第十七怪 ヴァンパイア


 0


 突然だが、自分自身が本当に人間であると確信している人はいるだろうか?

 当然のことながら、僕は自身が人間であるとは胸を張って言えない。不可抗力というか、僕自身に起因することだとはいえ、超能力者。室長いわく念動力。その上になり損ない吸血鬼だ。

 いやいや、なんてバトル漫画の主人公だよ。僕は生まれてくる星を間違えたんじゃないだろうか? もっと重力百倍の星とか、成人するまでに百人の敵を倒さないと死んでしまうような星に生まれている方がなんぼか説得力があろうというものだ。

 そういうわけなので、僕が口出しできる問題ではないのかも知れないが、僕は“貴方あなたは人間であることに確信を持っているのか”という問題を提起してみる。

 またまた僕を例に出すようになってしまって申し訳ないが、僕が自分を人間であると言わない理由はキスファイアやらとやりあった経験が大きい。

 人間なら死んでいた。

 キスファイアの被害者と僕とで生死が分かれた理由はそれだけだ。

 あのときは吸血鬼の再生能力に助けられたのだが、同時に自分が人間でないことを否応なしに自覚させられてしまった。

 なんとも因果なものだ。

 ゆえに、僕はキスファイアに襲われても生き残った僕は人間ではない、という結論を導く。

 だが、この考え方は危うい。

 容易に間違った結論に結びつく。

 Aという条件を満たすモノが存在したとしよう。

 そしてここにもう一つ、Aという条件を満たさない別のモノを用意する。

 Aという条件に基づいてこの二つを比較してみれば、別のモノだ。考え方としては間違っていない。

 ただ、これは絶対的不変性を持つ存在においてのみ適用されるということを知っていて欲しい。

 室長のげんを借りれば、『存在しているということは揺らいでいるということ』なのだ。

 一つ二つの条件で判別できるほどには世の中は単純ではないし、そもそも前提として判別のための知識は非常に多岐にわたっている。

 当然、全部を知っている人間なんていないのだが。


 1

 

 「おにい、お兄は、お兄とき、お兄へども、お兄らず、お兄。……起きろお兄! この宇宙一のラブリー妹の小唄ちゃんが起こしに来ちゃったんだから速攻で起床! のちにひれ伏して感謝しないとだめだよ」

 どんどかどんどかと景気よく僕の部屋のドアをぶったたきながら小唄こうたのアホは朝からとばしてくる。

 せっかく普通に起きることが出来たと思ったらこの仕打ちだ。僕が一体お前に何をしたんだ? 借金今すぐに取り立ててもいいんだぞ。

 ドアごと蹴り飛ばしてやりたかったのだが、流石になり損ない吸血鬼の僕がそれをやってしまうと、本当にドアごと小唄がぶっ飛んで行きかねないの で自粛じしゅくする。

 ため息をつく。きっと今の僕は眉根にしわが寄っていることだろう。鏡無いからわからないけど。

 なるべく機嫌が悪い表情になっていることを祈りながら僕は布団から脱出してドアを開ける。

 「おはようお兄。今日も小唄ちゃんが可愛いでしょ? 可愛いよね? 可愛いって言え」

 「どこの皇帝だよお前は。あとなんだ? あの不気味すぎる活用もどき。お前は僕をなんだと思っているんだよ」

 「家畜」

 よしぶっ殺す。

 にかーと笑って言う台詞じゃあないなあ、それは。

 そしてその後に手を口元にもってきてクスクス笑っているんじゃない。

 ……本当に僕をからかうことに関しては全力投球の妹だ。

 朝一番から頭が痛くなってきた。

 こんなやりとりに朝の貴重な時間を使っているのも馬鹿らしいので、僕はとっととドアを閉めて鍵を掛ける。

 「お、最近急にプライバシーに目覚めてしまったお兄は部屋の中で一体何をしているのでしょうか? 好奇心旺盛な小唄ちゃんは気になってしかたないよ」

 「うっさい。お年頃なんだよ」

 僕の手から鍵をくすねようとしてる小唄の手を躱しながら僕は一階へ続く階段を降り始める。

 「ねえねえお兄。この間さあ、お兄のバイト先の人と知り合ったじゃない?」

 ……ああ、そういえばつい先日の件では、室長は小唄から僕が幽霊電車に関わっているのを聞いたのだった。

 つまりは室長と小唄には接点がある。

 ……すげー嫌な予感しかしない。具体的に言うと、僕の心労がかさみそうだ。胃に穴が開くことを心配する高校生とか嫌すぎる。

 「だからなんだ? 室長から僕に対しての全権を移譲いじょうされているわけでもないんだろ。話すことはないな」

 僕の隣で一緒に階段を降りる小唄を牽制けんせいする。

 その室長みたいなにやにや顔を止めろ。すっげー似てるから。

 「まあまあ、そんなに警戒するでないよ。小唄ちゃんは何も悪魔とかそういう存在じゃあないんだから、そんなに警戒しないでもいいんだよ?」

 「キャラがブレてるぞ妹。いいから僕の周りでうろちょろするな。危ないだろ」

 僕もそんなに長身というわけじゃないが、小唄は中学生女子にしても小柄な方だ。ゆえに、ぶつかったら吹っ飛ぶのは小唄だし、何よりも階段から転げ落ちて怪我で済んだら良い方で、最悪死亡だってあり得る。階段から落ちて死んだ、なんていう間抜けな死因になってしまうことは流石にこのひねくれ妹でも勘弁願うところだろう。

