第十四怪 動く標本


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 「コダマ、キミにはまず、奇妙な話を集めてもらいたい」

 百怪対策室内。応接室。

 室長が用意した雇用契約書にハンコを押して、正式に助手として雇われることが決定してからの室長の第一声がそれだった。

 「奇妙な話? なんですか、それ」

 「そのまんまだ。怪談でも怪現象でも、怪人の話でもなんでもいい。そういう話を探してみてくれ。とりあえず実績がないことには百怪対策室に正式に依頼が来ることがないだろうからな」

 ん? 何かおかしなことを言ってないか?

 「ちょっとまってくださいよ、室長。もしかして百怪対策室って、立ち上げたばかりなんですか?」

 僕の質問に、室長はポケットからシガリロを取り出してくわえる、という動作で返す。

 「……立ち上げたばかりなんですね。そんなんでよくやっていけましたね」

 「誤解するんじゃない、コダマ。別にそういうわけじゃない。ただ、一般人に対しての認知度が著しく低い。それだけの話だ」

 どういうことなんだ?

 さっぱりわからん。

 「依頼してくる奴はいるんだが、今まで一般人からの依頼はほとんどなかった。大抵は警察とか、そういう方面の関係だったからな」

 顔に出てしまったらしく、室長が説明してくれた。

 なるほど。今までの百怪対策室はそっちの方面の御用達ごようたしだったわけだ。

 なら、なぜ一般人に対して門戸を開こうという気になったのかは気がかりだ。

 「なんでまた一般人に対して依頼を受け付ける気になったんですか?」

 考えた時にはいてしまっていた。

 室長は苦虫でもかみつぶしたかのような顔をした。

 「統魔とうまからのお達しでな。私も本意ではないんだが、そうしないと結構面倒なことになってしまう。面倒事は嫌いだから、しょうがなく私もやっている、というわけだ」

 統魔? なんだろう。説明して欲しいようなしてほしくないような。微妙な感じだ。

 強いていうなら、聞かなくてもいい事実という予感がする。

 そんなものは勘弁して欲しい。

 とりあえず聞き流すことにした。

 「わかりました。とりあえずは僕の周辺ぐらいから色々と聞いてみます。とは言っても、高校一年生の情報網なんて大してコトはないですけどね」

 「そのへんは期待してない。勝手に『怪』のほうから飛び込んで来るはずだからな」

 ?

 八月一日の夜。そんなやりとりをしながら、僕は百怪対策室の助手になったのだった。


 1


 「なあ小唄こうた、お前の周りで変な噂とかないか?」

 八月二日。夏休み序盤。

 昨日、室長から奇妙な話を集めるように指示された僕は早速情報収集を開始していた。

 とは言っても、妹の小唄にたずねてみただけだが。

 まだ九時前なので、小唄も僕もリビングでくつろいでいた時間帯だった。

 ちなみに、百怪対策室には午後から来るように言われているので、それまでに多少は調査した、という事実が欲しかったのだ。

 ソファに寝そべっていた小唄は物憂ものうげにスマホから目を離して、僕の方を向いた。

 「なに? おにい。小唄ちゃんの個人情報を収集して、何に使うつもりなの?」

 誰がするか。連鎖的に僕も巻き込まれるだろうが。

 「違う違う。バイト先の人がそういう話を集めているんだよ」

 嘘は言っていない。

 完全に事情を説明してしまったら、イカれているようにしか聞こえないからだ。

 「う~ん、そうだねぇ……あ、今ホットな怪談ならあるよ」

 まさかあるとは思っていなかった。

 適当に話を振ってみただけなのに、いきなりヒットするとは思っていなかった。

 『怪』のほうからやってくる、という室長の言は当たっていたようだ。

 「怪談、ね。聞かせてくれないか?」

 「情報料は高いよ?」

 「……ハーゲンダッツ抹茶まっちゃ二つ」

 「しょうが無いなぁ~。お兄のためにこの小唄ちゃんが一肌脱いであげようかな」

 ちょろい妹だった。

 

 2


 『動く標本』

 僕がかつて通っており、今は妹の小唄が二年生として在籍している九臙脂くえんじ中学校にはそういう怪談がある。

 まあ、よくある学校の怪談だ。

 内容はというと、これもありがちなもので、理科室の標本が動き出すというものだ。

 手垢がつきすぎて怪談として成立していないが、それでも九臙脂中学七不思議の一つに数えられている。

 他にろくな不思議がない、とも言う。

 小唄の口から出たのはその動く標本の名前だった。

 「おいこら妹。僕が卒業した中学校を忘れたのか?」

 「え? どこだっけ? っていうかお兄って義務教育途中で放棄して世界放浪してたんじゃなかったっけ?」 

 「……九臙脂中学卒業生だよ。どうやって高校入学したんだよ、僕は」

 なんで世界放浪していたのに、わざわざ日本に帰ってきて普通の高校に入学しているんだ。

 「冗談冗談。んもう、お兄は冗談がわからないなぁ~」

 「減らすぞ、ハーゲンダッツ」

 「お兄が卒業した後になってから、マジで見ちゃった子がいるんだよね」

 急に真面目なトーンになりやがる。

 普段からそうしていたらいいのに。

 「見ちゃった、って……動く標本、っていうか標本が動いているのをか?」

 ややこしい。

 「そうそう。なんとも不思議なことに、十年以上語り継がれていた怪談が急に活性化したっていうか、現実味を帯びてきちゃったんだよね」

 調子はとぼけている風だったが、顔はふざけていなかった。

 小唄は大抵、へらへらと笑っているタイプだが、こういう顔をするときには嘘は言わない。

 いや、言えないと表現した方が正確か。多分普段の調子はいつわりのもので、こっちのほうが本性なのだろう。

 「よくわからないな。『動く標本』の話を今しても、季節にはあっているだろうけど、そこまで盛り上がらないだろ」

 小唄の性格に関する考察は脇に置いて、僕は怪談のことについて掘り下げていく。

 「それがね、マジモンで見ちゃった女子が気絶してるのを先生が見つけちゃってさ。学校中が大騒ぎになっちゃたんだ。つーわけでぇ、ただいま九臙脂中学で今一番ホットな怪談は『動く標本』。もー、持ちきりですよ旦那だんな

