな」

 憎々しげな視線を送りながら室長はゴーレムを踏みつける。

 手足を捥ぎ取ってやったとはいえ、元々、三メートルぐらいはあったゴーレムだ。胴体だけでも二メートルぐらいはある。僕よりもでかい。

 そのデカいゴーレムは、踏みつけている室長から逃れようともがくが、室長の靴底がめり込むことでそれを阻止する。

 ……うわー、人間だったら背骨ぐらいは折れているだろ。相手が生物じゃないからって言っても、迷い無く実行できるとは限らない。しかも人型に対して躊躇せずっていうのは、サイコパスな気質を感じる。

 まあ、室長は人間じゃないからサイコパスが適用できるのかどうかわからないが。

 人間が猿に対して、人間と同様の配慮をするのかという話だ。

 閑話休題。

 とにかく、室長によって地面に縫い付けられてしまっているゴーレムは動けない。

 ということは、やりたい放題ということだ。

 『怪』の専門家にして、魔術師にして、吸血鬼。ヴィクトリア・L・ラングナーが。

 うん、僕なら絶対に勘弁して欲しいな。このゴーレムの制作者には同情なんてしないが、このゴーレム自体は多少あわれんでやろう。

 「コダマ、これから私はこのデカブツに能力を使うからキミは周辺を警戒しておけ。能力を使っている間、私は無防備だからな」

 言うが早いか、室長はゴーレムの首っぽい場所を掴む。

 能力? ああ、僕に食らわせたやつか。

 能力を奪う能力、“吸奪ドレイン”。体液を媒体にして、対象の能力を奪ってしまうという恐ろしいモノだ。室長曰く、それなりに調整は利くらしく、『僕の能力を半分ぐらい奪って、後は残しておく』なんて芸当もやってのける。

 その能力を全開で使ったらどうなるか? 想像もしたくないけど。

 一応、僕は周辺に目をやり、耳をすませる。

 誰もいないようだ。

 視覚は大分強化されているが、聴覚はそれほどでもないので完全には信用できないが、それでも常人よりも信頼できるだろう。

 「室長、誰もいないみたいで……」

 語尾は消えてしまった。

 室長はすでに能力の行使を終えていたからだ。

 かがみ込んでいる室長の下にはただの砂の山があるだけだった。ゴーレムのなれの果てだろう。やけに退場が早かったゴーレムだった。

 「どうです? なにかわかりましたか?」

 「ああ、コイツはどうも攫った人間を運ぶ場所があったようだな。おそらくはそこがヘムの弟子が拠点にしている場所だろう。行くぞコダマ」

 立ち上がりながら室長はとっとと歩きだすのだが、僕にはやりたいことがあった。

 「ちょっと室長、少しだけ時間を取れませんか?」

 「なんだ? 言っておくが時間はないぞ。流石に自分のゴーレムが破壊されてしまったとわかったら迎撃態勢を取るだろうからな。猶予(ゆうよ)は与えたくない」

 「着替えさせてください」

 女装したままで決戦はほんと勘弁して欲しい。 


 

 

 とりあえず、なんとか着替えることはできた。

 ちゃんとした男物の服になって、生き返ったような気分になる。服を替えるだけでこんなにも安堵したのは初めてだった。いや、女装するのがおかしいんだけど。

 ちなみに、僕たちは放棄されてしまっているショッピングモールにやってきている。

 室長があのゴーレムから奪った情報では、攫った後にはここに来るように命令されていたらしい。

 元々はかなり賑わっていたんじゃないかと思わせるような、かなり広い駐車場を有する場所だ。しかし、それは過去の栄光であり、今はただの廃墟同然になってしまっている。

 近くまではタクシーで来たが、後は歩きだ。

 運転手さんは怪訝そうな顔をしていたのだが、事情を説明しても理解を得られるはずもないし、そもそも魔術師の事情を説明してしまったら、統魔に何をされるのかわからないのでそのへんは適当にごまかしておいた。

