第九怪 麗しの石像


 1

 

 十月も半ばを過ぎた。

 月末には文化祭があるので、僕たちも多少はその準備に追われることになる。

 文化系の部活動はここぞとばかりにはりきり、遅くまで学校に残っては用務員に追い出されるということを繰り返しているらしい。

 僕には関係ないが。

 ちなみに、僕のクラスは伊勢堂のスイーツ評論展示、という訳の分からない代物をやる。

 発案者は笠酒寄かささき

 女子のほぼ全員の票を集め、多少の男子票も獲得した『それ』はつつがなく準備が進んでいる。

 とはいっても、伊勢堂の商品を買ってきて、食べて、あーだこーだ感想を述べて、評価して、まとめるだけだが。

 楽で助かる。

 僕のことだから、みょうちきりんな代物が持ち込まれて、それが『怪』の引き金になるんじゃないかと心配していたのだが、食べて消費してしまうお菓子なら問題ないだろう。

 平和が一番だ。

 そんなわけで、僕は今現在、安寧な日々を謳歌しているのだった。

 平和サイコー。そして、昼休みサイコー。

 「……お久しぶり、空木うつぎ君」

 「のわぁっ!」

 完全に気を抜いている状態でいきなり後ろから声をかけられたものだから、驚いてしまった。

 座ったままで勢いよく振り返ると、そこにいたのはもも癒結花ゆゆか先輩だった。

 以前に彼女の『怪』に関わって以来、交流がなかったのだが、同じ学校なのだから、遭遇しても不思議じゃない。

 しかし、おかしいこともある。

 「ここ、一年生の教室なんですけど」

 「私、影が薄いからあんまり人に気付かれることがないの」

 聞きたいのはそういうことじゃないのだが。

 どうも幽霊を連想させるのは『怪』は関係なくて、もともとだったらしい。

 こうやって目の前にいるのに、どこか存在感が希薄だ。

 「いや、そうじゃなくてですね。なんで桃ノ瀬先輩が一年生の教室にいて、僕に声をかけてきたのかってことですよ」

 とても嫌な予感がする。

 具体的に言うと、『怪』絡みの予感がする。

 こういう感じで僕の元に人がやってくるときにはその可能性が高い。

 「ちょっと、空木君に聞いてもらいたい話があるのよ」

 ほらきた。

 予想通り過ぎてむしろ安心してしまう。

 「それじゃあ、ちょっと場所を変えましょうか。他の人もいますから」

 僕のほかにも教室には生徒がいる。

 放課後じゃなくて、昼休みなので当然なのだが。

 『怪』関係の話は一般人の耳に入れないほうがいいだろう。

 「その必要はないわ。ちょっとした噂になっている話だから。たぶん、この教室にいる生徒も何人かは知っているんじゃないかしら」

 なるほど。

 百怪対策室の助手のくせに、噂話に鈍い僕のためにわざわざ知らせに来てくれたというわけだ。

 ありがたいような、そうでないような。微妙なところだ。

 「はあ、それならこのままで聞かせてもらいます」

 立ったまま話してもらうのもアレなので、隣の席の五里塚ごりづかの椅子に座ってもらう。

 あいつ、昼休みはいつもどこかに行っているからいいだろう。

 「それじゃあ、お聞かせ願えますか? その、噂になってる話とやらを」

 姿勢よく座って、桃ノ瀬先輩は口を開いた。

 「グラウンドの端に石像があるでしょ? 夜になると、あの石像が学校の各所で歌って踊っているわ」

 ……またシュールな。

 桃ノ瀬先輩はそれ以上なにも言わない。

 「え、終わりですか?」

 「詳しく言うならもっといろいろあるんだけど、要点はこれだけね」

 涼しい顔のままで桃ノ瀬先輩はそうおっしゃる。

 要点過ぎる。

 とりあえず、少しぐらいは詳細を把握しておかないと室長に話を持って行ったときに何を言われるのかわからない。

 「えっと、すいません。いくつか質問します」

 「どうぞ」

 僕が百怪対策室の助手じゃなかったらお帰り願っているところだ。

 「まずは、場所。そして、時間。最後に信ぴょう性ですね」

 「場所はここ、弐朔にのり高校の各所。時間は夜。具体的には午後八時過ぎから。信ぴょう性は……そうね、何人か目撃者がいるわ。その子たちが嘘を吐いていないことは私が保証してもいいわ」

