第四怪 マンドラゴラ

 1


 「コダマ、週末は金曜から泊りで出かけるから準備しておけ」

 九月の末、やっとうっとおしい残暑もマシになり、そろそろ秋の到来に対して少しは備えておこうと思っていた矢先に突然そんなことを言われた。ちなみに今日は木曜だ。

 「室長、突然なのはいつものことですけど、なんで週末なんですか?」

 こうやって思い立ったが吉日、とばかりに僕に買い物に行かせたり(内容はゲームやら漫画)、『怪』らしきものの調査やら収集やらを命じるのはいつものことであるが、週末を押さえられるということは初めてだった。まあ、夏休みは毎日休みだったのだから休日を抑えられていた、と言えなくもないだろうが。とにかく、学校が始まってからは初めてだ。

 初めてのことには警戒してしまう。

 室長が食い散らかしたお菓子のごみを片づけつつ、僕はまた変な漫画でも読んで影響されて僕を面倒に巻き込むつもりなのだろうか? などと邪推してしまう。

 百怪対策室びゃくかいたいさくしつ応接室。時刻は午後六時。つい先日、とある霊と家族愛に関わる『怪』を終えたばかりの僕としては面倒事は避けて通りたい。

 「残念ですけど、週末は友達とダンスパーティの予定なんです。泊まりなんてお断ります」

 「嘘をつくな。キミに友達とダンスパーティなんてやるような根性があるものか。どうせ開いても来る人間は笠酒寄かささきクンぐらいだろうがな」

 ……人の気にしていることをピンポイントでついてくる人だ。高校入学以来、少しばかりいままでの友達とは疎遠になってしまっているのは事実だが、即座に否定まですることはないだろう。

 ちなみに今日は笠酒寄不在だ。家の用事とやらで来られないということを昨日聞いて室長も了承している。そもそも笠酒寄は室長に雇われているわけではないので本来は来る必要もないのだが。

 特に今日は何もすることがなく、室長はずっと葉巻をふかしながら分厚い本を読んでいるだけだったし、僕の方も宿題をやっているだけだった。このまま何事もなく今日という一日が終わるはずだった。

 しかし突然週末の予定を決められてしまった。

 これには温厚な僕も断固として抗議の意を示したいところである。

 「そもそも雇用契約的にあんまり働かせすぎるのはまずいんじゃないですか? 労働基準法違反になってしまいますよ」

 法律の力を盾に使う。単純だが、効果的な手段だ。

 法治国家の日本においてこれほど効果的なものはそうそうない。

 たとえ常識というものを踏みつけながら存在しているような室長でもお縄になるようなことは避けたいだろう。日本で生きていくつもりなら。

 「大丈夫だ。今回はキミの用事でもあるんだからな。私用ということなら問題ない」

 「はい? どういうことですか。室長と一緒に出掛けるような趣味は有りませんよ」

 「統魔からの呼び出しだ。キミの正式登録の準備ができたらしい。あと私と一緒に出掛けることを何だと思っているんだ」

 うげえ。

 そういえば夏休みの一件で僕は統魔に魔術師見習いとして登録されているのだった。

 統一魔術研究機関。世界中の魔術と魔術師を管理する団体。

 夏休みにいったん仮登録となってそれ以降音沙汰がなかったのだが、今更になって準備が整ってしまったらしい。

 「それ取り消しとかできないんですか? 正直、魔術師になるつもりなんてないんですけど」

 僕の目標は平穏に、平凡に生きることだ。今のところ百怪対策室に関わっている以上は叶わない夢だろうが、捨てる気はない。正式に登録なんぞしてしまったら平凡からは遠ざかってしまう。そのままなし崩し的に世界の裏街道まっしぐらというのはご勘弁願いたい。

 「別に魔術師として統魔で勉強しろ、というわけじゃない。あくまでも『怪』に関わるのならば登録しておいた方が便利というだけだ。第一、登録してなかったらD指定以外のアイテムを使うどころか所持することができないぞ。手元に便利なものがあるのに使えずに死ぬなんてことは望まないだろう?」

 その上に下手C指定以上のモノを使ったり、所持したら拘束指定を食らってしかるべき場所で監禁生活だ、とついでのように脅してくる。

 確かに僕が魔術師として扱われていたことによって解決したことは多い。もし一般人のままだったら今現在生きていないかもしれないのだ。とはいえ、魔術師を名乗るつもりも魔術を研究するつもりもない身の上としては統魔に管理されてしまうというのはなんとも嫌な気分だ。

 「安心しろ。統魔の掲げるお題目はあくまでも魔術の研究と継承と発展だ。それを邪魔しない限りはキミをどうこうしようというつもりはない」

 あくまでも読んでいる本からは視線を外さずに淡々と室長は言う。

 というか完全に僕の考えが読まれている。そんなに僕はわかりやすいのだろうか? いや、大抵の人間は管理されるということを嫌がるから経験的にわかっているのかもしれない。

 どうも行かざるを得ないようだ。気は進まないが世界中にネットワークをもつ団体に目を付けられるということがどういうことになるかということぐらいはわかるつもりだ。

 なんでこうも僕の望みとは反対のほうに行ってしまうのだろうか?