 「もー、お兄っておつむの回転が安定してないよね。変なところでは早いくせに、こういうときには全然回転が足りてないよ。ナックルボールだよ」

 関係ないだろ、ナックルボール。変化球に例えるな。そして、ナックルボールは予想できない変化が特徴だろうが。それじゃあ僕がとんちんかんな思考を経ているようになる。

 突っ込みたいことは色々あったのだが、こういう場合は突っ込んだら余計に話がそれていくことは知っている。なにせコイツが生まれてからの付き合いなんだ。こういう時には何も言わないのが正解だ。そのうちに耐えられなくなって勝手に用件をしゃべり始める。

 僕の予想は正しく、階段が終わり一階の床を踏んだ瞬間、小唄は得意そうな顔を止めて無表情になる。

 「お兄にさ、ちょっと頼みたいことがある人がいるんだよね。その人、けっこう困っちゃってるみたいで、悲壮感に満ちあふれていちゃってるから、小唄ちゃんとしては助けてあげたいんだよ」

 ほい始まった。ちょろい妹だ。

 「へえ、お前の知り合いなんだからさっさと助けてやったらいいだろ? それとも助けられないような事情でもあるのか?」

 ここで僕は小馬鹿にするように鼻を鳴らすのを忘れない。

 マジモードの小唄はこういった挑発への耐性が著しく下がっている。

 案の定、小唄は体ごと僕に向きなおった。

 「知り合いっていうは外れてるけど他はおおむねその通り。だって流石の小唄ちゃんも、化け物は相手したことないもん。そういうのはお兄、っていうかヴィクトリアさんの領分なんでしょ? そして、ヴィクトリアさんはお兄に尖兵を務めるように指令を下しているって小唄は聞いたよ?」

 僕は悪の組織の下っ端か。

 後半は間違ってはいないが。

 「まあ、そうだな。一応はそういうことになってるな。っていうかお前どこまで聞いているんだよ」

 場合によってはコイツに箝口令かんこうれいを敷く必要がある。

 「ん~、まあ、お兄がぁ~キスファ……むぐっ」

 物理的に口を閉じさせた。

 室長め! 一般人になんてこと教えてるんだ⁉ キスファイアは統魔が回収したんだから教えたらまずいんじゃなかったのかよ⁉ なにやってんだよ!

 「むぐぐっむぐんぐ。むむむむ!」

 小唄は何かを言おうとしているのだが、僕は決して手をどけない。

 先に言い含めておく必要がある。

 口を塞いだままで小唄にささやく。

 「いいか小唄……絶対に僕や室長が、というか百怪対策室びゃくかいたいさくしつがその事件に関わっていることを他で言うな。お前も危なくなるからな」

 目を丸くして、小唄はこくこく頷く。

 なんとか素直に了承してくれたので僕は小唄の口から手をどける。

 ふう、と思わず安堵の息が漏れる。 

 「……まさか本当に関わっていたんだ。小唄ちゃんはひょうたんから駒だよ」

 ――――――――は?

 「いやいや、ネットの噂でポニーテールの少年が目撃されていたっていうのはあったんだけど、まさか本当にお兄だったなんてね。これは思っても見なかった事態。カマをかけたらここまで見事に引っかかるだなんて……お兄ってアレかな? 小唄ちゃんをどうしたいのかな?」

 あっけに取られた顔で小唄はそんなことを言っている。

 ナニヲイッテイルンダ、コイツハ?

 「っていうか、お兄。今のは一世一代の自爆だったね。これで小唄ちゃんは弱みを握っちゃったよ?」

 にやにやと小唄はいつもの僕をからかうモードに移行する。

 僕は……間抜けか。こんな古典的なトラップに引っかかってしまうとは。

 「もうこれは小唄ちゃんの頼みを聞くしかなくなっちゃたね~。うひひ」

 まるで獲物をいたぶる猫のような目をして小唄は笑う。

 これはまずいことになった。

 急転直下だ。

 何でこんなことになった? 僕がアホだからだ。小唄に対して呆れていた数分前の僕を殴ってやりたい。

 後悔先に立たずとはいうが、ここまで実感することになるとは……!

