第十一怪 キメラ


 1


 十一月も末。

 そろそろ寒さもかなり厳しくなってきたのだが、世間一般は年の瀬も近いということで、少しばかり浮かれ気分のようだった。

 おもにクリスマスに向けて。

 対して僕はというと、いつものように笠酒寄と他愛のない会話を交わしながら下校していた。

 と、正門を出たところで見たことのある顔を発見した。

 すらりとした体躯たいくに、涼し気な目元。そして、そのロングの黒髪は佐奈平さなひら心優みゆ君。

 自分自身の生み出した『怪』に呑み込まれそうになっていた少女だ。

 たしか九臙脂くえんじ中学の生徒のはずなのだが、なぜここにいるのだろうか?

 「こんにちはコダマさん。お久しぶりです」

 ぺこりと頭を下げて丁寧に挨拶してくる。

 育ちの良さっていうものはこういう部分で出てくるよなあ、などと僕は隣の笠酒寄かささきを見ながら思う。

 家は立派なくせに。

 ともあれ、向こうが丁寧に挨拶しているのに無視して通り過ぎるというのも、あまりに失礼だろう。

 「こんにちは、佐奈平君。あれから『怪』のほうは大丈夫?」

 「ええ、おかげさまで。花帆かほちゃんもニオイが薄れてきています」

 佐奈平君は笑顔だが、どこか怖い。

 彼女の具体的な体臭対策を聞くのはやめておいた方が良さそうだ。

 「で、どうしてこんなところに? 君はここには用がないと思うんだけど」

 「そうですね。確かに弐朔にのり高校には用はありませんけど、コダマさんに用があります」

 はて? 佐奈平君が僕に対してなんの用だろうか?

 二口女は解決したのだから、ほかの『怪』でも発生したのだろうか?

 それなら話を聞かないといけないだろうけど。

 「ねえねえ、空木うつぎ君。このコ、誰?」

 くいくいと僕のコートの裾を引っ張りながら笠酒寄が訊いてくる。

 やめろ、服が伸びるだろ。

 「ああ、佐奈平心優君、ちょっとした『怪』に巻き込まれてしまって、百怪対策室で解決したんだ。あのときにはお前はいなかったから知らないか」

 「へぇー、そうなんだ。ふーん……」

 なぜか笠酒寄は剣呑けんのんな目つきだ。

 「初めまして、笠酒寄ミサキです。空木君の彼女です」 

 にっこりと笑いながらそういう風に自己紹介するものの、全然目が笑ってない。

 なんでいきなりケンカ腰なんだよ。

 「どうも初めまして、コダマさんの現在の彼女の笠酒寄さん。佐奈平心優と申します」

 佐奈平君のほうもなぜかやけに挑発的だ。

 なんだこれ? ホントになんだこれ?

誰か説明してくれ。

 「おいおい、なんで二人ともいきなりピリピリしてるんだよ。女同士なんだから仲良くしたらいいだろ」

 思わず仲裁に入ってしまう。

 「何言ってるの? 空木君。わたしたち、全然ピリピリなんてしてないよ。ただ、自己紹介しただけじゃない。空木君の彼女はわたしだって」

 「そうですよ、コダマさん。現在の彼女である笠酒寄さんと、今ここでコトを構えようだなんてみじんも思っていませんよ」

 おい、やめろ。下校中のほかの生徒もいるんだから。

 僕に対する妙な噂がまた立つじゃないか。

 今度は、浮気してるのがばれてしまって校門の前で浮気相手とカノジョがケンカした奴、みたいなことになりかねない。

 つーか、なんで僕の前でけん制し合ってるんだよ。

 「なあ、二人とも。ちょっとその辺でお茶でもどうだ? いろいろ話し合いたいこともあるだろうしな」

 場所を移そう。

 このままではまずい。

 なによりもさっきからこっちを見ている二年生とおぼしき女子の集団がまずい。

 「……わかった。空木君のおごりね」

 「……わかりました。コダマさんのおごりで」

 おまえら本当は仲いいだろ。



 三人で喫茶店に入る。

 ディナーには早い時間なので(なにせまだ五時前だ)、席はがらがらだった。

 四人掛けのテーブルに案内されたものの、なぜか二人とも僕の対面に座った。

 笠酒寄、お前は僕のとなりに座ってくれないのかよ。

 カノジョだろ?

 悲しくなってくる。

 コーヒーを二つと紅茶を一つ頼んで、とりあえずはそれを待つ間にこの状態をどうにかしたほうがいいだろう。

 「そういえば、佐奈平君の用事って何かな。聞かせてくれる?」

 まずはこっちの用件だろう。

 中学生がわざわざ僕を訪ねてきた。しかもこの間まで『怪』の中心にいた人物が。

 もしかしたら、何らかの予想していなかった事態が起きた可能性もある。

 「ええ、そうなんです。コダマさんにお伝えしたいことがあって。まあ、そちらの笠酒寄さんがいらっしゃることは予想外でしたけど」

 なんでそんなに突っかかるんだよ。

 前世からの因縁でもあるのか? 宿命のライバルだったのか?

 「率直に言います。コダマさん、わたしと付き合って下さい」

 まるで、業務連絡のように佐奈平君はそんなことを言い出した。

 バン! とテーブルが叩かれる。

 「……さっき言ったよね? わたしは空木君の彼女だって」

 怒気を隠そうともしない笠酒寄がテーブルを叩いたのだった。

 そりゃあ目の前で彼氏に粉かけられたら怒るだろう。

 僕だって、笠酒寄が目の前でナンパされていたら同じような反応をすると思う。

 「……そういうわけなんだけど。終わり、じゃないよね多分」

 一応は確認のために佐奈平君に訊いてみる。

 「もちろんです。今は笠酒寄さんとお付き合いをされているというのなら、別れてもらって、それから改めてわたしと付き合ってほしいんです。二股なんて認めませんから」

 涼しい顔で佐奈平君は答える。

 ……頭が痛くなってきた。

 なぜ彼女はこんなことを言い出してきたんだ?

