だいじっかい ふたくちおんな



 1


 わたし浦原うらはら花帆かほ公立九臙脂くえんじ中学校の二年生です。

 ごく普通に中学生として過ごして、ごく普通に学校生活を楽しむ。

 そう思ってました。

 でも最近、わたしの無二の親友である、佐奈平さなひら心優みゆちゃんの様子がおかしいことに気付いてしまったのです。

 いつもなら放課後にはファストフード店に寄って、みんなでおしゃべりしたりしていたのに、最近の心優ちゃんは来てくれません。

 そのうえ、一緒に帰ってくれることもしてくれなくなりました。

 一年生の時に同じクラスになってから大抵は一緒に帰っていたというのに。

 これは心優ちゃんになにか起こったんじゃないかと考えて、掃除用具を入れるロッカーの中にこっそりとわたしは潜んでいるのでした。

 ちなみに、掃除が終わったと同時に入ったので軽く行方不明扱いされてましたけど、花帆のことだから大丈夫でしょ、みたいな結論になってました。

 みんなに信頼されているということはうれしいことです。

 これも人徳というやつなんでしょうか?

 それはさておき。

 ようやく放課後になってくれました。

 教室からは一人、また一人と人がいなくなり、とうとう残っているのは心優ちゃんだけになってしまいました。

 この時間は、部活動をしている生徒は部活動に忙しく、していない生徒はとっとと帰ってしまっているので、人目を忍んでの行動にはぴったりです。

 この時間帯に心優ちゃんが何かをしているのではないかというわたしのカンは果たして当たっているのでしょうか?

 もしかしたら友達の秘密に関して突っ込んでしまうのかもしれませんが、そのへんは年ごろの女子の好奇心に免じて許してほしいと思います。

 学校内での禁断の恋愛とか大好物です。

 さて、心優ちゃんは自分の机に座っています。

 さっきまで、宿題をやっていたみたいですけど、もう終わっちゃったみたいです。

 後で写させてもらおうと思います。

 宿題をカバンの中にしまって、入れ替わりに心優ちゃんはなにかを取り出しました。

 細長い、缶?

 何でしょう? ちょっと変わったジュースでしょうか?

 うむむ、とわたしが細長い缶の正体について考えを巡らせていると、心優ちゃんがいつの間にか机の上に立っていました。

 上履きのままで。

 潔癖症気味の心優ちゃんにしてはとても不自然なことです。

 少なくともわたしは見たことありません。

 これは……なにかが起こるに違いありません!

 わたしはそう確信して、ロッカーに空いている横に細長い穴に対して更に目を近づけます。

 ぷるぷると心優ちゃんは震えてみるみたいです。

 細長い缶を両手に持って、机の上でぷるぷる震えている少女。

 意味が分かりません。誰か解説してください。

 でも、それも長くは続きませんでした。

 そのうちに、心優ちゃんに変化があったのです。

 心優ちゃんはわたしのほうに背中側を向けていたのでよくわかりました。

 ざわざわと心優ちゃんの長い髪がうねって、だんだんと大きな口を作っていったのです。

 ちょうど心優ちゃんの後頭部のあたりに口が出来上がりました。

 それはそれは大きな口で、大きなくちびるがセクシー、とか言えるような感じじゃありません。

 人間の頭ぐらいならそのままかぶりつけそうなぐらいの大きさです。

 見ただけで気の弱い人は失神しそうです。

 「がああぁぁぁぁあ! くせえ! 臭え臭え臭え臭え臭え! 下痢のカナブンのほうがまだましなニオイだぞぉ!」

 でっかい口はその大きさに見合った大声でいきなり叫びました。

 あんなに大きい口が動いていると、圧倒されます。生物的本能が、逃げろと言ってくるのですが、今はロッカーの中なのでどこにも逃げられません。恐怖です。

 声だけは心優ちゃんのものでしたが、清楚で可憐な心優ちゃんが言うはずのないことを叫んでいます。

 なんというか、罵詈雑言ばりぞうごん

 そんな感じです。

 ぐ、と心優ちゃんが膝を曲げます。

 その体勢から一気に天井近くまで飛び上がりました。

 「天井からして臭え! 消臭!」

 でっかい口が唾を飛ばしながら叫ぶと、心優ちゃんは両手にもっている細長い缶を天井に向けます。

 ぷしゅー。

 そんな音が響いて、缶から霧状のなにかが噴射されます。

 ……消臭、とか言っていたし、たぶん消臭剤なんじゃないでしょうか。

 きれいに机の上に着地すると、今度は消臭剤を噴射できなかった天井に向かって心優ちゃんはジャンプします。

 何度も何度も、教室の天井全体に消臭剤をぶっかけて、やっと心優ちゃんは動きを止めました。

 ちょっとぜいぜい言っているのは気のせいでしょうか?

