だいななかい まよいぼし

 1


 「笠酒寄かささきクン、キミはコダマの帰る場所になってくれないか?」

 ヴィクトリアさんはタバコの煙をくゆらせながらそう言った。

 百怪対策室びゃくかいたいさくしつの応接室。

 ついこの間、わたしは夏休みから悩まされていた人狼という『怪』を空木うつぎ君とこのヴィクトリアさんに解決してもらった。

 今はそれから一週間後ぐらいだ。ちなみに空木君はいない。 

 ヴィクトリアさんにお使いに行かされている。

 今日発売の新刊『水晶歌の守護者6 フローライトコンバーション』を買うためにちょっと遠くのショップに行っている。 

 だから、今ここにいるのはわたしとヴィクトリアさんだけだ。

 「どういう意味ですか?」

 わたしは訊き返す。

 空木君の帰る場所、それは自分のお家なんじゃないのかと思う。

 でも、ヴィクトリアさんはなにか違うことを考えている気もする。

 「コダマのやつは今、境界線上にいる。常識の世界と非常識の世界、その間にね。だからどっちに向かうことだってできるんだが、常識の世界っていうのはつながりがないとそのうちに戻れなくなってしまうからね。キミにコダマと普通の世界をつないでいて欲しいんだ」

 常識の世界って言うのはきっと夏休み前まではわたしが知っていた世界だ。

 怪物も、怪人も、怪奇現象も、怪談もきっと科学的に解明できると信じていた世界だ。

 夏休みに入ってからは人狼の能力が現れ始めてわたしもヴィクトリアさんたちがいる世界に踏み入れることになってしまったけど。

 それでもわたしはまだ空木君よりも日が浅い。

 ほんの少しの日数なのかもしれないけど、時々空木君とヴィクトリアさんが話している内容とか、夏休みに空木君が関わっていたと思われる事件の噂なんかを聞いてみると、とてもすごいことをやっていたみたいだ。

 きっとわたしには想像もできないような大スペクタクルな冒険をしていたんだろう。ちょっとだけうらやましい。

 それでも、空木君は時々、悲しそうな顔をする。

 二朔高校に入学してから同じクラスだったわたしは夏休み前の空木君を知っている。

 表面上は変わってない。

 他のクラスのみんなも多分そう思ってる。

 でも、わたしにはわかる。

 空木君はなにか大きな出来事があったに違いない。

 空木君の中に刺さる何かが。

 そのとげはまだ抜けてない。だからあんな顔をしてしまうことがあるんだと思う。

 わたしは空木君とヴィクトリアさんによって棘は抜いてもらった。

 わたし一人じゃ抜けなかったと思う。

 もしかしたら大事な人を傷つけていた可能性だってある。こうしてお茶を飲みながらお菓子を食べることができるのだって、空木君たちのおかげだ。 

 わたしのために文字通り(わたしの)骨を折ってくれた空木君のためなら、出来る限りのことはしてあげたい。当然のことだとは思うけど。

 「わかりました。わたしが空木君にしてあげられることならなんでもやります」

 だからわたしは引き受けた。

 ヴィクトリアさんはその返事を喜んでくれたみたいだった。

 空木君と一緒にいる時には滅多に見せない優しい微笑みを向けてくれた。

 「ありがとう笠酒寄クン。それがキミの『怪』を解決した仕事料にしよう。金銭ではあがなえないものだが、キミを信じて任せる」

 頼んだよ。

 ヴィクトリアさんはそう言って再びどら焼きに手を伸ばした。

 わたしも一個もらう。

 ふんわりとした皮に挟まれたあんがなぜかいつもよりも甘い気がした。



 ぴりぴりぴりぴりぴり。

 「ぅ……ん」

 にわとりの形をした目覚まし時計のスイッチを押してアラームを止める。

 朝だ。起きなきゃ。

 なんだかちょっとだけ嬉しい夢を見ていた気がする。

 覚えてないけど、なんとなく胸の中があったかい。

 気のせいかもしれないけど。 

 覚えてないことはしょうがないから、とりあえずいつものように起き上がって、パジャマから着替える。

 わたしこと笠酒寄ミサキは朝があんまり得意じゃない。

 でも、起きるのがぎりぎりになりがちなのですぐに着替えないと学校に遅刻しちゃう。

 遅刻すると体育の先生たちにお説教を受けることになってしまうからしょうがなく、わたしはぼやぼやした頭のままで着替える。

 着替え終わった髪をかして、そのまま前の日に準備しておいた鞄を持って一階に降りる。

 わたしの部屋は二階にある。元々はおばあちゃんが使っていた部屋らしいが、今はだいぶん足腰が弱くなってしまったので介護施設に入っている。割とエンジョイしているみたいで心配はしてない。

 朝ごはんは家族全員でというのが笠酒寄家の決まりだ。

 お父さんは仕事が早い時には許されているけど、基本的には守らないといけない。

 いまどきやってる家庭はあんまりないと思うのだけど、習慣になってしまっているから誰も『やめよう』なんて言い出せない。

 そんなわけでわたしは今日もテーブルに着く。

 お父さんは新聞を読みながら待っていたみたいだ。

 お母さんはわたしとお母さんの分の朝ごはんを用意していた。

 お父さんの分はもう用意してある。

 実はわたしのお父さんは冷めているご飯の方が好きだというちょっと変なところがある。

 だからいつも朝ごはんはお父さんの分だけ先に用意されている。そして新聞を読みながらお父さんはご飯が冷めるのを待つ。

 ……他のお家もこうなのかな?