 さて、入り口に立ってはいるものの、ここから先は敵地だ。

 確実に待ち伏せはあるだろう。警戒するに越したことはない。

 そんな僕の心情なんて知るか、と言わんばかりの早足で室長はずんずん進んでいく。

 もう、僕いらなかったんじゃないかな? そんな気分にもなってしまう。

 「ちょっと室長、流石にもうちょっと慎重にいったほうがいいんじゃないですか? すでに相手の拠点に侵入している状態なんですから」

 「相手の準備は整っているんだ。魔術師の準備というヤツはけっこう時間がかかる。となると、すでに用意していた仕掛けしかないはずだからな。心配するだけ無駄だ」

 そんなものなのだろうか。

 それなりには大きい入り口に到着するが、もちろん鍵は閉まっている。

 「邪魔だな。コダマ、やれ」

 気分だけじゃなくて、実際に犯罪者になってしまうことを推奨されてしまうとは。

 「はいはいわかりましたよ」

 二つ返事で了承してしまった辺り、僕も大分室長に染められてしまっている感があるとは思う。……気をつけないといけないのかもしれない。

 とりあえずは……面倒だ、全部ぶっ壊そう。

 おそらくは自動ドアだったであろうガラス製の横開きドアに意識を集中する。

 金属の枠が曲がり、ガラスがけたたましい音を立てて割れ、通れるぐらいのスペースは確保できた。

 なんだか心がすさんでいる気がする。女装のせいだろうけど。

 多少は残っているガラスを蹴り飛ばしながら室長と僕は正面から堂々と侵入する。

 すでに日は落ちているので中はもちろん真っ暗なのだが、僕と室長には関係ない。僕には多少暗いか? ぐらいで済んでしまっているし、室長なんかは多分、昼間と変わらないだろう。

 だだっ広い店内は、商品が全くないために異常に広く感じてしまう。

 そして、これ以上無い空虚感を漂わせている。潜むには絶好のシチュエーションだろう。

 「どこに居ると思いますか?」

 「そうだな……一番奥だろう。そうじゃなければ地下にでも潜っているか、だな」

 その場合は穴でも掘ったらいいのだろうか? 出来ればそれは避けたい。モグラみたいに土にまみれる羽目にまでなってしまったら、そろそろ僕の堪忍袋の緒も切れてしまうだろう。

 室長は特に警戒する様子もなく進んでいく。

 僕は僕なりに周りに目をやりながら室長についていく。

 ……やっぱりこんなに広い室内だというのに、全く人間の姿が見えないというのは不気味だ。過去には人でごった返したこともあるだろう店内は、その残滓ざんしをまったく感じさせない。

 ただの、廃墟だ。

 「止まれ」

 突然、室長が足を止めて僕にそう言った。

 「何ですか室長?」

 「敵のお出ましだ。流石に気付いたみたいだな」

 敵、という単語に反応して僕の警戒レベルが一気に上昇する。

 前後左右を素早く確認する。

 が、動くモノは存在していなかった。

 あるのは、商品の陳列棚だったであろう鉄製の棚とか、支柱とか、服屋のマネキンとか、カートぐらいだ。あ、商品を入れるカゴもあった。

 「……室長、僕には敵が見えないんですけど。相手は透明人間ですか?」

 「そんなわけないだろう。見えてるはずだ」

 「んなこと言っても見えないものは見えませんよ」

 そう言いながら僕が室長の方を見た瞬間だった。

 何かが、床を蹴る音がした。

 反射的にそちらを見る。

 マネキンがものすごい速度で僕に向かってきていた。

 「ぬえぇぇえ⁉」

 つるりとした顔の、感情を全く感じさせない人型が迫ってくるというのは中々にホラーだ。

 やけに俊敏なマネキンは跳躍する。

 その動きは陸上選手か何かのようだった。ややもすれば見とれてしまっていただろう。その跳躍先に僕がいなければ。

 「あっぶね!」

 しゃがみ込んで大胆すぎる体当たりを敢行してきたマネキンを回避する。

 吸血鬼の動体視力と反射神経、ついでに筋力があって助かった。まともにぶつかっていたら、痛いで済んだら幸運なぐらいの速度だった。

 おそらくは棚にぶつかってしまったのだろう。派手な衝突音がした。

 恐る恐る、僕は飛んでいったマネキン(?)を確認する。

 舞い上がったホコリの中から、ぎこちない動きでマネキンが立ち上がっていた。

 こっわ! ホラーじゃねえか!

 「し、室長。マ、マネキンが……」

 「ゴーレムだ。ヘムの弟子の製作だろうな」

 「は?」

 「元から素材が用意してあるのなら、あとは術式を組み込むだけだからな。さぞ作りやすかったことだろう。ついでに、与えられている命令は侵入者の排除だろうな。完全に動けなくするか、弱点をつかない限りは向かってくるぞ」

 マジかよ。

 ゴーレムの弱点についてはヘムロッドさんが百怪対策室を去る前に教えてくれていた。

 Emeth。ヘブライ語で“真理”の意味。これがゴーレムの核であるらしい。

 頭のEを削ってしまうか、そのもの全部ぶっ壊してしまうとゴーレムを構成している術式は崩れてしまう。

 つまりは、このマネキンもどこかにEmethの文字が刻まれているということになるのだろうが、生憎とそれは発見できなかった。

 となると、取れる手段は決まっている。

 ぶっ壊すしかない。

 ぶわり、と僕の髪が浮き上がる。

 ばぎごぎべぎごぎん!

