第十六怪 幽霊電車


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 文明の利器というモノは人間を衰退させていると主張する人もいる。

 利便性を追い求めることによって、その代償として人間の生命力自体が弱まってしまうのではないのか、という視点に立った主張である。

 僕は一理あると思う。

 例えば僕が電子機器を全部取り上げられてしまったとしたら、かなりの不便さを感じてしまうだろう。現代っ子である僕にはそういった文明の利器は必須である。

 ご年配の方々に言わせれば、軟弱ということになってしまうのだろうが、そのご年配の方々さえも、もっと昔の時代に生きていた人々からしてみたら、便利な道具に頼っているように感じられてしまうだろう。

 だが、一概に悪いことだとも思えない。

 進化、というよりも適応だ。

 環境が変わってしまったら、それに適応しないと滅亡を迎えてしまうのは自然界の法則だ。

 かつて、地上にメタンではなく酸素が満ちたときのように。

 世界中を覆っていた熱帯気候が変化してしまったときのように。

 だから、存在し続けたいのならば環境には適応し続けないといけないのだろう。

 例え死んでいたとしても。


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 「コダマ、私は三日ほど留守にする。その間は百怪対策室にもいないからそのつもりで行動しろ。いざという時には私が助けてくれるだなんて甘い考えはてることだ」

 「はあ、まあ、言いたいことは沢山在りますけど、とりあえずは一つだけ。なんでそんなに大荷物なんですか?」

 百怪対策室内、応接室。

 いつものように百怪対策室にやってきた僕は、室長のそんな言葉で迎えられた。

 ちなみに、室長はやけに大きなトランクケースを四つほどかたわらに置いていた。三日分の荷物にしては異常な量だ。

 はん、と室長は小馬鹿にした調子で鼻を鳴らす。

 「戦場におもむくんだ。このぐらいの備えは必要になってくる」

 「戦場? 海外旅行ですか?」

 「いや、国内だ」

 はて? 日本国内に戦場なんて存在しただろうか? 

 いや、そもそも戦場に行ってどうするんだ? 『怪』が目的ならばもっと別の場所があるんじゃないだろうか。古戦場に出没する幽霊の噂でも耳に入ったのだろうか?

 さっぱりわからない。

 しかも旅程は三日ほど。そんな短期滞在で何をするというんだ。

 「……なんともコメントしづらいんですけど、とりあえず、僕はついていかなくてもいいんですね」

 「ああ、素人についてこられてもまずい。それに、興味が無い人間には全くわからないモノだろうからな」

 ? 余計にこんがらがってきた。

 僕がついていくことも出来るが……興味が無い人間? 謎かけだろうか?

 「とにかく、私はこれから出発するから百怪対策室は三日間休みとする。一応携帯は持って行くが、基本的には連絡がつかないものだと思え」

 「わかりました。百怪対策室も夏休みってことですね」

 「そうだな、夏だしな。冬の戦もあるが、とりあえずは目先のほうが優先だな。待っているがいい……東京……!」

 今日の室長はどうもキャラが定まっていない。お祭りの前の子供のように。

 嫌な予感がするのでこれ以上詮索するのは止めておこう。僕の本能的な部分が警鐘を鳴らしている。

 「それじゃあ私は出発するから、とっとと出ていけ。ここに閉じ込められて生きて出られると思わない方が良いぞ」

 冗談なのか、そうでないのか微妙なラインの発言は止めて欲しい。

 「じゃあ三日後にまた来ます」

 「ああ、そうしてくれ」

 そんなわけで僕は百怪対策室から三日間の自由を得たのだった。

 


 「おにい~、ねぇちょっと聞いてよ、お兄。小唄こうたちゃんはちょっと困っちゃってるんだよね。こんな可愛い小唄ちゃんを放っておけるわけないよね? うんうん、わかってる。お兄が言いたいことはわかるよ? この小唄ちゃんが困ってしまうようなことに対して、お兄がなにか力になれるかどうかでしょ? それが出来るんだよねぇ~。ぱっとしないお兄だけど、あの九臙脂くえんじ中学校七不思議の一つ、『動く標本』に引導を渡したお兄にぴったりの頼みなんだよ! もうこれは一も二もなく、三も四もなくうなずくしかないよね!」

 かなりの早口でそんな戯れ言ざれごとを延々と垂れ流した後に、小唄はソファに寝転がっている僕の腕をつかむ。

 「離せ妹。僕はいま非常に忙しい」

 「だらけてるだけじゃん! そんな非生産的行為よりも大切なことだよ! なんといってもこの美少女である小唄ちゃんの頼みなんだよ! お兄に小唄ちゃんが頭を下げるなんて、これから先ないよ!」

 夏休みに入る直前に、僕の腕を掴んで激しく上下に揺さぶっている自称美少女さんがこれ以上無い土下座をキメて金を借りにきたことを思い出す。

 絶対にこれからもある。

 が、肩が外れそうな勢いで腕を引っ張り始めたので、とりあえずは何かしらの反応はしてやらないといけないだろう。

 しこたま面倒くさいのだが、僕は身を起こす。

 「……言ってみろよ、とりあえずは話を聞いてやる」

 「んもぅ、お兄も素直じゃないな~。いいんだよ? もっとひれ伏しても」

 殴っていいだろうか? なりそこない吸血鬼のパワーで殴ったら死にかねないが、それでもいいと思えるぐらいには僕の神経をざりざりと逆なでしていきやがる。

 「……早く話さないと今すぐに借金を回収するぞ」

 「友達が幽霊を見ちゃったんだよね。しかも大量に」

 ち、マジモードになりやがった。

 二重人格なんじゃないかと疑ってしまうが、これが小唄なのだから気にするだけ無駄だ。

 僕が身を起こしたことで空いたスペースに小唄が座ってくる。

 空木うつぎ家のリビングには他にも座るモノはあるのだが、何を思ってコイツは隣に座るんだ? 近いんだよ。暑苦しい。

 「まぁ、とは言っても小唄ちゃんも完全に信じてるわけじゃないよ。だってちょっとばかり荒唐無稽こうとうむけいすぎる話だしね。だけどお兄にはちょうど良いかなって思ってさ。変な話、探してるんでしょ?」

 確かにそうだが、『怪』を探しているのは室長だ。僕は命令されてやっているだけ。その上に、室長は今不在だ。

 それを理由に突っぱねることも出来る。だが、もしこれが本当に『怪』に関連するものであり、その上で関わる機会を逃してしまったとしたら、バレた時には室長にどんないじり方をされるのか想像したくない。

 もうすでに僕は室長がどんなタイプの人物なのかわかってきていた。

 気は進まない。限りなく気は進まないが、とりあえずは話だけでも聞いておかないといけないだろう。……面倒な。

 「早く話せよ。聞くだけは聞いてやる。本当っぽかったら室長に相談してみるから」

 三日後に。

 「あ~、例の室長さんね。お兄も隅に置けないねえ~。年上のお姉さんと二人っきりでバイトだなんて~」

 ニマニマ笑うな。せっかくマジモードになったのにもう時間切れかよ。

 それに、年上なのは確かだろうが、見た目はお前と変わらないから正直言って色気とかそういうモノを感じたことはない。むしろげんなりすることのほうが多い。

 つうか、マセてるなぁ中学生。

 いや、僕もこんなもんだったか? 