 正直な話、わからない。

 僕は『怪』の解決に対して、少しばかりの助力をしただけの話だ。

 結局、二口女は彼女が自分自身と向き合うことができたから、解決することができた。

 ……もしくは同じ九臙脂中学校に通う、僕の妹である小唄こうたあたりから、僕のことを極端に美化して聞いたか、とも思ったのだが、小唄のやつが僕のことを美化して人に話すなんてことはないだろう。

 となると本格的に手詰まりだ。

  それでも、いい加減に笠酒寄が佐奈平君につかみかかりそうになっているので、どうにかしないといけないだろう。

 「佐奈平君、もう一度言っておくけど、僕の彼女は笠酒寄なんだ。他の人と付き合う気はないよ。それに君は僕のどこに惚れたっていうんだ? 正直、君には一回会ったきりだろ」

 「ええそうです。でも、愛に会った回数は関係ないと思います。そして、今は笠酒寄さんにしかコダマさんの心は惹かれていないみたいですけど、必ずわたしに振り向かせて見せます」

 あくまで冷静に佐奈平君は答える。

 となりで頭に血が上って真っ赤になっている年上の女子にも見習わせてやりたいぐらいだ。

 「……空木君は渡さないから」

 「それを決めるのはコダマさんです」

 どっちが年上なのかわからない会話だ。

 とりあえずはこの場はどうにかなりそうだ。

 ……問題を先延ばしにしただけの気もするが。この針のむしろのような状態から解放されるのなら大歓迎だ。

 後で大人な人々に相談でもしたらいいだろう。ただし室長は除外する。

 「わかった。でも今は佐奈平君と付き合うことはできない。それはわかってくれ」

 「わかりました。仕方ありません。でもコダマさん、わたしは諦めませんから」

 あくまでクールに佐奈平君は諦めない姿勢を示す。

 その根性は素直に尊敬する。

 「じゃあ、話は終わりだね。今度会う時には君がもっと素敵な人を見つけていることを祈るよ」

 「ありえません」

 ……最後まで佐奈平君は折れなかった。



 とりあえず、店を出た。

 佐奈平君は意外にもあっさりと去ってくれた。

 この調子で僕のこともあきらめてくれるといいのだが。

 ぐい、と僕のコートが引っ張られる。

 「どうした? 笠酒寄」

 「……ありがとう」

 小さな声だったけど、それはたしかに感謝の言葉だった。


 2


 いつものようにハイツまねくね二〇一号室。またの名を百怪対策室。

 これまたいつものように入る前にアホなやりとりをして、僕と笠酒寄は百怪対策室に入った。

 しかし、入ったところで、違和感を覚えた。

 正体はすぐにわかった。

 靴がある。

 室長のものではない。明らかに男物だ。

 その上、もう一足。

 室長なら絶対に履かないようなかっちりとしたデザインの女物の靴もある。

 少なくとも二人は先客がいるということだ。

 ……いやな予感がする。

 僕の介添かいぞえなしで百怪対策室に入ることができる人物は限られている。

 その中でも女性と男性の組み合わせは、夏休みに非常に厄介な依頼をしてきた二人組を思い出す。

 (……覚悟しておこう)

 夏休みに起こった事件を知らない笠酒寄には悪いが、僕は思い出すだけでも嫌なのだ。

 黙って靴を脱いで応接室に向かう。

 ドアをノック。

 「入れ。今日は素敵なゲストもいるぞ」

 中から返ってきた室長の言葉は僕の心を非常に重くしてくれた。

 意を決してドアを開け、中に入る。

 いつものようにソファには室長。そしてその対面には痩躯そうくでスーツ姿の初老の紳士。

 更にその紳士の後ろに控えるように僕たちと同じぐらいの年の女性が控えている。

 くそ、夏休みの再来だ。

 「おや、コダマ君。久しぶりだね。あれから色々と妙なモノに関わってきたみたいだが、元気そうで安心したよ」

 初老の紳士、いや、ヘムロッドさんは微笑をたたえてそうおっしゃる。

 ヘムロッド・ビフォンデルフ。

 統魔の最高評議会の一員にして、統魔での室長の同期らしい。

 「空木様、ご無沙汰ぶさたしておりました」

 ヘムロッドさんの後ろでメイドかなにかのように控えている女性はクリシュナさん。

 どっからどう見てもメイドっぽい服をきた人間の女性だが、ゴーレムらしい。

 ヘムロッドさんの最高傑作という触れ込みなのだが、僕はいまでもこの人がゴーレムであるという確証が持てない。

 そんな二人が、百怪対策室に、いた。

 「さて、ヴィクトリア。コダマ君も来たようだし、そろそろ世間話はやめて本題に入ろうか」

 「いいだろう。ほれ、笠酒寄クンは私の隣に座れ。コダマはヘムの隣だ」

 統魔の最高評議会なのに、野良魔術師である室長が名前を略して呼んでいいのか、とも思ってしまうが、やはり、同期の絆というやつは強いのだろう。

 逆らってもしょうがないので僕も笠酒寄も素直に従う。

 座ってからヘムロッドさんとクリシュナさんは笠酒寄に自己紹介をしてくれた。

 とは言っても、名前と室長の知り合いということぐらいだが。

 この二人の脅威度が全く伝わっていないとは思うのだが、まあいいだろう。

 わからなくてもいいことが世の中にはある。

 クリシュナさんのほうにやけに視線を向けている笠酒寄を無視して、僕は隣のヘムロッドさんと室長に集中することにした。

 ばさり、とヘムロッドさんが机の上に何枚かの写真と、書類を広げる。

 端っこに極秘とか書いてあるが気にしない。

「どの事件もここ一ヶ月で起こっている。被害は様々だが、共通していることは一つ。被害者は必ず負傷、もしくは死亡しているということだね」

 資料の一枚を手に取って、読んでみる。

 〈十月三十日。午後九時。被害者、四十代男性。全身に裂傷あり。裂傷は深さ五ミリメートルから二センチメートル。長さは五センチから四十センチメートルまで。男性の死因は失血死。痕跡から、大型肉食獣の爪によるものと推測される〉