 保証してもいいとは大きく出たものだ。

 「知り合いなんですか? 目撃者とは」

 「吹奏楽部の後輩なのよ。一人がうっかり楽器を忘れちゃったらしくて、こっそりと学校に侵入した時に目撃したらしいの」

 さらっと後輩の悪事を大っぴらにしていく先輩ってどうなんだろう。

 っていうか、吹奏楽部だったんですね、先輩。

 なるほど。知り合いということはたしかに、信じてあげたくもなるだろう。

 「う「嘘を吐いている可能性は考えたわ。でも、あれが演技なら大したものね。それに、吹奏楽部の子たち以外にも目撃者はいるの」

 割り込まれた。

 桃ノ瀬先輩もなかなかいい性格をしているようだ。

 だが、肝心の『怪』についてはまだわからないことがある。

 「なぜ、歌って踊っているのが中庭の石像だって、目撃者はわかったんですか?」

 「あの変な頭を見間違えると思う?」

 ちなみに、グラウンドの端に立っている石像の頭を表現するなら……ウニだ。

 正直、なんのモニュメントなのかさえもわからない。ちょうど人間サイズの人型の像の頭部だけが、ウニみたいな棘が何本も生えているという、斬新過ぎてあと数世紀はブームが来ないようなデザインだ。

 ……なるほど。見間違えることはないか。

 だとすると、目撃者に直接話を聞いてみたほうがいいかもしれない。

 本当に石像が動いて、というか歌って踊っているなら、立派な『怪』だ。

 「わかりました。とりあえず、まずは目撃者に話を聞いてみたいので、その動いている石像を見たっていう吹奏楽部の人たちに話を聞けませんか?」

 「わかったわ。放課後に吹奏楽部の部室に来てちょうだい。今日は顧問の先生がお休みだから多少は練習をしてなくても問題ないわ」

 桃ノ瀬先輩は丁寧に座っていた椅子を元の位置に戻すと、音もたてずに教室から去って行った。

 昼休みはあと十分になってしまっていた。

 

 2


 放課後。

 弐朔高校吹奏楽部部室に僕と笠酒寄は来ていた。

 もはや笠酒寄がついてきていることに対して疑問は抱かない。

 楽器やら楽譜が、所狭しと詰め込まれている部室は、やたらに圧迫感を感じてしまう。

 桃ノ瀬先輩に言われて、かれこれ十五分ほど待っている。

 勝手に椅子を使っているが、その辺は許してくれるだろう。

 コツコツ、とドアがノックされた。

 こちらの返事を待つことなく、ドアを開けて桃ノ瀬先輩が入ってくる。

 後ろには二年生の女子がいた。

 一人?