 いかんいかん、思考がそれていく。方向修正のために、僕は咳払いを一つすると、顔を小唄に向ける。

 「いいから早くしろよ。夏休みの貴重な時間をじゃれあって浪費するのはお前だって本意じゃないだろ」

 「それもそうだ。じゃあ単刀直入に言うんだけど、お兄は『幽霊でいっぱいの幽霊電車』って信じる?」

 「信じない」

 即答だった。

 当然だろう。幽霊が電車乗ってどうする。第一、電車に乗っていたとしても何をするというんだ。移動か? 幽霊が? 歩け。いや、歩けないか。そもそも幽霊電車ってなんだ? 電車の幽霊か? なんだそれは。精霊信仰アニミズムじゃあるまいし。

 かなりしょうもない思考を僕は展開していた。

 「ま~そうだよねぇ。小唄ちゃんもそう思ったワケなんだけど、生憎と見ちゃった子にとっては大マジだし、かなり深刻な問題っぽいんだよね」

 真剣な顔と緩んだ顔が交互にやってきても、それぞれはしっかり別なあたりは、僕と違って小唄の方は表情筋が発達していると思われる。

 「わかったよ。詳しいことは……その幽霊電車を見た子に訊けば良いんだな?」

 「そうそう、そういうこと。お兄は話がそこそこ早くて助かるな~」

 絶対思ってないだろお前。

 「じゃあ、今から行ってあげてね。場所はここ。あ、ナンパしちゃダメだからね」

 小唄から地図を受け取り、僕は渋々出発することにした。

 時刻は午後二時前。一番暑い時間帯だった。



 「こ、こんにちは……」

 小唄から受け取った地図に従って行くと、到着したのは一軒家。

 僕がインターホンを鳴らすと、出てきたのは小唄と同じぐらいの年齢に見える少女だった。

 どことなく自信なさげな雰囲気を醸し出している。何かあったのか、それともこれが平常なのか。どうでもいいことか。

 「こんにちは。小唄から話は聞いているかな?」

 「は、はい……その、小唄ちゃんのお兄さんで、奇妙な話を集めてて……解決してるって」

 ううむ。正しいような正しくないような。こうやって誤解というモノは広まっていくのだろうか。

 「今のところはそれでいいから、とりあえず入ってもいいかな? このまま玄関口で話すっていうのもお互いに辛いだろ?」

 「は、はい! どうぞ!」

 慌てて少女はドアを開け放って、僕を中にいざなう。

 正直、暑いのはそこまでこたえていなかった。露出している部分がかゆいのがきつかっただけた。まさか目の前でボリボリと体をかきむしるわけにはいかない。

 僕もそのぐらいの品位は持っている。

 そういう感じで家に入ると、リビングに案内された。

 冷房が効いていて快適だ。

 「座ってください。あ、飲み物お出しします!」

 ぺたぺたとスリッパを鳴らしながら少女は冷蔵庫の方に向かっていった。

 「おかまいなく」と言いたいところだったのだが、せっかくの厚意をむげにするのもどうかと思ったので、僕は素直にソファに座って待つことにした。

 「どうぞ。ミルクとガムシロップは要りますか?」

 「このままで大丈夫だよ。ありがとう」

 出されたアイスコーヒーに口をつけてから僕はふうと一息つく。

 「じゃあ、話してくれるかな。きみが見たモノを。一応、小唄からは『幽霊でいっぱいの幽霊電車』っては聞いているんだけど」

 いきなり核心に迫る僕だった。

 まあ、自分の家に知らない男がいて平気な女子はいないだろう。っていうかご両親はどうしたんだろうか? 留守か? 学生は夏休みでも世間は平常運転だ。共働きなら両親がいなくても特に奇妙ということはないか。

 「あ、はい……その、笑いませんよね?」

 「笑わないし、話は真剣に聞くよ。僕は一応『そういうの』の専門家に雇われているからね」

 「え? 先輩が解決されているんじゃないんですか?」

 やっぱり誤解が広まっていたか。訂正しておくべきか。

 「一枚ぐらいは噛んでるかもしれないけど、メインの働きをしてるのは僕を雇っている室長だよ。僕は助手。ただ、奇妙な話を集めてくる担当は僕がやっているんだよ」

 「な、なるほどぉ……」

 微妙な表情だ。まあ、僕が聞いてもこんな顔をしてしまうだろう。

 少女は、コホンと咳払いを一つ。

 「そういうわけで、僕が話を聞かないと解決もできないんだ。だから、何を見たのか、そして、何を解決して欲しいのかを教えてくれないかな」

 一瞬だけ少女(そういえば名前を聞いていない)は言い淀むように唇を歪ませたが、意を決したのか、口を開いた。

 「電車の幽霊に捕まっているわたしの親友を救い出してください」

 これはまた――厄介そうな。


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 「電車の幽霊に、ね。ああ、そうだ。まだ名前も聞いてなかったよね。僕は空木コダマ、きみは?」

 なんとも厄介そうなコトを聞いてしまって、言葉に詰まりそうになってしまったので僕は間を持たすために名前を訊くという行為に走った。

 「国束くにつか真矢まやです」

 「えーと、じゃあ国束さん、なんできみの親友が幽霊電車に捕まっている、なんてことが言えるのかな?」

 確認。彼女が何を見たのか。それを訊かないことには始まらない。

 まずはどういった事態に遭遇したのか。そこに解決へのヒントはある、というのが室長の言だった。

 その後はまあ、臨機応変に対応するというとてつもなくいい加減なやり方らしいのだが、室長不在とはいえども順番は守った方が良いだろう。どうせ最終的には室長に出張ってもらわないといけないのだから。

 「その……自分で見ちゃったんです。五年前に死んだはずの美音みねちゃんが、走ってるはずがない電車に乗っているのを」

 目を逸らしてしまったのは、もしかしたら笑われるのかもしれないという心の表れだろうか? それとも嘘がバレないようにという心理によるものだろうか? 僕にはわからない。

 判断がつかないのならば、聞き込みを続行するまでの話だ。

 「走っているはずがない電車? 妙な表現だけど、どういうことかな?」

 問題の根幹らしき方を優先した方がいいだろう。美音ちゃんとやらのことは後回しにする。

 国束さんはポケットから何かの紙切れを取り出した。

 電車の時刻表? 