 〈十一月四日。午後十時。被害者、三十代男性。右脚を残して、行方不明。未だ発見されず。切断部から大型肉食獣によるものと推測される〉

 「動物園からライオンでも逃げ出したのか? それとも、獣憑きライカンスロープあたりでも暴れているのか?」

 二枚目の資料を見て、室長はそんなことをヘムロッドさんに尋ねる。

 まあ確かに、この二枚から考えられることはそれぐらいだろ。

 とは言っても、一番近い動物園までは二時間ぐらいはかかるので前者の可能性は低い。

 となると、後者か……

 「慌てないでくれ、ヴィクトリア。全部の資料に目を通してから考えてみてくれ」

 あくまで紳士な振る舞いでヘムロッドさんは続きを促す。

 僕と室長、そして笠酒寄は再び資料に目を落とす。

 〈十月十日。午後九時。被害者、五十代女性。蛇毒による心臓停止により死亡。左太腿に咬み痕あり。咬み痕から蛇は体長十メートル以上と推測される〉 

 「はあ? 何なんですか? これ。こんなでかい毒蛇なんているんですか?」

 「いや、存在しないな。世界最大の毒蛇であるキングコブラでさえも最大で四メートルぐらいだ。十メートルを超えるとなると、ニシキヘビ並だな」

 すっとんきょうな疑問の声をあげた僕に、室長が答えてくれた。

 なるほど。自然にはいない、ということか。

 となると、魔術師やら『怪』が絡んできている可能性は高い。

 とは言っても、僕には一体何が起こっているのかは見当もつかないが。

 そして、資料は最後の一枚だ。

 〈十月二十日。午後九時。被害者、二十代男性。全身打撲並びに頭蓋骨骨折。また複数箇所に強い力で握られた痕跡あり。手の形状は人間のものであり、推定される身長は四メートル程度〉

 いよいよ意味がわからなくなってきた。

 今度は巨人か。

 全くつながりが見えてこない。

 一枚目と二枚目ぐらいにはつながりがあったが、三枚目、四枚目に関しては全く別の事件にしか思えない。

 あえて言うなら時刻が九時から十時の間だということぐらいか。

 しかし、そんなものはなんの共通点にもならない。

 偶然の一致と言うことだってあるのだ。

 室長はなにか難しい顔をして、考え込んでいる。

 笠酒寄の方は添付されていた写真を見ているが、そっちは単なる現場写真だ。

 僕は、ヘムロッドさんを見つめる。

 この人は室長に何をさせたいのだろう。

 数十秒、そんな状態が続いたのだが、ぱさり、と室長が資料を机の上に投げて戻したことで終わった。

 「……ヘム。これは統魔の大失態だぞ」

 室長の眼差しは鋭い。

 「分かっているよ。だからこそ、ヴィクトリア、君に解決を依頼したい」

 室長の視線を受けるヘムロッドさんも真剣な顔だ。

 「報酬は私個人の口座から用意する。できうる限りはキミの要求に応えるつもりだよ」

 「当然だ。よりにもよって、統魔の尻拭いを私にさせようというんだからな」

 室長に対して、できうる限りという言葉は厳禁だ。

 本当にできうる限りをさせられる。

 それを知っていないヘムロッドさんではないだろう。

 つまり、それでも解決してもらわないといけないぐらいに緊急事態だということだ。

 「室長、一体何が起こっているんですか? 二人だけで納得してないで僕と笠酒寄にも説明してください」

 完全に置いてきぼりを食らってしまったので、そんな風に抗議する。

 やや間があって、室長は気が進まない様子で口を開いた。

 「……そうだな。キミたちにも協力してもらった方がいいからな。説明しよう。この事件の犯人はおそらく、合成獣キメラだ」

 キメラ。

 なんでしたっけ? それ


 3


 「空木様、合成獣というものは魔術を用いて、複数種の生物を融合させたものです。個体の維持には魔術的な施術せじゅつの必要があり、もしおこたった場合は暴走する可能性があります。また、その危険性から合成獣の製造方法は統魔において最低でもB指定になっております。ゆえに合成獣を造り出すことができる魔術師はなんらかの手段でB指定以上の文献に接触したか、もしくは統魔では管理していない、もしくは統魔から流出した魔術をおさめた者ということになります」

 クリシュナさんがヘムロッドさんの後ろからそんな風に説明してくれた。

 なるほど。

 今回の『怪』の原因の合成獣とやらが危険な感じなのはわかった。

 とりあえず魔術師が関わっていることは決定のようだ。しかも、もしこの魔術師が統魔に所属している、もしくは所属していたのなら、それなりの腕前をしていると思っていいだろう。

魔術師が所持していても危険なモノが、B以上の指定を受けるのだ。

 どれだけ危険なのかはこれまでの経験でわかってきている。

 そんなものを扱うことができる魔術師が平凡なものであるはずがない。

 「でも、どうやってその合成獣を捕まえるなり、殺すなりするんですか? 相手がどこに現れるのかなんてわからないでしょう?」

 「そんなことはない。物事には大抵理由があるものだ。これを見ろ」

 室長が今度は机の上に地図を広げる。

 「最初の被害者が発見されたのがここ。次はここ、そして、ここ。最後にここだ」

 以前のひどい『円』で反省したのか、今回の室長は被害者が発見された場所にサインペンで点を打っただけだった。

 四つの点が地図上に打たれたものの、特に何かしらの規則性は見つからない。

 ……結んだら台形ぐらいにはなるか?