 全身を雑巾のように絞られて、マネキンゴーレムは動かなくなってしまった。

 「……ふう」

 出てもない汗を拭って、僕は一息つく。

 「室長、なんとかやりましたよ……って――」

 絶句。

 僕が見たのは前方から迫ってくる数十体のマネキン、いや、マネキンゴーレムだった。

 「一体終わったからといって油断するな。次々に来るぞ」

 す、と室長はマネキン共を迎え撃つために構えた。

 

 5


 「う、りゃあぁぁぁぁぁ!」

 破砕ガン

 思いっきりマネキンゴーレムの頭を掴んで床にたたきつける。

 思ったよりも床の強度はあったようで、砕けたのはマネキンゴーレムの頭部だけだった。

 ついでに僕は思いっきりその背中を踏みつける。

 今度は流石に床も耐えきれなかったのか、ぴしりとひびが入る。

 同時に、マネキンの動きも止まる。

 たぶん、背中か胸にでもEmethが刻んであったのだろう。

 ぜいぜい言いながら周りに動いているマネキンがいないことを確認する。

 いない。

 数十体いた悪夢のような物体も、全部活動を停止していた。

 「室長、終わり、ましたよ」

 どっちかというと、疲労はマネキン相手に慣れない格闘をする羽目になってしまったことに対するものだったので、すぐに呼吸は整う。

 「うーん。コダマ、どうにも格闘戦に弱すぎるな。この一件が終わったら私がコーチしてやるから、格闘訓練だな」

 涼しい顔で室長はそんなことをのたまう。

 僕が処理したマネキンゴーレムは十体ぐらい。他は全部室長が片付けてしまっていた。

 しかし、室長には全然疲労の色が見られない。というか今にもタバコに火を点けそうなぐらいにリラックスした状態だった。

 経験の差か。

 僕は自分に向かってくる敵を相手するのに忙しかったので室長がどんな風に戦ったのかはわからないが、それでも同じ時間で数倍の量を処理したのだから実力差は歴然としている。

 しかも、僕が破壊したマネキンゴーレムはほとんどがばらばらにされてしまっているのに対して、室長が処理した方は真っ二つにされているか、胸に風穴が空いているかの二択だった。

 ……僕が暴走したときにはこうなるのだろう。願わくば、そんなことがないことを。

 「さて、第二陣がいるかもしれないし、奥に進むとしよう。ダンジョンの奥にはボスが控えているものだからな」

 マネキンゴーレムの残骸を華麗に跳び越えて、室長はさらに奥へと進んでいく。

 頼もしい背中だ。それが中学生女子ぐらいの背丈だったとしても。

 置いて行かれると何が起こるのかわからないので、僕は慌てて室長の後を追った。



 結局、敵の迎撃らしきモノはあのマネキンゴーレムの集団だけだった。

 僕たちは廃墟のショッピングモールの最奥にたどり着いていた。

 なぜそんなことがわかるのか?

 僕たちの前には仕切り扉のようなモノがあるからだ。

 それも、この廃墟のような場所には似つかわしくない、やけにきれいなモノが。

 完全にこの先への侵入を拒んでいるようで、どこから開けて良いのかさえもわからない。仕切り扉と表現するよりも、隔壁と言った方がいいのかもしれない。

 「邪魔だな」

 ばがん!

 室長が放った蹴りの一発で穴が空いてしまった。

 乱暴すぎるノックの仕方もあったものだと思う。ノックじゃなくて、キックだけど。

 空いた穴周辺に、何発も室長はパンチをお見舞いして穴を拡大していく。

 そのうちに、なんとか僕も通れるぐらいの大きさになった。

 「開いたな」

 開けたな。

 始めから穴が開いていたかのような動作で室長は通り抜ける。

 なんともいえない気分になりながらも、僕も穴を通る。

 そして、そこには二人の男女がいた。

 いや、正確には一人と一体なのだろう。

 寄り添うようにボロボロのソファに座っている男女。

 もしここが廃墟のような場所でなかったら微笑ましい光景だったのかもしれない。

 しかし、ここにいるということは一つの事実しかない。

 「お前がゲムディフ・ゼーネ・ガルフシュタインか。そっちのはフランケンシュタイン法で造った人造人間だな」

 その室長の質問に対して、男性のほうが答える。

 「……そうだ。だが、お前に何の関係がある? 招かれざる客には帰ってもらおうか」

 まだ若い男性だった。

 二十代、ではないだろうが、それでも三十前半ぐらいだろう。そして、傍らに寄り添っている女性は二十代半ばぐらいか? なぜか白いドレスのような服に身を包んでいた。ぱっと見はウェディングドレスにも見えないこともない。