 今度、空木君に訊いてみよう。

 そんなことを考えている間に朝ごはんの準備はできた。やったのはお母さんだけど。

 ついでに今日の分のお弁当も持ってきてくれる。

 「ミサキ、ハイこれ今日のお弁当。おにぎりは鮭とおかかね」

 「ありがとう。今度はツナマヨお願い」

 忘れないうちに鞄に入れる。

 何回か忘れたことがあって、その時にはお昼の購買戦争に巻き込まれることになってしまった。あれはもう嫌だ。

 そして朝ごはんの準備が整ったので全員でいただきますを言う。

 お父さんとお母さんとわたし。

 現在この家に住んでいる人間はこれで全員だ。

 いつものようにお父さんは静かに。お母さんは優雅に食べる。

 食べ終わったらみんなの分をまとめて持っていくのはわたしの仕事だ。

 すぐに食べ終わって、学校に遅刻しないように急いで流しに持っていく。

 最後に歯を磨いて顔を洗って、わたしはいよいよ学校に出発する。

 「いってきまーす」

 通学路には特に面白いことはなかった。

 だけど、わたしはふわふわした気分になっていた。

 なんといっても、わたしと空木君は昨日お互いに告白して晴れて恋人同士になったのだ。

 いつ頃空木君に惹かれだしたのか、というのははっきりしている。

 九月の始まり。人狼を解決してもらった時だ。

 あの時からわたしは空木君のことが気になっていた。

 自分の気持ちにちゃんと気づいたのは最近だったけど、もうしっかりと告白したことだし気にすることじゃないと思う。

 恋人。

 その響きだけで自分が恋をしているんだということがわかる。

 足元がふわふわしているような感じで落ち着かない。

 早く空木君に会いたい。

 昨日は帰ってからもボーっとしていたのであんまり気づかなかったのだけど、わたしは空木君のメールアドレスも電話番号も知らなかった。

 連絡する手段がないことに気づいて、昨日の夜はちょっとイライラしていた。

 だから今日必ず手に入れる。

 恋人同士なんだから遠慮する必要なんてないはず。

 そういう風に考えるとなんだかうきうきしてくる。

 もし感情だけが見える人がいたんだとしたら、今のわたしは情緒不安定な人にしか見えないだろう。でも、これが恋なんだっていうことはわかる。

 漫画や映画の中の登場人物が夢中になるのも納得できる。

 恋はパワーだ。

 いつもは学校に向かう足は重いのだけど、今日は羽でも生えているように軽い。

 教室に着いたら一番に空木君にあいさつしよう。そして忘れないうちに連絡先を聞き出そう。

 鼻歌を歌っているうちに学校の正門前に来てしまった。

 恋は時間をも縮めてしまうみたいだ。

 不思議だ。

 ふとわたしは気づいた。

 正門前に二人の男女がいる。

 女子の方は同じ一年生だろう。セーラー服のえりに入っている色が同じ青だ。

 男子の方はポニーテール。空木君だ。間違いない。

 空木君が女子と一緒にいるだなんて珍しいな、なんてことを思いながら、わたしは空木君にあいさつするために近づく。

 自然と二人の会話も耳に入ってくる。

 「ああ、やはりお美しいお嬢さん、学校など放っておいて僕と一緒に出掛けませんか?」

 「しつこいんだけど? いい加減やめないと先生呼ぶよ」

 男子は間違いなく空木君だった。

 でも女子は知らない子だった。他のクラスの子だと思う。

 ただ、わたしは思った。

 え? 告白一日目で浮気?



 「はっ! 夢?」

 机に突っ伏した状態からがばっと起き上がってわたしは疑問符を浮かべる。

 周りを見渡してみる。

 わたしのクラスだ。

 みんながワイワイ騒いでいるところを見ると休み時間だ。

 ということはさっきまで見ていたのはわたしの夢だったみたいだ。

 よかったよかった。

 本当にあんなことが起こっていたら空木君をぼこぼこにしてるところだった。危ない危ない。

 ふいー。

 出てもない汗をぬぐってわたしは安堵する。

 ちょっと最近夜更かしが多かったから授業の退屈さに負けてしまってあんな夢を見てしまったに違いない。たぶん犯人は数学だ。もうちょっと楽しい授業にすればいいのに、とわたしはさんざん思っているのに、担当の小瀬名こせな先生はちっとも改善してくれない。横暴だと思う。

 「あ、起きた?」

 声をかけられてそっちを向くと志奈しなちゃんがいた。

 筑野原つくのはら志奈ちゃん。わたしのクラスメイトにして友達にして宿題を写させてくれる志奈ちゃんだった。

 弐朔高校は席替えがないので入学した時からずっと志奈ちゃんはわたしの隣の席だ。

 そして、わたしが苦手な理系分野が得意なのでよく宿題を写させてくれる。とっても優しい女の子だ。

 「うん、起きたよ。小瀬名先生も授業をもっと面白くしてくれたらいいのにね」

 まだよく状況はつかめていないけど、お弁当を出し始めている子もいるので恐らく今は昼休み。そして、昼休み前の四時間目の授業は数学。

 となるとわたしは四時間目の数学の授業で、がんばったもののやられてしまったみたいだ。

 そのうえにあんな夢を見てしまったので、今度小瀬名先生には文句を言おうと思う。

 生徒の安眠は保障されるべきです! と。

 そんな感じでわたしがうんうん頷いていると、志奈ちゃんは怪訝(けげん)そうなまなざしを向けてきた。

 「はぁ? なんで小瀬名が関係あんのよ。あんた教室に来るなりビービー泣いてそのまま泣き疲れて爆睡してたんだよ?」

 はて? 記憶にございません。

 「……なんか記憶にないって顔してるけど、あんだけ泣いてたんだから、なにかあったんでしょ。何? 空木がどうとか言ってたけどさ」

 「空木君? 空木君がどうかしたの?」

 「いや……質問してんのこっちなんだけど。まあいいや。空木なら保健室だよ。空飛んだらしいけどよくわかんない。まだ戻ってきてないから保健室にいるんじゃない?」

 空木君が空を飛んだ? 

 苗字に空の字は入っているけど、空木君には空を飛ぶような能力はないはずだ。

 少なくともわたしは聞いたことない。

 ということは他の何かが関係しているということだ。

 もしかして、『怪』!

 だとしたら空木君の身に危険が迫っているのかもしれない。

 それはいけないことだ。一刻も早く空木君に事情を聞いて、おかしなものに関わっているならわたしが助けないと!

 行動は決まったのでわたしは即実行に移す。

 「ごめん! 志奈ちゃん。わたし保健室に行ってくるね!」

 椅子を後ろに飛ばす勢いで立ち上がりながらわたしはそう言う。

 志奈ちゃんはぽかんとしていたけど、事情を知らないからしょうがない。

 百怪対策室の実情を知っているのはわたしと空木君だけなんだ。

 だから空木君が困っているならわたしが助けないといけない。

 保健室目指して、わたしは走らないけど、とっても急いで歩き出した。

   


 保健室には幸いにも先生はいなかった。

 こっそりと侵入したのが馬鹿らしくなってしまって、わたしは背筋を伸ばして歩き出す。

 見回してみても空木君はいない。

 ということはベッドで寝ているんだと思う。

 つかつかとわたしは奥に設置されている体調がよくない生徒が休む用のベットに近づく。

 一個目、外れ。二個目、外れ。三個目……。

 当たりだった。

 空木君が寝ていた。

 なんだかうんうん唸っているのが痛々しかったけど、今はそんなことを気にしてる場合じゃない。

 危機が迫っているかもしれないんだ。

 恋人を守ろうとするこの気持ちはだれにも止められない!

 そんなわけで早速空木君を起こしにかかる。

 「起きて、ねえ起きて空木君……」

 ゆさゆさと体をゆすりながら起きてくれるように頼む。

 ちょっと揺らし過ぎだったのかもしれないけど気にしない。

 速やかに起床してもらわないと後々厄介なことになるかもしれないんだ。

 ぴしぴしと額にチョップを入れ始めたころにようやく空木君はうっすらと目を開けてくれた。

 「ぅうん……姫……かい?」

 誰のことを言っているだろう? 

 は! もしかして、男の子が彼女のことを呼ぶときには『姫』呼びなのかもしれない!