 いや、微妙にならない。

 絶妙に意味がない配置としか思えない。

 そんな僕を放って、ヘムロッドさんは、ほう、という声を漏らす。

 「なるほど。ということは陰陽師の可能性もあるね」

 「あくまで可能性、だがな。決めつけるには情報が足りなさすぎる。合成獣をとっ捕まえるなり、ぶっ殺すなりして、それから首謀者の動きを待つしかないな」

 ……ちょっと待った。

 なんだか話が僕を置いたまま進んでいっている。

 ヘムロッドさんはどうやらこの点の配置から何かを読み取ったらしいが、僕にはさっぱりわからない。

 「笠酒寄、お前はわかったのか?」

 困った時には笠酒寄に話を振る。

 余計なことを室長に尋ねると、あとでいじり倒されることはわかりきっている。

 「う~ん。もう一味ひとあじ足りない、感じ?」

 何言ってんだコイツ。

 「惜しいな、笠酒寄クン。まあしかし、時間がない。わかってないコダマにも笠酒寄クンにも説明しよう。注目すべきは点の順番だ」

 そう言いながら室長は最初の被害者の発見場所から二番目の被害者の発見場所に線を引く。

 「魔術というモノは形式がとても重要なんだ。とくに何かしらの大掛かりな魔術になればなるほどな」

 二番目の点から三番目の点に線を引く。

 「順番。これは特に重要だ。材料がそろっており、その上に術者自身も一流だったのに失敗した、なんてことは枚挙まいきょにいとまがない」

 三番目の点から四番目の点に線が引かれる。

 出来上がったのは二本の辺の長さが余ってしまったような三角形だ。

 だが、ここまでを見てきて、さすがに僕も気づいた。

 「五芒ごぼうせい、ですね」

 点を線で結んでいく順番は五芒星を描く順番だった。

 ということは、この中途半端な図形はまだ完成じゃない。

 最後の点。

 最初の点に戻ってくるための中継地点が必要だ。

 つまりはそこが……

 「次の合成獣の出現場所はここだな」

 室長がペンで指し示した場所は地図上に五芒星を描くとすれば、最後の点が来る場所だった。

 「本当にそこに出るんですか? 出るとしたら、いつですか?」

 「出る。しかも行けば確実にな」

 なんだろう。自信満々だ。

 なぜそんなことを断言できるのだろう。

 少なくとも、いままでの事件の発生間隔に法則性があるようには思えない。

 強いて言うならば、だんだんと間隔が長くなってきていることぐらいか。

 それ以外には何も見えてこない。

 「室長に自信があるのはいいですけど、僕にも納得できるような根拠はあるんですか? カン、とか言われても僕は信じられませんよ」

 「コダマ、考えるよりも先に見てみた方がいいときもある。今はまさにそんな時だぞ」

 は?

 見ろって、何を?

 見ろ、と言われると、ついつい室長がペン先で指し示している場所に目が行ってしまう。

 ペン先が指しているのは、病院の地図記号だった。

 だが、この病院は……

 「廃病院……。犠牲者になる人間自体がここにはいないってコトですか?」

 「珍しく察しがいいなコダマ。そういうことだ。首謀者がわざとやったのか、それとも単純にミスを犯したのかはわからないが、とにかく、合成獣がこの場所で犠牲者を出さない限り、目的は達成できない。このまま放っておいてもいいんだろうが、合成獣が制御を外れてほかの場所にでも行かれたら厄介だ。私たちで処理するぞ」

 「それ、本当に僕たちが行かないといけないんですか? 統魔の隠蔽いんぺい班とかは動かないんですか?」

 「統魔の隠蔽班は魔術の行使が確認されない限りは動かない。基本的には事後処理部隊なんだ。その上に統魔の日本支部はあまり荒事あらごとが得意じゃない。確実にるつもりなら本部から精鋭を呼んでくることになる。日本支部の最高責任者は事なかれ主義だから、おそらくは確証がない状態では動きたくないんだろう」

