第八怪 トンネルに潜むもの


 1


 来訪者は突然に、なんてことをほざくつもりはないが、アポイントメントはしっかりと取っておいてほしい。

 なぜかというと、僕の心の準備が必要な人物というモノが世の中には存在しているからだ。

 特に筋骨隆々のオカマなんてものは一か月前には予約しておいてくれないと、僕の精神衛生上問題がある。

 


 「んもう、ヴィッキーったら全然お店来てくれないからアタシの方から来ちゃったわよぉ!」

 百怪対策室。

 いつもの応接室。

 依頼人の他には室長と僕と笠酒寄。

 しかし、残りの一人が問題だった。

 ソファに座っていてもわかる長身、どんなにヒラヒラの服を着ていてもわかる筋肉の隆起、そして、その上にはきれいに化粧を施した美人の顔が載っている。そして響くバリトンボイス。

 ちなみに、今日の髪型はお団子シニヨンだ。

 もはや形容する言葉が見つからない。

 せめてどれか一つの要素を削ってくれ。

 統魔日本支部の入り口の一つ、バー『マジカルカントリー』。

その店長である久道院くどういん八久郎やくろうさんが僕の隣に座っていた。

 「それは悪かったな。最近はちょっと新作のゲームに夢中になっていたから、出かけられなかった」

 まったく悪いと思っていない顔で室長は返す。

 「すーぐそれなんだからぁ。ま、いいわ。アンタがそういう性格なのは今に始まったことじゃないしねぇ」

 責めるつもりは最初からなかったらしく、八久郎さんはあっさりと引き下がる。

 そもそも室長がマジカルカントリーに行っていれば、こういう事態にはならなかったということは非常に残念だ。

 正直、帰りたい。

 「それよりも、よ。アタシのお願いしたいことについて話していいかしら?」

 そう、今回八久郎さんは室長に頼みたいことがあって百怪対策室に訪れたのだった。

 ……そうでなければ追い返している。僕が。

 「とは言っても、お前が自分で解決できないのか?」

 「それがねえ~、アタシは統魔の隠蔽いんぺい班じゃないからそういうことには関係できないのよ。アッタマかったい上の連中がそう決めてるしね!」

 組織に制限されている部分があるということだろう。

 ぷりぷり怒りながら室長の言葉に返して、八久郎さんは目の前のカップに注がれた紅茶を飲み干す。

 「というわけで、統魔に所属してないうえに腕も立つヴィッキーにお願いしに来たのよぉ」

 「そうだな。報酬をきっちりと払ってくれるなら、仕事はするぞ」

 見た目女子中学生に甘えるマッチョのオカマというのは、なんというか、言及しがたい。

 勘弁してくれ。

 ここが地獄か。

 「んじゃあ、お願いなんだけど、アタシの元カノが変なのに出くわしちゃったみたいなのよ。かなり不安がってるみたいだから、解決してくれないかしら?」

 「なんだ、お前が直接の依頼人というわけじゃないのか」

 「そうそう、昔の縁もあるしねぇ。報酬はちゃんと払ってくれると思うから、話だけでも聞いてあげてくれない?」

 「ふーむ……」

 なんだか室長は乗り気じゃないようだ。

 だが待ってほしい。

 今、妙な単語が出てきていた。 

 「元カノ……?」

 思わず僕は呟いてしまう。

 誰の元カノだって?

 八久郎さんの?

 属性てんこ盛りすぎないか?

 やばい、すでに室長が断ってくれることを祈っている僕がいる。

 というか、今回の依頼人について情報を入手したくない。

 「ミサトちゃんの元カノっていうことは、ミサトちゃんどっちもいけるの?」

 あえて僕が触れなかった部分に笠酒寄かささきが爆薬を放り込みやがった。

 やめろ! 触れるな!

