第十五怪 キスファイア
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発現した僕の異能。室長が言うにはサイコキネシスとか念動力とか呼ばれるものらしい。
正直、ちょっと便利な能力を手に入れたぐらいの認識でしかなかった。
制御のために訓練をしておくように言いつけられても、ほとんどそれをしていなかったのが僕の認識をよく表していたのだと思う。
少なくともこの事件までは。
過ぎた力は身を滅ぼす、なんてことは
今まで生きてきて、本気で人を殺そうだなんて思ったことはない。
もちろん実行したこともない。
ゆえに、この後の僕はかなり思い悩んだものだった。
制御できない力なんてものは持っている意味があるのだろうか?
もし僕が、誰かを害するだけの存在に成り下がってしまったとき、僕を止めてくれる存在はいるのだろうか? そういう考え自体が
非常識の世界の新参者である僕には、そのぐらいにはショックだったのだ。
『キスファイア』
やつは悩んでいなかった。
ただ力を、いや暴力を振るい、他人を害し、それに特に疑問を挟んでいる様子はなかった。
未来の僕のあり得る姿。
そういうのは、なかなかに
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「コダマ、キミはどう考える?」
百怪対策室内。応接室。
対面式のキッチンが存在しているここでは、何かしらの調理をしながらソファに座っている
人間とのやりとりも出来る。室長は人間じゃないが。
室長はソファに座り、僕はキッチン部分でコーヒーを
「いや……主語なしで問いかけられても困りますよ。エスパーじゃないんですから」
「そうだったな。キミはどっちかというとサイキッカーだしな。簡単なことだ。引くべきか、引かざるべきかの二択だ」
ちなみに室長は今、スマホを片手にゲームをやっている。
……察しはついた。
「好きなだけやったらいいんじゃないですか? どうせお金はあるんでしょう?」
(外見は)平凡なアパートを無理矢理拡張するようなことをやってのける室長だ。ついでのように毎回毎回それなりに値の張る品々を湯水のように消費しているのを考えると、かなり資産には余裕があるのだろう。
スマホゲームのガチャなんて好きなだけやってくれ。
「いやいやコダマ。いいか? カネを注ぎこめば確かに引けるだろう。だがな、それは運命とは言えないな。ゲームでも何でも大事なのは出会い方だ。始まりが大事なんだ。最初が特別になってしまったら、それからも特別になってしまう。そういうものだ。わかるか?」
わかってたまるか。
至極どうでもいいことで悩まないで欲しい。
どうにも室長の考えは僕には理解しがたい。所詮はデータじゃないか。
そのまましばらく室長は難しい顔で悩んでいたのだが、結局ガチャは引かないことにしたようだった。
スマホを持っていた手はすでにパイプに持ち替えていた。
丁寧な動作でどこからか取り出したパイプ用のタバコ葉を詰めて、いざ火を点けようとしたときだった。
キン、コーン。
チャイムが鳴った。
中で聞くのは初めてだったのだが、外で聞こえるのと同じだった。当然か。
面倒くさそうに室長はパイプを置くと、インターホンの対応用の画面を
「ああなんだ、警部か。入ってくれ。いつものように鍵は開いてる」
来客者に対して短くそう告げると、室長は座っていた位置に戻り、今度こそパイプに火を灯した。
「誰だったんですか? 警部、とか言ってましたけど」
「お得意様だ。ああそうだコダマ、ナイーブな人物だからあんまり驚かないように」
「?」
なんじゃそりゃ。
警察の人ならば確かにちょっとは身構えてしまうかもしれないが、僕は
ゆえに、別に警察の人を恐れるなんて事は無い。やましい部分などない、と胸を張って言えるだろう。
そう考えていた。応接室のドアがノックの後に開けられるまでは。
コンコンコンコン、という四回のノックの後に室長は「入っていいぞ」と応えた。
「失礼します」
入ってきたのはかなり怖い男性だった。
まず身長は一八〇を優に超え、更にめちゃくちゃガタイがよかった。。その上に、短く刈り込んだ髪とやけに鋭い目つきが最初に目についた。
額に走っている一文字の古傷が余計にその恐ろしげな雰囲気に拍車を掛けている。
最後に全身黒のスーツとその手に提げているアタッシェケースのせいで、もはや警察関係者というよりも確実にソッチの人間にしか見えない。
「……コ、コンニチワ」
室長にあらかじめ言われてなかったら
敏感に、僕のしょぼい挨拶に気付いたその人物は僕のほうに向く。
ひぃぃ。正面から見るとめちゃコワイ。
極力顔には出さないようにしていたつもりだったのだが、僕もまだまだ経験の浅い小僧ということだったのだろう。漏れてしまっていたらしく、相手はハッとしたような顔をする。
「驚かせてしまいましたね、失礼。わたしは
丁寧な口調でそう言うと、鍵成さんはぺこりと頭を下げた。
え? もしかして見かけによらずいい人なのだろうか?