 「ちょっとちょっとお兄? 頭抱えてもだえてないでこの場合は小唄ちゃんの頼みを聞いた方が良いんじゃないかな? ん? んん?」

 うぜえ。っていうかホントにぶん殴りてえ。

 が、ここで短気を起こして僕の情報が拡散してしまうのは避けたい。小唄のネットワークは僕の比じゃない。コイツが本気で広めようと思ったら明日には町中の中学生がコトを知る羽目になってしまう。

 なんて世の中だ。

 「……わかったよ。言えよ、僕に相談したいことっていうものを」

 暗澹あんたんとした気分で僕は言った。

 「うへへへーい、やっぱり小唄ちゃんは神に愛されちゃってるね。お兄が快諾してくれるだなんて!」

 とてもわざとらしく小唄は諸手もろてを挙げて喜んだ。


 2


 「SNSで?」

 「そうそう。小唄ちゃんもSNSを始めちゃったりしてるんだよ。この高度情報化社会に適応しないとね」

 空木家のリビング。小唄はソファに座り、僕は端から持ってきた折りたたみの椅子に座っている。

 ちなみに両親は今日も朝早くから仕事に出かけてしまっている。学生は夏休みでも社会人には関係ないらしい。いつかは僕もああいう生活になってしまうのかと思うと多少憂鬱だ。

 それは置いておくとして。

 ポケットから小唄は自分のスマホを取り出し、何かの操作をした後に僕に画面を向けてくる。

 〈ポニーテール解決人☆奇妙事件相談所〉

 そんな名前のアカウントが表示されていた。

 「どこの沸いてるヤツだよ。こんな名前のアカウントにしてるのは」

 「小唄ちゃんだよ?」

 侮蔑ぶべつの眼差しを妹に向かって放つ。

 ……いや、よく考えてみなくても小唄はまだ中学二年生。そういう年頃なのだろう。あまり刺激してしまうのもよろしくないか。

 そう考えて、僕は無理矢理に微笑みを浮かべる。

 「……なんかさぁ、お兄は勘違いしてると思うけど、小唄ちゃんはわざとこういう名前にしてるんだからね? こういう馬鹿っぽいほうが本物がやってきたりするんだよ」

 「ああ、そうだな。きっとそうだ」

 気のない返事を返すが、正直僕はげらげら笑いそうになるのを我慢するのに必死で大変だった。いかん、頬の筋肉がつりそうだ。

 「でね、このアカウントに送られてきたメッセージが、これ」

 何度か操作して、また小唄はスマホの画面を僕に向ける。

 やっと笑いの発作が治まりかけてきた僕はなんとかスマホを受け取って、メッセージとやらを読んでみる。

 〈初めまして。突然のことで失礼だとは思いますが、わたしの身に起こっている事を解決していただけないでしょうか? このままでは近いうちに命が危ないのです。どうか、助けてください〉

 「ただの悲劇のヒロイン症候群の人だろ」

 「お兄って冷淡だよね。そういうことは思っていても言ったらダメだと思うなぁ~。絶対に女子にもてないタイプだね」

 うっさい。僕の異性関係に対してお前が口出しする権利はないだろうが。例え質問されても徹底的に黙秘を貫くからな! 僕は!

 「まあまあ童貞のお兄。そんなにカリカリしてないで他のメッセージも見てみるといいんじゃないかな」

 いやに自信たっぷりに小唄が言うので、僕もついつい同じアカウントから送られてきている他のメッセージを閲覧えつらんする。つうかさらっと僕を童貞扱いしたな? ……童貞だけど。

 〈先日のメッセージは読んでいただけましたか? 出来ればお返事が頂きたいのです。ただで頼みを聞いてもらおうなどとは思っていません。きちんとお金はお払いいたします〉

 〈お願いします。わたしを助けてください。わたしは他に頼れそうな人がいません。わらにもすがる思いであなたにお願いしています〉

 〈助けてください。お願いします〉

 〈助けて。わたしはまだ生きたい〉

 まあ、そんな感じだった。

 段々追い詰められていってないか? 怖い。

 うーむ。正直、文面からは関わりたくないタイプの人間にしか思えない。

 絶対面倒くさいタイプの人物だ。こういうのは接触するだけで僕が火傷するのが目に見えているのだが……

 「なあ、小唄。もしかしてお前これ承諾したりしてないよな?」

 「しちゃったね~。もう小唄ちゃんは天使のように優しいから昨日の夜に承諾しちゃったんだよね。そしてお兄はさっき小唄ちゃんに弱みを握られちゃってるよね?」

 にたり、と笑う小唄は、天使というよりも悪魔よりだった。


 3


 小唄のお願い(っていうか脅迫)を受けてからの夕方。僕はとある駅に来ていた。というか駅舎の待合室にいた。

 なぜかというと、そこで小唄は例のメッセージを送ってきた人間と待ち合わせをしていたのだった。

 もし僕の弱みを握っていなかったらアイツは一体どうするつもりだったのだろうか? その場合は想像したくもない手段をとっていたのだろうが。考えるだけ無駄か。

 正直、逃げたい。

 どんな人物がやってくるのか想像も出来ない。両腕に包帯をぐるぐるに巻いていたり、ゴスロリが来たり、意外性を狙ってギャルが来ても驚かないように心の準備だけはしておこう。っていうか僕はなんですでに依頼人が女性だって決めつけているんだ? ここ最近、女性からの依頼ばっかりだったからか? なんだか自分の性欲の一部分を垣間かいま見てしまったようでなんとも悩ましい。