 誰が旦那だ、誰が。

 途中から普段のへらへら顔に戻ってしまったので、話の信憑性が低くなってしまったが、まあ、前半のほうは信じてもいいだろう。

 つまり、九臙脂中学で隆盛を誇っている『動く標本』。

 普通なら軽く流すところだが、目撃者がいるということはそれなりに重要かもしれない。

 まさか作り話のために朝まで学校で気絶している、なんてことはしないだろう。

 ……しないと思いたい。

 つまりは検証ができるということだ。

 漠然ばくぜんとした怪談では室長も解決のしようがないのかもしれないが、これならば多少は百怪対策室のネタになるだろう。

 室長のところに持って行く話は決まった。

 だが、僕にはもう一つだけやることがあった。

 「小唄。その『動く標本』を見てしまった女子生徒の連絡先、わかるか?」


 3

 夜七時。百怪対策室。

 夜とは言ったものの、まだ八月なので外はまだ明るい。

 この百怪対策室の応接室には窓がないので外の景色はわからないが。

 「……と、まあそんな感じの怪談が僕の母校で跋扈ばっこしているわけです」

 「ふぅむ。季節がら怪談が来るだろうとは思っていたが、本当に来るとは思わなかったな。ベタ過ぎるぞ、コダマ」

 小唄から聞いた『動く標本』の話を聞いた室長の反応はそんなもんだった。

 反応薄いな。

 もっと派手な怪現象とかのほうがお好みだったのだろうか?

 やけに細長いタバコを灰皿に押しつけて消すと、室長は足を組む。

 「まあ、その『動く標本』とやらの解決をしてやるか。コダマの母校に本物の『怪』が生まれてしまっても困るしな」

 何でも無いことのように室長は言った。

 「本物の『怪』? っていうことは『動く標本』は偽物ってコトですか?」

 あんまりにもあっさりと言われたので、少々理解に時間がかかってしまったが、室長が言ったのはそういうことだった。

 「当たり前だ。よっぽど強力な媒体でも無い限りは、十年程度で怪談が本物になるわけがない。おそらくは誰かが本物にしようとしているんだ」

 はん、とあしらうように室長は剣呑けんのんな目つきになる。

 なぜそんな目つきになるのかを僕は知らなかったが、何らかの因縁的なものを感じた。

 「ああ、そうだコダマ。日光にさらされても平気だったか?」

 突然に話題が転換される。

 まあ、僕もその辺のことは聞いておきたかった部分でもあるので助かった。

 「ええ、日光を浴びた瞬間、当たった部分がかゆくなってしまったんですけど、なんですか、これ?」

 僕も驚いた。

 始めは気のせいかとも思ったのだが、日光を浴びるたびにかゆみが走っているのならば間違いはないと判断したのだ。

 「そりゃキミは今、中途半端とはいえ吸血種なんだから日光は弱点だ。当たった端から気化してしまっているんだが、それを再生能力が上回っているから表面上はかゆみだけを感じている状態だな」