 僕の好みはハリウッド映画よりもホームコメディなのに。

 僕の人生の演出監督が僕以外にいるのなら出てこい。問い詰めてやる。

 この際、室長にすべて手続きは丸投げにしてしまうという手段もあるが、それだけは絶対にやめたほういい。いつの間にかマジックアイテムとして登録されてしまう可能性すらある。

 僕をからかうためにならば労を惜しまない人なのだ。

 結論として、僕は週末を潰して統魔に行くしかないのだ。望むと望むまいと。

 はぁ。

 いつものようにため息が漏れる。

 ため息を一つで幸福が一つ逃げるなんてことを言われたことがあるが、それならばここ最近で僕はかなりの量の幸福を逃していることになってしまう。なのでそれは迷信であると信じておくことにする。


 2


 翌日、金曜日。ハイツまねくね駐車場。午後五時。

 「……なんでお前もいるんだよ」

 週末を使って統魔に赴くことになった僕は前日になんとか準備を終えて学校が終わり次第、自宅に戻り荷物をひっつかんでハイツまねくねの駐車場に来たのだが、そこにはやたらとデカいキャリーバッグを傍に置いた室長と肩掛けのデカいバッグを持った笠酒寄が待っていた。

 「なにって、昨日あれから笠酒寄クンにも電話して訊いてみたんだが行きたいらしくてな」

 笠酒寄のかわりに室長が質問には答えてくれた。が、元凶はアンタか、という思いが湧いただけだった。

 頭痛がしてくる。

 「室長、ちょっと待ってください。統魔に行くんですよね? 笠酒寄は魔術師じゃないし、登録もする予定はないですよね?」

 「そうだな」

 あっけらかんと室長は答える。

 「じゃあ、笠酒寄を連れていくとマズいんじゃないですか。一応は統魔の存在は一般人には秘密なんでしょう?」

 「問題ない。笠酒寄クンには私の知り合いのところで待っていてもらうからな」

 嫌な予感しかしない。室長の知り合いは多かれ少なかれ厄介ごとを持ってくる存在だ。そういったものに笠酒寄が巻き込まれてしまうというのは後味が悪い。

 「いや、室長の知り合いとか嫌な予感しかしないんですけど」

 もはやストレートに言うしかないだろう。下手に小細工を弄するよりもこちらの方が効果的だということに最近気づいた。

 「安心しろ。預ける相手は魔術師の中でも腕利きだから金庫の中よりも安全だ」

 信用できない。

 室長の言葉を信じて何度痛い目にあったことだろう。いや、あれらは僕がしっかりと室長のいうことを聞かなかったということなのかもしれないが。

 「それでも魔術師なんだから何かしらのごたごたに巻き込まれる可能性は高いでしょう? そんな場所に置いておくのは反対です」

 「心配してくれるの? 空木うつぎ君。でも大丈夫、わたしは平気だよ!」

 どっちかというと兵器だけどな。

 なんて言葉遊びをしている場合じゃない。とにかく笠酒寄がついてくるというのはなんだかとてつもなく嫌な予感がする。具体的に言うと最終的に僕が殴られる展開になる気がする。再生能力はあるものの、痛覚は普通に存在している。殴られれば痛いし、骨が折れると治るまで滅茶苦茶痛い。あとかゆい。

 持っていく爆弾は一個で十分だ。

 室長のほうを説得するのは諦めた。こうなったら笠酒寄の行く気を削ぐ方向性で攻めることにしよう。あんまり気は進まないが。

 「なあ、笠酒寄。僕たちの用事にお前が付き合うことなんてないんだ。どうせついて行ってもなにも面白いことはないぞ。貴重な週末をただボーっとするだけで浪費するなんていうことはお前も望むところじゃないだろう?」

 「ボーっとするのはわたし好きだけど?」

 カウンターを放ってきやがった。

 しかも強烈なクロスカウンターだ。レフェリーがいたなら試合を止めるぐらいの一撃である。セコンドはタオルを投げるだろう。というか僕自身がギブアップ宣言したい。

 されども、ここで引いてしまったらこの先の僕自身の心労が増える。若くして白髪になったり、禿げたりするのは勘弁してほしい。

 そんな思いに突き動かされて、なおも笠酒寄を説得しようとした矢先にいつの間にか運転席にいた室長から声をかけられた。

 「コダマ、笠酒寄クン、早く乗れ。あと三十秒で乗らないと縄でくくりつけてそのまま三時間ほど引きずり回すぞ」

 宣言。こういう時の室長は本当に実行する。特に僕に対してならば迷いなくやるだろう。中途半端に再生能力があるというものも考えものだ。

 「ほら、空木君。早くしないと削れながら行くことになるよ?」

 目を離したすきに笠酒寄はすでに後部座席に搭乗していた。ホントに室長に似てきやがった。

 「カウント始めるぞ。じゅう、きゅう、はち……」

 「わかりました! わかりましたって! だからカウントはやめてください!」

 必死に後部座席に転がり込む。

 なぜ後部座席なのかというと、助手席には室長が自分のキャリーバッグを置いていたからだ。決して、笠酒寄の隣に座りたいと思ったとかではない。そう、これはしょうがないことなのだ。

 そんな言い訳がましい心境でクルマに乗り込む。

 同時にシートベルトもしていないのに室長がクルマを発進させる。

 運転は丁寧だが、同乗者には容赦がない。危うく笠酒寄のほうに転がってしまうところだった。

 「ちょっと室長。安全確認はきちんとしてくださいよ。そもそも免許持ってるんですか?」

 元々外国人の上に、魔術師なんてあやしい職業の室長が免許証を持っているかなんて聞くまでもないことだが、少しは反撃したい。

 「持ってるぞ。ほれ」

 前を見たまま室長はこちらにパスケースを放ってくる。持ってやがった。

 わたしも見せてー、とほざいてくる笠酒寄を無視しながら確認する。

 確かに、本物の免許証だ。顔写真も室長のものだ。しかし……。

 「これ、室長が二十八歳ってことになっているんですけど」

 「当然だ。約四百歳なんて申請できるか。戸籍はある人物に協力してもらって作ってる。これで五代目ぐらいだな」

 ばれたら一発で警察のお世話になりそうな犯行を白状する。たぶん、何かしらの権力も絡んでいることだろう。その辺に突っ込むと僕自身のほうが火傷しそうなのでやめておく。賢明になったものだ、僕も。

 そのあと三時間ぐらいは普段の百怪対策室の中とあまり変わりがなかった。

室長が魔術やら日本のサブカルチャーやらについての与太話を展開したり、それに笠酒寄がやたらに食いついたり(攻め寄りリバとかなんだ? 相撲の新技か?)、どこからともなく取り出されたお菓子に笠酒寄が舌鼓を打っていたり、僕が室長にからかわれたりと散々だった。

 そんな場所だけが変わった時間が三時間ほど過ぎて、とある街中のコインパーキングで室長はクルマを停めた。

 なんということはない場所だ。

 強いていうならば僕が住んでいる町よりも都会だということぐらいか。

 ここに統魔が存在しているのだろうか?