 目撃者は複数と聞いていたのだが。

 そんな僕の考えなどお構いなしに、桃ノ瀬先輩はするすると足音もさせずに近づいてくる。

 「この子が目撃者の一人。あんまり大人数で話しても要領を得ないと思ったから、代表して話してもらうことにしたの」

 顔を近づけてささやくように告げる必要はないと思う。

 吐息がくすぐったい。

 それだけやると、桃ノ瀬先輩は踵を返してドアのほうに向かって行く。

 「どこ行くんですか?」

 「練習の指示をしに行くわ。あとはこの子が話してくれると思うから」

 あとはよろしくね。

 ホントにいい性格をしているようだ。

 呆れている僕を横目に二年生の女子は部室の端に置いてあった椅子を僕たちの前まで持ってきて、それに座る。

 ショートヘアの活発な雰囲気の人だ。

一応は先輩だし、こっちから自己紹介するのが礼儀だろう。

 「初めまして。僕は空木……」

 「あー、知ってるよ。空木コダマ君でしょ? で、そっちは彼女の笠酒寄ミサキちゃん。眉唾物の話を追ってるんでしょ?」

 知ってるのかよ。っていうか笠酒寄が彼女だっていうことまで知ってるし。誰だ? 噂の発信源は。

 僕の隣で吹けない口笛を吹いている笠酒寄なんだろうけど。

 ……まあいい。

 「あたしはみどり村川むらかわ翠。よろしくね」

 室長のようなニヤリとした笑みでもなく、笠酒寄のような緩んだ笑みでもなく、太陽を思わせるような明るい笑みを村川先輩は浮かべた。

 こういう人は周りにいなかったな。

 どうでもいいことを考える。

 「で、さ。早速なんだけど、変な事件の専門家の空木コダマ君に聞いてほしいことがあるんだよね」

 「わかりました。だからちょっと離れてください。あと僕は専門家じゃなくて助手です」

 身を乗り出してくる村川先輩を僕は牽制する。

 隣の笠酒寄がヘソを曲げたらどうなるのか想像したくない。

 人狼パンチが飛んできて、また腹に穴が開くのは勘弁だ。

 「あ、ごめんごめん。あたしちょっと距離感近いからさぁ。ゴメンね」

 あはは、と快活に先輩は笑う。

 距離感が近いの使い方を間違っている気がするが、それはこの際、脇に置いておこう。

 今は、『怪』の疑いのある話のほうが先決だ。

 「それで、本当に見たんですか? その……石像が歌って踊っているのを」

 「うんうん、そうなんだよ。もうびっくりしちゃったね。っていうかあそこまでいくとホラーじゃなくてコメディだよね」

 先輩は腕を組んでうんうん頷く。

 「その時の状況をなるべく詳しく教えてもらえませんか?」

 「わかったよ。まず、その日はあたしがフルートを部室に忘れちゃってさ、家で練習したかったから取りに戻ることにしたんだよね。でも、もう学校しまっちゃってるから、こっそりとね」

 閉校時間ぎりぎりまで練習していたんだろう。

 吹奏楽部も大会やらが近いし、練習にも熱が入るというものだ。

 「流石に一人は怖くってさ、友達も一緒に来てもらったんだよね。で、何とか八時半ぐらいには学校に戻ってきて、裏門から侵入したんだ」

 うちの学校の裏門は扉こそあるものの、ちょっと頑張れば乗り越えられるぐらいの高さだ。

 一般女子でも乗り越えることはできる。

 「そんでね、部室について、フルートはあったんだ。問題はそこから」

 「なにか妙なことでも?」

 われながら馬鹿馬鹿しい質問だとは思う。

 僕に話が来ているのだから当然のように妙なことには遭遇しているはずだ。

 しかし、話の潤滑剤としては悪くないだろう。

 「遠くから歌が聞こえてきたんだよね」

 「歌?」

 「そう、日本語じゃなかったけど、間違いなく歌」

 ……歌。

 夜の学校で歌なんて聞こえてきたら普通の人なら逃げるんじゃないんか?

 「流石にちょっと不気味だって思ったんだけど、ほら、こっちは人数がいるし、知ってる学校の中だからね。ちょっと見てみようよって話になってさ。行ってみたんだよね。歌声のするほうに」