 と、いうことはここはひとつ、勇気を出して姫呼びしてくれた空木君の想いに応えるのも女の器量というやつじゃないかな。

 ちょっと恥ずかしいけど、今は誰もいないと思うのでわたしも勇気を出そう。

 「ぅん……空木君の姫だよ。心配したんだから……きゃ!」

 「ああ! 姫! 会いたかった。君に会うまでに僕がどんなに辛い試練に会ってしまったことか! 今さっきなんかは殴られて宙を舞う羽目になってしまったんだ! そんなことに遇っても耐えられたのはひとえに君を思っているからなんだよ! もう離さない!」

 いきなり起き上がった空木君に抱きしめられてわたしは思わず小さな悲鳴を上げてしまった。

 抱きしめられた拍子に空木君の匂いがわたしの鼻をくすぐる。

 ちょっとだけ消毒液の匂いがする。でもそれ以上に空木君の匂いがする。

 あんまりにも突然にやってきたどきどきのシチュエーションにわたしの頭はぐるぐるまわっている。

 あんまりよく考えられない。

 でも、こうやって空木君とくっついているのはとてもうれしい。

 「ああ、姫。僕の愛しい人。さあ、その美しい顔を見せてくれ」

 ポーっとなってしまっていたわたしは空木君の言葉でなんとかちょっとだけ正気を取り戻す。

 辛い目に遇ってしまったから、大好きなわたしの顔を見て少しでも元気を出そうということなんだろう。

 男の子の可愛い部分だと思う。

 だからわたしはゆっくりと体を離して空木君の顔を正面から見た。

 そしてにっこりと笑ってあげる。

 「ひ、姫じゃない! 誰だお前は! っていうかお前は僕を殴り飛ばした奴じゃないか! た、助けてくれぇ~!」

 は?


 3


 「た、助けてくれ! 僕は君に危害を加えようだなんてこれっぽちも思ってやしないんだ! さっきみたいに殴られて宙を舞う羽目になってしまうのは勘弁してほしい! この通りだ! 頼む!」

 とっても情けない声で助けを求めた後に空木君はそんな風にまくし立ててきた。

 う~ん。なんだか今日の空木君は空木君じゃないみたい。

 こんなことを言う人じゃなかったし、なによりも空木君はちょっと殴られたぐらいじゃ動じない。ヴィクトリアさんに色々な実験に付き合わせられて耐性ができてるって言っていたぐらいだ。というかまずわたしのことがわかってないみたいだし。

 わたしの脳内コンピュータがカシャカシャ音を立てて計算を始める。

 ちょっと数学系に関しては鈍いけど、カンは鋭い方なので計算結果が出るのに時間はかからなかった。

 この空木君は偽物だ!

 見た目は本物の空木君そっくりだけど、きっとそっくりになれる『怪』なんだと思う。

 というわけで正体を暴く。

 えい。

 ぱきんと軽い音がしてわたしが捻った偽物空木君の右の小指が折れる。

 「ぎゃああああああああああ!」

 偽物は大げさに騒ぐけど、わたしは動じない。

 本物の空木君ならともかく、偽物の『怪』なんかにはわたしは情けをかけない。

 冷静に対処することが『怪』に対峙した時の基本だ。そのくらいのことはわたしもわかってる。だからわたしは容赦しないし、指も折っちゃう。

 そしてヴィクトリアさんのように冷静に質問する。

 「あなた誰? 空木君じゃないでしょ。他の人にはわかんなくてもわたしにはわかるんだから。だってわたしは空木君の彼女なんだからね!」

 最後のほうはちょっと冷静じゃなかったかもしれないけど、一応言いたいことは言えた。

 なので満足。

 あとは偽物が指を折られた痛みから少しぐらいは立ち直ったところでもう一か所ぐらいは怪我させておいたら完璧だと思う。

 手を放して見ておく。

 偽物はしばらくじたばたしていたけど、一分もしないうちにわたしにびしっ! っと右の人差し指を突きつけてきた。

 「な、なんなんだ君は! こんな暴力を振るうだなんて本当に人間なのか? 信じられない。ここまで俗世ぞくせの人間が野蛮になってしまっているだなんて!」

 「ぞくせとか難しい言葉はよくわかんないけど、偽物にかける情けはな……い、よ?」

 こっちを指さす偽物の指を見てわたしは気付いた。

 治ってる。

 さっき折った小指がもう元通りに治ってちゃんと曲がるようになってる。

 普通の回復力でそんなことはあり得ない。

 もしかしてとっても治るのが早い能力を持った『怪』なのかもしれないとも思ったけど、それならこんなに取り乱すのはおかしいと思う。 

 頭のどっかに何かが引っかかってる。

 何なのかはわからないけど、そのままはまずい気がする。

 う~ん。

 わたしは手をあごに当てて考える。ちょっと首をひねっておくのが女子的には可愛いポイントだ。

 この『怪』の正体はなんだろう?

 姿は空木君にそっくりで、しかも再生能力まで持ってる。

 でも、空木君じゃない。

 空木君はこんな言動はしないし、なによりもわたしのことがわかってないみたいだ。

 変身出来て、そのうえに再生能力もある『怪』?

 そういう可能性もあるだろうけど、それだとなんで空木君に変身しているのかがわからない。

 それに、本物の空木君がどこに行ってしまったのかということもわからない。

 ああ、空木君。会いたいよ。

 わたし一人じゃこの『怪』はちょっと手に余る。

 わたし一人?

 そうだ! ヴィクトリアさんに訊いてみよう。

 ヴィクトリアさんならきっと正体を暴いてくれるに違いない!

 ヴィクトリアさんは太陽が出ている間は外に出たがらないから百怪対策室に連れていかないといけないだろうけど、しょうがない。

 こんな危ない『怪』は放ってはおけない。

 というわけでわたしは偽物の手首をつかむ。

 「な、なにをする気だ! 今度は手首を折るつもりか? 悪いことはいわないからそんな狼藉ろうぜきはやめて針仕事でもするんだね! これは年長者からの忠告だよ!」

 なんか言ってるけど気にしない。

 そのまま引っ張っていく。

 普通の女子なら男子を引っ張っていくなんてことは難しいかもしれないけど、わたしは人狼の力で身体能力も普段から高くなってる。

 ずるずるとこのまま引きずっていくこともできると思う。

 幸いなことに偽物はなんとか立ってついてきてくれたから廊下を引きずっていくことにはならないみたいだった。

 わたしも学校で男子を引きずっていた女子、という風に見られてしまうのはちょっと嫌なので助かる。

 そうやって保健室の出入り口にまで来た時だった。

 ドアが音を立てて開いた。

 保健室の外には女子が一人立っていた。

 セーラー服の襟に入っているラインが緑色だからたぶん二年生だ。

 気分が悪くなった人なら早く休ませてあげないといけないな、と思ってわたしは道をゆずる。

 二年生の女子は少しの間きょろきょろと保健室の中を見回していたけど、そのうちにわたしが手首をつかんでいる偽物の空木君に目を止めた。

 「ああ、あなた! 会いたかったわ!」

 あなた?