 「二人とも降りろ。荷物はそのままでいい」

 言うだけ言って自分がさっさと降りてしまう。

 逆らってここに置き去りにされても困るので、僕も笠酒寄もとっとと降りる。

 そこから十数分。狭い路地、いや裏通りと表現するのが正しいような場所。

 そんなところで僕たちは足を止めていた。

 時間はすでに夜の九時。週末ということもあってかなり周りの喧騒はかなりのものだ。

 そんな中、明らかに未成年の二人と、見るからに未成年の一人はギラギラとネオンの輝く一件の店舗の前にいた。

 〈Bar マジカルカントリー〉

 「ほれ、圧倒されてないで入るぞ。ここが目的地だ」

 マジですか。


 3


 「あら? ヴィッキーじゃない! ひさしぶりぃ~。元気してた? アタシは見ての通りだけどねぇ~」

 入って早々にやたらとハイテンションに呼びかけられた。生憎と僕はヴィッキーなる呼び方をされる覚えはないので対象からは外れるだろう。そしてもちろん、かすりもしてない笠酒寄も除外される。よって結論としてヴィッキーなどと呼ばれたのは室長という帰結になる。証明終了。

 「ああ、八久郎やくろう。確かに元気そうだな。相変わらず久道院くどういんの家には戻っていないのか?」

 「いやぁねぇ~、言ったでしょ? アタシは八久郎じゃなくてミ・サ・ト」

 「そうだったな。すまんすまん」

 はっはっはっはっ、と二人は快活に笑う。

 どうやらヴィッキーというのは室長のことで間違いなかったらしいが、呼びかけた人物のほうが問題ありだった。

 緩くウェーブしたロングヘアを後ろでポニーテールにしている。着ているのは肩が露出した紫色のイブニングドレス。化粧のほうも上品にまとめており、高い技量をうかがわせる。ここまではいい。しかし、その身長は百九十はありそうだし、露出した肩も筋肉で隆起していた。その上に声もやけに響くバリトンボイスで、すべてがごっちゃになってすさまじいカオスを生み出していた。つまりはやたら背の高い筋肉質なオカマに僕らは迎えられたのだった。

 軽く吐きそうになる。

 「あら、その子たちは? とうとう弟子でも取る気になったの?」

 やばい、気づかれた。

 できればこのまま室長とは他人のふりをしていたかったのだが、それもかなわぬ夢だったようだ。なんてことだ。

 「いや、一人は助手の空木コダマ、一人は助手の友人の笠酒寄クンだ。私が統魔に用があってな。ちょうどいいからお前に紹介しておこうと思ったから連れてきた」

 なんだそれ。聞いてない。というかこんなのに紹介されると知っていたら全力で逃げていた。ハメたな、室長。

 「あらん、ずいぶん可愛いコ達ねえ……特にそっちのポニーの男の子、アタシとお揃いね」

 僕に視線を向けるのはやめてほしい。その上、自分との共通点を見つけるのもやめてほしい。なるべく視線を合わせないようにしよう。だからその流し目をやめてくれ。

 「は……あはは……ありがとうございます……」

 自分でも表情が引きつっているのがわかる。かなりぎこちない返事だったのだが、僕は自分をよくやったとほめてやりたい。

 「あまりこいつに粉をかけるのはやめておけ。うしろの笠酒寄クンが怒るぞ」

 「あぁん、青春ねぇ~。うらやましいわぁ」

 自分の身体を抱きしめながらくねくねするのは本当にやめてほしい。さっきから精神的ダメージが大きくて吐血しそうだ。

 笠酒寄のほうはどうだろうかと視線を送ってみると、頬を膨らませてオカマのほうを据わった目で見ていた。

 こんな場所で人狼の力を使うなよ? ひやひやする。

 「開店時間はまだだろう? 私とこのコダマは統魔に行ってくるからこっちの笠酒寄クンをここにいさせてくれないか?」

 「いいわよぉ~。どうせヒマだしね。扉はいつものやつだからねぇ~。笠酒寄ちゃんだっけ? よろしくね」

 交渉成立らしい。しかも今ので僕たちの名前も憶えられてしまったっぽい。

 「室長、この人大丈夫なんですか?」

 こっそりと室長に耳打ちする。

 「大丈夫だ。久道院八久郎、いまはミサトなんて名乗っているが陰陽師の名家出身で、統魔に所属している魔術師の中でもトップクラスに腕が立つ。基本的には善人だから少しの時間ぐらいは問題ない」

 嘘くさい。

 とはいっても、このまま時間を浪費しても僕の胃に穴が開くだけなので、ここはもう迅速に用事を終わらせてこの場所から離脱するのが正解だろう。最早一刻の猶予もない。

 「じ、じゃあ、笠酒寄のことをよろしくお願いします、八久郎さん」

 店の奥に向かっている室長の後を追いながら僕は一応念を押すために言っておく。

 「んもう、アタシは八久郎じゃなくて、ミ・サ・ト。その辺よろしくね」

 ウインクが殺人兵器だ。

 「笠酒寄、絶ッッッ対に騒ぎを起こすなよ?」

 一応笠酒寄の方にも念を押しておく。

 「……わかった」

 憮然とした様子ながらも一応は承諾してくれた。

 なんでこんなに僕が心労を重ねないといけないんだ。

 ため息を吐きながら僕と室長は従業員しか入れないであろう扉をくぐる。

 いくつかのドアがあったが、その中に異質なものが一つだけあった。

 現代風の店内には似つかわしくない重厚な木製のドア。大きく『店長以外立ち入り禁止』と書かれている。

 迷うことなく室長はそのドアを開けて中に入っていく。当然、僕も続く。

 中はなぜか野外だった。

 目の前には近代的なビルディングが一件。それ以外には何もない。ただ草原が広がっているだけだ。

 驚いて後ろを振り返る。

 そこには小さな小屋が一つあるだけだった。

 何らかの魔術で空間を繋げているのだろうか。これ自体が『怪』になりかねない。……一応は魔術師の管理下にあるので問題なしということになっているのかもしれないが。常識がぶっ壊されていく。