 そんな風に反問している僕に近づいてきた人間がいることに気付く。

 あまり音がしないところを見ると、革靴とかヒールじゃないようだが、まだ待合室に入ってきたばかりだろう。気配はまだ遠い。

 僕は入り口に背を向けるように座っているので、姿を見ることはできないがドアが開いたかどうかぐらいはわかる。

 入ってきた人物はどうやら待合室に僕しかいないことを確認しているようだった。入ってきたその場から動いていない。

 が、僕の他には誰もいないことを確認したのか、僕の方に近づいてきた。

 「……あの、貴方がポニーテール解決人さんですか?」

 ……できればそのアホな名称で僕のことを呼んで欲しくはなかった。しかたがないことではあるのだが。

 「ええ、多少の込み入った事情はありますが、僕がそのアホな名前を名乗っているヤツだと思って……い……いで……すよ?」

 答えながら僕は振り向き、言葉が上手くつむげなくなる。

 なぜならば、僕の目に入ったのは夕方とはいえ夏真っ盛りに黒の長袖のタートルネックに長ズボン、そしてご丁寧に黒革の手袋までしており、黒のニットキャップを被り、トドメに顔全体を包帯でグルグルに覆ってしまっている人物だったからだ。

 え、なにこれ。

 「ごめんなさい。わたしも貴方のお名前を聞くわけにはいかなかったし、ポニーテールの男性としか聞いてなかったので確認させてもらいました」

 念の入ったことにサングラスまでかけているので、まったく相手の表情もわからないが、恐縮しているらしいことは伝わる。

 とは言っても、口まで包帯で覆っているので声はくぐもったものだったが。

 「自己紹介、は後にして落ち着いて話せる場所に移動して、詳しいお話はそれからということにできませんか? ここは人も通りますし」

 包帯さん(失礼な仮称だとは思うのだが、ここはそう呼ばせてもらう)はそう言いながら僕を見ているのだろうが、はっきり言ってこれまでになく僕はダッシュでこの場から逃亡したかった。さっきまでは小唄と室長の手のひらの上で踊っているような感覚からの反抗心のようなものからだったが、今は純粋に恐怖から本能的逃走欲だ。

 が、曲がりなりにも『怪』と関わってきた僕のちんけなプライドが、なんとかみっともない逃亡は防いでくれた。

見栄を張りたいお年頃なのだ。

 「わ、わかりました。場所はお任せしてもいいですか? 僕はこの辺の地理には詳しくないもので」

 結局、絞り出すことができたのは相手に全投げするという愚行だったが。

 「はい。じゃあ、ついてきてください。わたしは人目につきますから、少し離れていた方が良いと思います」

 ……その格好が目立つっていう自覚はあるのか。

 となると、この包帯さんはなぜこのような格好としているのだろうか? 

 それが、『解決して欲しいこと』なのだろうか?

 疑問はあったのだが、現時点では僕はそれを尋ねることはできずに、歩き始めた包帯さんの後をついていくことしかできなかった。

 


 駅から十分ぐらい歩いただろうか? 

 多少は喧噪も薄れ、住宅も増えてきた。

 そんな場所の一角にあるマンションに包帯さんは入っていった。

 見失ってはまずいので、慌てて僕もそのマンションに入る。幸いにもオートロックではなかった。

 一階の一〇五号室。その前で包帯さんは止まると、鍵を差し込んで解錠し、慣れた動作で中に入っていった。

 「入ってください。わたしの部屋なので遠慮無く」

 は? 

 なんでいきなり自宅なんだ?

 いやいやいやいや、一応僕は男だぞ? そして顔こそわからなかったが、体つきから包帯さんは女性だということはわかっている。

 女性がいきなり知らない男を家に上げるのか? 世間一般ではそうなのだろうか?