初対面なのにかなり失礼な感想を抱いている僕だったが、それでも許してくれそうなぐらいにオーラは優しげだった。
……顔が見えないだけでこんなにも印象が変わる人は初めてだった。
見た目で判断してしまった自分が恥ずかしくなってしまう。
「ご丁寧にありがとうございます。百怪対策室で助手をさせてもらっています、空木コダマです」
鍵成さんに対応するように、僕も深々と頭を下げる。
大人の対応をされてしまったら僕も大人の対応をしないといけないだろう。礼儀には礼儀で応じるのが僕だ。
「いつまでもアホみたいなことしてるんじゃない。警部もコダマもとっとと座れ。私は気が短いんだ。どうせ警部はいつものように依頼の話だろう?」
「申し訳ありません、ラングナーさん。お気遣い感謝します」
いや、今のは気遣いじゃ無いと思う。
だが鍵成さん、いや鍵成警部は気分を害した様子もなく室長の向かいのソファに座る。
僕も鍵成警部の側に座ろうとしたのだが、室長にじっとりとした視線を送られてしまって、結局は室長の隣のソファに座った。
意志弱いな、僕。
そんな風に自分自身を評価しつつも、鍵成警部が持ってきた『依頼』とやらのことが気になってしまう。
何しろ警察の人間が直々に室長に持ってきた話なんていうのはどうせロクでもない話だろうと想像してしまう。具体的には血のにおいが漂ってきそうだ。
おそらくは、一般人に対しての門戸を開放する以前から室長はこのようにして『怪』に関わってきたのだろう。
どうやって知り合ったのか、とかは置いておくことにする。聞くのが怖い。
さて、僕が着席すると鍵成警部はアタッシェケースを開き、中からいくつかの分厚いファイルを取り出した。
「広域連続焼死事件。今我々が対応に追われている事件です」
それなら聞いたことがある。ネットでもかなり噂になっている事件だ。
五月の終わりに発生してからすでに六人以上が犠牲になってしまっている。
犯人はいるかどうかさえも不明。未だに自然現象なのか、人為的なものなのかさえも特定されていない状態だ。ゆえに警察の初動捜査に対してのバッシングもひどいものだが、それ以上に不可解なモノがあった。
被害者が
詳細な被害状況などはまったく公表されていない。
次の被害者を防ぐという意味ではこれ以上なく不可解だ。
現場検証なり、聞き込みなりはやっているのだろうが、その成果はほとんど発表されていないに等しい。 捜査していない訳ではないのに、徹底的に捜査情報は秘匿されてしまっている。
そういうこともあって、警察に対しての不信感はかなり積もっている。
だが、警察は
なにか理由があるかのように。何かの
その事件について、室長に依頼しに来たというわけだ、鍵成警部は。
「ヴィクトリアさんはもちろんご存じだとは思いますが、現在この事件の詳細は発表されていません」
「だな。かなりネットで叩かれているみたいだし、広報担当の人間は今頃胃薬の消費量が十倍ぐらいにはなっているんじゃないのか?」
「もちろん理由があります。我々もいたずらに混乱を招いているわけではありません。この事件には魔術師、もしくは異能力者が絡んでいると判断されました」
異能力者?
室長と鍵成警部の会話に出てきた聞き慣れない単語に僕は疑問符を浮かべる。
「キミみたいな能力持ちのことだ。事件に関わっていることもあるからな。警察も秘密裏に処理していたりもするが、手に余る場合には私のような存在(ひじょうしき)にお鉢が回ってくるわけだ」
即座に室長が教えてくれる。解説するときには親切なのに、僕をいじるときには容赦ないのはなぜなのだろうか? そうしないとこむら返りを起こしてしまう呪いでも受けているのか?
「で、だ。警部、事件に
「資料を御覧いただければわかりますが、
……なんだよ、それ。
鍵成警部が言ったことの意味はわかる。
だが、理解は出来ても納得は出来ない。
頭部だけが燃えて死ぬなんてことは自然にはないだろう。
少なくとも二、三ヶ月の間には六人以上の人間がそんな奇妙すぎる死に方をしている、ということになる。
自然発生でないのならば人為的に起こっていることになるが、人間の、しかも頭部だけを燃やすなんてことをやって一体何になるというんだろうか? 殺人自体が目的だとしても、手段が回りくどすぎないか?
わからない。
論理じゃ、割り切れない。
どうにも飲み込み切れていない僕を尻目に、室長は素早くファイルを手に取り目を通し始めていた。
「……被害者に共通点は?」
「夜に出歩いていた、ということ以外はありません。強いて言うならば犯行の目撃者がいない、ということぐらいでしょうか。年齢も性別もバラバラです」
ふむ、と顎に人差し指をあてて、室長は資料をめくり続ける。
僕は、何も言うことが出来なかった。
正直に言うと、ビビっていた。
人を殺しまくっている殺人鬼に対して、一介の高校一年生が
「被害者は確実に焼死なのか? 何らかの手段を用いて殺した後に頭だけ焼いた可能性は?」「司法解剖の結果、
「……被害者は生きたまま、拘束されていない状態で燃やされのたうち回った、か」
「……はい。
くそ、聞けば聞くほどにヤバい感じしかしてこない。
現代日本で火あぶりの刑に処せられるなんて予想できるか。そもそも刑罰として採用されていない。
魔術師にしろ、異能力者にしろ、この犯人は確実に狂っている。
人を、何人も殺しているんだ。
その事実が僕を
「……わかった。依頼を受けよう。報酬はいつものように私の口座に振り込んでいてくれ。解決した後でいい」
パタンとファイルを閉じ、鍵成警部に返却してから室長はそう言った。
「ありがとうございます、ヴィクトリアさん」
「礼は事件が解決してからだ。さて、コダマ。さっそく動くことにしよう。新たな犠牲者が出ないうちにな」
ちっとも
2
〈KEEP OUT〉
立ち入る者を拒絶する黄色いテープによって
広域連続焼死事件。
その解決を鍵成警部から依頼されて、そのまま僕たちは一番新しい現場にやってきていたのだった。
つい一週間前に、一人の男性がこの場所で犠牲になった。
一連の焼死事件と同じく、頭部だけを燃やされて。
多少気分が滅入ってくるのはしょうがないだろう。人が死んだ場所で生き生きと出来るほど僕はぶっ飛んだ感性はしていない。
案内してくれた鍵成警部に先導されて、僕と室長はまわりの警察官達に目礼しつつ黄色いテープをくぐる。
事件があったということを聞いていなかったら、別になにも感じなかっただろう。
そのぐらいに、何の変哲も無い場所だった。
「失礼する。依頼を受けたヴィクトリア・L・ラングナーだ。こっちは助手のコダマ」
「ど、どうも……」
頭を下げるものの、現場検証をしている警察の人々から受ける視線は冷たいものだった。
どうにも、あまりよくは思われていないらしい。向こうの仕事を奪っているような形になってしまうから仕方が無いのかもしれないが。
下に血痕が残っているとか、建物が壊れている、なんてこともない。
ただ、チョークで囲まれた白い人型と、いくつかの番号が書かれた小さなコーンが置かれているだけだった。
生々しさが感じられないだけに、一層不気味さを覚える。
「悪いが、鍵成警部以外は少々席を外していただけないか。これからやることは門外不出の魔術だからな」
鍵成警部以外の警察官関係者の方々にそんなことを言い放つ室長。
もはや向こうから向けられる視線は絶対零度に達しそうだった。
だが、抗議の声が上がることもなく、犯行現場からは潮が引くかのように人が居なくなってしまった。
「……なんか、歓迎はされてませんね」
「仕方ないだろう。向こうからしてみたらよそ者に仕事の邪魔をされているようなものだからな。とは言っても、魔術師やら異能力者に対抗することができるのは私のようなヤツぐらいだから
やけにすれた物言いをすると、室長はポケットから妙なものを取り出した。
水晶玉? にしてはやけにサイズが小さいが。直径は五センチもない。
「なんですか、それ。占いの道具じゃないですよね」
「私にとってはそうだな。
じゃあ何に使うのだろうか?