 っていうかお前ミサトちゃん呼びなのな。仲良くなってるとは思っていたけど。

 「ううん、ミサキちゃん。今のアタシは女。愛する人は男性に限るわ。でも、昔はそうじゃなかった。……青春の思い出よ」

 ちょっとしんみりした感じにしたいんだろうけど、八久郎さんのヴィジュアルがそれを許さない。

 黄昏たそがれるガタイのいいオカマ。

 ……うん、吐きそう。血を。

 「しょうがない。他でもないお前の頼みだ。受けよう」

 結局、室長は八久郎さんの頼みを受けることにした。

 ちなみに僕は知っている。室長が受けるのためらった理由を。

 オンラインゲーム『デモンズこれくしょん』。通称デモこれのイベントが今夜からなのだ。

 やけにはまっている室長は、かなり楽しみにしていたのだが、それはしばらくおあずけになってしまったようだ。

 さんざん僕をからかったり、BL本を買いに行かせた天罰だ。ざまあみろ。

 「んもう、ヴィッキー大好き! あ、コダマちゃんも、ミサキちゃんも好きよ。特にコダマちゃんは今度アタシの店に来てほしいわあ~」

 未成年を誘わないでください。

 向かい合っている彼女がこっちにすごい視線を送っているからやめてください。

 はぁ。

 今回はこれ以上僕の胃が痛くならないことを祈る。


 2


 「ホントにアンタが専門家?」

 きつめの顔立ちに、ロングの茶髪。

 すらっとしたスタイルの美人はいぶかしげにそんなことを訊いてきた。

 八久郎さんの頼みを受けて、すぐに僕たちは室長のクルマで出発した。

 教えられた場所に到着して、玄関を開けてもらっての第一声である。

 当然だろう。

 怪しげな現象の専門家と聞いて、ふたを開けてみたら成人さえしてないような三人(二人は本当にしてないが)が現れたのだから。

 特に、一番年下に見える室長が偉そうなのは怪しすぎる。

 僕なら詐欺を疑う。

 依頼人の女性は、そういったごく一般的な反応を示してくれた。

 「ええ、ええ。そういったことはよく言われますが、奇妙なモノの専門家なら多少奇妙でも当然だとは思いませんか?」

 室長の理屈はおかしい。

 「……八久郎の知り合いだし、そうかもね」

 納得してしまった。

 八久郎さんがどういう扱いなのかがわかる。

 「えっと、アタシは日夏ひなつ楠原くすはら日夏。よろしく」

 「百怪対策室室長、ヴィクトリア・L・ラングナーです。こっちは助手の空木うつぎコダマ。こっちはコダマの彼女の笠酒寄クンです」

 余計なことを紹介しないでください。

 とはいえ、紹介されて何もしないのも失礼なので、僕も笠酒寄もぺこりと頭を下げる。

 「……青春ね。まあいいけど」

 呆れられている気がする。

 耐えろ、僕。

 「では、お話を聞かせていただきたいのですが、どちらがよろしいでしょうか?」

 「直接見てもらったほうが早いし、ガレージでお願いしようかな」

 「ではそちらで」

 すたすたと歩いていく室長と楠原さんを追って、僕と笠酒寄も歩き出した。



 なるほど、これはたしかに『怪』だ。

 ガレージに置かれたオレンジ色のスポーツカーを前にして僕が抱いた感想はそういうものだった。

 なぜならボンネット部分を除いて、ありとあらゆる場所に小さな手形がついていた。

 しかも、鮮血のように真っ赤なやつが。

 これは、引く。

 「ずいぶんと斬新なデザインのクルマですね」

 「んなわけないでしょ! やられたのよ!」

 僕の余計な一言に全力で反論してくる楠原さん。

 まあ、わざとじゃないのはわかっていたんだけど、言いたくなってしまったからしょうがない。

 僕と楠原さんがそんなアホなやりとりをしている間に、室長は手形を観察していた。

 ちなみに笠酒寄はさっきから後ろについているでかいエアロパーツに夢中だ。

 空でも飛ぶのか? このクルマ。

「どうですか、室長。何かわかりましたか?」

 「そうだな、少なくとも悪霊とかの仕業しわざじゃないことはたしかだな」

 ほー。流石は専門家。

 ちょっと見ただけで、そのぐらいのことはわかってしまうらしい。

 「ちょっと! 嘘でしょ? こんなのを誰がやれるって言うのよ!」

 「まだ、断定はできませんね。しかし、少なくとも血液でないことは確定しています」

 ? どう見ても血にしか見えない。

 「コダマ……。少なくともこの手形がついてから、八久郎に相談がいって、私に話が来ているんだ。一日以上は経っている。それだけの時間が経過すればもっと赤黒く変色しているはずだろうが」

 あ、そうか。

 最近は吸血鬼の能力の影響で、出血しても固まる前に蒸発してしまっていたからすっかり忘れていた。

 血は固まる。

 となると、この手形は一体?