 「見てください。この辺の終電って、田舎だから十時ぐらいなんですよ。でも、わたしがその電車を見たときにはすでに夜の十二時を回っていたんです。そんな時間に、人を乗せて電車は走っていないはずですよね」

 確かに時刻表に載っている最終電車は十時台だ。どんなに遅延しても、十二時を回って走っているなんて事はあるまい。人を乗せていた、というのが事実ならばメンテナンス用の車両ということも考えにくい。

 なるほど。幽霊電車というわけだ。

 じゃあ、もう一つの方だ。

 「わかったよ。じゃあ、それに乗っていたっていう美音ちゃんとやらの話を聞かせてくれないかな?」

 ぐ、と再び国束さんは一瞬だけ口をつぐもうとして、なんとか開く。

 「三年前に病気で死んじゃった親友なんです。小野原おのはら美音ちゃん――わたしは美音ちゃんっていつも呼んでました。小学校一年生からずっと友達だったんですけど、そのうちに美音ちゃんは病気になって……あっけなく死んじゃいました」

 よくある、とは言わない。

 それなりに聞く話でもあるが。

 だが、小学生の身で親友が死んでしまうという出来事はかなり辛いものがあったんじゃないだろうか? 僕はそんなことを考えた。

 「わたし、美音ちゃんを見間違えるはずありません。しかもあれは病気になった頃の美音ちゃんじゃなくて、元気だった頃の美音ちゃんだったんです」

 なるほど。幻覚にしては妙だ。

 今更になって、小学校時代に他界してしまった親友が電車に乗っている幻なんて見るだろうか? まあ、無いとは断言できないが、可能性は低いだろう。

 「空木先輩、お願いします。もし、美音ちゃんの魂があの電車に捕まっているのなら、解放してあげてください」

 涙目で僕を見ないで欲しい。

 女子の涙っていうやつにはなんともいえないような魔力が宿っているようだ。悪いこともしてないのに罪悪感にさいなまれてしまう。

 出されたアイスコーヒーを一息に飲み干すと、僕はまっすぐに国束さんの顔を見た。

 「わかったよ。一応は調査してみる。ただし、解決はすぐには無理だ。今、室長が不在でね。あと二日もしたら帰ってくるから、それまで僕が調査だけでもやっておく。これでいいかな?」

 「はい! お願いします!」

 とても元気よく返事をされてしまい、僕の方が気圧けおされてしまう。どうにも女子の攻勢には弱いようだ。……そのうちになにかよくないことを運んできそうな予感がビンビンだ。

 ……今は置いておこう。

 「じゃあ、早速今夜から調査してみるから見た場所を……あ」

 僕は一つ気付いてしまった。

 「どうしたんですか?」

 「いや、なんで……国束さんは深夜に外出していたのかなって、さ」

 にっこりと微笑んで国束さんは答えた。

 「お散歩です」



 カタカタと揺れる年季の入った看板を眺めながら僕はぼうっとしていた。

 深夜午前零時、前。

 場所は国束さんから聞いた、幽霊電車を見た場所。

 まあ、とはいっても普通に沿線の場所なのでそこまでへんぴな場所ではない。

 少なくともまったく人目がない、というわけでもないが、流石にこの時間帯は人間の生活音さえもなく、ただ虫の鳴き声とか、そういった自然音しか存在していなかった。

 ……女子中学生が散歩コースにするには適当でない気がするが、僕のお節介だろうか?

 今考えを巡らせても仕方の無いことだ。仕方の無いことは後回し、もしくは適当な人物に押しつける。それが上手な渡世というものだろう。

 そんな益体やくたいのないことを考えて時間を潰していても、しっかりと時間は過ぎているようだった。

 異常に気付いたのは僕がなりそこないとは言え、吸血鬼ゆえだろう。

 線路上、遠くにかすかな光が見えた。

 深夜の闇の中でも不思議に目立たない光だ。

 いや、光なのか? どこか靄の中を照らしているかのようにぼんやりとした感じだ。

 それに、電車のライトは黄色っぽい感じだったはずだ。だが、今見えている光は――青い。

 音もなく、光は僕のいる地点を通り過ぎようとしているのか、接近してくる。

 線路上にはいないのでかれる心配はないだろうが、思わず僕は一歩下がってしまう。

 近づく青い光。光源はやはりはっきりとは見えないが、ライトのようなものぐらいはわかる。

 奇妙なのは車体の方が真っ黒でその輪郭りんかくを捉えることができないということだ。

 車内を照らしているだろう照明もやけに光量が不足してしまっていて、僕の視力でも、まだはっきりとは見えない。

 この時間に電車が走っていないことは確認しているし、メンテナンス用の車両でもあんな奇妙なライトを用いたりしないだろう。っていうかどんな技術だ。

 間違いなく、『怪』だ。まさか当たりを引いてしまうとは思っていなかった。

 ……ここまで来たら調査ぐらいはしておかないといけないだろう。

 未だに距離がある光源。だが、確実に僕の居る地点に近づいている。

 いいだろう。とにかく一度見てみないことには始まらない。解決の初歩は観察することだ。

 近くにあった電柱に飛びつき、窓の位置と視点を合わせる。

 向こうから見えているのかどうかわからないが、とりあえず僕は車両らしき部分の中に注目する。未だによくは見えない。だが、さっきよりもおぼろげにだが『なにか』が居るらしきことはわかった。

 国束さんは死んでしまっている親友を見た。

 一応、写真を見せてもらったので、もしその親友がいるのならばわかるだろう。よっぽど見えない位置に居ない限りは。吸血鬼は視力もいいのだ。

 かなり電車らしきものは近づいてきたのだが、音は全くしない。駆動音もなにも。

 とにかく静かに薄青い光線が滑るように移動しているのは不気味だ。

 そして、やっと僕の目が車両内を捉えることの出来る距離まで近づいた。

 中に居たのは、人間だった。

 見えるのは窓からだが、間違いなく人間だ。まあ、室長みたいな人外の可能性もあるかもしれないが、少なくとも外見上は人間だ。

 年配の方が多いが、ちらほらと中年層や若年層も見られる。

 そしてその中に僕は国束さんの親友である美音ちゃんを見つけた。

 先頭から二両目。そこに美音ちゃんはいた。確かに写真で見たとおりの外見だし、子供らしく椅子部分に膝をついているのかこちらに顔を向けているからわかりやすかった。

 あっという間に車両は僕の前を静かに通り過ぎようとする。

 だが、僕は、美音ちゃん以外に知っている人間を見つけてしまった。

 白髪。やや曲がった腰。そして、今でも写真が飾ってあるから見間違えるはずもない、顔。

 空木キヨカ。僕のおばあちゃんだ。

 僕が中学三年生の頃に鬼籍に入ってしまったおばあちゃんだ。

 おばあちゃんは、美音ちゃんの向かいの席に座っていた。

 思わず僕はそっちに意識を向けてしまった。

 次の瞬間、線路を音もなく真っ黒な電車が通り過ぎた。

 「待てっ!」

 思わず僕は電柱から飛び降り、駆けだしていた。

 なんでおばあちゃんがそこにいるんだ⁉

 お前は一体なんだ⁉

 全力で疾走する。

 だが、吸血鬼とはいっても所詮は人間サイズの全力疾走。時速六〇キロ前後で移動しているであろう車両に追いつけるはずもなくあっさりと引き離されてしまった。

 「はっはっはっ……」

 完全に息が上がってしまうまで走っても、幽霊電車には結局追いつけなかった。

 どういうことなんだ? 美音ちゃんだけじゃなくて、僕のおばあちゃんまであの電車には捕まっているのか? なら、見えていたあの人々は全員……くそ!