「警部、一応は周辺を見張っておいてくれ。あくまで一般人の区分である警察関係者にみられてしまうとまずいことになる可能性がある」
「承知しました」
短く応えて、鍵成警部は僕たちに背を向けて見張り、という名目の視線外しを行ってくれた。
「さて、始めるぞコダマ」
無造作に室長は水晶玉を空中に放り投げる。
すると、何かに固定されたかのように水晶玉は空中で停止した。
僕は能力を使っていない。だとすると、室長の仕業なのだろうか?
「室……」
「ちょっと黙ってろ。苦手なことだから集中しないといけない」
開いた口を
とりあえず、今は邪魔をしないほうがいいだろう。
流れるように室長は呪文のようなものを唱え、それに呼応するように水晶玉が細かく震える。
しばらくそれが続いたのだが、室長が呪文を唱えるのを止めるのと同時に、水晶玉も震えるのを止めた。
空中で停止している水晶玉を回収すると、乱暴に白衣のポケットに突っ込み、次はなんだか薄っぺらいものを取り出した。
人型に切り抜いた……紙だろうか? とにかく僕にはそう見えた。
今度はそれを地面にばらまく。
だが、今度ははっきりとした変化があった。
地面に散乱した人型の内の二つが起きあがったのだ。
そして、片方の頭が燃え上がる。
素早く室長は燃えていない方の人型を回収して呪文のようなものを唱えた。
「よし、終わりだ。コダマ、地面に撒いてしまった
「あ、はい」
依代っていうのはこの紙で出来ているっぽい人型のことだろう。多分。
相当な数の依代を僕が回収している間に、室長は何やらごそごそとやっていた。
「室長、終わりましたよ」
「こっちも終わった。これから犯人を見つけ出してぶっ飛ばしに行くぞ」
依代を回収し終わった僕が振り向くと、室長は半分にされた人型をつまんでにんまりと笑った。
3
「ではヴィクトリアさん、よろしくお願いします」
「ああ、任せておけ。少なくとも三日はかからない」
事件現場から離れて、鍵成警部とも別れ、僕と室長は知らない町を歩く。
「室長、どこに向かってるんですか? 目的地ぐらいは教えてくださいよ。それとも、もうすでに潜伏場所に目星がついているんですか?」
「潜伏場所はまだわからないが、時間の問題だな。まあ、待ってろ」
こうして、実際に犠牲者が出ていることを実感させられてしまうとくるものがある。
間違いなく人が殺されているんだ。殺しているヤツを止めることが出来るのは室長ぐらいなのだろう。テレビでもネットでも散々騒がれているのに、一向に犯人の目星がつくことはない。
だが、室長ならどうにか出来るんじゃないだろうか?
魔術師であり、そして、『怪』の専門家を自称している室長なら。
そう考えてしまうと、どうしても僕の室長を見る視線は責めるような感じになってしまう。
早く解決してくださいよ!
そう、言いたくなるぐらいには。
かゆみに耐えながら町を歩き、そろそろ日も暮れようというころになってから、やっと室長は足を止めた。
そこは書店だった。
(……ここにいるのか?)