 「恐らくは塗料だな。しかも速乾性の」

 はあ。

 となると、単なるイタズラの可能性が出てきてしまった。

 この手形も、確かに人間のものにしては小さいが、そんなのはどうとでもなる。

 ゴムか何かで作ればいいだけだ。

 ……今回はなんとも拍子抜けの結果になりそうだ。

 「……無理よ。だって、『それ』をやられたのは時速百五十キロで走っている時よ」

 楠原さんは走り屋でいらっしゃるようだ。

 交通法規は守ってほしいものだが、そっちは警察の仕事なので、僕たちには関係ない。

 「なるほど。その速度で、走行中のクルマにこれだけの手形をつけられるのはたしかに奇妙な出来事ですね。よければ、話していただけませんか? それが手がかりになるかもしれません」

 言った後に顎に手を当てて考え始める室長。

 やっと今回の『怪』が見えてきた。

 百五十キロで走るクルマにつけられた無数の手形。

 B級ホラーだ。

 しかし、確かに『怪』だ。

 「わかったわよ……。でも、信じられない話よ?」

 「私たちはそういった信じられない話の専門家ですよ」

 ふう、と楠原さんは小さく息を吐く。

 そして、彼女が遭遇した『怪』についての話が始まった。



 ……二日前の夜だったんだけど、アタシ、峠を攻めてたんだよね。

 え? 大体百キロぐらい。

 何よ少年、その目は。

 いいじゃない。

 とにかく、アタシはただクルマを運転してたの。

 そしたらさ、トンネルが見えてきたの。

 知ってるかな? 曽呂そろトンネルっていうんだけど。

 で、アタシはトンネルに突入するときには最高にぶっ飛ばして入るのが好きなの。

 だから、思いっきりアクセル吹かして突入したわけよ。

 聞いたことがないんなら知らないと思うんだけど、あのトンネルって結構長いんだよね。

 抜けるのには、飛ばしても五分ぐらいはかかるんだ。

 で、入ってすぐだったと思うんだよね。

 クルマの上から変な音がしてきたんだよ。

 ぺたん、ぺたん、って。

 何かがクルマの上を歩いているみたいな、ね。

 初めはアタシも気づかなかったんだけどさ。

 運転席の真上まできたら気づいたんだよね。

 ぞっとしたよ。

 時速百キロ以上で移動する物体の上にいるモノって何?

 そう考えたら、もうビビっちゃってさ。

 振り切ってやろうと思って、アクセル全開にしたんだけどさ、音は消えないの。

 時速百五十キロだよ?

 そんな速度でも音は相変わらずしてた。

 ぺたん、ぺたん、ってね。

 ちょっとずつ移動しているみたいで、だんだん運転席の真上からは遠ざかって行ったんだけど、そのうちにドアのほうに近づいてきたんだよね。

 もう頭真っ白でさ。

 ひたすらアクセル踏み込んでトンネルが終わることを祈ってたよ。

 で、唐突に音が止んだの。

 気づいたらアタシはトンネルを抜けてた。

 でもさ、流石にそのまま運転する気力はなくて、路肩にクルマを停めたんだ。

 音がついてきてないことに安心して、そしたら外の空気が吸いたくなって。

 ドアを開けて、外に出たんだよ。

 山の中だから真っ暗でさ。

 一応、クルマに異常がないかスマホのライトで照らしてみたらさ。

 見たのは、『これ』。

 この、たくさんの手形。

 ……どうも、失神しちゃったみたいでさ。

 そこから先は記憶にないんだよね。

 目を覚ました時にはもう朝で、カラダには異常なかった。

 だけど、こんなことがあっても平気でいられるぐらいに鈍感じゃないからさ。

 頭ん中ひっくり返して、こんな時にまじめに話を聞いてくれそうなやつを探したのよ。

 心当たりは八久郎しかなかったけどね。

 連絡取るのは五年ぶりぐらいだったけど、つながってほっとしたよ。

 それから、みっともないんだけど八久郎に来てもらって、一緒に帰ってきたってわけ。

 しばらくは八久郎にいてもらったんだけど、アイツも仕事あるしね。

 どうにかできそうなやつを紹介するからって言われて、それを待って、いままで家に引きこもってたってわけよ。

 


 楠原さんの話は終わった。

 なるほど。トンネルの中に何かがいるのか、それともトンネル自体が『怪』なのかはわからないが、高速で走るクルマに手形を残した『なにか』があるのは事実のようだ。

クルマに追い付いてくる都市伝説みたいなものがあったような気がする。 

ターボババア、だったかな?