 あいつは決断が遅すぎる、などと室長は毒づく。

 室長が今回の件を統魔の尻拭いだと表現したのはこういうことか。

 本来は統魔が始末しないといけない件だが、その場合には更に犠牲者が増える可能性も出てくる。

 つまりは、確実に合成獣を始末できる室長のような存在が必要になってくるのだ。

 百怪対策室に依頼が来たのは当然ということか。

 わざわざヘムロッドさんが百怪対策室に来たのも、旧知の仲ということもあるのだろうけど、日本支部が頼りない部分もあるのだろう。

 なんとも苦労の多い御仁ごじんだ。

 どことなく、室長にからかわれまくっている僕と姿を重ねてしまう。

 仕方ない。

 室長も僕も、百怪対策室に所属しているのだから、仕事だ。

 これ以上、合成獣なんかの犠牲者が出るのは看過できない。

 それに、僕もなりそこない吸血鬼ではあるが、人が死んで喜ぶような感性はしてない。

 魔術師の責任は魔術師が取るべきだ。

 見習い魔術師としても、僕は行かないといけないだろう。

 そして、人間としても。

 「……室長、決行はいつですか?」

 「今夜だ。そうそう、笠酒寄クンは留守番だ」

 「えー。何でですか⁉ 空木君とイチャイチャする気ですか⁉ 許しません!」

 「今回の合成獣はどのような素体を用いているのかが不明だ。人数は少ない方がいい。私がフォローできるのは一人が限度。というわけで今回の笠酒寄クンは待機」

 「ぶーぶー」

 「ふくれっ面をしてもだめだ。キミの安全が保証できない。安心しろ、コダマなんぞとイチャつくほどえてないから大丈夫だ」

 「むうぅ……」

 笠酒寄は不満顔だが、さすがに室長に逆らってまではついては来ないだろう。

 これで、廃病院に行って合成獣を退治するのは僕と室長の二人だ。

 ……夏休みを思い出す。

 結末まで夏休みのようにならなければいいのだが。


 4


 午後九時前。

 僕と室長は合成獣が出現する、というか犠牲者がやってくるのを待っている廃病院にやってきていた。

 藻野原ものはら病院、というらしい。

 僕が十歳ぐらいの頃には既に潰れていたのだが、幽霊が出るという噂があるので今現在まで買い手がついていない。

 少しばかり有名な心霊スポットだ。

 とは言っても、命知らずの罰当たりが集まって馬鹿騒ぎするのは夏のことであって、十一月の末に心霊スポットでそんなことをしようとするアホは、幸いなことにいなかった。

 病院の入り口までは来たものの、その門扉は堅く閉ざされている。

 当然といえば、当然だ。

 一応は買い手がついていないだけで所有者はいるのだから、侵入できないように対策するのは当然だろう。

 クルマから降りて、僕と室長はバリケードみたいになっている門の前に立つ。 

「どうします? 壊しますか?」

「こっちから到着を知らせてやる必要もないだろう。それに、後から請求書でも来たら困る」

 しょーもない理由だ。

 だが、僕は賛成だ。

 こんなとこで体力を使いたくない。

 結局、僕と室長は門扉を跳び越えることで病院の敷地内に侵入を果たした。

 この調子で合成獣退治も上手くいくといいのだが、きっとそうはならないのだろう。

 僕のほうはそんな重い気分で足取りも重く、室長はいつものようにくわえタバコのままでスタスタといつもの調子で建物のほうに歩いている。

 「合成獣、どこに出現するんですかね?」

 建物のほうには向かっているものの、僕はなにか確信があるわけではない。 

 室長について行っているだけだ。 

 これで室長のほうも何も考えがないということなら、かなり間抜けな二人だ。

 「合成獣が出現するのは建物内部だろうな。外側では生け贄に逃げられる可能性があるからな。確実にやるなら、内部だ」

 「でも、今までの被害者は全員外でやられているんじゃないんですか?」

 「まあ、そうなんだがな。今回は今までと違う。元々、合成獣というものは目立つからな。屋外で運用するモノじゃない。今まではしょうがなく外で襲っていたんだろうが、隠れるのに十分なスペースがあるんだから有効活用するだろう?」

 どうやらそれなりには合成獣も知恵が回るらしい。

 こっちとしてはありがたいが。 

 正直な話、僕の能力は相手を先に発見したら勝ったも同然だ。

 しかし、人に見られるのは困る。

 なので、屋内戦のほうが好ましい。

 ……今夜、この場所にいるのは僕たちぐらいなものだろうが。

 玄関口はガラスが破られており、何の苦労もなく病院内に入ることができた。

 当然、電気なんぞ通っているはずもないので、外よりも深い闇が中には満ちている。

 月の光というものがけっこう明るいということを実感するだろう。普通の人間は。

 元々、昼でも夜でも大して見え方が変わらない僕と室長には関係ない。

 荒れ放題のロビーを、周辺を警戒したまま進む。

 どこを目指せばいいのかわからないのか、室長は手当たり次第にドアを開けまくっていた。

 そんな風にして、おおむね一階は全部を見て回った頃だった。

 かすかに、何かのうなり声が聞こえた。

 生憎あいにくと僕は耳の良さでは笠酒寄には及ばない。

 それは室長も同じだろう。吸血鬼は再生能力やら吸血による眷属けんぞくの作成など、直接的ではない能力は優れていても単純な身体能力においてはほかの人外に遅れを取ることも多い、らしい。

 その辺は笠酒寄とやり合った僕もよくわかっている。

 ゆえに、どこから聞こえてきたのかとか、どんなモノが発したのか、なんてことまではわからない。

 それでも普通の人間に比べたら聴覚は大分優れている。 

 空耳ということはないだろう。

 室長もぴたりと動きを止めて警戒態勢に入っている。

 「室長、今の……」

 「たまたま侵入していたライオンがいきなり腸捻転ちょうねんてんでも起こしたんなら別だろうが、おそらくは合成獣だろうな。気をつけろ。こちらには既に気づいている可能性が高い」

 「なんでそんなことがわかるんですか?」

 「うなり声というものは対象がいないと発しない。合成獣とはいってもさすがに人間のように一人で過去の痛いエピソードを思い出してのたうちまわる、なんてことはない」

 その例えはどうかと思うのだが、とりあえずバトル展開が迫っているのはひしひしと感じる。

 「後ろを見ていろ。私は階段のほうを見張る。待望の獲物だからな。あっちからやってきてくれる」

 室長は前方の階段、僕は後方のドアが並んでいる廊下を見張る。

 静寂。

 耳を澄ましてみても、何かが動き回るような音は聞こえない。

 五分、十分と時間だけが経過していく。

 人間の(半分ぐらい、僕は人間じゃないが)集中力がそう長くは保たない。

 ほんの少し、僕が警戒を緩めてしまった瞬間だった。

右の二の腕に激痛が走った。

 「い……ってぇ!」

 腕を目の前に持ってくると、僕の二の腕に見たこともないぐらいにデカい蛇が、かみついていた。

 なんだこれ!

 「コダマ、動くな!」

 室長が叫ぶ。

 痛みをこらえて、室長に言われたとおりに僕は動かないように全身をこわばらせる。

 ずるり、と僕の右の肩から先が、体から離れ地面に落ちた。

 切断面からドボドボと血が流れ出す。

 「うぎゃあああああぁぁっっっっ!」

 「騒ぐな」

 無理矢理、室長の左手で口を塞がれる。

 だが、痛いものは痛い。

 地面を転げ回りたいのをなんとか我慢して、切断されてしまった僕の腕を見ると、食いついていた蛇が離れていくところだった。

 どこから現れたんだ? という僕の疑問は蛇の胴体を辿っていくと解けた。

 天井にあるエアコンの吹き出し口。 

 そこから蛇の体が伸びていた。

 俊敏な動作で蛇は吹き出し口の中に戻っていく。

 あれではさすがに、僕も室長も追跡は不可能だ。

 蛇が見えなくなってしまってから、室長は僕の口を塞いでいた手を離してくれた。

 もうすでに、痛みはほとんど無くなって、かゆみに変わっているだが、それでも味わった痛みをすぐに忘れるなんてことはできない。

 思わず、片膝をついてしまう。 

 その際に、片腕が無いせいか大分バランスを崩してしまった。

 「室長、今のは?」

 「合成獣だな。あんなデカい蛇がいきなり襲ってくるはずがない。蛇は元々臆病な性質たちだからな」

 ビュン、と右手を振って、まとわりついている僕の血液を振り払いながら室長は答える。

 ん? なんで室長の手に僕の血液がついているんだ?