 わたしがまたもや疑問符を浮かべていると、二年生の女子は偽物空木君に駆け寄ってその手を取った。

 右手はわたしがつかんでいるから左手の方だったけど、なんていうか恋人の手を取る感じだった。

 偽物でも、姿は空木君なのでちょっとわたしはむっとする。

 「ああ、姫……本物の姫なのかい? 僕は君に会うためにひどい目に遇ってしまったんだよ。でもそれも今こうして君に会えたんだからすべてが報われたよ……」

 「わたしもよ、あなた。わたしもここまでくるに艱難辛苦の嵐だったわ。でもそれもひとえにあなたに会うためよ」

 ……なんだか新しい登場人物はこの『怪』の知り合いみたいだ。

 っていうか『姫』みたいだ。

 しかもらぶらぶな雰囲気を醸し出している。

 わたしはまだ空木君とそんなことしてないのに。

 でもちょうどいいかもしれない。

 このまま二人とも連れていこう。

 まとめてヴィクトリアさんに解決してもらおうっと。

 がしっとわたしは空いてる方の手で二年生の女子の襟首えりくびをつかむ。

 「え? なにかしら?」

 「一緒に来て。逃がさないけど」

 「な、なにをおっしゃっているのかしら? わたしは愛しい人と一緒に過ごさないといけないのよ。あなたなんかに構っている暇は……」

 「いいからついてきて。あなた達を放っておくとまずい気がするの」

 ずるずる。

 片手で手首をつかんで、もう片方で襟首をつかんでわたしは昇降口に向かっていった。

 二人ともなんだか抗議してたけど知らない。

 わたしは早く本物の空木君に会いたいし、目の前でいちゃつかれるのはなんだかむっとしてしまう。

 ……気分は犯罪者を連行する警察官だった。


 4


 靴に履き替えて、ハイツまねくねに到着するまで二人ともいちゃいちゃらぶらぶしていたのはわたしに対する嫌がらせのような気がする。

 ……空木君に会えたら頭をなでてもらおう。

 これは決定事項だ。

 こほん。

 とにかく、嫌がる二人を連れて、なんとか百怪対策室の前までやってきた。

 インターホンをどうやって押そうかと思ったけど、偽物空木君の足を踏んづけておくことで解決した。

 手首を離してインターホンを押す。

 きん、こーん。

 よくあるチャイムの音がして、数秒経ってからヴィクトリアさんの声が聞こえてくる。

 「あー、だれだ? これから昼寝に入ろうとしていた私の邪魔をした罪は大きいぞ」

 「わたしです。笠酒寄です」

 不機嫌そうなヴィクトリアさんだったけど、お昼寝の邪魔をしてしまったのならしょうがない。

 秋のお昼寝は気持ちがいいし、ヴィクトリアさんもその誘惑には勝てないんだろう。

 「ん? 笠酒寄クンか? どうした。コダマは一緒じゃないのか?」

 「それなんですけど、空木君の偽物が現れて本物の空木君が行方不明なんです。ヴィクトリアさんは何か知りませんか? ついでに偽物も連れてきてます」

 「うーむ。コダマの行方に関してはわからないな。が、偽物のコダマに少しばかり興味がある。入ってくれ、鍵は開いている」

 ヴィクトリアさんの許しが出たのを確認してからわたしは百怪対策室のドアを開ける。

 と同時にまだいちゃついている二人を押し込んで最後にわたしが入ってドアを閉める。

 一度閉まった百怪対策室のドアはヴィクトリアさんの許可がないと開かない。

 これでこの二人は絶対に逃げられない。

 ちょっとだけ安心できたので、今までずっとつかんでいた襟首を離してあげる。

 「や、やっと解放されたわ……」

 「まったく、品がないな君は」

 「ごちゃごちゃ言ってないでさっさと進んで。一番手前の右のドアね」

 今日のわたしはちょっと不機嫌だ。原因はわかっているけど、解決するには空木君に会わないとダメだ。

 この二人はヴィクトリアさんに任せてわたしは空木君を探しに行こうかな……。

 応接室のドアを開けながらわたしはそんなことを思っていた。

 いつもの応接室にはいつものようにヴィクトリアさんがソファに座っていた。

 お昼寝に入る直前っていうのは本当だったみたいで、ジャージに白衣を羽織ったいつもの格好じゃなくて薄手のパジャマを着ていた。

 ……なんでパジャマに返り血みたいなのがあるのかは今度訊こうと思う。

 「ふ~ん。そいつがコダマの偽物か。それとそっちの見ない顔の女子は何者だ? 依頼者というわけではないみたいだが」

 格好はパジャマでもいつもの調子でヴィクトリアさんは訊いてくる。

 「この偽物空木君の知り合いみたいです。恋人っぽい感じです」

 自分で言った、恋人という単語に胸がちくりとする。

 「ほう、恋人、ね。まあいい。座ってくれ。そこの二人も座ってくれ」

 言われたとおりにわたし達はソファに座る。

 ヴィクトリアさんの隣にわたし、向かい合うようにして偽物空木君とその姫が座る。

 正直、空木君が他の女の子の隣に座っている光景っていうのは見てて楽しくないけど、今はしょうがない。我慢しよう。

 さて、とヴィクトリアさんが口火を切る。

 「キミ達は一体何者だ? 正直に答えろ」

 雰囲気こそいつもののほほんとした調子だったけど、言葉はとても厳しい。

 きっと空木君の姿を真似するなんていうことに怒っているんだと思う。わたしも怒ってる。

 「な、なんのことやら……。僕たちはごく一般的な学生だ。ほら、怪しいところなんてひとつもないだろう?」

 「そ、そうよ。それにあなたのような年下にそんな口をきかれる覚えはないわ。わたし達のほうが年上なんだから敬意を払いなさいな」

 二人ともとぼけるつもりみたいだ。

 でも残念。

 ヴィクトリアさんにはとぼけるという選択肢はあんまり有効じゃない。

 「そうか。なるほどなるほど。正体は暴いてほしいらしいな。ほい」

 ひゅん、と鋭い音がしてヴィクトリアさんの手が偽物空木君の人差し指を握っていた。 

 あ。

 ぱきんというちょっと前に聞いたのと同じ音がした。

 「ぎゃああああああああああああああ!」

 「あ、あなた! 大丈夫⁉」

 偽物空木君は今日二度目の骨折だった。

 躊躇ちゅうちょなくヴィクトリアさんは偽物空木君の右の人差し指を折った。

 わたしにやられたときと同じように偽物はしばらくじたばたしていたけど、そのうちに回復したのか、ヴィクトリアさんのほうをにらみつける。

 「こ、この小娘……」

 「黙れ。どうやらその体、本物のコダマのようだな」

 いつになく冷たい口調のヴィクトリアさんだった。

 ん? 待って。今何か聞き逃せないことを言っていたような……。

 本物のコダマ?

 わたしの目の前にいるこれは本物の空木君っていうこと?