 すたすたと室長はビルディングの中に入っていく。

 こんなところに置いてきぼりにされて、迷子になってもしょうがないので僕もついて行く。気分はアヒルの子供だ。

 自動ドアを通り抜け、中に入ると受け付けらしき人がいた。それなりの美人の女性である。

 「ヴィクトリア・L・ラングナーだ。魔術師見習いの正式登録と依頼の件を聞きに来た」

 「はい、お待ちしておりましたラングナー様。六番の部屋にてお待ちください」

 礼儀もなにもあったもんじゃない室長の言葉にも丁寧に対応するお姉さんだった。プロ根性というやつだろう。まったく、少しは室長にも見習ってほしい。

 お礼も言わずに室長はさっさと歩いて言ってしまったので、僕は一応、ありがとうございます、という言葉をかけてから後を追う。なぜか微動だにしなかったのが気にはなった。

 が、しかしそれよりももっと気になることがあった。

 「室長、ちょっと待ってください。依頼って何のことですか?」

 「なに、統魔からの私への調査依頼が来ていてな。それもついでに片づけてしまおうという魂胆だ。一石二鳥というやつだな」

 「聞いてないんですけど」

 「言ってないからな」

 ここまで人間をイラつかせることができるというのはある種の才能ではないだろうか。

 絶対にこの感情は忘れないと誓いながら僕は室長の後を追う。

 飾り気のない無機質な鉄の扉の前で室長は足を止めた。扉の上には『六』と大書してある。

 六番、これのことか。

 迷うことなく室長は中に入り、机を挟んで置いてある四脚の椅子の一つに座る。僕もそれに倣って空いている一つに座る。

 二、三分したときだろうか。ドアをノックする音が響いた。

 「いるぞ」

 きわめて簡潔に、そして失礼に室長は答える。

 それを受けてか、きしむ音さえも立てずにドアは開いた。


 4


 僕と室長、そして笠酒寄は現在とある山中にいる。

 なぜこんな状況なのかということをかいつまんで説明すると、統魔の依頼を室長が受けたからだ。終了。

 すさまじく省略してしまったが、それ以外に述べることがない。細かいところを述べると、統魔の執務官と名乗った人に対してやたらにナメた口をきいていたとか、僕の魔術師見習いの承認はハンコ一つで終わってしまったとか、統魔(あそこは日本支部だったらしい)から戻ってみたら笠酒寄がやたらと八久郎さんと意気投合していたとか、いくつかはあるのだが、ここでは詳細はいらないだろう。というか笠酒寄を連れていくときの状況を思い出したくない。

 絶対に。死んでも。

 しかしながら、なぜ僕たちは山に登っているのか、ということに関しては言及するしかない。

 戻れずの山。

 この近辺ではそう呼ばれていたらしい。

 らしい、というのは既に統魔が情報統制をおこなっており、熊が出没するから立ち入り禁止という情報で上塗りされてしまっているからである。執務官の人はそう言っていた。

 この山では過去に何十人もの人間が帰ってきていないらしい。

 山自体は特にこれと言って特徴のないものだ。高くもなく、低くもなく、断崖絶壁があるとか、猛獣が出るとかいうことはない。

 それにもかかわらず、この山に入った人間は帰ってこない。

 自殺とかそういった関係ではなく、おそらくは他殺。もしくは山に定住してしまっているということもあるかもしれないが、航空写真を撮った結果、人工物は全く見られないというものだった。現代人が年単位で小屋もろくにないような山の中で生きていられるだろうか?

 室長のような人外を除いては無理だろう。

 そんなのが日本にごろごろしていたら困る。というか統魔が黙っていないだろう。

 つまりは一般人が犠牲になっているということだ。

 もし、この事件に魔術的なものが関わっていたとしたら一般人に対して被害を出す魔術師が関係しているという可能性がかなり高い。このまま事件が解決しなければ徹底的な調査が入ることだろう。

 最悪、魔女狩りの再来を招くことになってしまう。そういった事態を懸念して、統魔は調査を決断したのだった。それも並大抵の魔術師では返り討ちになってしまう可能性もあると考え、統魔には所属しておらず、確かな実力を持っている室長という便利な存在に目を付けたというわけだ。僕たちは完全に巻き込まれた形になる。

 どうして僕はこうなのだろう。

 一応の抵抗は示し、一般人の笠酒寄を理由に拒否したのだが、首根っこをつかまれてクルマに押し込められてしまった。

 それからは山の麓までノンストップだった。

 幸いにも山自体は近くだったので一時間ほどで到着はしたものの、それから調査の為に山登りが始まった。

 夜も深まり始めた時間に登り始めるなんてことは普通の人間なら自殺行為なのかもしれないが、僕たちには関係ない。人狼と、吸血鬼と、なりそこないの吸血鬼。夜闇で視界を奪われるなんてことはなく、山道に体力を奪われて途中でへばるなんてこともなく、中腹ぐらいまではすぐに登ってきてしまったのだった。こういう時には自分自身の身体能力がうらめしい。

 「室長、そろそろ結構登ってきたんですけどまだ何もないんですか?」

 おそらくは僕の表情を一言でいうなら、『うんざり』という表し方になるだろう。自分では見えないがそれぐらいはわかる。

 「そうだな、いまだに魔術、もしくはそれに類するものは発見できていないな」

 対する室長は涼しい顔だ。まったくもって憎たらしい。

 「本当にここって危ない山なんですか? わたしは普通だと思うんですけど……」

 笠酒寄、それは僕たちが一般人とは言えないような存在だからだ。第一今は夜中だ。明かりもなしに山の中を進んでいるというのは完全に異常だからな。

 人狼も吸血鬼も夜目がきく。昼間と変わらないとまではいかないが、少しばかり見づらいぐらいの状態だ。大して支障はない。

 「山自体はごくごく普通の山だな。しかし、どうにも妙だ」

 「何が妙なんですか?」

 「私達が登っているこの道だ。誰が整備しているんだ?」

 そういえば、確かに。

 僕たちがいま歩いている道はかなり荒れてはいるものの、手が入っていないわけではない。人が通れるぐらいには整備されている。とはいってもそれはかなりお粗末なものではあるのだが。妙だといえば妙だ。