 ううむ、世の中はどうにもまだまだ僕の知らないことだらけだ。

 「あの……どうかしましたか?」

 心配そうな包帯さんの声で僕はトリップから戻ってくる。

 「いえ、何でもありません」

 おざなりにごまかして、僕は玄関に入る。

 包帯さんは靴を脱いで廊下に上がった僕と入れ替わるようにしてドアの鍵を掛けた。

 ……いざという時に逃げづらくなってしまった。

 まあ、本当にいざという時には窓でもぶち破って逃げるが。

 「どうぞ……散らかってますけど」

 包帯さんにそのままリビングに案内される。

 どうやらこの部屋はキッチンとリビングで分かれているようだった。

 リビングは『散らかっている』という包帯さんの自己評価に反してきれいなものだった。

 潔癖症気味、と小唄からは評されている僕でもきれいだと思ったのだから、むしろ人によっては生活感がないと表現するかも知れないぐらいだ。

 そんな部屋だが、所々には女性らしい小物やら、アロマなんかが置いてあって、うら寂しいような感じは受けない。

 包帯さんに勧められるままにクッションに座る。

 おお、ふかふか。なんだかクッションが僕の体重に負けてしまいそうで申し訳なくなってくる。

 包帯さんはテーブルを挟んで僕の向かいに座る。

 「……」

 「……」

 気まずい沈黙が流れる。

 ここは僕から話し始めるべきなのだろうか? だが、一応は向こうから助けを求めてきてるのだから口を開くのを待っていた方がいいのか? こういう時のためのレクチャーとかのほうが普段しているどうでもいい話よりも何倍も役に立つと思いますよ、室長。

 「あの……まず、お名前を聞いてもよろしいでしょうか?」

 包帯さん(いい加減にこの呼び方も失礼だとは思うが)はおずおずといった様子で切り出してきた。まあ、僕もポニーテールの解決人という変な名称のままでラベリングされているのははなはだ不本意なのでちょうど良いだろう。話し始めのきっかけとしても。

 「空木コダマ。特殊な読み方なんであんまり気にしないでください。名前のほうはカタカナです。……じゃあ、そちらのお名前をうかがってもよろしいですか?」

 「弥里やさと美代みよです」

 なるほど。包帯さんは弥里さんというわけか。……普通の名前でよかった。

 さて、ではとっとと始めることにしよう。

 「じゃあ、弥里さん。一応、僕は警察とかには相談できないような、相談しても一笑に付されてしまうような物事に関わってきた者です。そんな僕になにをして欲しいんですか?」

 正確には室長に、だけど。ここは省略しておいた方がいいだろう。余計な不安感を与えてしまうのはよろしくない。

 包帯の上からでも弥里さんが逡巡しゅんじゅんしているのがわかった。

 ここまで来させておいて何を今更と言いたいところだが、そこが微妙な人間の感情の機微なのだろう。

 思ったよりも短い逡巡の後に、弥里さんは言った。

 「吸血鬼になってしまったわたしを、助けてください」


 4


 さても、さてもさてもさてもさても。

 なんともわけがわからないを通り越してシュールになってきてしまった。どうしようか?

 状況を整理したい。

 なり損ない吸血鬼の僕に、吸血鬼になってしまったと主張する女性が助けを求めている。

 ふーん。世の中って理不尽だな。

 ……いや違うだろ!

 この際、僕自身のことはどうでもいい。

 問題は弥里さんが吸血鬼になってしまっている、と主張していることだ。

 「……すいません。失礼かもしれませんが、本気で言っていますか? 僕はジョークとかはあまり上手くないので、理解できなかったのかもしれません」

 「本気です! わたし、本当にどうしていいかわからないんです! もう、誰に頼って良いのかさえも……」

 弥里さんは身を乗り出して叫んで、そしてテーブルに手をつく。まあ、その手は未だに手袋をはめていたし、顔も包帯でグルグルのままだったので、見ようによってはかなり不気味だったのだけど。

 だが、嘘はいっていないのだろう。

 少なくとも彼女の中では吸血鬼になってしまっていることは事実なのだ。

 下手に刺激するのはまずい。こういう思い詰めている時にはとにかく話を聞いてあげるのが一番だ。主に小唄のせいで僕はすでにそういったことを学習していた。

 「わ、わかりました。とにかく、吸血鬼になってしまったっていうのはいつからなんですか? まずはその辺りの話から聞かせてください。情報がないことには僕もどうしようもありません」

 どうどうと、“落ち着け”というジェスチャーをして弥里さんをなだめにかかる。

 その動作が効いたのか、それとも話を聞かせて欲しいという部分に反応したのかはわからないが、なんとか弥里さんはクッションに座り直してくれた。

 「……始まったのは二ヶ月ぐらい前になります。そこからどんどん進んできてしまって、今では日光に当たるだけで『こう』なってしまうんです」

 するり、と初めて弥里さんは左手の包帯を解く。

 現れたのは、女性の腕だった。

 だったのだが、その腕は火傷でもしたかのように真っ赤になっていた。

 それも、その部分は腕全体に広がっている。

 痛そうとかそういうレベルじゃなく、見ているこっちまで腕が痛みそうだ。

 怪我、というか、炎症だろうか? だが、問題が一つある。 

 弥里さんは何が原因で『こう』なってしまったと言った?

 日光?

 日の光に当たると焼けただれてしまう。そんなの、まるで……

「吸血鬼、ですよね。こんなの」

 悲しげに弥里さんは呟いた。

 その通りだ。

 僕はなり損ない吸血鬼なので日光に当たっても、かゆい程度で済んでしまっているのだが、純粋な吸血鬼である室長はどうなのだろうか? 