 「次だ! ここから! 消臭!」

 ぷしゅー。

 今度は机に消臭剤をぶっかけ始めました。

 そこ、わたしの机なんですけど。

 やけに入念に心優ちゃん(?)はわたしの机を消臭しています。

 よくはわからないですけど、たぶん、びしゃびしゃになっているんじゃないでしょうか。

 「よし! 次!」

 満足したのか、今度はほかのクラスメイトの机も消臭し始めました。

 徹底的です。

 机が終わったら、今度は床や、荷物を入れておく棚の消臭をし始めました。

 全部が終わるのには三十分ぐらいはかかったでしょうか。

 教室内が徹底的に消臭されてしまって、わたしの隠れているロッカーにまで消臭剤のニオイが漂ってます。

 心優ちゃんは自分の席の前に戻っていました。

 その後頭部に発生した大きな口が、するすると逆再生のように解(ほど)けて元の髪に戻っていきました。

 心優ちゃんはなにも言葉を発しません。

 ただ、静かにカバンを持って、教室から出ていきました。

 あまりにも衝撃的すぎることを目撃してしまって、わたしはしばらくポカーンとしていました。

 でも、そのうちに、なんとか頭のほうが復活してきたので慎重にロッカーから出ます。

 教室には一面、ラベンダーの香りが漂っていました。

 いえ、漂っていたというよりもそのニオイしかしなくなってしまっている状態なのでした。

 ある種の惨状だと思います。

 そして、わたしはひとつのことを確信していました。

 心優ちゃんは『なにか』に取り憑かれてしまったのだ、と。


 2


 『なにか』に取り憑かれてしまった心優ちゃんを目撃した翌日、わたしはある人を待っていました。

 豹変してしまった心優ちゃんを目撃してから、わたしは必死になってどうにかできそうな人を探したのです。

 そして、見つかりました。

 隣のクラスの空木うつぎ小唄こうたちゃんのお兄さん。

 なんでもあの九臙脂中学校七不思議のひとつ、『動く標本』を終わらせてしまった人らしいのです。

 渡りに船とはこういうことでしょうか。

 即座にわたしは友達の友達の友達から小唄ちゃんの連絡先を聞き出して、コンタクトを取ったのでした。

 すんなりと小唄ちゃんはお兄さんに伝えることを了承してくれて、その上で待ち合わせ場所まで指定してくれました。

 学校が終わって午後五時。

 小唄ちゃんが指定してくれた喫茶店の席。

 テーブルの上にぬいぐるみを置いて、わたしは小唄ちゃんのお兄さんを待っています。

 ぬいぐるみは小唄ちゃんの指定です。

 それにしても、一体どんな人なんでしょうか? 

 噂によると、妖怪退治屋的なことをしているようでもあり、人助けのようなことをしているようでもありますけど、あんまり具体的なことはわかりません。

 小唄ちゃんのお兄さんということですから、きっとさわやかなイケメンなのではないでしょうか。

 ちょっと楽しみです。

 約束の時間ぴったりに入り口のドアが開いて、連動しているベルが、からんからんと音を立てました。

 小唄ちゃんのお兄さんに違いありません。

 わたしの席からは見えませんけど、たぶんそうだと思います。

 入店してきた人はしばらく席をきょろきょろしていたみたいですけど、そのうちにわたしの座っている席に向かって近づいてきました。

 「えっと、君が浦原花帆さん?」

 「はい、そうです。間違いありません」

 後ろのほうから声をかけられたので、わたしは振り向きます。

 高校生ぐらいでしょうか? わたしとそうは変わらない年齢の男子が立っていました。

 制服を着ているので学生なのでしょう。ということは多分高校生なのでしょう。

 あんまり目立った箇所は存在しません。

 唯一の特徴らしい特徴は髪型がポニーテールなことぐらいでしょうか。ちょっと残念です。

 「人違いじゃなくてよかったよ。僕は空木コダマ。君が小唄をかいして僕に依頼を持ち込んできた人かな?」

 「そうです。わたしの親友を助けてほしいんです」

 慣れてる感じです。

 これは期待できそうです。

 とにかく、こっちだけが座ったままで話すのもアレなので、コダマさん(小唄ちゃんのお兄さんなので同じ空木姓ですからこう呼ぶことにします)にも座ってもらいます。

 こうして、年上の男子と向かい合って座ってみると、流石にちょっと緊張してしまいます。

「あ、あの……コダマさんは本当にわたしの親友を……心優ちゃんを助けられるんですか?」

 「僕じゃないよ。僕はあくまでも助手。解決するのは室長だ」

 はて? 室長?

 誰でしょう?