 この人、ホラー映画の登場人物なら真っ先に死ぬタイプだ。

 「そんでさ、聞こえてきたグラウンドのほうに行ってみたらね、歌ってたんだよ。端っこにあった石像が、グラウンドの中央で」

 「……どんな様子でしたか?」

 「あー、なんかやたらに大げさな動きをしてたかな。なんていうか自分に酔ってる、みたいな?」

 酔うのか? 石像。

 ……これは、ゴーレムの可能性も出てきた。

 夏休みに僕はゴーレムの権威と呼ばれている魔術師に出会っている。

 その時にゴーレムについては聞いているから、多少は知っているつもりだ。

 今回は室長の手を借りるほどのことではないかもしれない。

 ゴーレムなら対処できる。

 というか、その前に。

 「……それ、人間なんじゃないですか?」

 「え?」

 きょとんとする村川先輩。

 「いや、あのアホな石像に似た格好をした人間だったんじゃないですか? それなら別に動いていても不思議じゃないですし」

 たんなる悪戯いたずら

 今まで僕の学校にあった石像がゴーレムで、その上、いきなり起動して歌って踊るようになった、ということよりもこちらのほうがしっくりくる。

 「うーん。いや、やっぱりあれは間違いなく本物の石像だったよ」

 村川先輩は食い下がってくる。

 「なんでそんなことが言えるんですか。直接触ったわけでもないんでしょう?」

 「そうなんだよね。あたしたちもすっごい近くで見たってわけじゃない。でもさ」

 村川先輩は一度言葉を切る。

 それはもしかしたら、恐怖を思い出したからなのかもしれなかった。

 「……あたしたちがグラウンドの真ん中で歌ってる石像を見た時、もともとあった台座には石像はなかったんだよね」


 3


 村川先輩の話が終わって、僕と笠酒寄は吹奏楽部の部室を後にした。

 笠酒寄にも話を聞いてみたが、どうやら村川先輩たち以外にも歌う石像を目撃した人間はいるらしい。

 しかもそこそこの数が。

 なんで夜の学校に生徒がいるんだ、とも思ったのだが、文化祭の準備が間に合わないクラスや部活も多いらしい。

 それゆえにこっそりと学校に忍び込んだり、残っていたりすることが常態化しているようだった。

 夏休みの宿題をぎりぎりになってまでやっている小学生か。

 とはいえ、それなりに目撃者がいる以上は動かないわけにはいかないだろう。

 全員が口裏を合わせているということは考えにくい。

 一年生から三年生まで、クラスも性別もバラバラの人間が全員一つにまとまっているということは考えにくい。

 となると、本当に何かが起こっていると考えたほうがいいだろう。

 ならば、とりあえずは渦中の石像を見てみたほうがいいだろう。

 僕と笠酒寄はグラウンドに向かったのだった。

 


 弐朔高校グラウンド。

 陸上部が走り込みをしているのを尻目に、僕たちは端っこに設置してある石像のほうに向かう。

 真っ白な謎の石像は今日もグラウンドの隅にちゃんと存在していた。

 遠目にも目立つウニみたいな頭はしっかりと健在だった。

 ……それにしても、何考えてこんなの作ったんだ。

 今は関係ないことだが、どうしても目に入るので考えてしまう。

 かぶりを振って余計なことを追い出すと、僕は石像をじっくりと観察する。

 一メートルぐらいの台座の上に乗っている等身大の石像。古代ギリシャの長衣(トーガ)のようなものをまとってる。

 見た目はそんなものだ。

 頭部の形状以外は特筆すべきこともない。

 「笠酒寄、石像に何か文字が刻まれていないか、もしくは何かを貼り付けた跡がないか調べてくれ」

 「文字? わかった」

 笠酒寄は遠慮のない視線を石像に向ける。

 僕も逆側に回って、何か文字が刻まれてないか観察する。

 ……ゴーレムの核になるのは刻まれた文字だ。

 emeth。

 ラテン語で『真理』の意。

 他にも羊皮紙に書いたものを貼り付ける方法もあるらしいが、現在はあまり使われていないらしい。

 こいつが僕の想像通りゴーレムならば、どこかにemethの文字が刻まれているか、何かを貼り付けた跡が残っているはずだ。

 笠酒寄は正面から、僕は後ろ側からそれを探す。

 二十分ほど探してみたが、結局、文字も何かを貼ったような跡も見つからなかった。

 「笠酒寄、そっちはなにか見つかったか?」

 「なんにもないよ。でもとってもすべすべ。いい仕事してますねぇ~」

 べたべた石像を触りながら笠酒寄は答える。どこの鑑定人だ。

 お前、怖いもの知らずだな。本物だったらどうする気なんだ?

 ……殴られても死にはしないか。人狼だし。

 とはいえ、笠酒寄の視力で見落とすことは考えづらい。

 僕のほうも同じだ。何も見つからなかった。

 ゴーレムじゃ、ない?

 だがしかし、この石像をたまたま見落としたということは考えにくい。

 夜でも真っ白な物体は目立つ。この石像は台座から本体まで真っ白だ。

 台座部分だけが見えて上に乗っている石像が見えないということはあり得ないだろう。

 どういうことなんだ?

 わからない。

 僕と笠酒寄だけではどうしようもない。

 このまま放置しておくのもまずいと思ったので、僕はスマホを取り出した。

 実は室長は今、休暇を取っている。

 一週間ほどは留守にするということだったので、その間は百怪対策室も閉めることになっていたのだが、緊急事態だ。連絡しよう。

 室長の番号を呼び出してコール。

 一分ほどかけ続けて、やっとつながった。

 『なんだコダマ? 笠酒寄クンとのデートプランを立てる相談なら八久郎にしてくれ。私は忙しいんだ』

 しょっぱなからこっちの恋愛事情をいじってくる室長だった。

 「……違います。僕の高校で『怪』が発生しているんですよ。僕では解決できそうにないんで、室長の助言をいただきたいと思って電話しました」

 『コダマの高校で、ねえ。いいだろう。言ってみろ』

 僕はこれまで聞いたこと、そして僕と笠酒寄がいま調べたことを室長に伝える。

 これは流石に室長もとんぼ返りしてくるかと思ったのだが……。

 『……放っておけ。あと一か月もすれば話の種にもならなくなってる』

 にべもない答えが返ってきた。

 「どういうことですか、室長。百怪対策室が『怪』を放っておいていいんですか?」

 『『怪』じゃないからな。言っておくが、私は忙しい。これから打ち上……ゴホン、とても重要な打ち合わせがあるんだ。少なくとも明日までは電話してくるんじゃない。してきたらお仕置きだからな』

 ぶつり、と一方的に通話は切られた。

 ……室長は関わる気はないと思ったほうがいいだろう。

 しかし、放っておいていいとはどういうことだろう?