 なんかすごいことになっていた。

 ん? 待ってくれ。ということは……。

 「僕はもしかして、これから日光に当たるたびにかゆくなってしまうんですか?」

 「そういうことだな。ま、日焼け対策グッズぐらいで軽減できるから我慢しろ」

 なんてこった。

 これでは夏休みの定番、海に行くということもしづらくなってしまった。

 ……行く予定もなかったが。

 「で、室長。どうするんですか? 『動く標本』の解決に奔走ほんそうするっていうんなら、どういう方針でいくのかを教えてくれませんか?」

 悲しい事実を確認してしまった僕は、話を換えるために室長にこれからの活動方針を尋ねる。

 「まずはその、怪談を目撃してしまった女子生徒に話を聞いてみるか。連絡先は手に入れてるだろうな?」

 ハーゲンダッツ抹茶三個分で手に入れていた。


 4


 とある駅前の喫茶店に僕と室長はやってきている。

 が、室長は完全に外人な上に、ジャージに白衣という素っ頓狂すっとんきょうな格好をしているので、必要以上に人目を引いてしまうかと思ったのだが、そうでもなかった。

 「隠蔽いんぺいの魔術の応用だ。この辺は専門分野だからな」

 魔術なんて怪しげなモノに専門も専門外もあったもんじゃないだろと思うが、そういうものらしい。

 そんなわけで、向こうが待ち合わせ場所に指定してきたこの喫茶店にも普通に入ることができた。

 小唄の奴から聞き出した連絡先に、小唄を介してちょっとした話を持ちかけたのだった。

 「しかし、私が単なる霊感の強い知り合いになってしまうとはな」

 「そう言わないでくださいよ室長。いきなり『怪』の専門家で、魔術師で、吸血鬼なんて言い出したら怪しさで自己崩壊しちゃいますよ」

 「仕方が無いな。世の中の懐の狭さにちょっとばかり涙がちょちょぎれる」

 「……室長が言っても、外見のせいで説得力が無いですけどね」

 そんなどうでも良い会話を繰り広げていると、からん、とベルが鳴り、一人の女子が入ってきた。

 九臙脂中学の制服に、少しばかり不安そうにまわりをきょろきょろと見渡している。

 まあ、多分あれが『動く標本』を見てしまった女子なのだろう。

 夏休みということもあって、店内には僕たちの他にも学生らしき客が沢山居るのだが、その子は迷わずに僕たちの方にやってきた。

 「あ、あの……あなたが小唄ちゃんのお兄さんですか?」

 どうやら僕のほうを目印にしていたらしい。

 しかし、一体どういう特徴を伝えていたのだろうか? 多少とはいえ、いくつものグループがあるこの店内で僕を一発で見つけることが出来たのだから気になってしまう。

 「まあ、そうなんだけど。よく見つけられたね」

 九臙脂中学に在籍しているのならば僕の後輩にあたるはずなので、多少は砕けた口調でいいだろう。

 「だって……男子でポニーテールっていませんし」

 お団子にでもまとめてろってか?

 初対面では必ず言われることなので慣れているつもりだったのだが、やはり気になるものは気になってしまうのだ。

 「とりあえず座って。それからキミが見たモノの話をしてくれないかな? 一応は聞いていると思うんだけど、この人が僕の知り合いの霊感が強い人なんだ」

 着席をうながしながら、僕は室長を示す。

 椅子に座った女子はそこで初めて室長に気付いたようだった。

 「初めまして。私はヴィクトリア・L・ラングナー。キミが体験した怪談をぶっ潰してやろうと思ってる」

 薄く笑って室長はそんなことをのたまう。

 いきなり警戒心を刻みつけるような言動は控えて欲しい。

 「え、あの……らん、ぐなー、さん?」

 無理もない。

 外見上は自分とそう年が変わらないように見える相手がいきなりずっと年上のような態度をとったらどうなるか? 火を見るよりも明らかだろう。

 戸惑い。

 僕の向かいに座った女子が感じているのはそういった類いの感情だろう。

 その上に、金髪で、ジャージで、さらに白衣ときたもんだ。

 これで警戒しないでくれっていうのは虫がよすぎる。

 「この子、霊感はあるんだけどちょっと重傷の中二病でね。言動は気にしないで」

 こっそりと少女に告げる。

 「ああ……なるほど。始めまして。わたしは路原ろばら蓮香れんかです。よろしくお願いします」

 丁寧に頭を下げる路原さん。

 対して室長は、「ああ、よろしく」などと軽い調子で返しながら頼んでいたアイスコーヒーを口に運んでいた。

 「ぎっ⁉」

 「どうしたんですか、先輩?」

 「いや、何でも無い……」

 どうも先ほど路原さんに告げた室長の紹介は今一つお気に召さなかったようだ。

 太腿を思いっきりつねられた。

 いぶかしむような路原さんの視線を感じながら、とりあえず事情を聞かないことには解決することも、諦めることもできない。

 話を聞く。

 中々に難しいことだ。特にそこから真実を探し出すということは。

 だが、僕たち(というか室長)はやらないといけない。

 僕の母校で『怪』なんてものがでかい顔をしているのはなんとも不愉快だ。それが人の手によるものなら尚更(なおさら)だ。

 「さてと、導入はこのぐらいにしてそろそろ本題に入るか。今日中に解決するつもりだからな」

 飲み干したアイスコーヒーのグラスを置いて、室長は口の端をつり上げてぎらりと目を光らせた。



 六月の頃でした。

 まだそのころは『動く標本』も話には上がってませんでした。

 最初に見たのはわたしですから。

 え? 雰囲気づくりはいいから肝心の部分?

 わかりました。じゃあ話します。

 六月の中頃に、わたしは先生に頼まれて理科実験室の整理をしてました。

 ちょうどその時期は所属してる生物部の活動も忙しいのも相まって、色々とやることが重なってしまい下校時刻ぎりぎりまで残っていることも当たりまえになっていました。

 そういう時期でもあったので、わたしが携帯を学校に忘れてしまったのも無理のないことでした。

 当然、携帯がないと禁断症状が起こってしまう現代っ子のわたしは学校に侵入することにしました。

 なんですか、その目は? 先輩は携帯なしで一晩過ごせるですか?

 ……分かってもらえたのならいいんです。

 コホン。続きなのですが、学校に侵入することは上手くいきました。

 まあ、九臙脂中学伝統のフェンス登りで。

 問題はそこからでした。

 校舎に侵入するのもどうにかできました。なんと言っても九臙脂中学の建て付けは悪いですから、ちょちょいと開けることが出来る窓なんていくらでも在ることは先輩もご存じですよね?

 その目は使ったことがありますね。

 とにかく、携帯を取り戻すためにわたしは理科室に向かいました。

 え? 理科室以外では取り出してないから当然そこにしかありませんよ。

 時間? ええと、九時ぐらいだったと思います。時計は携帯しか持ってないんでよく分かりませんけど、完全に暗くなってから時間が経っていたのでそのくらいだと思います。

 そういうわけで理科室にどうにかして侵入しようと画策していたんですけど、なぜか理科室が開いていたんです。

 いえ、扉自体が解放されていたんで、見ただけでわかりました。ピッキングなんてこころみてません。

 開ける手間が省けてくれたので、わたしは素早く理科室に入って、その辺を捜索し始めました。

 程なくして携帯は見つかったんですけど、問題はそこからでした。

 かちゃん、っていう音が聞こえたんです。

 これが昼間の理科室の授業中とか休み時間とかなら気にも留めてません。

 でも、今は宿直の先生もいるかどうか怪しい夜の学校ですよ?