 「笠酒寄クン、事情説明は後だ。少しばかり確認することができた」

 素早くスマホを取り出してヴィクトリアさんはどこかに電話をかける。

 すぐにつながったみたいだけど、なんだかいつもよりも厳しい口調でどこかに取り次いで欲しいみたいなことを言っている。

 そのうちに目的の人につながったのか、今度はなにかの確認をしているみたいだった。

 ぼくせん、とかむのう、とかいう単語が出てきていた。

 最後に私が処理しておくからあとは請求するからな、と一方的に告げてヴィクトリアさんは電話を切った。

 あーもう、なんて珍しい言葉も発している。

 どうかしたのかな?

 少しの間、ヴィクトリアさんは何かを考えていたみたいに顔を伏せていたけど、なにか閃いたのか顔をあげた。

 「さて、笠酒寄クン。待たせたな。こいつらの正体を教えてやろう。この迷惑極まりないバカップルの正体をな」

 さっきの電話でなにか分かったみたいだ。

 本物なのに偽物の空木君と、それとらぶらぶの女子。その正体は一体何なんだろう?

 わたしはヴィクトリアさんの答えを待つ。

 「こいつらの正体はお星さまだ」

 ? 頭の中がお星さまってことですか。


 5


 お星さまって言われても、なんていうか、コメントしづらい。

 普通の人が「こいつらの正体はお星さまだ」なんてことを言い出したらその人の正気を疑う場面なんだろうけど、ここは百怪対策室。そして言ったのはヴィクトリアさんだ。

 とんでもないことも今までたくさんあった。

 ということは今回もヴィクトリアさんはちゃんと正体にたどり着いたんだろう。

 でも、お星さまっていうのはわたしにはよくわからない。

 お星さまっていうのは空に浮かぶお星さまなのかな?

 そういう意味で言っているんなら、目の前の二人はどこからどう見ても人間だし、光ってもいない。

 もしくはとってもソフトな『死んだ』の意味なのかな?

 ……どう見ても目の前の二人は生きてる。

 それにさっきヴィクトリアさんは空木君のことを本物だって言っていた。

 それはきっとわたしが知っている空木君、ということなんだろう。

 言動は違うし、わたしのことはわかってないみたいし、知らない女の子といちゃらぶしててむかつくから認めたくないけど、再生能力といい、ヴィクトリアさんが身体は本物だと認めていることといい、本物の空木君なのは事実なんだと思う。

 となるとこの変な本物な偽物空木君は一体なんなんだろう。

 考えれば考えるほどによくわかんなくなってくる。

 わたしは考えるのは苦手だ。

 それでも、空木君に起きていることを知りたいから考える。

 ぐるぐるぐるぐる考える。

 「ぜんぜんわかりません。説明して下さいヴィクトリアさん」

 あきらめた。

 やっぱり専門家に訊くのが一番じゃないかな。

 ほら、オチはオチ屋っていうし。

 言わないかな? なんか違う気もするかも。

 「あー、そうだな。いきなりお星さまとか言ってもわけがわからないな。説明しようか」

 すっごく嫌そうな顔をしてヴィクトリアさんはタバコを取り出した。今日は普通に売っているやつみたいだ。珍しいな。とっても細いけど。

 小さな顔に似合う細いタバコを咥えて、ヴィクトリアさんはいつものライターを取り出して火を点ける。

 「ふう、笠酒寄クンも織姫と彦星は知っているな?」

 「はい。愛ゆえに引き裂かれてしまった恋人同士が年に一回だけ会うことを許されているっていうお話ですよね」

 色の薄い煙を吐き出しながら訊いてきたヴィクトリアさんにわたしは答える。

 七夕たなばたのことぐらいは知ってる。

 きらきらの快晴になったことはあまりないけど、その分だけ七夕の夜には織姫様と彦星様はそれはそれはロマンチックなひとときを過ごしているんだろう、なんてことをわたしも小学生低学年ぐらいまでは考えていた。

 そんな織姫と彦星がどうしたんだろう?

 「こいつらはな、その織姫と彦星だ。すさまじく迷惑なことにな」

 「星ですよ?」

 「だから、星なんだよ。こいつらは本来、肉体を持っていない。人の概念に寄生しているような存在なんだ。その点では『怪』に似ている部分もあるだがな」

 正確に表現するなら星を媒体にして人間のそれに対する思考を食って存在している精神的存在とでも言うべきかな、なんてことをヴィクトリアさんはとっても投げやりに言った。

 「幽霊みたいな感じですか?」

 率直に思ったことを訊いてみる。

 「幽霊とはまた違う。幽霊の形態にもよるんだが……これは別の機会に話そう。問題はこいつらの性質だ」

 性質。

 『怪』の本質は現象そのものであることが多い。

 奇妙な現象や存在は奇妙であることが存在理由になりやすいから、らしい。空木君が言ってた。

 じゃあきっとその性質がこの『怪』をヴィクトリアさんが嫌がっている理由にもなるんだろう。どんな性質なんだろう。

 ちょっと気になってしまう。

 「あー……。なんていうかだな、こいつらは七夕の日に夜空が晴れていないとだな、とある性質を帯びる」

 いまのヴィクトリアさんの表情を表すなら『うんざり』だとおもう。

 妙に歯切れが悪いのも気になるけど、ヴィうとリアさんにこれだけの顔をさせる性質って言うのも気になる。

 わたしは黙って話の続きを聞く。

 「まあ、その性質というのがだな、それぞれ人に乗り移って、それから一日中いちゃつくという性質だ。それが終わると再び霧散むさんして次の七夕まで人間の精神の中を漂ってる」

 うん? 乗り移る? それが今の空木君の状態なのかな。

 「厄介なことにだな。こいつらはある程度の適性がある人間じゃないと乗り移れない。それが何なのかはまだ分かっていないんだが、乗り移られてしまった人間は数時間経過すると自我を乗っ取られてしまう。そうなったらただの織姫と彦星だ。仕事も学業もほっぽりだしていちゃつく」

 「誰にでもは憑りつけないのに厄介なんですか?」

 能力が限定されてるのに厄介なんてことはあるのかな?