 ばしん、と自分の腿をはたく。

 僕の手には余りそうだ。室長に連絡した方が良いだろう。

 人外の回復力ですでに体力は回復し始めている。

 回復を待つことさえも惜しくて、僕は室長に連絡するために家路を急いだ。

 


 『あぁん? ほっとけ。それは手を出すだけ無駄だ』

 連絡を入れて、事情を説明し、僕が見たものを話したら、室長の第一声はそれだった。

 「な……どういうことですか室長⁉ 明らかに『怪』なんですよ!」

 叫んだ後に、ここが自宅だということを思い出し、声のボリュームを下げる。

 「……専門家の室長でも手に余るぐらいの『怪』ってことですか?」

 『そんなわけないだろう。そもそも『怪』じゃないから専門でもないしな。わたしの手に余るようなモノだったら確実に統魔が動くぞ』

 怖え。結局、キスファイアも統魔の回収班と名乗る集団がやってきて回収してしまってから音沙汰がない。……拘束指定とか言っていたし、身体的自由どころか精神的自由も制限されていそうだ。

 いやいや、そんなことはどうでもいいんだ。問題なのはあの電車は『怪』じゃないという室長の見解だ。

 ……いや、『怪』だろ。

 明らかに通常の技術じゃなかったし、死んだ人間がうようよいる電車なんてありえないだろう。

 なにか僕が見落としていることがあるのか?

 それとも、室長は僕をこの件から遠ざけたいのだろうか?

 ……わからない。わからないが、それでも僕はこの件から手を引く気にはなれなかった。

 死んだおばあちゃんが関わっている可能性が高いんだ。

 もし、あの電車が魂を捕らえているような『怪』なら、僕は美音ちゃんも救いたいが、おばあちゃんのことも救いたい。もちろん、他の人達も。

 『コダマ、いいか? 私は今現在東京に居るからすぐには帰れない。そして今、非常に忙しいんだ。帰ったら説明してやるから大人しくキミは休暇を楽しめ。これは命令だからな』

 早口でそれだけを言うと、一方的に通話は切られてしまった。

 スマホは僕の手の中で沈黙した。

 即座にかけ直すが、つながらなかった。

 ……納得するとでも思っているのだろうか?

 室長、生憎と僕はけっこう諦めが悪い性質なんだ。

 スマホを机の上に置いて、僕は明日の……いや今日の夜の計画を練り始めた。

 

 3


 ギッシャアァァァァアァア!

 すこぶる不愉快な、まるで断末魔のような音声によって僕は目覚めた。

 枕元にあるのは小唄のヤツが買ってきた目覚まし時計。

 これまた醜悪しゅうあくな怪物の腹に無理矢理時計盤をはめ込んだみたいな悪趣味な造りの一品となっている。うん、女子中学生が兄に送るプレゼントとしては絶対に間違っているし、そもそも以前小唄が買ってきた目覚し時計は僕の手によって強制的にその使命を終えてしまったことを忘れたのだろうか? 

 余計なコトに神経をすり減らす前にやることがあるか。

 ……この目覚し時計もそのうちに永遠の機能停止に追い込む必要があるが。

 僕は突っ伏すようにして寝ていた机から頭を離す。どうやら考えている内に眠ってしまったようだ。

 だが、一応あの幽霊電車にどうにかして接触する方法は考えついた。

 後は実行するのみだ。

 変な姿勢で眠ってしまったせいで強張ってしまっている全身をほぐしながら、今日はどう過ごしたものかとごく平和的な考えを展開する。

 結論として、いますぐやってくるであろう小唄をどうにかするほうが先決か。

 ドンドンドンドンドン!

 「お兄~、ちょっとお兄、ちょっとちょっとお兄? 起きてるなら早く部屋から出てこないと小唄ちゃんのすこぶるラブリーな拳が火を噴くよ? もうそりゃあさながら火山噴火のように激しく、そして海底火山のように迷惑に」

 自覚はあるのか。じゃあちっとは直せや。

 激しく僕の部屋のドアをノック(というよりもパンチ)しながら戯言たわごとをほざく妹に少しばかりの頭痛を覚える。

 コイツはこんな性格で将来大丈夫なのだろうか? 兄である僕や、両親には迷惑を掛けないように見張ってないといけないのか? それは勘弁して欲しいのだが。

 「おいこらお兄。早く起きてこないと小唄ちゃんは友達にお兄の恥ずかしい寝言を教えちゃうぞ☆」

 ……この場でほうむっておく方が得策な気もしてきた。

 が、流石に殺人を犯してまでやっておくことでもない。渋々、僕は返事をする。

 「起きてるよ。だから今すぐ口を閉じろ」

 「へいへ~い。お兄の恥ずかしい寝言シリーズ、そのいち~『いや、アラビアンナイトとかすっごいエロくね?』」

 ぶっ殺すぞ。

 「今すぐ止めろ」

 多少の怒気を隠すことなく、僕はドアを開ける。

 お、という感じであらぬ方向を向いていた小唄が振り向いて、ニヤニヤとした笑みを浮かべる。

 「なになに? お兄の寝言シリーズはまだまだこれからだよ。あと三百ぐらいは集めて、自費出版ののち、異例のベストセラーになる予定なんだから」

 「日本中に僕の恥をさらす気か、お前は」

 「恥? 恥って何。小唄ちゃんの辞書には恥とか外聞とか世間体とかいうカチコチの石頭さんが使いそうな言葉は登録してないんだよね。登録しても、削除人であるイレイサー小唄ちゃんが消しちゃうから。というわけでお兄、もうちょイタッ」