 「ん? ああ、これは私の『変形』と『硬質化』の能力の応用で、文字通り手刀にしたんだ。私の力なら大概のものは切断できる」

 「……もしかして、それで僕の肩をぶった切ったんですか?」

 「ああそうだ。生物である以上は私たちみたいなのにも毒は効く。特に合成獣の毒は強力になっている可能性もあるからな。毒がまわる前にかまれた部分を切り離すのが一番確実だ。再生能力が強いからこそ採れる対処法だがな」

 なるほど。今回は笠酒寄が留守番になるわけだ。

 人狼の笠酒寄ではここまで損傷が激しいと、再生できるかどうかは怪しい。

 ……室長一人のほうがよかったんじゃないかと思ってしまうのだが、そこは突っ込まないでおこう。

 じゅうじゅうと音を立てて、切り離された僕の腕が溶けるように無くなってしまうのを見届けると、室長は僕の腕が再生するのを待ち始めた。

 「なんか、見られていると、恥ずかしいんですけど」

 「気にするな。三次元にはあまり萌えない」

 そういう問題じゃ無いと思う。

 なんだか、再生するのとは違うかゆみが全身に走る。

 むずがゆい。

 やがて、数分もすると再生は終わった。

 ここまで損傷が激しい状態からの再生は初めてだったが、ちゃんと再生してくれたのでよかった。

 服は再生しなかったので、かなり間抜けな格好になってしまったが。

 「どうしますか、室長。さっきみたいに不意打ちを受ける可能性がありますけど、また待ってみますか?」

 「いや、こっちから探しにいく。さっきの蛇に追跡できるようにマーキングしておいた。センチ単位で、とはいかないが大体の場所はわかる」

 抜け目ない。

 いつの間にやっていたんだ。

 多分、僕の肩を切断した後だろうが。

 だが、そのおかげでむやみにこっちから探すことも、ひたすらに襲撃を待つこともない。

 室長にぶった切られるのはもう勘弁してほしいので、今度は真っ先に蛇を引きちぎってやろう。

 室長を先、僕が後ろという順番で、僕たちは階段を上り始めた。


 5


 廃病院の二階は一階に比べて、荒れ方がひどかった。

そこら中にゴミやら何かの破片やらが散らばっている。

 「どうやら肝試しをしていた連中はここらで馬鹿騒ぎをしていたみたいだな。今の時期には居なくて助かった」

 その辺の空き瓶を蹴り飛ばしながら室長は呟く。

 犠牲者が増えるだけではなくて、五芒星も完成してしまうのだから何が起こってもおかしくないし、そういう意味では助かる。

 そもそも廃墟に不法侵入するな、という話だが。

 とりあえず、こっちは地面を走るしかないので踏みつけて転ばないように気をつけよう。

 転んだところにまた合成獣の蛇が襲ってきたらかわせる自信は無い。

 「で、室長。肝心の合成獣はどこに居るんですか? もうこの病院から逃げ出している、とかはないですよね」

 「当然だ。奴にとってはここから逃げるということはできない。合成獣は基本的には制作者の命令に絶対服従だ。ここで犠牲者を出さない限りは、別の場所に移ることもできない」

 基本的に、という余計なモノがくっついているのは気がかりだが、今は合成獣を退治することに集中しよう。

 室長はずんずんと迷い無く進んでいく。

 やがて、病室だったと思われる部屋の前で足を止めた。

 「少なくともこの中に、合成獣の蛇の部分はいるな。エアコンのダクトを通ってこられるぐらいだからもしかしたら本体は別かもしれないが、とりあえずは蛇を潰すぞ」

 躊躇ちゅうちょなく室長はドアを開けて、中に突入する。

 ボロボロのベッドが六つほど。

 あとは乱雑に物が散らかっているだけだ。

 いくら蛇は細長いと言っても、あれだけの大きさの生き物を見落とすほどアホじゃない。

 だが、見える範囲には蛇はいなかった。 

 「室長……はず……」

 れ、と言う前にいきなり室長は身を翻し、僕のほうに突進してきた。

 三メートルほど手前でジャンプ。

 そして、次の瞬間には僕の頭上でなにかを掴んでいた。

 蛇だ。

 さっき僕にかみついた蛇が天井からその胴体を伸ばしていた。

 室長はそれを見事に捕まえたのだった。

 同時に、位置の関係上、僕は思いっきり室長の膝を顔面にたたき込まれることになってしまった。

 「~~~~~~!」

 かろうじて上体を反らすことができたので、鼻骨が折れることはなかったが、それでもなかなかに痛い。

 なりそこない吸血鬼じゃなかったら訴えているところだ。

 「しまった。マーキングに気づかれていたみたいだな」

 悔しそうに室長が呟く。

 不思議に思って室長が掴んでいる蛇を見てみると、その胴体は途中からちぎれていた。

 「僕たち以外に合成獣を殺しにきた存在が居るってことですか?」

 「いやちがう。合成獣が自分でかみ切ったんだ。予想以上におつむの出来は上等らしい」

 苦々しく言いながら室長は顔をゆがめる。

 「追跡の難易度は上がってしまった、っていうことですか?」

 「まあそうだな。とは言っても、捜索範囲がこの病院内部なのは変わらないがな」

 ぐしゃり、と室長は掴んでいた蛇の頭を握りつぶす。

 ……マーキングが外れてしまったとなると、やはり最初のように合成獣の襲撃を待つしか無いのだろうか?