 初めての登場人物です。

 どこの室長さんでしょうか?

 というかコダマさんが助手っていうことは初めて聞きました。

 実は下っ端なのでしょうか? てっきり、わたしはコダマさんが妖怪変化を相手取って縦横無尽の大活躍をしているとばかり思っていたのですけど、それは違ったみたいです。

 「じ、じゃあその室長さんがわたしの親友を助けてくれるんですね」

 「ああ、君の友人の身に起こっていることが『怪』ならね」

 『怪』。

 心優ちゃんに起こっていることはあえて言うなら『妖怪』でしょうか。

 妖怪に憑りつかれてしまったのか、それとも、妖怪が心優ちゃんのふりをしているのかは分かりませんが、とにかく普通のことではないのだけはたしかです。

 「その、室長さんは妖怪も解決できるんですか?」

 「できるよ。たぶんね」

 頼りないような、頼もしいような回答が返ってきて、わたしは微妙な感じです。

 こういう風に知ったような口をきく人は個人的には苦手なのですが、今回ばかりは頼れるのはコダマさんしかいないので、ここはわたしが大人になって我慢します。

 偉いですね、わたし。

 そうやって、わたしが大人な態度をとっていると、コダマさんは、さてと、なんてことを言って、メモを取り出しました。

 「それじゃあ聞かせてもらえるかな。君の友達に、いや、親友に起こった出来事を」

 そうして、わたしの説明が始まりました。



 数分後。

 「うーん、聞いてる話だけだと『怪』みたいだけどさ。本当にその、心優ちゃん? の後頭部に大きな口は出現していたの?」

 いきなり疑いをかけられてしまいました。

 心外です。

 わたしがこんな荒唐無稽こうとうむけいな嘘をくと思っているのでしょうか?

 「本当です! わたしの視力は両方とも2・0なんですから!」

 「いや、この場合視力はあんまり問題じゃないんだけどね……」

 「じゃあ何が問題なんですか? わたしの性根とかですか?」

 「まあそんなと……じゃなくて、人間の記憶っていうものは結構改ざんが働いてしまうものだからね。特に思春期なんてものは、ね」

 思春期真っ只中のコダマさんにだけは言われたくないと思います。

 でも、一理あります。そこは認めましょう。

 わたし以外に心優ちゃんの豹変を目撃した人はいません。

 だけど、確かにわたしは見たのです。

 あの心優ちゃんを。

 あんなことになっている心優ちゃんをわたしは見てられません。

 友達として、いえ、親友として、わたしは心優ちゃんを助けたいのです。

 「間違いでもいいんです。わたしはとにかく、もし心優ちゃんが困っているのならどうにかしてあげたいだけなんです」

 まっすぐにコダマさんの目を見ます。

 真剣に。わたしの想いが届くように。

 「わかった。どうも本気みたいだしね。君を百怪対策室に連れていくよ。本物の専門家に紹介しよう」

 びゃくかいたいさくしつ?

 センスないですね。その名前。


 3


 コダマさんに連れられて、わたしは百怪対策室に来ています。

 応接室らしい場所に通されて、一応は素直にソファに座っているのですが、なんとも油断できません。

 なんと言っても、外見は普通のアパートの一室なのに中はとっても広いことです。

 せいぜい1DKぐらいと思って入ってみたら、広い廊下にいくつものドアが並んでいました。

 なんでしょうかここは? わたし、不思議の国に迷い込んじゃいました?

 白ウサギを追っていたつもりはないので、ハートの女王の前に引きずり出される前に逃亡を図りました。

 コダマさんにえりを掴まれて戻されてしまいましたけど。

 ちょっとはレディの扱い方をわきまえてほしいと思います。

 閑話休題。

 とにかく、わたしは今、コダマさんの隣に座って室長さんとやらを待っています。

 インターホンでは返事をしていたみたいですけど、何か用事があってちょっと手が離せないらしく、まだわたしの前には姿を現していません。

 用事って何でしょうか? 

 もしかして、わたしが来ることを予見していて、すでに解決策を用意している最中とかなのでしょうか?

 だとしたら、室長さんとやらはすごい人と言うことになります。

 きっとハットの似合う紳士だと思います。

 間違っても、中二病をこじらせたような女子ではないでしょう。

 うんうん。

 「待たせたなコダマ。急に統魔から電話が来たから対応していてな。で、そっちは誰だ? 依頼人か?」

 ドアを開けて入ってきたのは中二病を拗らせた系の女子でした。

 世の中は無情です。

 いえ、わたしにだけ厳しいのかもしれません。

 気分はシンデレラです。それとも白雪姫でしょうか?