 「管理人さんでもいるんじゃないですか?」

 「入ってきた人間が戻ってこない山にか? 健忘症の気でもあるのかコダマ」

 一瞬で切り払われてしまった。まあ、今のはたしかに概要を僕が忘れていたのが悪い。

 となると、やはりこの山には何かがいる、もしくはあるということは間違いないだろう。しかもそいつはある程度の知性を持っているということになる。厄介だ。

 そんなことを考えていると室長が突然止まった。

 僕と笠酒寄も足を止める。

 「どうしたんですか?」

 いままでずんずん進んでいた室長がいきなり歩を進めることを止めてしまったので流石に気になる。

 「なにかいるぞ。コダマ、笠酒寄クン、気をつけろ」

 その言葉で僕たちに一気に緊張が走る。

 「笠酒寄、何か聞こえるか?」

 この中で一番聴力に優れるのはおそらくは笠酒寄だ。視界が普段よりも多少なりとも制限されている以上、この場合は笠酒寄の聴力を頼るほうがいいだろう。

 僕が尋ねる前に笠酒寄は獣耳を形成していた。察しが良くて助かる。

 「…………何かはいるみたいだけど、人間じゃないよ。もっと小さい、人間じゃないと思う」

 いることは確かなようだが、人間じゃないと来たか。いわゆる妖精とか子鬼ゴブリンの類だろうか? いや、それなら室長が真っ先に気づいているはずだ。性格は悪いが仕事に関しては室長が手を抜くことはない。

 一応室長にも確認しておくか。

 「室長、相手の正体に心当たりはありますか?」

 「わからん。少なくとも生物、そしてサイズが小さいということから人間ではない。ついでに言うと妖精やら妖魔でもないな」

 「そんなことまでわかるんですか?」

 「そういうのだったらとっくに襲ってきているからな」

 なるほど。わかりやすくて助かる。しかし、まだ相手の正体はわからないままだ。

 警戒態勢のままに数分が過ぎる。

 カサカサという音は僕にも聞こえるぐらいには近づいてきた。大体の方向はわかるが、正確な位置はわからない。そもそも僕の能力は視線が通ってないと通用しない。となると頼りになるのは室長と笠酒寄になるが……

 「あだッ」

 どうも思考に気を取られていたのがまずかったのか何かが飛んできたことに気づかなかった。

 とはいってもそこまで痛くはない。下の地面を見てみると小さな石が落ちていた。

 これが飛んできて僕の頭に当たったのだろう。

 ということは飛んできた方向に投げたやつがいるということだ。

 「室長」

 「ああ、とりあえず行ってみるか」

 道から外れて茂みの中に入っていく。先頭は当然のように僕でその後ろに室長、一番最後が笠酒寄だ。

 少しばかり進んで、妙なものを発見した。

 大根だ。

 そこだけ開けている場所だったのだが、なぜか大根が植えられていた。しかも収穫できそうなやつが。白い根元が見えているので一発でわかった。

 しかし、なぜ? こんな山の中で大根を栽培するなんてことは聞いたことがない。しかも、統魔の調査対象になっているような場所でだ。不自然極まりない。

 怪訝に思って僕は大根に近づいて引き抜いて調べようとする。

 「待てコダマ! そいつに触るな!」

 室長の大声にびくりと驚いで僕は停止してしまう。室長が大声を出すなんて珍しいことだ。

 振り返ると早足で室長が向かってきていた。

 「な、なんですか室長。大声出さないでくださいよ。びっくりするじゃないですか」

 僕の批難を受け流して室長はかがみこんで大根をじろじろと観察する。

 やがて、室長は立ち上がるとこう言った。

 「わかったぞ。今回の犯人はこの大根だ」

 なんですと?


 5


 事件の犯人というものは多種多彩だ。

 古今東西の事実、虚構問わず必ずしも犯人は人間だという保証はない。事実、僕は人間以外が犯人だった『怪』に関わってきたのでそういう偏見はないつもりだった。

 しかし、一体どこのどいつが想像するだろうか? 事件の犯人は大根だった、などと。

 大根。野菜である。煮物に多く使われるが、生で食べることもできる。その場合はさっぱりとした味とシャキシャキした触感を楽しむことができるだろう。主役を張ることはあまりないが、いぶし銀のわき役としてはかなりのものだろう。食卓に欠かせない存在というわけでもないが、なくなってしまったら大分寂しさを感じることだろう。失くして初めてその存在を意識するような野菜だ。

 そんな大根が、『怪』を引き起こしていたという。

 室長は大真面目にそんなことをのたまった。

 「大丈夫ですか室長。おもに頭が。医者なら呼びまブッ!」

 ついつい思ったことが口に出てしまった。

 と同時に室長に殴られた。かなり痛い。歯が砕けたらしく口の中に何かの破片がある。すぐに治るが。破片はその辺に吐き出す。

 「……何も殴ることはないんじゃないですか?」

 「やかましい。失礼な口をきいた罰だ」

 取りつく島もない。流すのが正解だろう。笠酒寄はぽかんとしている。大根が犯人だなんて言い出したら当然か。

 「で、室長。大根が犯人って言うのはどういうことなんですか。こいつらが入山者を襲って殺していたってことなんですか?」

 「まさにその通りだ。こいつらが殺していたんだろう。まったく、厄介なものだ」

 この先、一生大根に大して使われないであろう単語が出てくる。厄介な大根ってなんだ。

 「あの……大根が人を襲うっていのはなんていうか、もう、ギャグ通り越してシュールなんですけど。人食い大根参上! とか三流ホラーですよ」

 「正確に言うと大根じゃない。マンドラゴラだ」

 どこか冷めた視線で大根(らしきもの)を見ながら室長が言う。

 マンドラゴラ。聞いたことはある。ただ、それは普通の植物だったはずだ。ファンタジーに登場するようなマンドラゴラも大根じゃない。

 「言いたいことは分かるぞ。だがな、いわゆるファンタジーに登場するマンドラゴラは古種マンドラゴラというんだ。それを一般人から隠すために生み出されたのが今現在一般社会で知られているマンドラゴラ。そしてこいつはダイコンモドキマンドラゴラだ」