 「関係あるな。フランケンシュタイン法に関する資料はすべてA指定になっているはずだ。それを用いることが出来るということは、A指定の品を持っているんだろう? 統魔にこそ所属していないが、見逃せないな」

 きっと、室長はあざけるような笑みを浮かべているのことだろう。背中からそういう雰囲気が伝わってくる。

 「……なるほど。師匠の知り合いか。統魔には所属してない上に、日本にいる魔術師ということはあんたがヴィクトリア・L・ラングナーか」

 「おや、私も有名になったものだ。こんな若造にまで名前が知られているとはな。これはこれは、思ってもいなかったぐらいに喜ばしい。で、だ。若造、大人しく拘束されるつもりはないのか? そこの人造人間は破壊するが、お前には優しくしてやろう。私も一応は先輩だからな」

 「断る」

 即答だった。

 室長としては最後通牒のつもりだったのだろう。だらりと弛緩(しかん)していた体の重心が、ほんの少しだけ移動したのがわかった。

 「ほう、聞き分けのない後輩だな。だったら力づくになるな。多少は痛いが自業自得だ。諦めろ」

 獲物に飛びかかる獣のように、室長は体勢を低くする。

 「早香! 逃げてくれ! ここは僕がなんとかする!」

 ゲムディフが慌てた様子で女性に告げると、女性は頷いてから駆けだした。

 「コダマ、人造人間は任せた。私はこのアホを拘束する」

 いつもよりも低い室長の声が下から響いてきた。

 反射的に、僕は通路のほうに逃げていった女性を追っていた。

 もちろん、破壊するために。

 そして、僕と室長は分かれた。


 6


 コダマの足音が遠くなっていったことを確認してからヴィクトリアは行動を開始した。

 まずは天井に跳ぶ。

 天井を蹴り、壁に。

 壁を蹴り、反対の壁に。

 反対の壁から天井に。

 跳ね回るゴムボールのように縦横無尽な動きでヴィクトリアは徐々にゲムディフに接近していく。

 その動きは人間に捉えられるものではなく、実際に次の動きを予測するのは不可能だった。

 しかし、ゲムディフに動揺はなかった。

 自分で出来ないのならば、他にやらせればいいというのがゴーレム法を修めた魔術師たちの共通した考えである。

 「ゲーネ!」

 叫ぶ。

 その声に反応してゲムディフに向かって跳んだヴィクトリアが、空中で停止する。

 ヴィクトリアは巨大な何かに掴まれていた。

 不可視のそれは、ヴィクトリアを床に叩きつける。

 叩きつけられたヴィクトリアによって、床に大きなひびが入る。

 即座にゲムディフは追撃を不可視の何かに命じる。

 ヴィクトリアが叩きつけられた場所が更にへこむが、そこにヴィクトリアはいなかった。

 「ふん。ちっとはヘムの弟子らしい所を見せるじゃないか。透明のゴーレムとはな」

 蹴り破った仕切り扉の場所からヴィクトリアの声が飛ぶ。

 ゲムディフは即座にそちらを見るが、そこにはヴィクトリアはいなかった。

 「だが、所詮は若造。経験が足りない」

 今度は天井付近からヴィクトリアの声がするが、やはりそこには誰もいない。

 「ゲーネ! 手当たり次第にやれ!」

 ゲムディフの命令に応えるように、不可視のゴーレムは破壊を開始する。

 壁に、床に、天井に拳を叩きつけ、砕く。

 何も知らない者が見たら、自然に床や天井が破裂しているような異様な光景だった。

 だが、それでもヴィクトリアの姿はなかった。

 「ゲーネ、俺を守れ!」

 奇襲を警戒してゲムディフは攻撃に使っていた透明ゴーレムを呼び戻す。

 だが、ゲムディフの方に向かおうとした透明ゴーレムの脚が両断されることによって、その命令は実行できなかった。

 自重を支えることが出来なくなったゴーレムは倒れる。

 同時に、突如としてゴーレムの足下にヴィクトリアが出現する。

 「私の専門は付与系列だ。自分に隠蔽を付与するぐらいのことは朝飯前だ」

 刃のように変形させていた右腕を元に戻して、ヴィクトリアは肩をすくめる。

 徐々に、透明化の魔術の構成が崩れてしまったゴーレムが姿を現し始める。