 当然、わたしは音のした方向を見ます。

 あったのは、ホルマリン漬けの標本達。それだけでした。

 懐中電灯で照らしたもんだから思わず悲鳴が出そうになってしまいましたけど、なんとかこらえることが出来ました。

 固まっていてもしょうが無いのでその場は気のせいだっていうことにして、とっとと理科室から脱出することにしたんです。

 数歩歩いた時に再び音がしました。

 今度はかちゃん、なんていう可愛いモノじゃなくて、ゴトゴトと間違いなく何かが動いている音です。

 正直、見たくはなかったんですけど、好奇心って言うんですか? そういうので懐中電灯を向けちゃったんですよね。

 動いてました。ホルマリン漬けの標本が。

 標本達の中でも一番人気、小型の白鰐しろわにパンジーちゃんが。

 え? パンジーちゃんを知らないんですか? って先輩はもう卒業生でしたね。

 今年赴任してきた理科の先生が持ち込んできた標本なんですよ。白い鰐で、とっても珍しいらしくて生徒にも人気なんです。先生がつけた名前はパンジーちゃん。

 それが、動いていたんです。

 もがくように、苦しむように。

 思わず腰が抜けちゃって、尻餅をついてしまったんですけど、懐中電灯の光は動いているパンジーちゃんから離れてくれなかったんですよね。

 そのうちに、パンジーちゃんの動きを抑えきれなくなったのか、壜(びん)は落下してしまいました。

 怖くって、わたしはずりずり出口に向かって後ずさりしてたんですけど、やっぱり見ちゃうんですよね、怖いものって。

 腕が勝手にパンジーちゃんの落下地点に懐中電灯の光を当てていました。

 パンジーちゃんは、まだ動いていました。

 ずりずり、ずりずり。まるでわたしを獲物と見定めたかのように。

 ゆっくりと、でも確実にわたしに近づいてきていました。

 悲鳴を上げたことまでは覚えています。

 でも、その後に何があったのかはわかりません。気絶しちゃいましたから。

 そして朝になって、やってきた先生がわたしを発見した、というわけです。

 当然、わたしはパンジーちゃんが動いた、ということを先生に伝えたんですけど、割れたはずのパンジーちゃんの壜はちゃんといつもの通りに並んでいました。

 床にはガラス片なんて散っていませんでした。

 でも、パンジーちゃんは間違いなく動いていたんです。

 だって、わたしのスカートの内側にとっても小さなガラス片が引っかかっていたんですから



 5


 路原さんの話は終わった。

 今聞いた話だと、どうにも妙な話だ。

 路原さんは標本が動くのを見た。しかし、その痕跡こんせきはほとんど無い。唯一の例外はスカートに付着していたガラス片。

 だが、壊れたはずの壜は依然として存在しており、そもそも、標本が動くはずなんてない。

 ふむ。路原さんの話に嘘がないとするならば怪談と言ってもいいだろう。

 そうでもないと、ホルマリン漬けの標本が動くはずがない。

 と、ここまで考えてから僕は室長の顔を見る。

 「……」

 何やら考えているような様子の顔で、室長は黙り込んでいた。

 顎に曲げた人差し指を当てて、いかにも『考えています』というポーズをとっている。

 ……本当に考えているのかどうかは疑わしいが。

 さて、どうしたものだろうか。僕が質問してもいいのだが、室長の考えも気になる。

 だが、いつもの憎まれ口が鳴りを潜めている室長を余計に刺激したくはないので、とりあえずは、

 「いや、大変だったね。事後処理とかあっただろう? 少なくとも学校に侵入したことはバレたわけだし」

 当たり障りのない反応をした。

 「ええ、大変でした。校長先生にまで怒られるし、そのうえ家でも怒られて」

 あんまり反省していないように見える。

 まあ、九臙脂中学は良い子ちゃんばっかりの学校というわけでもないのでしょうがないが。

 「まったく。怪談を目撃して衝撃を受けている女子中学生をどんだけいじめたいんでしょうね、大人は。先生に発見されてからそのまま職員室直行からのお説教でした」

 ふぅ、とこれまた反省していない様子で路原さんはため息をつく。

 どっちかというと、恐ろしい目にあったというよりもいたずらを仕掛けて怒られた、みたいな顔だ。

 これはりていないだろう。僕には関係ないが。

 「もう、床で寝ていたせいで体痛かったんですよぉ。それなのにお説教は三時間ぐらい続くし、先生達マジギレで何言っても怒るだけだし。ひどいですよね」

 確信した。反省してねえなコイツ。

 だが、今の発言で室長はなにかを閃いたようだった。

 「路原クン、キミが発見された時、痛かったのは体だけか?」

 僕には質問の意図が読めない。

 それは路原さんも同じだったようで、頭の上に?マークを浮かべていた。

 「うーむ、質問の仕方が悪かったかな。『動く標本』を目撃して、その後発見された時にキミが感じた不調はどんなものだった?」

 相変わらず質問の意図はつかめないが、何が聞きたいのかは明確になった。これなら路原さんも答えにきゅうすることはないだろう。

 「んっと……そうですね……なんか背中めっちゃ痛かったですけど、それだけですね」

 非常にわかりやすい回答がきた。まあそりゃあ固い床の上に長時間横たわっていたら背中ぐらいは痛くなる。

 僕にはこの回答からなにかの答えに至ることは出来なかった。

 そんな僕を尻目に、室長は非常に嫌な感じの笑みを浮かべていた。

 「……一応聞いておきますけど、室長。わかったんですか? 真相が」

 「当然だ。私をナメるなよ」

 室長はタバコを取り出そうとしたが、僕に腕を掴まれ、禁煙席の表示を示されると、大人しく止めた。

 「さて、それじゃあ行くとするか」

 「行くって……どこにですか?」

 「当然、『動く標本』が発生したコダマの母校、九臙脂中学校にだ」

 ……ああ、僕は頭が痛くなりそうだ。


 6


 夏真っ盛りでも部活動というものはやっている。それこそ、やりきることによって技術が向上すると信じているかのように。

 そんな青春真っ盛りの中学校のグラウンドを横目にしながら、僕と室長、そして路原さんは九臙脂中学校に来ていた。

 ちなみに、路原さんと待ち合わせをしていた喫茶店からそのままやってきたので僕はかなりラフな格好だったし、室長は白衣のままだった。

 ……大丈夫なんだろうか? 一応は卒業生でもたたき出されかねない雰囲気をかもし出していると思う。が、そんな僕の心配をよそに、室長は迷うことなく来客用の入り口から学校内に侵入を果たしていた。