 容赦のない(当社比)げんこつを脳天に一発。

 「あいたたたた……ぼうりょくはんたーい! 小唄ちゃんのダ・ヴィンチに勝るとも劣らない脳細胞が欠損しちゃったらどうするのお兄!」

 ……最近はこれもあまり効かなくなってきていることに僕は危機感を覚える。

 「やかましい。そんなに優れた頭脳を持ってるならもうちょっと世間に貢献こうけんできることに対して使用しろ」

 「それは間違っているね。小唄ちゃんが世間に貢献するんじゃなくて、世間が小唄ちゃんに貢献しないといけないんだよ」

 とんでもねーエゴイストだな。ここまで言い切れるのはある意味では才能ではないだろうか。だが、こんな場所で妹とコントを繰り広げている場合でもない。

 僕にはやらないといけないことがあるのだ。

 小唄のことは放っておいて僕は階段を降り始める。

 「おぉ、お兄が素直に降りるだなんて明日辺りに人類は滅亡かな」

 無視しよう。

 「ん~、でもなあ。人類が滅亡するってコトはこのウルトラらぶりーな小唄ちゃんも死んじゃうってコトになっちゃうよね? っていうことは人類どころか損害は宇宙規模になってこない? まずいよ! 起こっちゃうね、宇宙戦争。っていうことは遠くの星からの来訪者が来るのは近いね」

 ……ある意味、言葉もない。

 「で、幽霊電車はどうなったの?」

 僕の足が止まる。

 流石にそれには反応しないわけにはいかない。

 小唄もマジモードだ。

 「どうにかできそう? お兄」

 「どうにかしてみるさ、妹」

 背中を向けたままで、僕は妹にそう宣言した。



 日中、少しばかり出かけはしたものの、僕はおおむね自宅で夏休みの宿題に取り組んでいた。

 僕が通っている弐朔にのり高校はとにかく宿題の量が多い。その上に、提出期限に関しても非常に厳しいことで知られている。

 もし出し損なったら、更に尋常じゃない量の補習が待っているので皆必死になって消化するのが定例になっているらしい。僕もその例外ではなかっただけの話だ。

 定期的にまとわりついてくる小唄を払いのけつつ、僕は夜になるまでそんな風に過ごしていた。

 そして、夜がやってきた。



 午前十一時。

 予定の時間になったので、僕は出発することにした。

 だが、玄関から馬鹿正直に出て行くわけには行かない。小唄はともかくとして、両親に知らせてしまうのはまずい気がする。あくまで気がするだけだが。

 ゆえに、僕は窓から脱出することにした。

 これなら帰ってくるときにも多少のアクロバットをするだけでいい。

 窓を開けて外に出ると、生ぬるい風が僕の肌を撫でていった。

 軽く身を沈めてから思いっきりジャンプする。

 「ぐ!」

 家からは脱出できたのだが、隣の家の塀にぶつかるという失態を招いてしまった。

 腕で防御したので、どうもヒビぐらいはいってしまったようだが、かゆみが発生すると、そのうちに痛みもかゆみも引いてしまった。

 便利なもんだ、吸血鬼の体っていうのは。

 ゆえに実行できる作戦、というか戦法もあるが。

 「さて、四〇分ぐらいかな」

 昼間に下見した目的地までの時間はそのぐらいだった。

 夜は人が少ないが、自転車を使うわけにはいかないので走るしかない。おそらくだが、所要時間はあまり変わらないだろう。

 軽く二、三回ジャンプして、僕は走り出した。



 所要時間は三〇分と少々。思ったよりも早く到着してしまった。

 場所は昨日、というか今日僕が幽霊電車を目撃した場所から最も近い駅。

 特別ここに何かあるとかじゃない。たまたまここが一番近かっただけの話だ。それに、小さな駅なのでこの時間には全くといって良いほどに人気ひとけが無いのも好都合だった。

 改札前で僕は立ち止まる。

 本来ならば切符を購入するなりしないと通っては行けない場所だが、今だけは許してもらおう。もっとも、改札は通らないが。

 「よっと」

 軽くかけ声を発しながらジャンプして駅舎の上に登る。

 ……いよいよ人間離れしてきたのに、それに慣れてきてしまっている自分が嫌だ。

 キスファイア。アイツのように自分の力に溺れてしまうのは嫌だ。ストッパーとしての室長がいるとは言っても、いざそのときに室長が執行できるかどうかの疑問もある。

 僕は、あくまで人間だ。今はたまたま吸血鬼になりそこなっているだけの、人間でいたい。

 ぶるぶると頭を振って、余計な考えを追い出す。今は幽霊電車の件が先だ。優先順位を間違えてはいけない。

 昨日、僕が幽霊電車を見かけたのはちょうど午前零時。

 となると、後数分でこの駅を通過することになる。

 屋根の反対側に移動すると、真下に線路がある状態になる。飛び込み自殺志願ならこのまま飛び降りたら良いだろう。僕はしないが。

 そのままの姿勢で僕は待った。

 数分後、昨日と全く同じように、幽かな青い光が見えた。

 ――来た。

 輪郭がはっきりしないのも、音が全くといって良いほどに聞こえないのも一緒だった。

 間違うはずがない、幽霊電車だ。

 するすると幽霊電車は僕の居る地点に近づいてくる。

 いつでも動けるように僕はスタンバイする。

 駅に近づいても、幽霊電車はまったくスピードを緩める気配はない。

 予想の範囲内だ。そのぐらいは室長と一緒に『怪』に関わってきたのだから考えている。

 幽霊電車がホームを通過する瞬間、僕は跳躍した。


 4


 幽霊電車は七輌編成だった。つまりは七輌分の着地の猶予ゆうよがあると言うことだ。

 厳密には、着地の後に多少は後ろに転がってしまうから、その分は考慮しないといけないので無事に幽霊電車に取り付くためには最後の一輌は避けるべきなのだろう。

 まあ、僕が着地したのは三輌目だったのでいらない心配だったけど。

 ごろごろと慣性の法則に従って僕は転がるが、屋根部分にめり込む勢いで掴まることでなんとか車両の上で停止する。

 アクション映画かよ。

 自嘲じちょう的な考えが浮かんでくるが、知ったことじゃない。

 風を受けながら、僕は立ち上がる。

 電車の上に乗っているというのに、振動は全くといっていいほどに存在していない。

 僕が立っている屋根部分も真っ黒で、夜の闇に溶け込んでしまっているため、ちょっと勘違いしてしまうと自分が空中に立っているような気分になってしまう。

 ひたっている場合じゃない。この電車がどこに向かっているのかわからない以上、あまり滞在するのはまずいだろう。速やかに侵入して美音ちゃんの魂と、おばあちゃんの魂を保護した方が良い。

 決断するが早いか、僕は思いっきり踏みつけを敢行する。もちろんなり損ないとはいえ、吸血鬼のパワーなのだから普通の素材ならひん曲がるか、ぶち壊れるのかの二択だ。

 だが僕の踏みつけは、まるで柔らかな綿でも踏んだかのような感触が足に伝わっただけだった。

 くっ……流石に普通の方法は通用しないか。なら……!

 最大限に僕は真っ黒な屋根部分に対して集中する。

 ふわり、と僕のまとめている髪が浮き上がるのがわかった。

 今だ!