 あんまり気は進まない。

 僕がそのことを伝えると、室長は首を振った。

 「いや、合成獣に再生能力があるなら、私たちに対して有効な蛇部分を失っている今がチャンスだ。こっちから捜索する」

 「どういう風にですか?」

 「しらみ潰ししかないな。派手に」



 僕の蹴りの一撃を受けて病室のドアがひしゃげながら吹っ飛ぶ。

 そのすさまじい音は廃病院中に響き渡ったことだろう。 

 さっきは室長が担当している方向から同じような音が聞こえてきたことだし、おそらくは室長も似たようなことをやっている。

 合成獣を捜索するのに二人一緒というのは効率が悪いので、僕と室長は別れて捜索している。 

 合成獣の気を引くように、ということで、大きな音を立てながら僕たちは自分たちの担当区画を見て回っている。

 ……僕は決して、普段から溜まっているストレスを物言わぬ物体にぶつけているわけではない。

 そう思いたい。

 四部屋ほどそんなことをやったのだが、結果は空振りに終わった。

 そして、五部屋目。

 今までと同じくドアを蹴って吹き飛ばし、僕は中に入る。

 今までと同じような部屋、ではなかった。

 なぜかベッドが立てて置いてあった。

 それも、奥の空間を隠すように。

 怪しすぎる。

 廃病院の中で肝試しするのにこういうわざとらしいことはしないだろう。 

 となると、やはり合成獣の仕業と考える方が妥当か。

 とはいえ、ここで突っ込んでいくほど僕は馬鹿じゃない。

 「室長! こっちに怪しい配置のベッドがあります」

離れた場所にいる室長にも伝わるように叫ぶ。

 やや間があって、「わかった。そっちに行く」という室長の声が聞こえた。

 一瞬、それに気を取られた瞬間だった。

 ベッドが爆発した。

 いや、正確には奥にいたモノが僕に向かってすさまじい勢いで突進してきたので、それに巻き込まれて吹っ飛ばされた、というのが正解だろう。

 ぱっと見はライオンのようだが、そうでないようにも見える妙な生物だった。

 その巨体に似合わない俊敏な動きで跳躍すると、妙な生物は僕に飛びかかってきた。

 「うおっ!」

 すんでのところで大きく開かれたそのあぎとを止めることに成功した。

 コイツが合成獣か!

 突進自体は止められたものの、質量差はいかんともしがたい。

 僕に加わった莫大な運動エネルギーは転倒という結果をもたらしてくれた。

 仰向あおむけに倒して、そのまま合成獣は僕の頭をかみ砕かんとしてくる。

 どうにかこうにか僕はそれを両手で押し返す。

 とはいえ、これではジリ貧だ。体勢的には向こうが圧倒的に有利。

 ならば!

 無理矢理、足を合成獣の腹に当てる。

 「飛べぇ!」

 柔道で言うところの巴投げの要領で合成獣をぶん投げる。

 なりそこない吸血鬼の筋力じゃなかったら不可能な技だ。

 っていうか吸血鬼でも無理があったみたいで、少しばかり腰から嫌な音がした。

 すぐ治るけど。

 合成獣が吹っ飛んでいった方を見やる。

 合成獣を投げたのはおそらくは食堂だったと思われる場所だった。

 上手いこと受け身は取ったようで、合成獣は四つ足でしっかりと床に立っていた。

 しかし……でかいな。

 体長四メートルはある。

 体高のほうも僕に並びそうだ。少なくとも室長よりも高い。

 ……まともに相手はしてられないな。

 手っ取り早く能力を使うことにする。

 視線を合成獣に集中して、その頭を回転させて、ねじ切ってやるつもりだった。

 だが、それはできなかった。

 霧が僕の視線を邪魔していたのだ。

 「なっ……!」

 実は僕の能力である念動力はしっかりと対象を肉眼で確認できていないと発動しない。

 遮蔽物しゃへいぶつにとても弱いのだ。

 ガラスを通したぐらいで発動しなくなるぐらいだ。

 もちろん、霧なんて出ている時には使えない。

 しかし、なんで霧なんて出ているんだ?

 しかも、仮にも建物内だろ。

 が、しゅうしゅうという音が合成獣のほうから聞こえているのがわかると、その疑問は解決した。

 コイツが出してやがる。

 こんなことができるだなんて聞いてないんだけどな。

 愚痴を吐きたくなるが、今はそんな場合じゃない。

 霧がかかっていても、うっすらと向こうのシルエットはわかる。

 純粋に肉弾戦に持ち込まれると、僕の方が圧倒的に不利だ。

 再生能力があっても、再生する速度以上で喰われたりしたらどうなるのかわからない。 

 室長がこっちに来るまでどうにかしてにらみ合いを続けているしかない。

 が、こういうときの僕の目論見もくろみは崩壊する。

 霧の中から影が突進してくる。

 人狼に比べたら、まだ目で追える速度だが、直撃はまずい。

 躱そうと、横に飛ぼうとして、僕はなにかを踏んづけて転んだ。

 (ヤバい!)

 霧の中から突進してくる合成獣がスローモーションになる。

 死ぬときというのは脳が過剰に働いて、事象がスローに感じるというが、まさか体験することになるとは思わなかった。

 そんなことを考えることは出来ても、体は動かない。

 合成獣が迫ってくる。

 三メートル、二メートル、一メートル。

 五十センチほどまでその巨体が迫った瞬間、突然その姿がかき消えた。

 ドガン! という派手な音とともに、周囲が普通の早さで動きだし、僕はすっ転ぶ。

 「ギリギリだったな。あのまま食いつかれていたら引き剥がすのに苦労しただろうな」

 合成獣と入れ替わるように、百怪対策室室長、ヴィクトリア・L・ラングナーがそこにいた。

 「し、室長! 何が起こったんですか?」

 さっぱりわからない。化かされた気分だ。

 「合成獣の横っ腹に私が跳び蹴りを食らわせてやっただけだ」

 何でも無いことのように室長は言う。

 が、吹っ飛ばされた合成獣を見ると壁にめり込んで動けないようだった。

 ……どんな跳び蹴りを食らわせたらああなるんだ?