気がはやる僕だったが、室長は平常通りの様子で堂々と書店に入っていく。
慌てて僕はその後についていく。
購入したのは何の変哲も無い地図だった。
それだけを買うと、室長はすたすたと書店から退出してしまう。
「どれ、コダマ。この辺にホテルでも在ったかな? 作戦会議と行こう」
スマホを取り出した室長はとっとと地図アプリを呼び出して、検索を開始していた。
「それじゃあ始めるとするか。広域連続焼死事件の犯人捜しを」
よくあるビジネスホテル。ダブルの部屋。
室長が取った部屋だった。
まあ、なんというか、僕も一緒の部屋にいる。とはいっても、何かおかしなコトがあったわけじゃない。
チェックインして速攻、室長はベッドの上に地図を広げて、さっきの台詞を放ったのだった。
ただ、僕にはその方法は見当もつかない。
事件現場で使った依代を使うのだろうというのはなんとなく想像できるが、それが一体どんな手段なのかは皆目見当がつかなかった。
「さっき現場で用いた水晶玉だが、アレは魔術の
室長は地図の上に半分にされてしまった依代を乗せる。
「そして、こいつは強烈な感情を起点にして、それを発した者とある種のリンクを張るタイプの依代だ。今回は殺意だな。こいつは本体に対して反応する。あの現場で、犠牲者の頭が燃え上がったときにたった一人だけ現場にいた人物。そいつとリンクしてる」
殺人現場で、被害者以外に存在していた唯一の人物。なるほど、それは犯人の可能性はかぎりなく高い。
すでに室長は犯人探知機を作っていたというわけだ。
地図に乗っけられた依代がカタカタと震えて、起き上がる。半分になっているので、まるで糸でつられているかのような不自然な起き上がり方だったが、もうなんか慣れた。
ぎこちなく依代は地図上を移動していく。
やがて、その動きがある程度の場所に固定されるようになる。
「……そんなには離れてないな。今日中に決めるぞ」
地図上で依代が止まった場所。
それは港近くの、倉庫がひしめき合っている場所だった。
「二手に分かれてやる。逃げられると厄介だからな。いいか、見つけたら容赦するな。手足の一本や二本はへし折ってやれ。それぐらいしないとキミが危険だ。相手を人間だと思うな」
倉庫街入り口。
日も完全に暮れてしまって、尋常の人間にはすでに真っ暗と形容してもいいぐらいには視界が悪いはずだ。
が、僕にとっては多少見づらいか? ぐらいで済んでしまっている。……吸血鬼バンザイ。
これなら暗闇に紛れて逃げられてしまうという事態もないだろう。そもそも身体能力もだいぶ強化されているのだ。
「捕まえるのはいいですけど、その後はどうするんですか? まさか『処分する』とか言いませんよね?」
不安になって室長に尋ねる。
「安心しろ。拘束したら完全に無力化して警察に引き渡す。その後の処理は向こうがやってくれるから、私たちは犯人を捕まえるだけの楽な仕事だ」
何でも無いように言ってくれる。
相手は連続殺人犯。その上に、僕のように妙な能力を持っているのに室長のこの余裕っぷりはなんだろうか? 専門家としての経験に基づくものなのか、それともただの自信過剰なのか。判断に困ってしまう。
「なんだ、不安そうだなコダマ。ちょっと考えてみろ。あくまでヤツが殺してきたのは一般人。私たちみたいなのを相手にしている百戦錬磨っていうわけじゃないんだ。初めてなのは向こうも一緒だ」
物は言い様だ。
くそ、なんつう初体験だよ。こんな血なまぐさいことの童貞は喪失したくなかった。
「さあて、とっとと捕まえることにするか。私は録画したアニメを
……インターネット上では、今回の一連の焼死事件に対しての騒ぎは結構大きい。
どこからともなく被害者が頭部のみを燃やされてしまった、という情報も漏れてしまったらしく、その
『キスファイア』
それが、犯人の通称だ。
呼ばれ方なんてどうでもいいが、確かに僕も気にくわない。
そんな名前は表現できないぐらいに、コイツは狂ってる。
僕たちがどうにかしないと、新たな犠牲者が出るのは確定しているようなものだ。
「コダマ、渡した依代はちゃんと持ってるな?」
「ええ、持ってますけど、本当にこれ、反応してくれるんですか?」
半分に分けられた依代。室長と僕でそれぞれ持っている。
「本体に近づいたらかなり激しく震えるはずだ。そしたら誰か見つけ次第、無力化しろ。最悪、一般人に被害が出てても私がどうにかする」
「……二手に分かれないとダメなんですか?」
「逃げに
言われてみりゃあそうなのだが、それでも今一つ踏ん切りがつかないのは僕が優柔不断だからか?
そんな
「コダマ、今解決出来るのは私たちだけだ」
……なんとも、ずるい言葉だった。
4
無機質な倉庫の壁は、まるで僕を拒絶しているかのようだった。いや、実際侵入者を拒否するのが倉庫の役目なのだから、その感覚は正しいのだろうけど。
室長と別れて、僕は東の端から依代が反応するのを待ちながら、倉庫の間を縫うようにして歩き回っていた。願わくば、反応してくれないことを祈りながら。
熱気をはらんだ夏の空気は夜だというのにまとわりつくようで、なんとも不快だ。
さらに、殺人鬼を無力化するために歩き回っているというシチュエーションが不快感に拍車をかけてくれる。
高揚感よりも、感じるのは不安感。
ついこの間まで、室長のいう“一般人”だった僕には当然だろう。
ゆえに、僕は室長の方がキスファイアをとっ捕まえてくれるであろうという希望的観測を抱いて、おっかなびっくり歩き続けていた。
ぶるり、とポケットから振動が伝わる。
スマホは置いてきているので、そんな振動をするような物体は一つしか所持していない。
キスファイアに近づけば反応する依代。
一気に血の気が引くのがわかった。
神経が研ぎ澄まされる、というよりも過敏になり、制御できない震えが体に走る。
どこだ? どこにいる? 先に見つけないと!
ぐるぐると周囲を見渡すが、特に人影は見当たらない。
視界は問題ないはずなので、視線が通らない場所にいるのは間違いない。
厄介だ。僕の能力は完全に視線に依存している。見えないモノや、はっきりと
くそ、室長の言うとおりにちゃんと練習しておくべきだった。
後悔してもしょうがない。今は持ってるカードを切るしかない。
警戒を解かないまま、僕はとりあえず倉庫の壁を背にするように移動する。
死角からの攻撃はまずい。
吸血鬼の回復力があるといっても限度があるし、致命傷を食らい続けても生きていられるのかどうかなんて実験していない。
先手は取れないのかもしれないが、吸血鬼の再生能力を頼りにしてなんとかカウンターをたたき込むぐらいのことはできるだろう。
少なくとも僕はそう思った。
突然、僕の目に光が飛び込んできた。
いや、懐中電灯で照らされたのだ。いきなり強力な光源が発生してしまって、ちょっとばかり目がくらんでしまう。
光は、倉庫の屋根の上から照射されていた。
「なんだァ、ガキかよ。つまんねえなァ」
声が降ってくる。
光を
これは懐中電灯というよりもLEDライトだ。
しかし、その目だけははっきりと異質だとわかった。
コイツは、人を見ていない。
人として見ていない。
年齢は、多分二十代ぐらいだろう。その辺にいそうなラフな格好。
だがそれでも、よどみきったその目だけが異常に印象に残る。
「警察……なわけねえなァ。まァいいや。燃やしたら一緒だろ」
燃やす、というその単語に僕の中の本能的な部分が反応する。
こいつがキスファイア!