 金髪碧眼まではいいんですけど、ジャージに白衣はないと思います。

 一級品の懐石料理にバーベキューソースをかけてある感じです。

 ずかずかと歩いて、拗らせ系女子はわたしとコダマさんの対面のソファに座ります。

 座り方も堂々としたものです。

 もしかしたら、本当にこの人が室長さんなのかもしれません。

 むむむ。世の中わからないものです。

 「さて、初めましてお嬢さん。私が百怪対策室室長、ヴィクトリア・L・ラングナーだ。よろしく」

 とても気さくな感じで拗らせ系女子、もとい、ヴィクトリアさんはそんな風に自己紹介しました。

 「あ、ええと……浦原花帆です。解決してほしいことがあって、来ました」

 「だろうね。そうじゃなければここには来られない。コダマが見当違いをかましている可能性もあるが、それは無視しよう」

 偉そうです。

 こういう関係の人には初めて会うんですけど、もしかしてこういう怪しい職業の人はみんなこうなんでしょうか?

 営業スマイルがとってもうさんくさいです、

 「言いたいことはわかるんだけどさ、一応この人は専門家だから話してくれないかな。君の親友に起こった出来事を」

 横からコダマさんがそんなことを言ってきます。

 ふむ。確かにこのままこうやって座っているだけでは心優ちゃんを助けることはできません。

 損して得とれ、です。

 わたしはヴィクトリアさんに、わたしが見た心優ちゃんの異常な行動と、そして大きな口のことを話しました。

 コダマさんに話した内容と一緒なのですが、仕方がありません。

 コダマさんがさっきとっていたメモは一体何なんでしょうか? 仕事してるアピールですか?

 聞き終わってからしばらく、ヴィクトリアさんはなにかを考えるような仕草をしていましたが、

 「そうだな。多分それは二口女ふたくちおんなだな」

 突然、そんなことをヴィクトリアさんは言いました。

 なんですかそれ? っていうかネーミングがストレート過ぎませんか?

 「二口女ってなんですか? 妖怪ですか? どうやって解決するんですか? そもそも心優ちゃんは人間だから、二口女なんていう種族じゃないと思うんですけど。それとも二口女っていうのは病気みたいなものなんですか?」

 「……うん。まあ、私の話を聞きなさい」

 思いついた疑問をすぐに質問するのはいいことだと思うのですが、ヴィクトリアさんはなんだかちょっと反応が鈍いみたいです。

 こんなことで世の中渡っていけると思っているのでしょうか?

 仮にも室長だなんて偉そうな肩書きがついているのなら、もう少しばかり役に立ってくれないと困ります。

 思わず身を乗り出していたわたしの肩にコダマさんが手を置きました。

 「さすがの室長も、それだけの質問にはいっぺんに答えられない。とりあえずは話を聞いてみてくれないかな?」

 そんなことを言ってきます。

 そんなのは、はっきり言ってプロ失格だとは思うのですが、心優ちゃんを救うためです。ここはわたしが大人の態度を示しましょう。

 「仕方ありません。お話を聞くことにします」

 「そんな性格でいままでよく生きてこられたね。君は」

 なんだかコダマさんにけなされているような気がするのはわたしの考えすぎでしょうか?

 とりあえず、ソファに座り直します。

 「あー……いや。えーと、浦原クンだったかな? キミはもう今日は帰っていい。明日コダマがキミの親友に取り憑いた二口女を解決するから」

 詳細は明日、キミの学校に侵入したコダマが教えてくれる、などとヴィクトリアさんは責任放棄のようなことを言い出しました。

 「なんですかそれ! コダマさんがきちんと心優ちゃんを救ってくれるっていう保証はあるんですか? もし一パーセントでも失敗する可能性があるなら責任はヴィクトリアさんが取るんですか? それともコダマさんが鞭打ちの刑に処されるんですか?」

 ちょっと見てみたいです。鞭打ちの刑。コダマさんは無事では済まないと思いますが。

 声を荒らげるわたしを無視してヴィクトリアさんはタバコを咥えながら何かを書いています。

 「ほれ、二口女の退治方法をここに記した。ついでに明日コダマに開けるための鍵を持たせるから、その時に開けるといい。そしたら二口女も退治できる」

 あとは明日キミの学校にコダマが行くからそのときな、とヴィクトリアさんが締めくくって、そそくさと部屋から出て行ってしまいました。

 後にはコダマさんとわたし、そして一通の封筒が残されました。

 なんでしょう。このあしらわれてしまった感じ。

 キレそうです。

 怒りをヴィクトリアさんが残していった封筒にぶつけようとしましたが、端っこさえも破れませんでした。何でできているんでしょうか?