 絶対に食らいたくない。

 「どれ、とっとと始末するか。離れてろ」

 右手を再び手刀と化しながら室長は壁に埋め込まれている合成獣の方に歩き出す。

 正直、あの状態から何か出来るとは思えない。

 こっちに腹を向けて、前衛芸術のようなポーズで埋め込まれているし。

 ビームでも撃てるのなら別だろうが。

 僕はゆっくりと室長が合成獣を始末するのを見ていたらいいだろう。

 その考えがいけなかった。

 合成獣の腹から二本の白く、長いものが僕を貫かんとする勢いで伸びてきた。

 首を掴まれ、ギリギリと締め上げられる。

 「が……は……」

 骨がきしむ音が聞こえる。

 このままじゃ首がへし折れる。

 「だから離れていろと言ったんだ。馬鹿者」

 室長のその言葉と共に僕の首を折ろうとしていたものから力が抜ける。

 足下に落下した『それ』はどう見ても人間の、しかも女性の手だった。

 「うげ……」

 合成獣は腹から人間の腕を伸ばして僕の首を折ろうとしたようだ。。

 まあ、室長に伸ばした腕を途中でぶった切られてしまったみたいだが。

 二度目はごめんなので室長に言われたように距離をとる。

 その後は室長の手刀による合成獣解体ショーが始まった。



 6


 深夜。

 ハイツまねくね二〇一号室、またの名を百怪対策室。

 その応接室には三つの存在が、いた。

 ヴィクトリア・L・ラングナー。ヘムロッド・ビフォンデルフ。そしてその従者、クリシュナ。

 クリシュナは相変わらずヘムロッドの後ろに控えるように立っていたが、ヴィクトリアとヘムロッドはリラックスした様子でソファに座り、タバコをふかしていた。

 ついさっきまでコダマもこの場には居たのだが、合成獣を退治した後では疲れ切ってしまい、そのまま帰宅したのだった。

 コダマが完全に百怪対策室から離れたことを確信できる時間が経ってから、ヘムロッドが口を開く。

 「ヴィクトリア、今回の一件どう考える?」

 あくまでさりげなく、世間話のように尋ねる。

 「あの合成獣には人間、もしくはそれに近い生命体が合成してあった。現在の統魔で教えている魔術には含まれていない技術だ。つまり、あの合成獣を造った奴は確実にA指定のアイテム、もしくは魔術書を所持しているだろうな。ふん、統魔のミスはいつものことだがな」

 ヴィクトリアも大したことではないように返す。

 だが、二人とも事態はかなり深刻である、と考えていた。

 統魔がA指定にしているモノは危険である。

 魔術師でさえも特別の許可が無くては接触が許されない。そういったモノである。

 危険な思想の人物に渡っていれば、一般人に対する被害が出る可能性は高い。

 魔術師として、それは許容できない。

 魔術は秘されるもの。衆目しゅうもくにさらされてしまえば、無用な災禍さいかを招くこともありうる。

 中世に起こった魔女狩りが再び到来する可能性もある。

 おおむね、大きな混乱もなく魔術が維持できている現在を無駄に乱すことはない。

 それがヴィクトリアとヘムロッドの共通した考えだった。

 「一応、統魔の隠蔽班には連絡しておいたから、今頃は合成獣の死体を回収して、検分しているところだろう。その結果次第では再び私が動くことになるかもしれないな」

 面倒くさそうにヴィクトリアは言う。

 それは自分に言い聞かせているかのようだった。

「ヴィクトリア。君から見て、今回の合成獣を造った者の狙いは何だと思う?」

「さあな。陣を敷こうとしていたのは確かだろうが、その目的までは不明だな。合成獣が話せるタイプだったのなら聞き出す手段もあったのかもしれないが、今回の奴は脳みそ自体はそこそこ優秀だったみたいだが、話すことはできなかった」

 「情報は与えないように……か」

 末端には情報を与えないようにしておき、もし敵に捕まっても問題がないようにする。

 大規模な組織ではよくあることだった。

 となれば今回の事件の裏にはそういった組織がいる可能性は高い。

 ヴィクトリアはともかくとして、統魔の重鎮でもあるヘムロッドには頭の痛い問題だった。

 最高評議会の一席であるとはいうものの、日本支部に対して命令は出来ない。

 支部のことは支部で解決するしかないのが統魔である。

 「とりあえず、隠蔽班の活動は滞りなく行われているだろうが、問題は分析班だな。こちらの初動が遅れてしまえば首謀者を取り逃がす危険性もある。ヘム、どうにか出来るか?」

 「いいだろう。私の知り合いが日本支部にもいるから、そちらからどうにか出来ないか訊いてみよう。……日本支部ではコトの重大性に気がついていない可能性もあるからね」

 ヘムロッドの答えを聞いてヴィクトリアは盛大にため息をつく。

 短くなってしまったタバコを灰皿に押しつけて火を消す。

「隠蔽班と分析班は徹夜だな。上のやつらも叩き起こしてやった方がいいんじゃないのか?」

 「……起きてくれるなら苦労はしないんだがね。偉くなるとほかに任せることばかり上手くなってしまうから始末に困る」

 「お前が雷を落としてやればいいだろうが」

 「一応、最高評議会は支部の運営方針に関しては口出しできない。君は知っているだろう?」

 「凝り固まった風習は変えにくい……か」

 一通り統魔に対する悪態をつき終えると、ヘムロッドはソファから立ち上がった。 

 「ではヴィクトリア、私はこの辺で失礼するよ。しばらく……この一件が解決するまでは日本に滞在するつもりだ。何かあったらいつもの連絡手段で頼むよ」

 ヘムロッドが応接室の出口に向かうのを見て、クリシュナもそちらに向かう。

 部屋を出るときに一礼した後、クリシュナはヘムロッドの後を追って部屋を出て行った。

 一人残ったヴィクトリアは再びタバコに火を灯した。

 

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