くそ! なんでこうもついてないんだ!
やるしかない。今しかない!
できる限り光を遮りつつも、キスファイアの姿を捉える。
相手は屋根の上にいるが、なんとか上半身ぐらいは見える。今ならやれる!
集中する。
ポニーテールにしている髪が浮き上がる。
目標は、右腕。
イメージは回転。
しかし、単なる回転じゃない。右腕を軸にした回転だ。
ぼぎり、と鈍い音が僕にも聞こえた。
キスファイアの右腕がぐるりと回転し、肩が外れた音だ。
「が、ガアアアアァァァァァァッ!」
相当に痛かったのか、キスファイアがくの字に体を折る。
持っていたLEDライトも取り落として、照射されていた光が僕から外れる。
今だ!
全力でジャンプする。
なりそこない吸血鬼の身体能力は、軽く五メートル以上はありそうな倉庫の屋根まで跳躍することを可能にしていた。
着地。
キスファイアは右肩を押さえて
「テメエ……能力持ちかァ⁉」
僕をにらみつけて絶叫するが、知ったことじゃない。
僕だって、こんなに人をはっきりと痛めつけたのは初めてだったが、それでも今はこいつを拘束しないといけない。
さっきの音がまだ耳にこびりついているが、それでも近づく。
うめいているキスファイアをどう拘束したものか思案した瞬間だった。
キスファイアは動く左腕で腰の後ろから何かを取った。
LEDライトだと気付くのと同時に、光が僕の顔に向かって照射される。
そして、僕は人生で初めて自分の顔が燃え上がるということを体験した。
5
「……っ……ぁ……!」
声がでない。
いや、息を吸い込んだ瞬間、炎を吸い込んでしまって、声帯が焼けてしまったのだろう。
熱い。熱い。熱い。熱い!
痛み。熱というよりも痛みだ。
顔が、いや、頭全部が痛くて、熱い!
思わず手で顔を覆うようにするが、手のひらが炎に触れてしまって熱い。
眼球も焼けてしまったのか、視界も真っ暗だ。
そんな中、痛覚だけは律儀にこの上ない痛みを持続的に伝えてきてくれる。
立ってられない。
火を消そうと転げ回るが、一向に頭から火が消えてくれる傾向はない。
「……能力持ちかァ……もったいねえけど、燃やす」
何とか機能している鼓膜が、キスファイアのそんな呟きを捉えたが、僕はそれどころじゃなかった。
熱い。熱い。熱い。熱い!
だめだ。脳みそまでやられ出したのか感覚までおかしくなってきた。
熱いという感覚以外が消失しはじめている
再生はしているのだろうが、それ以上に燃えるのが早い。
「……!」
せめて、室長を呼ばないと。
こいつを……止めないと……
「焼けろ。ゴミは焼却しないと目障りだからなァ」
キスファイアの声が、遠くなっていく。
倒れた、ような気がする。
もはや自分が立っているのか、倒れているのかもわからないぐらいに色々とやられているので、把握はできない。わかるのは、もう動けないということだけだった。
「……ちょ……」
室長を呼ぼうとして、出来なかった。
それが、僕の最後の記憶だった
「……ろ。…マ。……とひ……。……かげんに……ろ」
なんだろう。何か聞こえる。
全身がだるい。動きたくない。
っていうか、なんだか聞こえる声も壁の向こうから聞こえているみたいでどうにもはっきりしない。
なんだっていうんだ? 夢か? だったらもう少し寝かしておいて欲しい。
なんだか、やけに疲れている気がするんだ。
そう思って、僕の意識は再び沈んでいこうとした。
「起きろ」
ぐりっと肋骨を握られる。
「痛ってえぇ!」
無理矢理に意識を引き上げられた僕は叫びながら目を開ける。
「全く。油断したな?」
「あれ? 室長?」
最初に目に入ったのは室長の顔だった。
その顔は
「……は? え、何がどうなって……」
事態が飲み込めなくて、僕は混乱する。
室長は僕から離れると、タバコを取り出して
「アホ。キスファイアにやられたんだ」
キスファイアという単語に反応して、僕は思わず飛び起きる。
倒れていたので、起こせたのは上半身だけだったが。
まだ夜は明けていない。ということはそこまで時間が経っていないということだろう。
「室長! キスファイアは⁉」
「逃げられた。私が来た時には頭が黒焦げになってるキミしかいなかった」
黒焦げ?
そうだ。僕は犠牲者達と同じように頭を燃やされたはずだ。
確かめるように自分の顔に触れる。
特になんということもない、慣れ親しんだ感触があった。
痛みも、ない。
「キスファイアのやつはキミが再生能力を持っていることまでは気付かなかったみたいだな。私が見つけたときには内部の再生はほとんど終わっていた」
……僕は、失敗したのか。
キスファイアを無力化できなかった。
ここで止めることが出来れば、これ以上の犠牲者は出ないはずなのに。
ぎしり、と奥歯が鳴るぐらいにかみしめてしまう。
僕は、僕は――
「こら」
頭をはたかれた。
「考え込んでいる場合か? 獲物を逃がしたんだ。とっとと追跡に移るぞ。ヤケを起こしてめたらやったらに襲い始めたら困る」
室長の言葉は、中々に堪えるものだった。
「だが、その前に確認しておくことがあるな。コダマ、キミはどうやってやられた?」
「え?」
「だから、ヤツに燃やされる前にどういうやりとりがあったんだ? それ
選別? どういうことだ? なんでそんなことをしないといけないのだろう。
室長がキスファイアに遭遇したら無力化はできるのだろう。例え相手の能力が不明でも。
なのに、なんで僕に能力を貸す必要があるんだ? っていうか能力を貸すってなんだ。そんなに気軽に譲渡できるようなモノなのか?