 百怪対策室には日光が全く入ってこないように窓がない。

 一応、室長は日光に当たっても僕以上にかゆいのと、いくつかの能力が発揮しきれないというのはあるらしいが、このようになってしまうということはない。 

 が、同時に室長はそのときに言っていたのだ。

 『吸血種と一口に言っても様々な種類がいるんだ。強力な再生能力を有している種族もいるし、変身能力持ちもいる。そのへんは様々だ。ゆえに、吸血種というカテゴリだからといって決めつけるんじゃない。まあ、日光に弱いのは共通なんだが』

 執拗しつように吸血鬼とは言わない室長だったが、それでも日光が弱点は共通しているとは言っている。

 ならば、弥里さんも再生能力が弱いだけの吸血鬼という可能性だってあるだろう。

 弥里さんの言っていることが本当だとしたら、僕としてはどうにかしてあげたいものだ。合縁奇縁あいえんきえんというか、望まずに吸血鬼になってしまった者同士、助け合うぐらいのことはしてやりたい。

 ここまで炎症が広がってしまっているのは辛いだろう。そのうえ、全身『こう』だと弥里さんは言っているのだ。

 見るからに怪しい格好も、なるべく日光を浴びないようにするためにやむを得ずに取った手段というわけだ。

 最初にドン引きしてしまった僕がどれだけ失礼なヤツかということが痛感させされる。

 その償いというわけでもないが、僕は弥里さんをどうにかしてあげたいと思ってしまった。

 「わかりました。弥里さん、貴方を救えるかも知れない人のもとに案内します」

 「え?」

 虚をつかれたような声で弥里さんは反応する。

 まあ当然だろう。普通僕が解決すると思うよなあ。

 しかしながら、僕は所詮、受付窓口のようなものに過ぎないのだった。

 「安心してください。連れて行く場所は怪しいですけど、そしてそこにいる人物も怪しいですけど腕は確かのはずです」

 自分で言ってって大丈夫だろうかと心配になってくる。

 誰が信用するんだ、これ?

 「はい、お願いします。わたしを助けてください」

 僕の心配はまた空振りに終わってしまったようだ。


 5

 

 まだ日光がある状態では弥里さんが辛いだろうということで、僕は日が沈んでしまってから百怪対策室に向かうことを提案した。

 快く承諾してくれたので、とりあえずは二時間ほどだらだらとしょうもない話をして、弥里さんが大学生だとか、今は講義に出席できないから前期は単位を落としてしまった、なんて役にも立たないような情報を僕は集めていた。

 やがて夜が訪れると、僕と弥里さんは太陽の光を警戒しながらマンションから出た。

 やはり火傷の跡が目立つのが嫌なのか、弥里さんは顔には包帯を巻いたままの怪しい格好のままだった。

 あまり、この状態の弥里さんと一緒に電車に乗るのは気が進まなかったのだが、こればっかりは本人の意思を尊重したい。……隣にいる僕も一緒にすさまじい視線を受けてしまったが。なんてこったい。また妙な噂が立ってしまうかもしれない。くそ、胃薬を買い求めないといけない。

 そんなこんなはあったものの、なんとか僕と弥里さんはハイツまねくね二〇一号室、またの名を百怪対策室の前まで到着した。

 ここで躊躇ためらっていてもしょうが無いので、ぼくは速攻でインターホンを押す。

 キン、コーン。

 よくあるチャイム音が響き、ザ、というノイズ音の後にインターホンから声が響く。

 「だれだ?」

 可愛らしい声に反しての伝法な口調。いつもの室長だった。

 「コダマです」

 「新幹線が私を訪ねてくるとはまた奇妙な話だな。しかも喋る新幹線だなんて二重に奇妙だ。ここは確かに『怪』を専門としている場所だが、車庫じゃないぞ」

 そのネタでいじられるのは小学生以来だ。っていうか小学生の時でもきっかけになったのは社会の先生だ。

 つまり、年齢がバレる。

「……そのネタが出てくるって事は室長、実はけっこう年いってますね。少なくとも四十代」

 「馬鹿にするな、約四〇〇歳だ」

 上を行かれてしまった。っていうか十倍だった。

 「そういう返しが出来るという事はコダマに間違いないな。入れ、鍵は開いてる」

 いつものやりとりなのだが、室長は人をおちょくらないと人を招き入れるということができないのだろうか? そうだとしたらかなり面倒くさい人物だ。今更始まったことじゃないが。