 行動に迷いがなさ過ぎて怖くなってくる。

 「ちょ、ちょっと待ってくださいよ室長。部外者なんですから一応はアポ取ったほうがいいんじゃないですか?」

 「そんなものはいらないな。私が許可証だ」

 なんか格好いいこと言っている風だが、要するに俺がルールだ、ということであある。どこのガキ大将だ。

 生徒用の昇降口から入ってきた路原さんとはすぐに合流できたが、この先何処に行くつもりなのかは……一つしかないか。

 「で、路原クン。キミが『動く標本』を見た理科室はどこだ? 案内してくれないか」

 「はいはーい。こっちで~す」

 呑気のんきな調子で路原さんが先導する。

 僕も卒業生なので理科室の場所ぐらいは知っているのだが、わざとか。

 校舎二階の端っこに理科室はある。

 隣に準備室が併設してあるが、そんなに特殊な部屋ではない、はずだった。

 中に入ってみると、僕が在籍していたときには存在していなかった標本の群れが迎えてくれた。

 スタンダードなカエル。なぜかウナギ。ちょっと変わったトカゲ系。ヘビまである。

 なんでこんなことになってるんだ? ああそうか、新任の理科教師が持ち込んだんだったか。中学校になんで標本コーナーが出来ているんだよ。ホラーか。

 そんな気味の悪い標本の群れの中に、それはあった。

 白い小型の鰐のホルマリン漬け標本。

 これが例のパンジーちゃんとやらだろう。標本に名前をつけるセンスは僕には理解できない。つうかなんでパンジーなんだよ。鰐に花の名前かよ。

 突っ込みたいことは山ほどあったが、言い尽くせないので黙っておく。

 下手に刺激して室長の機嫌を損ねるのはまずいだろう。

 これが動いたとした確かに不気味だろうが、今は全く動くような気配をみせていない。

 当然か。昼間に動いても恐怖はそこまででもない。不気味ではあるのだろうが、踏み潰して終わりだろう。

 問題は夜になってから動くということか。……それも、室長の推測によれば人の手によって。

 全く物怖ものおじすることもなく室長はパンジーちゃんに近づき、じろじろと遠慮のない視線を注ぐ。もし、パンジーちゃんが生きているのだとしたら無神経な吸血鬼に抗議していたことは間違いないぐらいに、思いっきり近づいていた。

 ……研究家でもそこまではかぶりつきで観察はしないだろう。

 そんな感じでしばらく室長はパンジーちゃんを観察、というか射貫いぬくように見ていたのだが、いきなりパンジーちゃんから離れて僕の方に向かってきた。

 「コダマ、昼に来てもしょうがなかったな。夜にまた来よう」

 「は? え、ちょ、ちょっと……」

 襟首を掴まれて、ずるずると室長に引きずられながら僕は理科室から退場することになってしまった。

 せっかく来たのに。

 「解決できそうですかぁ?」

 「そうだな。解決したら路原クンに連絡するから、まあ待ってみてくれ。今日中には終わるだろうしな」

 「はーい。ばっちりヤキ入れといてくださいね。犯人には」

 最近の女子中学生はなかなかに恐ろしいもののようだった。



 夜九時過ぎ。

 室長に言いつけられた通りに僕は自分の部屋から脱出する。窓から。

 夜遊びする人間のようで気が引けてしまうのだが、まさか「これから母校にはびこっている怪談を退治するためにでかけてくるから」などという宣言をするだけの勇気は無かった。