 明らかにこれは『怪』だ。

 もし、偽物の『怪』だとしても人々の中で噂されるうちに本物になる可能性はある。

 ……僕が室長から聞かされた話だ。そして体験した話だ。

 それなのに、室長は今回の件に関しては無関心のようだ。

 専門家、ヴィクトリア・L・ラングナーが仕事に対して不誠実であることはあり得ない。

 報酬がなくても、『怪』を放置しておくことはない。

 ……決して、打ち上げが『怪』よりも重要なわけではないと思う。

 あってほしい。

 「ヴィクトリアさん、なんて言ってた? 帰ってくる?」

 首をかしげて笠酒寄が訊いてくる。

 「……いや、今回は放っておいていいってさ」

 「う~ん。ヴィクトリアさんが放っておいていいって言うなら、そっちのほうがいいんだろうけど……空木君は違うんでしょ?」

 その通りだ。

 僕は自分の学校で怪談が幅を利かせている、なんてことは避けたい。

 ならばやることはひとつしかない。

 「……僕が解決するしかない」

 「わたし達、でしょ?」

 いたずらっぽく笠酒寄は笑った。


 4


 夜八時。

 勉強するのでこもる、というバレバレの嘘を吐いて、自室の鍵をかけてから僕はいつものように窓から脱出した。

 もはや窓から出ることに違和感を覚えなくなってしまっているあたり、重症な気がしないでもない。

 見事に音もなく着地して、笠酒寄との待ち合わせ場所まで急ぐ。

 とは言っても、学校の正門だが。

 


 弐朔高校正門前。

 笠酒寄はもう来ていた。

 しかし、

 「何だその格好? あとなんで耳生やしてるんだよ」

 笠酒寄はぴたっとしたTシャツにカーディガン、そしてホットパンツ姿だった。

 寒くないのかよ。 

 そのうえ、人狼の能力を少しばかり開放しているのか犬耳まで生やしていた。

 「セクシー怪盗、プリティ・ウルフ参上! って感じで考えてみたの」

 突っ込みどころが多すぎる。

 スルーしよう。

 「そうか、じゃあ行くか」

 「あ、冷たい。なんか感想はないの?」

 こういう時に限って女子のめんどくさい部分を発揮しないでもいいだろ。

 ……ヘソ曲げられても困るか。

 「い、いいんじゃないか? 萌え萌え?」

 「疑問形になってる! ふん!」

 結局、機嫌が悪くなってしまうのなら何も言わない方が良かった。

 取り合えず、まずは学校内に侵入しないことには始まらない。

 正門は頑丈な門扉が完全に閉ざしているが、全く問題ない。

 「よっ」

 「とうっ」

 僕も笠酒寄も軽く門扉を飛び越えてしまう。

 人狼となりそこない吸血鬼。その二人には人間用の侵入防止策など無力だった。

 正面には校舎。左手側にはグラウンド。

 そして、右手側には部室棟がある。

 まずはグラウンドの石像を確認するほうが先だろうか?