 なんともコメントしがたい、直接的すぎるネーミングだ。つけた奴の感性を疑う。

室長の話は続く。

 「もともとマンドラゴラはB指定、その上に栽培に関しては統魔の許可が必要なんだ。だから基本的には入手困難。それで、あるアホがほかの人間にはマンドラゴラとわからない品種を作った。大根に偽装して普通に畑で栽培していたんだが、脱走してな。大騒ぎになって元凶の魔術師は拘束指定になり、ダイコンモドギマンドラゴラもすべて焼却処分になった、はずだったんだが、逃げ延びていたようだな」

 もしくは再び作ったやつがいるか、だな。

 本当に珍しく、室長が嘆息する。

 それだけに面倒くさいのか、馬鹿馬鹿しいのかはわからないが。とにかくはっきりしていることはある。

 B指定、つまりは統魔自身が管理しないといけないと設定しているモノが危険でないはずがない。今はまだこの山の中ぐらいしか行動範囲はないようだが、いつ被害が拡大するのかわからない。

 大根(正確にはダイコンモドキマンドラゴラ)に襲われて死んだ、なんて悲しくなってくる被害は今のうちに食い止めるしかないだろう。第一、人間の居住区にでも侵入されてしまったら一大事だ。大根が人を襲うというなんとも表現しがたい記録が残りかねない。

 「それじゃあ、やっぱり根こそぎ殲滅ですか?」

 「ああ、それこそきれいさっぱりにやってしまう。調査だけではなく可能なら解決も依頼の内だからな」

 この広い山の中、どこに植わっているのかわからない大根を一本一本破壊していく。

 想像しただけでうんざりする。しかし、やらないといけないのだろう。月曜日には帰れそうもない。統魔の応援でも頼みたいところだが、依頼として受けている以上は僕たちがやらないといけないのだろう。もう少しばかり依頼内容は鑑みてほしかった。

 「うんざりしますね」

 「そうでもない。強度は普通の大根と大して変わらないから破壊は容易だ。問題はこいつの能力だけだが、それもキミがいるなら問題ないな」 

 は? どういうことだろうか? 

 大根どもを探し回る手間というものを忘れているのだろうか。それとも何かしらの手段が存在しているのか。ただ、嫌な予感はする。

 「……問題な能力っていうのは一体なんですか?」

 とりあえずは室長が問題視しているこのダイコンモドキマンドラゴラ(間抜けな名前だ)の能力について聞いておいた方がいいだろう。対処させされるのは僕だろうから。

 「ああ、こいつらも古種マンドラゴラと一緒の能力を持っているんだ。引き抜いた時に絶叫してそれを聞いた生物を絶命させる」

 聞いたら即死かよ。どうやって対処したらいいんだそんなもの。耳栓か? もしかして鼓膜を破ったりされるのだろうか? すさまじいバイオレンスの気配がする。

 「変な想像をするな。こいつらの叫びはたしかに強力な絶命効果を持っているが、実は古種マンドラゴラとは明確な違いがある」

 「なんです、それ?」

 「声が小さい」

 ダイコンモドキマンドラゴラは喉が弱かったらしい。そんな器官が存在しているのかどうか知らないが。

 「で、それで僕が何の役に立つんですか? 叫ぶのにはかわりないんでしょう」

 「こいつらの叫びは精々十メートルぐらいしか響かない」

 ……なるほど。僕ならたしかに対処可能だ。十メートル以上離れてから能力を使って引っこ抜いてやればいいわけか。なんだか室長の返答がぞんざいになってきているのは気にしない。

 これでダイコンモドキマンドラゴラ(もう大根でいいか)を安全に引き抜くことはできる。しかし、山中の大根を見つけるのはどうしたらいいのだろうか? その問題は解決していない。 それとも探すのは統魔任せになるのか? どっちにしろ、かなりの時間がかかってしまう。

 これからの作業を考えて僕が憂鬱な気分になっていると、室長は踵を返して道のほうに戻り始めた。

 「どこ行くんですか、室長?」

 「山頂だ。恐らくはそこが大根どもの拠点だからな。そこで殲滅する」

 わからないことがまだあるが、室長は答えてくれそうもないので僕も笠酒寄もおとなしくついて行くことにした。

 あと笠酒寄、大根の葉っぱをむしるのはやめろ。


 6


 山頂。

 普通の登山ならば見晴らしのよさに感動したり、空気の清浄さに感慨深くなるところなのかもしれないが、僕たちはそうもいかなかった。第一、現在は深夜なので風情もなにもないが。