 引きちぎるイメージで、僕は能力を行使したはずだった。

 が、結果だけを述べるなら、全く何も起こらなかった。

 僕の全力の一発は、不発に終わってしまった。

 あまりの事態に愕然がくぜんとなる。

 今まで僕の能力が発動して何も起こらなかったことはない。家で練習しているときにもきちんと全部発動したんだ。

 なのに、コイツには通用しなかった。

 なんなんだよ、この電車は……

 未知すぎる。

 正直なめていた。電車に侵入することはそこまで難しいとは思っていなかったんだ。なのに、僕はそんな部分でつまずいてしまっていた。

 どうする? どうしたらいい? このままじゃあ、美音ちゃんも、おばあちゃんも助けることができない。そんなのは……嫌だ!

 「うらぁっ!」

 今度は体ごと倒れ込むようにして拳をたたき込む。もちろん全力で、だ。

 しかしそれでも、僕の拳にはほとんど手応えがない。綿を殴っているような感触があるだけだ。

 「なんで⁉ なんでだよっ!」

 両膝をついて拳を打ち込み続けるが、感触はやはり変わらない。

 何度も何度も、僕は拳をたたき込むが、効果はさっぱり見えない。

 「壊れろよっ! 壊れろっ!」

 半分涙目になりながら僕が拳を叩きつけ続けていると、唐突にその声は聞こえた。

 『乗車希望のお客様ですか?』

 すさまじく平坦な、しかしながら丁寧な口調の声だった。発生源はわからない。

 きょろきょろと僕は周囲を見渡すが、景色が流れていっているだけだ。

 『乗車希望のお客様ですか?』

 再び、声が聞こえた。

 相変わらずどこから言っているのかは皆目見当もつかないが、今は電車に侵入できるのならば乗ったほうが良いと思った。

 「乗車希望です! 電車の中に入れてください!」

 叫ぶ。

 そこまではしなくてもよかったのだろうが、焦っていた僕はつい力が入ってしまったのだった。

 『承知しました』

 その声が聞こえた瞬間、僕の意識は暗転した。


 5

 

 気がついたときには僕は電車の中にいた。

 おそらくは幽霊電車の中だ。

 なにしろやけに暗い。寝台車両でももうちょっとは明るかろうというぐらいに暗いのだ。僕が中途半端に吸血鬼化してなかったら何も見えなかっただろう。

 電車の中はそれなりに人、らしきものがいた。

 なぜ、“らしき”なのかというと、少しばかり透けているからだ。

 幽霊……か。まさか体験することになるとはおもっていなかった。いや、百怪対策室で室長の手伝いをしているのならば遅かれ早かれ遭遇することにはなるだろうとは思っていたのだが、まさか僕単独で、しかもこんなに大量にとは思っていなかった。

 ごくり、と僕は唾を呑む。

 慌てるな。その辺の幽霊ぐらいならどうにでもなる。いざとなったら全力でひん曲げてやればいいだろう。

 室長曰く、僕の能力は霊体にも多少は干渉できるはずなのでそのつもりだった。

 ゆっくりと、僕は美音ちゃんとおばあちゃんを探しに歩き出した。

 


 幽霊達は全く僕には関心がないようだった。

 かすかなささやき声から聞こえてくるのは、家族のことがほとんどだった。それでも、残してきた家族に対する口が多いのは人間らしい。

 そんなことを思いながら幽霊をかき分けつつ進んでいると、見つけた。

 美音ちゃんだ。間違いない。横顔だけでもわかる。美音ちゃんが元気だった頃に撮影したという写真のままだった。

 見た目は小学校の中頃ぐらいか? だが彼女は国束さんと同い年だから本来ならば中学生なのだ。ゆえに、これはおかしいことだ。

 まあ、美音ちゃんは死んでしまっているのだし、ここに居るのは幽霊ばかりなのだろうから当然のように幽霊だろうし、不思議でもない。

 美音ちゃんが椅子部分に膝をついて窓から外の景色をただ眺めていた。

 驚かせないようにゆっくりと僕は近づき、声をかけた。

 「やあ、きみは小野原美音ちゃん?」

 呼びかけられたことに反応して、美音ちゃんが不思議そうな顔をして振り向いた。

 「あなた……だれ?」

 「きみの救助を依頼された者だよ。国束さんに頼まれたんだ」

 美音ちゃんを驚かせないように、そして周りに気取られないように僕は小声で告げる。

 驚きの表情の後、美音ちゃんは急に慌てて僕に顔を寄せてきた。

 「あなた、生きてるの⁉」

 小声で怒鳴るというちょっとした小技を披露してくる美音ちゃんだった。

 「そうだよ。きみをここから連れ出すために来たんだ。さあ、僕と一緒に出よう」

 「……だめ。わたしはここにいないといけないの。そういう“ルール”だから」

 いやに真剣な眼差しで美音ちゃんはそんな風に僕の誘いを断る。

 想定していなかった事態に、僕は困惑してしまう。

 ……美音ちゃんはここにとらわれたままがいいということだろうか? そんな馬鹿な。

 こんな場所に閉じ込められているのがいいはずがない。それが僕の独善だとしても、少なくとも国束さんは美音ちゃんがこんなところにいるということを望んでいないんだ。その想いぐらいはんでくれても良いんじゃないだろうか。

 そんな風に僕は美音ちゃんに食い下がろうとした。

 だがその反論は言葉にならなかった。

 なぜなら、美音ちゃんの隣に座っているのが、ぼくのおばあちゃんだということに気付いてしまったから。

 思考が、停止する。

 死んでしまったおばあちゃん。二度と会えないと思って、泣きじゃくった日のことは未だに鮮明に覚えている。

 そのおばあちゃんが、いた。

 「お、ばあ……ちゃん……」

 思わず、声が漏れる。

 耳聡みみざとくそれを聞きつけ、おばあちゃんは顔を上げる。

 ああ、おばあちゃんだ。美音ちゃんと一緒にここから救出しようと思ったおばあちゃんだ。

 鼻の奥が少しだけツンとする。

 涙がせり上がってきそうになるが、流石にそれは僕の矜持きょうじが押しとどめてくれた。

 「あら? コダマちゃん? 死んじゃったの?」

 「ううん、おばあちゃんとそこの美音ちゃんをここから連れ出すために来たんだ」

 ちょいと声が震えてしまっていたのは勘弁願いたい。あり得ない再会を果たしてしまったんだ。

 口調がどことなく幼児化してしまっているのも当然だ。

 「……だめよ、コダマちゃん。私たちはここにいないといけないの。決まりだから」

 おばあちゃんも、美音ちゃんと同じ事を言う。

 その顔は悲しそうだったが、たしかな意思を感じた。

 なんなんだ? 一体どうなっているんだ? 僕は、助けに来たはずだろ? 何で拒否されるんだ。僕が間違っているのか?