 などと僕が考えていると、笠酒寄が部室棟のほうを指さした。

 「なんだよ、笠酒寄。どうした?」

 「あっちから歌が聞こえる」

 さすが人狼。聴覚に関しては完全になりこそない吸血鬼を超えている。

 さっさと終わらせるに限る。時間は有限なのだ。

 ……それに、この格好の笠酒寄が誰かに目撃される前に退散したい。

 僕たちは早速部室棟に向かった。



 弐朔高校の部室棟は少しばかり不思議なつくりをしている。

 設計ミスなのかあっちこっちに人が通り抜けられるぐらいの隙間があって、さながらちょっとした迷路のようになっているのだ。

 初めての人間は確実にお目当ての部室にたどり着けない。

 そのせいか、そこら中に思い思いの部活動が案内看板を出しており、余計に迷いやすくなっている。

 そんな部室棟が目の前にある。

 「聞こえてくるのはどの辺なんだ?」

 「たぶん、真ん中らへん? ちょっと音が反射しちゃっててよくわかんない」

 部室棟の中心部か。

 そのあたりは変人の巣窟になっている部活動が多く、滅多なことでは普通の生徒は近づかない。

 それでも、今日の僕は行くが。

 そもそも本来生徒は全員下校している時刻なのだ。

 それでも、部室棟にはところどころ灯りが点いている部屋があることは、なんとも熱意溢れることだと表現するしかない。

 見られないようにしないとな。特に笠酒寄の耳は。

 人影に気をつけながら慎重に歩を進める。

 部室棟に入ってから、歌は僕にも聞こえてきた。

 確かに、日本語じゃない。

 ……この際どうでもいいことか。

 とっとと石像をぶん殴ってでも大人しくさせないといけないだろう。

 歌声の聞こえる方に僕たちは進む。

 ほどなくして、『それ』はあった。というかいた。

 部室と部室の間の隙間。

 そんな場所で真っ白な石像がオペラ歌手のように歌っていた。

 実際に目にすると、やはりシュールだ。

 動くたびに揺れる長衣が神秘的というよりも不安感をあおる。

 どうやらこちらには気が付いていないようなので今のうちに動きを止めよう。

 っていうか動いているのをこれ以上見たくない。あの頭が動くのは視覚的暴力だ。

 石像に集中する。

 とりあえずは足を止めるか、なんてことを考えて僕の能力が発動しようとしたその時だった。

 「きゃー! あれ何! 怖いよ空木君! 助けて!」

 「がっ⁉」

 笠酒寄が抱き着いてきた。恐らくは全力で。

 というのも、抱きつかれている僕の体がメシメシと音を立てているのだ。

 なりそこない吸血鬼といえど、肉体の強度は実はあまり人間と変わらない。

 そんな僕が、全開ではないとしても人狼の筋力で抱きつかれたらどうなるか。

 ライオンがじゃれてるつもりでも人間には致命傷だ。

 つまり、死にそう。

 「や……かさ……さ……」

 「うわーん! か弱いわたしはあんなの怖くてしょうがないよ! 空木君、もっと近くにいて!」

 肺が潰されんばかりに圧迫されているので声が出せない。

 その間にぎりぎりと笠酒寄は締めあげてくる。

 死にはしないだろうが、このままだとかなり苦しい。

 なんとか動かせる頭を思いっきり振って笠酒寄の頭にぶつける。

 「あいた!」

 「ゲホッ! ガハ! ……ふぅ」

何とかうまくいって笠酒寄は僕を離してくれた。

 その間に、石像はいなくなってしまっていた。

 「……おい、笠酒寄。何のつもりだ?」

 殺されかけたのはともかくとして、石像を逃がしてしまったのはまずいので問う。

 「えっと、あの……」

 「僕の目を見ろ」

 視線を逸らす笠酒寄の頭を掴んで無理やりにこっちに向かせる。

 「なんだったんだ? いまのは」

 「お化け屋敷とかにいったら、彼氏に抱き着くのは女子的にやりたいことなので……」 

 「……」

 理解しがたいが、理由はわかった。

 だが、今やるなよ……。

 この状況で見失ってしまったのはまずい。

 気づかれたとわかったら、どういう行動に移るのかがまだ読めないからだ。

 どうする?