 しょうがありません。

 ここは無責任な専門家の代わりに、助手のコダマさんで我慢することにします。

 「ではコダマさん。明日わたしの学校で会いましょう。もし解決できなかったら二口女にコダマさんが食べられている間にわたしは逃げます」

 「ホントいい性格しているね。君は」

 なぜか呆れたようにコダマさんが呟きました。


 4


 百怪対策室を訪ねた翌日、九臙脂中学校。

 昼休みになると同時にわたしはこっそりと校舎裏に来ていました。

 なぜかというと、ここがコダマさんとの待ち合わせ場所だからです。

 コダマさんはまだ来ていません。

 時間にルーズな男子はモテないと思います。

 しかし、どうやってコダマさんはここに侵入する気なのでしょうか?

 九臙脂中学校は高台に建っています。

 正門と裏門以外は崖になっていて、登れるのは野生動物ぐらいです。

 この校舎裏も例外ではなくて、わたしが見上げている校舎を囲むようにフェンスが張ってあります。

 となると、門から堂々と入ってくるのでしょうか?

 わたしのような清廉潔白せいれんけっぱく系女子ならともかく、男子のくせにポニーテールにしているようなコダマさんがすんなりと入ってこられるとは思えません。

 もしかしてこれは……

 「女装して入ってくる気なのでは?」

 コダマさんはわりかし細い体格をしていたので、女装しても、ちょっと体格のいい女子という主張はできるかもしれません。

 なるほど。やはりコダマさんも少しばかり常人とは違った嗜好をしているようです。

 あなどれません。

 「まあ、小唄ちゃんに言いつけて、しばらくは変態のレッテルを貼っておきましょう」

 「やめてくれないかな。風評被害は」

 「!」

 いきなり後ろから飛んできたコダマさんの声に驚いて、わたしは振り返ります。

 そこにはフェンスの上に座っているコダマさんがいました。

 学校の制服姿です。男子の。

 ちっ。

 「今、舌打ちしなかった?」

 「してません。幻聴です。お薬はちゃんと飲んでいらっしゃいますか?」

 「……ある種、室長に通じるものがあるかもね。君」

 フェンスから飛び降りて、コダマさんはそんなことを独り言のように言います。

 かっこいいとか思っているのでしょうか?

 見た感じ、間抜けです。

 ともあれ、コダマさんが来たので、昨日渡された二口女の退治方法がしるしてあるという封筒をやっと開けることができます。

 このためだけにやってきたコダマさんはどういう気持ちなのでしょうか?

 できる女子であるわたしはすでに封筒を手に持っています。

 「さあ、コダマさん。速やかにこの二口女の退治方法が書かれている封筒を開けてください。あなたはそのために存在しているのですから」

 封筒をコダマさんのほうに突きつけます。

 「はいはい。鍵は室長から預かってきたからとっとと開けようか。あと僕の存在理由を勝手に決めないでくれないかな」

 言うが早いか、コダマさんはライターを取り出して封筒に火をつけます。

 「うぁ!」

 わたしはびっくりして封筒を離してしまいます。

 地面に落ちた封筒の火は消えることなく燃え続けています。

 そのうちに、封筒全部が燃え切ってしまい、中にあったものがあらわになりました。

 文字が書かれた紙と、また一回り小さな封筒です。

 紙の方にはこう書かれていました。

 〈二口女が出現したのち、残っている封筒を破壊し、中を見ろ。その際には浦原クンは逃げずに一緒にいること。あと、浦原クンはコダマの指示に従うこと〉

 え? なんですかこれは?

 全然役に立ちません。しかもコダマさんの指示に従え、とか書いてあります。

 というか、なんで更に封筒があるのでしょうか?

 二段階開封とか聞いたことがありません。

 面倒くさすぎます。

 ヴィクトリアさんは何がしたいのでしょうか? わかりません。

 「じゃあ、室長の指示に従ってみようか。浦原君は前と同じように掃除用具入れのロッカーに潜んでいるといいんじゃないかな。僕は自分で隠れるから」

 「この美少女にもう一回ロッカーに隠れていろと言うんですか? 人の心というものがないようですね。コダマさんには」

 「最近ちょっと人間離れしているから、あんまりないかもね」

 よくわからないジョークです。

 ユーモアのセンスがありませんね。コダマさん。

 ともかく、コダマさんがわたしの抗議を受け入れてくれる気がないことはわかりました。

仕方がありません。これも心優ちゃんを救うためです。

 わたしの大人なところを示しましょう。

 もし、二口女を退治できなかったら、コダマさんには責任に取ってもらうことにします。

 破産するまでわたしにおごってももらいます。

 というわけで、わたしは再び掃除用具入れのロッカーに潜むことにしました。

 でも、コダマさんはどうする気なのでしょうか?