 わからない。わからないことだらけだ。僕は一体何を知らないんだ?

 拒否されたという事実と、僕の中に生じた疑問と焦燥がぐるぐると回る。

 僕はちゃんと立っているのか、それすらもわからなくなってくる。

 立てなくなりそうになった僕の耳にある音が聞こえてきた。

 着信音。

 それは僕のスマホが奏でる着信音だった。

 反射的に手に取る。

 着信は、室長からだった。


 6


 『コダマ、キミの妹から話は聞いた。早くそこから脱出しろ』

 着信に応答したら開口一番、室長までもが、やはり脱出するように言ってきた。

 なぜ小唄のことを知っているのか、とか僕が幽霊電車にいることがなぜわかったのか、とか色々訊きたいことはあったのだが、室長までもここから出ることを命令してくるというのはなぜだ? 『怪』の専門家、ヴィクトリア・L・ラングナーが。

 『聞いているのかコダマ。キミがそこに居るのは非常にまずい。今すぐに車掌を見つけて出ろ』

 多少イラついた調子で室長が言ってくる。

 今更になってどういうつもりなのだろう。僕には手を出さないように言ったのに。それに、小唄のヤツとどうやって知り合ったのだろう。

 更に疑問が追加されてしまったのだが、室長と連絡が取れたという事実は多少の安心感を生んでくれた。なんとか足下が定まる。

 だが、このままおめおめと室長に言われるがままに行動するような僕じゃない。

 「……室長、どういうことなんですか? この電車は一体何なんですか? 説明してください。そうしないと僕は動きませんよ」

 脅し。いや、担保が僕の命なのだから室長にとってはなんの脅迫にもなっていないのだろうが、それでも僕に今切れるカードは自分自身しかないのだからこうするほか無い。

 数秒、向こう側の室長は沈黙していたが、盛大にため息をついた。

 『……コダマ、その電車は現世うつしよのモノじゃない。常世とこよの存在だということぐらいはわかっているな?』

 「ええ、どうせこの幽霊電車は人間の魂を捕らえて、何かに利用しているんでしょう? そんなのは僕の倫理が許してくれませんよ」

 再び、室長はため息をつく。

 『その電車の役割は死者の魂の送迎だ。キミ、本当に日本人か? 今の時期を考えてみろ』

 今の時期?

 八月も中盤、そろそろ夏休みも終わりに近づいてきている。いや、そんなことは関係ないだろう。

 なんだ? 強いて言うなら……

 「お盆、ですか?」

 日本人という室長の言葉、そして、死者の魂というモノをつなげるのならばそうなるだろう。

 『そうだ。お盆は死者の魂が一時的に現世に戻ってくることを許可される時期だ。が、最近は転生のサイクルが狂っていて、転生待ちが十年以上になってる。ゆえに戻ってくる魂もかなりの数になってくるわけだ』

 「……はあ」

 もしかして、僕はかなり間抜けなことをしてしまっていたのだろうか?

 『数が増えると、その分輸送の役割を担っている存在の負担も増えるから、常世は数十年前から現世の技術の導入が進んでいる。もう馬やら牛で行ったり来たりはしていないわけだ』

 ああ、お盆にキュウリやナスで作るアレか。小さい頃におばあちゃんに教えてもらったことがある。

 「いや、待ってくださいよ。それなら行きと帰りだけでいいはずでしょう? なんで美音ちゃんや、僕のおばあちゃんは昨日も今日もこの電車に乗っているんですか?」

 『常世の法も厳しくなっているからな。お盆に戻った死者の魂が現世に留まり続ける事態の発生を防ぐために毎日常世に戻して管理しているんだ。つまり、お盆も日帰り帰省みたいになっている』

 世知辛くなってしまっているのは死者の国も一緒のようだ。

 知らぬは生者ばかりで、死者の世界も進歩しているらしい。

 「じゃあ、僕がやっていることは……」

 『単なる業務妨害だな。とっとと降りないとそのまま常世に連れて行かれてしまうぞ。車掌に事情を話してとっとと降ろしてもらえ。じゃあな』

 ………………僕は、道化か。

 室長は警告というか、ちゃんと忠告しておいてくれたのか。言い方はアレだったのだが。

 なんだ、全部僕の独り相撲だったというわけだ。

 緊張の糸が切れて、一気に全身の力が抜けてしまい、さっきとは違う意味で足下がおぼつかなくなってしまう。

 なんてこった。生意気に室長に逆らって独断専行した結果がこれとは。

 笑えるじゃないか。

 自嘲的な、乾いた笑いがこぼれる。

 まあ、笑っている場合じゃないか。このままあの世に行ってしまうのは本意じゃないし、その業務を妨害するのもごめんだ。

 だが、一応は伝えておきたいこともある。

 僕は通話を切ってから美音ちゃんに目線を合わせる。

 「なに?」

 きょとんとした表情だ。

 まあ、知らない人間に目線を合わせられたらそうなるか。

 「美音ちゃん、きみをまだ覚えている人はいるし、死んでいるっていうのに心配してくれる人もいるんだ。それを覚えておいて欲しい」

 ぱちぱちと美音ちゃんは何度か瞬きをしたが、にっこりと笑ってくれた。

 「うん、わかってるよ」

 よかった。依頼は果たせなかったが、これだけは伝えておかないとここまで来た意味さえも消失してしまうのだから。

 あとは……

 「おばあちゃん、僕、ちょっと色々あったよ」

 「そうね、色々あったみたいね。コダマちゃんも大きくなったみたいだし」

 微笑むおばあちゃんは僕の記憶にあるモノと全く同じだ。柔らかくて、なんでも許してくれそうな微笑み。僕はおばあちゃんのこの顔が大好きだった。

 「僕、超能力者だったみたいだし、その上に今は吸血鬼になりかけてる。そのうえに、魔術師の助手なんてコトをしてるよ」

 「あらあら、変わったことをしてるねえ。あなたのおじいちゃんも妙なことをしてたわ。もう皆に“変わってる”って言われていたもの」

 僕としては一大決心をして告げたつもりだったのだが、おばあちゃんとしてはあんまり重大なことでもなかったようだ。

 おじいちゃんの性格と一緒レベルかよ。年季の入っている人間は違う。

 これはただ、誰かに言いたかっただけだ。

 僕がヒトでなくなりそうになっていることは意外にこたえている。自分が喪失してしまうような感覚が、キスファイアと対峙して以来ずっとあった。

 だが、そんな悩みなんてモノは、結局僕が深刻に考えすぎていただけのようだ。おばあちゃんにとっては、孫が怪物じみた存在になりかけてても、それはちょっとした“変わってる”ぐらいのモノのようだ。