 僕は無言でドアを開けると、とっとと中に入る。

 そして、中から弥里さんに呼びかける。

 「どうぞ。中に居ますよ。本当の解決人が」



 外観以上に、というか、外観が異常なのか。百怪対策室は広い。

 大抵の人はここでびっくりするし、僕もびっくりした。

 弥里さんも例外ではなかったらしく、包帯越しでも呆気にとられているのがわかった。

 「気にしないでください。ちょっとした異次元に迷い込んでしまったと思ったら、慣れますよ」

 身も蓋もない僕のフォローだったのだが、弥里さんは納得してくれたらしく、  「そ、そうね」と返してきた。

 ……実は納得していない可能性を感じる。

 追求しても生産性がないと判断して、僕はとっとと応接室のドアをノックする。

 「入ってこい」

 中から返ってきたのはやはり室長の声だった。

 いつものことなので、気にせずに僕は応接室の中に入る。

 テーブルを挟んで向かい合うように置いてあるソファ。

 その一つにリラックスした様子で室長はだらしなく座っていた。

 いつものようにタバコを咥えて。今日はパイプらしい。妙にでかい。

 「こんな時間にやってくるとは良い度胸だな。キミがやってこないからきょう発売のコミックスを買い損ねた。どうしてくれるんだ?」

 開口一番これである。

 「んなこと言っても、依頼人に会っていたんだからしょうがないじゃないですか。っていうか、通販でもなんであるでしょうに」

 「店舗特典がないだろうが。特典は大事だぞ。後々入手しようと思っても難易度が高いからな」

 どうでもいい。

 何でこの人はこんなにオタク文化に染まってしまっているのだろうか? 曲がりなりにも魔術師のはずなのに。

 「そんなことよりもコダマ。今日は一段と面白そうな依頼人を連れてきたな。透明人間か?」

 とんでもなく失礼なジャブを放つ室長だった。

 「何言ってるんですか。そういうんじゃなくて、ちゃんとマジな『怪』なんですから、ちゃんとしてください」

 弥里さんが不信感を持ってしまわないかが心配だ。

 「わかったわかった。まあ座れ。そっちのお嬢さんも座ってくれ」

 まだ室長は依頼を受けていないのに、えらく砕けた口調だ。

 いや、約四〇〇歳の室長からしてみたらせいぜい大学生ぐらいの弥里さんなんて小娘みたいなものだろうから、これで正常なのだろうか?

 疑問は尽きないが、僕は弥里さんを促して室長の対面に座ってもらう。

 その隣に僕も座る。

 ……僕は普通室長の隣に座るべきだとは思うのだが、以前室長にこういう風にやるように言いつけられているのだ。よくわからないこだわりだ。

 「さあて、それじゃあ話してもらおうかな。お嬢さんが出会った『怪』を」

 ? なぜか室長は至極面倒くさそうに言った。

 


 弥里さんの話は僕が聞いたものと一緒だった。

 日光に当たると火傷のようになってしまうこと。

 二ヶ月前から徐々に進行していき、今は全身が『そう』なっているということ。

 そして、弥里さんは自分が吸血鬼になってしまったのだと思っていること。

 そんな感じだったのだが、室長はやけにしらけた顔でそれを聞いていた。

 弥里さんが話し終わると、室長は咥えていたパイプをパイプ置きに戻す。

 そうしてから口を開いた。

 「ふんむ。まあ、『怪』じゃないな」

 は?

 「え? ど、どういうことなんですか?」

 そう尋ねる僕はポカンとした表情をしていたことだろう。そして弥里さんは思わず室長のほうに顔を寄せていた。

 そんな僕たちに対して、室長はなんとも言えない冷めた目線を送ってきた。

 「ちょ、ちょっと室長! どういうことなんですか? 日光に当たったら火傷しちゃうなんて立派な『怪』じゃないですか⁉」

 こくこくと頷く弥里さん。

 がしかし、室長はそんなことは知ったことかと言わんばかりの顔をしている。

 「あー、そうだなあ。一応は確認しておこうか。お嬢さん、包帯を取ってみてくれないかな?」

 びくり、と弥里さんが震える。

 きっと包帯の下はひどいことになってしまっているのだろう。それを見ず知らずの他人に晒せというのは流石にひどいのではないだろうか?

 「……わかりました。それでなにかわかるのなら……」

 一度拳を握ってから、弥里さんはおぼつかない手つきで顔に巻いている包帯をほどき始めた。

 少しずつ弥里さんの顔があらわになっていく。

 顎のあたりはきれいなものだったのだが、ちょうど顔の中心、鼻の付け根から目の下、そして頬にかけてが火傷のように真っ赤になっていた。

 ……女性が、顔にこんなモノがあるのはたいそう苦痛だろう。僕は男だから理解しているとは言い難いが、多少なりとも推察はできる。

 こんな風に全身がなってしまっているのならば、そうとうに辛いだろう。

 「なるほどなるほど。典型的な蝶型紅斑エリテマトーデスだな。キミに対して私が出来ることはない」

 冷静に、まるで実験動物を観察する科学者のように室長は言い切った。

 えりてまとーです?