「あた!」
「急げ。
強烈なデコピンをたたき込まれる。
統魔。前にも聞いたことがある名前だ。なんとなく、うさんくさい団体ぐらいの認識しかなかったのだが、どうやらそれは事実だったらしい。
……流石に、出張ってくるというのならば詳細を尋ねないわけにはいかないだろう。
「その統魔、っていう組織は一体何なんですか? どうもなんだかうさんくさいというか、きな臭いものを感じるんですけど」
数秒、室長は沈黙する。
だが突然、白衣を
「日本語で、統一魔術研究機関。略称は統魔。世界中の魔術師と魔術を管理する組織だ。とは言ってもそんなことはできるわけがないんだがな」
いきなり話が壮大になってきてしまった。世界規模かよ。
だが、そんな管理団体がなぜキスファイアの件に関して横槍を挟むのだろうか? 室長が調べた結果、キスファイアは魔術師じゃなくて能力者であるはずなのに。
「言いたいことはわかるぞ。だがな、キスファイアは魔術というモノが一般人に知られてしまうきっかけになりかねない。背後関係を洗ってみないとわからないが、統魔に所属していない魔術師とつながっている可能性だってあるからな。そうなってくると、流石に魔術師管理団体を
可能性はできうる限り潰すというわけだ。
そういうときには徹底的に、というのが鉄則だろう。
しかし、それなら放っておいたらキスファイアは統魔がなんとかしてくれるんじゃないだろうか?
僕たちが危険にさらされながら、解決に奔走する必要はないんじゃないか?
「問題は、時間だ。統魔がキスファイアをどうにかするためには色々な承認をうけないといけない。そうしないと越権行為になってしまうからな。表には出てこない組織だが、全く表に影響力がないわけではないから下手にかき回したくはないんだろう」
僕の考えぐらいはお見通しだったのだろう。室長は追加で事情を説明してくれた。
時間が経過すればそれだけキスファイアの追跡は難しくなってくる。下手をすればこのまま逃走を許してしまう可能性だってある。それは最悪にもほどがあるだろう。
再び犠牲者が出るのはゴメンだ。
あんなに苦しいのはたくさんだ。
つまり、
「わたしはこれから統魔に
「それ、室長がキスファイアをぶっ飛ばしてから統魔に行って事後承諾とかはダメなんですか?」
「……連絡を受けたのはおそらくキミがキスファイアと交戦しているあたりの頃だ。できうる限り早急に来るように言われているからな。あまり待たせると心証が悪い上に、私も不利になる」
どうにも神様は僕に困難を与えたいらしい。
が、そこまで選択肢がないのならばこっちも腹がくくれるというものだ。
「わかりました。じゃあ、キスファイアの攻撃、というか僕が燃やされた方法ですけど……」
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室長に僕のやられ方を説明した後、室長は統魔に、僕はキスファイアの追跡に向かった。
依代を使って、キスファイアの現在地を辿りながら。
「これまでの傾向から考えるに、ヤツは日中には犯行に及ばない。昼間はおそらくどこかに潜伏しているんだろう。怪しいところはかなりあるが、いちいち調べるのは手間だからな。キミは大体の位置を特定したら周辺に張り込んでいろ」
そう言い残して、今頃室長は統魔にいるはずだった。
室長と別れて、夜が明けて、日中は準備をして、今は午後七時半。
室長から渡された軍資金を使って泊まっていたビジネスホテルから僕は出る。
依代はこの辺りで反応していた。
間違いなく、キスファイアは周辺にいる。
今度は、確実にやる。
肩に掛けているバッグはかさばらないモノを選んだので、動くのには支障ない。
そろそろ完全に日も落ちるだろう。やけにひりつく肌の感覚を覚えながら、僕は珍しく凶暴な気分になっていた。
歩く。
ポケットに突っ込んだ依代が反応してくれるのを待って、僕はひたすら街を
当てはなくても、目的はある。
今はそれで十分だ。
バッグの中のスマホが着信音を奏でた。
慌てて取り出すと、着信は室長からだった。
「はい、コダマです」
「キスファイアは拘束指定になった。発見次第、無力化して拘束しろ。ついでにそのためにキミも今日から魔術師見習いだ」
「は?」
「一般人が絡んでいたら当然そっちの処理もやることになる。キミも統魔に拘束されて記憶処理を受けたいのか?」
それは勘弁願いたい。
っていうかさらっと記憶処理とか怖い単語が出てきやがった。何をされるのか想像もしたくないので僕はとりあえずキスファイアを拘束しても問題がないという認識に留めることにする。
こうやって僕の日常は壊れていくのだろうか? くそ。
沈黙。
室長が何も言わないので、僕も何も言わない。
連絡事項はこれで全部なのだろうか?