 「こいつらは乗り移る対象がいない場合はその乗り移れる対象が見つかるまで移動し続けるんだ。それこそ次の七夕までな。ゆえについた名称は『迷い星』だ」

 今は十月。七夕は七月七日。

 三か月近くもこの二人(?)は迷っていたんだ。

 愛しい人に会うために。

 それはとても美しいことだと思う。

 でも。

 「空木君がわたし以外の女の子といちゃいちゃするのは嫌です」

 本音が漏れてしまった。

 ヴィクトリアさんはきっと気づいていたんだろうけど、それでも言わずにはいられなかった。

 これは、女子の意地というかゆずれない部分なんじゃないかと思う。

 「ああ全くだ。こいつらのおかげで毎年カップルが破局したり、なんらかの混乱が起こっているんだ。統魔からしてみたら一般人がどうなろうがどうでもいいんだろうが、私は我慢ならない。人の恋路を邪魔する奴は馬に蹴られてなんとやら、だ」

 なるほど。ヴィクトリアさんも女子だったということだ。わたしの気持ちがわかるみたいだ。

 うんうん。女子同士っていうのはこういう部分がとってもいいなと思っちゃう。

 わたしと空木君の恋人関係にヒビを入れかねないこの『怪』には退散してもらおう。

 「それじゃあ、ヴィクトリアさん。どうやって退治するんですか?」

 すでにわたしは戦闘モードだ、

 外見には現れない程度に人狼を開放している。

 合図があったらすぐさまとびかかっていける。

 「退治はしない。というかできない。こいつらは散るだけで消滅はさせられない。だからここは思いっきり願いを叶えてやろうじゃないか」

 お願い? それって……。

 「いちゃつきたいんだろう? 織姫、彦星。その願いを叶えてやろう」

 あ、これ空木君をからかう時の表情だ。



 願いを叶える。

 ということは織姫と彦星に思う存分いちゃついてもらうということだ。

 ん? ということは空木君がこの知らない女子といちゃつくってこと?

 「ヴィクトリアさん。わたしは反対です。『怪』を野放しにしておくだなんてどんなことが起こるのかわかりません!」

 「本音は?」

 「空木君が他の女子といちゃつくだなんてむかつきます! はっ!」

 ヴィクトリアさんの巧妙な誘導尋問に引っかかってしまった。

 「まあそうだろうと思って、わたしにもアイディアがある。おい、織姫、彦星。お前らもちょっとこっちに寄れ」

 ヴィクトリアさんの脅しみたいな言葉に素直に二人は従う。

 四人が顔を突きつけあう形になってしまった。

 「じゃあ、始めるか」

 気軽にそう宣言して、ヴィクトリアさんはいきなり織姫(二年生女子)の首筋に噛みついた!

 「「「!」」」

 わたしも、空木君(彦星)も、噛みつかれている織姫も驚いているだけで何もリアクションできない。

 「ぁあ……くぅ……」

 なんだかちょっとえっちい声を出すのは反則だと思うんだけど、噛みつかれている当の織姫がいいならわたしはいいと思う。

 噛みついていた時間はほんのちょっとだったけど、解放された織姫はなんだかうつろな目をしていた。

 ……これってまずいんじゃないかなあ……。

 「次は笠酒寄クンな」

 「え? ちょっと待ってください。心のじゅんビぃ!」

 かぷり。

 抵抗する間もなく、わたしはヴィクトリアさんに噛みつかれていた。

 痛いはずなのに、なんだか気持ちいい。

 何かが私の中に流れ込んでくるのがわかる。

 それが何なのかはわからないけど、今はこの状態が続いてくれないかな、と思ってしまう。

 忘れてた。ヴィクトリアさんは吸血鬼だった。

 でもなんで? わたしの血を吸ってどうするんだろう? っていうかたぶん吸ってないけど。

 そんなことを考えるけど、流れ込んでくる何かにわたしは抵抗できない。なすがままだ。

 「……ぁ」

 ヴィクトリアさんの牙が離れると同時にちょっと声が漏れてしまった。

 ……恥ずかしい。

 「じゃあ最後はお前だ、彦星」

 「そんなことさせるもノグァ!」

 とっさに首筋をガードした空木君(彦星)だったけど、ヴィクトリアさんは噛みつかずに空木君の額をバシンと叩いただけだった。

 ……ちょっと残念なような、ほっとしたような複雑な気分。

 うつろな目の織姫と、叩かれた額を押さえている彦星。そして頭の中がぽわぽわしてるわたし。

 ヴィクトリアさんはいつも通り。なんだろう、これ。

 「いったいなもう! 室長、何するんですか!」

 「どうにか体の支配権は取り戻せたようだな。コダマ」

 あれ? 空木君?

 ヴィクトリアさんのことを室長って呼んでいるし、いつもの空木君?

 彦星は?

 「さて、そっちのお嬢さんを起こして帰ってもらえ。学校を抜け出してきているんだろう?」

 何が何だかわからないままにわたしと空木君は二年生の女子を起こして、百怪対策室から送り出すことになった。



 「……で、何がどうなっているんですか、室長?」

 いきなり知らない場所にいたことに困惑してる女子を送り出して数分後。

 わたしと空木君とヴィクトリアさんはいつもみたいにソファに座っていた。

 どうやら正気を取り戻したらしい空木君がヴィクトリアさんに尋ねる。

 「なに、私の能力で織姫を笠酒寄クンに移して、コダマの彦星を軽い封印術で黙らせただけだ。そっちのほうが都合がいいからな」

 すごく自慢げだ。

 「都合ってなんです? っていうか僕、なんか今日の記憶がないんですけど」

 「迷い星という『怪』に憑りつかれてたんだ。未熟者」

 「マジですか……」

 落ち込む空木君。慰めてあげたいけど、今はヴィクトリアさんの話を聞いた方がいいみたいだ。

 「迷い星が完全に肉体を支配してしまうまでには数時間かかる。その間にキミ達が存分にいちゃついてやればこいつらは霧散して来年の七夕までおさらばだ。だから命令だ。デートしてこい」

 それならしょうがない。わたしは空木君とデートしよう。また被害者が出ても困るし……ん?

 「あのー、ヴィクトリアさん。いま、デートしてこいって言いました?」

 「ああ、してこい。資金は私が出してやる。後で統魔に請求するからがっぽりとな。遠慮することはないぞ」

 「え。あの、その、あう……」

 あんまりにも突然の事態に大混乱。

 空木君の方もおんなじみたいだ。ぽかんと口を開けてる。

 「いいか? しっかりといちゃつけ。もう見てる方が恥ずかしくなってしまうぐらいにな。そうじゃないと迷い星は満足しないだろうからな。恋人同士なんだろう? 恥ずかしがることはない」

 まだ一時だから十分に時間はあるな、なんてことを呟いてヴィクトリアさんは完全に他人事モードだ。

 わたしは空木君の方を見る。

 空木君もわたしを見る。

 視線が合ってしまって、思わず目を背けてしまう。

 「そういうのはほかでやってくれ。というかまずは着替えてこい。制服のままじゃまずいだろう。三十分後に集合だ。行け」

 「「は、はい」」

 わたしと空木君、両方の声がそろった。


 7


 急いで家に戻って、ああでもないこうでもないと悩みながら着替えたけど、結局は満足いくコーディネイトにはならなかった。

 デートなんて何着ていけばいいのかわからないもん!