 僕は、あたり一面に広がる大根畑に戦慄するしかなかった。

 ちょうど何者かが整地したかのように大きく開けている山頂はもはや大根帝国の様相を呈していた。大根帝国ってなんだ。自分でもよくわからない。

 「あの、室長。これ、もしかして全部……」

 「おそらくはダイコンモドキマンドラゴラだ。ここまでの知能があるということは知らなかったがな。それとも品種改良種かもな」

 ただでさえシュールな存在に更にシュールな改造を施すのはやめてほしい。なんでそういう発想になったのかを訊いてみたい思いさえある。

 「空撮写真ではこんなことになってるのはわからなかったんですよね?」

 「おそらくは魔術を用いた欺瞞ぎまんだな。割と初歩的な結界術だからちょっと勉強した魔術師ならだれでも使える」

 がっくり来る。なんでもありか。

 これからこの一面に広がる大根を引き抜いて、それから山の中の大根も殲滅しないといけない。考えただけでだるくなる。

 「あった。あそこがおそらくはここの中心だな」

 室長は大根畑の真ん中を示す。

 そこには小さな小屋があった。

 ボロボロでいまにも崩れ落ちそうではあるが、確かに人工物である。

 もし、この『怪』を仕組んだ人物が潜むならばあそこだろう。

 「たぶん死んでいるだろうが、資料なんかも回収しないといけないからな。いくぞ」

 大根を踏みつけながら室長はずんずん小屋に向かっていく。

 「ちょっ、大丈夫なんですか? これ」

 「心配するな。マンドラゴラ種は引き抜かれたときにしか叫ぶことができない」

 はぁ。

 「ほら、笠酒寄。一応僕たちも行こう」

 後ろの笠酒寄に振り向いて声をかけると、なにか口をもごもごさせていた。

 「……何食ってんだ、お前」

 「さっきの大根の葉っぱ。けっこういけるかも」

 「……んなもん食ってないで行くぞ。腹壊しても知らないからな」

 心なしか野生化してないか? 人狼の影響なんじゃないだろうな。心配になってくる。

 笠酒寄の手を引きながら(大根の葉を再びむしろうとし始めたのでこうするしかなかった)僕は室長を追って小屋に向かう。大根を踏みつけながら。

  


 「やはり死んでいるか。この一面の大根畑は制御を失ったダイコンモドギマンドラゴラの暴走だな」

 小屋の中に入って、散らばっている研究資料と思われる書類を見ながら室長はそんなことを言った。

 「なんでそんなことがわかるんですか?」

 ほこりだらけの本棚から分厚い本を取り出しながら僕は聞き返す。

 「日記をつけていたようだが、ある日突然途絶えている。研究用に自立行動が可能になった大根を小屋の中で飼育していたようだが、それにやられたんだろうな」

 「それなら死体はどうなったんですか? 骨ぐらいは残ってそうなものですけど」

 「土の中だろう。せっかくの養分だ、有効活用したくなる」

 「ぞっとしますね」

 ということはいままで帰ってこなかった人々も同じ目に合っているのだろう。

 自分たちの栄養を確保するために人間を狩るだなんて、確かに危険な存在だ。野放しにしておくのはまずい。とっとと焼き払ってしまうのがいいだろう。できるかどうかはともかくとして。

 「それで室長。これからのプランはどうしますか?」

 あらかた小屋の中は探したので本題の大根処理について尋ねてみる。

 「一か所に集まっているならともかくとして、今回は山の中に散っているからな、コダマがひたすらここの畑の大根を能力を使って引き抜く。あとは勝手に集まってくるのを一網打尽にする」

 「集まってくる保障はあるんですか?」

 「ダイコンモドキの習性だが、こいつらは大体二十キロメートルぐらいなら感覚をある程度共有している。仲間が次々に引き抜かれていたら防衛にやってくるだろう。なによりもここはやつらの生産施設みたいなものだ」

 つまりは仲間を助ける習性があるということか。それを利用して集まってくる大根を根こそぎ破壊する、と。気分は悪役だ。

 「空木君、この大根ってけっこう美味しいみたいだよ。料理してみた記録もあるし」

 お前はなんでそういう方向に興味を示しているんだよ。この状況で食欲旺盛って言うのはある意味では器がでかいのかもしれないけどな。

 だが、笠酒寄のおかげで多少は緊張がほぐれたのは事実かもしれない。

 「それじゃあコダマ、プランA。大根引き抜いて皆殺し作戦だ」

 たかが大根に皆殺しとかいう作戦名がつくのは史上初めてだろう。

 「プランBはちなみに何ですか?」

 「山なんて平地になってしまえ作戦だ」

 「詳細は訊きません」

 平らにされてたまるか。統魔の人々と僕の胃に穴があく。

 こうなったらとっとと終わらせた方がいいだろう。

 外れそうなドアを開けて外に出る。一番端のほうから始めたほうがよさそうだ。

 「笠酒寄クン、聴覚強化は使うな。叫びを聞いたらいかに人狼でも即死を免れない」

 「はーい」

 物騒なことを軽く言わないでください。

 もういい。考えるだけ損だ。

 畑のはじっこの大根に視線を集中する。二百メートルは離れているが、僕の視力なら問題ない。

 まとめている髪が無重力になったかのように持ち上がるのがわかる。

 ずぼん、と勢いよく大根が抜けた。

 色はたしかに大根だったが、根茎の部分が人間のなりそこないのようになっている。

 それがまた、ぐねぐねと動いているから気色悪い。近くだったら叫び声まで聞こえていたらしいので、死ぬ原因は気持ち悪さなんじゃないかと思ってしまう。

 「抜いたのはその辺に放っておけ。どうせしばらくは動けん」

 「了解です」

 次の大根に視線を移す。

 そしてこれから先、僕の人生で二度とないぐらいの大根抜きが始まった。


 7


 大根を抜き始めて二十分。かなりの数を引っこ抜いて、ちょっとした大根の山が出来上がっていた。うねうねと蠢(うごめ)いているのが非常に気色悪い。視界に入らないでほしいのだが、そこに集めるように指示されてしまったので放り投げるときに嫌でも視界に入ってしまう。……帰ったら忘れ薬でもないかどうか室長に訊いてみよう。

 これで大体三分の一ぐらいは引き抜いただろうか。まだまだ夜は深いので夜明けまでには終わらせることが出来そうだ。よかった。正直、日にあたりながら能力を行使するのは難しいのだ。かゆみで集中が途切れる。

 「お、集まってきたな」

 室長がなぜか嬉しそうにそんなことを言う。何が集まってきたのだろう? いや、考えるまでもなく、大根だ。

 動く大根というだけでもげんなりするのに、さらにそいつらは僕たちを排除しようと襲ってくるわけだ。

 もはやギャグの世界だ。なんだこれ。

 死因が大根とかになりたくはないので、僕は室長の視線を追う。

 四体(四本?)の二足歩行の大根が徐々にこっちに向かってきていた。手には棒切れのようなものを持っている。持てるもんだな、大根でも。

 「道具を使うぐらいの知性はあるわけか。一応、統魔にも報告しておかないとな」

 全部焼却処分するのは決定でも魔術師としてさすがにそのあたりはきちんと情報提供するようだ。とはいえあんまり近づいてほしいものでもないので僕はとっとと引きちぎることにする。