なら、僕は速やかにやるべきことをやったほうがいいだろう。
通話を切ろうとした瞬間だった。
「……コダマ、キミなら出来るんだ。これ以上の犠牲者は許さん」
大声だったわけじゃない。
だが、はっきりとその言葉は聞こえた。
その言葉を最後にして、向こうから通話は切られた。
激励、だろう。
素直に表現しないのは室長らしい。が、その中にこめられている思いぐらいは汲み取れたつもりだった。
できる限りのサポートはしてもらっているんだ。なら、それに応える働きぐらいはしないといけない。
……個人的にも、キスファイアの所業は許せない。
そう、言われるまでもない。人間として、僕は怒っているのだ。
バッグにスマホをしまうと、僕は再び歩き始めた。
さっきからポケットに入れている依代がかすかに振動しているのがわかる。
近くにキスファイアがいる。
今度は逃がさない。
振動が強まる方向に、僕は走った。
いつの間にか僕はちょっとした歓楽街に来てしまっていた。
夜もそろそろ深まってきたので、会社帰りの人間やら店の人間やらでそれなりに
……おかしくないか? 今までのキスファイアはあまり人気のない場所で犯行に及んでいる。
なんだかそぐわない。
と、依代が今までよりも強く反応した。
なるほど。
そっちは、なんとも薄暗い路地だった。
なるべく気配を消して歩く。気配の消し方なんて知らないので完全に自己流だが。
ゴミやら壁のシミ。何かのパーツ。ついでのように人が寝ているのはなんだ? ここはいつからそんなに退廃的な世界になってしまったんだ。……いや、僕が歓楽街に踏み入るのは初めてなので事情に詳しいわけじゃないからなんとも言えないのだが。
ともかく、僕は入り組んだ路地を進む。
段々と、依代の反応は激しくなっていく。
どんなに押さえようとしても、心拍数が上がっていく。
ひときわ激しく依代が反応する。
視界にいるのは女性が一人だけだ。
水商売の人間なのか、やけに派手な服装をしているのが後ろ姿からでもわかる。
だが、キスファイアじゃない。アイツとは体格が違う。
男性だったし、それなりに……まあ僕よりも身長が高かった。前方にいる女性は明らかに僕よりも身長が低い。そもそもスカートだし。いや、キスファイアに女装趣味がないとは言えないだろうが。
僕がそんな風に戸惑っていると、一条の光線が見えた。
キスファイアと遭遇したのは倉庫の屋根の上だった。
思い出した瞬間、僕は全力疾走していた。
一瞬で女性に追いつくと、小脇に抱えてそのままダッシュする。
「え⁉ ちょ! なに⁉」
かなり犯罪者っぽいことをしているっていうか、完全に犯罪者だが、緊急事態だ。文句は受け付けない。
五十メートルほど走って、なんとか光線から逃れることに成功する。
「何なのよアンタ! 離せよ!」
ジタバタもがいている女性を言われたとおりに離す。
「殺人鬼が貴方を狙ってます。すぐに逃げてください。僕が何とかしますから」
今度は光線の照射元に向かって。
スピードが乗ったところで跳躍。
壁が迫るが、それを蹴って上に飛ぶ。
何度か繰り返すと、雑居ビルの屋上にたどり着く。ひしめくように建物がある場所でよかった。
僕が着地した屋上には、一人の男がいた。
見覚えのある格好。
そして、右腕は、処置はしたのか骨折でもしたかのように吊っている。
驚きによるものなのか、それとも恐怖によるものなのかはしらないが、その目は見開かれていた。
「お前を拘束する。もう誰も殺させない」
叫ばなかったのは自分を褒めてやっても良いと思う。内心は腸(はらわた)が煮えくりかえる思いだったのだが。
「はあ? 何だテメエは? 頭おかしいんじゃねえの?」
せせら笑うような口調のキスファイアだったが、左に持っているライトを瞬時に僕に向けてきた。
「まあいいやァ。燃やすのはテメエで」
にたり、とキスファイアが笑い、光が僕の頭に当たる。
同時に僕の頭が燃え上がる。
視界がオレンジ色の炎に包まれて、神経が“熱い”という感覚に支配される。
が、僕は倒れない。
僕は、熱いのと同時に、めちゃくちゃかゆかった。
焼けるのと同時に再生している。
焼けた端から再生している。
だから、動けなくなることはない。
いや、熱いのは熱い。だが、熱として捉える前にかゆみに置き換わってしまうためにそこまで本能的な危機感を覚えない。
燃やされたまま一歩、進む。
燃焼と再生を繰り返しているせいで、視覚が途切れ途切れだったが、キスファイアが顔を引きつらせたのが確認できた。
また一歩進む。
熱いし、痛いし、かゆいし、早く終わらせよう。
「な、何だよ……何だよそりゃ……」
余裕たっぷりだった顔が見る影もなく崩れているが、知ったことじゃない。第一、僕はお前に対してかなり怒っているんだ。かける情けもない。
頭を燃やされたまま、僕はキスファイアに近づく。
『おそらくキスファイアはキミと同じで視線を媒体にした能力だ。見えていない部分は燃やせないし、見えてなければ問題が無い。そして、キミと違って燃やすという能力は決定打に欠ける。特に強力な再生能力持ちにはな』
室長はキスファイアをそう分析した。
ゆえに、僕に自分の再生能力を貸してくれた。
付与の魔術。室長の専門。
おかげで今の僕は純粋な吸血鬼並の再生能力を持っている。
副作用として日光には異常に弱くなってしまったが、キスファイアが夜にしか動かないのなら問題は無かった。
あと四メートル。
眼球が焼けてしまったので、再生するのと同時にキスファイアに全力の一撃をたたき込む。
そう考え深呼吸したら、肺に高温の空気が入ってきて少しばかりむせそうになってしまった。
すぐに再生したので問題ない。
眼球が再生した瞬間、僕が見たのはLEDライトじゃなくて、ランタンのようなモノを左手に持っているキスファイアだった。
強烈な光が僕の全身を照らす。
「死ねえぇ!」
キスファイアの怒声と共に、僕の全身が燃え上がった。
7
熱い。熱い。熱い。かゆい。かゆい。かゆい。熱い。かゆい。熱い。
そんな感覚で脳内がいっぱいになりそうになる。
だが、それでも、僕の中にはまだ残っている。
キスファイア、お前を許さないという感情が。
おそらくは瞬きの瞬間なのだろう。ほんの一瞬だけ、炎が弱まった気がした。
一気に僕の全身は再生する。
もう、三メートルしかなかった。
踏み込んで、殴りつける。それだけで十分だった。
室長に貸してもらっているのは再生能力だけだったが、吸血鬼になりそこなっているせいで僕の身体能力も人間の枠から外れぎみだ。
そんな僕に全力で殴られたらどうなるか?