 後から絶対に小唄のやつにいじられるに決まっている。

 そんなわけで僕は二階の自分の部屋からアクション映画みたいに脱出する羽目になってしまったのだった。

 くそ、室長め。

 待ち合わせ場所は九臙脂中学の正門前だ。

 夜になってもまだ生ぬるい風を感じながら僕は走りだした。



 7


 「遅いぞコダマ。そんなことではデートの約束をすっぽかす人間になってしまうのは目に見えているな。ああ、しまったもう人間じゃなかったな。ははははは」

 からから笑いながら、いきなり笑えないジョークを室長はかましてきてくれた。

 おいふざけんな張本人。だれの処置で僕が中途半端に吸血鬼になってしまってると思ってる。

 そうは思ったものの、室長でないと解決出来ない事態であったのは確かだ。病院に行っても無駄だっただろうし。

 ゆえに、僕は苦虫をかみつぶしたような表情をするしかなかった。

 「挨拶よりも先にジョークを飛ばすのはいいですけど、本当に今夜行って解決できるんですか? やっぱり無理でした、とかだったらかなり恥ずかしいですよ」

 九臙脂中学正門前。タバコを吸いながら室長は先に待っていた。

 僕の顔を見た瞬間、やけにうれしそうに笑えないジョークを飛ばしてきてくれたが。

 「ああ、心配するな。犯人は怪談を定着させようとしているだろうからな。夏休みの間は肝試しにでもやってくる人間を手ぐすね引いて待っているだろう」

 「はあ……変な人間もいるもんですね。世の中には」

 「いるんだよ。そういう『ニンゲン』がな」

 なぜか室長は人間、という部分をやけに強調した。

 「さて、行くとするか。あまり学校の前で喫煙しているのはよろしくないだろうしな。最近は喫煙者に対しての圧力が強くて困る」

 携帯灰皿に吸い殻をしまいながら室長は愚痴っぽく言うが、そもそも中学生にしか見えない室長が喫煙しているのが一番問題な気がする。多分僕が警察だったら確実に補導する。

 ま、そういうことは置いておこう。

 ともかく、今僕たちが問題にすべきなのは『動く標本』のほうだ。

 人造の怪談。

悪意によるものか、それとも単なるいたずらなのかは分からないが、『怪』の専門家ヴィクトリア・L・ラングナーに目をつけられたのが一巻の終わりだった。



 夜の学校というのはどうにも不気味だ。かつて通っていた学校でもそう感じてしまうぐらいには。

 ならば、訪れるのは二度目でしかない室長はもっと不気味に感じているだろう、という心配はまったくの杞憂きゆうだった。

 迷いがないというよりも、蹂躙じゅうりんせんという気迫さえも感じられるような自信にあふれた足取りだった。

 理科室に直行なのだから当然だろうが。

 ちなみに校舎への侵入は、通っていた頃の僕が使っていた侵入ルート(一階の教室の窓)から容易に果たすことが出来た。

 母校のセキュリティに対しての関心の薄さを垣間かいま見てしまったが、もはや在籍していない僕にはあまり関係のない話だった。小唄は関係あるのかもしれないが、知ったことじゃない。アイツは多少痛い目にあったほうがいいし。

 しかし、気付いたことがある。

 「室長、もしかして吸血鬼って夜でも視界良好だったりします?」

 「そりゃそうだ。鳥目の吸血種なんて聞いたことがあるか? キミは吸血鬼性がそこまで強くないからそれほどでもないが、完全なら昼間と変わらない」

 なるほど。急に僕の夜間視力が上昇したという訳ではなく、吸血鬼化の弊害へいがいというか、恩恵というかだったか。荷物が少なくなって助かるが。

 それでも、人間辞めてしまってる実感は湧いてくる。

 明かりがないと、平気で夜に出歩く人間は少数だ。僕だって夜にはあまり出かけたくはない方だった。

 だが、今では恐怖をあまり感じない。視界が確保されているということが精神状態にここまで影響するとは思っていなかった。

 夜の学校も、昼間と変わらないぐらいに見えているなら大して不気味でもない。

 人気ひとけが無いことぐらいしか違いはないのだ。

 そうこうしている内に理科室の前に到着する。

 「で、どうするんですか室長? って、何やってるんですか……」

 何を考えているのか、室長は床をなで回していた。

 「おまじないだ」

 いたずらっぽく答えて立ち上がり、よどみのない動きで理科室の扉を開ける。

 理科室特有の無機質な空気があふれてくる。

 標本達は静かに存在していた。

 その中にはパンジーちゃんも含まれていた。

 「何やってるコダマ。入ってこい」

 いつの間にか室長は理科室の中に入っていた。素早い。

 室長以外に先客がいないことを確認しつつ、僕も理科室に入る。

 扉は自動で閉まるタイプのやつなので、誰も押さえていない扉は静かに閉まった。

 「……動きませんね」

 標本達は、いや、パンジーちゃんは動く気配を見せない。

 外れ、だったのだろうか。

 まあ、都合よく怪談が炸裂してくれるなんていうのはあまりにもご都合主義が過ぎるというものだろう。

 そもそも何者かの意思が関与している以上は、その張本人が仕掛けていないといけないわけだし。行き当たりばったりで解決は難しかったのでは? 