でもあれは手形なんてものを残すなんて話は聞いたことがない。

新種の『怪』なのだろうか?

室長はさっきから黙っている。

何も言わないが、その顔は少しばかり険しい。

時速百五十キロをものともしない『怪』。

流石に今回ばかりは室長の手にも余るようなモノなのだろうか?

だとしたら、統魔に報告するしかないのか。

ううむ。

「なるほど。原因は分かりませんが、犯人はわかりました」

突然、室長がそんなことを言った。

「ホントに? 一体どんなヤツがやったのよ」

 楠原さんは少しばかり疑わしそうだ。

 「そうですね。確定はしていないので、断言はできませんが。十中八九間違ないでしょう」

 解決してから報告に上がります。

 そう告げて、室長はガレージの出口の方に歩き出す。

 僕は未だにエアロパーツに夢中の笠酒寄を小突いて、楠原さんに一礼してから室長について行った。

 

 

 ガレージから出て、再び室長のクルマに乗り込む。僕と笠酒寄は後部座席だ。

 「室長、ちょっと待ってくださいよ。せめて僕たちには説明ぐらいはしてくれてもいいんじゃないですか?」

 「言っただろう? 私にも確信がないんだ。それに説明してもコダマや笠酒寄クンにできることは変わらないからな」

 冷たい。

 「うーん。あの手形、小さかったし。犯人は妖精さんとかですか?」

 ……笠酒寄、妖精さんがあんなホラーな所業をすると思っているのか? お前は。

 「鋭いな、笠酒寄クン。コダマよりもよっぽど助手みたいだな」

 室長は後部座席の僕らを見ながらニヤリと笑った。


 4


 室長の運転するクルマで僕たちは曽呂トンネルに向かっている。

 ナビによると、もうすぐのようだ。

 「ところで室長、今回の犯人はほとんどわかっているみたいですけど、それをどうにかする手立てはあるんですか?」

 「ある。よく考えろコダマ。今回は『怪』のほうから接触してきてくれるんだ。これほどありがたいことはないぞ」

 ふむ。言われた通りに考えてみる。

 高速移動するクルマにべたべたと手形を残していく、なにか。

 「くとかですか?」

 「ずいぶんと残酷な発想だな。お姉さんはびっくりだ」

 お姉さんって言うかおばあさんの年齢さえも超えているのだが、その辺は突っ込まないほうがいいだろう。

 どうも外れらしい。

 まあ、あらゆる場所に手形を残していくような存在をどうやって轢くのかという問題があるので、これは無理だろう。

 となると……。

 「ん、そろそろか。加速するから気をつけろ」

 同時に室長がアクセルを踏み込み、クルマが加速する。

 一気に軽自動車とは思えないようなスピードまで達する。

 ……どうも、このクルマも普通ではないようだ。

 そうして、前方にはトンネルが見えてきた。

 僕の視力はなんとかトンネルの横についているプレートを捉える。

 〈曽呂トンネル〉

 間違いない。ここだ。

 弾丸のようにクルマはトンネルに突入した。

 直後、僕の聴覚はひとつの音を捉えた。

 ぺたり、という何かがくっつくような音だ。

 ちょうど後部座席の上の方から聞こえた。

 「室長!」

 「ああ、来たみたいだな」

 前は見たまま、室長は僕に応える。

 さっきから静かだと思っていたら笠酒寄は寝てやがった。

 暢気のんきすぎるだろ。

 起こす気も失せたので、このままにしておくことにする。