 高校生が放課後までずっと隠れていることはなかなか難しいと思うのですが。

 「ああ、僕のことは心配しなくていいよ。こうやって隠れているから」

 パチン、とコダマさんが指を鳴らすと、その姿がフッとかき消えてしまいました。

 「!」

 コダマさんが消失してしまい、わたしは驚いてしまいます。

 これは一体どういうことでしょうか? 

 二口女の解決の前にコダマさんが怪奇現象に巻き込まれてしまいました。

 いえ、もしかしたら、これはコダマさんがやったことなのではないでしょうか?

 「驚かせてごめん。僕も一応は魔術師見習いだから室長の力を借りたらこのぐらいはできるんだよ」

 さっきまでコダマさんがいた場所から声が響きます。

 「なるほど。変態でしたか」

 「その結論はおかしいね~」

 突っ込みをいれる人が見えないということはなかなか妙な感じです。

 ともかく、コダマさんが発見される可能性はなくなったので、わたしは教室に戻り、ロッカーの中に潜むことにしたのでした。

 


 わたしは今、教室のロッカーの中に潜んでいます。

 すでに時間は放課後になっています。

 またしても、わたしの行方不明に関しては軽い扱いになっていましたが、気にしません。

 最優先事項は心優ちゃんのことなので、わたしの扱いなんて小さなことです。

 絶対にこの扱いをされたことは忘れませんけど。

 とにかく、すでに教室の中に人はまばらです。

 心優ちゃんは静かに座っています。

 コダマさんは多分、姿を見えなくしたまま教室内にいるのでしょう。

 きっとうら若き女子中学生に対してじっとりとした視線を送っていたに違いありません。

 そうこうしているうちに、教室からはひとり、またひとり、と人がいなくなり、とうとう心優ちゃんだけになってしまいました。

 コダマさんもいるのでしょうが、そのことを知っているのはわたしだけでしょう。

 さて、このままいくとおそらくは二口女のご登場です。

 いい加減に狭いロッカーに入っているのも体が痛くなってきたので、早くしてほしいものです。

 と、心優ちゃんが前と同じように机の上に乗りました。

 そして、ぷるぷる震えています。

 出現の前兆です。間違いありません。

 ざわざわと心優ちゃんの髪がうねり始めます。

 やがて髪がり合わさるように、大きな口が心優ちゃんの後頭部に出現しました。

 これで二度目ですが、かわいらしい心優ちゃんの後頭部にあんなものがくっついている、というのはショックです。見ていたくありません。

 早く仕事して下さい、コダマさん。

 「そこまで。君の『怪』を解決しに来た」

 コダマさんの声がしました。

 二口女がぐるうり、と気持ち悪い感じで向きを変えます。

 その目線(口線?)の先にはきっとコダマさんがいるのでしょう。

 「なんだァ! テメエは! ぶっ殺されてえのか!」

 大口が唾をまき散らしながら叫びます。

 声は心優ちゃんのものですが、絶対に言わないようなことを言います。

 聞くにえません。

 「僕は空木コダマ。百怪対策室の助手兼、使いパシリ兼、見届け人だよ」

 コダマさんは何をかっこつけているのでしょうか?

とっとと二口女を退治してください。

 「わけわかんねえこと言ってんじゃねえ! 消臭してやる!」

 二口女はぐ、と身をかがめます。

 コダマさんに飛びかかる気なのでしょう。

 二口女がジャンプしようとしたその瞬間です。

びたり、とその動きが停止しました。

 「なんだァ! 何をしやがった!」

 「悪いけど、動けなくさせてもらったよ。おーい。浦原君、出てきていいよ」

 コダマさんが何か言っていますが、怖いので無視します。わたしはか弱いので。

 「……出てこないと、君の親友はいつまでたっても二口女から解放されないよ」

 ふむ。心優ちゃんのことを人質にするとはいい度胸です。

 それに、ヴィクトリアさんの指示ではコダマさんに従うように書かれていました。

 更に言うなら、やはりクライマックスには美少女が必要でしょう。

 多少諦めの気持ちも入った状態で、わたしはロッカーを開けて、中から出ます。

 「が⁉ グァ⁉」

 なんだかわかりませんが、二口女が苦しんでいます。

 もしかして、わたしのオーラに当てられて苦しんでいるのでしょうか?

 「浦原君、残りの封筒出して、中身を見てくれないかな」

 二口女のほうを見たままコダマさんはわたしに指示します。

 話すときには相手の目を見なさいと習わなかったのでしょうか?