 しょうがないからフリルのついたブラウスにふわふわのスカートにした。

 三十分後に百怪対策室に戻った時には空木君はもう着いていた。

 ……こっちは一所懸命に選んだって言うのに空木君はジーンズにパーカーという普通のファッションだ。

 もうちょっとおしゃれしてほしかったかな。

 「じゃあ、二人とも軍資金だ。これで存分にデートしてこい。あとは任せた」

 ぽいっとヴィクトリアさんは空木君に封筒を投げる。

 なんとか空木君は受け取って、ぶつぶつ言いながらも肩から掛けていたショルダーバッグに入れる。

 同時にヴィクトリアさんは応接室から出ていく。

 たぶんお昼寝をするつもりなんだと思う。

 こうして、わたしと空木君のデートが始まった。

 


 「なあ、笠酒寄、こんなことに巻き込んじゃって悪いと思ってる」

 百怪対策室から出て、とりあえず遊べる場所にいこうということになったから、わたし達は電車に乗ってる。

 隣に座ってる空木君からそんなことを言われた。

 「ううん、そんなことないよ。だってわたし達が解決しないと他の人に迷惑がかかっちゃうんだから」

 「それでも、ほら、初デートなのに強制されたみたいになってしまって……女子的にはどうなんだ?」

 う~む。

 たしかに女子的には初デートは空木君から誘ってほしかったかもしれない。

 でも、こうして一緒いるってだけで、そんなことは吹きとんじゃうぐらいに、舞い上がってしまう。

 具体的に言うと、さっきから空木君と手をつなぎたい。

 でも、ここは彼氏のほうからつないできてほしいと思ってしまうのはいけないことかな。

 ……空木君ヘタレっぽいし、ここはわたしがリードするべきかもしれない。

 なんてことを妄想していると、目的の駅についてしまった。

 残念。

 結局、わたしは空木君の質問には答えられなかった。

 


 四星よほし駅。

 わたしが住んでいる町の隣の隣だけど、それなりに栄えてるから遊びに行くときには大抵はこの近辺になる。

 平日のお昼でもけっこう人はいたりするから不思議だ。

 お店はいろいろあるから、とりあえずは軍資金の確認だとおもう。

 「空木君、ヴィクトリアさんからもらった封筒、いくらぐらい入ってるの?」

 「そういや、確認してなかったな」

 空木君はごそごそとショルダーバッグを漁って、もらった封筒を取り出す。

 開けてみると、十枚の万札が入っていた。

 「げ」

 「うわあ」

 思わず声をあげてしまう。

 「高校生のデートを何だと思っているんだ、あの人は……」

 空木君はちょっと嫌そうだ。

 確かに、ちょっとびっくりしちゃったけど、どうせ統魔に請求されるんだから使わないと損だと思う。

 というわけでわたしの中ではもう最初の目的地は決定してしまった。

 「空木君、これはいくしかないね」

 「……どこにだよ?」

 「ショッピングだよ!」

 


 大型のショッピングモールにはいろんなお店がある。

 その中でも一番多いのは服屋さんだと思う。

 そんな中の一つにわたしと空木君は来ていた。

 もちろん女の子向けの店だ。

 「どうかな? 空木君」

 「緑と赤は補色関係にあるから相性はいいけど、引き立ち過ぎて目にきついな」

 むう。

 結構自信あったんだけど、空木君的にはお気に召さない感じだったみたいだ。

 「あと、上が緑で下が赤だからいちごを連想してしまうな」

 いいじゃん、苺。

 甘酸っぱいやつが好き。

 「じゃあ次のね」

 「ほいほい。最終的には笠酒寄が好きなやつを購入していいて思うんだけどな」

 ……空木君って女子の心に対して鈍い。

 ちょっとむくれながらも、わたしは次の服を試着し始める。

 今日は絶対に可愛いっていってもらうんだから!

 ……こういうのもデートなのかな。



 結局、わたしは五着も服を買っちゃったけど、空木君は一着も買わなかった。

 「特にこだわりはないしな」

 彼女とのデート用におしゃれな服ぐらいは持っててほしい。

 でも、荷物を持ってくれるのはうれしい。

 「次どうする? 何か食べに行くか?」

 だめだ。このままじゃデートじゃなくて友達とのお出かけで終わっちゃう。

 それじゃあ織姫も彦星も納得しない。

 もっとらぶらぶな感じが必要だ。

 きょろきょろと周りを見渡してみると、『それ』はあった。

 「空木君、あれ」

 「ん? なんだよ」

 わたしの指さした方向を空木君も見る。

 〈花蜂はなばちにラブレター〉

 映画だった。

 たぶん、恋愛ものだと思う。

 女優さんが写っているだけのポスターだから、詳細はわからないけど、デート中のカップルといったら映画でしょ!

 暗い空間で、隣同士になったらいくら空木君が鈍くても、多少はどきどきすると思う。

 そう決めたら、突進!

 わたしは空木君の手を引いて映画館のほうに向かって行った。


 8


 暗い空間に二人並んで座っているっていうのはそれだけでちょっと、何かを期待しちゃう。

 いやいや、これは空木君にときめいてもらうための作戦なんだから、わたしがときめいてどうするんだろう。

 でも、自然と、どきどきしちゃう。

 映画館ではすぐの上映にまだ空きがあったから、隣同士の席にしてもらった。

 こういう時に上手くいくのは迷い星のせいなのかな。それとも、神様は愛する二人を応援してくれるのかな。

 都合よく考えよう。

 とにかく、この映画が上映している間にどうにかして空木君から手を握ってほしい。

 まさかリクエストするわけにもいかないから、映画の内容がとってもロマンチックなかんじとゆうことに期待するしかない。

 空木君はヘタレだし。

 そうして、〈花蜂にラブレター〉は始まった。



 思ったとおりに恋愛映画だった。

 仕事馬鹿の男の人に女の人が恋しちゃって、思いを伝えようとしするけど、上手くいかない。

 そんな感じの内容だ。

 ……とにかく、わたしみたいな主人公。

 空木君は仕事でわたしと一緒にいてくれているのかな?

 今日デートしてくれているのも、『怪』の解決のためなのかな?

 わかんない。

 もしそうなら、とっても悲しい。

 映画はもうクライマックスに突入してきている。

 やっとお互いに思いを告げられた二人が、夜景を眺めながら手を繋いでいる場面だ。

 映画の中のことだってわかっているのに、わたしは画面の中の二人に嫉妬してしまう。

 そっと、わたしの左手に温かい何かが触った。

 なんだろう? 