優に十メートル以上は離れているフェンスに叩きつけられて、キスファイアはそんな実験の結果を示してくれた。
視線が僕から完全に離れたことによって、僕の体を焦がす炎も勢いが弱まる。
再生しながら僕はキスファイアに近づき、動く左の肘を踏み抜く。
「~~~~~~~~~~~っ!」
……やめときゃよかった。
とても生々しい感触があった上に、キスファイアの上げた悲鳴にならない悲鳴が耳に残る。
のたうち回るが、まだやることは残っている。
今度は能力を発動させて、その両膝を折る。
動き回っているからやりにくかったが、頭を押さえつけてやったらなんとか出来た。
四肢の関節が使い物にならなくなってしまったキスファイアはもはや満足に動くことも出来ない。
ついでに上着を脱がして、頭をぐるぐる巻きにしてしまう。
視線が能力の媒体ならば、見えなくしてしまえば良いだけの話だ。
……目を潰すという選択肢もあったが、そこまでやってしまうと最早僕も戻れなくなりそうな気がして、はばかられた。
とにかく、拘束は成功だ。
視界もゼロで、まともに動くことも出来なくなってしまったのだから数分ぐらいは放っておいても大丈夫だろう。まあ、ひどく痛むのか、転げ回ろうとして痛みで動けなくなるということを繰り返しているが、問題は無い。
今までコイツに殺されてきた人々の苦しみに比べたら大したことない。
目下のところ、全身を燃やされてしまった僕がやるべきことは、拘束に成功したことを伝えるのと、バッグに入れておいた服を取りに行くことだった。
回収する人を全裸で迎える勇気は無かった。
「よくやったコダマ。お疲れだったな」
夜明け直前。キスファイア拘束の連絡を入れると、統魔の回収班の人々(らしい)がやってきた。
それでも二時間ぐらいは僕がキスファイアを見張っていたのだが。
それと一緒に、室長もやってきていた。
いつも通りに、白衣にジャージで。
特に何か準備をしていたとかいうのはなかったようだ。信頼されていたのか、それとも、準備なんて無くても室長なら楽勝だったのか。それは僕にはわからないが。
そそくさと回収班の人々はキスファイアを妙な箱に入れて運び出してしまった。
今、屋上にいるのは僕と室長だけだ。
「……室長、キスファイアはこれからどうなるんですか?」
「統魔で尋問だな。ついでに背後関係も徹底的に洗われるだろうな。結果がどうなるかは知らないが」
あっさりとした答えが返ってきた。
まあ、大体予想の範疇だ。そんなもんだろうという思いもあったし。
だが、こっちのほうは予想できていない。
「なんで、こんなコトしたんでしょうね……」
能力を使って、頭を燃やして殺す。
わざわざそこまでして無差別殺人に及んだ動機とはなんだろう。僕には見当もつかない。
ぽりぽりと頭をかいて、室長は白衣のポケットから小さな葉巻を取りだして、咥える。
「さあな。まだわからん。だが、確実に罰は受けてもらう。それが私たちみたいな
どこか遠くを見ながら、室長はそんな風に黄昏れた。
非常識。そう、まったく非常識だ。
殺された人々が浮かばれない。どんな理由があったとしても無念だろう。
能力。いや、異能か。そんなモノを持つには、どうにも覚悟が必要になってくるようだ。
僕も、一歩間違ってしまったらキスファイアのようになってしまうのだろうか?
いや、間違わなくてもなりかねないのか?
「安心しろ。キミが踏み外しそうになったときにはちゃんと私がケリをつけてやる」
ぱしんと背中を叩かれた。
……なんとも心強い言葉だった。
8
キスファイアは拘束されて、連続焼死事件は収まったはずなのだが、警察の発表では犯人はまだ捕まっていなかった。
室長曰く、統魔が手を回しているらしい。
このまま未解決事件入りしてしまうのは確実だということだった。
遺族達のことを考えると、なんとも歯がゆい思いなのだが、それでも異能力者のことが世間に知られてしまうよりもマシ、という判断らしい。
事件自体は収束したのだが、ちょっとした問題があった。
「なあコダマ。このポニーテールの少年がビルとビルの間を飛んで登っていった、という話題についてどう思う? 私はちょっと非現実的すぎるかなあと思うんだが」
「ノーコメントで」
どうやら僕は何人かには目撃されてしまっていたらしかった。
結構派手に跳んだし、その辺は多めに見て欲しい。
「お、こっちでは連続焼死事件についての関連性についての考察もあるな。……ほう、このポニーテールの少年が連続焼死事件の犯人をぶっ飛ばしてしまったらしいぞ」
「……ノーコメントで」
耐えろ、僕。
「ふーむ。まあ冒険小説じゃあないんだからそんなことはあまりに出来すぎているな。まったく、空想の世界と現実を混同してないで欲しいものだな。安いヒーロー物じゃあるまいし。しかもかなり美化されてしまっているな。かなりのイケメンで、身長も百八十はあったみたいだぞ。なんだかこっちまで恥ずかしくなってくるな」
ひらひらと、これ見よがしに室長はスマホの画面をこっちに向けてくる。
「…………ノーコメントだっつってんでしょうがぁ!」
ダメだった。
この後しばらくはこれでからかわれたのは言うまでも無い。
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