 五メートル近くある体長のゴーレムは、脚を失ってなお主人の元に這いずりながら向かっていた。

 「見上げた忠誠心だ。が、もう無意味だな。重力付与グラビティ・エンチャント

 ずん、という音と共に、ゴーレムの巨体が床にめり込む。

 脚を失っているゴーレムは、それで動けなくなってしまった。

 「さて、魔術師の拘束の基本はふん縛ってしまうことだが、ゴーレム使いにはあまり有効でないしな。……腕を落とすか」

 一歩、ヴィクトリアはゲムディフに近づく。

 対して、ゲムディフは一歩退しりぞく。

 「そう怖がるんじゃない。なに、多少は痛いだろうが、統魔が回収したらくっつけてくれるだろう。お前には訊きたいことが山ほどあるだろうしな。……死にはしない」

 気軽な調子で言いながら、ヴィクトリアは間合いを詰めていく。

 ぎり、とゲムディフは唇を噛む。

 出し惜しみしているモノがゲムディフにも存在していた。

 だが、今は惜しむときではないと判断する。

 「トーレ! アイシャ! リッティル! やれ!」

 ゲムディフの命令に従って、三つの影がソファの下から飛び出す。

 見た目は人間だった。

 しかし、その表情は虚ろであり、体中のそこかしこに縫い合わせたような跡が存在していた。

 三体は一糸乱れぬ連携でヴィクトリアに攻撃を繰り出す。

 が、次の瞬間にはヴィクトリアの体から生えたトゲのようなものに貫かれていた。

 「フランケンシュタインの怪物の試作品か。ふん、今回の行方不明者はこのパーツ用というわけだ。……まったく、反吐がでるな」

 トゲの刺さっている部分が変形し、人造人間達を引き裂く。

 バラバラになった三体は、すぐにうごかなくなってしまった。

 とっておきの、身体能力を強化した人造人間もあっさりと撃破されてしまったことでゲムディフの手札は尽きた。

 後ずさるが、すぐに背中に壁があたる。

 ゆっくりと、ヴィクトリアは獲物を追い詰めるように歩み寄る。

 「……お前は、お前は一体……」

 「なんだ、知らなかったのか? なら教えてやる。私はヴィクトリア・L・ラングナー。略奪者の異名を持つろくでなしだ」

 薄く笑うその顔は、ゲムディフには悪魔のように見えた。

 顎を打ち抜くようにして、ヴィクトリアはゲムディフを気絶させる。

 倒れた後に、素早くポケットからロープを取り出し拘束し、口には猿ぐつわを噛ませる。

 魔術の発動にはなんらかの動作、もしくは詠唱が必要になってくる。ゴーレムへの命令もそうだ。

 ゆえに、これでゲムディフはただの一般人と変わらない状態になった。

 「さて、コダマは上手くやったかな?」

 呟きながら、ヴィクトリアはヘムロッドに連絡するためにスマホを取り出した。



 7


 走る。

 僕は走っている。

 前方を逃げる女性を、いや、フランケンシュタインの怪物を追って。

 予想以上に向こうの足は早かった。

 なり損ないとは言っても、仮にも吸血鬼の僕に追いつかれることなく走り続けているのだから相当なものだ。

 全力疾走しても追いつかないというのは流石にショックだ。

 向こうは乳酸とか溜まらないのかもしれないし、もしかしたらこのままずっと追いかけっこを続ける羽目になってしまうのだろうか? ぞっとする話だ。

 一〇分以上はそんな調子で放棄済みのショッピングモールを走り回っていた。

 しかし、唐突にフランケンシュタインの怪物は足を止める。

 迎撃するつもりか⁉

 僕は急ブレーキを掛けて、体勢を崩しながらも止まる。

 距離は、大体十五メートルぐらい。僕が能力を使えば簡単に破壊できる距離だ。

 しかし、相手の動きはそれなりに俊敏だ。視線を切られながら接近されたら僕に勝ち目があるのかどうかはわからない。

 じわりとイヤな汗がにじむ。

 能力を使うべきか、否か。僕が悩んだその数秒でフランケンシュタインの怪物はゆっくりと振り向いた。

 さっきは慌てていたのでよくは見えなかったのだが、きれいな女性だった。

 とは言っても、それは攫ってきた女性達のパーツを使ったものだから、つぎはぎの偽物なのだろうが。

 「……貴方、名前は?」