 音はだんだんと前方に向かって行っている。

 つまりは室長のほうに近づいている。

 「どうするつもりなんですか?」

 「まあ見てろ」

 ぺたり、ぺたりと音は止まず、ついに音は運転席の真上まできた。

 と、室長がクルマの天井に向かって、手をかざした。

 「炎熱付与エンチャント・フレイム

 ごう、という熱気がこっちまでやってきた。

 ということはクルマの天井部分がどれだけの熱を持ったのかは想像に難くない。

 「ギャアアアアアァァアアァァァ!」

 なんだ? 今の声。

 何というか、聞いているだけで気分が悪くなってしまうような声だった。

 「ぐえっ」

 「んぎゅ」

 室長が急ブレーキをかけたせいで、僕と笠酒寄は慣性の法則に従い前に飛び出そうとして、シートベルトに引っかかった。

 おかげで変な声が出た。

 「ちょっと、なにするんですか! 室長。急ブレーキかけるならかけるって言ってください」

 「……朝?」

 抗議する僕と寝ぼけている笠酒寄には反応せずに室長はクルマから降りる。

 しょうがないので、僕もクルマを降りる。笠酒寄は再び寝始めた。

 てくてくとやって来たほうに歩いていく室長。

 それを僕は追いかける。

 数十メートル歩いた場所に『それ』はいた。

 ごろごろと地面を転がりながら、ぎゃあぎゃあわめいていた

 外見は……なんだろう、よくある小悪魔インプみたいな感じだった。

 角こそないが、皮膜のある翼が生えているところといい、なんとも醜い感じなところといい、悪魔っぽい。

 「なんですか? これ」

 「今回の『怪』の犯人だ」

 短くそう言って、室長はつかつかと『それ』に近づき、背中を踏みつけた。

 短く叫んで、転がりまわっていた変な生物は動きを止める。

 「すいません、室長。重ねて質問しますけど、なんですか? それ」

 「グレムリン、だ」

 ……なんかイメージと違う。グレムリン。



 そもそも、僕はグレムリンというものをよく知っているわけじゃない。

 なんとなく、昔の映画でそんなのがあったような気がするだけだ。

 もっと可愛い感じの容姿をしていたと思うのだが……

 「思ってたよりもキモいんですね。グレムリンって」

 「キミが言っているのは映画の中のグレムリンだろう? しかも大人しいほうの」

 あれにもキモいやつは登場するぞ、などと室長は恐ろしいことを言う。

 なにぶん、記憶に残っているのもおぼろげなので、いままでハートフル異種間交流ものだと思っていた。

 記憶の改ざんというやつは怖い。

 「そもそも、なんなんですか? グレムリンって」

 「妖精の一種だ。有名になりだしてからの日は浅いがな」

 グレムリンの背中を踏みつけながら室長が解説してくれる。

 ちょいちょい力を入れているらしく、時々グレムリンから悲鳴らしきものが上がっている。

 「そもそもこいつらは飛行機に悪戯をする妖精なんだ。元々はちがうことをしていた可能性があるんだが、どうにも高速移動するモノに対して強い好奇心を持っているらしい」

 羽はあるみたいだし、空を飛ぶのはお手のものなのだろう。

 「飛行機でトラブルがあったらどうなるかは想像できるだろう? こいつらにとってはほんの悪戯に過ぎないのかもしれないが、乗っている人間には洒落(しゃれ)にならない。だから、大規模な掃討そうとう作戦が何度も行われているんだが、絶滅は難しい」