 いきなり知らない単語が出てきてしまって、僕は話についていけない。

 弥里さんもそれは同じだったようで、ほんの少しだけ口が開いていた。

 ここは僕が切り込まねばならないだろう。なんと言っても、室長は一仕事終えたみたいな顔になってしまっている。

 「待ってくださいよ室長。変な専門用語で煙にまかないでください! ちゃんと説明してくださいよ!」

 「なんだ? 知らないのかコダマ」

 知るか! 自分が知っているからといって他人が知っていると思ってはいけない。

 「あー、エリテマトーデスっていうのはそのお嬢さんがなっているような症状を言うんだ。原因の一つに日光過敏症がある。日光を浴びると紅斑こうはんになり、疼痛とうつうを覚える。その形がはねを広げた蝶のように現れることが多いから蝶型紅斑ちょうけいこうはんなんていうんだ」

 ん? もしかして、これって人間の病気か?

 「で、だ。このエリテマトーデスは顔だけに限らない。というか顔だけのほうが珍しいしな。全身性エリテマトーデス、日本語で膠原病こうげんびょうというんだが、これは罹患りかんするのは圧倒的に女性が多い。難病指定もされているから速やかに病院に行くことだ」

 難病。その単語はなんとも嫌なものだ。

 だが、『怪』じゃない。

 一般人の認識が及ぶ所じゃない理不尽の塊みたいな室長の専門分野ではない。

 つまりは、百怪対策室はお呼びじゃないということだ。室長が言っているのはそういうことなのだろう。

 あまりの肩すかしに僕はどっと力が抜けてしまう。

 「なんだコダマ、本当に気付いていなかったのか。まったくキミの浅学非才っぷりにはほとほとあきれ果てるな」

 ついでのように僕をけなしてくれるが、今は我慢しよう。

 僕のことよりも弥里さんのほうが先決だ。

 弥里さんを見ると、どこか放心してしまっているような様子だった。

 「弥里さん、弥里さん!」

 僕は肩を揺すって呼びかける。

 「……は、はい!」

 なんとか戻ってきてくれたらしい。

 このままやる気の無い室長のいる百怪対策室にいてもしょうが無いので、僕は弥里さんに提案する。

 「病院に行きましょう。僕は力になれませんけど、きっとお医者さんが治療を行ってくれるはずです」

 「え……あの……」

 なぜか弥里さんは歯切れが悪い。

 なんでだ? 人間の病気だとわかったら打つ手はあるじゃないか。

 「コダマ、そのお嬢さんは自分が吸血種だという思い込みを否定されたくないんじゃないか? 非日常に憧れてしまう心境はわからんでもないが、人間には分相応の生き方があるということを私が教えてやる」

 そう言ってから室長は無造作に自分の左腕を右腕で掴む。

 「室長なにを……」

 「黙ってろ」

 ぶぢり。

 なんとも生々しい音と共に、室長の左腕が引きちぎられる。羽織っている白衣の左肩部分が一気に真っ赤に染まる。

 「……え?」

 弥里さんのそんな声が聞こえた。

 多少は白衣が出血を吸ってはいるが、それでも焼け石に水だ。どんどん白衣が真っ赤に染まっていく。

 「何を……⁉」

 「吸血種っていうのはこういうものだ、という実演だ」

 ぷらぷらと右手に持った左腕を振りながら室長は何でも無いことのように言う。

 だが、かなりのショッキング映像を見せられてしまった僕としては正直あまり気分がよいものではない。

 「いや、腕ちぎって……何がわかるっていうんですか?」

 「こういうことがわかる」

 次の瞬間、熱したフライパンに水滴を垂らしたような音を立てて、ちぎられた左腕が蒸発した。

 そして、めきめきと音を立てて室長の左腕が生えてくる。

 ……流石に、これは予想していなかった。

 怪物映画のワンシーンみたいな光景はすぐに終わった。

 室長の左腕は何事もなかったかのように再生してしまったし、白衣に広がっていた血もきれいに蒸発してしまっていた。

 まるで、何もなかったかのように。スプラッタな行為なんて存在していなかったかのように。

 「吸血種というモノはこういう存在だ。お嬢さん、キミが憧れているような存在じゃない。もっと残酷な存在だ」

 淡々と、諭すというよりも事実だけを述べているように室長は弥里さんを見る。

 弥里さんは、顔面蒼白になってしまっていた。

 たぶん、僕もそうなっていることだろう。いくらなんでも予告なしはキツイ。

 「こういう存在になってしまってもいいというのならば、それなりに代償も必要になってくる。キミが難病にかかってしまったことは気の毒だとは思うが、現実逃避をしていても仕方が無い。再度言おう、病院に行くことだ」

 それだけ告げると、室長は再びパイプを手に取り、咥えた。

 もう言うことはない、という意思表示のように僕には見えた。

 「……わかりました。お手数をおかけしました」

 弥里さんの声は消え入りそうだった。

 足早に、弥里さんは応接室から出て行ってしまった。

 僕はそれを見送ることしかできなかった。

 「コダマ、彼女を追うんじゃないぞ。キミはキミの事を精一杯やれ。他人の事まで背負い込んでしまうにはキミはまだ若すぎる」

 何処を見るでもなく、室長は呟いた。

 なぜか僕には、室長が自分に言い聞かせているように思えた。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る