 涼やかな声で、怪物は僕に尋ねる。

 一瞬躊躇したのは、どういう態度を取ったらいいのかを迷ったからだ。

 しかし結局の所、僕は魂の方を重視することにした。

 魂の枷。そのアイテムで囚われている都築早香さんの魂に対しての接し方をすることしたのだ。

 「空木うつぎコダマ。からの木にカタカナのコダマですよ」

 「……そう、良い名前ね」

 おかしい。

 彼女はゲムディフに逃げるように言われたはずだ。

 だが、足を止めて、僕とこうやって会話していることは『逃げる』という行動からはほど遠い。

 僕が室長と一緒にやってきたということは、彼女フランケンシュタインの怪物を破壊しにきたことぐらいはわかっているだろう。

 なのにどうして?

 どうして、逃げない? 僕と向かい合って、会話しようとしているんだ? 

 これじゃあまるで――――これから死のうとする人間みたいじゃないか。

 「貴方、魔術師? それともわたしみたいに人造人間? もしかしてゴーレム?」

 「いえ、なりそこない吸血鬼の超能力者です」

 警戒は解かない。いつ向こうが飛びかかってきたり、逃げ出したりしても大丈夫なように。

 「ふふ。やっぱり、悪いことなんてできないみたいね。悪いことしても、貴方みたいなのがやってきて台無しにしちゃうんだし。……あの人は、わかってなかったみたいだけど」

 あの人というのはゲムディフのことだろう。

 どうやら、確かに自我は確立しているようだ。都築早香さんの魂は確実にフランケンシュタインの怪物という肉体に宿っている。

 ゲムディフのやろうとしていたことは、完遂されていたのだ。

 死者の復活。目的はそれだけじゃなくて、彼女と一緒に過ごすことだったのだろうが、それはもう叶わない。彼女は僕がここで破壊するし、ゲムディフは室長が拘束するだろう。

 始めから、徒労だということは決定していたんだ。

 彼女は、都築早香さんはそれをわかっていたのか? 

 あのとき逃げ出したのは魂の枷の強制力によるものだったのだろうか? 僕は室長の説明を思い出す。

 『魂の枷は魂を捕縛しておくだけのアイテムじゃない。ある程度は捕らえた魂を支配することが出来るアイテムだ。もちろん、効果範囲には制限があるし、所有者から離れてしまうと効力は薄れる。だが、一旦薄れた強制力も近づいたら元通りだ』

 つまり、今は一時的に魂の枷の効力が弱まっているから、彼女はこうやって『逃げろ』という命令に背くことが出来ているのだろう。

 ゆえに、僕は混乱する。

 彼女は、なぜゲムディフの頼みとも言える言葉に逆らっているのか? 僕をここで殺して、どうにかして室長からゲムディフを救出する。そういうシナリオを描くものじゃないのだろうか? 彼女は一体何を考えているのだろう。

 「……都築さん、貴方は一体、何を――」

 「わたしは死にたいの」

 その言葉は僕の感情を揺さぶるのに十分すぎた。

 なるだけ動揺は表面にださないようにしたつもりだったのだが、それでも鼓動が早くなってしまったことは自覚してしまう。

 「死にたいのよ。だって、不自然じゃない。死人がこうやってピンピンしてるだなんて」

 手を広げてそう言う都築さんの顔は、笑っているようでもあり、泣いているようでもあった。

 都築さんの話は続く。

 「たしかにゲムディフの事は愛してるの。でもね、一度死んでしまったわたしを必死になってあの人が蘇らせようとしているときにやってたことを、わたしは全部見てた。断末魔の悲鳴を、刻まれる肉体を、縫合されるパーツを、試験される人造人間を。……わたし一人を蘇らせるということだけのために、何人もゲムディフは殺したわ」

 ……きっと、フランケンシュタインの怪物が涙を流すことが出来たのならば、彼女はそうしていただろう。それぐらいに、その声は震えていた。

 「今のわたしの魂は間違いなく都築早香のものよ。でもね、体はそうじゃない。名前も知らない人間のモノなの。なってみないとわからないけど、不安なのよ。自分が、いつか自分じゃなくなってしまうかも知れない。そんな不安がわたしを押しつぶしそうになってる」