 「待てコダマ。キミは引き続き大根を引き抜いていろ。あれは笠酒寄クンに任せよう」

 「わかりましたー。ぶっ飛ばしてきます!」

 元気よく返事して笠酒寄は大根の群れに向かっていく。長袖の先から見える手の部分が獣毛に覆われているのは人狼の能力を開放しているからだろう。恐らくは四肢だけを人狼化しているのだ。

 便利だなあ……人狼。

 感慨にふける間もなく、笠酒寄は一瞬で大根四本を砕いてしまう。それはそれは見事な蹂躙だった。相手のほうがかわいそうになる。

 「で、室長。こんなのをどのくらい続けたらいいんですか?」

 あくまで能力を使いながら大根を引き抜きつつ、僕は室長に尋ねる。うげ、こいつなんで腕が三本あるんだよ。

 「ああ、ここの大根を全部引き抜いて、そして向かってくるのがいなくなったら終了だな。そしたら統魔に戻って、報告して終了だ。報告は私がやるからキミ達はゆっくりしているといい。温泉にいくぞ」

 「そりゃ、ありがたい、です、ね!」

 本日何本目かも数えたくないような大根を引き抜く。声こそ届かないものの、精神的ダメージだけで結構なものだ。

 「空木君大丈夫? 代わろうか?」

 いつの間にか戻ってきていた笠酒寄が下から覗き込むようにして訊いてくる。

 「大丈夫だ。っていうかお前じゃ抜くときに死んじまうだろうが」

 「なわとか結んで遠くから引っ張ったらどう?」

 ……確かに。十メートルぐらいしか声は届かないわけだからそこそこには実現可能だ。

 「どうなんですか、室長?」

 「あー、葉っぱ部分がちぎれてしまうと取り出しにくいからな。やめておいた方がいい」

 はぁ。やっぱりそうなるか。

 「おっと笠酒寄クン。次の団体様らしいぞ」

 「はーい! めっさーつ!」

 もう深夜だというのにテンション高く笠酒寄は駆けだしていった。



 およそ一時間後。山頂の畑の大根は全て引き抜き、集まってきた大根もすべて笠酒寄によって粉砕され(文字通り)、この大根事件は終わったのだった。

 もうしばらく大根は見たくない。

 集めた大根は一か所に集めて、室長が魔術で火を放った。ついでに山頂にかかっていた欺瞞魔術も解除してしまったらしい。

 じゅうじゅうと大根の中に含まれている水分が火にあぶられて音を立てる。さすがに火は嫌なのか大根共は身をよじる。逃げるのは片っ端から僕が戻しているが。

 「すげー残虐なことをしている気分になりますね、これ」

 「戻ったら大根の味噌汁にしてくれ」

 「……自分で作ってください」

 嫌がらせか。

 ほどなくして大根の山は灰の山に姿を変えてしまった。いまだに夜は明けない。

 「さて、依頼は果たしたし、帰るとするか」

 「はいはい」

 「はーい」

 登りとは違って警戒する必要もないので一時間もかからずに停めていたクルマまで到着する。

 いつも通りの室長、疲れた顔の僕、なぜかうきうきした感じの笠酒寄。三者三様に乗り込む。

 統魔に戻る途中に室長がクルマを停めた。

 温泉宿、だろうか?

 「コダマ、笠酒寄クン。ここで降りろ。昨日の分から予約は入っているから今日はここで休養していろ。温泉も二十四時間入れるから土埃を落とすといい」

 今の疲れた体にはうれしい。是非もなく僕と笠酒寄は荷物を持って温泉宿にチェックインしたのだった。

 


 個室。個室である。

 室長のことだから三人一緒の部屋であろうと予想していたのだが、全員が個室だった。うれしい予想外である。

 フロントでは室長の言ったとおりに明け方だというのに温泉に入れるということだったので早速僕は温泉に向かう。

 温泉は好きだ。それも露天風呂ならなおさらだ。

 ぬるめのお湯ならいうことはないが、そこまで望むのはあまりにも強欲だろう。

 着替えを持ってそわそわしながら暖簾のれんをくぐる。

 なんともレトロちっくな内装が迎えてくれる。おお、ナイス雰囲気。やはり温泉というものはこうでないといけない。

 土と大根の匂いがこびりついてしまった服を脱ぐ。……この服は捨ててしまったほうがいいのかもしれない。見ただけで今日のことを思い出しそうだ。

 そんなどうでもいいことは脇に置いておく。いまの最優先は温泉だ。露天風呂だ!

 最早全裸になっている僕は温泉の戸を開け放つ!

 ちょうど夜明けの時間だったらしい。向こうに見える山横から上ってくる朝日が見えていた。

 この景色だけは今回の依頼で救われた部分かもしれない。

 そこまで考えて僕はあることに気づいた。

 先客がいる。

 そしてそいつには見覚えがあった。というか笠酒寄だ。

 僕の頭脳がフロントでいわれたことを思い出す。

 『露天風呂は二十四時間入浴可能ですよ。ただし、混浴ですからお気を付けくださいね』

 ほう、つまり、混浴、で、ある。

 笠酒寄もホコリを落とそうと思って入浴していても不思議はないというわけだ。なにもおかしくはない。いたって論理的な帰結である。決して破綻はたんしていない。

 だが、人間の感情いうものは論理だけで割り切れるものではない。

 「きゃあーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー‼」

 「すまーーん! すぐ出ていくーーーーーーー‼」

 滑る床に足を取られそうになりながらダッシュで僕は浴場から出ていく。後ろではまだ笠酒寄が叫んでいた。丈夫な喉だ。

 ああ、なぜこうなるのか。

 せっかくの温泉も笠酒寄が上がってくることを確信する二時間後ぐらいまでは僕は入ることができなかった。

 当然のように室長からのちにこのことをいじられたことは言うまでもない。

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