 なんてことを薄々僕が感じて、室長にどうやって告げようかとしていた矢先だった。

 ごとり、という音が聞こえた。

 室長も僕もそんな音を出すようなことはしていない。

 つまり、この理科室の中でそういう音を発生させた存在があるということだ。

 いやいやいやいや。嘘だろ。

 ゆっくりと僕は室長に向けていた視線を、標本の方に向ける。

 揺れていた。

 ホルマリン漬けの標本が入った壜。その一つが揺れていた。

 ごとごと。ごとごと。ごとごと。

 段々と揺れは激しくなってくる。

 そして、その中に入っている白い鰐の標本は、動いていた。

 もがくように、あがくように、苦しむように、恨むように。

 パンジーちゃん。

 そう名づけられた標本は、ホルマリンの中で手足をうごめかせていた。

 「……っ!」

 声が漏れそうになるが、なんとかこらえる。

 ここでビビっているようでは話にならない。僕たちは『動く標本』の解決に来たのだ。

 口を手で覆って、声を漏らさないようにする。対症療法でしかないが、今のところは有効だろう。

 ちらり、と横目で室長を見る。

 なんともつまらなそうな顔で室長はパンジーちゃんを見ていた。

 なんなんだ? なんでそんなに冷静なんだ? 目の前で起こっているコトがわかっていないわけじゃないだろう? 専門家と素人との違いか? くそ。

 全然動揺が見えない室長に多少のいらつきを覚えつつも、僕はなんとか自分を奮い立たせる。

 ここで逃げ出したりしたら、小唄以上に性格の悪い室長のことだ、どんな仕打ちを食らうのか想像もしたくない。

 もがくパンジーちゃんの動きと、激しくなる壜の揺れがとうとう臨界点を超える。

 バランスを崩した壜は床に落下し、派手に音を立てて砕け散った。

 僕の足元までガラス片が散らばる。

 そして、壜というおりがなくなったパンジーちゃんが、のたのたと、移動を始めた。

 緩慢だが確実に、僕と室長の方に向かってくる。

 流石に僕もこれは限界が近い。

 どうにかされてしまう前に先制攻撃を加えるべく、僕の意識がパンジーちゃんに集中したときだった。

 「う、うわあああぁぁぁぁぁぁ!」

 その悲鳴は理科室のすぐ外から聞こえた。

 「はぁ……予想通り過ぎる。どうもハズレだったか」

 軽く頭を振ってから室長はくるりと向きを変えると、扉に向かって歩き出した。

 「室長⁉ どこ行くんですか⁉」

 「獲物がかかったから確認しに行くんだ。キミも来い。そんな作り物にかまっているような時間は無いぞ。人間の青春は短いんだからな」


 8


 「た、助けて! 助けてくれ!」

 理科室から廊下に出てみると、そこにはなんとも形容しがたいモノがあった。

 巨大な餅に首から下が埋まってしまっている若い男性が助けを求めて叫んでいる。

 ごく簡単に表現してしまうと、そういう状態だった。

 なんだこれ。新手の幻覚だろうか? おかしいな。変なクスリをやった覚えはないんだけど。

 あまりにもシュール過ぎる光景に僕の脳みそが情報処理を拒否していると、室長は無造作に巨大な餅に近づく。

 「消えろ」

 冷たさしか感じさせない声で室長がそう言うと、一瞬で巨大餅は消え去ってしまった。

 残ったのは若い男性と……ラジコンか何かの操作装置?

 「さてコダマ。コイツが今回の『怪』の仕掛け人だ」

 「はい?」

 思わず、僕は尻餅をついて放心してしまっている男性を見る。

 年齢は……二十代前半ぐらいか? 半袖のワイシャツにグレーのスラックス。

 若手の新入社員か、新任教師といった風情だった。

 「いやいや。序論から結論までぶっ飛んじゃって意味不明なんですけど。論理展開してくださいよ」

 やれやれといわんばかりに室長は肩をすくめる。

 「理科室のパンジーちゃんは偽物だ。本物は別の場所に移動させているんだろう」

 は? いや、もっと訳がわからなくなってしまったんですけど。

 パンジーちゃんが偽物で、本物は別の場所。そして、犯人はこの男性。

 うん、わからん。

 どうも顔に出てしまったらしく、室長は呆れた目で僕を見てきた。

 「なんですか、その目は。室長は専門家だろうし、色々経験してきているからわかるんでしょうけど、僕は初めて関わったんですから大目に見てくださいよ」

 「……ふぅ。まあ、仕方ないか。だが、もっと自分で考えてみる必要があるな、キミは」

 僕と室長の会話に完全に置いてきぼりにされてしまっている男性はポカンとした様子だった。

 それを室長が鋭い目でねめつける。

 「……今回の肝は『なぜ標本が動いたのか?』だ。ホルマリン漬けにされてしまっている標本が動くはずがない。そして、破損したはずの壜が復活していたこと。この二点が『怪』の要だ」

 男性を見下ろしながら室長はポケットから小さなパイプを取り出し、咥える。

 葉は入っていないようで、火を点けることもなく咥えたままで続ける。

 「答えは簡単。ホルマリン漬けの標本は動いていない。動いていたのは内部に駆動機関を仕込まれた防水の標本だ。それを水中に沈めて、入れ替えたんだ」

 はっとしたようにどこか視線が定まっていなかった男性が室長をはっきりと見る。

 室長の解説は続く。

 「昼間には本物を出しておいて、夜になったら偽物と入れ替える。あとは好奇心に駆られたアホな中学生がやってきたら扉の隙間からでもリモコンで偽物の標本を操作する。多分、壜の底にもなにか仕込んでいるんだろうな。その内に壜が倒れて中身が外に出る。そこからは多分、逃げ出す予定だったんだろう。だが……」

 一旦、室長はそこで話を切る。

 天井に移っていた室長の視線が再び男性に向かう。

 「想定外のことに、最初に遭遇してしまった生徒は気絶してしまった。あわてて犯人は偽物の残骸をきれいに回収して、本物を設置しておく。そのあと、女子生徒の最初の発見者になって、なるべく現場を見られないようにしたというわけだ」

 男性は何も言わない。

 黙って室長の視線を受けているだけだ。

 「さて、この犯行が可能なのは誰なのか? 学校にいる人間なら誰にでも可能な気がしてくる。だがそうじゃない。標本の偽物を用意できて、理科室に出入りしても不審がられない人物」

 僕も思い至った。路原さんの話にほんの少しだけ出てきた人物。

 「新任の理科教師。お前がこの『動く標本』の元凶だ」

 まるでタバコの煙を吐くように、ふぅ、という室長の呼気で解説は終わった。

 なるほど。そういうことだったのか。

 怪談の正体は、ラジコンを仕込んだ標本。

 夜の学校なんてろくな明かりがないから、多少の違いなんてものはわからなくなってしまう。それを利用して、動いていないパンジーちゃんを動いているように勘違いさせたというわけだ。

 路原さんのスカートに残っていたガラス片は偽物の標本が入っていた壜の破片だったというわけだ。

 こんなものが僕の母校で流行っていた、なんていうのはかなり恥ずかしい。

 もちろん、この教師は処分を免れないだろう。当然の報いではあるのだが。

 「さて、ハウダニイットどうやってやったのかフーダニイットだれがやったのかは解いた。だが、ホワイダニイットなぜやったのかがまだだな。答えてもらうぞ。お前はなぜこんなことをした?」