 自己統一性アイデンティティーの問題、というやつだろうか。自己は魂だけに依存しているわけではなく、肉体にも依存しているというのが都築さんの考えなのだろう。

 思考実験になってしまうが、脳移植をした時、その人物は誰になるのか? という疑問に通じるものがある。

 いや、今回は肉体全部が別人の、しかも複数のものなのだ。

 魂というヤツがどれだけ頑強なのかは知らないが、肉体が精神に与える影響というものは確実にある。それ対して、言い知れない不安感を都築さんは覚えているというわけだ。

 哲学的だ。哲学的すぎて、僕にはついていけない。そもそも、肉体を別人のものと取り替えられた人にしかわからない悩みなんだろうけど。

 それでも、わかることはある。

 いびつな肉体と魂の結合によって、彼女は苦しんでいるということだ。

 「ねえ、お願い。わたしはこれ以上耐えられそうにないの。まだ、わたしが狂っていないうちに殺してくれないかな」

 ああ、そうだ。僕は彼女を“破壊”しに追っていたんだった。

 なら、彼女が頼むように、“殺して”やるのが道理だろう。

 彼女にとっては殺人、僕にとっては破壊。

 事実は一つだけだ。人造人間が破壊される僕がぶっこわす

 でも、二人の解釈は全く違ってきてしまう。

 厳密には生きているとは言えない都築さんだが、その魂はちゃんと人間性を保っている。

 危ういバランスだが、それでもちゃんと“生きている”と言えるのではないだろうか?

 この場で僕に答えを出すことはできそうに……ない。

 「悩んでるみたいね。無理もないか、まだ高校生ぐらいなんでしょ? でも、わたしは貴方にすがるしかないの。統魔がやってきたらわたしは回収されて実験される可能性が高い。そんなのはゴメン。わたしは、わたしとして死にたいの」

 僕は、返事ができない。

 沈黙。

 数分、その状態は続いた。

 ふう、と都築さんはなにかを諦めるようにため息を吐いた。

 「……まあ、そうだよね。子供に背負わせるような事情じゃない。でもね、覚えておいて。魔術師っていう存在は手段を選ばない」

 え?

 突然の都築さんの言葉に僕の思考には空白が生まれる。

 「わたしはこれから貴方を殺して、暴れ放題暴れる。外にでて、見かけた人間を殺しまくる。老若男女関係なし、全部殺す。そのぐらいに危険なら、統魔も即座に処分するだろうしね」