 僕が自問自答していると、笠酒寄がさっきまで石像がいた場所でしゃがみこんでいた。

 「どうしたんだ?」

 「あっちに匂いが続いてる」

 笠酒寄が指さしたのは体育館だった。


 5


 弐朔高校体育館前。

 「ホントにこの中にいるのか?」

 「うん、たぶん。匂いは中に続いているし、入っていったのは間違いないと思う」

 ここは笠酒寄の嗅覚を信じよう。

 扉を押すと、鍵がかかっていなかった。

 本来は施錠されているはずなので、誰かが開けたのは間違いないだろう。

 もしかしたら、複数が待ち構えている可能性もある。

 「笠酒寄、お前はここで……」

 「わたしも行く。絶対」

 待っていてくれ、という言葉はさえぎられた。

 言い出したら聞かないだろうし、ここで押し問答をしている間に再び逃がす方がまずい。

 しょうがない。一緒に入るか。

 「自分の身はなるべく自分で守れよ」

 「空木君こそ、無茶しないでね」

 最近の僕にしては珍しく、覚悟を決めて扉を開けた。

 体育館の中には何もいなかった。

 とりあえず、見える範囲には。

 しかし、あからさまにステージの幕が降りていた。

 いるって言っているようなもんじゃないか……

 しかし、その辺に隠れていて、不意打ちを狙っているという可能性もある。

 体育館の中央まで僕と笠酒寄は進む。

 ここならどこから襲われても多少の対処は出来る。

 人狼と吸血鬼、人外二人の反射神経をかいくぐれるものなら大したものだ。

 「笠酒寄、後ろ頼む」

 「わかった」

 まるで相棒モノのような会話を交わして僕と笠酒寄は戦闘態勢に入る。

 その瞬間、ステージの暗幕がするすると上がり始めた。

 「!」

 いつでも能力を発動できるように備える。

中ほどまで上がったところで、ステージ上には何かがいるのがわかった。

 三分の二ほど上がったところで、それがあの石像だということがわかった。

 まるで何かに祈るような恰好をしているが、関係ない。

 所詮は人間の真似だ。

 幕が上がり切ったらその瞬間に仕掛ける。

 カウントしながら僕は石像から目を離さない。

 3……2……1……いま!

 僕の中でのカウントがゼロになった瞬間、まばゆい光が石像を照らし出した。

 (!)

 思ってもなかった事態に動揺する。

 と同時に、こんな感じの光景は何度か見たことがあることに気付く。

 訳が分からない。

 混乱している僕をよそに石像はゆっくりと立ち上がり、なにかを歌い始めた。

 朗々と、何かに捧げるかのように石像は歌っている。

 「あれ? これって『Liebe Stein singen』?」

 なんだそれ? っていうか知っているのか笠酒寄。

 「なんだよ、そのリーベ……なんとかって」

 「春にやってたアニメの曲。ドイツ語で『石が歌う愛』って意味なんだって」

 はあ、なるほど。意味は分かった。

 しかし、なんでそんなものを今、アイツは歌っているんだ?

 「とっても面白かったよ。悲恋ものってやつ? ある日、意思を持ってしまった石像が女性に恋をしちゃうお話なんだけど……」

 「いや、アニメの話じゃなくてだな……」

 いまだに石像を眩く照らしている光の射光元を目で追ってみる。

 巧妙に隠れていた照明係が一所懸命に動く石像にスポットライトを当てていた。

 さすがに、ぼくにも、わかった。

 なんだか、ずっしりとしたものを感じながらステージの上で大きく身悶えしている石像をよくよく観察してみる。

 ……メイクだ。

 遠目にはわからなかったが、この距離ならわかる。

 一見したところでは真っ白な石肌に見えるが、その下には人間の肌があるということがわかる。

 服やらも、普通の布地だ。石じゃない。

 つまりこれは……

 「はい、よーし! 次はクライマックスの自壊シーン。終わったら通しでやるぞ!」

 やけに響くその大声は体育館の上方に設置されている通路から響いてきた。

 


 百怪対策室。

 笠酒寄と一緒に夜の学校に侵入してから数日後。

 室長がやっと帰ってきたのだが、いまだに戦利品の整理が終わっていないので、僕も笠酒寄もそれを手伝っている。

 ちなみに僕は床に広げられた品々を、笠酒寄は室長と一緒にソファに座って小物を整理している。

 今はとにかく、膨大なゲームやらグッズやらをカテゴリーごとに段ボールにまとめている。

 室長はさっきから優雅に紅茶を飲んでいる。

 黙々と、僕は作業を続ける。

 「笠酒寄クン、コダマのやつどうしたんだ? やけに不機嫌だな」

 「えーと、『怪』だと思ってたけど、違ったんです」

 笠酒寄! 言うなってあれほど念を押したろうが!