 ハウダニイット、ホワイダニイット、フーダニイット。事件を解き明かすには必要なものだ。

 言い換えれば、動機。

 教師が怪談を流行らせて何の得になるというのだろうか? 室長もさすがにそこまではわからなかったらしい。

 僕と室長、二人の視線を受けて男性、いや、理科の先生はがっくりと肩を落とす。

 「……怪談を俺たちの手で創りあげるのは、“彼女”と俺の夢だったんだ」

 何かを懐かしむような口調で教師は口を開いた。

 その表情は重荷を降ろしたかのようにすっきりとしたものだった。

 「“彼女”? 誰だそれは」

 「中学からの俺の友達だよ。一緒に怪談話ばっかりしてたんだけどな。卒業前に約束したんだ。二人で作った怪談、『動く標本』をいつか本物にしようなって」

 十年以上前から九臙脂中学校に存在している怪談。その正体はどうやら二人の男女による創作だったようだ。

 そして、その創作を本物にするために今回の事件は起きた。

 それが、真相のようだった。

 一歩、二歩と室長は先生に近づき、その胸ぐらを掴む。

 「答えろ。その“彼女”とやらの名前を」

 「ぐ……何を……」

 「いいから答えろ。私は見た目以上に気が短いぞ」

 「……練西ねりにし由良々ゆらら

 室長の迫力に負けたのか、あっさりと白状する。

 それだけ聞くと、用無しだとばかりに室長は先生を解放する。

 「さて、つまらん真相だったな。帰るか、コダマ」

 「いや、あの……『動く標本』のほうはどうするんですか?」

 「放っておけ。路原クンには私から話しておく。なに、女子のネットワークをなめるな。明日中には九臙脂中学の女子の半数はこの話を知っているだろうな」

 パイプを咥えたままで、室長は歩き出す。

 置いて行かれないように、慌てて僕はその後に続く。

 「なあ、約束を果たそうとするのはいけないことなのか?」

 先生は、いや、約束を果たそうとしてできなかった男はそう訊いてきた。

 「……約束に他人を巻き込んじゃいけませんよ」

 僕の答えはそれだけだった。


 

 「……」

 「……」

 九臙脂中学校から戻る道中だが、僕も室長も沈黙したままだった。

 めちゃくちゃ気まずいのだが、どうも室長の機嫌が悪そうなので声をかけづらいのだった。

 なんでこんなに僕が配慮しないといけないのだろう?

 かなり理不尽に感じる。

 「コダマ」

 「は、はい!」

 いきなり室長に呼びかけられてしまい、けっこう元気よく返事してしまった。

 「『怪』の正体なんてこんなものだ。誰かの勝手、エゴ、自己満足。そういったモノがほとんどだ。例外も当然あるがな」

 足を止めずに室長はそんなことを言う。

 「は、はぁ……」

 どうにも僕には曖昧あいまいな返事しかできない。

 まあ、いきなりざっくりした話をされても困る。

 だってまだ百怪対策室、というか室長の助手になってからの初めての事件だ。右も左もわからない状態なのに、いきなり深そうな話を始められても困る。

 「私は、そういった迷惑かけまくるクソ野郎が嫌いでな。だからこんなことをしている。キミにはそれを手伝ってもらいたい」

 ……不覚にも少しだけ共感してしまった。

 「どうだ? 今ならやめてもいいぞ、コダマ」

 振り返った室長はほんの少しだけ、寂しそうに見えた。

 僕は、仕方なさそうに肩をすくめる。

 「まったく、しょうがないですね。僕でよかったらお手伝いしますよ。ただ、ちゃんと給料は払ってくださいね」

 「いいだろう。明日からこき使ってやる」

 笑った室長は、今までで一番好感の持てる顔だった。


 9


 「コダマ、早速キミに任務を言い渡す。書店に行ってこのメモにある本を買ってきて欲しい。私は日中に出かけられなくもないが、キミ以上にかゆいからな」

 『動く標本』を解決した翌日、昼頃に訪れた百怪対策室。

 いきなり室長からそんな指令を受けた。

 二つ折りにされたメモと一緒に万札を渡される。

 「はあ……まあいいですけど。『怪』のほうは?」

 「今日はまだだ。とりあえずはそのメモを店員に渡せば持ってきてくれると思うから頼んだ」

 ソファに座ったままで葉巻をふかす室長に送り出されて、僕は書店へと向かった。

 まあ、買い物ぐらいは楽なもんだ。

 到着した書店で、言われたとおりに店員さんにメモを渡す。

 一瞬、店員さんの笑顔がこわばったのはなぜだろうか?

 謎はすぐに解けた。

 四冊ほど僕の目の前に文庫本が並べられ、次々にレジで計上されていく。

 それはいい。

 問題はその本のタイトルだ。

 『鬼畜執事、夜は旦那様の上に乗る』

 『童顔のボクに、大人のセカイを教えてください……』

 『俺がいいと言うまでお前は俺のモノ』

 『ショタ☆ショタ☆とらぶりっく』

 全部男同士がやけに接近している表紙だった。

 いや、言われなくてもわかる。っていうか小唄のやつが持ってる。

 BL本じゃねえか!

 店員さんがやや引き気味なのがわかる。

 ありったけの自制心を動員して購入したBL本を丁寧に受け取ると、僕は全力で自転車をこいで百怪対策室に向かった。

 「こんなもんは自分で買えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇえ!」

 全力で叫びながら。

 もちろん、本を渡した後に室長に喧嘩をふっかけて返り討ちにあったのは言うまでも無い。

 迷惑かけまくるのはアンタだ。少なくとも僕にとっては。

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