 都築さんは、笑っていた。

 何かを吹っ切ったかのように。

 迷いが晴れたかのように。

 その目は、本気だった。

 「な、何を、言ってるんですか?」

 「何って、これからの行動方針だよ。わたしは統魔の実験材料になりたくない。だから危険性をアピールするために大勢殺すの。単純でしょ?」

 「さ、さっきは犠牲者に対して心を痛めているって……」

 「それは事実だよ。でもね、結局人間は自分が一番可愛いんだよ」

 都築さんの笑顔は、どこか、ひび割れた陶器を思わせるような笑みに変化していた。

 「だから、貴方には死んでもらう。ここでわたしの最初の犠牲者になってもらう。安心して、他にも大勢送ってあげるから寂しくはないはずだから」

 大勢死ぬ。ここで彼女を逃がしたら、死ぬ。

 僕が死んでも室長がいる、とも思ったが、室長が捕まえるまでに何人死ぬかわからない。

 すでに故人となってしまってるはずの都築さんをここで殺すか、それとも大量殺人を見逃すか。二択だ。

 考えるまでもない。前者だ。

 だが、それでも僕は決心しきれなかった。

 「じゃあ、おしゃべりもここまでにしておこうか。あのヴィクトリア・L・ラングナーに邪魔されるわけにはいかないし」

 ほんの少しだけ都築さんの姿勢が前傾する。

 それが襲撃の合図だと察知した瞬間、僕は思わず能力を発動していた。

 僕の髪が浮いて、都築さんの動きが停止する。

 巨大な手で掴むイメージ。

 それで都築さんは動けなくなっていた。

 「……へえ、すごいね。本当に超能力者なんだ。でも、まだまだ安定してないみたいだね」

 ぎしぎしと音を立てて、都築さんは次第に僕の能力を振りほどこうとしていた。

 僕の集中力にも限界があるし、視線に依存している能力だから瞬きの瞬間は干渉力が弱まる。その隙を突かれてしまったら、終わりだ。

 人造人間も流石に五体をバラバラにされてしまえば活動を停止する。

 そう、室長は言った。

 なら、僕はやるしか、ない。

 都築さんの首に視線を集中する。

 捻ってしまえば、一撃だ。あとはゆっくり引き裂いてやればいい。

 躊躇しない。

 僕は、まだ生きていたいんだ。

 首を折る瞬間、都築さんは人間らしく微笑んだ。

 「ありがとう」

 ぼきり、という音はあっけなかった。



 「コダマ、ご苦労だった」

 「ええ、まあ。本当に苦労しましたよ」

 僕が都築さんを“破壊”してから十数分後、室長がやってきた。

 ゲムディフを引きずって。

 愛で狂ってしまった魔術師は、芋虫みたいな状態にされてしまって、文字通り身動き一つ取れないようになっていた。

 「……なるほど。キミには辛い役目を負わせてしまったようだな。すまない」

 どうも、相当にひどい顔をしていたらしい。素直に室長が謝った。

 普段なら憎まれ口の一つでも返しているところなのだろうが、そういう気分じゃなかった。

 「……室長、僕は正しかったんでしょうか?」

 ぽつり、と漏らすようになってしまった僕の疑問に室長は間を置いてから答えた。

 「正しい人間なんていない。正しそうに思える人間はいるだろうがな」

 は、なんとも滑稽だ。

 ただ、僕は自分に正しくはありたいと思った。

 数時間後、統魔の回収班がやってきて、ゲムディフと都築さんの残骸を回収していった。

 僕と室長はそのまま、色々と事情を訊かれたのだが、室長は『たまたま通りがかったらA指定の物品を持っているだろうと確信したので、制圧した』と貫き、僕もそれに従った。

 おそらくはヘムロッドさんが根回しはしていたのだろう。僕たちは特に拘束されるということもなく解放された。当然、駅まで送ってくれるなんてこともなく、室長が呼んだタクシーで僕たちは駅まで帰って、そこから更に電車でする羽目になった。

 百怪対策室に戻ってきた頃には、僕はすでに疲労困憊の状態だった。精神的に。

 「コダマ、今日はもう帰っていいぞ。キミも疲れているだろう。明日からは格闘訓練をしていくから覚悟しておけ」

 「……はい」

 覚えていたのか、格闘訓練。

 まあ、どうでもいい。そんなことよりも疲れた。

 今日はもう眠りたい。

 そんな風に投げやりな考えで百怪対策室を後にしようと出入り口のドアに手をかけた瞬間、室長は言った。

 「コダマ、キミのおかげで死なずに済んだ人間は多いんだ。胸を張っていい」

 お見通しか。

 室長は読心術でも持っているのだろうか?

 いや、僕がわかりやすすぎるだけか。

 「ええ、そうします」

 当分、胸は張れそうになかったが、僕はそう答えた。

 


 次の日から本当に室長の格闘訓練は始まった。

 とは言っても、素人に短期間で仕込めることなんてたかが知れているので、結局は効率のいいケンカの仕方みたいなものだったけど。

 それでも、ケンカらしいケンカをしたことがなかった僕にはけっこう参考になった。

 そんな風にして、残りの夏休みはわりと平和に終わった。

 そして、始業式。

 クラスメイトが僕を見て、ひそひそ言っているのはわかった。

 まあ、人の噂も七五日というし、それまでの辛抱だろう。

 それよりも休み明けのテストの方が関心は高かったようだし。

 そうして、残暑の厳しい九月は始まった。

 


 下校して百怪対策室に行こうとした僕は、靴箱に何かが入っているのを見つけた。

 取り出してみると、それは手紙だった。

 白い便せんに入った手紙。なんとも可愛らしいシールで封がしてあった。

 ……差出人は女子であって欲しい。男だったら僕が精神的に死ぬ。だから頼む、女子であってくれ。

 一応は変なモノが入っていないかどうか開ける前に確認してから、慎重に僕は開封する。

 中身は一枚の紙だった。

 丸文字でこうつづってあった。

 〈空木君に話したいことがあります。今夜七時に稲木公園のベンチで待っていてください〉

 うーむ。

 告白か? それとも『怪』絡みなのかが気になる。

 二つに一つ。どっちかというと前者であって欲しいというのはあまりにも都合がよすぎるだろうか? 青春したいお年頃なんだよ。

 だが、一応は百怪対策室への依頼の可能性も捨てきれないのでおもむかなくてはならないだろう。

 そう考えて、室長に遅れることを伝えるために僕はスマホを取り出した。





――――――――――――――そして、僕は“人狼”の少女と出会う。

            

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る