 広い空を逃げ回る妖精、しかも飛行機に悪戯できるようなら相当なスピードで飛べるのだろう。

 そんなのを捕まえるのはたしかに難しい。

 「本来は日本の風土にはなじまない種族なんだが、何かの間違いで適応してしまったんだろうな。そして、このトンネルをねぐらにしたというわけだろう」

 トンネルで飛行機は飛ばない。

 ということは高速移動するモノ、となると、クルマぐらいしかないわけだ。

 「でも、それなら楠原さん以外にも被害にあっている人はいるんじゃないですか?」

 「普通の速度のクルマならこいつらは気にも留めない。アホみたいにアクセル吹かしてぶっとばしていない限りはな」

 アクセル全開で突入した、という楠原さんの言葉を思い出す。

 速度制限は守ろう。僕はそう思った。

 「でも、なんでまた手形を残すなんて悪戯になったんですか?」

 「わからん。妖精の考えることなんてものに論理性を求めるな。頭が痛くなるだけだ」

 確かに、頭が痛くなってくる。

 しかし、これは訊いておかないといけないだろう。

 「それ、どうするんですか?」

 「こうする。氷棺アイス・コフィン

 一瞬で、グレムリンが氷の塊に閉じ込められてしまった。

 少しばかり室長の靴も巻き込まれてしまい、結局、室長は靴を脱ぐことになった。

 「殺したんですか?」

 「このぐらいじゃくたばらん。統魔で詳しく調べてもらう必要があるからな、こいつは」

 あわれ、グレムリンは統魔で研究されてしまうらしい。合掌。

 ……結局、氷漬けになったグレムリンは僕がクルマに運んだ。

 そのあと、楠原さんのところまで戻って、『怪』の正体がグレムリンであったこと、元凶は退治というか氷漬けになってしまったので、もう心配はないことを伝えて僕たちは百怪対策室に帰ってきた。

 室長は統魔にグレムリンを届けに行ってくるらしく、でかけてしまった。

 室長が出かけるので百怪対策室からは追い出されてしまった僕と笠酒寄は、なんとももどかしいやりとりをしながら帰路についた。




 午前五時。マジカルカントリー店内。

 ほんの一時間前までの喧騒けんそうが嘘のように店内は静まり返っていた。

 アルコールの残り香だけが未練がましく残っている。

 からん、と入り口のドアに据えられたベルが鳴った

 「あら、ごめんなさい。もう閉店なの……って、ヴィッキーじゃない」

 入口に立っていたのは百怪対策室室長、ヴィクトリア・L・ラングナーだった。

 いつものジャージに白衣を羽織り、手には大きめのボストンバッグを提げている

 一直線にヴィクトリアはカウンター席に座る。

 「お前の元カノの『怪』は解決した。クルマにつけられた手形は自分で落としてもらうしかないがな」

 「あら、それじゃあ犯人はわかったのね。なんだったの?」

 「コイツだ」

 ヴィクトリアはカウンターの上にボストンバッグを乗せて、ジッパーを開ける。

 中には氷漬けになったグレムリンが入っていた。

 「グレムリン? 妙ね。日本にはいないはずでしょ」

 「ああ、コダマ達には誤魔化したが、こいつらは縄張り意識が非常に強い。自分たちの領域からは決して出ようとしないはずだ。だからトンネルを私だけで調べてみた。見ろ」

 ヴィクトリアは白衣のポケットから何枚かの写真を取り出してカウンターの上に並べる。

 トンネルの壁を写したと思われるそれらの写真には、どれも奇妙な図形が写っていた。

 「召喚陣? でも、見たことない形式ね」

 「当然だ。これは統魔が魔術を統合する際に廃止した術式だからな。統魔でしか魔術を学んでいない若い魔術師は知らないはずだ」

 「……永く生きてる魔術師、もしくは統魔に属してない魔術師が一枚噛んでるってことかしら?」

 「可能性は高い。気を付けろ、八久郎。目的が見えない存在は厄介だからな」

 「そうね。アタシの方でも調査はしてみるわ」

 頼む、と呟いてヴィクトリアはジッパーを閉め、写真をしまう。

 「そういえば、この召喚陣はどうしたの? そのままなわけじゃないでしょ?」

 「壁ごと削ってきた」

 「荒っぽいわねえ……」

 ヴィクトリアはカウンター席から離れると、奥にある扉に向かう。

 統魔日本支部の建物につながっている扉だ。

 「ヴィッキー。アンタは守るべきものがあるんでしょ? それだけはちゃんと守んないとダメよ」

 ドアノブに手をかけたところで八久郎がヴィクトリアのほうを見ずに言った。

 「……当然だ。私を誰だと思っている。略奪者(りゃくだつしゃ)と恐れられていたヴィクトリア・L・ラングナーだぞ。私は欲が深い。大切なものは渡さない」

 振り向かずにそう言って、ヴィクトリアは扉の向こうに消えた。

 マジカルカントリーに残った八久郎はひとりごちる。

 「……アタシはアンタと戦いたくないの。だから、過去に捕らわれないで、現在を見なさいよ。思い出は大事だけど、今のアンタはもっと大事なものがあるでしょ」

 答える者はいなかった。

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