 心の中で叫びつつも、僕は平静をよそおって作業を続ける。

 「あー。コダマが電話してきたやつか。どうせ演劇部あたりの仕業しわざだったんだろう?」

 「な、なんでわかったんですか⁉」

 思わず僕は反応してしまっていた。

 室長は今日帰ってきたばかり。笠酒寄も室長が戻っていることを知ったのはついさっきだ。

 連絡はするな、と言われていたので、笠酒寄もおそらくはしていないだろう。

 それなのに、なぜ室長は演劇部が犯人だとわかったのだろう。

 「電話でコダマから聞いた話と私の知っていることを組み合わせたらわかることだ」

 作業を中断して室長のほうに駆け寄る僕にナメきった視線を送りながら、室長はそんなことを言う。

 「……ほう。じゃあ聞かせてもらいましょうか。室長の名推理を」

 意地になって僕はソファに座る。

 室長の対面だ。

 隣には笠酒寄。

 あそこまで小馬鹿にされてこのまま引き下がるわけにはいかない。

 室長は、『やれやれ』みたいな顔をして、ポケットからシガリロを取り出す。

 火を点けて煙を吐き出すと、足を組んでニヤリと笑った。

 「そもそもだ。本当に石像が動き出しているのならば毎回毎回台座の上に戻っているのはおかしいだろう? ゴーレムじゃないのはキミと笠酒寄クンが確認している。それならば答えはわかる。石像は動いてなんかいなかったんだ」

 そう、石像は動いていなかった。

 目撃されていた動く石像は演劇部が仮装したものだった。

 近くに寄ってしまったらバレてしまう程度の仮装ではあったのだが。

 それでも、遠目に見られる分には本物だと思わせるぐらいのことはできた。

 「それなら、石像が消えていた理由はなんなんですか? まさか毎晩毎晩、石像を台座から引っぺがして朝までに戻していた、なんてことは言いませんよね?」

 「当然だ。どうせ黒い布かなにかをかぶせていたんじゃないか? 夜の八時過ぎにそんなことをしたら見えなくなって当然だ。そのうえで台座にはかぶさらないようにする。そうしたら台座だけがあると思ってしまうだろう?」

 ……その通りだ。

 演劇部の部長を締め上げて、そのあと確認に行ってみたら台座にはかからないように黒いカーテンがかけられていた。

 人間の視力では黒い物体は夜闇に紛れてしまい、見えない。

 その下に白い台座があったら当然、上には何もないように思いこんでしまうだろう。

 悔しいが、ここまでは室長の推理が正しい。

 だがそれでも、推理することならもう一つ残っている。

 「室長の推理は当たってますよ。でもそれなら、なぜ演劇部はこんなことをしたんですか?」

 ハウダニイット(どうやってやったのか)、フーダニイット(だれがやったのか)。

 そしてホワイダニイット(なぜやったのか)。

 言い換えれば、動機。

 僕には理解しがたい動機だったのだが、それも室長にはわかっているのだろうか?

 室長はふふん、と鼻を鳴らす。

 「文化祭、近いんだろう?」

 「……」

 「演劇部、というか文化系の部活にとっては同じ学校の生徒にわかりやすくアピールするチャンスだからな。話題性を作りたかったんだろう。恐らくはゲリラ的に学校内の各所で上演し、最初と最後だけはステージの上で行う予定だったんじゃないか? だから学校の各所に現れていた。リハーサル、というか練習かな」

 僕は何も言わない。

 「キミ達みたいな文化祭にかける熱意が低い人間はともかく、燃えている人間は少なからずいるだろうから、夜の校舎にも人がいる可能性はある。そこで秘密裏に練習と宣伝を兼ねて石像が動き回っているかのように偽装する。あとは文化祭当日には生徒たちの間に広がっている噂がギャラリーを呼んでくれるというわけだ」 

 そんなとこか、と室長は得意げな顔をしている。

 悔しいが、演劇部から聞いた目論見もくろみと一致していた。

 そこまで推理できていたから室長は放っておけと言ったのだろう。

 文化祭当日にはネタばらしが行われるのならば、『怪』として定着することもない。

 ……あの電話の時から室長にはわかっていたのだ。

 僕はとんだ間抜けだ。まったく。

 こんなことなら大人しく室長の言葉に従っていればよかった。

 骨折り損だ。

 「降参です。室長の勝ちですよ」

 「勝負なんてしたつもりはないんだがな」

 勝ち誇られるよりもムカつく。

 そのうちにあっと言わせてやる。

 しかし、負けを認めることも必要だろう。

 僕はまだまだ未熟者だ。

「そういえば、文化祭はクラスでも出し物をするんじゃないのか? コダマのクラスは何をするんだ?」

 「え? ああ、伊勢堂の商品品評ですよ」

 ……この後、延々と続く室長の伊勢堂商品に対する熱い思いをメモするためだけに、僕はわざわざメモ帳を買いに行かされた。

 

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