 まあいいでしょう。ここは従っておきましょう。

 封筒は手で開けることができました。

 入っていたのは一枚の紙です。

 〈二口女、いや佐奈平心優クンの言いたいことを好きなだけ言わせろ。終わり〉

 書いてあったのはそれだけでした。



 5


 「書いてあるとおりだよ。さあ、佐奈平心優君、そこの親友に思いの丈をぶつけていいんじゃないかな。たまには思いっきり言わないとわからないことだって、ある」

 紙に書いてあることを知っているような口ぶりでコダマさんは言います。

 わたしじゃなく、二口女のほうに向かって。

 コダマさんは教室の入り口のほうに立っているので、後頭部の大口がそっちを向いているので、自然と心優ちゃんの顔はわたしの方を向いています。

 コダマさんの髪の毛がふわふわ浮いていて、なんだかファンタジーな感じになっていましたが、それはこの際関係ないでしょう。

 問題は、心優ちゃんの方です。

 両手に消臭スプレーの缶を持った心優ちゃんはややうつむき加減になって、目を閉じています。

 おそらくは、後頭部の大口がぎゃあぎゃあ喚いているからでしょう。

 その心優ちゃんの目がうっすらと開きました。

 「心優ちゃん! 大丈夫?」

 思わずわたしは心優ちゃんに駆け寄ります。

 どうやらコダマさんが何かして、二口女の動きを止めているようなので近づいても大丈夫でしょう。

 机の上に乗っている状態の心優ちゃんは、だいぶ見上げないといけませんでしたが、それでもわたしは心配で、近づいてしまいます。

 「ギャアアアアッ! ヤメロオォォ!」

 大口が叫びます。

 これはもしかしたらわたしの清浄なオーラが二口女を浄化しているとか、友情パワーが妖怪に対しては効果的とかそういうことでしょうか?

 ならばもっと密着する必要があります。

 「心優ちゃん!」

 わたしは心優ちゃんの足にすがりつきます。

 本当は抱きつきたかったのですが、今の心優ちゃんは机の分、身長がプラスされているので仕方ありません。

 それでも有効らしくて、大口はさっきから苦しみの声を上げています。

 わたしは更に、ぎゅっと心優ちゃんの足にくっつきます。

 「あー、佐奈平君、多分黙っていたらそのまま地獄が続くと思うし、君はずっと我慢していなくちゃならないよ」

 なんだかコダマさんが訳のわからないことを言っています。

 何のつもりでしょうか?

 こうやって二口女は浄化され始めているというのに。

 「く、臭えんだよ! テメエは! ちゃんと風呂入ってんのか⁉」

 なんだか後ろの口が言いがかりをつけてきました。

 しかし、そんなことでわたしの心優ちゃんを救いたいという気持ちは揺るがすことはできません。

 「あー、ほら。二口女の力を借りてないで、自分の口で言わないとだめだよ。友達を傷つけたくないって気持ちは尊重したいんだけど、時には厳しさも友情じゃないかな」

 コダマさんにはこの女子同士の美しい友情が目に入らないようです。

 ああ、それにしても心優ちゃんが早く二口女から解放されないでしょうか。

 わたしはそれだけが心配です。

 心優ちゃんの足にすがりついたまま、心優ちゃんの顔を見上げます。

 うっすらと開いていた目が、だんだんと開いてきました。

 もうすでに、ちょっと眠そうなぐらいの目つきにはなっています。

 「心優ちゃん! わたしだよ! 花帆だよ! わかる? 二口女なんかに負けちゃだめ! 心優ちゃんにはわたしがついているんだから!」

 一所懸命にわたしは心優ちゃんを応援します。

 わたしの声が届いたのか、心優ちゃんはカッと目を見開きました。

 「……花帆」

 「心優ちゃん……!」

 「あなた、くさい」

 ……………………え?

 「ずっと思ってたの。花帆ってちゃんとお風呂入ってる?」

 ……………………は?

 「なんていうかね、獣みたいなニオイがするの。野生動物系のね。その上に花帆って運動した後にちゃんと制汗スプレーとか使わないでしょ? だから更に汗臭いのも加わるの。正直近づいてほしくない」

 心優ちゃんがナニヲイッテイルノカわかりません。

 何を言っているのでしょうか? わたしは心優ちゃんの親友なのです。

 その上に美少女なので、くさいなんてことはないはずです。

 ……きっとこれは二口女が心優ちゃんに言わせているに違いありません。

 そうやってわたしの心を揺さぶる作戦なのでしょう。

 「あー、室長曰く、二口女っていうのは過剰に抑圧されたストレスが原因らしいんだよ。それが『二口女』っていう存在に成ってしまうぐらいに佐奈平君は我慢してたってことらしいね」

 コダマさんがのんきに解説のようなことをしてますが、頭に入ってきません。

 「ついでに言うと、もともと二口女っていうのは女房の後頭部に大きな口ができて、そいつが握り飯を次々とむさぼり食うっていう話が多いんだよ。まあ、女性のダイエット願望とその抑圧の象徴らしいね。それが今回は浦原君のニオイに対しての我慢が限界に達して、二口女を生んでしまった、っていうところみたいだ」