 おばあちゃん、ありがとう。少しは生きてみる気になれたよ。

 「はいはい失礼、はい失礼。お通しください、お通しください」

 どこか気取っているようで、それなのにひょうきんな調子の声が聞こえた。

 「生者の方が入り込んでしまったとうかがったのですが、お間違いないですかな?」

 振り向くと、僕の後ろには昔の鉄道の車掌のような服を着た人物がいた。

 が、尋常の存在ではない。幽霊ですらないかも知れない。

 何しろ、顔が黒いもやのようなものでできているのだ。その靄に帽子が乗っているのはなんとも不気味だった。

 一瞬、警戒してしまうが、まわりの幽霊が動揺していないことからどうもこの電車の車掌だろうと僕は推測した。

 「はい、僕です。降ろさせていただけますか?」

 「もちろんですとも。まあ、以後ご注意ください」

 おそらく、車掌に顔があったのなら気さくな笑みを浮かべていたことだろう。

 そして、その手がかざされると同時に僕の意識は暗転した。

 


 意識が戻ったとき、僕がいたのは空中だった。

 「なぁぁぁぁぁぁぁあ⁉」

 どうやら幽霊電車からそのまま放り出されてしまったようだ。かなりの速度で地面が迫ってくる。

 「がっ! ぐっ! ぬぐっ! ぐおぉ!」

 ごろごろと地面を転がる。草が生えていたのと、吸血鬼の頑丈さがあって助かった。

 っていうかこれ、普通の人間なら死んでいたんじゃないのか?

 おい車掌、ちょっとは手加減しろ。

 そんな風に毒づきながら僕は立ち上がる。

 遠くに、幽霊電車が走っていくのが見えた。

 締まらない結末だ。

 依頼は果たせなかったし、僕は単に右往左往していただけ。

 だがそれでも、僕は何かを得たような気がする。

 ヒトとしての何かを。

 「あー、ここ何処だろう……」

 なんとか無事だったスマホを取り出すと、僕の自宅から二〇キロは離れていた。

 とりあえず、家に帰るために僕は足が回復するのを待ってから走り出した。

 時間は、午前二時。丑三つ時だった。


 7


 「一体何処どこに行ってたんですか、室長……」

 幽霊電車騒動から二日後。

 室長が戻ってきた百怪対策室に僕はやってきていたのだが、いつもの応接室は同人誌やら、グッズやらで埋め尽くされていた。

 いや本当、ドアを開けることは辛うじて出来たのだが、一歩踏み出した瞬間にキーホルダーを踏みつけそうになった。これほどに散らかせるだけの物品はこの応接室にはなかったというのに。

 そして、僕は部屋の中央で雑多な品々に囲まれて真剣な表情で仕分けを行っている室長を発見したのだった。

 「ん? なんだコダマ、言ったはずだろうが。戦場に行っていたんだ」

 同人誌をこれだけ獲得する戦場って何だ?

 ……あまり深く訊いてはいけない気がする。

 「……まあ深くは尋ねませんけど、どうするんですか、これ。足の踏み場もないですよ。文字通りに」

 「そうなんだ。全く、うれしい悲鳴というヤツだな。コダマ、今日は戦利品の整理だ。キミも手伝え」

 目の前に置いているスーツケースに同人誌を詰め込みながら室長は命令してくる。

 正直、やりたくなかったのだが、幽霊電車の件がある以上は断りにくかった。

 渋々、僕は山のような同人誌やらグッズの仕分けに乗り出した。

 一時間もすればおおよその整理はついた。

 とは言っても、分類は室長がやっていたので僕は適当な場所に詰め込んでいただけだったが。

 どうやらこの応接室も何かしらの魔術が使用してあるらしく、今まで開けたことのない収納スペースはとんでもなく広かった。

 やっとのことで片付いたので、僕はいつものようにコーヒーを室長の分と僕の分、れる。

 出来上がったコーヒーを、すでにソファでくつろいでシガリロをふかしている室長の元に持っていく。

 「……コダマ、あの電車は盆の時期には走っているんだ。普通の人間には見えないんだが、霊感の強い人間とか、私たちのような人外には幽かに見えるんだが、今回の依頼人がそうだったみたいだな」

 ソーサーに乗せたカップを目の前に置くと、室長はいきなり口火を切った。

 「人外って、じゃあ国束さんも……」

 「アホ。霊感が強いっていうだけだ。私も確認してきた。それよりも座れ」

 どうにも僕のカンは大ハズレなほうが多いらしい。というか当たった試しがない気がするが。

 まあ、確かにそうそう室長みたいな人外がいても困る。僕の住んでいる町が人外バトルにあふれてしまったら非常に困る。主に僕の安全とかの上で。

 とりあえず、僕もソファに座ってコーヒーをすする。

 ……それなりに上等の豆を使って、さっき挽いたばかりなのでかなり香りはよいが、室長が異様に甘ったるい香りのシガリロをふかしているので台無しになっている。

 そのシガリロを灰皿に置き、室長は深くもたれるようにして体制を崩す。

 「コダマ、キミは今度一切死者の魂をどうこうしようとするんじゃない。そういった死霊魔術師ネクロマンサーめいたことはキミには危険過ぎるし、それを実行出来るほど残酷にもなれない」

 まっすぐに僕の目を見て、見たこともない真剣な表情で室長は言った。

 それに対して、僕は返答することができない。

 別に魂をどうこうしようとしているとか、そういうことじゃない。あまりにも室長が真剣だったことに圧倒されてしまったのだ。

 普段はいい加減で、『怪』絡みじゃないときには僕をからかってばかりいる室長が真剣に僕に命令しているのだ。

 おざなりな返事はできない。

 「……わかりました。今後一切関わることはしません」

 「私の目を見ろ」

 思わず下に逸らしてしまった視線を、上げる。

 深い海のような、濃い碧の瞳が僕を見ていた。

 「……誓います」

 しばらく、室長は僕の目をじっと見ていたが、そのうちに納得してくれたのか再びシガリロを手に取り、ふかし始めた。

 どっと疲れた、ような気がする。

 まさかこんなに室長が今回の一件を重要に思っているなんて思ってもみなかった。

 いつものようにからかい混じりに解説で終わりだと思っていた僕は、やはりまだまだ未熟ということなのだろう。

 そういえば、僕は本来あり得ないことを体験している。

 室長はどうなのだろうか?

 「室長」

 「なんだコダマ。私はちょいと疲れたから今日はもう買えっていいぞ。次に来るときには伊勢堂のロールケーキを買ってこい」

 「……今回の償いはまあ、そのうちにするとして、室長は死んでしまった人ともう一度だけでも良いから話したいと思ったことはありますか?」

 「……ああ、もちろんだ。だが、そんなことは考えるべきじゃない。死者は死者だからこそあの世で安穏としていられるんだ。生者のことは生者で何とかしないとな。墓を掘り起こすのは墓荒らしだけで十分だ」

 そんな風に皮肉めいて答えた室長の顔は、なぜか寂しそうだった。

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