 左手を見てみると、わたしの手の上に空木君の手が重なっていた。

 どきん、と心臓が跳ねる。

 空木君の体温が伝わってくる。

 それだけでわたしの体温も上昇してしまう。

 でも、嫌な感じじゃない。

 このままずっとこの時間が続けばいいのに。


 

 いつの間にか映画は終わってしまっていた。

 館内が明るくなって、他の人たちはそれぞれに出ていく。

 わたしは空木君の手がまだ私の手に重なっていることにどきどきしていた。

 「う、空木君。映画……終わっちゃったね」

 「あ、ああ。そうだな」

 慌てて空木君は手を離す。

 もうちょっと黙っていたらよかったかも。 

 少しだけ名残惜しく思いながらわたし達は映画館から出た。



 そろそろいい時間だから、ここで夕食を食べていくことにした。

 このショッピングモールには二階にレストランがある。

 その中にはバルコニーで景色を眺めながら食べることができるお店がある。

 ちょっとお高いお店だから普段なら行けないけど、今日はヴィクトリアさんからお金をもらっているからそこにした。

 もちろん、バルコニーの席だ。

 まだ、ちょっとだけ夕食には早いからわたし達の他にはバルコニーにお客さんはいなかった。

 貸し切りだ。

 わたしと空木君だけ。

 料理を注文してから二人とも何も言わない。

 「あ、あのさ」

 「あ、あのね」

 「「……」」

 「笠酒寄のほうからいいよ」

 「あのね……あの……キスして」

 一気に空木君が固まった。

 ガチガチだ。石像みたい。

 「い、あ、その……えっと……」

 辛うじて、言葉みたいなものはでるけど、意味なんてものはなくて……。

 ちょっとかわいいな、と思ってしまう。 

 わたしはちょっとだけ空木君のほうに身を乗り出す。

 もちろん、空木君がキスしやすいようにだ。

 もう、空木君は顔を真っ赤にして、パクパク口を開け閉めしてるだけだ。

 ちょっとだけそれが続いたけど、何かを決心したみたいにわたしをはっきりと見た。

 そして、ためらいながらも顔を寄せてくる。

 ああ……初キッス。

 もうちょっとで唇が触れるという時に、『それ』はでてきた。

 「ああ、彦様。この二人の初々しさといったらなんなのでしょう! こんなにも一途にお互いを想い合っているだなんて、まるで最初の頃のわたし達のよう! 愛とはやはり美しいですわ!」

 「ああ、そうだね織姫。そしてどうやらこの二人、これから接吻(せっぷん)しようとしているみたいだ。若人わこうどを応援してやろうじゃないか」

 昔っぽい服を着た男女。

 ちょっと透けているから肉体を持っていないのはすぐにわかるし、口調から織姫と彦星ということもすぐにわかった。

 ……すっごい邪魔。


 9


 「あら? 彦様、二人とも様子がおかしいですわ。どうしたのでしょう?」

 「ああ、きっとほんのちょっとの勇気が出ないんだろう。僕たちで応援してあげようじゃないか」

 「それはいい考えですわ! 流石は彦様。ではちぎりを交わさんとする二人にわたし達からのはげましを!」

 ……ちっともいい考えなんかじゃないから、消えてよ。

 ものすごーく、わたしは怒ってる。

 髪の毛がざわざわと動いているのがわかる。

 人狼化しそう。

 そんなわたしの気も知らないで、織姫と彦星は声を合わせて、わたし達を『応援』しだした。

 「「あ、そーれっ! 接吻! 接吻! 接吻! よいよい!」」

 殴っていいよね? ムードぶち壊しだし、もうキレていいよね?

 自分に確認したけど、わたしのぜんぶがOK出しているからもういいや。

 もう、すんごい殴る。殴れなくても殴る。

 わたしの中の人狼が解放されそうになった瞬間、どこからともなく、二枚の紙が飛んできた。

 ううん、なんだか文字が書いてあるし、おふだって言ったほうがいいかもしれない。

 そのお札はぺたりと織姫と彦星の体に張り付く。

 「あら? 彦様、これは?」

 「うん? どうも一時的な封印術の札みたいだね」

 「あら、残念ですわ。せっかくわたし達が力添えをしてあげようというのに。無粋ぶすいですわね」

 妙に落ち着いた感じで織姫と彦星はお札に吸い込まれるように消えてしまった。

 わたしは怒りのやり場を失くして、力が抜けてしまう。

 そして、気づいた。

 空木君の顔が目の前にあることに。

 空木君の目がまっすぐにわたしを見ていた。

 こんなにも近くで空木君の顔を見たのは初めて。

 そして、わたしはやっぱり、空木君のことが大好きなんだとわかった。

 真剣なまなざしの空木君。

 わたしはそっと目を閉じる。

 少し間を置いて、唇に柔らかい感触があった。



 そのあとのことはよく覚えてない。

 なんだか、とってもぽわぽわした感覚だった。

 ついでに、わたしと空木君の体から光の粒みたいなのが出ていったのも何とか覚えてる。

 でも、他の、そのあとの会話とか、何を食べたのか、とかは全然覚えてない。 

 気が付いたら、わたしの家の前にまで来ていた。

 ふにゃふにゃの頭のままで空木君と別れる。

 おかえりなさい、と迎えてくれるお母さんに生返事をして、自分の部屋に行く。

 ベッドに倒れこんで、そのままファーストキスの感触を思い出して、足をばたばたする。

 まだ、どきどきしてる。馬鹿みたいだけど、抑えられない。

 顔もまだ熱い。

 少し冷まそうと思って、洗面所に行って顔を洗っていると、確認しておきたいことができた。

 思い立ったらすぐ行動!

 わたしはコンビニに行ってくると嘘を吐いて家を出た。

 


 百怪対策室応接室。

 いきなりやってきたわたしをヴィクトリアさんはすんなりと入れてくれた。

 ついでにコーヒーも淹れてくれている。空木君はいない。

 「それで、織姫と彦星はどうなった?」

 コーヒーを置いて、ソファに座りながらヴィクトリアさんは訊いてきた。

 「お空にのぼっていきました。たぶん」

 「まあ、今の笠酒寄クンからは織姫の気配を感じないから、恐らくは霧散したんだろう。成功だな。ありがとう」

 ヴィクトリアさんは柔らかく微笑む。 

 織姫と彦星が三か月も迷っていたのは統魔のせいだけど、今回のヴィクトリアさんはやけに協力的だった、気がする。

 「……これで、二人は来年の七夕まで離れ離れなんですか?」

 「そうだ。しかし、七夕には降りてくる。来年はきちんと統魔が仕事をしてくれることを祈るがな」

 「ダメダメな人もいるんですね。統魔にも」

 「まあ、仕方ない。全員が有能な集団なんて存在しないだろうからな」

 「いくらぐらい請求するんですか? 今回の解決料」

 「色を付けて二百万ぐらいかな。自分たちの無能さを呪ってくれ、といったところだな」

 「あのお札って、ヴィクトリアさんが作ったんですか?」

 「いや、あれは知り合いの陰陽師に……む」

 今度はわたしが誘導に成功した。

 「やっぱり尾行けてたんですね!」

 「むう……あ、あれだ。ほら、きちんと解決したのか確認しないといけないからな。プロとして……」

 あたふたしながらヴィクトリアさんは弁解する。

 覗きはちょっとあれだと思うけど、わたし達のことを心配してくれたんだと思う。

 だから今回は許そう。

 「今度からは尾行禁止です」

 「しょうがない。わかった」

 参った、という感じにヴィクトリアさんは両手を上げる。

 ただし、交換条件はあるけど。

 わたしは手を差し出す。

 「なんだ、笠酒寄クン。口止め料でも欲しいのか?」

 そんなのは欲しくない。欲しいのはただ一つ。

 「空木君とのキス、撮ってますよね? だしてください」

こうして、わたしは普通の人は絶対に持っていないだろうファーストキスの瞬間の画像を手に入れた。

 これは、きっと宝物になる。

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