 コダマさんの解説を。わたしの、脳みそは、拒否します。

 女子に対して、くさいとか臭うとか発言するだなんて、コダマさんにはデリカシーというものがないのでしょうか? ないんでしょう。きっとモテないに違いありません。

 するり、と心優ちゃんの足がわたしの腕から抜けました。

 そのまま机から華麗に降りて、心優ちゃんは床に降り立ちます。

 わたしと心優ちゃんは大体同じぐらいの身長なので、目線も同じです。

 まっすぐに、心優ちゃんの目がわたしを見ています。

 「はっきり言って、花帆のニオイってすごいよ。知ってる? クラスでの花帆のあだ名」

 知りません。そんなものは聞いたこともありません。というか聞きたくありません。

 「歩く悪臭爆弾、だよ。略してあるばく。そのぐらいには花帆ってくさいんだよ。いい加減にしないと無理矢理に洗浄されそうだよ。ちなみに言い出しっぺはわたし」

 「がふっ!」

 衝撃的すぎる事実にわたしは殴られたみたいなリアクションを取ってしまいます。

 たまにクラスメイトから聞こえていた『あるばく』なる単語の意味を知ってしまいました。

 やけにわたしがいるときに聞く単語だと思ったらそういうことだったのですか。

 泣きそうです。

 「花帆の半径五メートルは悪臭圏内だから、みんな近寄らないでしょ?」

 ……そうです。きっとわたしの美少女オーラにみんなが圧倒されて近寄れないんだと思っていました。

 人生で最大にショックを受けています。

 でも、心優ちゃんはそんなわたしに対しても、いままでちゃんと友達でいてくれたのです。

 それはきっと、とても素敵なことなのでしょう。

 それだけが今のわたしには救いです。

 「……心優ちゃん!」

 思わずわたしは心優ちゃんに抱きつこうと「ぷしゅー」ん?

 心優ちゃんの右手が、いえ正確にはその手に持った消臭スプレーの缶がわたしに向けられていました。

 その発射口からは霧状のものが噴射されています。わたしに。

 「やっぱこの距離だとものすっごく、くさい。悪いけど、さすがに抱きつくのはやめて。ニオイが移りそう」

 「……ぁぅ」

 心優ちゃんのその言葉はわたしの意識を刈り取るのに十分の威力でした。

 「なんか気絶したらもっとくさくなったんだけど。花帆って普段なに食べてるの? ちゃんと人間の食べ物を食べてる?」

 意識が途切れる直前に聞いたのは心優ちゃんのそんな容赦のない追い打ちでした。



 あの二口女との激闘から数日。

 わたしは心優ちゃんと喫茶店に来ています。

 あの後、わたしはコダマさんにたたき起こされて心優ちゃんからやけに距離を取られた状態で帰ることになりました。

 その翌日から、心優ちゃんによる徹底的な身だしなみチェックが始まったのです。

 少しでも臭うようなら容赦のない消臭スプレー攻撃がわたしを襲うようになりました。

 なぜか心優ちゃんがやけにいい顔をしているのが気になりましたが、あれ以来、二口女は現れていないみたいです。

 ……二口女の原因はわたしだったのです。

 心優ちゃんはあんなものを生み出してしまうぐらいには悩んでいたのでしょう。

 親友をそこまで悩ませてしまったことには後悔しかありません。

 なのでこっそりわたしの机に消臭グッズを仕込んでおくのはやめてほしいと思います。 

 ある種のいじめではないのかと思ってしまいます。

 ともあれ、元通りとまではいかなくとも、心優ちゃんが妖怪になってしまうことはないようです。

 コダマさんのおかげ、いえ、ヴィクトリアさんのおかげなのでしょう。

 ただし、あの後、小唄ちゃん経由でしっかりと請求書が届きました。

 支払い期限がかなり先なので、そこは温情だと思います。

 ……支払わなかったらどうなるかは保証しない、とも書いてありましたが。

 そんなことは置いておくことにして、今日は心優ちゃんのおごりなのでしっかりと楽しもうと思います。

 「ねえ、花帆。コダマさんって弐朔にのり高校なのよね」

 突然、心優ちゃんがそんなことを訊いてきました。

 「ん? たぶん。他校の制服をコレクションしていて、なおかつそれを着用する趣味がない限りは」

 ザッハトルテに心を奪われながらもわたしは答えます。

 「ふーん、そう。それならどうにかなりそう……」

 「?」

 よくはわかりませんが、心優ちゃんが笑顔を浮かべているのでいいことなのだと思います。

 ……願わくば、わたしに被害が及びませんように。


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